アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

チベット死者の書とニルヴァーナのプロセスとテクニック

2013-10-31 05:59:54 | ザ・ジャンプ・アウト
◎チベット死者の書とニルヴァーナのプロセスとテクニック

七つの身体論の輪郭について触れることのできる基本的な文書が2種類ある。一つはチベット死者の書であり、もう一つは、「ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ」である。

チベット死者の書では、人間の一生の終わりである死を題材にしている。人間の死から再生までの中有を含めた段取りが一歩一歩順序良く描かれており、人間のまとう身体の種類と登場する順番の概要を知ることができる。そして何よりも原初の光なる窮極に如何にワンタッチしていくかを、常に忘れずにトライすべきことが気配りされている。

これに対して「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」では、通常の誰にでも起こる死を題材に採るのではなく、ある特殊な冥想技法により、肉体死を意図的に発生させ、エーテル体宇宙を飛び出し、アストラル体宇宙を突破し、メンタル体宇宙をも超え、コーザル体をも振り捨て、世界が一つであるアートマンに入り、それすらも越えモクシャ、ニルヴァーナなる中心太陽に突入する。そしてその体験とはいえない体験の後、なんと個生命・個人として帰還してくるという七つの身体総まくりなエピソードが展開されている。

七つの身体を総覧する記述は残念ながらウパニシャッドにはなく、上昇というキーワードや微細身(エーテル体、アストラル体、メンタル体)は、ばらばらに散りばめられているが、全体の印象をつかめるというほどではない。

明治から昭和にかけての大クンダリーニ・ヨーギと言えば出口王仁三郎で、意図的な死の修行を6度も繰り返し、必ずやエッセンス中のエッセンスを把握していたに違いない。だが、時代的な背景もあるせいか、また教団が神を知る手段として最初のうち憑依・神懸などの技法を中心に据えていたせいか、ニルヴァーナである無我には言及されているものの、七つの身体の構造的な理解にはあまり関心が向けられなかったようだ。

◎チャクラと七つの身体-13
◎七つの身体 総論-2
◎チベット死者の書とニルヴァーナのプロセスとテクニック
【ザ・ジャンプ・アウト 070】
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七つの身体 総論

2013-10-30 06:00:28 | ザ・ジャンプ・アウト
◎七つの身体 総論

七つの身体論は、現在の肉体人間だけが人間であるという、社会通念に基づく科学からすれば、キワモノにしか見えない。しかし通常の人間は肉体人間に止まるものではないことの証拠となる、とある超能力を有している。

それが背後から来る他人の視線を感じるという特殊な能力のことである。われわれが単なる肉体人間であれば、見えも聞こえも臭いも味もなく、触れもできない、背後から来る他人の視線を覚知するセンサーが肉体ではないことを、誰もが容易に想像することができるのではないかと思う。

さて七つの身体の基本的な説明は次のとおり、


①第一身体
肉体。 物質。

②第二身体
エーテル体 経絡に相当する。エネルギーコードの骨格(傘の骨みたいな形)というものに近いと言われる。
気合、意思力、勇気、体力などの根本的源泉。半物質。

③第三身体
アストラル体 幽体と呼ばれる。肉体に相似した形。これ以上は物質次元ではない。

④第四身体
メンタル体 高次の感情と精神活動を司る。透明で光輝いていると言われる。

⑤第五身体
コーザル体 肉体と世界を形作っている最後の個別性。球形の光と見えると言われる。

⑥第六身体
アートマン 個別性即ち我はなくなったが、『在ること』=有が残っている状態。

⑦第七身体
ニルヴァーナ 涅槃。なまえもなく、言葉では説明できない。

七つのチャクラが存在するのはメンタル体までなので、七つのチャクラが世界全体を示すシンボルというわけにはいかない。世界全体を示すには、七つの身体論こそが必要かつ十分なのである。


◎チャクラと七つの身体-12
◎七つの身体 総論-1
【ザ・ジャンプ・アウト 069】




【七つの身体関連リンク】

ウパニシャッドの輪廻転生(説明をはぐらかす)

久高島の神アシャギ前の七つ橋(神とチャクラの間を疾走)

ジェドの柱(Djed Pillar)(アンク十字架と日輪盤)

不死なるチャクラ、死すべきチャクラ (神に対する敬虔)

共感覚者と変性意識 (七つの身体と感覚)

一無位の真人-1(糞かき棒に成り下がる)

深層意識研究のロードマップ(心理から七つの身体へ)

虹の身体 (まず死から)

聖なるポイマンドレス(永遠の光との合体)

記憶-自由へのゲート(過去すらも変える)

自我の結晶化と第五身体(願望実現と謙虚さ)

プロティノスの脱身 (神々の間に居場所をもつ)

霊能力者の見るボディの正邪(見ている自分を最後まで手放せない)

宇宙人とUFO(現代人の世界観のすき間)

生を出て死に入る(柔弱は道の要なり)

身口意 (不死の境地)

6.悟りへの階梯-25(死の世界を扱う技術)

6.悟りへの階梯-12(クンダリーニ・ヨーガのステップ)

精神世界の可能性 (今は単なるファンタジー)

ゴーピ・クリシュナの悟りへの道 (既成組織宗教の末路)

サナート・クマラの正体 (鞍馬山の闇の帝王)

ヘルメス文書-4(ヘルメス文書の世界観)

解脱の定義-3(大乗の大般涅槃経-3)

冥想の深浅高低-12(冥想十字マップ-2)

冥想の深浅高低-10(冥想の縦軸と横軸)

冥想の深浅高低-1 (ヨーガ・スートラの定と三昧-1)
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にわか近代西欧文明下の日本が個人主義に苦悶する

2013-10-29 05:57:10 | 時代のおわり
◎おひとりさまの楽しくない末路

覚者にとっては、自分のために世界があるのではなく、世界のために自分がある。これが正統的な見解である。

正統的な見解に至るためには、人は自分を死ななければならない。自分を死ぬときに自分はたった一人で死ぬ。死ぬときは一人で死ぬものだ。

多くのスピリチュアリストが主張するように、現代社会には悟るまで紙一重の人が大勢いるのであれば、彼ら彼女らは最終ステージ一歩手前にあっては、すべて孤独に突き落されなければならない。

大悟するためには、準備ができていなければならないが、かといって、準備のできていない人々を救いようのない孤独に落とせば、不幸な結末を招くだけに終わりかねない。

さて東洋での人と神仏の接近の仕方は、人の内的プレッシャーを冥想や修行の道などにより、徐々に緩和していき、最後に神仏と合体しようという方向性を持つように思う。

これに対して西洋での人と神仏の接近の仕方は、原罪意識などで、人間の意識に対してこれでもかこれでもかと内的プレッシャーを高めさせ、最後に自意識を破裂させることで神仏との融合を図ろうとするところがある。

こうした心理的傾向のコントラストの下で、東洋では社会は集団主義、家族主義というものが伝統的に基調となっていた。要するに平素から他人との間に心理的障壁を設けずに付き合うことが自然な社会だった。

一方西洋では、まずは個人が厳然としてあり、子供も幼少期から一人部屋に寝かされて、一日でも早く一人前の自我の確立した個人となるべく期待され、他人との関係も契約であり、結婚も個人対個人の契約である。西洋においては、このように個々人が分断された社会がかなり古い時代から成立していた。

悟りを促進していく観点からは、東洋では意識のガス抜きをどんどん進め、西洋では意識のハイプレッシャーを更に高めるという方向になる。

こうした方向性のもとに近代西洋文明では、悟る目のある人も悟る目のあまりない人も、個々人が分断され孤独に暮らす社会で、必要以上に孤立から来るところの絶望に陥らないような制度や慣習としてのショック・アブソーバーがある。欧米では、そうしたショック・アブソーバーが伝統的に機能していたし、ある程度機能していると言える。

一例として大原照子さんの経験した英国の例を挙げる(出典:英国式スローライフのすすめ/大原照子/大和書房)。 

まず英国バースでは、つれあいに先立たれたり、独身を貫いた孤老7人が、留学中の彼女と同じアパートに住んでいた。彼らは縁戚ではなく、赤の他人同士。庭の手入れや家屋の維持、車の運転などが面倒になって、一軒家でなくアパートに越してきたらしい。

住民全員が、人懐こくて毎日11時や午後4時のお茶の時間に談話室に身なりを整えて集まり、おしゃべりをひとしきり楽しむ。

ケンブリッジでは、部屋にはテレビも電話もなく地味で堅実で、お金を使わないことが美徳で、清貧な学究生活であって、パリやロンドンの派手な消費ファッション生活とは無縁だった。古いものを大切にして美しく暮らす。

ロンドンのフラットでは、住民がほとんど老人たちであって、メイド2人(洗濯、掃除、アイロンかけ)とポーター3人(部屋のゴミ出し、コンシェルジェ(荷物もち、郵便物預かり、タクシー呼び出し、買い物代行等))が常駐。

英国の老人は、どの人も個性豊かで、いきいきはつらつ、自分勝手で生きたいように生きている感じ。グチはあまりこぼさない。ブランドものは誰も持っていない。高級車や高級住宅の話題も出ない。興味のあることにしかお金をかけない。

友人知人づくりが上手で友人との関係を大切にする。親子関係は、ウェットでなく、気持ちがいいほどサバサバ。孫子と一緒に住まない一人暮らしをあまり寂しがらない。徹底した倹約ライフだが、自分の能力特技を生かし生涯ボランティアの精神で、いつも笑顔を絶やさない。

結婚しない60代70代の男女のお付き合いには精神的、経済的、体力的(腕力)な自立が必要。自分なりの金銭哲学が経済的自立には必要。一通りの家事は自分でこなす。介護が必要でもひきこもらず家族に頼らない。揺りかごから墓場までという英国の福祉は特に老人に厚いようだ。

愚痴や不満は言わない。アパートの住人達が無料での使用権を持つ公園(通常は有料)が存在する。孤独の中に老いと死を受け入れる態度がある。

大原照子さんの体験をまとめると、老いて孫子など家族と同居せずに暮らすほどに家族の絆が薄いということ。そして、ポーター・メイド付のアパートなど独居老人が不自由なく生活できるインフラがあり、大概の老人医療費は無料になっていること。そして老人自身が血縁のない友人と楽しく過ごす心がまえと慣習を持っていること。

英国では孤独に老いることについて社会福祉制度も手厚いし、孤老が楽しく過ごすことについて社会の理解もコンセンサスもある。これぞ個人主義の伝統といえよう。

これに対し日本では、農業中心社会から急速な核家族化の進展により、家族内ですら、孤立し、最近は失業率の増加、離婚率の増加、生涯結婚率の低下により、若者、中高年、老年を問わず、個々人が分断されたライフ・スタイルの下で、将来の孤独死の可能性を不安に思い、日々一人で苦しむ人間がとても多くなった。

これは、孤独に快適に暮らす社会インフラの未整備や社会的コンセンサスの不足から来るところであるが、明治期に脱亜入欧をやった連中がここまで想像しえただろうか。それとバブル期以降の政治家が日本の雇用制度を破壊し、非正規雇用が半数に至るまで放置したのが決定打となったのだが、規制緩和の名の下に日本社会がこれほどまでに孤独と絶望に冒されて「じっと手を見る」ではなく、「じっとスマホを見る」人ばかり多くなることを誰も考えなかったのだろうか。

日本社会が一生を個人主義で生き抜くことのできる社会になっていないことは、冥想環境としては好ましいことではない。

万人にとって今生のテーマが悟りを開くことというわけではない。それをテーマにしない人も相当数いるのだ。


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OSHOの語る占星術の本質

2013-10-28 03:56:37 | 占星術  (冥想法6)
◎天意・神意から

OSHOの語る占星術の本質とは、こんな感じ。

占星術はかつては完璧かつ膨大な科学であり、いまそのほとんどのノウハウは失われてしまった。崩れ落ちた城砦から全盛期の威容を想像するのが困難であるように、往時の占星術の全容を知ることは困難である。

占星術は三つの部分から成る。
第一の部分は本質であり、変えられないもので、最も理解しがたい部分。
第二の部分は中間層であって、その層の中は望むように何でも変えられる部分であり、準本質的な部分である。ただしやり方を知らなければ何も変えられない。
第三の部分は、最も外側の部分であり、誰もが非常に興味を持っている部分だが、非本質的な事柄である。

占星術は未来に関する学問だが、未来を知るためには過去を知る必要がある。過去とは、肉体上の刻印や、生誕時の星の位置であり、母親が受胎した時の星の位置である。

過去のすべてに気づけば未来に気づくことができる。過去の記憶の痕跡を開ける技術と手法がある。これは思い出すのでなく、追体験する手法だ。未来と過去は一体となってつながっている。過去の自分は未来の自分とつながっている。

また全宇宙は一つの体であり、何物も単独なものはなく、すべてが結びついている。

これが、OSHOバグワンの見る占星術の全容(参考:隠された神秘/和尚/市民出版社)。


占星術の第一の部分とは本質であり、天意・神意のことであると思う。
占星術の第二の部分を操作する技術こそがクンダリーニ・ヨーガでしょう。

「全宇宙は一つの体であり、何物も単独なものはなく、すべてが結びついている」とは、アートマン=有のことであり、人間が死ねば必ず戻って行くところのものである。アートマン=有であるからには、そこには過去も未来も含まれている。

過去を思い出すのではなく、過去を追体験する技術とは個人の過去世記憶をたどるのではなく、アートマンに直接アクセスして過去の記憶を追体験するのだろうから、アートマンへのアクセスが自在にできることが要件であると思われる。

よって占星術の全容を議論するに足る資格というのは、死の世界を知り、神たるアートマンを最低でも見た事(見神・見仏)のある人物であり、見神・見仏が最低条件となっているからには、神意・天意を承知していることが、必須資格となっているのは、当然と思われる。

今のデパートなどで商売している占星術者の見神・見仏体験の比率はどうなんだろう。


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一休宗純念仏門に帰依す

2013-10-27 08:27:23 | マントラ禅(冥想法7)
◎親鸞の法は天下一なり

自戒集によれば、長禄元年(1457年)の冬至に、紫野大徳寺の兄弟子養叟のやり口があまりに出鱈目なことに憤慨して、一休宗純は、法華宗(念仏門)に入信したと明記がある。

更にこの著名は、一休宗純ではなく、「法華宗純」となっていて、本気の改宗であることのダメ押しとなっている。一休は63歳にして禅宗を捨てた。
(一休和尚禅宗第三巻 自戒集・一休年譜/春秋社P254)

このあたりから蓮如との交流が始まり、一休68歳の時、親鸞上人200年遠忌にあたり、大谷本廟に招待された。一休は、蓮如に請うて親鸞聖人の画像をもらい受け、次なる賛をつけた。

『末世相応のこころを

襟巻のあたたかそうな黒坊主
こいつの法(のり)は天下一なり』
親鸞の法が天下一であるとお墨付きを与えたのだ。

ダンテス・ダイジはこの改宗の原因について、「禅の結跏趺坐と念仏の姿勢を比べてみれば、どちらが楽な姿勢かわかるだろう」と解説している。禅のように知で押し詰める冥想と自分をオープンにして感情の高まりで行く冥想と比べれば、老境に於いては情で行く方が楽だと言っているように思う。

更に一休は臨終に際して、弟子に遺言するには、「念仏の中陰(四十九日の法要)を蓮如にしてほしい」と。遺言によって、一休の弟子は蓮如上人に念仏を頼むのだが、蓮如はこれを断って曰く、法は現身に説くものであって死んでからでは意味がない、と。

一休の改宗は、今の禅宗の人にとっては外聞の良いものではないだろうからあまり世間では言わない。漫画にも、一休が南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とやっているところは出て来ないのではないか。


一休道歌 
成仏は異国本朝もろともに 宗にはよらず心にぞよる

彼は、このように宗派なき冥想を体現していた。


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ネオ わび・さびへ

2013-10-26 07:40:02 | ザ・ジャンプ・アウト
◎ネオ わび・さびへ

第二のモチベーションとは、もはや天国的幸福に飽き足らない、あるいは感覚刺激による満足が何の意味もないというということで起こる。

日本は幸運な国であって、歴史的に見て国を挙げてトップダウンでもって第二のモチベーションに取り組もうとする時代が存在した。
それが戦国時代末期である。

わびさびムーブメントは一つの大きな実験だった。利休をリーダーとして太閤をして黄金の茶室を捨て、柿のへた茶碗に向かわしめんとすることを手はじめとし、社会全体をトップダウンで第二のモチベーションに向かわしめようとした。

わびさびとは、もともと何の価値もない土くれを焼くことで高く流通させ、太閤が大名の褒美の領地替わりに茶道具を出すことで安く上げたという性質のものではない。

久松真一の茶道に対する評価は、けれん味なくわびさびこそ第二のモチベーションを刺激するものだとして迷いがないことに驚かされたものだ。千利休が悟っているとかいないとかにこだわっていないのだ。

戦国時代はいざ知らず、現代では、何か夢の実現を次々と求め続けて行くことは、結局自分自身が絶望に追い込まれてしまうことを無意識のうちに知っている時代。

無意識ではそうだが、意識では全く逆の欲望を次々と喚起させそれを追い求めようとするコマーシャリズム・プロパガンダが全盛である時代であり、社会通念である。

釈迦は、死体がどんどん腐敗崩壊する様を仔細に観察させる不浄観が悟りの早道であるとして、弟子たちに大いにやらせたところ、弟子たちは、ひどい厭世観に陥り、刀や薬物や首つりなどで自殺する者が多数出た。ある日、釈迦は急に弟子たちの数が急減したことに気づいて、不浄観をやめさせたという故事がある。だが、現代人にあっては、そんな厭世観を意図的に作り出さなくとも、その知性でもってそんなことは百も承知な時代。

龍樹の中論では、空を論理的に説いたが、現代人は空つまり天国的幸福が絶対でないことを感覚的知的に知っている時代。

第二のモチベーションの前提を、厭世観、虚無感、不条理にあることを感じることが必要なのだなどという知的世界観の問題にすり替えると、事の本質を簡単に捕まえることはできにくくなると思う。第二のモチベーションを価値観の問題や世界観の問題と捉えれば、それは第一のモチベーションつまり感覚刺激の満足を求める繰り返しを一歩も出ることはない。事は世界観の問題ではなく、世界そのものの問題だからである。

また悟りという体験を求めるという願望ですら、意図的な願望の実現の一種であって、第一のモチベーションを出ておらず、最後には覚醒の邪魔になることを考えると、全くの虚無にある人に対して、教条的に悟りだ、ニルヴァーナだと目標みたいなものを呈示することですら、意味がなかったり危険なことになりかねないケースもあるのだろうと思う。

日本は戦国時代に、トップダウンによるわびさびで社会全体を王道楽土に変ぜしめんとしたが、今や草の根・一人一人からのネオわびさびで、万人が幸福である時代の実現が待望されている。

◎クンダリーニ・ヨーガの全貌-37
◎ネオ わび・さびへ
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一霊四魂:直霊なるものは、時に非るもの

2013-10-25 04:21:25 | ザ・ジャンプ・アウト
◎一霊四魂と7チャクラ

古神道では、一霊四魂三元八力であって、七つの次元七つのチャクラ説にストレートに照応する数字は出て来ない。

出口王仁三郎の本教創世記より、
『第八章
   明治三十七年一月二十日
 幽の幽に在ります神は、天之御中主大神、及び別天神(ことあまつかみ)る。
 幽の顕に在ります神は、天照大神、素盞嗚命(すさのおのみこと)等の大神である。
 顕の幽に在ります神は、大己貴命(おおなむちのみこと)等である。
 顕の顕に在ります神は、皇孫命(すめみまのみこと)である。

 神道の大意を知らんとするものは、右の区分をよろしく了得しおかねば、神理を学ぶに当たって迷う事あれば、特に記載したる次第である。
 
四魂は、荒魂と和魂と奇魂と幸魂とをいうのである。しかし
て荒魂にも直霊(なおひ)なるものの守りがあり、和魂にも直霊の守りがある。奇魂にも幸魂にも直霊がある。

 直霊なるものは、神典にいわゆる神直日大直日神である。
「省る」という心情は、すなわち神直日・大直日の働きである。
 「霊」はヒと訓ず。故に霊は日である。往昔より、聖賢を日知(ひじり)と唱えて、また「聖」の字をヒジリと訓ずるのは、霊の霊なる大義を知了して居ると云う意味なのである。ヒは総て魂のことを別称したものである。「喜ばしひ、悲しひ、楽しひ」等のヒはみな、霊のヒである。このヒは大別すると九十六ヒとなるので、大精神の分派であるからこれを小精神と称えるのである。

 
省る」という念慮は、すなわち直霊(なおひ)の至精至微なる働きの出づる基である。四魂みな、この「省る」という情念が含まれて居て、至善至美なる霊性を発揮するのである。
 直霊は善々美々なるもので、各魂の至精至微なるを取って名づけたる名称であって、精神の良知良能に酷似したるものである。

 ……(一行脱落)……過ちを改むるもので義である。しかして直霊なるものは、過ちを未だ発生せざる以前において消失せしむるものである。
 各魂各々用いて、しかして直なるものはその中にあるので、これがすなわち直霊である。直霊なるものは、時に非るものである。

荒魂は神の勇、和魂は神の親、奇魂は神の智、幸魂は神の愛であって、すなわちいわゆる霊魂である。しかして直霊なるものこれを主宰するのである。現時の国学者輩は俗学者ばかりであるから、この真理をわきまえ知る者なく、荒、和を以て心の体となし、奇、幸を以て心の用となして居る。直霊の何物たるをしらないのである。実に斯道のために悲しき次第である。

 
四魂いずれにしても、「省る」と云う良心が出ない時は、至粋至美なる霊魂といえども、たちまち曲霊という汚らわしき霊に変じてしまうのである。』

この直霊の説明では、直霊は時間のない世界にあるものであるから、世界樹の幹の部分であり、一霊も四魂も直霊があるとは、一霊にも四魂にも究極に到る道筋があり、それが真善美に通じ、それが省みるという心理の起こる淵源であるということ。

一霊四魂にチャクラを配当する場合、どのボディのチャクラかということになるが、当然メンタル体ということになろう。

一霊四魂へのチャクラの配当は、いろいろ考えてみたが、時輪タントラ以前のインド後期密教の5チャクラ説がもっとも坐りが良いように思う。けれどもこの説では、ムラダーラ・チャクラとスワジスターナ・チャクラはカットされている。古代の古神道マスターが、五大の地水火風空を充てずに一霊四魂を主張した意図はどこにあったのだろうか。

(1)(頭頂):サハスラーラ・チャクラ:一霊
(2)(眉間):アジナー・チャクラ  :奇魂(智)
(3)(喉):ビシュダ・チャクラ   :和魂(親)
(4)(心臓):アナハタ・チャクラ  :幸魂(愛) 
(5)(臍):マニピュラ・チャクラ  :荒魂(勇)

ダンテス・ダイジは、完全なる神の4つの現れとして、4チャクラ重視説も出して来ているが、これを四魂に充ててみる。
智恵=アジナー・チャクラ    :奇魂(智)
愛=アナハタ・チャクラ     :幸魂(愛)
自由=スワジスターナ・チャクラ :和魂(親)
力=ムラダーラ・チャクラ    :荒魂(勇)
これも一霊四魂の有力配当説として見ることができるように思う。

いずれにしても、どのチャクラを重点的に用いるかということについては、その社会が精神的なものに価値があると認める社会かどうか、つまり金や物質だけがすべてではなくそれ以外の価値本物だと認める社会かどうかという点が、大きいように思う。どのチャクラを推すかというのは、その時代のマスターの個人的な好みということではなく、天意・神意というべきものなのだと思う。

◎チャクラと七つの身体-11
◎一霊四魂:直霊なるものは、時に非るもの
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密教のチャクラの数

2013-10-24 04:38:25 | ザ・ジャンプ・アウト
◎チャクラと七つの身体-10
◎密教のチャクラの数

密教では、4チャクラ説、5チャクラ説、6チャクラ説がある。

1.5チャクラ説

A.大日経と金剛頂経
7世紀前半の大日経では「五字厳身観」という5チャクラ説が採用され、また7世紀後半の金剛頂経では「五相成身観」という5チャクラ説が採用されている。
これによると、
(1)空(頭頂):サハスラーラ・チャクラ
(2)風(眉間):アジナー・チャクラ
(3)火(心臓):アナハタ・チャクラ
(4)水(臍):マニピュラ・チャクラ
(5)地(腰下):ムラダーラ・チャクラ

であり、喉のビシュダ・チャクラと、臍下のスワジスターナ・チャクラが無視されている。脈管の数については、中央と左右の3本ということで一致している。

曼陀羅上には、五チャクラに五仏や五梵字が配当されており、それによって5チャクラ説による観想を行なうものであることがわかるようになっている。

この数だと、4元素にはバッチリ合うし、神道の一霊四魂説は、意外にこうしたものの影響を受けて照応させてきた説かもしれないと思う。

B.時輪タントラ以前
時輪タントラ以前のインド後期密教では、次の5チャクラ説が採られてきた。

(1)(頭頂):サハスラーラ・チャクラ
(2)(眉間):アジナー・チャクラ
(3)(喉):ビシュダ・チャクラ
(4)(心臓):アナハタ・チャクラ
(5)(臍):マニピュラ・チャクラ

ここでは、ムラダーラ・チャクラがはずれて、ビシュダ・チャクラが入って来ている。

2.6チャクラ説
6チャクラ説は、インド最後の密教経典である時輪タントラ。

(1)(頭頂):サハスラーラ・チャクラ
(2)(眉間):アジナー・チャクラ
(3)(喉):ビシュダ・チャクラ
(4)(心臓):アナハタ・チャクラ
(5)(臍):マニピュラ・チャクラ
(6)(腰下):ムラダーラ・チャクラ

(参考:超密教時輪タントラ/田中公明/東方出版)

このようにムラダーラ・チャクラが復活しているものの、スワジスターナ・チャクラはついに採用されていない。

スワジスターナ・チャクラは臍下丹田、大安心のチャクラである。もともとスワジスターナ・チャクラは、現世を生きるための方策を強化するために、重視されるチャクラだと思う。従ってインドのように社会全体が、社会における自己実現よりは、精神的なものにもともと価値があるとされる社会のなかでは、スワジスターナ・チャクラは、修行者のカリキュラムの中では無視しても差し支えあるまいという判断があったのではないだろうか。

逆に中国発祥の臨済禅では、意識全体を不条理に陥れることにより、スワジスターナ・チャクラを盛んに刺激して、大安心を発現させ、悟りに導くと見られる手法が用いられたのは、社会全体に精神的なものに理解がなく、生き抜くことが極めて厳しい中国の風土では、臍下丹田・スワジスターナ・チャクラを重視せざるを得なかったためではないかと思われる。

近代西欧文明は、中東の影響の色濃い近代西欧文明であるから、これまた中東伝統の7チャクラ説が採用されるということになるのだろう。

なお、チャクラを微細エネルギーの集中ポイントと見れば、チャクラの数は7どころではなく、200と見る人もいるそうだから、チャクラはいくつあるかと議論にあまり意味はなく、多数あるチャクラの中でどれを重視すればクンダリーニ覚醒に至るかがポイントであることになるだろう。

◎チャクラと七つの身体-10
◎密教のチャクラの数
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瑞宝十種(十種神宝(とくさのかむだから))-2

2013-10-23 04:32:06 | ザ・ジャンプ・アウト
◎瑞宝十種(十種神宝(とくさのかむだから))-2

旧事本紀によると、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)は、天磐船(あまのいわふね)に乗って、大空を飛翔して、空から大和の国をみて(「そらみつ大和の国」の起こり)、まず河内のいかるが峯に天降り、次に奈良県桜井市三輪山に遷座されたという。

この宝は、饒速日尊の御子、宇摩志麻治命(うましまちのみこと)より神武天皇に奉献され、天皇が橿原宮で御即位された時、宮殿内に奉斎された。

その後崇神天皇の時代に、饒速日尊の六代目の子孫伊香色雄命(いかしきおのみこと)によって、瑞宝十種は、宮殿より石上(いそのかみ;天理市布留町布留山)へ奉遷され、布留大神として祭られる。これが石上神宮の始まり。また七代目大新河命(おおにいかわのみこと)が垂仁天皇より物部という姓を賜り、これが物部の始まりとなった。

神武天皇から9代開化天皇までの皇后は、饒速日尊の血族から出ているので、饒速日尊は天皇家と非常に近かったようだ(母系天皇制?)。

饒速日尊はまた三輪山に葬られ、大神神社に大物主櫛甕尊(おおものぬしくしみかだまのみこと)という神名で祭られている。
また天理市の大和神社に大和大國魂大神の神名で祀られている。

さて瑞宝十種は、神武天皇においては、統治権の継承のシンボルとされているが、それが10チャクラをコントロールする秘儀の継承であったとすれば、その秘儀は、神武天皇がまず継承したが、崇神天皇の時代に、何らかの事情で石上神宮で継承することになったのだろう。

古神道(クンダリーニ・ヨーガ)の粋の継承というものは、最初は血縁のつながりでもって継承したい(体統、血統)と思うものだと思うが、そもそも死の世界を極める技術なのだから、体統の継承では無理があって、自ずと霊統による継承ということに移っていったのではないか。

要するに直接的な血縁にはよらないが、饒速日尊を始祖とする教団内における霊統の継承(教団内での覚者による)に移行したのが、石上神宮への奉遷ではなかったかと思われる。

◎チャクラと七つの身体-9
◎瑞宝十種(十種神宝(とくさのかむだから))-2
【ザ・ジャンプ・アウト 066】

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10チャクラ説

2013-10-22 04:22:28 | ザ・ジャンプ・アウト
◎10チャクラ説

10チャクラ説は、7チャクラ説+3であり、7チャクラ説のバリエーションと考えて差し支えないだろう。
+3は、太ももチャクラ、ふくらはぎチャクラ、足裏チャクラであって、未悟の者には関係のないチャクラとされる。

10チャクラは、仏教十界説にも照応する。仏教十界説とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界である。

また世界樹の段でも言及があるが、中国の山海経の海外東経にも建木の別名の扶桑についての記述がある。これは、扶桑には10個の太陽が沐浴するところであり、9個の太陽は下の枝にあり、一個の太陽が上の枝にいる。10個の太陽は10チャクラ。上の枝の太陽はサハスラーラ・チャクラにあたり、別格であることを示す。



○瑞宝十種(十種神宝(とくさのかむだから))-1

十種神宝(とくさのかむだから)とは、物部氏の祖神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が伝えたとされる十種の神宝である。

先代旧事本紀によると、饒速日命の天下りにあたり
『正哉吾勝勝速日天押穂耳の尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみとのみこと)は、天照大御神に奏上してのべました。
「私がまさに天下ろうと思い、準備をしている間に、生れた子がいます。これを天下すべきです。」

そこで天照大御神は、これを許した。
天神の御祖先神は、みことのりして、天孫の璽(しるし)の瑞宝十種を授けた。すなわち

嬴都鏡(おきつかがみ)
辺都鏡(へつかがみ)
八握の剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(よみかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返の玉(みちかへしのたま)
蛇の比礼(おろちのひれ)
蜂の比礼(はちのひれ)
品物の比礼(くさぐさのもののひれ)

の十種である。
天神の祖先神は、次のように教えた。

「もし痛むところがあれば、この十種の宝を、一(ひと)・二(ふた)・三(み)・四(よ)・五(いつ)・六(むつ)・七(なな)・八(や)・九(ここの)・十(たり)と言ってふるわせよ。ゆらゆらとふるわせよ。このようにするならば、死んだ人は生き返るであろう。」これはすなわち「布瑠の言(ふるのこと)」の起源である。』
(古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎/安本美典/勉誠出版から引用。)

十種神宝が身体の10チャクラのことであると書いたものは勿論ないが、チャクラ活性化が布瑠の言であり、振玉であると見れば、十種神宝が10チャクラであると見るのが自然である。

またほとんどの人の死では、マニピュラ・チャクラから肉体を出て行くが、それが、死返玉になっており、また大安心の座であるスワジスターナ・チャクラは足玉になっており、またクンダリーニが三周半とぐろを巻くムラダーラ・チャクラは道返の玉となっており、雰囲気は出ていて、バッチリである。よってこのように十種神宝を身体の10チャクラに当ててみる。

嬴都鏡(おきつかがみ)・・・《サハスラーラ・チャクラ》
辺都鏡(へつかがみ) ・・・《アジナー・チャクラ》
八握の剣(やつかのつるぎ)・・・《ヴィシュダ・チャクラ》
生玉(いくたま)・・・《アナハタ・チャクラ 》
死返玉(よみかへしのたま)・・・《マニピュラ・チャクラ》
足玉(たるたま) ・・・《スワジスターナ・チャクラ》
道返の玉(みちかへしのたま)・・・《 ムラダーラ・チャクラ》
蛇の比礼(おろちのひれ)・・・《太股のチャクラ》
蜂の比礼(はちのひれ)・・・《ふくら脛のチャクラ》
品物の比礼(くさぐさのもののひれ)・・・《足裏のチャクラ》


『このようにすれば、死んだ人が生き返る』とは、チャクラ活性化を行い、クンダリーニの覚醒により、肉体を飛び出して死の世界に入っても、死の世界から帰還できることを言ったものではないかと推測できる。

このことから、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の天下りとは、神と分離して、人間が10のチャクラを備えて、登場したステージのことを言うように思う。

◎チャクラと七つの身体-8
◎10チャクラ説
【ザ・ジャンプ・アウト 065】


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ヘルメス文書のチャクラ

2013-10-21 04:12:29 | ザ・ジャンプ・アウト
チャクラと七つの身体-7
◎七チャクラ説-4
○ヘルメス文書のチャクラ

『聖なるポイマンドレス』(ヘルメスの幻)は、最古のヘルメス文献の一つ。それには、原初的なクンダリーニ・ヨーガのテクニカル・タームが満載されており、やはり七つのチャクラが意識されており、七つのチャクラは七つの環と表現されており、それは梯子をも形成しているので、世界樹でもある。

この書で、ヘルメスは、岩の多い荒野を流浪しながら、瞑想と祈りにふけっていた。
その瞑想の中で、ヘルメスは全体者なる巨大な龍(ポイマンドレス)に出会った。

『ヘルメスは、多くのことを教えてくれた「巨大な龍」に感謝して頭を下げた。そして人間の魂の窮極について更に聞きたいと願った。

そこでポイマンドレスは再び話を続けた。
「死にさいして人間の物質的な体は、その源泉である元素へと帰り、目に見えぬ神的な人間は、彼のふるさとであるである第八の天球へと上昇する。

邪悪なものは悪魔の住み処へ行き、感覚、感情、欲望、情熱はその源泉である『七つの支配者』のもとに帰る。その性質は劣等な人間にあって生命を滅ぼし、目に見えない霊的な人間にあっては生命を与える」』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P173から引用)

ここでは「第八の天球」とは、後に出て来るが七チャクラを超えた世界「恒星の環」のことで、これは七つの横木を持つ梯子だから、クンダリーニのエネルギー・コードであり、アセンションの梯子のことである。

「邪悪なものは悪魔の住み処へ行き」とは、肉体は邪悪なものと分類され、肉体は悪魔の住み処へ行く。

『七つの支配者』とは、七つのチャクラを形成する原理だが、それは、劣等である肉体を滅ぼす機能を有し、一方微細身(目に見えぬ神的な人間)にあっては、永遠の生命を与える機能をも有する。


巨大な龍であるポイマンドレスがヘルメスに更に語る。

『「下位の本性が非情の世界に戻ったのち、上位の本性はその霊的な状態を再び回復しようと努力する。それは『七つの支配者』が坐る七つの『環』に昇り、それぞれに次のような方法でその下位の力を戻す。

第一の『環』に『月』が坐り、増減能力がそれに戻される。
第二の『環』に『水星』が坐り、策謀、欺き、奸計が戻される。
第三の『環』に『金星』が坐り、情欲と情熱が戻される。
第四の『環』に『太陽』が坐り、この君主に野心が戻される。
第五の『環』に『火星』が坐り、無分別と世俗的な大胆さが戻される。
第六の『環』に『木星』が坐り、蓄財と浮遊が戻される。
第七の『環』つまり『混沌の門』に『土星』が坐り、偽りと邪悪な陰謀が戻される。」

「七つの『環』のすべての蓄積を取り去って、魂は『第八の天球』すなわち恒星の環へと行く。ここですべての幻影から解放されて魂は、『光』の中に住み、純粋な霊のみが理解できる声で『父』への讃歌を歌う。

おおヘルメスよ、見よ。『第八の天球』には偉大な神秘がある。『銀河』は魂の苗床であり、魂はそこから『環』へと落ちるが、それは再び『土星』の車輪から『銀河』へと戻っていく。
しかし七つの横木をもつ梯子である『環』を昇ることのできないものもいる。
彼等は下の闇をさまよい。感覚と地上の幻影をもつ永遠へと一掃される。」』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P173-174から引用)


ここでは、死に際して、人間の神的な部分がその霊的な状態を回復するために、七つのチャクラにそれぞれの徳性ではない下位の力を戻していく。

続いてこれらの徳性ではない力の蓄積を捨てないと、魂は恒星の『環』へと進めないので、もとのボディの七つのチャクラとは別の世界に恒星の『環』が存在することを暗示する。恒星はほとんど永遠のシンボルなので、恒星の『環』は第六身体のことか。ここにあって『父』なる大神(第七身体、ニルヴァーナ)への讃歌を歌う。

『父』を知った魂は、『銀河』と肉体の間を七つのチャクラとりわけ『土星の車輪』経由で往還するが、そんなテクニックを知らない者は、永遠に輪廻の世界を転生する・・・・というところだろうか。

『土星の車輪』の故に、中世占星術者があの世の出入口が磨羯宮にあるとか、メランコリー重視みたいなことが起こったのだろう。

『不滅への道は困難であり、それを見つける人は少ない。他の者は宇宙の車輪が停止し、不死の火花が物質の鞘から逃れるあの偉大な日を待っている。

待っている者は災いだ。彼等は無意識のうちに知らないまま、星の苗床へ再び戻り、新しい始まりを待たねばならないからである。

おおヘルメスよ。私がお前に明かし、人々の間で確立するように命じた神秘の光に救われる者は、『白い光』に住む『父』のもとに再び帰り、『光』に自らを引き渡し、『光』に吸収され、『光』のなかにあって神の内なる『霊』となるであろう。これはの『道』であり、知恵を持つ者のみに明かされる。』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P174から引用))

宇宙の車輪が停止する日とは、2万4千年周期のことではない別のことを言っている。

『白い光』に住む『父』のもとに再び帰りとは、中心太陽への突入。『光』のなかにあって神の内なる『霊』となるであろうとは、そういう体験を経ながら個別性をなお失わないことを云うのだろうか。

不滅の道について人は無意識であってはならない。

◎チャクラと七つの身体-7
◎七チャクラ説-4
○ヘルメス文書のチャクラ
【ザ・ジャンプ・アウト 064】

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ヨハネの黙示録のチャクラ

2013-10-20 04:03:03 | ザ・ジャンプ・アウト
◎チャクラと七つの身体-6
◎七チャクラ説-3
○ヨハネの黙示録のチャクラ

キリスト教も万人向けのオーソドックスな宗教なので、チャクラについての言及がある。

『「振り向くと、七つの金の燭台が目についた」(ヨハネの黙示録1:12)
「それらの燭台の中央に、足まで垂れた上着を着、胸に金の帯を締めている人の子のようなものがいた。」(同上1:13)

「それらの右手に七つの星を持ち・・・」(同上1:16)

「あなたがわたしの右の手に見た七つの星と、七つの金の燭台の奥義はこうである。すなわち七つの星は、七つの教会のみ使いであり、七つの燭台は七つの教会である。」(同上1:20)

「右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の真ん中を歩く者が次のように言われる」(同上2:1)』
(聖なる科学/スワミ・スリ・ユクテスワ/森北出版p84から引用)

スワミ・スリ・ユクテスワは、これについて、「右手の七つの星」とは、神に至る正しい道筋にある聖霊の光であると言っているので、窮極の属性を有するメンタル体チャクラのことであると思う。
また七つの金の燭台は、尾てい骨のムラダーラ・チャクラから頭頂のサハスラーラ・チャクラまでの肉体に相応する位置の七つのチャクラのことであり、自我意識(人の子)はこの七つの中枢を通って神に向かって上昇していくと説明している。

◎チャクラと七つの身体-6
◎七チャクラ説-3
○ヨハネの黙示録のチャクラ
【ザ・ジャンプ・アウト 063】


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太乙金華宗旨の7つのチャクラ

2013-10-19 04:54:19 | ザ・ジャンプ・アウト
◎チャクラと七つの身体-5
◎七チャクラ説-2
○太乙金華宗旨の7つのチャクラ

道教の聖典である太乙金華宗旨にも当然の如く、チャクラへの言及がある。
それは悟りの確証の体験の説明の一部として現れる。

『確証の体験の第一段階は、観無量寿経の瞑想法に「太陽は、大いなる水に沈み、立ち並んだ木々が存在する現象として、形をとってくる」とのべられている体験であろう。「太陽が沈む」というのは、混沌(現象があらわれる以前の世界、つまり叡智界)の中に基礎が打ちこまれたことである。これが無極(対立する両極を超えた状態)である。

最高善の状態は、水のように清らかで汚れがない。これかすなわち「太極」(大いなる極)の主宰者である。
「震」(東方)から帝(神)が出現することである。「震」のシンボルは木である。したがって「立ち並んだ木々」のイメージが生まれてくるのである。七重の並木は、身体の七つの穴(あるいは心臓の七つの穴)が光輝くことを意味する。』
(黄金の華の秘密/CGユング/Rウィルヘルム/人文書院P203から引用)

このストーリーは、太極という個性のない状態から、東方より、七つのチャクラが光輝く神が出現するという説明である。

特徴的なのは、チャクラが七つの樹の並木であると見ている部分で、七つのチャクラが並列であると見ているところである。一般的なチャクラの説明では、一番下にムラダーラ・チャクラがあって、その上にスワジスターナ・チャクラがあって、最高位にサハスラーラ・チャクラがあるとチャクラが垂直的に位置しているとするが、ここでは水平だという。

メンタル体チャクラでは、それぞれのチャクラが神の属性である。従ってすでにメンタル体チャクラにおいては、チャクラ相互の関係としては、並列と見ることができる。すなわち太乙金華宗旨で意識しているチャクラは、メンタル体チャクラであるということになる。

アストラル体以下で気を身体内に巡らすことを、通例大周天とよんでいるようだが、このようにアストラル体以下での気の周回は、太乙金華宗旨で呂洞賓がイメージしたものではないと言えるのではないかと思う。

◎チャクラと七つの身体-5
◎七チャクラ説-2
○太乙金華宗旨の7つのチャクラ
【ザ・ジャンプ・アウト 062】

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荘子の7つのチャクラ

2013-10-18 04:49:07 | ザ・ジャンプ・アウト
◎チャクラと七つの身体-4
◎七チャクラ説-1
○荘子の7つのチャクラ

儵(しゅく)という名の南海の帝王と、忽という名の北海の帝王とが、ある時、世界の真中の『渾沌』の支配する国で、一緒に出会った。

訪れてきた儵(しゅく)と忽の二人を、渾沌は心から歓待してくれたので、儵(しゅく)と忽とは、渾沌の心からの歓待のお礼をする相談をした。

他の人には、七つの竅(あな/きょう)があって、その穴で、美しい色を視、妙なる音を聴き、美味(うま)い食物を食い、安らかに呼吸するが、渾沌だけには一つも竅(あな)がない。そうだ、せめてもの恩返しに、ひとつ七つの穴をあけてやろう。

毎日穴を一つずつ開けていったところ、七日目に混沌は死んでしまった。

荘子(応帝王篇) 》

これは比較的有名な話なので、知っている人も多いと思います。

七つの穴とは、目2、耳2、鼻2、口1の合計七つの穴だという解説もあるが、それは7チャクラのことでしょう。7チャクラを窮めれば、死の世界に入らざるを得まい。

◎チャクラと七つの身体-4
◎七チャクラ説-1
○荘子の7つのチャクラ
【ザ・ジャンプ・アウト 061】

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チャクラの位置と性質

2013-10-17 04:15:55 | ザ・ジャンプ・アウト
◎チャクラと七つの身体-3
◎チャクラの位置と性質

1.チャクラの位置
チャクラの位置については、シヴァ・サンヒター、「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」とも肉体には検出されないにもかかわらず、肉体上の位置で説明している。なぜそうなのかわからないけれども、位置については次のとおり。

サハスラーラ・チャクラ:頭頂。ブラフマランドラ、泥丸ともいう。
アジナー・チャクラ:眉間。
ヴィシュダ・チャクラ:のど。甲状腺の位置。
アナハタ・チャクラ:胸。両乳頭の中央。
マニピュラ・チャクラ:臍の少々上。
スワディスターナ・チャクラ:臍下丹田。
ムラダーラ・チャクラ:会陰。

2.チャクラの意味
チャクラの意味を古代七金属とか、七惑星に充てるような場合はあるが、きちんと説明したものはほとんどないと言ってよいのではないか。

「ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ/森北出版」のP120で、只管打坐のステップとして挙げられているものが、チャクラの意味として使えるように見える。

『STEP1:固定静寂
       エネルギー
       パワー

STEP2:あたりまえな生命の暖かさ
     意識する必要のない大安心
     完全にあたりまえに生きていること

STEP3:至福
     Everything is okの情熱と平安
     実用的な霊的ビジョンと鋭敏な感受性

STEP4:すべてが自己であるという愛・慈悲
     大いなるすべてのものに対するいとおしさ
     すべてが一体であるという感謝
     底知れぬ生命の絶望と悲しみ

STEP5:カオス・全面的な真っ暗闇
      パーフェクトにデリケートなあらゆるもののクリエーション
      美と調和のバイブレーション 

STEP6:あらゆるレベルでの智恵・インスピレーション
      直感・個生命としての完全な納得
      個我を残した時点での限界的英知
      Everything is everything

STEP7:エクスタシー・すべてのすべて
      身心脱落・脱落身心
窮極の根底・ニルヴァーナ
唯一の私自身・私自身がない私自身
      すべてのものとなって現われている私自身』
(ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ/森北出版P120から引用)

これが、以下の各チャクラの意味に照応するように思われる。

STEP1:ムラダーラ・チャクラ
STEP2:スワジスターナ・チャクラ
STEP3:マニピュラ・チャクラ
STEP4:アナハタ・チャクラ
STEP5:ヴィシュダ・チャクラ
STEP6:アジナー・チャクラ
STEP7:サハスラーラ・チャクラ


チベット密教では、6チャクラ説(スワジスターナ・チャクラ抜き)、4チャクラ説(サハスラーラ、ヴィシュダ、アナハタ、マニピュラ)があることが知られている。

ダンテス・ダイジは、完全なる神の4つの現れとして、
智恵=アジナー・チャクラ
愛=アナハタ・チャクラ
自由=スワジスターナ・チャクラ
力=ムラダーラ・チャクラ
の4チャクラを挙げているが、これはチベット密教の4チャクラ説とは一致していない。

更にダンテス・ダイジは、6神通のチャクラとして、以下を挙げるが、これとて、チベット密教の6チャクラ説とも一致していない。
漏尽通=サハスラーラ・チャクラ
宿命通=アジナー・チャクラ
天眼通=ヴィシュダ・チャクラ
他心通=アナハタ・チャクラ
天耳通=マニピュラ・チャクラ
神作通=スワジスターナ・チャクラ

いろいろ挙げたが、チャクラの数は七が基本。チベット密教では、主要なチャクラの数は4だったり、5だったり、6だったりするが、世界的に見て基本は7と考えざるを得ない。

それと一種類のチャクラには、肉体レベル、エーテル体レベル、アストラル体レベル、メンタル体レベルという四つのレベルがあるということ。そしてメンタル体チャクラには、それぞれが絶対神の属性を有するということ。
最も肝心なことは、大悟していない者が、チャクラでもって勝手な超能力行使とかをやってはいけないこと。天意・神意を得ないで、そういう好き勝手なことはやってはいけないのだ。

◎チャクラと七つの身体-3
◎チャクラの位置と性質
【ザ・ジャンプ・アウト 060】

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