アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

中野の変貌

2016-03-31 05:40:08 | 時代のおわり
◎外国人による治安の悪化

東京の南北分断と言えば中央線である。先日、中央線に乗って中野へ行くことがあった。中野と言えば、10年くらい前、ダンテス・ダイジの私家版の弟子との問答集をまんだらけに買いにいったことがある街であって、特になにか特別なものがあるわけではない。

証券会社や銀行に警備員が立っているのは普通だが、一般の商店やオフィスビルの一階にも警備員が立っていることにまず気が付いた。さらに「用事のない方は入らないで下さい」みたいな張り紙が目立つ。

街を歩く人は、中国人、韓国人、白人のバックパッカーのような人もいて、中野はもともと新宿の後背地あるいはベッドタウンみたいな土地だったが、歌舞伎町の外国勢力の進出によって、フリースペースと見れば入り込んで休んだり飲食放談をしたりする外国人が急増したということだろうと想像した。

用もないのに他人の場所に入り込むのは日本人の生活習慣にはない。

在留外国人は10年ほど前には60万人くらいだったのが、昨年は220万人に増加。増加の太宗が中国人であろうことは想像がつく。中国共産党幹部の海外への脱出は完了し(中矢伸一の本にそんなことが書いていた)、平均月収5万円に満たぬ中国から爆買いツアーが未だに押し寄せる。日本へは中国からの観光ビザが緩いことから、食い詰めた中国人もそろそろやってきて、都市や地方の空き家を目指して住み込み始めるのは目に見えている。

対岸の火事は、入国ビザの緩さによって簡単に延焼するだろう。

かくして中野のような治安の悪化は、全国に静かに広がっていくように思った。
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東京を境に南北分断

2016-03-30 05:38:09 | 古神道の手振り
◎蛸間山あるいはタコマ山

霊界物語では、蛸間山あるいはタコマ山が富士山と東京のシンボルとして2回に分けて登場してくる。

最初は霊界物語第二巻のタコマ山であって、善玉支配者の語る宣教を酒に酔った人民が誰一人聞く耳を持たないが、悪玉のボスが、食物に毒を混ぜて善玉支配者の妻を毒殺し、本人が毒が回って口をきけなくなっても、なお人民は善玉支配者の宣教の意図を理解しないというもの。〆めは、食べ物には注意しましょうということになっているが、どういうつもりなのか。

二回目は霊界物語第三巻の蛸間山であって、これは、悪神勢力が蛸間山を境に南北を分断してしまうというものだが、その裁断を下した善玉ボスを亡き者にしようとしたたくらみが露見し、ついには邪神滅亡に至るというもの。

出口王仁三郎は、東京ははきだめであるという。そういう場所にはが巣くう。東京では、既に人々に神の真理を説いても誰も理解できないほどに、あらゆる洗脳が効いている。

東京を境にした南北分断は、まだ起きていないが、起きる頃には外国勢力主導の邪神滅亡の前駆サインとなるということなのだろう。そういうことをする人々もやがて出てくるのだろう。富士山はいつも邪神滅亡のフィナーレとして出てくる。

こういうのを絵空事として見るかどうかは、各人によるが、出口王仁三郎が明治30年代に白昼夢で京都空襲のビジョンを見てそれと同ビジョンを有していたのが出口ナオだったので大本に入信したことを思うべきだろう。
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沓島(めしま)の謎-3

2016-03-29 03:22:22 | 古神道の手振り
◎大虎の水没

大正十年の第一次大本事件公判に際して、神様にお願いして七本の霊夢を出口王仁三郎の実弟小竹玖仁彦氏に見させてもらった。そのうちの二番目に沓島が出てくる。

場面は沓島のようなところ。大鰐は水面に、大虎は岡の上、そして狼が高い所から見下ろしている。
大虎が、のそのそと登っていく小鰐を口にくわえようとするが、なかなかうまくいかない。お互いに戦い合うも小鰐は下に落ちた。そうするとまた別の小鰐が出てきて、大虎と戦おうとする。

そこで大鰐がアドバイスするには「四足をくわえて引き込め」と。ついに4匹の小鰐は大虎の足をくわえて水中に引き込んだ。大虎は水を飲んだ。(出所:新月の光上巻p117)

以上が霊夢の内容だが、これは比較的わかりやすい。大鰐は出口王仁三郎、小鰐は大本教の信者、狼は大神。大虎と言えば、霊界物語中の第67巻第六章浮島の怪猫の段が有名。

霊夢の七番目で大虎に対し祝詞奏上すると、二匹の大虎は小さくなって猫になったので、信者たちが交替で懐に入れ持ち帰ったという。

子供の六分の一が貧困世帯で、全労働者の四割が非正規雇用。どうみても日本全体は貧困化した。
大虎の威力は未だに絶大だが、将来日本国民全体が飢餓に苦しむ時、大虎の財産を供出し、飢餓を癒すらしいというプロットも霊界物語には出てくる。

浮島の怪猫の段では、浮島の頂上の夫婦岩がだんだん下に降りてきて磯端に来たので見れば大きな虎猫だった。その虎猫は西方を目指し湖面を逃げてゆき、まもなく浮島は半時ばかりのうちに全山沈没したという。どうなる日本。
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沓島(めしま)の謎-2

2016-03-28 03:05:00 | 古神道の手振り
◎国常立尊の配流

沓島は、舞鶴から船で行くところ。

太古、艮(うしとら)の金神である国常立尊は、トルコのエルサレム(まま)から日本に流されて、日本でも更に沓島に流されたという。冠島には国常立尊の眷属が流されたという。

沓島、冠島はペアだが、ご神業的には、沓島の方がメイン。

出口王仁三郎の活動の根本は、艮(うしとら)の金神の復活であるから、明治33年日本海の波濤を越えて沓島開きのご神業を手始めに、モンゴルの大地に分け入って艮(うしとら)の金神のご活躍の道筋をつけられたのだと思う。

よくわからないが、沓島、冠島には、砲台ができて攻射砲ができて参られぬようになるなどと不気味なことも書いてある(新月の光下巻p59)。ついでに綾部も都になるなども、どうつもりか書き残している。
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帝京大学ラグビー部

2016-03-27 07:15:49 | 時代のおわり
◎創造と破壊

帝京大学ラグビー部の岩出雅之監督の数分のNHKテレビのインタビューを見た。彼のチーム育成のテーマは「創造と破壊」であって、それはせんじ詰めれば、先輩と後輩の垣根を取り払って学年の上下をなくして、フランクに交流することであった。

その証拠として合宿所のトイレ掃除は3、4年がやるとか、合宿所は3人部屋くらいなのだが、必ず別学年が混在するなどのシーンを見せていた。

これを岩出監督自身が解説し、過去大学ラグビー選手として経験した過去の厳しい上下関係を自分が自分の中から「破壊」して、こうしたフランクな交流から相互理解、コミュニケーションの積み重ねによりラグビーが深まるみたいなことを言っていた。

こうした上下関係の無視は、実は簡単なことであるように見えて、既存の権威社会を真っ向から否定することであって、百害あって一利ないようにも見える。
ところが、その結果が大学選手権の7連覇であって、いまや何十年続いた早明ラグビー全盛時代は昔話となった。

精神世界では、アクアリアン・エイジ(宝瓶宮時代)と言われて久しく、それはフリー・セックス(婚姻に縛られない性的関係)ばかり喧伝されてきたきらいがある。しかし、アクアリアン・エイジの眼目の一つは、個々人が自ら覚醒し、そこで過去崇拝尊敬の対象で高嶺の花であった聖者覚者が、友人としてつきあってくれるという上下のない率直な人間関係の形成である。

組織宗教にあっては、教祖たる聖者を同輩扱いするなど、不敬罪みたいなものであって許されることではない。ところが時代はそれを要求しているが、組織の論理で組織宗教である限りはまずそれはできない。

クリシュナムルティは過去組織宗教の教祖に祭り上げられるところだったが、それから逃げ出したというエピソードもあるが、そうした例は未だに少ない。キリスト教も仏教も21世紀になったがその組織はびくともしていない。

だから神の手が入ってくるということもあるのだろう。

さて岩出監督の見据えるところはラグビーのゴールではなく、人生のゴールというのは、良く見えていると思った。
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沓島(めしま)の謎-1

2016-03-26 07:26:32 | 古神道の手振り
◎沓島の沖の海戦

先年のNHKの大本教特集で冒頭に沓島が出てきた。沓島は日本海中の絶海の大きな岩の島。荒波に取り巻かれ、波止場も浜もなく、よく行こうと思ったものだくらいの島である。

沓島については、出口王仁三郎一行は、明治34年出雲大社を参拝し、ご神火と御前井の清水、社の砂を戴いてきた。その水を舞鶴の沓島より大海に投じてご神業を行った。(霊界物語第38巻第一四章沓島の段にその時の仔細が書かれている)

このご神業は、来る日露戦争の大難を小難に祀り変えるためという説明がなされている。

しかし沓島は、霊界物語に第一巻で出てくる他、霊界物語には繰り返し登場しており、沓島の意義は極めて重要なものであることが想像される。

そのひとつが、いろは歌の「ね」。これだけ読むと沓島の霊力により外国軍の侵略が簡単に一掃されるように思うが、事はそれほど単純ではなく、この島に埋め込まれているはずの珠が敵を覆滅させるはずが、何の効果もなく敗北を喫してしまったなど、霊界物語には、奇妙な沓島を巡るプロットが散りばめられている。
最近でも神州不滅な日本は、ABCD包囲陣により想像だにしなかった敗戦を迎えた。明治維新も外国からの侵略戦争こそなかったが、実質敗戦みたいなものだったかもしれない。

『ね
らう要所は対島に津軽、馬関海峡其次に、舞鶴軍港岸和田の間の軍備に眼を付けて、地勢要害取り調べ、又も越前敦賀より、尾張の半田に至るまで、国探(いぬ)を放ちて探索し、一挙に御国へ攻め寄せて、総ての活動中断し、日本を占領する企み。

夢でも見てるか夷国人、日本神国(やまとみくに)の敷嶋の、神の身魂を知らないか、鰐の如うなる口開けて、只一呑みと思ふても、日本男子の魂は、胸に填(つま)りて呑めないぞ。行きも戻りも成らないぞ。

綾部の錦の大本の、十里四方は宮の内、見事覚えが在るなれば、沓島の沖まで来て見よれ。

鋼鉄艦も潜艇も、丹後の海の埋め草に、一隻も残さず揺り沈め、日本兵士の忠勇と、出口の守の御威徳で、艮(うしとら)大神現はれて、三千世界を立直す、首途(かどで)の血祭り覚悟せよ。』
(出口王仁三郎のいろは歌から)



『朝日は照るとも曇るとも 千尋の海は干くとも
 世界は泥に浸るとも 誠の力は世を救ふ』

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雪中庵蓼太の蛙とびこむ水の音

2016-03-25 05:29:15 | 丹田禅(冥想法8)
◎自ら飛び込む

俳人の雪中庵蓼太が、白隠を沼津市の原の松蔭寺に訪ねたところ、
古池や蛙とびこむ水の音
の句の水の音をどう聞くと迫られた。

雪中庵蓼太は、坐禅冥想を何年も誠心誠意続けたが、ついに白隠は遷化してしまった。
彼はやむなく白隠の後継者である東嶺和尚を龍澤寺に訪問し、教えを乞うた。

東嶺和尚は、彼があと一歩まで近づいているのを看取して、一句を与えた。

飛び込んだ 力で浮かぶ 蛙かな

雪中庵蓼太は、これを見て、忽然と悟るところがあった。


例によってどうやって悟ったのか、何を悟ったのかは詳述されていない。だが、その真贋を見抜く師家がいる。悟りの何たるかが判らない弟子にそれを説示して理屈でわかるものではない。悟りマニュアルなどあったらそれは嘘っぱちである。だからといって冥想指導なき「今ここ」は、クリシュナムルティが一生をかけてチャレンジしたが、成功したとは言えない。「今ここ」は最後は飛び込むのだが、それには機が熟している人を飛び込ませて初めて成功するのであって、誰でもむやみに飛び込ませることはできない。
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蓑笠の翁独り絶界を往く

2016-03-24 05:26:22 | 丹田禅(冥想法8)
◎悟道者の精神風景

柳宗元の漢詩。
『千山鳥飛絶
万逕人蹤滅
孤舟蓑笠翁
独釣寒江雪

【訓読】
千山鳥飛ぶこと絶え、
万逕人の蹤滅ゆ
孤舟蓑笠の翁
独り釣る寒江の雪』

風景は、寒く、孤独感がつのる。このシーンは山水画でよく見るモチーフ。柳宗元は、高級役人ながら左遷されたわびしさをこの孤舟蓑笠の翁に託したなどという俗な解釈もあるがそうではあるまい。

さて雪舟の秋冬山水図の下の方にとても小さく老翁が描かれており、全体はとても蕭条とした風景である。

なぜ彼らはこのように、人間を矮小、孤独に置き、世間的には気持ちのよくない図柄を好んで描くのか、全く謎だった。

でも最近なら少しわかる。悟った者は絶対的に孤独であり、その歩む世界はあらゆるものが見知らない、未知に満ち満ちている。かつその世界には、永遠が大きく横たわっている。
だから、彼らがその世界を素直に描くとすれば、この図柄しかないのだ。


(秋冬山水図部分/雪舟)
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こころにはぢよ

2016-03-23 07:43:41 | 丹田禅(冥想法8)
◎良寛のモチベーション

良寛の歌。

なにゆえに家を出でしと折ふしは
こころにはぢよ墨ぞめの袖

良寛は一生涯道を他人に説くことはなかった。こうした歌が出てくることをみると、いわゆる求道者として一生の大半を費やしたことが窺える。

禅の十牛図では第三図以降は覚者の世界ということになるが、覚者と言っても第三図レベルの道を瞥見しただけでは、はぢて他人に道を伝えようなどとは思わない人もいる。

寺に入ると半数以上は寺の師弟。親子孫で仏法をやるという生業であってはいけないが、その生業が見えるせいか、「寺を出て出家する」というスタイルが当たり前のように語られる時代になった。

十牛図ではアートマンが牛だが、牛を見た人が少ない時代は、牛を見た人は珍重され、法を説くものだとされ、実際にそういう道を歩んだ人も多いが、日本はそれだけの生真面目な土壌だけではなく、破格を許す器量がある。

たとえば一休などは、寺周辺にあって行雲流水な人生を歩んで見せた。悟ってもその人はその人らしく自由に生きるのだというのも、この時代の人には実地に見せなくてはわからないところもある。

その修行者の性格によって、人前に出たがる人もあり、そうでない人もいるということはある。

さて災難から逃れたり、幸運に出会ったりしたい人はいるものだ。そうした人に対して良寛は、

『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。』
とすとんと説く。

人生への向き合い方、人生への取り組み姿勢とその人の性格とは、全く別次元のものであって、素直、率直、フランクという覚者の一属性は、人生への向き合い方、人生への取り組み姿勢と連動しており、性格ではないと思う。

またできれば人生を投げないほうが良いというのは、自殺防止施策みたいだが、求道のモチベーションの根本であり、墨染の衣にはぢよと歌った良寛の心ばえでもある。

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天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

2016-03-22 03:01:15 | 古神道の手振り
◎天叢雲剣を得て千年王国を成就する

素盞嗚命は、十握剣(とつかのつるぎ)によって八岐大蛇の尾を切断したときに,十握剣が欠けてしまっていた。不思議に思った素盞嗚命が切断した尾を調べると,そこから一振りの剣が発見された。この剣が天叢雲剣と名付けられた。

その後第12代景行天皇の御代、その子息の日本武尊は,東征を命じられた。そのときに叔母であり、伊勢神宮の斎宮でもある倭姫(やまとひめ)命から天叢雲剣を授けられた。

これについて、出口王仁三郎は、太古において、八岐大蛇とはオロチヨン族のことで、出雲に割拠していたのを素盞嗚命が平定して、その頭目が持っていた剣(日本列島)を召し上げたとする。(新月の光下巻/木庭次守編/八幡書店P239、霊界物語第15巻第11章大蛇退治の段)

出雲国とは、地球上一切の国土のことなので、今でいえばアメリカみたいなものだったろう。

オロチョン族は、今では中国の少数民族の一つになってしまって、内蒙古自治区と黒竜江省の接するところにある大小興安嶺、特に内蒙古自治区フルンベル盟オロチョン族自治旗に数千人残るだけだそうだ。笹目秀和氏がこの辺を探検したことがあるかもしれない。

いずれにしても、太古において、素盞嗚命が天叢雲剣を得て天祖に奉呈し、五六七(みろく)神政(千年王国)を成就できた前例があったということ。天叢雲剣は別名草薙剣。一人でも二人でも日本という草薙剣を背負って立つ真人が出てくること期待する。
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老人の栄える国

2016-03-21 06:44:45 | 時代のおわり
◎長くは続かない

警察が撲滅の最大目標の一つにあげているものの一つが振り込め詐欺。振り込め詐欺の被害者の大半は老人である。老人が狙われるのは、老人が若者に比して富んでいるからである。雇用者全体に占める非正規社員の割合は4割に達し中年以下の勤労世代は比較的可処分所得が少ない。よって可処分資産あるいは可処分所得が多いのは老人。老人を狙っているのは犯罪者ばかりでなく、一般企業も政府も狙っており、老人の比較的暖かい懐を狙った施策、政策を次々と打ってきている。

過去老人が栄えた国は歴史上にないと思われる。WHOの世界各国の平均寿命を見ると軒並み75歳以上で20世紀後半の医療の進歩は刮目すべきものがある。が、このWHOのデータは後進国でも本当なのだろうか。

しかし老人もいつまでも豊かであるわけではない。老人の生産性は低く、富める老人も20~30年経てばいなくなり、残されるのは一億総貧困社会となるだろうことは、簡単に想像できる。これも亡国の相の一面。

日本は海外から良くなりすぎたとされるほど繁栄したのは、冥想環境を維持するためには、ある程度豊かな経済が必要であるがため。その恵まれたチャンスの時期を日本人が生かせたかどうかは知らない。

仮に冥想習慣がこれから各家庭に広がっていくとして、その生活水準は落ちていくのだろう。低い生活水準を喜んで享受できるかというのも問題になる。なんとなれば、そのためには無用の用への価値観の大転換が起こらなければならないからである。

欧州の有名な巡礼路サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道の体験談を読んだことがあるが、巡礼の途中で修道院かなにかで食事を配給してくれるのだが、大体屈強な若者が老人や女性を押しのけて先にありついて沢山いただくのだそうだ。一皮むけば、巡礼者であってもへりくだって老人に譲るものではないのが現代の世界標準なのだろう。
だからこそ、東日本大震災の避難所で略奪や暴力がなかったのが世界的にはニュースになった。日本にはこのような好転の芽はある。

外国勢力が、友好の名のもとに日本を虎視眈々と狙っている折柄、日々の冥想はますます重要である。
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人を神として祀る歴史

2016-03-20 03:17:23 | 古神道の手振り
◎情報操作、洗脳あるいは国家カルト

日本古代では、人霊が神霊に昇格することはほとんどなかった。その例外は怨霊鎮めであった。

『神道葬祭から招魂社へ

中世から近世への移行期に、吉田神道は「新神道」に衣替えして確立する。その顕著な事例が人霊を神に祀ることである。

古代における人霊祭祀には制限があり、人霊が神霊に昇格することはほとんどなかった。多武峯に祀られた藤原鎌足の廟が神社化し、大明神号を与えられるようになるのは中世後期まで待たなければならない。

人霊祭祀は御霊信仰と天神信仰など、怨霊を鎮めるために祀る形式に限られている。これを大きく転換させたのが吉田兼倶である。』
(日本神道史/岡田荘司編/吉川弘文館P186から引用)

というわけで、吉田神道の創始者吉田兼倶は、人間を神に祀ることを創見し、人霊祭祀に積極的立場をとった。

ところが出口王仁三郎は、神は人に罰を与えないが、人は人に罰を与えるから気をつけよとした。また第二次世界大戦終了後の吉岡発言では、「ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。」とし、国家神道が人霊祭祀中心であったことを批判した。

しかしながら、人は神の生き宮であり、個人個人が一個の神として生きることを求められる時代が現代である。人間精神がここまで進化したからには、人霊祭祀は、十把一からげに批判されるべきものではないが、情報操作や洗脳の一手段として、あるいは国家カルトみたいなものへ持っていく手段として再び人霊祭祀が利用される可能性が否定できないのは、現代社会の危険性である。日本人は、信心深そうな風俗習慣とは裏腹に実質無神論に近い人がほとんどだからである。


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黄帝の冥想修行と昇天

2016-03-19 06:51:03 | 道教
◎鼎の完成により龍に乗って昇天す

黄帝は、各地の神仙に冥想道を請うて歩いた。
1.王屋山で金丹の修煉法を得た(九鼎丹法)
2.天台山で金液神丹を得た。
3.青丘山で紫府先生から『三皇内文』を授った。
4.青城山で中黄丈人から神仙真一の法を得て、首山で採取した銅で荊山の山麓で宝鼎を鋳造した。

さて宝鼎の完成した日に巨大な龍が天から降りてきて、ひげがゆっくりと垂れ下がってきた。黄帝と友人や大臣(黄帝は元は皇帝だった)など72人がその龍の背に乗って昇天した。残念ながら背に乗れなかった多数の臣下は、龍の鬚に登ったが、途中で鬚が切れて地上に落下した。

黄帝は、昇天後、五方の天帝の一人となった。

この話は、宝鼎たるチャクラが完成したときに龍に乗って昇天したということで、龍はクンダリーニのエネルギー・コードの謂いだろう。

一族に一人覚者が出れば九族昇天すというのが、72名の眷属。乗り切れず落下した人のことは芥川龍之介の蜘蛛の糸のモチーフ。

相乗りするだけでなく昇っていく力量を持たないとね。
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流浪者の故郷 STRANGER IN THE STRANGE LAND

2016-03-18 05:34:03 | 現代冥想の到達点
◎最高峰を表現する

ダンテス・ダイジの未公刊詩集「老子狂言」から

『流浪者の故郷

STRANGER IN THE STRANGE LAND

我れこの異郷にありて見知らぬ旅人となり
焦がれる故郷を忘れつつある
神は神の意志自体で、私に現れ、
あるいは一つとなる!
私にはなすすべがない・・・
私があらゆることどもを可能にできたとしても・・・』

故郷は個人であり、異郷は神である。神人合一にあって、そこは異郷と表現される。
ここでは得意の「未知」や「見知らぬ」という言葉は出てこないが、想像される景色は同じだ。

「神は神の意志自体で、私に現れ」とは、如来という語感そのものだ。

そして神にありては、「忘れつつある』。

本当に「今ここ」にあるということは、この絶対的な孤絶感、言葉にできない未知に満ち満ちていること、そして全能であるが無力の如くである、『感覚』があるのだろう。その『感覚』のない「今ここ」は、逆に疑わしいと思う。
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本居宣長と平田篤胤の死後観

2016-03-17 05:39:52 | 古神道の手振り
◎死とは何が死ぬのか

『その中で、篤胤は独特の生死観を説いた。すなわち、宣長は人が死ねば汚き他界、すなわち黄泉へ行くのだから、死ぬことはじつに悲しいのだ、と説いた。
こうした宣長の死後観は、当時神葬祭の実現を目指していた神職らには不都合な説であった。

それに対して篤胤は、人は生きては天皇が主宰する顕界(目に見える世界)の御民となり、死ねば大国主神が主宰する幽冥界(目に見えない世界)の神となって、おのおのの主宰者に仕えまつると説いた。しかもその幽冥界は、われわれが生きる顕界と同じ空間にあって、決して他界ではない、ただ目に見えないだけであるという、しかも幽冥界から顕界が見え、そこからは神は君や親そして子孫を見守っていると説いた。』
(日本神道史/岡田荘司編/吉川弘文館P215から引用)

この見方は記紀から来ているのだろうが、死の世界から再生するのかどうか、マンツーマン輪廻なのかどうか、生から死への一方通行なのだろうか、死とは何が死ぬのか、などの疑問がわく。

特に平田篤胤の説は、出口王仁三郎が「平田国学の悪影響」と批判を繰り返している理由が推測される。6度死に、実地で死の世界を探訪した出口王仁三郎にはかなわない。


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