アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

アストラル人間にも救いはない

2014-06-30 03:40:18 | ザ・ジャンプ・アウト
◎非論理的説明、非論理的垂直ジャンプ
◎アストラル世界だけのシナリオにも、結局救済シーンはない

人間の可能性はアストラル人間に止まるものではない。

アストラル人間の成り行きというのは、それがそのまま霊がかりな見方というべきものである。霊がかりな見方というのは、20世紀初めに世界的に流行した心霊主義で、出口王仁三郎、ルドルフ・シュタイナー、ブラヴァツキー夫人、リードビーターなどに代表される動きである。

霊がかりであるからには、光と闇の戦い、つまり天使と悪魔の戦いが主たる関心事であって、いつ果てるともしれないそれを繰り返すために、禊、浄化が重要となり、霊能は有用であるという立場を出ることがない。

理屈としては、そういう行き方・修行法は勿論「有り」なのだが、まずその人の個性によるし、時代環境や、その時代の人間にマッチするかどうかはまた別である。第二次世界大戦後はすっかり下火になったと言ってよい。

人間は七つのボディであり、肉体からエーテル体、エーテル体からアストラル体、アストラル体からメンタル体ではそれぞれいわゆる垂直移動になる、垂直移動の一種が第七身体=タオ=絶対無に到る移動である。

これに対して、エジプト死者の書のように、霊界の中で珍獣にあったとか珍宝を見つけた云々というのは、水平移動であって、同一ボディの中でいくら面白い移動があったとしてもそれだけではなにも本質的なイベントは起こらない。つまり霊がかりな話、アストラル人間の末路を論じてもそれだけでは、面白いことは何も出て来ないのだ。

人間社会のあらゆる問題は死の恐怖から来ている。生保、損保、そして生活を安定させ余計な死のリスクを分散させる税の再配分のシステム、家庭、社会秩序、軍備、政治イデオロギー、そうしたものは本来時々刻々直面している自分の死のリスクから来る緊張を緩和するために作られたものである。

死のリスクを論じるならば、死のステップをチベット死者の書などで見ていくことも避けられない。死の初段は、肉体死から「原初の光」を意識しつつ、エーテル体の崩壊、中有へ移動、アストラル体への移行と進む。ここでアストラル体世界となるが、チベット死者の書でもアストラル人間の未来をエジプト死者の書のようなアストラル世界だけに絞っているわけではない。アストラル世界だけに終われば、カタルシスなき映画、釈然としないエンディングの映画みたいになっちまう。


アストラル世界だけのシナリオにも、結局救済シーンはないのだ。

現代はそこがポイントになっているのだが、知性の発達した現代人はそこの非論理的説明の部分にこそ極めてニーズが高いというわけなのだ。

【チャクラと七つの身体-219】
◎アストラル体-88
2.アストラル体の性質-69
5. 死の世界だが、悟りではないということ-8アストラル人間にも救いはない
(ザ・ジャンプ・アウト273)

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聖者惨殺

2014-06-29 03:32:46 | ザ・ジャンプ・アウト
◎鎮魂をする心理
◎アストラルの世界には独特の優勝劣敗の法

地の龍脈を断った者は、その反作用なるものを恐れる。
史記陳丞相世家で、風水に巧みな軍師であった陳平は語る。

『わしには秘密の計算が多い。これは道家で禁じていることである。もしわしの子孫がひとたび廃絶すれば、もはやそれまでだ。ふたたび興起することはついにできないだろう』(史記/司馬遷/平凡社から引用)

この秘密の計算とは、風水家は風水のことだと見ているが、道家流の奇問甲のような呪術を漢朝興隆のために、漢朝という私的グループの利益のために用いてしまったのだろう。すなわち、これは私利私欲で、アストラル・パワーを利用することで、道家の禁じているところである。これをやってしまった以上は、陳家廃絶も止むを得ないことであるという本音のつぶやきである。

ある王朝の創始者は、必ずそういう既成の霊的なパワー・バランスを崩してしまったという感じを持つものであり、徳川家康なども、天海に命じてそうした調整をやらせている。

新王朝を建てる場合もそうだが、ウルトラ級の聖者や賢王を政略のために、社会的に葬ったり、死を賜ったりしたようなケースでも、そうした社会全体のバランスを崩した感じがあるもので、為政者はそれを恐れる。

そうした場合に、為政者は、ほふってしまった聖者や賢王のための鎮魂を大々的にやる羽目に陥る。陳平のようにその権勢家が廃絶するのを防ぐためである。その鎮魂が行なわれているのが、菅原道真の北野天満宮であり、聖徳太子の法隆寺であり、四天王寺であり、広隆寺であると思う。

特に聖徳太子は鎮魂の規模が大きいことから、そのファミリーを惨殺した後で「しまった」と思わざるを得なかった為政者の悔恨が窺い知れる。イエスを殺害したユダヤ人がディアスポラに追い込まれたように、聖者は殺してはいけないのだ。

このことは誰でも無意識に感じているところがあるのではないだろうか。小は毎日の天津祝詞奏上なんかにもそういう感じはある。

【チャクラと七つの身体-218】
◎アストラル体-87
2.アストラル体の性質-68
5. 死の世界だが、悟りではないということ-7聖者惨殺
(ザ・ジャンプ・アウト272)

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ダイアン・フォーチュンのセクシュアル

2014-06-28 03:28:04 | ザ・ジャンプ・アウト
◎竜巻に似た精神の渦
◎アストラル体は下位に位置している

『性的結合の瞬間、竜巻に似た精神の渦が形成される。それは漏斗状の渦巻きで、他の次元にそびえ立っている。

肉体が交わると渦巻きは上の次元へと昇っていくのである。

すべての場合において、肉体・エーテル体・星幽体は、絡みあっているので、渦巻きは星幽界(アストラル)にまで達する。

受肉の機が熟していれば、星幽界の魂がこの渦巻きに引き込まれて、両親の世界へ入ってくるのである。

渦巻きが星幽界より上まで届けば、他の種類の魂が入り込んで来るかもしれないが、それほど上まで到達するのは稀である。そこで人間は欲望によって生まれると言われるのである。他のものによって生まれる人間はあまりいないからである。』
(心霊的自己防衛/ダイアン・フォーチュン/国書刊行会P79から引用)

この辺が、カーマ・ヨーガの利用する基本法則であって、チベットの性的タントラもこの原理を念頭においたものだろうし、真言立川流や西洋魔術系のフリーセックス邪教はこれを乱用したものなのだろう。

ダイアン・フォーチュンは、星幽界(アストラル)の上に精神界(メンタル)を認めており、更に大神も視野に入れているので、全体的な世界観という点では、わりと正統的な見方をしているのではないかと思う。

チベット死者の書は、生まれてくる側から見ているが、ダイアン・フォーチュンはこれを受ける側から見る。受肉とは、機が熟しているのが条件であり、その機をつかむのが簡単ではないことは、チベット死者の書でも何回もの受肉のチャンスをとても逸しやすいものとして書いてあることから、それを感じとることができる。


【チャクラと七つの身体-217】
◎アストラル体-86
2.アストラル体の性質-67
5. 死の世界だが、悟りではないということ-6ダイアン・フォーチュンのセクシュアル
(ザ・ジャンプ・アウト271)


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不死なるチャクラ、死すべきチャクラ

2014-06-27 03:54:22 | ザ・ジャンプ・アウト
◎神に対する敬虔
◎アストラル体チャクラは死すべきものに分類

このヘルメスの会話は、身体と非身体の区分で話を導入しているが、真意は不死なるものと、死すべきものの方である。従って、チャクラで言えば、肉体チャクラ、エーテル体チャクラ、アストラル体チャクラまでが、死すべきチャクラとなり、「劣ったもの」と分類される。

これに対して神の七つの属性を配当されるメンタル体チャクラこそが、不死なるチャクラということになる。「劣ったもの」を選ぶことは、人を滅ぼすと警告している。

ヘルメース(父)とタト(子)の対話
『「子よまず自分の身体を憎まなければ、自己を愛することはできない。そこで、自己を愛したなら、叡知(ヌース)を得、叡知(ヌース)を得たなら、真知(エピステーメー)にも与るであろう。」

「父よ、それはいかなる意味でしょうか。」

「子よ、こう言うのは、二つのもの、すなわち死ぬべきものと神のものに共にかかわることは不可能だからだ。

それは存在するものは二つ、身体的なものと非身体的なものとであって、それぞれの内に死ぬべきものと神的なものとがあるからである。

何れをえらぶかは、選ぼうとする者に委ねられている。<選択が委ねられているのは(一方であって)両方>ではない。一方の劣性が他方の(優れた)働きを明瞭にしたのである。

従って優れたものを選ぶことは、選ぶ人にとって、人を神化するために最も善いばかりでなく、神に対する敬虔をも示しているのである。

他方劣ったものを選ぶことは人を滅ぼし、また、ほかならぬ次の事実が神を怒らせることになる。

(儀式の)行進が(人々の)只中に来て、自らは何一つ動かす力がないのに、人々の通行を妨害するのと丁度同じ仕方で、彼らも身体的な快楽に引き回されて、世界を行進するにすぎない。」』
(へルメス選集Ⅳ、ヘルメス文書/朝日出版社p128から引用)

【チャクラと七つの身体-216】
◎アストラル体-85
2.アストラル体の性質-66
5. 死の世界だが、悟りではないということ-5不死なるチャクラ、死すべきチャクラ
(ザ・ジャンプ・アウト270)


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世界の転換のバリエーション

2014-06-26 03:49:23 | ザ・ジャンプ・アウト
◎真の逆転
◎アストラル体レベルでは逆転していない

新しい世界に入ればそれが世界の転換だと人は思う。

臨死体験でよくあるケースで、真っ暗なトンネルを抜けたら、エーテル体世界に入り、天上に張りついてベッドに眠る自分の肉体を見下ろしていた。これも一つの世界の転換。最初の体外離脱はショックなものだ。

エーテル体宇宙も超えて、スウェーデンボルグやルドルフ・シュタイナーや出口王仁三郎や沖縄のユタ恐山のイタコのように様々な霊的生物に出会うアストラル宇宙に入った。これも一つの世界の転換。

こうして、第四身体たるメンタル体宇宙も超え、第五身体たるコーザル体宇宙も超えるがそれぞれの超越そのものもやはり一つの世界の転換である。

霊界に入ったことが人間として大きな進歩だみたいにいう人がいるが、その驚異の実感には嘘はないのだろうが、それだけでは何も産まない。というのは世界は逆転しておらず、自分は自分のままで、みじめでちっぽけな自分は何も変わっていないからである。つまりコーザル体宇宙までの世界の転換では「逆転」は起こっていない。

タロットカードの木に吊るされた男のように世界は逆転して見えはしないのだ。

十牛図第七図は、忘牛存人。神、仏という全体性は取り込んだが、いわばそれまでのあらゆる宇宙の延長である。つまり逆転が起こったという風ではない。だから慈遠禅師や廓庵禅師のコメントも、のんびりとした風情を漂わせている。理屈からすれば、世界と一つになったこの段階で、大きな感動をありがとうと叫ぶべきところだが、そんなムードではない。

十牛図第七図はアートマンだが、第八図になって「なにもかもなし」、言葉では表現できないとなる。それもリアリティ。ここに二つ目のリアリティが現実となってやってきて、本質的な意味で世界が転換する。本物の二重見当識である。真のデュアル・ワールド。

世界の転換にはいろいろなバリエーションがあるが、真の転換は、アストラル・トリップでも、霊覚を磨くことでも勿論ない。それは、十牛図第七図相当のヘルメス文書の「諸力に自らを引き渡し、諸力となって神の内になる。」(ヘルメス文書/朝日出版社から引用)という表現から一歩先のところにあるように思う。

【チャクラと七つの身体-215】
◎アストラル体-84
2.アストラル体の性質-65
5. 死の世界だが、悟りではないということ-4世界の転換のバリエーション
(ザ・ジャンプ・アウト269)

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個人的無意識の雑念・魔境の祓い方

2014-06-25 03:44:48 | ザ・ジャンプ・アウト
◎神仏の御名を唱え、守り給ヘと一心に念ずるなど

本山博は、個人的無意識の雑念・魔境の祓い方を2種呈示する。
この中にアストラル体レベルでのコンタクトが示されている。アストラル体とはボディであり、宇宙である。

まず、チャクラ、マンダラ、マントラ、ヤントラ(形)などに精神を集中している状態を彼は「精神集中」と呼び、その状態で浮かび上がってくる心象を雑念と呼ぶ。この雑念は個人的無意識から来るものである。

冥想修行が進んでくると心と集中する対象が一つになった状態が登場する。この状態を彼は「瞑想」と呼ぶ。この瞑想において出現するサイキックな雑念あるいはアストラルな働きかけ(憑依)を彼は「魔境」とし、「雑念」と区別する。

以下引用文で、本山博はそれぞれの祓い方を呈示するが、昨日記事で、精神障害に悩まされる人にとっては一つのヒントになる可能性がある。ただし霊がかり系の説明であることに留意が必要である。
つまり悟りには届いていないのだ。


『(1)精神集中時には、現在していること、気になっていること、およびそれらに付随した感情、あるいは近い過去で心に重大な影響を与えた事柄とそれに付随した感情等が雑念として湧いてくるが、瞑想時には、精神集中時に湧く雑念はかなり静まっており、それらとは違った若い時、あるいは幼少時の記憶、若い時あるいは幼少時に心に受けた強い印象、感情等が、時折雑念として湧いてくる。

換言すると、精神集中時には無意識の浅い層から雑念が、湧いてくるが、瞑想時には無意識の深い層から雑念が湧いてくる。

(2)前生からの想念
瞑想では、物理的次元の肉体の制約を離れ、部分的に自我の殻が破れた状態にあるから、現在の生とは違う前生の想念が、(意識+超意識)の複合体の中ヘ現れてくることがしばしばある。これも三味の境地から見れば一組の雑念に当たるが、その身心に及ぼす影響は、精神集中時の雑念より、強く、大きく、広い。

しばしば、前生の想念の出現によって、現在の自分の性格、体質の特徴、長所、欠点、がよく理解されることがある。その意味では、前生、今生を貫いた自分のカルマを超える方向を知ることができるチャンスが得られる。

(3)魔境
これはサイキックな雑念とも言うべきものである。物理的次元の肉体の制約を多少とも超え自我の殻を破るにつれて、物理的次元より高いアストラルの存在からの作用を受けることが生じてくる。

アストラルの存在がその想念、考えを修行者の心に吹き込み、その想念に従わせようとする場合がある。また、修行者の心に憑依し、修行者の身心を自分の意のままにコントロールしようとする場合もある。

このような憑依や働きかけが生ずる時、修行者は通常不安定となり、心身症か神経症状を呈する場合が多い。
あるいは、アストラルの存在を神霊と思い、自分は霊格を得たと錯覚する場合もある。

(1)若い時とか幼少時の印象、感情はそうしばしば出てこないし、それを払うには、それを傍観して、出るように出して気にかけないで精神集中の対象に集中を続けていれば、容易に消える。

(2)前生の想念が(意識+超意識)の複合体の中へ現れてきた時は、それをよく観察し、それの今生の体質、性格との関係、影響をよく理解するように努め、理解した後は、前生の想念に捉われることなく、精神集中の対象に集中を続けること。そうすれば、次第に前生の想念は出てこなくなる。

(3)魔境を払う方法
これは少々厄介である。というのは、アストラルの世界の存在(霊)が修行者に憑依したり、自分の意志に従わそうと働きかけるのは、修行者とそれに働きかける霊とが、霊的進化において同位、同種のものである場合が多い。従って、修行者が憑依する霊より、より高い霊位にあれば、水は高い所には達し得ないと同じ道理で、霊は憑依したり働きかけたりはしない。働きかけても、影響は小さい。不安定になったり、神経症になったりはしない。

時には、修行者の霊位より高い、しかも邪悪な霊が家のカルマ等によって働きかける場合もある。この場合も、同位の霊が働きかける場合も、自分が信仰している神仏の御名を唱え、『守り給ヘ』と心で一心に念ずることが一番の妙法である。第二番の法は、経典(例えば般若心経)、祝詞を唱えて、霊の働きかけを気にしないことである。平気でおることである。すると、影響が出ない。』
(超意識への飛躍/本山博/宗教心理出版P181-184から引用)


【チャクラと七つの身体-214】
◎アストラル体-83
2.アストラル体の性質-64
5. 死の世界だが、悟りではないということ-3個人的無意識の雑念・魔境の祓い方
(ザ・ジャンプ・アウト268)

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クンダリーニ・ヨーガは死の世界を扱う技術

2014-06-24 03:38:13 | ザ・ジャンプ・アウト
◎肉体死する人がすべて悟りを開くわけではない

クンダリーニ・ヨーガは、死の世界を扱う技術だというが、この厳しい生存競争を伴う現代社会においてそれは使える技術なのか。それは実益とは全く関係のない趣味の世界でのことではないのか。また、そうした死の技術の狙いは何なのか。

まず死の世界とは、肉体以外のエーテル体、アストラル体、メンタル体などの宇宙を言い、広義には、個人的無意識、集合的無意識、潜在意識なども含まれると見て良い。それは、夢の中で知らずにあくがれ歩く世界であり、また肉体より微細なボディの生息する異次元の世界をも総称して死の世界と呼ぶ。

ほとんどの人は死んだら終わりだと思っているが、人は死の世界に入ることにより、人生は実はそうした死の世界の一部分にすぎないことを知る。それでは、人生は実は死の世界の一部分であるとは、どんなイメージなのか。

要するに現代人が生の世界と考えているのは、肉体だけなのだが、七つの身体でいえば、半物質たる第二身体(エーテル体)から第七身体(中心太陽・大神)までは、死の世界なのである。この死の世界にはすべての他人、すべての世界、すべての時代が含まれている。

人間は、その死の世界から生まれ、その死の世界へ帰って行くのである。そんなイメージである。つまり現代社会の人間や人生についての通念とは逆のイメージとなる。

よく心霊・オカルト譚では、霊界の現象が現界へと移写されるというが、最初に死の世界においてできあがった出来事やビジョンがやがて現実化することを言っている。これをしても死の世界は生の世界の母胎なのである。 

現代社会は肉体の死が人間のすべて終わりであることを前提に組み上げられている。肉体死によって、財産も名声も家族も人間関係もすべて終わりとなるとして、法律も社会習慣もできている。つまり誰もが内心は死の恐怖に怯え、緊張をかかえながら、社会生活を送っているのだ。

人間は、肉体死が個別人間の終わりではないことを発見することによって、そうした緊張から解放された、気張らない生き方を実現できる。これもクンダリーニ・ヨーガの効用の一つである。

しかしクンダリーニ・ヨーガの効用は、肉体死の絶対視という偏見を取り除いたリラックスしたナチュラルで素直なライフ・スタイルの呈示に留まるものではない。

というのは、死には2種あって自我の死と肉体の死があるからである。

チベット死者の書を見ると自我の死と復活は、全員にチャンスは与えられてはいるというものの、肉体死によって必ず自我の死も起こして「悟り」を開くわけではないことがわかる。すなわち肉体死する人がすべて悟りを開くわけではないのだ。

【チャクラと七つの身体-213】
◎アストラル体-82
2.アストラル体の性質-63
5. 死の世界だが、悟りではないということ-2クンダリーニ・ヨーガは死の世界を扱う技術
(ザ・ジャンプ・アウト267)

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死の世界だが、悟りではないということ

2014-06-23 03:23:38 | ザ・ジャンプ・アウト
5.死の世界だが、悟りではないということ
 独存との違い 死の質の違い、アストラルの世界には独特の優勝劣敗の法、アストラル人間にも救いはない,尸解仙

独存とは、ウパニシャッドの用語である。独存により解脱がある。個である限り絶対はない。つまり人間である限り絶対はない。人間の側に永遠とか不窮はない。アストラル世界、アストラル体は個を抜けることはない。
これぞアストラル体は死の世界だが悟りではないということ。

サーンキャ・カーリカーの第68頌の註には、「身体の分離が達成され、目的が果たされたことで主要なるものの活動が停止したとき、〈自己は〉決定的、つまり必然的、かつ絶対的、つまり無媒介の、という独存に達する。」つまり独存とは、第六身体=アートマンのことなのであって、身体が分離しても第三身体であるアストラル体にとどまる限りは悟り=解脱ではない。

○クンダリーニ・ヨーガは死の世界を扱う技術
○個人的無意識の雑念・魔境の祓い方
○世界の転換のバリエーション
○不死なるチャクラ、死すべきチャクラ
ダイアン・フォーチュンのセクシュアル
○聖者惨殺
○アストラル人間にも救いはない
○尸解仙
マイクル・クライトンの冒険

【チャクラと七つの身体-212】
◎アストラル体-81
2.アストラル体の性質-62
5. 死の世界だが、悟りではないということ-1
(ザ・ジャンプ・アウト266)

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風も雨も雷も暑熱も激烈な時代

2014-06-22 03:56:59 | ザ・ジャンプ・アウト
◎星も雲も風も気なり

風も雨も雷も暑熱も激烈な時代になった。

中国古代では、雲も天地の気の一種と見て、更に風も天地の気の流れと見ていた。その上天体も、列子天瑞篇にあるように、日月星辰もまた積気(天)の中で光輝を持つものであるとし、気の一種であるとされた。

つまり、星も雲も風も気の一種と見ていたのである。気とはプラーナのことであり、半物質たるエーテル体レベルを第一義とする。

古代ローマでも星辰は、人の死後、魂が上昇した先という考え方であり、これはアストラル体レベル以上を想定した。

現実を形成していくパワーは、より精妙なボディの次元でより強い。このことは古代中国でも古代ローマでもきちんと把握されていたに相違ない。

肉体レベル、物質レベルで、風も雨も雷も暑熱も激烈になったということは、アストラル体レベル、メンタル体レベルでの修祓がすでに激烈に始められているという兆候であるように思う。

修祓の最たるものは、ノアの洪水であり、汚れたものを天変地異にて清め祓うことである。ノアは修祓、ナオは復興。

【チャクラと七つの身体-211】
◎アストラル体-80
2.アストラル体の性質-61
4.死の世界を扱う技術-13風も雨も雷も暑熱も激烈な時代
(ザ・ジャンプ・アウト265)

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中国五岳

2014-06-21 03:50:58 | ザ・ジャンプ・アウト
◎空間のアストラル・コントロール

中国ツアーは現地で実際に見聞する段になると、いろいろな意味で著しく消耗することがある。中でも中国の五岳に登ろうとするなどは、相当に気合が入らないとできない技ではある。五岳は、嵩山を中心に全体にほぼ十字に並ぶ、奇岩巨石の多い峨々たる山である。高さだけ見れば、どれもせいぜい標高1~2千メートルであり、登山としては大したことはないが、すべて岩山であるところにパワースポットである条件を見る。日本にも山頂がピラミッドになっているところは多い。

五岳真形図(五岳をシンボライズした御符)は、漢代にはもう現れていたようだから、あの広大な中国をパノラマ的に霊視またはアストラル・トリップして五つの山のパワースポットを選定した道家の力量には敬服したい。

1.北岳・恒山
恒山は、山西省渾源県城の南にあり、標高2017メートル。4千年前五帝の一人が諸国巡察時に、ついに北岳・恒山に至ったという記録がある。

2.西岳・華山
華山は、陝西省華陽県にあり、標高2160メートル。この山は五の峰に分かれている

3.南岳・衡山
衡山は、湖南省衡山県にあり、標高1290メートルと低いが、長沙から車で3時間ほどと登りやすい位置にある。標高が低いせいか四季がある山。蒋介石の別荘まであった。

4.東岳・泰山
泰山は、山東省泰安市にあり、始皇帝を始め歴代の帝王が封禅をとり行った山。標高1545メートル。五岳の第一はこの山に尽きる。 山上には寺が22、石碑819、摩崖石刻1018もありにぎやかなことである。

5.中岳・嵩山
嵩山は、河南省登封市にあり、標高1440メートル。嵩山西部北麓には、少林寺がある。 達磨は、少林寺で面壁九年の禅を行ったといわれる。嵩岳寺は北魏に創建した古刹。

【チャクラと七つの身体-210】
◎アストラル体-79
2.アストラル体の性質-60
4.死の世界を扱う技術-12中国五岳
 (ザ・ジャンプ・アウト264)

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鬼門とアストラル体

2014-06-20 03:46:39 | ザ・ジャンプ・アウト
◎アストラルな方角

山海経に鬼門の起こりが書いてある。

昔、東海に度朔山という山があり、その山の上には、三千里の広さのある大きな桃の木が生えていた。その東北側の枝がちょうど門のようになっており、その門から色々な鬼が出入りするのでこれを鬼門と言った。

鬼門には、神荼、鬱塁という二柱の神がいて、そこを通る鬼をチェックしていたが、害をなす悪鬼は葦で作った縄で捕らえて、飼っている虎に食べさせたために、いつも平和が保たれていた。

これを知った黄帝は、この二神に礼を行い、人々の家の門に大きな桃の木を立てて、戸には二神の像と虎とを書いて葦で作った縄を欠けて、悪鬼の襲来を防がせることにした。

これだけでは、単なる風俗の起源の説明であるが、魔が東北から襲来することは、様々なスピリチュアル体験記でしばしば目にするところであり、合わせてカスタネダが人間の知覚の集合点が肩甲骨の後方つまり、西北にあると述べていることなどを合わせると、どうもこれらの、おそらくはアストラル体上の方位の性質をまとめたのが八卦ではないかと思えるところがある。

つまり、人間が南に向いて坐した場合、八卦の乾の方角である右肩後方に知覚の集合点があり、艮の方角である左肩後方に鬼門があるということにある。

これは思いつきだが、どうもアストラル体には、このような方角に対する固有の性質があり、それをまとめたのが、易経や奇門遁甲であるのではないか。とりわけ、周易繋辞伝や説卦伝はそのつながりを詳細に述べているような印象がある。

また出口王仁三郎の見るように、地にも諸星あれば、特定の土地や方角に吉凶禍福があるのは当然とも言える。


【チャクラと七つの身体-209】
◎アストラル体-78
2.アストラル体の性質-59
4.死の世界を扱う技術-11鬼門とアストラル体
 (ザ・ジャンプ・アウト263)

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出口王仁三郎の霊的宇宙

2014-06-19 05:19:22 | ザ・ジャンプ・アウト
◎(アストラル体宇宙・メンタル体宇宙)俯瞰

霊界物語第四巻第46章神示の宇宙によれば、出口王仁三郎の霊的宇宙観は次のようなものである。

1.小宇宙が五十六億七千万個集まって、これを大宇宙とする。

2.一個の小宇宙は大空と大地に分かれる。

3.大空には太陽および火星、水星、木星、金星、土星、天王星、海王星その他億兆無数の星がある。

4.大空と大地の間を中空と呼び、ここには、太陰(月)及び北極星、北斗星、オリオン座の三ツ星等がある。
太陰の形は球であり、半面は水にして透明で、他の半面は全く火球である。北斗星は、天の瓊矛であり、大空の中北部に位置を占めて、太古のまま日、地、月の安定をサポート(保維)して居る


5.大地には、地球と地汐(ちげき=地の月)、地星が大空の星の数と同様に地底の各所に撒布されている。
(以上霊界物語第四巻神示の宇宙から)

さらに以下の文より、大空と中空の諸星はアストラル体またはメンタル体のこととわかる。
『大空の諸星は、皆一霊四魂を各自に具有し居るものなり。
 しかして太陽の一霊四魂を厳の身魂と総称し、かつ霊主体従の身魂ともいふなり。故に大空は霊を主とし、体を従とす。大空中に懸れる太陽、太陰および列星は、皆幽体を以て形成られあるなり。ゆゑに太陽、列星の中に鉱物ありと雖も、大地のごとく堅からず、重からず、その重量に非常の差あるを知るべし。』(霊界物語六巻 体五霊五より)

さてこの世の大峠に於いて、地軸はずれて、全世界は洪水に襲われるが、この惨状を救済すべく、大国治立命は、伊邪那岐尊および伊邪那美尊に命じ、天の瓊矛を賜ひて黄金の天の浮橋に立たしめ、地上の海原を瓊矛を以って掻きまわさせ、地球を修復させたという。(霊界物語第六巻 天の瓊矛)

天の瓊矛は、中空の北斗七星のことであり、宇宙修理固成の神器であるとは、何のことか。
天と地の間にあって、それをつなぎコントロールし得るものであるから、天の瓊矛とは、
クンダリーニのエネルギーコードのことではないか。
また黄金の天の浮橋とは、黄金のサハスラーラ・チャクラ、また北斗七星とは七チャクラのこととすれば、クンダリーニ・ヨーガの素材でぴったり充てることができる。

出口王仁三郎は、『生言霊に使用すべき天の瓊矛なる舌は』(霊界物語77巻 剣槍の雨)とあり、クンダリーニのエネルギーが言霊として作用することも語っている。

さてここで本題である占星術を考えると、占星術で扱う天体とは、大空と中空の天体ということになる。つまりアストラル体宇宙、メンタル体宇宙の天体を見る技術が本来のものだろうと思われる。

つまり死の世界に位置するアストラル体宇宙、メンタル体宇宙の天体を直観するために物理的天体の位置をホロスコープに置くという操作が占星術の本筋ということになるのではないか。

【チャクラと七つの身体-208】
◎アストラル体-77
2.アストラル体の性質-58
4.死の世界を扱う技術-10出口王仁三郎の霊的宇宙
 (ザ・ジャンプ・アウト262)

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アトランティス人の身体

2014-06-18 03:38:43 | ザ・ジャンプ・アウト
◎両性具有者の起こり

エドガー・ケーシーのリーディングによれば、アトランティス人は、その濃密な大気の中で、最初は肉体を持っていなかったらしい。初めは肉体は持っていなくて、想念体しかなかった。想念体とは、文字通りならば、メンタル体だが、おそらくアストラル体のことを言っているのではないか。

アストラル体の人々であるから、思った瞬間にその肉体を思ったとおりに伸ばしたり縮めたりできる。このアストラル体人間は、肉体を持つ人間が段々増えるに従って、部分的には人間の形をとっていたが、必要に応じて鳥や魚、獣などの形の部分がある人が増え始めた。

また大きさも小人から巨人まであり、巨人とは3メートルから3メートル半の身長のものを云い、アダムは、こうした巨人の中で、最も理想的とされる巨人であり、両性具有だった由。

最初のうちは両性具有者だけだったが、肉体を持つ人間が段々増えるにつれて、次第に男女が分化していったようだ。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感は、肉体を持つ人間の特徴であり、アトランティス初期のアストラル体人間にとっては、意味がなかったことになる。

また両性具有は想像の産物ではなく、霊界のプロトタイプでもなく、史実であったらしいことに錬金術の両性具有の水源がこのあたりにあることを推察できる。

よくアトランティスの時代の思い出を語る前世記憶ブログがあるが、こうしたアストラル体人間を前提とした思い出ストーリーに仕上がっているのだろうか。例の未来透視実験での四つの未来の如く、過去を霊視した場合も過去が4種類程度はあっても不思議ではないのだが。

アトランティスでの最初の大破壊の時代以前は、すべての人は白い石(ツーオイ石か)を介して宇宙意識とつながっていたとのリーディングがあり、神社の御神体や仏舎利はそれとシンクロしていることから、組織宗教のプロトタイプが10万年以上前からあったことになる。


【チャクラと七つの身体-207】
◎アストラル体-76
2.アストラル体の性質-57
4.死の世界を扱う技術-9 アトランティス人の身体
 (ザ・ジャンプ・アウト261)

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サンジェルマン伯爵行状

2014-06-17 03:34:20 | ザ・ジャンプ・アウト
◎アストラルな分身

サンジェルマン伯爵という謎の人物は、18世紀初めに出現し、19世紀初め頃までには欧州を中心に闊歩していたらしい。出現した地域は、ロシア、フランス、ローマ、カルカッタ、ロンドンと文字通り世界を股にかけている。

『『列国の王のスパイ、サン-ジェルマン伯爵』という優秀な論文でクーパー-オークレー夫人は、この驚くべき人物が、一七一〇年から一八二二年までの間に偽ったもっとも重要な名前をリストにしている。

「この期間に」と夫人は書いている。「サン-ジェルマン伯爵は、モントフェラ侯爵、ヴェニスでベラマレ伯爵やアイマル伯爵、ピサでシェニング士爵、ミラノとライプチッヒで、ウェルドン士爵、ジェノアとレグホーンでソルティコフ伯爵、シュパルバッハとトリーズドルフでツアロジ伯爵、ドレスデンでラゴッツィ王子、パリ、ロンドン、ザンクト-ペテルブルグ(レニングラード)では、サンジェルマン伯爵だった。」。

歴史家がサン-ジェルマン氏の生涯の大使命だと見なした政治上のスパイ活動のために、伯爵がこういった種々の名前を用いたことは明白である。

サンジェルマン伯爵は、中背で均整のとれた体つきをし、よく整った好もしい容貌だったと記されている。顔色はちょっと浅黒く、髪は黒かった、か、よくおしろいをつけていた。衣服は簡素で普通は黒地だったが、よく似合い、最高級のものだった。

明らかにダイアモンド狂で、指輪だけでなく、鎖付き腕時計、嗅ぎ煙草入れ、留め金にもダイアモンドを付けていた。ある宝石商はかつて伯爵の靴の留め金の価格を二十万フランと見積っている。

伯爵は全体に皺が全くなく、肉体の衰えもない中年の人として描かれる。肉を食べず、ワインも飲まず、実際めったに他人の前で食事をとったことがなかった。

彼はフランスの宮廷の少数の貴族からいかさま師でぺてん師だと見なされたが、彼の悪口を言ったある廷臣をルイ十五世は厳しく譴責した。彼の態度の特徴をなす気品と威厳は、あらゆる事態を完璧に掌握する力とともに、「礼儀作法に適った生まれ」の人が持つ生来の洗練された教養の証拠となった。

また、この驚嘆すべき人物には尋ねられる前から審問者の質問をこの上なく詳細に見抜く力もあった。テレパシーのようなものにより遠い都市や国家で自分が必要とされる時を感知することもできたし、扉を利用せずに、自室や友人の部屋に姿を現わすだけでなく、そこから同じようにして出て行くという驚くべき習慣もあった。』
(カバラと薔薇十字団/マンリー・P・ホール/人文書院P287-288から引用)

更に、彼は冥想もやっていた。
『サン-ジェルマン伯爵は東洋の秘教の原理に完全に精通していた。東洋の瞑想を集中の体系を実践し、数回はヒンドゥー教徒のような姿勢をして座禅を組んだ。ヒマラヤ山脈の中心に隠退所を持ち、そこで彼は時折世間を離れて暮らした。あるとき、インドで八十五年間ずっと居て、それからヨーロッパでの仕事場に戻ると断言した。

いろいろな折にふれて彼は自分より高度で偉大なるある力の命令に従っていることを認めた。彼が言わなかったことは、この卓越せる力が明確な使命を果たすために彼を世に送り出した「密儀」の学派であるということだった。

サンジェルマン伯爵とフランシス・ベーコン卿は過去千年間のうちで「密儀団体」によって世に送り出された最高の二人の密使なのである。』
(同上書P289から引用)

大体こういう人は、世間に痕跡を残さずに活動するものなのだが、サンジェルマン伯爵は意図的に痕跡と記憶を残して活動してみせたということだろう。

分身を用いる場合は、不慣れな場合は、アトウォーターみたいに下手をうつことがあるが、彼はその点手練れであって、そのご神業に寸分の隙も見せなかったということだろう。

そしてこの手の人物の常として、彼と出会うことを本気で希求すれば出会うことも可能なのだろうと思う。

【チャクラと七つの身体-206】
◎アストラル体-75
2.アストラル体の性質-56
4.死の世界を扱う技術-8 サンジェルマン伯爵行状
 (ザ・ジャンプ・アウト260)

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臍の下の裂け目

2014-06-16 03:31:28 | ザ・ジャンプ・アウト
◎死期を見る

ドン・ファン・マトゥスが、カルロス・カスタネダの友人に死期が迫っていることを見た。

『「わしは、死が外部の力として早くもお前の友達をこじ開けているのを見た。」とあの時ドン・ファンは言った。

「われわれには一人残らずエネルギーの裂け目がある。臍の下にあるエネルギーの亀裂だ。呪術師が隙間と呼ぶこの亀裂は、人間が元気で若々しい時は閉じている。」

ドン・ファンによると、普通は呪術師の目にさえ、せいぜい白っぽく光る輝く球体のなかの不透明な褪色部分としか見えない。

しかしその人間に死期が迫ると隙間がくっきりめだってくる。ドン・ファンは私の友人の隙間が大きく開いていると断言した。』
(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房から引用)

臍の下にあるエネルギーの亀裂とは、マニピュラ・チャクラのことだろうか。ここはアストラル体の出入り口なので、死期が迫るといわゆる霊的能力が開け、霊(アストラル生物)と交流することがあることを言っているのだろうか。

若くて元気な人には隙間が開かないと言うのは、そんな人には通常はそんな感じの霊感はないことを言っているように思う。我々の生活実感として霊能力者はとても少ないことからそんなものだろうと思う。

常習的にテレビ・ゲームをやる子供の中には、マニピュラ・チャクラが開いてしまう子供がいると聞くが、健全な精神が健全な肉体に宿るべき若者にとっては、そうしたことは害はあっても無用の能力なのではないだろうか。

これは、人生の最終ステージにあって、次のステージののぞき窓がちょっと開く、そんな感じのことではないだろうか。

【チャクラと七つの身体-205】
◎アストラル体-74
2.アストラル体の性質-55
4.死の世界を扱う技術-7 臍の下の裂け目
 (ザ・ジャンプ・アウト259)

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