アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

無人攻撃機プレデターのパイロットの殺人

2016-01-31 06:42:45 | 時代のおわり
◎ズームインして相手を殺す

アメリカに居る著者は、プレデターを遠隔操縦して、1万キロ以上離れた国の敵を2名殺害した。

『家に到着する間際になって突如ショックが襲ってきた。信号待ちをしている時だった。人の命を奪ったのだという事実に茫然自失した。初めての経験ではなかったが標的が身近な存在だっただけに頭から離れない。他の空対地攻撃はすべて銃撃を受ける陸上部隊を援護するためのものだった。それなら納得がいく。我々の戦友に銃を向ける名も知らない戦闘員が標的なのだから。

だが今回は違う。

一度も「殺されるのはお前か俺だ」という状況にはならなかった。フアシリテーターが海外にいる私に危害を与えることは不可能だ。力関係は百対0。しかもファシリテーターはアメリカ軍の部隊を銃撃しているわけではなく、妻と電話で話していた。名前も分かるし、一ヶ月以上あらゆる行動を観察してきた。

RPAコミュニティを取り巻く大きな誤解の一つに、我々が現場から一万キロ以上離れているので殺傷行為から精神的にも距離を置けるというものがある。実際には逆だ。距離が近すぎるのだ。

あまりにも多くを知ってしまう上に、敵を撃つ際にはズームインして相手をモニターに大きく映し出すことができる。実際に顔をつき合わせているわけでも自分の命が狙われるわけでもないので、命を賭けてのバトルという状況にはならない。

自分たちは決して殺されることがない一方、相手の生存チャンスはゼロ。冷酷な殺し方だが、決して感情抜きではない。一日が終わると、パイロットもセンサー・オペレーターも、敵が殺された残像を頭に抱えたまま帰途に就く。

やったことの重大さを思い知り、虚脱状態になった。精神も身体もその重さに耐えきれそうにない。どれほど頑張っても取り戻すことのできないものを二人の男性から奪ってしまった。

存在そのもの。もっと言えば、世界から神の創造物を抹消してしまったのだ。
これ以上に重大な罪があろうか?』
(ハンター・キラー アメリカ空軍遠隔操縦航空機パイロットの証言/T.マーク・マッカーリー中佐/KADOKAWA p158-159から引用)

※ファシリテーター:敵のこと
※RPA:リモート・パイロット・エアクラフト 遠隔操縦航空機

抵抗することのできない相手を、かつ相手が知らないうちに殺害するのは後味の悪いものだが、それだけでは済まない部分がある。古くは史記列伝の李広将軍のようにそれを感じていた人もいる。

こうした殺人をするには、無我であること以外にその反作用から逃れる道はないのではないかと思う。一点の曇りもなく、こうした業を為すことができるためには、戦士として生まれ、敵を殺すことにためらってはいけない人として出てきた人だけではないか、バガバッド・ギータのアルジュナのように。

そして現代では、そうした生い立ちの人はとても少ないのではないだろうか。
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利休朝顔を散らす

2016-01-30 07:46:55 | 丹田禅(冥想法8)
◎事を急いだ利休

一日、秀吉が利休の庭に朝顔が美しく咲いたと聞いて、見せてくれと所望した。

翌朝秀吉が利休の庭に入っていくと、なんと朝顔など一輪もない。これは怪しきことと思ったが口には出さなかった。ところが、茶室に入っていくと、そこにはただ一輪の朝顔が凛として生けてあった。


わびさびは、枯淡、寂寞、堅実、質素を宗とし、華美、豪奢とは対極にある。

利休はその美意識ゆえに殊更に多くの朝顔を散らし、一輪を残したが、利休は時節を待たなかった。

焦りというのか、性急というのか、事を急ぐ性格であったようで、それが利休切腹の遠因になったのではないかと思う。無用の用は勝手に急いではならぬということか。

映画『利休にたずねよ』では、その辺の消息は関係のない朝鮮王族の娘とのロマンスをピークに持っていっていたが、それは利休の本質とはあまり関係ないのではないかと思った。

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大麻とアメリカ

2016-01-29 05:49:16 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎非日常の裂け目との親和性

日本では様々な宗教が芽生え根付いていったが、ソーマ・ヨーガだけは隆盛にならなかったのは、その社会と日本人の健全性のなせる業だと思う。

大麻と言えば、日本には伊勢神宮の神宮大麻という紛らわしいものはあるが、ソーマが社会的に公認されることはなく、酒一本でこれまできた。

アメリカは、19世紀には、大麻が広く喫煙され、ルイス・キャロルの1865年の『不思議の国のアリス』や1872年の『鏡の国のアリス』に影響を与えたとされ、1860年代から40年間カエデ糖ハシシキャンデーが処方箋なしで買えた。

また1880年代から1920年代には、アメリカ各都市にはハシシ喫煙パーラーが乱立し、ニューヨーク市だけでも500件のハシシ喫煙パーラーが存在していたという。

こうして20世紀初頭には、既に4世代にわたる大麻草利用者が存在していた。1937年アメリカは、大麻取締法を制定したが実効なく、ニューズウィークによれば、1945年10万人以上のアメリカ人が大麻草を喫煙し、1967年には、1百万人が大麻草を喫煙していたという。

大麻を含むドラッグ吸引は、とかくベトナム戦争帰りの米兵が持ち込んだみたいに言われることがあるが、大麻についていえば、それはアメリカの土着カルチャーだったわけだ。

アメリカ映画では、ドラッグの話題の出ないものは非常に少なく、日本に比べれば、ドラッグによる人生の非日常的側面についての理解は、アメリカの方がはるかに進んでいたようだ。

ただしそれが良かったかどうかは疑問である。例えば、霊能力があることが、必ずしもそれがないことよりも優れているかといえば、そうではないからである。

非日常の裂け目が開いていることの是非は簡単ではない。
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古事記の啐啄同機

2016-01-28 06:55:06 | 古神道の手振り
◎天の岩戸

人が悟りを開く時には、啐啄同機が語られる。古神道の古事記にも啐啄同機がある。

さて天照大神が、天の岩戸にお隠れになり、八百万の神々がなんとかして天照大神を岩戸の外に引き出そうとして知恵をめぐらせた。

まずは、多数の神々を集めて、岩屋の前でエロティック・パーティを開催し、歌やダンスなどで盛り上がった。その歓声を聞きつけて、天照大神が自ら岩戸を少々開けた。これが啐啄の内側から開く方。ところが本来ニルヴァーナには居所に規制はないはずだが、ニルヴァーナのシンボルたる天照大神を岩屋に押し込めて世間知との逆転をイメージさせる。

さて少々自ら岩戸を開けたところで、天児屋命、太玉命が真榊の枝に取り付けていた鏡を差し出し、天照大神の姿を自分で見せる。これは、有の側、本来の自己、アートマンの確認シーン。鏡を差し出すなんぞ子供だましに見えて、十牛図でいえば見牛と重要な段階である。

こうして手順を踏んでいるうちに、天の岩戸を天手力男神が、天照大神の手を握って外へ引き出す。これが啐啄の外側から開く方。

古事記編纂者は、こういった説話やおとぎ話の形式で、誰の目にも触れるようにしていれば、いつかそれと気づく人も出てくるだろうと思ったのだろうか。

天の岩戸は何地方の岩山にあるとか、当時鏡の技術があったとかないとかは、目くらまし。

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クンダリーニを打つ3方法

2016-01-27 05:38:22 | クンダリーニ・ヨーガ
◎全身が揺れ振動し始める時

OSHOバグワンは、クンダリーニを打つ方法には、3種あるとする。
一つは、深い呼吸
一つは、『私とは誰か』という実存的な問い
一つは、シャクティパット

人間には肉体的なアプローチと、心理的精神的アプローチしかないが、肉体的なアプローチは深い呼吸、心理的精神的アプローチが『私とは誰か』という自分への問いかけ。
シャクティパットは宇宙エネルギーを第三者を媒介としてアストラル・レベルで注入するもの。

OSHOバグワンは、全身が揺れ振動し始める時、『私とは誰か』という問いが自然に起こり、そこでシャクティパットを受けるのが効果的だという。

誰もがそういう時節を持っているが、その時節が今生かどうか自分ではわからない場合がある。そして覚者のそうしたアドバイスは、今生に向けたものではないことがあり得る。

イエス・キリストだって、世の終わりがまもなくだと思い込んでいた。

それでも時を越えた今、冥想修行する。
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神憑りになったもの

2016-01-26 05:32:35 | 古神道の手振り
◎最後の御神業

神憑りになったものは、割れた茶碗のようなもので最後の御神業に参加できない。』
(新月の光(下巻)/木庭次守編/八幡書店P124から引用)

これは、昭和18年の出口王仁三郎の言。

憑依された人は、例えばmixiの超能力、霊能力関係のコミュニティでいくらでも見ることができるし、変性意識に入ったことにより憑依されるということでいえば、アルコール依存症など様々な依存症も憑依の入り口になりえている。

スマホのアプリ中毒も一種の憑依みたいなものと見れないこともない。

しかし人間にとって、日常性を越えた神秘は魅力的だ。ほとんどの人は、この生ききれもせず死に切れもしない人生を渡っていくのだが、そうした人生の日常にもほころび目があって、そのほころびに日常性から脱却できる何かがあれば簡単に飛びついてしまうのが、弱い人間というものだろう。

御神業とは、神知ることであって、冥想修行と同義だろうと思う。悟りにあっては、神人合一にあっては、個人も文明も差はないが、『最後の御神業』には、文明的な香気を感じる。
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天道に親無く常に善人に与す

2016-01-25 04:58:54 | 老子
◎道教の諸悪莫作衆善奉行

老子にも仏教の諸悪莫作 衆善奉行に相当する言葉がある。それが、道徳教第七十九章の『天道に親無く常に善人に与す』である。

世の中には善と悪があり、人間は善でも悪でも行為できるが、天道は常に善人の側しか推さない。

言霊の善用ということを考えると、一言一句おろそかにできるものではないが、言葉においても、「本当だから、正しいから」という理屈で激烈な言葉ばかりでは、成るべきものも成らないことがある。そこで善言美辞という発想になる。

善言美辞と申しても腹中が打算メリットばかりでは虚言美辞麗句であって実効はない。

人は常に善の側にあって想念・意識を保つべきであるが、外に出る時は善言美辞に努める。日本では明治以来、礼儀・挨拶と言われるが、ともすれば挨拶作法の正しさと美辞麗句を並べれば内実内心は問われないという形式主義が横行している。

人の目につかなければ悪いことをしてよいなどという考え方は、腐敗の最たるもの。
あの中国人ですら、最近はいざ知らず、昔から俯仰天地に恥じずと唱え、老子の時代から「天道に親無く常に善人に与す」ということを承知していたのだ。
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東京で仕組を駿河美濃尾張

2016-01-24 07:44:05 | 古神道の手振り
◎文明と神人合一

『東京で仕組を駿河美濃尾張』とは、文明予言としての大本神諭の根幹の謎のキーワード。

これについての大本神諭。
富士と鳴戸の昔からの経綸が判りて来たら、世界は激しく成りて、外国が薩張り帰順いたして日本へ末代従ふやうに成るぞよ。東京の経綸(しぐみ)はミノヲハリ、尾張の経綸は世の終り、伊勢は丹波に丹波は神都(みやこ)、みやこの経綸は万古末代つづくぞよ。

続く血筋は世の本の天と地との直系(ぢきぢき)の日の大神と地の神、天地揃ふて水晶の誠一とつの末永き結構な神代に致すぞよ。神代に成りたら人民の身魂にも御光が刺すぞよ。

暑さ凌いで秋吹く風を待てど、世界は淋しくなるぞよと、今迄出口直の筆先に知らして置いたが、今が其時節であるぞよ。未だ未だ世界は安心な所へは行かぬぞよ。是からが彦火々出見の初りであるぞよ。

目無堅間の神船はこれから出て来るぞよ。

水火地(しほつち)の大名(おうな)は何処に現れて居るか、これを知りた人民今に一人も無いが、燈台元暗の誓えの通りの世であるぞよ。』
(大正8年1月1日発行の雑誌神霊界の大本神諭から引用)

『東京で仕組を駿河美濃尾張』については、出口王仁三郎の解説では、東條英機が東京で世界をとる仕組みをしたから天罰があたって、美濃尾張が大地震(1944年(昭和19年)12月7日に起きた東南海地震、マグニチュード 8.0)に見舞われた。

更に出口王仁三郎によれば、『尾張の経綸は世の終わり』(新月の光(下巻)p245)だそうだから、『尾張、半田の中断』(新月の光(上巻)p344)があるタイミングが世の終わりなのだろう。

富士と鳴戸は、クンダリーニ・ヨーガのことだろうから、そのメカニズムの大要が判明してきたら、世界はバトルを繰り返して激しくなり、最後には、今は国連常任理事国でもない日本中心の世界秩序になるという。

『伊勢は丹波に丹波は神都(みやこ)』で、みやこの経綸は、『いまここ』のこと。すべての人が神を知るということ。ここは聖地だから靴を脱ぐということ。神人合一のこと。

彦火々出見命が、大正8年から木花咲耶姫命とペアでご神業に活躍するという。

目無堅間の神船は、窓のないサブマリーンのことでなく、ヨニ・ムドラーの秘儀か。いずれにせよ、出口ナオは、目無堅間の神船を見たのだろう。

水火地(しほつち)の大名(おうな)とは、古事記で山幸彦にアドバイスする塩椎神のこと。

他人の誰かが何かしてくれるわけでなく、日々冥想を。
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2016-01-23 06:16:13 | 究極というものの可能性
◎純一無雑な

雪は天から降る白い花のようだ。朝起きてみると、その花は、地上一面に散り敷き、地表は絹の白布で荘厳された祭壇のように神々しい姿に変じている。

あの阿鼻叫喚の雑然とした都市も、一夜雪に覆われると、自然本来のあるいは人間本来の純一無雑さを一望にして万人に直観させてくれる。

それは、まるで最初に神に向かう発心のようであるが、実はその気づきには、ニルヴァーナという最終地点まで行きつくだけのエネルギーが与えられているということを知っている人は少ない。
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人体内の重金属

2016-01-22 05:30:51 | 時代のおわり
◎人体の元素組成

ついこの間まで20000円を越えていた日経平均が、1万6千円台に沈み、暖冬に緩んでいた気分は、スマップの解散騒ぎとともに今年一番の寒気を迎えようとしている。

重金属汚染の専門家の目から見れば、歴史的に現代は重金属の生産、利用がかつてないほど増加したことから、既に広汎な重金属汚染が世界的に広がっているという。

人間の肉体の組成は、
水(酸素と水素)85%
炭素      10%
窒素       3%
カルシウム   微量(骨の成分) 
リン      微量(骨の成分)
以上合計で98%。

これに加えて、少量ながら必須の元素がある。
硫黄(必須アミノ酸の成分)
マグネシウム(骨)
塩素(塩)
ナトリウム(塩)
カリウム(塩)

更に微量ながら肉体維持に必要な元素は以下。
鉄分(血の赤)
コバルト(ビタミンB12)

更に少量な生体微量元素
亜鉛

マンガン
ニッケル
クロム
カドミウム

こうして見てみると、人体の重金属は、基本はごく微量だから、その極微量のさじ加減が外部要因によって崩れると、生体の重金属汚染による発症となることがわかる。

日本国の水銀公害は、水俣病が最初でなく、奈良の大仏の建立作業によって大規模に発生したらしい。大仏の表面には金メッキが施されたが、金メッキ製造過程で発生する水銀蒸気を吸い込むことで、水銀中毒者に苦しむ者が多数出たようだ。

聖武天皇の大仏開眼供養は752年。この時点では金メッキは未完成で、後背の完成は、771年。781年桓武天皇は、遷都を発表し、794年、桓武天皇は都を奈良から平安京へと移すが、この遷都の原因が水銀公害を避けるためという説を唱える人もいる。

一言に重金属汚染というが、もともとごく微量体内にある重金属が増えたり、他の金属に置き換わったりして発症するのが、重金属中毒ということなのだろうと思う。放射能の害もその延長線上で考えるべきものだと思う。
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ボッティチェリとサボナローラ

2016-01-21 05:49:46 | 冥想アヴァンギャルド
◎天国も地獄も超える方向

ボッティチェリ(1455-1510)は、ヴィーナス誕生やプリマヴェーラなどの傑作を生み、この世の天国的な側面を見事に描出した絵を何枚も残したことで知られる。

ところが、フィレンツェの当時の世を時めく大宗教家サボナローラの影響で、晩年の作風は精細を失ったことはあまり知られていない。

サボナローラは、メディチ家支配下のフィレンツェの腐敗を激しく糾弾。

1494年、フィレンツェのメディチ政権は崩壊、メディチ銀行は破綻、これに代わり、サヴォナローラによるフィレンツェ神権政治が行われたが、その中で、市民は信仰心を忘れて享楽に耽っているとして、特にメディチ家が保護した名画、彫刻などを押収したり、任意に供出させたりして、市庁舎広場で"火刑"と称し、どんど焼きの如く焼却した。

サボナローラはローマ教皇に破門された上、1498年火刑に処せられるが、こうした一連の事件は、市民全体の貧窮化と相まって、ボッティチェリにとってショックだったようで、のびやかだった作風は緊張したものに変わり、ついに1501年頃からは彼は筆を折ってしまった。そして1510年没。

天国一辺倒な作風が、現実の荒波にもまれて、巻き直すのはこの近代西欧文明も同じ。天国一辺倒とはアポロン的なことである。天国も地獄も超えないと真の解放はないので、ボッティチェリもそのように進んだ。
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アトランティス末期と現代

2016-01-20 03:27:56 | 時代のおわり
◎神の愛と平和というものの実感が薄れて

世間的にはアトランティスを問題にする人は、プラトン関係者とエドガー・ケイシーの研究者くらいのものだろう。

今から1万2千年ほど前アトランティ大陸は沈降し、その文明は滅亡した。アトランティス文明は今の近代西欧文明の世界を席巻した文明であったとされ、最盛期のアトランティスにおいては、アトランティス密教が精神・文化の指導原理であって、冥想の華が開いていたという。

『アトランティス文明崩壊の最大の精神的原因は、神の愛と平和というものの実感が薄れて、霊的エネルギーの活用に対する関心だけが巨大化したためである。それは、人間の心の中の、力(或いは権力)というものへの志向の巨大化を意味する。』
(メディテーション・トラベル・ガイド/ダンティス・ダイジから引用)

末期アトランティスは霊的パワー活用による権力や支配欲の肥大によって滅亡したが、近代西欧文明が支配的な現代には、世界共通の宗教はなく、驚くべきことだが、物質を最優先に考える政治と経済と科学が支配原理の中核となっていて、神の出番がない。

来るべき千年王国あるいは至福千年、みろくの世では、神の存在は自明であり、めいめいが神の存在を自覚して生きる。

ところが、今日現在、この神の出番のない文明の中に次なる「神の存在を感じて生きる時代」へのリンク、つながりが個々人の生活の中に明らかに見えているという状態ではない。そこがそら恐ろしいところである。

この時代もアトランティス同様に、神の愛と平和というものの実感が薄れて久しい。

アトランティスが問題なのではなく、今日どう生きるかが差し迫った問題である。
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ケン・ウィルバーの一日

2016-01-19 06:49:36 | 只管打坐
◎非洗脳なライフ・スタイル

結跏趺坐での只管打坐の冥想修行者ケン・ウィルバーの一日。彼は在宅勤務者である。

午前3時か4時起床
1~2時間冥想
午前5時か6時に机に向かって午後2時ごろまでほとんど休憩なしに仕事。
1時間くらいウェイトリフティング、その後用事を済ませ、
午後5時夕食

それから外出したり買い物したり、映画を見たり、友人と飲みに行ったり、来客と会ったり、手紙を書いたり、
午後10時就寝
(出所:ワン・テイスト(上)ケン・ウィルバーP199)

これを見ると、彼は一日1~2食。ウェイトリフティングが作務にあたる全身筋肉運動。これがないと冥想一本では冥想姿勢を維持する筋力も落ちる。

朝の一番いい時間を1~2時間も冥想に充てている。
家事はどうしているんだろうね。メイドにやらせているんだろうか?

この日課の基本は孤独。一人暮らしは孤独だが、このライフスタイルは余計な洗脳情報にあまり触れていないという点は見るべきものがある。商売柄からか友人との交流で世界を広げている。

今は、時代全体が孤独な時代。ケン・ウィルバーと同じ孤独なライフスタイルだからといって引きこもり者が洗脳されていないわけではない。
引きこもり者は、自室に居ながらにして洗脳され、時間をゲームやツィッターなどで蝕まれる。鬱屈した無数の精神エネルギーは本来の行き場でない方向に発散させられ続ける無念の思いを集積し続ける。その潜在する多数の水爆をも凌ぐエネルギーの総体は、はけ口を求め、臨界点を待っている。

この暴発を防ぐ手は冥想による精神エネルギーの流れの正常化しかないが、俗人の目には何の意味もないことに見えるがゆえに、また有効な手段であると学術的に折り紙もつけられないがために、それは想像もつかない一手として世間の陰に隠れている。
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不確実または不定期の報酬は依存性を高める

2016-01-18 03:22:28 | 冥想アヴァンギャルド
◎報酬の種類による

不確実または不定期の報酬は依存性を高める。

実験用マウスは、箱の中のボタンを押す。ある回には報酬の食物が出るが、ある回においては食物は出ない。こうした不確実な報酬状況において、マウスはひたすらボタンを押し続ける。

このような行動パターンは、パチンコなどのギャンブル依存、スマホのゲーム・アプリ依存などでも普通に見られる状況である。

何が人をこうした熱狂に駆り立てるかといえば、不確実な期待である。実現可能性は不確実でも報酬が魅力的ならば、人は一生懸命のめりこむものだ。

真善美、神、無用の用は、報酬として魅力的なのだろうか。大方の人にとっては、とてもじゃないが魅力的ではないかもしれない。しかしながら、これを魅力的と感じる人々こそは、冥想に日常的に取り組む人々なのだと思う。これを魅力的と感じる人々とは、あらゆる人生経験を経てきた人だろうと思う。
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大和三山

2016-01-17 03:15:18 | 古神道の手振り
◎天の機脈に棲息している霊山

出口王仁三郎の見方では、大和三山は大地に作り付けの神器、礼の至にして、敬の極み。天底より来ていて養い居るところの天の機脈に棲息している霊山。

天の香山は嗅ぐ山で鼻であり、三種の神器で言えば神璽、耳成山は耳であり、三種の神器で言えば、草薙の剣、畝火山は口成山であり出口、三種の神器で言えば八咫の鏡。

主上が一たび畝火山を踏む時には、神霊元子(こゑのこ)が玉体に集中し、鳴りだす75声が御稜威の光を増し、神鏡となり、最も明らかに照り渡るという。

出口王仁三郎は、この原理によって主上が大和三山を踏んで儀式を行うと大変なことになると言っているように思う。

翻って、歴代天皇が伊勢神宮を参拝しなかったのは、その時期をお待ちになっていたのではないかと思う。
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