アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ピラミッドのディスクから埋蔵経

2016-02-29 03:25:35 | 究極というものの可能性
◎アトランティス古記録

ゲーリー・ボーネルが盛んにピラミッドからアトランティスの叡智を集めたディスクが発見されるというようなことを述べているのだが、このディスクが発見されることについては、ゲーリー・ボーネルが初めてではなく、もっと古いだろうと思い、いろいろ調べてみたらエドガー・ケーシー予言のようだ。

エドガー・ケーシー予言では、ディスクではなく石盤と訳しているのでタブレットかもしれない。いずれにしてもアトランティス末期のコアなメンバーの一部がエジプトに渡り、ピラミッド内部にアトランティスの叡智を集めた古記録を封入し、近代西欧文明の最末期にならないと発見されないようなレコードを仕込んでおいたというのが、そのエドガー・ケーシーの予言。

それが本当にピラミッド至近で核爆弾か何かが爆発して、そのディスクが発見されるようなことがあれば、それこそアトランティス密教の結界の優秀さと精密さを示す事件になると思う。

しかし世の中には、誰がそれを読んでも悟ってしまうような文章や書物などはない。仮にアトランティスの叡智を集めたディスクが今マスコミに公開されたとしても、米露中の覇権争いがピタリと止むわけではない。書物や記録の内容が問題なのではなく、それを読む人間がどうかにかかっている。それは禅問答と同じ機微。

釈迦在世中は、その教えを文字化することを許さなかった。何百年もたってから法華経のような仏説と称する文書が出来上がってきた。チベット密教ではよく埋蔵経が異次元から発見されたみたいなことを言うが、仏典は釈迦没後の編纂である以上、いわば虚空から書き下ろされた埋蔵経のようなものなのだと思う。


時間のない世界でかかれた文書、文章というものは確かにある。埋蔵経もそのようなもの。ピラミッドのディスクもそうした部分がかなり含まれているものだろうと思うが、その内容が、人口のほとんどが悟らざる人間達が日々形成する地獄的社会にマッチしたものであるようには想像できない。

むしろ、諸悪莫作 衆善奉行 つまり悪いことをしない、善いことをするのが当たり前で、一人ひとりが神を知る、体験とは言えない体験を経ている社会、そうした社会にマッチした内容の古記録であるように思う。



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映画「永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅」

2016-02-28 07:05:28 | 冥想アヴァンギャルド
◎パラマハンサ・ヨガナンダ

映画「永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅」は、2014年の映画で、パラマハンサ・ヨガナンダのドキュメンタリーだそうだ。それがこの4月日本公開される。

パラマハンサ・ヨガナンダと言えば、『あるヨギの自叙伝』で知られる正統派の覚者。彼の師匠がスリ・ユクテスワであって、正統派のヨーギの系譜である。

彼の没年は1952年だから、映画の宣伝文にビートルズやスティーブ・ジョブズに影響を与えたと書いてあるが、際どい表現ではある。肉体レベルでの師弟関係があったはずもない。

彼が没する時にマハーサマディーに入ったというが、空海の入定みたいなものだろうか。

インドの導師たちにもファッション系と正統系があるが、パラマハンサ・ヨガナンダは、まぎれもなく正統派。もはやヨーガであれば、何でもよいという時代ではない。

パラマハンサ・ヨガナンダは、戦前のアメリカにわたりヨーガを教えたが、ケン・ウィルバーが出たようにアメリカでもわかっている人はわかっている。ただしアメリカは、OSHOバグワンのことは毒を盛って追い出した。

クリシュナムルティもアメリカに住まい、世界で活躍しようとするスピリチュアリストは20世紀はアメリカに出たものだ。チベット密教系の人たちも結構アメリカに渡っている。

パラマハンサ・ヨガナンダ、スリ・ユクテスワとその系譜を遡っていくと、大聖ババジの名が見え隠れする。ババジと言えば三白眼の黒目が上を向いた写真を思い出す人も多いだろうが、インド・ヨーガの大本流はその辺にあるように思う。

いつまでもハタ・ヨーガをメインにやっている時期ではあるまい。
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いろは歌の描く未来図-2

2016-02-27 07:25:27 | 古神道の手振り
◎天津日嗣

天津日嗣とは天皇陛下のこと。

出口王仁三郎のいろは歌から。
亜細亜、亜弗利加、ヨーロツパ、南北亜米利加、太洋洲、一つに丸めて日本の、天津日嗣の神徳で、万古末代続かせる、神の出口の道開き、竜宮やかたに表現(あら)はれて、三千世界の主と成り、普天率土を統一し、元の神世と改めて、神も仏も人民も、勇んで暮す松の世の、七福神の楽遊び。』
※普天率土:全世界のこと。

天津日嗣は、憲法上日本国の象徴であるが、ここでは、日本のみならず現界の全世界の『主』となり、更にあの世も含む三千世界の『主』となるとする。

それは、天津日嗣のご神徳の然らしむるところであり、そのご神徳によって千年王国(元の神世)の端緒が開かれるのだとする。七福神の船遊びは、至福千年のシンボルだったとは知らなかった。人民が喜び勇むのはわかるが、神も仏も喜び勇むほどそのご神徳のバリューは高い。

それでは天津日嗣が現れる龍宮館とは何か。龍宮館と龍宮は区別されていて、龍宮は苦患を受けつつ過ごす海底であり、龍宮館は、地上にあり、地上のセンターであり、地の高天原のことである。海底は、艮の金神が押し込められていた北東とシンクロする。艮の金神が表舞台に出るように、地の高天原に出るのだろう。

大本神諭から
『今度の世の立替は、何程世界中の人民に霊魂の神が憑依りて、世の立替を致さうと思ふても、世に零落て居りた活神が、海の底の龍宮へ落ちて居りた活神が、皆揃ふて綾部の新宮本宮の元の宮の陸の龍宮館に、高天原が出現れて、世界の大神と現はれて、昔から無かりた事を致すのである・・・・』
(大本神諭 明治41年旧10月15日から引用)

天津日嗣のご神徳の広大なること限りなし。
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いろは歌の描く未来図-1

2016-02-26 05:35:12 | 古神道の手振り
◎生き残る日本人

いろは歌は、出口王仁三郎のいろはかるた風の予言歌。一読して理解できる部分とそうでない部分が入り雑じってあるが、全体として読むと、日本の将来、生き残る日本人のプロトタイプ、外国の日本への進行の様子、そして霊界と現界の関わりの未来図が浮かび上がる。

1.生き残る日本人
えらまれし人のみ住める神の世は、戦ひも無く暗みも無く、苦しみ迷ふ人も無く、饑え凍えたる人も無き、天明けく地豊に、見る人毎に神心、曲津の潜む蔭も無し。齢も長く病無く、眼涼しく顔清く、現世幽界隔て無く、澄み渡りたる世の中に、残る身魂の楽しけれ。

『現世幽界隔て無く、澄み渡り』がクリア・ワールドの現出、悪人のいない世界を示す。生き残ったすべての人間が諸悪莫作衆善奉行を生きるのだ。


この前段で大量死が仄めかされる。

○ほ日の命の現はれて、海の内外の嫌いなく、降らす血雨の河と成り、屍は積みて山を為す、カラクレナイの敷島の、赤き心は日本魂、火にさえ焼けぬ国魂の、光り輝く時となり、体主霊従の身魂を焼き尽し、水火の国の中津国、下津岩根に現はれし、厳の御魂の勲功の、天照る御代の楽もしさ。

  『ほ日の命』とは血染焼尽の神だが、大量殺りくの神である。『火にさえ焼けぬ国魂』こそが生き残る資格持った日本人だが、物欲金欲主体(体主霊従)があたりまえの身魂は焼き尽くされる。
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ヨーガ・スートラの輪廻

2016-02-25 05:40:52 | 究極というものの可能性
個我の不定と時間のない世界

パタンジャリのヨーガ・スートラでは、マンツーマン輪廻があるなどとは一言も言っていないが、次のような思わせぶりな一説がある。

『4・2
輪廻において他の新しい生涯に生まれかわるのは、自性の充実によって行われる。

4・3
善悪の業は転変の副因であって。自性の使役者ではない。それはただ自性の流出の妨げになるものを破壊するにすぎない。だから業の働きは農夫の労働に似ている。

4・4
多くの転生において現れる心はすべて我想元質から生ずるものである。

4・5
転生によって変わる多くの心の発現の仕方は種々と違っているが、それらの多くの心は唯一の心によって使役されている。』
(解説ヨーガ・スートラ/佐保田鶴治/平河出版社P159から引用)

転変と転生はほぼ同義。我想元質と唯一の心が同義かどうか定かではない。
それでもこれらをトータルでみると、マンツーマン輪廻説の基本である『共通する心あるいは輪廻主体が、ほとんど永遠に輪廻する』という命題は、最初の4.2でもって既に崩れている。

つまり唯一の心という個我があるとしても、自性が充実しないと転生は起きない。自性が弱体な時から自性が充実する時間はどのくらいのものなのかが次なる疑問だが、それについてヨーガ・スートラには示唆はない。むしろ時間の連続つまり刹那の連続はあるが、刹那が連続しない世界もあることを示唆している。時間のない世界である。

マンツーマン輪廻説は、時間のない世界の登場によってその意味が相対化されるというのははっきりしていると思う。
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予兆と空

2016-02-24 05:29:18 | 時代のおわり
◎それが起きるほどに窮まったかどうか

2月下旬の曇り空は寒々として、何か不安を掻き立てるものだ。5年前の東日本大震災の時の空もこんな感じで、大地震、津波、原発事故と大きなものが3つ重なった。

いわゆる終わりの世に起きるものは、主要都市の水没、熱核戦争、人口の大減少などがメインなものであるが、それらが起きる予兆として見るべきものは、人々がそれが起きるほどに窮まったかどうかということ。

とかくこうした予言を人は他人に求めがちなものであるが、自分が神を知るに至るスタンバイの状態になっているかどうか、そうした状態あるいは雰囲気の人が街でも増えてきたかどうか、こうしたものを感じ取ることによって、時代全体が“窮まった”ことを感得できるのではないか。窮まれば反転するのだから。

経済は、欧州市場の数年来のメルトダウンを中心として中国市場の落ち込み、米国の実体経済の停滞、日本の成長率低下、石油価格の低落と、福島第一原発のメルトダウンの水蒸気を見守ることしかできないように、各国とも起死回生の策なく拱手傍観している。

軍事面では、米国の軍事力の低下と経済力の低下により、係争地域での米国の抑えが効かなくなり、中東はシリア、イラクで大乱の巷に陥り、アジアでは、日本、フィリピン、ベトナムが中国の抑えの先鋒となっているものの、韓国、日本はどうしても米軍が先に立たないと出ていける状態にはないようだし、アセアンは、対中国の貿易額は対米貿易額の2倍なので、単純にアメリカの指図に従うわけでもない。

更にここに来て、北朝鮮の動きが活発化しており、朝鮮半島も不安定な動きを示しており、朝鮮の神人姜甑山の予言が気になる時期である。

人は覚醒の直前にあらゆるものに別れを告げるということがあるようだ。時代も大革新の起こる時にはその文明に別れを告げるということがあるように思う。

人間中心の近代西欧文明が神中心の文明に切り替わるには、政治制度、社会制度が根こそぎ神中心のスタイルに変わらねばならないが、とてもじゃないが、今の制度を漸進的にアレンジしてそうなっていけるとは思えない。

その切り替えが、残念なことに風水火の大三災であり飢病戦の小三災ということになるのだろうが、少しでも大難を小難に緩和していく策が日々の冥想であった。

こうして今年、気になる3月を迎えようとしている。
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皇円阿闍梨が聖代に生まれかわる

2016-02-23 06:28:38 | 究極というものの可能性
弥勒菩薩の説法を聞ける時代

法然の何人かいる師匠の一人が皇円阿闍梨。比叡山延暦寺東塔西谷の功徳院に住していた。何とかして仏道を極めようとしていたが、釈迦は既にこの世になく、ただ弥勒菩薩が56億7千万年後に出現して法を説くチャンスがあるが、自分は、その中間の時代に生まれたので、このままでは、次の弥勒菩薩説法を聞くチャンスがない。

そこで最も長命である蛇に身を変えて、弥勒菩薩の出世を待とうと思い定め、どこか適当な池がないものかと物色していた。こうしてこの願いを叶えるのにふさわしい池を捜していたところ、ある夜、観音様が夢に現れて『遠江の国、笠原の荘にある桜が池を訪ねよ』というお告げがあった。この池の所有者は花山院であった。

皇円阿闍梨はさっそく桜が池を訪問して、一度都に戻り、『この池に大蛇となって住まう』ことについて、花山院の許しを得て、嘉応元年(1169)6月13日深夜に法然上人を招いて今世の別れを惜しみ、池から持ち帰った霊水を手のひらに注ぎつつ、那伽定(龍となること)されたと伝えられる。

この皇円阿闍梨は、大本に出現していると出口王仁三郎がコメントしているので、皇円阿闍梨は目論み通り、弥勒菩薩出現の聖代に生まれ説法を聞くことができたのだ。

また万人がこうしたファイナルな説法を聞くことのできるというのは、この世の終わりの現出条件の一つではある。
静岡県御前崎市浜岡に件の桜が池があるが、ここから数キロ先に浜岡原発が建設されたのは、いかにもそれらしい流れである。
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ケン・ウィルバーの身心脱落

2016-02-22 05:26:25 | 只管打坐
◎常に故郷にいる幸福

ケン・ウィルバーの日記から、
『身心が脱落するとき、そしてどこにも私が見つからないとき、光輝で果てしなく飾られた無限の<空>、根源的な<充満>がある。<私-私>は<コスモス>として開き、ここでは原初の<清浄>を汚すものはなく、ここでは概念を話すことはとてもためらわれ、ここでは二元性がその顔を恥ずかしさで隠し、そして苦悩はその名前を思い出すことさえない。

無限の充満であるここでは何も起こらず、自己存在する至福が歌われ、自己解放する振る舞いに満ち、常に故郷にいる幸福がある。

この瞬間の開けの中で無限の感謝がまったくの単純さと出会う。

永遠に、永遠に、絶望的なほど永遠に、ただそれしかないために。』
(<ワン・テイスト・下/ケン・ウィルバー/コスモスワイブラリー社>P57から引用)

こういう身心脱落の実感を描く文章のあることで、ケン・ウィルバーは覚者であることを自証する。

最後の文章の、永遠を3度繰り返す部分は、最も日常感覚から遠い部分であるので、永遠が形容詞として重要なものであることこそ、ニルヴァーナの属性ではない属性なのだろう。これぞ幽斎そのものである。

そしてもう一つのキーワードである常に故郷に居る感じ。これは太乙金華宗旨にも出てきているところである。

ケン・ウィルバーの日本への紹介者である吉福 伸逸は、2013年に亡くなったが、ケン・ウィルバーは、トランス・パーソナルだけど心理学ではなかった。只管打坐の冥想修行者だった。
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天才に見えてしまう努力

2016-02-21 06:55:43 | 冥想アヴァンギャルド
◎水木サンの幸福論

一流の漫画家水木しげるの『水木サンの幸福論(角川文庫/水木しげる)』の中に幸福の七カ条というのがあり、その第五条が『才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。』というもの。この主旨は、努力したって成功するなんて保証は何もない。むしろ失敗する可能性のほうがはるかに高いというもの。

水木しげるは、神知る者とはいえないと思うが、身障者にして一流漫画家を長年やってきたので、それだけでも大変な努力であると思う。その彼が、この「水木サンの幸福論」は、「何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、幸せになるための知恵」だそうだから傾聴に値する。

いわゆる金言シリーズには2種あって、神知る者の金言と神知らぬ者の金言である。神知らぬ者であっても、人を内心うならせる言葉を言う人はたまにいるものであって、そうした人は人生上のとある機微を得ているのだろう。神知る者の金言とは、ベン・シラの箴言とかソロモンの箴言とかオーディンの箴言などのこと。

この努力ということについては、現代人には無視されがちなポイントが一つあるように思う。マンツーマン輪廻説の厳密性を疑問に思っている私ではあるが、「今生の努力は来生に継承される。今生の姿は前生の努力の結果が反映されている。」ということはあるのではないかと思っている。

典型的なのハタ・ヨーガ。ハタ・ヨーガでは、一生をかけて完璧な肉体を作り、来世ではクリヤ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガなどのホンチャンの坐る冥想にチャレンジするというコースが一般的。勿論今生で完璧なボディが来れば、クンダリーニ・ヨーガなどの坐る冥想に進む。

また将棋で一流とされる8段クラスでは、平気で200手くらいは読むという。こういうのは今生だけの訓練でできるものなのか。

音楽家では極めて多作だったモーツァルト。作曲した作品数は900曲以上におよび声楽曲(オペラ、教会用の宗教音楽、歌曲など)と器楽曲(交響曲、協奏曲、室内楽曲、クラヴィーアソナタなど)のあらゆるジャンルにわたる。こういうのも今生だけの努力と訓練のたまものなのか。

人生の最初からこのような特定の傑出した才能に恵まれることを天才と呼ぶが、このような天才は傍目には突然出てきたかのように見えるが、今生で突然変異的に出てくることは決してなく、それ以前何回かの前世での努力の積み重ねの結果であるなどということをダンテス・ダイジがその談話で語っていた。

こんな仮説は証明不能ではあるが、ウィンター・スポーツの羽生結弦選手、宮原知子選手、浅田真央選手、高梨沙羅選手などの妙技を見るにつけ、今生だけの努力でこうなったのではあるまいと勘ぐってしまう。

水木しげるの金言では、努力が収入に変わるタイミングは今生ではないかもしれないが、人生の目的をどのへんに置くかが厳しく問われる言葉である。
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スーパーヒーローとメンタル・ヘルス

2016-02-20 06:41:31 | 究極というものの可能性
◎孤独と不安

往年の野球の名選手清原和博選手が覚醒剤で逮捕された。最近ではマスコミから、あまりにも彼周辺の情報が細大漏らさず流れ過ぎて辟易するほどである。そうした中で、彼への同情からか、改めてスポーツ・ヒーローとメンタルヘルスの問題を問う論調も見かけるようになった。

スポーツで成功して、フェラーリとかマセラッティなどの高級車に乗り、妻子がいても毎晩若い女性ととっかえひっかえ遊び、高級住宅に住み、高額所得を手にし、毎日高級グルメを召し上がり、マスコミには寵児とされおべんちゃらな情報を提供する。

こういうのが、成功したスポーツヒーローのプロトタイプである。サッカーJリーグでは、このように成功する選手は一握りであり、現役時の反社会的勢力との応対の仕方や、サッカー界からリストラされた後の進路指導まで行っているというのでわかっている対応をしている。

問題なのは、そのごく一握りのスーパーヒーローだって、孤独と不安にさいなまれるのだという事実を、ほとんどマスコミは無視して報道するから、スーパーヒーローにはしばしば清原選手のような運命が降りかかるというところ。

ヒーローが孤独と不安にさいなまれるのは、アメリカの男の中の男にして猟銃自殺した大作家のヘミングウェイ、AKB48、俳優高倉健など枚挙にいとまがない。

裏返せば、人間にとって公的な部分は人生の半分に過ぎず、残りの半分は私的なものであること。ホロスコープの上半分は公的部分で下半分は私的部分。吉の惑星の数が万人にとって同じ数であることは、人間はある部分が恵まれていることはあるが、すべての人生上の側面において恵まれることはないことを示す。

ただごくまれに、公的にも私的にも恵まれている人はいるだろうと思う。人間はそのように目指すべきであり、それが天上と地上のバランスを取るという“真釣り”である。

「恵まれている」とは何か、イエスも釈迦も、そこのどんな困窮にあえいでいる人に対しても「今ここ」で何の不足もないなどと言う。
いわんやスポーツ界のスーパーヒーローに何の不足があろうか。

世俗的に恵まれていることや、世間的に恵まれていることと、それにすら満足できず真に
自分が恵まれていることを渇望することは、全く異なる。

要するにスポーツ界のスーパーヒーローは、世俗で成功した人たちなのである。そこから先、別の世俗分野(あるいは感覚刺激の)のスーパーヒーローになることを目指すか、真のスーパーヒーローになるか道が分かれる。

現代の真のスーパーヒーローは、異次元を目指す。クンダリーニ・ヨーガや只管打坐で、卑小な情けない自分を越える道を選ぶのだ。今や真の未開のフロンティアはその方面しかない。宇宙旅行もヒマラヤ登山も今やフロンティアとは言えない。

この辺がスーパーヒーロー達の混迷の仕組みだと思う。
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ブログ開始満11年

2016-02-19 05:33:25 | 冥想アヴァンギャルド
◎稀なる覚者から天皇家の改宗歴など

今日でこのブログを始めて11年となった。偏に読者のたまものであることは、いうまでもありません。毎日のアクセスIP600弱のうち150くらいは、ロボットのようなので、正味読者は400人くらいのものだと思う。いつもありがとうございます。

累計訪問者IPも2百万になろうとし、またpageviewも12百万になろうとし、一定の影響力を与えてきた。Googleで“精神世界”で検索すると、ここ7、8年は上位10傑に入り続けている。

この11年の大半は、冥想手法の整理・研究が主体で、【ザ・ジャンプ・アウト】というシリーズでそれは一区切りをつけた。その後は、社会と人間のかかわりについて一歩踏み込んで考究し、宗教・信仰とライフ・スタイルなどについて様々な角度から見てみた。

OSHOバグワンは、晩年アメリカで12日間に6箇所の監獄をひきまわされ、毎日少量の毒物投与を受け、それが原因で寿命を縮めることになった。その原因を、彼は、現代には悟った人間が少なすぎるせいだとした。悟った人間は、稀少であるがゆえに、歴史的に排斥される傾向がある。イエス・キリスト、達磨然り。

現代は、アクアリアン・エイジであり、悟った人間が多数出る時代だと言われて久しい。悟った人間が多数出ていれば、あるいは多数出そうな環境ができていれば、OSHOバグワンは成功し、寿命を更に伸ばしていただろう。だが現実は、11年前と変わらず、悟った人は稀である。

あいにくと、今でも悟りのさの字もない人間が、「私は悟った」自称し、宣伝と金儲けに邁進しているが、これはカルトを形成していないから良いという類のものではあるまい。

悟っていない人間が、悟りを他人に教えてはならないのだ。
悟っていない人間が、悟りで金儲けするのを、イエスは「終わりの世には偽預言者が多数出る」などと霊視したのだ。

中国人に爆竹を鳴らして面白いのかと問うと「開心了(スカッとするんだ)」と答えるという。中国人もスカッとしない部分を抱えて生きている。

故人となった本山博は、長く人生を歩いてきた人や心臓の悪い人の身体の中には、本当は排出されなければならないもの、消費して衰えたエネルギーがたくさんたまっていると指摘する。彼の呼吸法の説明の中で、そうした腹から胸から体内に溜まっている不要なもの汚れたものをすべて吐き出すつもりで口からでも鼻からでも吐き出すとし、一応息を出し尽くした後でも、腹と胸から徹底的に吐き出すというのがある。

このように、人間は生きれば生きるほどスカッとしないものを奥底にため込んで生きているのだ。それを爆竹とか戦争(大きな爆竹みたいなものかもしれないが)によらず、スカッとさせるもの、それが冥想の究極にある。

そういう冥想手法はまともな宗教には必ず伝承されているのだが、それを伝えるまれな覚者がいても伝わるかどうかは、受ける自分の機縁次第ということになる。

そして日本は天皇制の国。天皇家の改宗は歴史上何度か起こっている。
近くは明治維新で、神道の習合付き仏教だったのが、神道に改宗。
それ以前は、古事記編纂の時代(712年和銅5年)で、神道が改竄された。おかげでそれ以前の神道の姿はわからない。

それから6世紀半ばの欽明天皇の時代の仏教公伝。その後いつのまにか天皇家は仏教が主で神道が従という習合スタイルで江戸末期までいく。天皇家の仏教において空海の影響力は強力であった。

この習合というスタイルが既に宗派なき冥想道を体現しているといえ、今更万教同根などといわなくとも、教義がメインでなく、冥想という体験とはいえない体験が眼目であることを天皇家周辺ではわかっていたということになるだろう。

これからもよろしくお願い致します。
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ゆずとライム

2016-02-18 05:34:27 | 古神道の手振り
◎非時(ときじく)の香具の木の実

ブラジルのピンガベースのカイピリーニャというカクテルでは、ライムの実が入ってきて、それをスプーンで潰しながら飲む。それでライムのあまりにも高貴な芳香に出会うことになり、天国の木の実というのはライムの如きを言うのではないかと感激した。

ゆずというのは、東国の人の食生活にはあまりなじみがないものであったが、関西の手の込んだ料理には登場してくるものであって、その香気と風味の上品さは、あらゆる下界の味を帳消しにするほどの強さと清新さを持っている。最近某所でラーメンにゆず胡椒を入れるということがあって、ラーメンの汁がフルーティになったのは魔法の如きであったので、その感を新たにした。

ゆずは日本の果実の帝王であって、ライムは西洋の果実の帝王だと思う。小さなスーパーでもメキシコ産のライムを置いているので、日本にも根強いファンがいるのだろう。

非時(ときじく)の香具の木の実は、古事記の垂仁天皇が多遲麻毛理(たじまもり)に時じくの香の木の実を常世の国に求めさせた段に登場してくる。

「非時の香具の木の実は主の神の
  スの味ひをもてるなりけり」
(霊界物語第73巻  紫微天界 香具の木の実の段から引用)

多遲麻毛理(たじまもり)が、非時の香具の木の実を持参して帰朝した時には、指令を出した垂仁天皇は前年に崩御され、墓前にて先帝の生前に間に合わなかったことを慨嘆したという。

非時の香具の木の実はニルヴァーナのシンボル。生前に間に合わないというのは、他人に持って来させるものでなく、自分で求めるべきものであることと、どちらかというと死の世界の側のものであることとを暗示する。

多遲麻毛理(たじまもり)は、クンダリーニ・ヨーギであって、死の世界の秘奥を極めてから戻ってきたことを、往復に10年かかったとか、帰国できたのは神々の加護とか評しているのだと思う。
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出口王仁三郎の真釣り

2016-02-17 03:59:16 | 古神道の手振り
◎天上の儀を地上に「真釣る」

出口王仁三郎の真釣り論によれば、真釣りとは、天上と地上のバランスをとることである。
バランスがとれれば、天上の儀と地上の儀とは相一致する。如何にして、バランスをとっていくか、それは日々の冥想による。

以下は、出口王仁三郎の国教樹立に就てという一文から
『二十二
 
祭(マツリ)(マツル)という語は、「真釣り」「真釣る」の義である。「真釣る」とは、度衡の両端か、あいに重量を懸けて平衡さする意義である。天上の儀と地上の儀とを相一致せしむるの作法が「マツル」(祭祀)である、「マツリゴト」(政道)である。祭祀政道の大義は、これ以外に決してあるべきでは無い。

『古語拾遺』に日く、
「宜しく太玉命、諸部神を率いて其職を供奉し、天上の儀の如くすべし、云々」
 とあり。天上の儀を地上に「真釣る」のが祭祀である、政道である。

現代は祭祀も政道も全くその根本を失って、一片の形式に流れ、権謀を以て政道の本義とさえ思うように至ったことは、何たる大なる誤であろう。「履を冠と為した」というも同様である。故に、世界は日に険悪に赴いて、人類の苦痛は益々甚だしきを加え行く有様である。

これは偏に祭祀政道が根本を失って、天上の儀が地上に殆ど跡を絶つに至ったより起った現象である。斯様な根本主義に着目せずして、世界平和だとか、政治の革新、社会改良といった所で何等の效果あるべきぞ。全く以て徒労に畢るべきは、火を睹るよりも明らかである。

惟神(カミナガラ)の道というのは、天上地上の祭祀政道の、正しく行わるる有様をいうのである。神の示させ給うまにまに行い往くのが、惟神の道である。惟神の道は祭祀政道の根本義である。

現代の如き形式的祭祀、権謀術数的政道は、決して惟神の道でない。天下は、尚お愈々益々乱れ往きて、殆ど底止する所を知らないまでにも成り行く斗りである。』
(神霊界第二巻P335-336から引用)

民主主義において、真釣るには、政治家が神知らなければいけないのは言うまでもなく、真釣りを徹底、永続するためには民衆も神知らねばならぬ。古神道においてその採られるべき冥想は、鎮魂帰神であるが、人はそれぞれ宗派の冥想技法によって冥想修行し、日々祀らねばならない。

即身成仏、神人合一に至るプロセスを含む冥想修行が真釣りには求められる。地上は生の世界であり、天上は死の世界。その両方のバランスを取るということは死の世界をもクリアすることに他ならない。
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出口王仁三郎の金剛界胎蔵界

2016-02-16 07:32:51 | 古神道の手振り
◎タカアマハラの真諦

真言密教系の後七日御修法は、毎年宮中で行われる宮中の修法であって、正月8日~14日の後七日に行われる仏事であって、一年おきに金剛界胎蔵界の修法がそれぞれ行われるという(禁秘抄講義(下巻))。

出口王仁三郎の金剛界胎蔵界の見解は以下のようなものであって手厳しいが、やさしい。

唯一の実在は、天御中主神。そこで、高御産巣日神は神漏岐(カムロギ)系の祖神であって、天御中主神の精神系である。そして神産巣日神は神漏美(カムロミ)系の祖神にして、天御中主神の物質系である。精神と物質とは天御中主神の両面である。此三柱は並独神成坐すので、唯一の実在にます天御中主神の御内証が、忽ち分れて精神、物質の二系統を為すことを示すとする。

『真言宗には金剛界、胎蔵界の二大万陀羅を建てるのだが、これ亦神漏岐、神漏美二系の系譜であり、御神慮を伝えたものである。弘法大師の唱導した本地垂迹の説は、主客本末を誤ったものであって、空海の無知は去ることながら、和光同塵の然らしむる所として、大日本国教は宥容するのである。』
(神霊界第二巻P336から引用)

これについて、出口王仁三郎は、古事記冒頭の「天地初発之時、於高天原成神名、天御中主神訓高下天云阿麻、下效之。」について、巷間では、「天御中主神が高天原という霊地へ降臨遊ばされた」というような解釈をするがこれを誤りだとし、「天御中主神が「タカアマハラ」と鳴り出ました」という意味が正当だとする。

すなわちタカアマハラの六文字は、「タカア」「タアマ」「カアマ」「ハラ」の四つに区分され、
「タカア」=光明遍照、八紘に照り輝く
「タアマ」¬=「円満具足」「摂取不捨」「至愛至護」
「カアマ」=「信賞必罰」「金剛不動」「曷磨義」、曷磨金剛杵とは草薙剣
「ハラ」=華であり、「ケ」であり、また「ハナ」である。因果一体、即疾頓生を説く波羅密である。「花」の王は十六菊であり、印度に移って蓮華。蓮華は大日本の鏡の相であり、玉の相。すなわち。「五百津御須麻流」の摂取不捨の金剛力は、『法華経』には蓮華の即身成仏であると説く。

つまり古事記とは、この「タカアマハラ」から出たものであり、これを仮に高天原教と呼び、真言も南無阿弥陀仏も高天原教を本として出てきたものだと説き、本末の本が高天原教であるとし、末が仏教であるとする。出口王仁三郎は「理は等しゆうすと雖ども、事は自から本末の差がある、正傍の厳格なる差別がある。」と、ここは厳しく見ている。

高天原教とは、「ハラ」の義のとおり、この身このままでの即身成仏の教えであるが、教えられてわかるような教えではない。
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古神道の三位

2016-02-15 05:35:07 | 古神道の手振り
世界樹のシンボル

古神道では、第一位が天御中主神。ところが自ら第二位とも第三位ともなって顕現する。
『天御中主神は、第一着手として、理想世界を造営せらるるが為めに、第二位の神と成って顕現された。これが霊系の祖神高皇産霊神である。この理想世界は即ち神霊界で、無論凡眼の観る能わざる所、凡智の察する能わざる所である。

ただ霊眼、霊智を以て之にのぞめば、天分に応じて程度の大小高下はあるが、其一端を窺知せしめられる。次ぎに天御中主神は、第三位の神となって顕現し、物質世界を造営された。これが体系の祖神神皇産霊神である。『創世記』には、神を称するに単に「エホバ」とのみは言わず、「エロヒム」の語を用いて居る。

エロヒムは即ち神々という事で、根源は一神だが、幾種にも顕現するから、この複数の語が必要なのである。』
(雑誌神霊界44号信仰の堕落から引用)

第二位は高皇産霊神、第三位が神皇産霊神で、それぞれが、天照大神を遣わし、豊受神を遣わし、古神道の三位が明らかになる。
『天照大神は造化の第二位の神から遣された理想世界の統治の神である。豊受神は物質世界の住民に食物を恵みて、そして天照大神の神業を助くるのである。さればこそ、この二柱の姫神は、内外両宮に祭られて、万民の信仰の中心となって居る。

 日本の「創世記」によれば、天御中主神はエホバであるが、其神徳は隠れて見えない。樹木に譬うれば、地中に隠れたる根の如きものである。この根はやがて地上に顕現して、第二位、第三位の神と成った。第二位の神は即ち幹である、枝であるから、高皇産霊神の事を「高木の神」と謂い、又「カンロギの命」という。

次ぎに第三位の神は花である、実であるから、神皇産霊神の事を又「カンロミの命」という。又「産霊」ということは、即ち「ムスブ」の義である。第二位の神は理想を結んで、之を天照大神に委ね、第三位の神は物質を結んで、之を豊受大神に托したのである。』
(雑誌神霊界44号信仰の堕落から引用)

このように第一位が根、第二位が幹・枝、第三位が花実であるから、見事な世界樹のシンボルが成る。
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