アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

千日回峰行を生きる

2015-08-31 06:56:32 | 修験道
◎できた話よりもできなかった話が多い

千日回峰行を生きる/光永圓道/春秋社」は、千日回峰行者自身の問わず語り。記者が行者自身から聞き述べる本は、多いが、行者自身に語らせるのは異色。

光永圓道自身の語りの中に悟り云々はないが、自分でできることはなく、仏の意思のままに生かされてきたという雰囲気を全体に感ずることができる。

千日回峰行も続けていけば、雑念はそぎ落とされていくだろうし、毎日峰回りをする中であっと気が付くこともあるだろう。

また例の十万枚大護摩供は、断食、断水、不眠で七日日を過ごすのだが、自分の生命の危険をも顧みずに、行のために行を修めるという姿勢の真摯さは凄い。ただこうしたものの常として、この行を厳修したから悟れるなどという保証はない。

全体として、修行のために外部から隔離された専門道場の中での長く厳しい修行を経た方なので、仏に出会う・仏を感じるという体験は経ているのだろうと思う。ただそれが外界で通じるかどうかは、機根によるのだろう。天国と地獄の結婚というようなものを扱えるかどうかは、やはり別の問題のように思う。

五穀断ちとは、塩断ちのことであるとは、体験者でなければ知りえないが、身体が動きにくくなりながら、エコノミークラス症候群を起こさないようにするには、何か経行のような肉体を動かす作法があるのではないだろうか。

千日回峰行も十万枚大護摩供も若くないとできないし、誰もチャレンジできる行でもない。

この本は、できた話よりも、できなかった話が多く、筆者のフランクさがうかがえる。
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誠の強き国-2

2015-08-30 06:22:58 | 古神道の手振り
◎神の畏るべきを知り、誠の心を持って善を行う

出口王仁三郎は、「の強き国」を2か所で使っているが、その二か所目。


惟神の道P171-172から
『神の正道

愈々天からの時節が廻り来て、世界の大戦が近づいた事は、国祖の神示によりても明らかなことである。この大戦は、この世始まってから未だ無い様な激しい大戦ひであるが、天帝は如何なる国に勝を与へ給ふであろうか、必ずや『誠の強き国』へ最後の勝利を給ふのである。

日本は神国、神ある国であるから、神が日本を必ず勝たせ給はむと云ふものもあるが、日本の強いのは、正義が相手の国より優っているからである。だからいくら神国であっても、悪が勝っているようなことがあった場合は、公平無私な天帝は、必ず誠の強い国に勝を与へ給ふのである。

即ち国の強弱は、その国民の行ひの善悪によるのである。国民の行ひ正しき時は、その風俗美(うる)はしく、風俗美はしき時は、一国和合を来す。和合して国民が一致した程強いものはない。風俗紊(みだ)れ、国民の心一致せぬ時は、幾千万の兵ありとて、直ちに破れ亡ぶるものである。

故に兵士や兵器ばかりでは、いざと云ふ場合何の役にも立たぬ。国民の神を篤く信ずる心とその品行の美はしさが国の繁栄を来すのである。神の道を信ぜざる国は遂に亡び、神を信ぜざる家は断滅するのである。

神の畏るべきを知り、誠の心を持って善を行う。一人斯くの如く、一国亦斯くの如くするに於いては、天下泰平にして穏やかなる風、慈しみの雨、時を違えず降りそそぎ、喜びの雪、清涼の気、天地四方に充ちて、目出度きことのみ世界に起こるのである。

而して天に二つの日なきが如く、地にも一つの王者でなければ、断じて治まるものではない。わが日の本の現人神は、この世界の司宰に坐しまして、地上二十億生民の親であらせられる。これは天帝よりのお定めである。

わが国一度戦端を切る時は、神の正道によって進むべきである。かくすれば、如何なる悪魔も恐るる事なし。神は正道を進むものに道づれとなりて守り給ふからである。』

この戦争はいわゆる最終戦争であって、第二次世界大戦のことではない。この戦争の勝者は『誠の強き国』であって、それが日本かどうかわからないが、国民の行ひ正しき国、あるいは、神を篤く信ずる心と品行の美はしさを持つ国のことである。

神の畏るべきを知り、誠の心を持って善を行うというが、神の畏るべきを知るには、まずは一日5分の冥想より始め、神に出会わなければならない。
朝体操したり、ヨーグルトを食べたりするように、神に出会うこと、冥想することが、日本のロハスなブームとなり、伝統となれば、日本が最終戦争の真の勝者となり、天皇陛下が世界の主宰となるだろう。

軍事的に見れば、核ミサイルの一本も持たぬ日本が最終核戦争に勝利することなどあり得ないが、旧約聖書のソドムからのロトの脱出のように、神の道を信ぜざる国は遂に亡び、神を信ぜざる家は断滅するのである。
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誠の強き国-1

2015-08-29 06:34:30 | 古神道の手振り
◎今度の戦いでは、善と悪が分けられる

日本は誠の強き国だろうか。

出口王仁三郎は、「誠の強き国」を2か所で使っている。

その一か所目。

道の栞第一巻下から
『七五 淫祠教を信ずるものは天の大罪人なり。心に当るものは速に悔い改めて正しき道に赴け。

七六 我は世の救ひ主なりとか、天の岩戸開きを致す役なりとか、何々大御神の霊なりとか、日出の神なりとか唱ヘて世の中の多くの人を欺くものあり。必ず迷ふ勿れ。

七七 口先許り法螺を吹いて実地の力なき神がある。天狗等は常に大きな事を云つて人を欺くものである。

七八 ヤマトスラブの戦ひは、此世始まりてから又無き様な激しき大戦ひであるが、天帝は何方ヘ勝を与へ給ふぞ。天帝は誠の強き国へ必ず勝を与へ給ふべし。

七九 今度の戦ひの起りは、その本は自愛の慾からであるが双方共に善ならず。世界を一目に見給ふ神は必ず少しにても正しき方へ勝利を得させ給ふ事必定である。

八○ 日本は神国、神ある国であるから、神が日本を必ず勝たせ給はんと云ふものがあれど、日本の勝つのは正義がロシアよりも優つてゐるからである。いくら神国なりとも悪が勝ちなば、公平無私なる天帝は必ず露西亜に勝を与へ給ふべし。

八一 今度の戦ひは天の岩戸開きの導火線となるのである。善と悪とが立て別かる発端である。

八二 誇り高ぶる事を知りて、ヘり下る事を知らぬものは悪魔の容物となる。』

要するに日本が神国だからと言っても、日本人の風俗、思想、行動が正しくなければ、敵国が勝つことになるという至極当然のことを言っている。

ただし、当時は、国家神道による思想統制の厳しい時であって、この当たり前なことを言うのは官憲の相当なリアクションが予想されるので、第二次大本事件の遠因にこの部分を挙げる場合もある。
神州不滅だから、当時の庶民は日本の戦勝を疑うことはなかったのに、それに水をさしているからである。

「ヤマトスラブの戦ひ」とは、日露戦争のことでも、第二次世界大戦のことでもないので、別の戦争のことである。今は別の戦争前夜ということになるだろう。


『誠の強き国』とは関係ないけれど、カルト信者(淫祠教)は天下の大罪人なんですね。
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毛沢東と風水、占星術

2015-08-28 05:36:02 | 占星術  (冥想法6)
◎白蛇を得て青蛇は取り逃がす

唯物論には道徳も信義もないので、利害が行動規範となる。よって共産主義政権では、権力闘争とは利害対立の調整がメインとなる。
そうした社会では、自分が最もメリットを得るための技術とは共産党幹部に成り上がるために、賄賂を贈り、女を送り、思想を整えることだろうが、それ以外の技術もある。

それが風水であり、占星術。

中国の伝説的国家主席の毛沢東は湖南省の湘潭県に先祖代々の墓所があるが、彼の先祖毛仁山は風水師であった。毛仁山は風水の師匠の文鳳鳴から、羅漢晒肝(羅漢が肝を晒している)という吉相の地形があることを聞き、師匠の許しを得ないまま、祖先の遺体をこの地に埋葬した。その時、そこには青蛇と白蛇が巣くっており、白蛇はたたき殺したが、青蛇は取り逃がしたという。

毛沢東の祖先が風水師だったことや、中国共産党幹部が占星術を使って盛んに将来を占っていたのは有名だそうだ。
(以上 参考実用正統風水百科/鮑黎明/PHPのP272-273)

毛仁山は、手順を侵したので、聖俗すべてを得ることはなかったのだろう。唯物主義はもともと白蛇使いなのだと思う。
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スピリチュアル・ブームと効果

2015-08-27 05:31:36 | 冥想アヴァンギャルド
◎霊的ジャンプ・アウトより、手軽なストレス解消

スプリチュアルに効果を求める人と効果を求めない人がいる。効果を求めない人の方が本物に近い。

残念ながらスピリチュアル・ブームは、効果を期待する人によって構成されている。つまり、霊的ジャンプ・アウトより、手軽なストレス解消であり、安直な気晴らしであり、安易な気やすめがブームの原動力となっている。

そして健康で快適な生活の希求もスピリチュアル・ブーム推進の原動力である。ヒーリング、レイキ、オーラソーマ、催眠術、ヒノプセラピー、ヨガ教室、気功、太極拳、瞑想、呼吸法、パワーグッズ、カード、など手法は様々だが、気分が高揚したり沈静したりと肯定的に動けば健康にも良いとくれば、こうしたものに打ち込むことになる。

でもこうした効果を期待する中での冥想は、本来邪道であって、ファッション冥想に分類されるべきものである。

今の時代は、簡単に回答が見つからない、もっと切羽詰まった人が大半なのではないか。
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お祈り、黙想、瞑想

2015-08-26 06:04:32 | 究極というものの可能性
◎無神論国家日本

電通総研・日本リサーチセンターの「世界主要国価値観データブック」によれば、

「お祈り、黙想、瞑想、それに類することを行っているか」というアンケート質問に対して、
日本  37.4%
韓国 47.4%
米国 81.3%
メキシコ 81.7%
イタリア 75.2%
という回答だった。

最も不信心な国、日本。これに対して、プラグマティズムの国アメリカは、意外にも、その功利と個人主義の故か、お祈り、黙想、瞑想を行う人は多い。アメリカは大ブームのハタ・ヨーガには必ずメディテーションがついているのと、コミュニティ行事として教会の日曜礼拝が入っていたり、メガ・チャーチの隆盛が見逃せない。

戦後70年アメリカ文化は、ドラッグを除いて皆日本に流入してきた。韓国みたいにさほどキリスト教は隆盛にならなかったものの、仏教系・古神道系の新興宗教は勢力を拡大したが、お祈り、瞑想、黙想は根付かなかった。また国家神道の反動から戦後は実質的無神論教育が行われた。

その結果、情の強い精神性と個人主義的ライフスタイルの衝突により、日常の不安、苦悩、生きづらさに対する解の方向性は、セラピー、カウンセリングなどの精神科医療よりむしろ、マスコミ星占いや、パワースポット訪問、パワーグッズ購入などの通俗的スピリチュアリズムがこれを代替している。

また檀家、氏子の減少によるお寺と神社の崩壊も進んでいる。

国民的課題として、宗派、無宗派を超えてライフ・スタイルとしての冥想は必要だ。精神の安定とか、落ち着くとかの功利的目的なしに、ただ坐ることが必要だ。それをどう理解してもらうかが問題である



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ヒーリング・グッズたち

2015-08-25 06:34:08 | 冥想アヴァンギャルド
◎金で買える一瞬の癒し群

ヒーリング・グッズといえば、このようなものがある。

パワーストーン:街の石屋さんでよく出てます。天然石のままのとカットしたジュエリー、ペンデュラム(振り子)、ワンド(杖)など。古神道の鎮魂帰神では、丸石を用いるが、これは持ってるだけ。

タロット・カード、オラクル・カード:タロットは歴史があるけど、オラクル・カードは審神を経ているのだろうか

オーラソーマのボトル、エッセンス:カラーセラピー兼易占みたいなものだが・・・

ホメオパシーの丸薬(レメディ)、クリーム:医師法との関わり合いは問題。

フラワーエッセンスとは花の波動を乗せた飲料や散布剤:花のエッセンスって物質?エーテル。

お香、ハーブ、入浴剤:気分を変えるという効果はある。

音叉、シンギング・ベル:響きの良いものであれば、良い波動を出すこともあるだろう。人は日々良い波動も悪い波動も出し続ける。そういう日常にあって、これでもって一瞬の陶酔はあるかも。

CD類:ヒーリング・ミュージックやヘミシンクの導入ミュージックなど。その他音楽ジャンルでambientに分類されるもの。こういうのが好きな人はよいが、合わない人もいる。

これらヒーリング・グッズたちは、金で買える一瞬の癒し群である。本当にしっくりくるものを求める前段にある。気分上々であることも大事だが、それに飽き足らない人は、その先に進む。グルを求めて探し回り、グルが亡くなればパワースポットを回る

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あなたもこうして騙される

2015-08-24 05:45:36 | 冥想アヴァンギャルド
◎何が正しくて何が誤りか

人の心のつかみ方とは、洗脳のことでもあるが、時代は進んで、実験心理学の「人はどうすれば騙されるか」という理論を実地に使用しているのは、ビジネス・セミナーであり、振り込め詐欺であり、カルト宗教であり、ナンパであり、テレビ・コマーシャルであり、選挙運動であり、商品販売の話法である。

最近は、テレビで、振り込め詐欺の手口を紹介するようになって、偽の肩書などの権威によって赤の他人を信用させ、メリット獲得あるいはデメリット解消をちらつかせ、金を振り込ませるに至る実に巧妙なテクニックが用いられていることが知られるようになった。

これは家族の恥という面子を守る気持ちや罪悪感や羞恥心が強いことに着目したテクニックだが、人は動機によって行動を縛られると、後付けで自分にその異常な判断を自分で納得するようにもっていく。

こうした情動を利用したものでなくても、人の判断を誤らせるには、現状を理解するのに必要な情報が10必要であるとして、うち1個の情報を与えないだけで、人は間違った判断を下すものだ。これは情報規制であるが、このテクは、政府や役所、企業が普通にやっているものである。これは純粋に知的な操作。

情動コントロール、情報操作を併せて、あらゆるレベルでマスコミのニュースと雑多なSNSの情報も飛び交い、現代人は何が正しくて何が誤りなのかわからないという自覚すら薄い。

こんな状況下、中国の権力闘争と朝鮮半島はダブルで一触即発の危うきに至ったが、「本当はマジで危機である」などというマスコミ報道は為されない。
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他人の面子を壊さない

2015-08-23 06:33:54 | 冥想アヴァンギャルド
◎貧乏無罪

中国の明代の大政治家、徐階が故郷に帰ったとき、親類縁者、友人知人を集めて大宴会を開催した。

その際に参加者の一人が、金のを帽子の中に隠した。これをたまたま徐階が見ていたが、素知らぬ顔をしていた。この人がしこたま酩酊して、帰途転んで水たまりに突っ込んだが、この時帽子と金杯を落とした。ところが、徐階はそれを拾って彼の袖の中にそっと入れてやり、以後そのことを誰にも洩らさなかった。

中国では、こうした逸話にときどき出くわす。管鮑の交わりもその一つで、これも貧乏な管仲の方がズルをして、事業のパートナーの鮑叔より沢山上がりを持って行ったが、豊かだった鮑叔は文句を言わなかったというもの。

いわば、貧乏無罪みたいなもの。日本でもこうしたことはないとは思わないが、中国の方がいろいろな意味で生活が追い込まれる程度が厳しいということだろうと思う。

中国では権力者同士の権力闘争も、日本でいえば暴力団同士の抗争みたいに実力行使をするらしい。中国人の内的緊張感は当然に高いが、日本人のそれとは繊細さの点で質的に異なるだろうと推測される。
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人助け

2015-08-22 06:31:42 | 道教
◎できることを機敏にできるか

ここに毎日悪行を行わず、善行を行おうと思い立ったとする。そうすると功過格などを見ると人の危急を救うのが意外に高評価であることに気付く。果報を求めて善行を行うのはもってのほかだし、職業として、日常的に危急を救う医者や消防士や警察は積善の対象にはなりにくい。

そうすると、医者や消防士や警察以外の人が他人が危急の場面に出くわすのはとても稀なことであるように思う。

恥ずかしいことだが、自分がとても困っている場合、それを声高に訴える人とそうでない人がいることに、長い間気付かなかった。むしろ本当に困っている人でも自分の内にそれを秘めて内向する人の方が半数以上であろうということを。

本当に困っている人で自分の内にそれを秘めて内向する人を見つけ出すには、人に出会う都度その人の様子をさりげなく見て感じなければならない。

思いがけず他人から困っているという述懐に触れる機会は突然に訪れる。自分も含めて多くの人はそれに真摯に対応する心の準備ができていないものだろうが、その時にちゃんとした応対ができる人はステキだ。

手持ちの金を与える。役に立ちそうな知っていることを教えてあげる。なぐさめの言葉だけでもかけてあげる。寄り添ってあげる

すぐさまこういうことができる人は素晴らしい。一瞬にして相手の立場を自分のこととして感じるシンパシーと勇気、そして機敏さが兼ね備わっているからである。

善根を積もうと気合を入れても意外に結構な数のチャンスをふいにしてきたかもしれない。チャンスも人生上の重大事件も突然だから。
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危険の迫った者を救う

2015-08-21 03:23:22 | 道教
仁慈の心と勇気と無私

通俗道教の経典の陰隲文から
『危を救うこと密羅の雀を救うごとくとす

危険の迫った者は絶望してしまうものであるが、それを救ってやらねばならぬ。ちょうど細かい網にかかった雀はどうしても逃れられないが、その網を解いてやるような仁慈の心がなければならぬ。』
陰隲録/石川梅次郎/明徳出版社P24から引用)

東日本大震災と福島原発事故を経験したわれわれにとっては、天変地異、人災、テロなどの危険の迫った者のよるべなき姿と声は何ども目にし、聞くことがあった。
仁慈の心、憐みの心だけあっても人は行動を起こすものではないのではないか。仁慈の心に加え行動に移す勇気と自分のことなどかまわないという無私の気持ち。

こうした行動が瞬時にできる人は、以前から準備ができている人だけかと思う。
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聖セバスチャンの殉教

2015-08-20 05:46:39 | キリスト者の秘蹟
◎社会性と聖性

セバスチャンの殉教という絵は三島由紀夫が最初の性的体験のきっかけとなったので知られる。

聖セバスチャンは、三世紀の人物で、近衛兵の隊長だったのだが、ディオクレティアヌス帝の御代にキリスト教徒であることが露見して、杭に縛り付けられ、多くの矢で射られる。ところが運よく彼を埋葬に来た聖女イレーヌに息があることを発見され、自宅に連れて行かれ介抱してもらい蘇生する。このシーンが絵画のシーン。

この時聾唖で盲目の少女を彼女の頭上で十字を切って視力を回復するという奇蹟を行った。

やがて再び発見された聖セバスチャンは結局殴り殺される。

こういったものを見る場合、あくまで彼をキリスト教殉教者という目で見がちなのだが、本人の立場に立って言えば、彼は、殉教者になりたくてなったのではないだろう。一市民として一近衛隊のメンバーとして生きていた。要するに社会性をきちんと保持しながら正当な信仰にも生きていたのである。これをバランスがとれているという。

当時キリスト教は禁教だから、露見するやいなや社会性は放棄せざるを得ないところに追い込まれる。

頑固な西洋人にショックを与え布教するには、このように社会性を放棄するという衝撃的な殉教エピソードを濫発しなければ、効果的に発心に向かう情動を掻き起こせなかったのだろう。

社会性の喪失は、悟りの前段では、一つのテーマになるにしても、悟後の人生を考えると禁教に生きるというチュエーションは厳しい。
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カルト・ランキング

2015-08-19 05:30:49 | 冥想アヴァンギャルド

◎注意したい宗教ブログ・ランキング

いつもランキングのクリックありがとうございます。

このブログは、宗教ブログランキングのカテゴリーに入れている。以前は、哲学思想カテゴリーというおおくくりのところに入れていたのだが、当時も玉石混交だった。いまも哲学思想カテゴリー全体では玉石混交。

さて宗教ブログランキングを眺めると、あることに気がつく。それはいわゆるカルトに分類されるアブナイのがかなりランキングに入っていることである。カルトと言ってもキリスト教系カルト、仏教系カルト、ニューエイジ系カルトという分類の他に、アメリカ由来のカルト、韓国由来のカルト、ヨーロッパ由来、超能力信奉のカルトなど様々なカルトがある。

いろいろなカルトの洗脳解消関連書籍では大体得意なカルトが限定されているのと、日本国ではまともにカルト認定されているのは、例の教団一つくらいのものなので、発心した人が何か宗教に入ろうとした場合、カルトに入る可能性は少なくない。信教の自由ですから、要するに日本カルト教団一覧みたいなのはないので、そういうけったいなことが起きてしまう。

というわけで弊ブログが、実質カルト・ランキング中にノミネートしているのは時代の縮図であるとつくづく思う。これをイエスが見て「終わりの世には偽予言者が沢山出る」などと宣まわったに違いない。

また瞑想というカテゴリーもあり、こっちのほうがよほどましである。
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現代は岩戸開きの時代

2015-08-18 05:05:52 | 時代のおわり
◎楽しく愉快で淫猥から自発性

現代は岩戸開きの時代であると指摘したのは出口王仁三郎だった。
天照大御神が岩戸に御隠れになって、世の中全体に真っ暗闇になり、皆が不安な気持ちになっている時に、太陽神を引き出したのは、一女神がエロティック・ダンスをとり行い、万座を明るい気分にさせた。その明るい気分、陽気暮らしが次の時代を引き寄せた。

人は、理屈または情動でもって行動するものである。理屈による行動の特徴は、外部から強いられる受動的行動において主として機能するところ。

しかしながら、すべてを捨てるとか、自分の周りのすべてに別れを告げるなどの悟りの前段に起こる出来事は、自発的でなくてはならない。よって天照大御神は、八百万の神々と云う大衆の要望に応じて出てきたのではなく、自分の意志で岩戸から出ようとした。

こうした自発的意志の起こる環境は、結局楽しく愉快で淫猥な雰囲気だった。つまり深い情動が人を内側から突き動かすのだ。

まずは、大神に対しての真面目な帰依、敬虔がある。その上で、楽しく愉快で淫猥な人間らしい肯定的な雰囲気がそれにないと、人は冥想に向かわないだろうということ。その雰囲気を意図して構築する機運をつくるのが、新時代の鍵を開く女神である。


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これでは予言が当たらない

2015-08-17 03:08:53 | 冥想アヴァンギャルド
◎あの世の仕組み

出口王仁三郎が、次のようにあの世の見え方を説明している、これでは予言があたらないのも当然に思える。

『第一八章 霊界の情勢〔一八〕

 ここで自分は、神界幽界の現界にたいする関係を一寸述べておかうと思ふ。
 神界と幽界とは時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆゑ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現はれることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。その見ゆる有様は過去、現在、未来が一度ににかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである。

 霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。

 ここに自分が述べつつあることは、霊界において見た順序のままに来るとはかぎらない。霊界において一層早く会ふた身魂が、現界では一層晩く会ふこともあり、霊界にて一層後に見た身魂を、現界にて一層早く見ることもある。今回の三千世界の大神劇に際して、檜舞台に立つところの霊界の役者たちの霊肉一致の行動は、自分が霊界において観たところとは、時間において非常に差異がある。
 されど自分は、一度霊界で目撃したことは、神劇として必ず現界に再現してくることを信ずるものである。』
(霊界物語第一巻18章から引用。)

霊界というのは、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくるとのこと。であれば、何年何月何日の何時にとある事件が起きるという予言をするのは、如何にも確定が難しいものであることがわかる。

また、一度霊界で目撃したことは、必ず現界に再現してくるとは恐ろしい法則である。
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