アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

天之沼矛の風景―3

2015-03-31 05:32:25 | 古神道の手振り
◎言霊の発達方法

霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌(ことたまがくしゃくか)の続き。

数霊五大父音【あ】【お】【う】【え】【い】の中の【あ】【お】の説明は出てきた。引き続いて【う】【え】の説明

『○鳴々而(なりなりて) 鳴合(なりあ)はざるは【あ】の声(こゑ)ぞ   鳴余(なりあま)れるは【う】こゑなりけり

○【う】【あ】のこゑ 正しく揃(そろ)ひて 結び合ひ 変転(はたらき)するは 美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)

○【う】【あ】の声 結びて【わ】声(ごゑ)に 変化(はたら)くは 阿那邇夜志愛上袁登古袁(あなにやしえーをとこを)といふ

○【え】【あ】の声 結びて【や】 声(ごゑ)に 変化(はたら)くは 阿那邇夜志愛上袁登売袁(あなにやしえーをとめを)といふ

○ 女人先言不良(をみなまづことさきだちてふさはず)と 言へる 神文(みこと)を 調(しら)ぶれば 以前の方法形式で
  言霊(げんれい) 発達せざるてふ 意義の大要 含むなり』(霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌から引用)

なりなりてなり合わざるは【あ】であって、なりなりてなり余れるは【う】である。これを結合させる秘儀が、美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)。

陰なる【あ】と陽なる【う】の合体で、【わ】が生ずる。
更に【え】【あ】の声の結合で【や】が生ずる。

女が先に男に声をかける逆ハントがまずいということではなく、出口王仁三郎は『女人先言不良』とは、以前の方法形式では言霊は発達しないと説明する。

言霊を使いきれるレベルであるアートマンたる小戸のあはぎが原に至らぬと、言霊の利用免許は出ないということか。以前は自在に言霊を用いるということではなく、神の許し給うた範囲内でということか。

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当たる予言はずれた予言

2015-03-30 03:52:44 | 冥想アヴァンギャルド
◎まだ実現していないメイン・シナリオ

出口ナヲの大本神諭については、日本がロシアに負けるなどと書いているから、予言がはずれたものとされ、当時の信者が離れていく原因になったとされる。しかし本当にそうだったのだろうか。今後第二次日露戦争があってそれで日本が敗戦となれば、予言は当たったことになる。明治の日露戦争の時代の人の多くは、単純に大本神諭が不安をあおるだけのネガティブ予言だったと思い込んだかも知れないが、核兵器の強力な装備を有するロシアの現状と外交的な行き詰まりを知る人ならば、第二次日露戦争の可能性を否定しないかもしれない。

なにより出口王仁三郎は晩年に、更なる日本の苦患をほのめかしている。

イエス・キリストも、『世の終りには、多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。(マタイ24-11)』などと世の終わりに起こることどもの予言を多く残しているが、イエスは世の終わりがイエスの時代からそう遠くない時期に起こるものと思い込んでいたために、あれほどまでに熱心に世の終わりのことを説いたのではないか。

多くのにせ預言者とは、神を知らないのに真理を説く者たちだから、今の時代こそが、多くのにせ予言者が出ている時代であって世の終わりである。

世の中の神話の多くは、千年王国に先立って起こる混乱した時代があることを予言している。それが今の時代であるが、神話では、千年王国・地上天国へ続く歴史のメイン・シナリオのことを予言するのが作法であることを考えると、イエスが2千年後の今の時代をわざわざ予言していたのは、作法どおりであったとも考えられる。

歴史のメイン・シナリオであればあるほど、時間のない世界で仕組まれているものだろうから、一旦予言された場合は時間軸のズレはあるかもしれないが、いつかは必ず起こるものだろうと思う。つまり神知る者の予言では、はずれたのではなく、まだ起きていなかっただけということはあるだろう。また当たったとしても、予言時と実現時の時差のために、そのディテールはかなり予言時から変わってしまっているということはあるのではないだろうか。
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天之沼矛の風景―2

2015-03-29 07:08:51 | 古神道の手振り
◎悟っていないと言霊も数霊もアクセス不可

霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌(ことたまがくしやくか)中に天之沼矛が出て来る。

『○日(ひ)の本(もと)の国の語(ことば)の源は ただ五声(いつこゑ)の竪端(たちばな)の父音(おど)
   
○多陀用弊流国(ただよへるくに)といふ 意義は あおうえい 五声父音(いつつのこゑ)の 発作(おこり)なりけり

○久方の 天(あま)の沼矛(ぬほこ)と云ふ意義は 言語(ことば)の 節(ふし)を 調(ととの)ふ 舌(した)なり

○立花(たちばな)の 小戸(をど)の あはぎが原に 鳴る 【お】こゑを 天(あま)の 浮橋(うきはし)といふ

○塩許袁呂(しほこをろ)、 許袁呂邇画鳴(こをろにかきな)すその意義は 【お】と【を】の 声(こゑ)の 活用(はたらき)を 云(い)ふ

○数音(かずのね)を 総称(すべとな)ふるを 島(しま)といふ 淤能碁呂島(おのころじま)は【を】こゑなりけり

○【あ】【お】【う】【え】【い】 素(もと)の 五つの 父声(おやごゑ)を 天之御柱神(あまのみはしらがみ)と 総称(そうしよう)す

○宇宙(おほかた)に 気体(きたい)の 揃ひ在る 意義を 我(わが) 言霊(ことたま)に 八尋殿(やひろどの)といふ』(霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌から引用)』(霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌から引用)

まず日本語の根元は、あおうえいの5声から発すること。
その5声は、古事記冒頭の記述の多陀用弊流国(ただよへるくに)が発生源であること。

そして天の沼矛は、言霊コントロールのハンドルである舌そのもののこと。言霊ハンドラー、錬金術的ハンドラーが天の沼矛である。

立花の小戸のあはぎが原とは、一切万物かつ実相真如(霊界物語10巻第二七章 言霊解一)だとするので、アートマンのことである。ここで鳴り渡るバイブレーション、音響のことが【お】であり、【お】を天の浮橋という。上の次元ニルヴァーナからも懸隔し、下の次元コーザルからも懸隔しているからこそ、浮橋である。

あおうえいの5声の系列の他に数霊の系列がある。数霊の総称が【を】である。塩許袁呂(しほこをろ)、 許袁呂邇画鳴(こをろにかきな)す、と古事記で語るのは【お】と【を】の両系列の働きを示している。

そこで数霊数音の総称が島であり、淤能碁呂島(おのころじま)は数音の総称【を】である。一切万象とも見れる。


古事記で『伊邪那岐命、伊邪那美の二柱の、淤能碁呂嶋へ御降臨ありし後は、伊弉諾の大神、八尋殿を造りて、これに造化の三神を祭り玉ひ、同殿同床の制を布き云々』とあるので、八尋殿とは、今ここのことである。ここの気体とは微細身、微細次元くらいの意味ではないか。

大いなるかな、言霊数霊の根本。しかし小戸のあはぎが原たるアートマンがベースなので、悟っていないと言霊も数霊も正当なアクセス不可ということである。
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天之沼矛の風景-1

2015-03-28 06:36:16 | 古神道の手振り
◎天と地の間の動くありがたい筒

天之沼矛は、まず古事記の劈頭に出現する。

『そこで、天津神一同は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美(いざなみのみこと)の二柱の神に、この漂える国土を修理固成せよと命じて、天之沼矛を授け、お任せになった。

かの二柱の神は天の浮橋の上にお立ちになり、天之沼矛を差しおろしかき回し、塩こをろこをろに画き鳴らし、引き上げた時に矛の先から垂れ落ちた塩が積り積もって島となった。これをオノゴロ島という。』

オノゴロ島は日本のことだ、地球のことだと云うが、現象世界全体のことを指すと見なければ、この場面に引き続きその二柱神が陰陽の様々な組み合わせで、この世のものあの世のものを産出していくことと平仄が合わない。

従って天之沼矛は、玉飾りを施したおしゃれなスティックであるなどというデザインのことは、実はどうでもよいことであって、天之沼矛の機能が高度に錬金術的なシンボルであることの方が肝心であると思う。

精神分析学者ユングが、窓の外の太陽を見ながら首を左右に振っている統合失調の患者に、「何をしているのですか」と問うた。するとその患者は「あの太陽から黒いペニスがぶら下がっている。オレが首を振ると、それに合わせてあのペニスが動いて、世界に風が吹くことに気がついたんだ」と答えた。

後日ユングは、古代ミトラ教文献で、それと同じような記述「太陽からは『ありがたい筒』が地面へと向かってぶら下がっている。その筒が西に傾くと東風が吹き、東に傾くと西風が吹く」という件りに遭遇して、黒いペニスのことが単なる患者の個人的無意識の表出でないことを発見する。

天と地の間の動くありがたい筒とは、天地間をかき回す天之沼矛のビジョンに近い。

天之沼矛とは、このレベルで錬金術的なのだ。

出口王仁三郎は、天之沼矛の現象創造・コントロール機能を更に詳述してみせる。
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雄健(をたけび)の禊

2015-03-27 05:35:04 | 古神道の手振り
◎真剣以上の勇気と覚悟で

出口王仁三郎は主要なとして、霊界物語中に振魂、天の鳥船、雄健(をたけび)の禊を挙げる。以下は雄健(をたけび)の禊の具体的説明であるが、手印の一種である天之沼矛を組んで、神名を唱えつつ身体を動かす禊である。

『次に雄健の禊あり、生魂(いくむすび)、足魂(たるむすび)、玉留魂(たまつめむすび)、大国常立之尊(おほくにとこたちのみこと)の神名を唱へつつ、天之沼矛を振りかざして直立不動の姿勢を構ふる行事なり。
即ち、
一に直立して左右の両手を以て帯を堅く握り締め、拇指を帯に差し『生魂』と唱へつつ、力を全身に充足して腹を前方へ突き出し、体躯を後方に反らせ、

二に『足魂』と唱へつつ、力を全身に充足して両肩を挙げ、しかる後、腰、腹、両足とに充分の力を込めて両肩を下し、

三に『玉留魂』と唱へつつ、更に力を両足に充足して両の爪先にて直立し、しかる後強く全身に力を込めて両の踵を下すなり。

四に左足を一歩斜前方に踏み出し、左手はそのまま帯を握り締め、右手は第二第三指を並立直指し、他の三指はこれを屈し(これを以て天之沼矛に象る)これを脳天に構へ、真剣以上の勇気と覚悟とを持する行事なり。要するに雄健の禊は、神我一体聯想の姿勢なり。』
(霊界物語第75巻)

ここで問題なのは、天之沼矛の性格である。何のために手印天之沼矛を用いるのかということ。

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他人を働かせて自分が楽をする

2015-03-26 05:30:46 | 時代のおわり
◎真剣な行為の喪失

今の時代は、他人を働かせて自分が楽をして、金を儲けたり利益を得ることが、まるで善いことのように思われたり、当たり前のように思われたりしている。

ユダヤ人が農業みたいに手で稼ぐことをあまりせず、金利や鞘取り、キャピタル・ゲインなどの資金運用で儲けることは知られている。こういうのを広義の「他人を働かせて自分が楽をする」商売と見る。不動産売買、不動産賃貸などもその一種。

金を儲けること自体は、白でも黒でもないが、それが行き過ぎると誠の心、物事に真剣に取り組むことから離れてしまう。神は真剣な行為の果てにきらめくことがあるからである。

日本庶民の生活は、電気炊飯器、電気洗濯機、電気・ガス風呂釜を始めとし、家電によって、幸か不幸か、炊飯を真剣に行う、洗濯を真剣に行う、風呂を真剣に沸かすということから離れてしまった。

つい50年前くらいまでは、このように日常の生活に必要な行為そのものが真剣な取り組みを必要とする時代だった。

時代は下がって、一日24時の行住坐臥の中に一個も真剣な行為なしで済ませている人間が大量に出現した。これが新種族「歩きスマホ人」出現の原因である。戦後の家電の普及により、大衆は余暇の拡大を得たが、その余暇は、スマホ&マバゲーによってほとんど奪われたのだ。ほとんど無思考で、ほとんど娯楽だけで、物事に真剣に取り組むことを知らないこんにゃく人間みたいのが、闊歩している。

大本神諭大正元年旧七月三十日に「悪のやり方は我が楽をしてひとの苦労で出世致そうとするから、強い者勝ちのくらがりの世になりて云々」などとある。

10年くらい前は、悟りのさの字くらいは意識の端に上っている人が多かったが、今はそれすらも見えないほど人々の暗がりが深まったかも知れない。
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相撲は水系であること

2015-03-25 05:24:41 | 時代のおわり
◎現世の成り行きを占うイベント

日本における相撲は、年占の性格を有し、基幹産業であった水耕の結果を占う神事として生きていた。このため、相撲が水の神にからむことは指摘されてきた。

ヨハネは水で洗礼し、後から来たイエスは、火なる霊で洗礼した。伊勢神宮内宮の祭神は、大神たる天照大御神であり、これは窮極の表象であるから火、これに対し外宮は豊受の神であり、現世の表象であるから水。

要するに真剣勝負からは、神意がこぼれ出ることがあり、それを年占として、為政者、大衆が見たのだが、狙いは、宗教者の側でなく、為政者の側のほうだから水となる。

相撲の起源は古く、古事記日本書紀にも登場し、足利時代、織田信長、豊臣秀吉も、大相撲イベントを企画したことが伝えられており、相撲は日本の代表的プロ・スポーツ・エンターテインメントであり続けてきた。

日本書紀の第11代垂仁天皇の時代に、野見宿祢(ノミノスクネ)と当麻蹶速(タイマケハヤ)の天覧相撲が記録されているが、これはキックボクシング風の蹴り合いであって、時代が下がっていつの間にか今のような投げ合いに変化したらしい。

合気道でも、剣道でも、究極にコンタクトできるし、往年の名力士双葉山のように相撲で求道する人もいた。相撲もきっかけにすぎないが、そのきっかけも、縁により起こるからには、大いなる意義を含む。
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モンゴル、朝鮮、日本

2015-03-24 03:33:36 | 時代のおわり
◎相撲と女性トップ

モンゴル相撲は、土俵はなく、相手を投げを中心とした技で倒さなければならない。朝鮮相撲のシルムは、8メートル四方の四角い土俵みたいなので戦うが押し出しはないので、実質モンゴル相撲に近い。
でもって、大相撲は、モンゴル人三横綱に加え、照ノ富士、逸ノ城の両横綱候補が出現し、向こう10年はモンゴル力士黄金時代は変わりそうもない。


日本とモンゴルに挟まれた朝鮮相撲のシルムがモンゴル相撲に近いのは地続きのためであり、過去の外敵襲来の影響もあるのだろう。

朝鮮の過去の国難は三百余回と言われ、そのほとんどが北方からの来寇である。漢、元、唐、元、清、女真などあるが、例外的に南方から襲ってきたのが秀吉などの日本であった。南方からのは、あくまで例外であって、回数は微々たるもの。朝鮮の歴史を見れば、中国の朝鮮侵略の方が、日本からの朝鮮侵略より圧倒的に回数は多い。

直近の朝鮮に来襲した外国軍隊は、1945年8月にソ連が38度線以北の関東軍支配地域を抑え(満州からの日本人の脱出行では必ずソ連兵の話が出て来る)、それ以南はアメリカが抑えたのが、それ。

外交上は朝鮮戦争は継続しており、北朝鮮の同盟国であり韓国の敵である中国の政治経済にわたる発言力がアメリカを凌駕しようとしているのは、韓国の複雑な現在の立場を象徴している。

1895年の閔妃暗殺の15年後に日韓併合となったが、今韓国のトップが女性となっているが、親米派と新中国派により国論が分裂し、北からロシアの息のかかる隣国がそれを窺うのは、1895年と似たような状況と言えよう。

出口王仁三郎の時代には朝鮮の神人姜甑山が出たが、今の朝鮮に彼に匹敵するような人物がいるのだろうか。
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いろは歌

2015-03-23 03:56:39 | 古神道の手振り
◎この世の落ちぶれ者

出口王仁三郎のいろは歌は、いろは48文字を歌の最初の文字として詠みこんだ予言歌。

最初がこれ。

いまは斯(こ)の世の、落ちぶれものよ。人に笑われ、罵(そ)しられて、誠の道を辿りつつ、末にゃ夜光の、玉を得る。

悟っていない人に悟りを説くのは、無用の用を人に説くのと同じで、人に笑われ、馬鹿にされる道である。

それでも出口王仁三郎は、その誠の道を歩み続け、永遠不壊なる夜光の玉を得た。

十牛図では、最初は大神である牛の跡を辿るが、やがて牛と一体化し、なぜだか牛も人も消え去る。こういう話は、世間ではいい加減な話であって、神話や童話には断片的に出て来るが、世間一般の真剣な話としては相手にされないものである。

それでも、いつかぴんとくることに期待して、説き続けるのだ。
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改めて大本神諭を読む-5

2015-03-22 06:19:15 | 古神道の手振り
◎大本神諭の成り立ち

大本神諭の成り立ちは、意外に知られていないみたいなので、改めて書き置く。

大本創始者の一人出口ナヲが、明治25年頃から極貧生活の中、大神が神がかりになって、半紙に筆でもって、書き下ろした膨大な自動書記文書群が大本神諭である。

この自動書記は、かたかなみたいなのや棒や点、○などが入り交り、出口ナヲは文盲だったことや、これが自動書記だったことを勘案しても一般人が読めるものではない。これを神眼にて解読翻訳をかけたのが、出口王仁三郎である。

読めない半紙の束は普通なら単なる燃えるゴミに成り果てるが、この半紙の束を貴重な遺字(世の中に捨て置かれた貴重な文書)とみて世に出した出口王仁三郎の役割は大きかった。

出口ナヲは変成男子、出口王仁三郎は変成女子と自称したが、これは二人がそれぞれ同性愛者であったことを現代に先駆けて宣伝したのではない。アダム・カドモンのような両性具有者が、明治大正の時代にあっても、人間の窮極に求めるべき姿であることを示したのだ。大本ではこの両性具有は伊都能売である。

両性具有という概念がコーザル体レベルのことでもあり、きちんと理解できた人はほとんどいなかったにせよ、そういうことをわざわざ語るのには、人間の価値観、教団の価値観がメリデメや功利から離れて、男女の別も超え、あなたと私の違いも超え、天国と地獄の結婚であることを、このタイミングで示す必要があったのだと思う。

このように大本神諭は、そのままでは廃品回収業者行きだったのに、そのすべてではないが、かなりの部分を霊界物語と並ぶ基本経典の一つに昇華させたのは出口王仁三郎の力量なくしてできる業ではなかった。

大本神諭の内容の根幹は、最後の審判時のなりゆきと人間の有り方であって、人類の生存確率が極めて低いことを示す。ところがその表面だけを見ればオウム真理教の自爆的ハルマゲドン思想と似ている。

このところ地下鉄サリン事件20年であって、オウム真理教が自分でハルマゲドンを起こそうとしていたことがマスコミで盛んに報道されている。これに対して大本神諭は、そういう悲劇的未来を招来することのないように、警鐘として悲劇的予言である大本神諭を公開している。それは、キリスト教にこれまた悲劇的予言である黙示録があるからといってカトリックが大量破壊兵器を持ったり大量殺人事件を起こさないのと同じである。

ことほど左様に昨今の宗教は本物と偽物を見分けるのが、教義、言説だけでは極めて難しくなっている、これをイエスは、「終わりの世には予言者が多数現れる」などと称した。

大本神諭には結構な伏字がある。伏字の中身は知らないが、おそらくは天皇関係とユダヤ関係や特定の人物や地名国名の固有名詞が伏字になっているものと想像される。

それと大本の予言系では、他にいろは歌、伊都能売神諭があるが、これは出口ナヲでなく、出口王仁三郎自らが降ろした予言である。大本神諭が人間の改心=悟りを基調に描かれているのに対し、いろは歌、伊都能売神諭は日本の悲劇的運命をより具体的暗示的に描いている。特に美濃尾張はキーワードとして大きい。

※大本神諭冒頭
『東京で仕組を駿河美濃尾張大和玉芝国々に、神の柱を配り岡山』天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮(うしとら)の金神が現はれて、世の立替を致すぞよ。
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改めて大本神諭を読む-4

2015-03-21 06:44:07 | 古神道の手振り
◎世界のサプライズ

大正6年旧正月二十二日の大本神諭に身魂の因縁性来についての記述がある。

世の中には、上の身魂とゲスの身魂がある。ゲスの身魂は、性来の悪い人であって、性来の悪い人は日本に置くことはできない。そうは言ってもゲスの身魂にも神を知るべく様々に仕向けてきたが日増しに悪化するばかりで、一向に効果が上がらなかった。
結果として日本は、性来の悪い人ばかりとなり、ここまでひどい悪の世に成り果てた。
(上の身魂とは上流階級とか富裕層のことではなく、神知る人のこと。)

茲(ここ)までに仕放題(しほうだい)に上り詰めた悪の世を、善一つの 世にチェンジするという事が、何も無しに変るなどという事は無い。
と。やや脅しながらの激しい文である。

不本意にも、何もわからん闇雲の世になったが、悪の人向けにサプライズを仕掛け、これまでと逆転して、無用の用が主流の世の中にするプロジェクトのファイナル・ステージがこれから始まるのだ。

性来が悪でも日本人なら日本で活躍してほしいので、神はここまでこころを砕くのだと細心の配慮も見せる。


【大正6年旧正月二十二日の大本神諭】
『神代に成ると神も人民も同じ心だ、夫(そ)れを神代(じんだい)と 申すぞよ。

今迄は 神代一代の世の末と成りた末法の世で在るから、外国の害を致すカラミタマに、日本の国の大和魂を引き抜かれて、日本の人民が薩張 (さっぱ)りハイカラに成りて了(しも)ふて、チットも光りが出ん様に、間に合はん様に成りて居るから、

天賦至霊至魂(やまとだましい)に致さうと申して、茲(ここ)までに神諭(しらし)ても、上の身魂は判(わか)り良いなれど、下素(げす)の身魂がドウにも判かりかけが致さんが、茲までは何でも改心を為(さ)してと思ふて、ドウゾして日本の国の人民を、大和魂に仕てと思ふて言ふて与(や)る程、一日増しに悪く成る斗(ばか)りで、改心の仕掛けが出来んから、

悪で薩張 (さっぱ)り詰まりて了(し)もふて、面白い程昇りて了もふて、何も判 (わか)らん暗雲の世に成りて居る悪の性来(せうらい)を、吃驚箱(びっくりばこ)を開けて、善え立ち復(かへ)らしたいと思ふて、種々(いろいろ)と骨を折りて見ても、性来(せうらい)と言ふものは何時に成りても、金は金の性来で性来を直す事は出来んから、悪が茲(ここ)まで昇りたのじゃ、

今充分気が附ついて来て居れど、モウ茲までに日本の国を犯侵 (くもらし)たのが、悪では将来(せうらい)が違ふから、元え復整(もど)す事は出来やうまいがな。

日本の国は大和魂に揃へねば、天爾之真旨(まこと)で無いから、混合雑物(まぜり)はチットも出来んから、金は金で撰り分けて、将来の 悪いのは、日本の国には住(お)く事は出来んから、

日本の国に生出(わい)た守護神(しゅごじん)は、可成(なるべ)く日本  の中で御用が命(さし)たいので、神が心を砕くので在るぞよ。
茲(ここ)までに仕放題(しほうだい)に上り詰めた悪の世を、善一つの 世に致すと言ふ事が、何も無しに変りさうな事は無い、此の立替が 何よりも大至難(たいもう)な神業で在るぞよ。

明治二十五年から大出口直の手で、昔から遺書(かきをき)にも遺言(ゆいをき)にも書物にも無い事を、茲までに世に落として、智慧学 で判らん事を、いろは四十八文字で書きつくして在る事が違いはせんので在るぞよ。

二度目の世の立替は、此の世が出来てから無い大望な事で在るのに、 人民では判らん事なり、判らねば成(な)らんなれど、此の世が薩張(さっぱ)り覆(ひっく)り反(かへ)りて居るので在るから、是れ程大雄崇(たいもう)な事が、人民が末代集(よ)りて掛りて致しても、出来る事で無いと申して、神諭(ふで)では、知らして在るなれど、何時も鳴く鳥(からす)の如(や)うに思ふて、嘲笑明(はな)で聞いて居る人民斗(ばか)りで、

辛いのは、大本の中の元の御用を致す、変性男子と変性女子とで、 此の御用は外(ほか)に補助(すけ)の出来ん、大経緯(たいもう)な御用で在るから、邪魔丈(じゃまだ)けを致さん様に仕て貰(もら)いたいぞよ。』
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改めて大本神諭を読む-3

2015-03-20 05:37:04 | 古神道の手振り
◎善の身魂と悪の身魂を立て分ける

大本神諭の基本思想の一つに善の身魂と悪の身魂を立て分けるというのがある。

これは以下のロジックによる。

身魂が磨けると水晶御魂になる。
日本は大和魂。
人々は1%と99%に分かれる。『判(わか)るところへ判りてきたら、善と悪の身魂を立て判(わ)ける』(大正6年旧正月二十二日)

人は神の生き宮なので、誰でも本来は水晶御魂になる可能性は有しているが、人には生まれつきというものがある。これを因縁性来という。

因縁性来は頑固なもので、これを利用して悪優勢の現代にしてしまった主因が、悪の性来の人が大半であることである。

これを以って、過去何千年の大衆向け善導効果が薄かったことから、世の大峠にて、善と悪の身魂を立て判(わ)けるのだという。

悪の性来の人には、どんな善い宣伝教育も伝わらない。ただ、身魂磨きによって水晶御魂に近づくことはできると、可能性は残す。

このように全体としては、予定調和とか、万人の至福とか、甘ちゃんなところは微塵もないロジックで説いている。これも大神の一側面。
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改めて大本神諭を読む-2

2015-03-19 05:35:36 | 古神道の手振り
◎今度の世の立替は二度目であること

大正六年旧2月9日の大本神諭では、しきりに世の立替は二度目であることが語られる。では一度目はいつで、どんなだったかは、わからない。ただこの艮の金神(うしとらのこんじん)スキームが三千年前から組まれたものだということはわかっているので、それ以前に世の立替があったものだろうと推測される。

一度目の立替の内容はわからないが、世界が泥海になるようなことがその時期に起きたのだろう。人間世界では一定の年数を経ると技術文明が蓄積・発展し、宗教がこれをコントロールするに足らない場合、社会が自壊する法則があるらしい。最初の立替はそんなものだったのだろう。

大本神諭では、二度目のそれは一度目のそれに比較して大規模に広汎に徹底的に起こるとする。ほとんどの技術文明の喪失も伴う。


大正六年旧正月二十三日の神諭では、既にこの時点で、十年余り立替が延びたことが唐突に出て来る。例の1999年からすでに十年余りである。

大本神諭大正六年旧正月二十三日の一部。
『大正六年旧正月二十三日

 
今までの世は、悪の栄える世で在りたから、悪の御魂(みたま)が世に出て覇張(はば)り散らして、皆己(われ)が傑(えら)い、御魂が高いと申して、何も分(わか)りも致さんのに、悪の仕組で、どこ迄も行けるやうに思ふて為(し)て居ることが、全然間違ふて居るから、これ迄の事は、少(ちっ)とも用ゐられん事ばかりであるぞよ。

為直(しなを)しは少(ち)っとも出来んから、十年余り立替へが延びたから、世界はドウ為(し)やうにもコウ為(し)やうにも、動きも、にぢりも、出来んやうに成(な)りて来て居るから、立替が始まるも、何も彼も一所に出て来るから、筆先に度々(たびたび)、同じ事を申して知らしてあるぞよ。

神は一度申した事は違はんので在るから、延ばしても早く致しても、在る丈(だ)けの事は在りて了(しま)はねば、何も無しに済むという事
はないぞよ。
(中略)

神の申した事は、チット遅し早しは、人民から見れば在るやうなれど、神が在ると申した事は皆な在るぞよ。』

「今ここ」の世界では、予定されたメイン・シナリオ上のイベントは省略されることなく、必ず出て来るが、それの早い遅いはあるということ。

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改めて大本神諭を読む-1

2015-03-18 05:31:27 | 古神道の手振り
◎日中、日露、世界大戦

日月神示はマスコミに盛んに取り上げられるのに比較して、大本神諭は、大部なせいか同じ大本系の神諭としては、語られることが少ない。

大本神諭は、内容的にはシンプルで、世の大峠が実現し、その後は神主主義の時代が永劫松代まで続くことを示すことについて繰り返し語る。

ただ内容的には、最初に日中戦争があり、次に日露戦争があり、それから世界大戦が起こるというシナリオを出して来ているので、この予言は既に実現した予言と見てあまり相手にされないというきらいはあると思う。ただ当たったから確実な予言とは見れる。

ところが、大本教事件は2回発生し、大正10年と昭和10年。大本は日本の未来のプロトタイプでり、世界のプロトタイプである。そこで大本事件が2度あったことを考えると、日中戦争、日露戦争、世界大戦という流れはもう一度起きる可能性があると考えるのが自然だろう。

この予言の眼目は、戦争が起こる部分ではなく、水晶御魂の人が集う地上天国たる松の代が到来することだが、それは未だ実現していないことだ。だからこの点においても大本神諭を既に実現済の予言として扱うのは間違いだと思う。

大本神諭冒頭の一部。
唐(から)と日本の戦いがあるぞよ。
この戦は勝ち戦(いくさ)、神が蔭から仕組みが致してあるぞよ。
神が表に現われて、日本へ手柄致さすぞよ。
露国から始まって、もう一戦あるぞよ。
あとは世界の大たたかいで、これから段々判って来るぞよ。

日本は神国、世界を一つに丸めて、一つの王で治めるぞよ。
そこへ成るまでには中々骨が折れるなれど、三千年余りての仕組みであるから、日本の上に立ちて居れる守護人にチット判りかけたら、神が力を付けるから、大丈夫であるぞよ。

世界の大峠を越すのは、神の申すように素直に致して、どんな苦労も致す人民でないと、世界の物事は成就致さんぞよ。』

これを読んで、日本は戦争に最終的に勝つように読めるのだが、実は、日本は先の大戦では一敗地にまみれ、もう一回あっても同じようなことではないか。なぜなら二度の大本教事件では、大本は罪人として幽囚の苦しみを味わったからである。

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魚の冷暖自知

2015-03-17 05:32:42 | 只管打坐
◎道元の悟りメモである宝慶記から

道元の悟りメモである宝慶記に、誰でも既に悟っていると思い込むことを戒める文がある。

道元が師匠の如浄に、『「魚が水を飲んで冷暖を自ずと知るようにこの自ずから悟るのが覚醒である」と古今の有識者が言っているが、私はこれは間違いだと思った。これが正しい悟りならば、どんな有象無象も自ら知る働きを持っているから永遠の昔から如来だなどという説が出て来るからだ。』と問うた。

如浄は、『そんな考え方は異端であって、カルトである。自分勝手な思い込みをもって、神聖なる諸仏になぞらえるのは、悟りを得ていないのに得たと思い込み、まだ悟っていないのに悟ったと思い込む誤りを逃れることができない。』

「あなたはその身そのままで既に悟っている」と、権威ある服装の方に立派な建物の中で言われたりしたら、気持ちは舞い上がり、温室にいるようなほんわかとした気分になって、自分の悟りを厳しく自分に問いただすという態度は弱まるだろう。

昔から大衆宗教には、ピースフルな雰囲気を売り物にする教団はあった。誰でも既に悟っているのなら、この世はかくも地獄を地上にコピーしてきたような惨状にはなってはいまい。

最近の人で、嘘を言わない人は少なく、自分のことを都合の悪い事でもフランクに語る人は少なく、自分が損をすることを気にしないで他人を助ける人は少ない。大多数のそういうありさまは、それが天国の住人なのか地獄の住人なのか明らかだろう。

誰でも既に悟っていると語る真正の覚者はいるが、それは、相手を見て語っている。
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