アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

宗教弾圧下で冥想を継続できるか

2015-07-31 06:18:27 | 時代のおわり
◎中露とアメリカの対立

次の世界戦争が起きるとすれば、アメリカ対中露連合になるのではないかと、大方の人が考える時代になってきた。日本はアメリカの側に立つが、中露の極東の最前線にあたることで、大陸間弾道弾の打ち合いになれば、その被害規模は、日本の主要都市が核攻撃されるようなこともありえる。だがそれは、よく予言に出て来る「火の雨」の規模には及ぶまい。

第三次世界大戦で問題になるのは、近代西欧文明の自殺・自滅ということ。人類絶滅ということ。

「ドル崩壊、アジア戦争も探る英国王室とハプスブルク家 宝島社新書 真田 幸光/著 宝島社」などを読むと、欧州の奥ノ院で経済と政治・軍事をコントロールしているのは、英国王室とハプスブルク家であることがわかる、これにチャレンジしているのが中国共産党。その覇権争いの結果が、第三次世界大戦となる。

第三次世界大戦の結果は、技術文明の喪失であり、「再び原始に返るぞかし」だけである。

近代西欧文明は、この2千年間違いなくキリスト教を軸に展開してきた。人類はその知性の発達の結果、19世紀には無神論による共産主義を発明し、共産主義の策源地であったソ連は1990年代に経済的事由により崩壊したにもかかわらず、ロシアがその既得権を継承し、共産中国は建国時に大いにアメリカの支援を得、また小平時代以後はアメリカの継続的な支援を受けて、今や経済では日本を凌駕し、まもなく米国を追い抜いて世界最大の経済大国となるところまできた。

宗教的に見れば、2大無神論国家中露が、キリスト教国家のアメリカに世界覇権をチャレンジする構図である。換言すれば宗教の自由を認めない中露が、宗教が自由であるアメリカと戦うということ。ロシアでは、最近正教会の復活など宗教政策の緩和がなされているようではあるが。

20世紀以前は、個人のカリスマ・リーダーが指導する組織宗教全盛であったが、これを卒業する時代を迎えたのが、現代である。卒業するには、卒業できる社会環境が整わないと多数の卒業生を出すわけにはいかないだろう。その社会環境とは宗教の自由のある国家制度である。

ソ連ではかつてギリシア正教が弾圧され、中国ではチベット・蒙古でチベット密教が弾圧されている。こうした厳しい環境下において、隠れキリシタンのような信仰形態は、現代人の華奢で繊細な感受性では、正統的な冥想生活を継続するのは困難なのではないかと思う。

日本人は、集団的自衛権の議論において、マスコミも含め、隣国が日本本土を攻撃しないみたいなお人よしな幻想の中にいるが、一旦信教の自由を奪われたら、それが花の如きものであるが故に、回復するのは困難を極めるのではないか。実のところ、冥想をする自由すらも累卵の危うきにある。
                                      
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宗像大社と沖ノ島

2015-07-30 06:31:44 | 古神道の手振り
◎武の三女神

宗像大社と沖ノ島が世界遺産候補になった。

古事記の天の安の河で、須佐之男命が誓いを立てる段。霊界物語12巻30章から。
『乃ちお前の魂である所の剣を渡せと天照大御神が仰せられたから、それをお渡しになると、天照大御神は三つに折つて、
 『天の真名井に振り滌ぎてさ嚼みに嚼みて吹き棄つる気吹の狭霧になりませる神の御名は』

 第一番にお生れになつた神は多紀理姫命、次に市寸嶋比売命、次に多気津姫命の三女神で現に竹生嶋に祀つてあります。安芸の宮嶋に祀つてありますのは市杵島姫命であります。次に多紀理姫命、多岐津比売命、この三人の女神がお生れになつた。

今度は須佐之男命、この神様は非常に怖い、絵で見る鐘馗さんみたいな暴悪無類の神様のやうに見える、おまけに剣まで佩ひて居られる、その剣をお調べになると、三人の綺麗な姫様がお生れになつてゐるのである。この三女神は竹生島その他の神社に祀つてあります。三女神の神名を言霊上より解釈すれば『多紀理姫命は尚武勇健の神』『市寸島姫は稜威直進、正義純直の神』『多気津姫命は突進的勢力迅速の神様』でこれが真正の瑞の御魂の霊性であります。

この竹生島とは竹生と書きまして昔から武器の神様としてあります。即ち武器といふのは、竹が初まりであつて、先づ竹槍を造つた。そして竹で箭を造り、弓を拵へることを発明したといふやうな工合に、今の武器の初めは竹であつた故に武の字をタケと読むのであります。

そこで今建速須佐之男命の持つて居られました剣、つまり須佐之男命様の御霊である所の刀からは三人の姫神がお生れになつた。刀を持つて居るから建速と申すとも言ひます。多紀理比売は手切姫で斬る。多岐都比売は手で突くといふ意味にもなります。伊突姫も突刺す意味である。すると槍とか剣とかは伊突き、手切り、手断突の働きになつて居ります。とに角立派な綺麗な極従順な鏡の如き姫神様でありました。それでこれを瑞の霊とも、三人の霊とも申します。』

出口王仁三郎は、まず三女神まとめて近江の琵琶湖の竹生島に祀っているという説を採る。その一方で安芸の宮嶋に祀つてありますのは市杵島姫命としている。

また古事記では、多紀理毘売命(たきりびめ)は 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)としているが、筑紫の沖ノ島という特定はしていない。

沖ノ島は、26巻4章に出てくるが、竹生島の段に登場するのであり、九州ではない。
ただし、世の中で三女神を祀る神社は、竹生島の他にも多いが、出口王仁三郎は、安芸の宮島と江の島には特に言及している。

なお出口王仁三郎は、日本書紀については参考にしていない、古事記ですら目茶目茶(わや)にされていると言っているくらいだから。

いずれにしても武神である多紀理姫命、市寸嶋比売命、多気津姫命の神社が話題に上がるのは、集団的自衛権の問題は人為でなく、天機つまりそういうタイミングが到来したという神意を意味しているのだろうと思う。

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空海の死亡予告

2015-07-29 06:53:49 | 密教
◎スピリチュアリストの作法

空海が亡くなる6日前に書かれた空海御遺告によれば、

1.真言の法は、大日如来、金剛薩タ菩薩、龍猛菩薩(三祖)と伝えられ、唐の不空で6代目、恵果が七代目で、空海は8代目で、いずれも師匠から弟子へ師資相伝されてきた教えである。
2.高野山は、自分の冥想(入定)の地として、朝廷よりもらい受けた。
3.832年11月12日より穀類を摂るのをやめた。私はもともと100歳まで生きて仏法を護持しようとも考えていたが、835年の3月21日の午前4時に逝去することにした。62歳である。

師匠から弟子へ師資相伝は、クンダリーニ・ヨーガでは当然の作法。クンダリーニ・ヨーガでは、一対多のいわゆる大衆仏教的な伝法はあってはならない。秘密にされないと危険だからである。

冥想の場所として高野山を選定したこと、逝去日に春分付近を使っていること、そして穀断ちをして肉体改造(あるいはエーテル体改造)を数年前から行っているのは、まさしくスピリチュアリストの作法である。

高野山では、バスに乗るといきなり観光案内アナウンスが流れて他との違いを感じさせられるものだが、高野山は観光地ではなく、もともと冥想の適地として選ばれたのだから、一本坐って空海の臨在を感じるのが本当は望ましいのだと思う。
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お布施の与え方

2015-07-28 04:16:50 | 冥想アヴァンギャルド
◎果報を保証する

「ブッダ 悪魔との対話」から
『二 傍らに坐したデーヴァヒタというバラモンは、尊師に向かって次の詩を以て語りかけた。-----

「何ものに対して布施物を与えるべきなのでしょうか?
何ものに対して与えられた施与が大いなる果報をもたらすのでしょうか?
どのように布施をしたならば、その布施はどのように栄えるのでしょうか?」

三 〔尊師いわく――――〕
「前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を確立した聖者、――――
その人に対して布施物が与えられるべきである。この人に対して与えられた物は、大いなる果報をもたらす。
このように布施をしたならば、その布施はこのように栄える。」』
(ブッダ 悪魔との対話/中村元訳/岩波文庫P161から引用)

これは見返りを期待して布施をするという、そもそもあってはならない質問をしているシーンである。それでも釈迦は、その姿勢に問題があることなど百も承知で、私に布施をするならば大いに果報が得られると請けがう。

その布施は、バラモンが想像したような果報ではないかも知れないが、大いなる果報を保証された。
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日本の戦場になった地域

2015-07-27 06:58:29 | 時代のおわり
◎荒廃した人心

日本の戦場になった地域といえば、まず沖縄だが、第二次世界大戦時の都市空襲や原爆を除くと、近代では明治維新前後で戦場になった地域がいくつかある。

1.秋田県
戊辰戦争では、新政府側についたにもかかわらず、秋田県のほぼ全域が戦場となり、久保田藩武士の三分の二が戦闘に参加。戦勝の論功行賞は2万石と微々たるものであった。 

2.福島県
会津鶴ヶ城を主戦場とした戦い。福島県の全域が戦場となった。NHKドラマ『八重の桜』でその経緯や全容を知った人も多いのではないか。 

戊辰戦争では、北越、平潟、上野、函館なども戦場となっているが、県全域が戦場となった上記2県を挙げる。

3.京都府
禁門の変で、一条から七条まで京都全体の三分の二が消失。これで京都の経済力は大きく毀損した。 

4.山口県
下関戦争、藩内クーデター、長州征討などで、県内は大きく荒廃した。 
 
5.大分県・熊本県・宮崎県・鹿児島県
西南戦争の戦場。

戦場になると、その土地の人心は荒廃する。人が人を殺したり殺されたりするシーンが至る所で発生する日常には、未悟の者にとっては動揺こそあれ、平静はないものだ。
明日の食べ物、明日の生活だけを求める日々が繰り返されると、人間が人間らしい気持を取り戻すのには時間がかかるものだ。仲代達也の終戦後体験はその典型。生きた心地すらなければ、まともに生きることがテーマになる生活はどうしても後回しになりがちだ。

そして70年も経てば世代も2回入れ替わり、文明も文化も様変わりする。

こうした維新前後の戦いの70~80年後に太平洋戦争が起きている。それからまた戦後70年にして、日本を戦場にしようとする動きがあるのは、単に政治家がどうとかアメリカや中国がどうということの他に、日本人のカルマということに思いを馳せなければならない。

日本が世界に先行するというのは、日本人はもともと激しい気質を持つ民族であるということ。戦後エコノミック・アニマルと言われるほどに55年体制のもとで伸びた経済もいまや老衰の相を見せている。その秘められた激しいものが次に向く方向が、日本民族の盛衰を決める。
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ティクナットハン

2015-07-26 03:34:32 | 冥想アヴァンギャルド
◎ベトナムからの禅

NHKのティクナットハンの番組を見ました。

暗殺されたマルティン・ルーサー・キングの友人だったのですね。
もう90歳になろうとする人なのですね。
ベトナムの人なのですね。ベトナム戦争中にアメリカに渡るのを認めたアメリカは太っ腹ですね。
英語でもフランス語でも講話できるのですね。
アメリカの連邦議会にて瞑想を指導したことがあるのですね。OSHOバグワンはアメリカを追われたけれども。非社会性の程度の相違か。


心に残った言葉は、マインドフルネス(今ここ)ではなく、「現代人は生き方をもっとシンプルにすべきだ。でないと感じ取るとことができない」(言葉は、このとおりでなかったかもしれませんが・・・)。

それと彼の輪廻転生観は、大いに誤解を招く可能性があるように思った。生も死も変わらないというのはよい。でも死者とはコンタクトできそうな誤解を与えかねない感じで語っているのではないかと想像された。

クリシュナムルティは講演だけで、瞑想指導せず、今ここを生きた。ティクナットハンは瞑想指導し続けた。そのチームでは覚者が続々と出ているのかしら。禅と称するけれども只管打坐の禅ではなく、別の禅のようですね。

ファッション瞑想やパフォーマンス瞑想に止まるのでは、今の時代危険ですから。
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シンプル・ライフ

2015-07-25 05:36:29 | 究極というものの可能性
◎無駄な時間の使い方が人類を滅ぼす

全ての生きとし生けるものが覚醒しない限り、天国には入らないと決意した釈迦。そのためには衆生がすべて冥想しなければならない。

衆生が冥想するためには、衆生が冥想できる環境を整えてやらなければならない。そうした環境には2つの条件があり、食べるのに困らないこと。そして冥想できる余暇、つまり時間の余裕があることである。

日本だって、薪でご飯を炊いていた頃は、食事を準備して後片付けするのに2~3時間は充てていたものだ。働いて食事をするだけでも時間の余裕は少なかった。今はファースト・フードがあって、コンビニ弁当があって、と食事関連時間を劇的に短縮できたし、とりあえず社会的にも餓死者がでるほどの食料事情ではなくなった。昭和25年までは食料事情は厳しかった。

こうして電灯の発達にもより夜の活動時間が広がったことも併せて、一日の余暇は長くなったはず。しかしその長くなった時間を、人は冥想に充てず、目先の感情を紛らせることに無駄に消費している。目先の感情を紛らせるもの、それはスマホのモバゲーであり、ネットであり、テレビである。この歴史的に見て異様なライフ・スタイルは、日本だけではなく、海外ニュースや海外ドラマで見るシーンでは世界的な広がりを持っている。

冥想時間を持たない大多数の人間の頭の中は、不快な感情を紛らせることと、実生活での自分のメリット、自分の利益ばかりである。

冥想に向かうには、そんな自分を見つめる素直さ、正直さ、率直さが必要だが、現代人は、ファッションや世間体をより大事とする社会的風潮もあってか、そうしたものをも失いかけている。

人間に与えられた時間は限られている。一寸の光陰を軽んじてならないのは少年だけではない。

文明の発達によって得られた余暇を冥想に充てないのは、人類が自ら自殺しようと自分の首になわをかけるようなものである。

その余暇を他人の国や物や財を争うことに費やしたり、個人的な嗜好のために無為に費やすのであれば、人類には未来はない。冥想なくして未来はないからだ。

無駄な時間の使い方が人類を滅ぼすとは、残念ながらほとんどの有力予言者は言及してこなかった。ティクナットハンは、気づいていたようで、シンプル・ライフの重要性を主張していた。
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平等

2015-07-24 06:47:38 | 冥想アヴァンギャルド
◎自己と他は異なるが平等であるという立場

寛容と忍耐は、何かを信じたり、何か理屈をこねることで納得することから発するものではない。あの一なるものを認知して、はじめて出てきたものなのだろうと思う。

一なるものとは、過去現在未来を含み、あらゆる宇宙や空間を含み、あらゆる生物無生物を含むものである。その中で、隣人を愛せとか汝の敵を愛せと言われたとしても、何の疑いもなく、何の躊躇もなく、それができることになる。

キリスト教では、それを理屈付けするのに太陽は万人に分け隔てなく降り注ぐから、万人は平等であり、それは神の愛であるから、愛や慈悲を生きる者にとって、寛容も忍耐もとても容易なことであるみたいな説明をする。

平等とは仏教語であるが、一なるものの中で、あらゆるものが実体がないのであれば、その意味で平等であるが、それでは何のドラマも起きないので、死後中有において閻魔大王の前では人間は平等だとか、18世紀以前の事実上の身分・階級制社会では、身分・階級が絶対的な権威を有していたので、敢えて人間皆平等を強調する必要があったなどという、実用的必要性を踏まえて、平等を強調する必要があったかと思う。

現代日本では、平等と言えばフランス国旗の自由・平等・博愛が想起されるが、京都の南の宇治には、世界遺産平等院鳳凰堂があり、それは10円玉にも刻まれている。

さて世の中では規制緩和→自由競争→リッチになることを是とする風潮と、その反作用で貧困に甘んずることを卑しむ風潮が強い。人は、金やパンのために生きているのではなく、そうした確かでないもの、不安定なものではない、永遠に変わることのないものを求めて生きているのではなかったか。


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純陽とコーザル体

2015-07-23 05:30:44 | 古神道の手振り
◎笹目秀和の坎離印

笹目秀和氏が、崑崙山脈の疏勒南山に住む疏勒神仙に教わったのは、後にソ連の強制収容所で、身動きもならぬ床に水を張った独房で、一日にわずかしか差し込まない日光で命を永らえた太陽の精気を食む法だった。これを離火印と呼ぶ。

これに対して水精を食むものが坎水印。更に離火印と坎水印を合わせ行うものを坎離印とし、水火の精気を合わせ収める鎮魂である。これにより初めて完全円満なる天地人三才の合一の純陽を成就することができるという。

純陽とは、陰にして陰ならず、陽にして陽ならざるもの。笹目秀和氏によれば、これぞ「いずのめのみたま」だそうだ。(出所:モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店P261)

この本を読んでも「いずのめのみたま」のことを知らなければ、この部分は読み飛ばされる。私もかつてはその一人だった。

純陽が伊都能売(いずのめ)であるとは、この指摘まで気づかなかった。よって、両性具有なる純陽とはコーザル体のことだった。コーザル体とは神人合一の手前の段階のことである。

また中国最大の覚者と言えば唐代の呂洞賓。呂洞賓の別名は呂純陽。
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中国の偽札

2015-07-22 06:26:48 | 時代のおわり
◎金融詐欺の取り締まりが緩い

中国では、流通する人民元紙幣の偽札が多いと言われる。なぜこんなことが起きるのか。

植民地経営をするには、まず軍事力。次に軍事に必要な投資経費をまかなう本国からの財政負担を少なくするために通貨発券を伴う金融機能が要る。そして現地住民の反感を抑え協力的にするために思想対策が要る。これは洗脳とも宣伝とも情報戦とも言われ、無神論イデオロギーだったり、キリスト教の押しつけだったり、国家神道の神社を現地に建立することだったりする。加えて中国は豊富な人口を背景に大量の中国人を相手国に移民させてくるのが、中国独自の施策と言える。

真相はほとんど報道されないが、偽米ドルの噂を調べてみると、大方は相手国の経済攪乱目的であると思われる。それに対して中国の偽札は、国内での金融詐欺目的であるようだ。印刷屋や原版屋の単独犯みたいに中国では報じられているが、企画者は、公安に影響力のある人間であって、足のつきにくい儲けの手段の一つくらいに考えているのだろう。

先日NHKドラマ奇皇后を見ていたら、朝鮮系のボスが偽札(ドラマでは偽交鈔)を作る話がでてきた。目的は現政権内の経済の攪乱である。奇皇后は元代が舞台。
このように、偽札造りは、古来権力者やその敵方が仕掛ける主要かつ伝統的な経済戦の一つだった。

中国は政治的には一つに統合されたが、軍区は七軍区制であり、往時の軍閥割拠を彷彿とさせ、紙幣も偽札がかなり流通しているといわれるほど、経済群雄が割拠していると見るべきなのだろう。

こうしたファンダメンタルズにおいて、共産党員の腐敗は、一人で何兆円もの資産をゲットできるほどになり(ビル・ゲーツ並みですね)、上海株式市場も下落を続け、諸経済指標も不調とくれば、ここ30年で急速に経済成長したように、経済を原因に急速に凋落分裂する可能性もなきにしもあらずなのではないか。ソ連の分裂のように。4分裂するとしたらどういう国号になるのだろうか。
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あらゆる実感を経たとは

2015-07-21 05:26:55 | 冥想アヴァンギャルド
◎百億の昼と千億の夜

悟りとは、あらゆる実感を経たとということである。

あらゆる実感を経たとは、権力者も金持ちも有名人もやったことがあるということ。一人の人間がたかだか80年の人生の中で、権力者になり、大金持ちになり、有名人になり、その一方で奴隷の如き者になり、極貧ともなり、市井の無名人をも経験し、かつ男女両方を経験するというのは、ごくごく稀にあるかもしれないが、ほとんど実現困難な人生のパターンだと思う。

大金持ちにも子供時代があり、青年時代があり、壮年時代があり、老年時代がある。同様に、貧乏人にも権力者にも奴隷にも出生から逝去までの、年齢を追った人生の諸アスペクトがある。

このように考えて来ると、一回の人生で、あらゆる人生の実感を体験するというのは、事実上不可能と思う。

そこで、釈迦のように虫けらから猿からライオンから人からあらゆる前生を経ないと悟りに到達しないという見方が出て来る。

百億の昼と千億の夜というのは、仏典が出典だと思ったが、これを経ないと悟りに到達しないということはあるだろう。現代は、百億の昼と千億の夜を経た人間が多数出現しているというということであり、それは先進国での比率は高く、発展途上国での比率は低いのだと思う。文明の爛熟は、こうした人間をなぜか集中発生させる。

『今ここ』というのは、それとはまったく次元の異なる物言いである。

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ゴーレムとゾンビの類似

2015-07-20 06:20:37 | 冥想アヴァンギャルド
◎ゾンビはメインなカルチャーとなった

アメリカ映画とアメリカのテレビ番組の定番として、いまやゾンビは欠かせない。ゾンビは、既にカルチャーと化したが、その源流はユダヤ教のゴーレムであることを忘れてはならない。


ゲルショム・ショーレムのゴレームの説明は以下のようにゾンビにそっくりである。

『そのために私は、いわば本論が生み出されてきた風土を明らかにする意味でも、なによりもまず、1808年にヤーコブ・グリムがロマン派の「隠者のための新聞」で鮮やかに報告したような、後世のユダヤ教的形式における伝説の像を掲げておきたい。

「ポーランドのユダヤ人たちは、ある種の祈祷を唱え、いく日間かの断食の行を成し遂げたあとで、粘土あるいは謬で人形(ひとがた)を造る。

そして、この人形に向かって奇蹟をもたらすシュムハムフォラス(神の名)を語りかけると、人形は生命を獲得するはずである。その人形は語ることこそできないが、話されたり命令されたりしたことはかなりの程度理解する。彼らはこの人形をゴーレムと呼び、あらゆる家事労働を行うひとりの召使に仕立てるのだ。

しかし、ゴーレムは家のなかから外に出ることはぜったいに許されない。その額には「真理」〈emeth〉なる文字が記されており、ゴーレムは日ごとに体重を増やして、最初のうちこそ小さかったのに、家じゅうのほかの誰よりもたやすく大きく強くなるのだ。

となると、彼らはゴーレムに恐れをなして、最初の文字を消し去ると、「彼は死んだ(メトmeth)しか残らないことになって、その結果ゴーレムは瓦解し、ふたたび粘土にもどるのである。

それはさておき、かつてある人のゴーレムが、恐ろしく大きくなったのに、無頓着にも彼はこれを成長しつづけるのにまかせていたので、ゴーレムの額にもう手が届かなくなってしまった。恐ろしくなつて男は、彼の長靴を脱がせてほしいとこの召使に命じた。ゴーレムがしゃがんだすきに、その額に触れるつもりだったのである。

はたして事は思惑どおりに進んで、最初の文字はうまい具合に取り除かれはしたが、粘土の塊がどさりとばかりこのユダヤ人のうえに崩れ落ちてきて、彼を押し潰してしまった。』
(カバラとその象徴的表現/ゲルショム・ショーレム/法政大学出版局P219-220から引用)

ゴーレムはこの近代西欧文明全体の表象。

旧約聖書では最初に、神は人間を創造したように、人間は、ゴーレムを創造した。つまりゴーレムは人間の神の創造力へのチャレンジである。人間はあまり神に近づき過ぎると、その強大無比なる手で叩き落とされる。ギリシア神話のイカロスのように。

最初の文字は、PCの表象である(Emethのeはelectiricのeでもある)とも言え、また本質的には「社会における自分の願望実現」というこの文明における人間に共通する行動規範とも言える。自分の願望はゴーレムというシンボルで既に実現した。

現代文明は、神という名は体しながら進展且つ巨大化してきた。ところがその成長にあまりにも無頓着に過ぎたために、文明の暴走を止めるために額の最初の文字を止めることで文明を止めたら、人間自身も滅亡することになってしまった。

人間は神から創造力を与えてもらったが、そのままではろくな創造物はできない。

人によっては、ゴーレムを無知で情報操作され税金を従順に払い続ける子羊たちと見たがる。しかしながら、ゾンビの表象は、神を知らないことで、あらゆる迷走を繰り返した挙句、結局人間の手で殺されるが、その殺した側の人間も明日は簡単にゾンビになるという、出口の見えない現代人の精神性のシンボルであるように見える。

ゾンビが文化になった所以もこの辺にあるのではないか。
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呼吸をすっかりくつろがせなさい

2015-07-19 06:01:28 | 冥想アヴァンギャルド
◎OSHOのヴィパッサナー

1970年代、といっても私は中学生だったりするのだが、OSHOバグワンの本が書店の店頭に並ぶのを見るのは、とてもわくわくすることだった。今まさに世界が躍動しているのを、その本から感じとることができたのだ。

彼の聖なるコミューンは、結局世界中の官憲から追われることになり、アメリカではバグワンみずから毒を飲まされ、それが死の遠因になっていくのだが、1970年代は、本当に何か将来に素晴らしいことが待っているかのような息吹を感じ取れる時代だった。

バグワンのヴィパッサナーについての断片的言及は多いが、そのやり方についてそれなりにまとまって書いたものは少ない。これなどはその一つだろう。ヴィパッサナーは南伝仏教の専売特許ではなく、釈迦がこれで悟ったという重要な冥想手法である。

ただこの「呼吸をみつめる」というテクは、これで行こうとする場合は、生活全体、行動全体のトータルなコントロールが必要となる。つまりヴィパッサナー専心者向けの冥想体系がある。それとて専心する以上は危険が伴うので、正師の指導が必須であることは言うまでもない。このOSHOバグワンの甘い語り口は、危険なジャングルの入り口でもあることを忘れてはならない。簡単簡単とも云ったり見せかけたりするが、悟りは簡単ではないのだ。

『呼吸をすっかりくつろがせなさい

いつでも暇をみつけたときに、ほんの数分間だけ呼吸器をくつろがせなさい
その他のことはいい、全身をくつろがせる必要はない
あなたが汽車や飛行機や車にすわっているとしても
誰もあなたが何かをしていることに気づきはしない
呼吸器をただくつろがせなさい

それが自然に機能しているときのようにあらせなさい
それから目を閉じ
呼吸が入ってきて、出て行き、入ってくるのを見守りなさい

集中してはいけない
もし集中したら、あなたは苦労の種をつくり出す

というのも、そうしたらあらゆることが妨げになるからだ
車にすわっているときに集中しようとしたら、そのときには、車の騒音が妨げになる、
あなたの傍らにすわっている人が妨げになる

瞑想は集中ではない
それは、ただ覚めていることだ
あなたはただくつろいで、その呼吸を見守っている

その見守ることのなかでは何ものも排除されてはいない
車はプンプン音をたてている
まったくかまいはしない、それを受け容れるがいい
往来が通り過ぎてゆく
それもよし、生活の一部だ
あなたの隣りに乗り合わせた人がいびきをかいている
それも受け容れるがいい
何びとつ拒絶されるものはない』
(ザ・オレンジブック/OSHO/メルクマール社P88から引用)
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薩摩と長州

2015-07-18 06:59:53 | 時代のおわり
国家神道から無神論へ

薩摩と長州の評価について昔はさほど関心を持つことはなかったが、NHKの大河ドラマ八重の桜で初めて会津の側からの維新を知って、戊辰戦争の経緯がわかり、また薩長土肥礼賛でない維新の見方があるのを知った。

あの出口王仁三郎ですら、当時の政権が、薩長系であることからズバリ名指しの批判はできず、『サツマ芋や丁子が荒らしてきたのだから、跡の整理も荒らした者がする責任があるにも拘わらず、雲にかくれて首を出さぬ大熊の卑怯さ、これも自業自得とは云ひ乍ら、能くも行き詰まったものだ。

俗謡に「後の始末は誰がする鬼が出てきて始末する」何だか肩が凝るような、我々は思ひがするのである。』
(雑誌神霊界大正8年11月1日号「随筆」から引用)

つまりサツマ芋が薩摩で、丁子が長州なのだが、これだけでもわかる言論弾圧の恐ろしい時代ではあった。後の始末の鬼とは、出口王仁三郎のことだから肩がこるという。

出口王仁三郎は、『薩長は日本を荒らした』(新月の光(上)/木庭次守編P323)と評価しており、明治維新から150年も経とうとする今になってすら、維新時と同様に英国の大きな日本への支配力をうかがわせる、新国立競技場の高額建設費問題(設計者は英国在住のイラク人と称する人)が起きている。70年前日本は米英と戦い再び(長州は下関戦争でイギリス・フランス・オランダ・アメリカの四か国連合に敗れた)敗れたが、今に至るも米英の支配権は健在なのだなと推察される。

安倍政権も長州系であり、伊藤博文以来の長州系は必ず政権の近くにいる。天皇現人神での国家神道で日本を荒らし、戦後は無神論で荒らし、跡の始末は誰が考えているのやら。自分自身で始末をつけるのだろう。
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若者を扇動しない時代

2015-07-17 05:35:02 | 冥想アヴァンギャルド
◎扇動されている自覚なき若者

いつの時代も若者は扇動されやすいものだ。

若者は、まだ自分の人生の持ち場がわからず、苛立たしげに探し回っている一時的な不適格者だから、宗教運動やイデオロギーなどの政治的運動に左右されやすいものだ。

カルトや政治活動家などの扇動者は、そういう若者を見つけ出しては、恐怖、愛、セックス、音楽、嫌悪すべきもの(共通敵、社会の害毒として敵対すべき対象)を駆使して、彼らを一生の不適格者に育て上げる。日本とアメリカの違いは、アメリカではこの誘引材料にドラッグが入ることである。

こうして扇動者はファミリーを形成する。自分が虐待された子供であったり、学校などで無視された者や、やる気を失い無力感に捉われている者や、自分を取るに足りない虫けら同然の者と感じていた者を、扇動者は、両手を広げてファミリーとして迎え入れてくれる。

挫折は攻撃性をもたらし、目標達成に失敗すればするほど、ますます攻撃的になるものだ。その挫折した原因に直接向かい合うことができなくなると、他のものに攻撃対象を移す。
扇動者は、その攻撃対象を上手にコントロールしながら与えていく。またこうしたものは、基本的に情動が主たる動因であることが多い。扇動者はその高ぶりを利用する。

逆に扇動者は、自分たちファミリーは選ばれたエリート・選民であると謳い、結束力を高める。

扇動とは一種の洗脳だが、最近の洗脳の特徴は、以前の学生運動のような社会を転覆させるというような外的活動的な方面に仕向けるものでなく、為政者の意向に反抗しないように仕向ける内的慰撫的な洗脳にテクニックが巧妙化しているように感じられる。その代表的手法がスマホなどのモバゲーである。
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