アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

卍とハーケンクロイツ

2013-06-30 07:31:40 | 超能力・霊能力
◎吉祥の記号

『卍とハーケンクロイツ/中垣顕實/現代書館』は、ハーケンクロイツのタブーにチャレンジした一冊。と言っても、書いてある通り,にもともと邪悪の意味はないが、著者が浄土真宗の人なので、卍そのものについての呪術的な意味についての突っ込みはそれほどなかったように思う。古代ユダヤ教で、卍を使っていたのは、さもありなむ。シュリーマンはトロイ遺跡で卍付の遺物を掘り出しただけでそれ以上のことはなかったようだ。

ミスティカル・パワーそのものは、もともと白でも黒でもないが、ホロコーストがらみで使われたために、スワスティカ()は、現代の魔女狩りに会ったわけだ。

本来の公平な見方として、密教事典(法蔵館)の説明を挙げる。
右旋が逆卍でsvastika、左旋がsanvastica。
『吉祥の記号で唐代で集合の意味に用いてから,我国
でも用いる。太陽の象徴として右旋は昼間で光明を,左旋は夜間で破壊の意といい,

インドでは右旋を男性神ガネーシャ,左旋を女性神カーリー女神に用いる。またヴィシュヌやクリシュナの胸の旋毛とし、仏教では仏陀の胸や手足・頭髪に現れる吉祥相(三十二相の12・32)で,仏心の象徴とされた。例えばアマラヴァティー出土の仏足の文様など。

それを如来の智火や煩悩断除のam字に代用して、胎蔵曼荼羅の一切如来遍知印に用いる。その他,仏教一般の紋章とし、右旋を正しいとするが、中国以来混在し、卍字火舎には左旋を用いる。

もとはダニューブ河岸で発生し、ギリシア・ローマ時代に用いられ、インドの叙事詩ラーマーヤナにも見え、左旋(逆万字)はナチスの十字記号にも用いた。』
(密教事典/法蔵館P650から引用)
※卍字火舎は、蓋に卍型の煙出しのある香炉。

右旋の逆卍(ハーケンクロイツ)は、昼間で、光明で男性神ということなので、上昇、左旋の卍は夜間で破壊で女性神というところなので、下降というのが、本来の意味というところではないだろうか。

北欧では、トールのハンマーという意義もあるらしいが、ルーン・ガルドゥルに、北欧古武術のグリーマで勝利を目的として用いられたシンボル、グリーマ・ガルドゥルという逆卍の変形みたいなのがある。(ルーン文字の世界/国際語学社P175)


この世のものは、ものによって上昇させるべきものも下降させるべきものもあり、本来細かく異った対応があるべき。そこを一律に上昇を狙ったのでは混乱するばかりではなかったか。


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プトレマイオスの天体の見方

2013-06-29 06:54:16 | 占星術  (冥想法6)
◎時を選ぶ技術

プトレマイオスの占星術書テトラビブロスから。プトレマイオスは専ら外的事象の占断に占星術を用いていたように見えるが、天体は地上のものに、ある影響を与えると言うのが基本的な視点である。

『そこから、すでに複合されているものが、何らかの仕方で、天体の影響を受けるだけでなく、種子の発芽や結実もその時の天空に相応した性質にしたがって成形されるはずだと結論できることに、誰も異存はあるまい。

(中略)

個々の人間に関しても、その生誕時の[天空の] 状況から、彼の身体はこれこれしかじかであり、彼の魂はこれこれしかじかであるというように、その気質の一般的特徴を察知できないはずがあろうか。

また、ある状況はこれこれしかじかの気質に適合し、繁栄をもたらす可能性があるが、他の状況はそんなに適合せず、危害をもたらすという事実を利用して、その時々の出来事についても予言できないはずがあろうか。』
(古代占星術/T.バートン/法政大学出版局P100-101から引用)

さて、アヴィラのテレサの言うように奇蹟には時を選ぶタイプのものと時を選ばないタイプのものがある。クンダリーニ・ヨーギは時を選ぶのだが、占星術はその伝でいけばクンダリーニ・ヨーガのパーツの一部分である。

時には質の違いがある。それを利用して、中国の禅者ホウ居士は、時を選んで坐脱し、日本中世の虚空蔵求聞持法修行者は、満行に時を選んだ。

そして私たちは生まれてくる子宮を自らセレクトし、生まれてくる時刻を自らセットして誕生してきたわけだ。

クンダリーニ・ヨーギ本山博は、過去記憶は退行催眠で誕生時まで遡れるみたいなニュアンスのことを言っているが、誕生とは肉体の記憶だから脳にその記憶が残っているというのは理屈ではある。

個人のホロスコープでは誕生時の天体図を用いる。人間は七つの身体。誕生時とは第一身体である肉体のものだが、この肉体を動かすパワーは、肉体よりは、エーテル体が強く、アストラル体は更に強い、メンタル体はもっと強い。

つまり誕生時ホロスコープは、サトル・ボディと肉体の境目に位置するからいわば脳みたいなものである。脳はアストラル体の感情も反映し、メンタル体の想念も反映し、肉体の状態も受け付ける。

天体の位置を選ぶということが時を選ぶということ。天体の位置を選ぶということはメンタル体の影響を選ぶということ。そういうことを意図的に出来る人間とは、単に英語の占星術技術書が読める人間とかいうことではなく、メンタル体チャクラを自在に使えるぐらいの人間だろうから、熟達のクンダリーニ・ヨーギだけがそれを成しえると思う。


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脳とスクリ-ン

2013-06-28 06:02:20 | 究極というものの可能性
◎洗脳情報で痛んだスクリーン

かつてダンテス・ダイジは、脳とは映画のスクリーンのようなものだと語った。

人は、現代のあらゆる洗脳テク、つまりネット、テレビ、コマーシャル、政治宣伝、商業宣伝などに日々刻々侵されながら、その脳でもって、その洗脳ショックを受け続けている。

こうして世の中には、こうした情報に影響され続けているせいか、一瞬『魔がさす』人がとても多くなって、殺人、痴漢、万引き、暴力など無数の犯罪を惹き起こすまでになっている。

また自意識が腫れたように膨張しているせいか、他人のいうことに気を留めない人がとても多くなった。今日も電車が入って来ても駅のホームの一番端を傍若無人に歩く人は絶えない。

こうして脳はスクリーンであって、そのスクリーンが溢れる洗脳情報(そのほとんどが実は知らなくても良いものばかりなのだが)で相当にオンボロになったり、向精神薬漬けで痛んでいたりしても、人のこの世に生まれてきた目的、つまりカルマは果たされるのだというようなニュアンスでダンテス・ダイジは、脳と人生の関係を明かした。

そこには、人にはどんな状態にあっても、道があることが示されている。

スクリーンがかなりイカレテいる状態は、相当に厳しい状態だが、いまや多数の人がイカレルまでスレスレのところにあるのではないか。外見は普通っぽいが、実はちょっと正気じゃない状態の人が多くなった。

そこで、世間的なメリットのない冥想をするというのは、理屈は通らない。

が、神に祈るのに理屈をつけていてはだめなのだ。
神仏から離れては、人間の側に救済などないというのもまた現実なのである。


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冥想修行者のライフ・スタイル

2013-06-27 06:11:18 | 冥想アヴァンギャルド
◎諸悪莫作からロハス

ルネサンスでも21世紀であっても冥想修行者のライフ・スタイルの基本線は変わらないのではないか。

冥想修行者でない人から見れば、それは単にディテールへのこだわると見えるかも知れない。冥想修行者の大方は覚醒者ではないが、覚者が極めて精密な生活上のルールに従って生きているのには及ばないものの、それに似たようなルールをいくつか持って暮らしているものだ。

生活の基本線は、まず善を行う・悪を行わない。知情意のバランスをとりながら暮らしていくこと。身体をむやみに痛めるようなことはしない。基本は、清貧・敬虔・謙虚。

こうした基本線のもとにLOHASな個々のアングルがある、睡眠、食事(自然食系)、ハタ・ヨーガ、柔軟体操、呼吸法、冥想、音楽鑑賞、映画・テレビ・ネット視聴、リラクセーションなどなど。

こういうのを一日の日課に取り入れると、

先ず朝早く起きる、
メディテーションをする、
家事や勉強や仕事の合間に、自然食・菜食系の食事が入ったり、柔軟体操や、ハタ・ヨーガ、イラ付防止の音楽鑑賞、
そして就寝前に、死体のポーズで呼吸を落として、もう一度冥想、
、みたいになるだろう。

携帯・スマホの使い過ぎは、こうしたノーマルな流れをズタズタに分断しがちである。仕事や家族の連絡や友人との付き合いで使うのだろうが、冥想修行者にとっては、一つの罠みたいなところがある。

覚者はフランクで正直なものだ。けれども、覚者のライフ・スタイルには、常人では理解しがたい部分が時としてあるものだ。それは彼らが、その時代の社会通念と違っているが、時代を超えた規矩に沿って行動している場合があるからだ。

その代表的なものは屍解であり、時に肉食をすることであり、さりげなく超能力を使うことである。それと彼らがプチご神業をやってるような時。

覚者のライフ・スタイルを形だけまねても仕方ないけれど。


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西の中国と北のロシアの来襲

2013-06-26 05:58:55 | 時代のおわり
◎東の空の火の玉など

出口王仁三郎の予言は、その短歌にも現れている。短歌のため、具体的かつ詳細ではないが、大意はわかる。

唐土の鳥とは中国軍の空襲であって、そのものズバリ。前の日中戦争にそういうシーンはなかった。これが西の憂い。
北の憂いはロシアであって、大本神諭などでも繰り返し出て来るビジョン。

『空中ゆ翼拡げて迫り来る唐土の鳥をいかに防がむ

国人の改慎すべき時は来ぬ 西と北とゆ 迫る曲神

国難を眼前にひかえて気楽げに私慾のみおもふ人ばかりなる』
(言華 下巻/出口王仁三郎/みいず舎P262)

次に火の玉。出口王仁三郎は関西にあって、東の空の火の玉を見る。何のことだろうか。

『東の空に魍魎(もうりょう)のむらがりて火の玉となり荒れ狂はんとすも』
(上掲書P280)

火の玉のいつ飛び出すかわからざる東の空は常闇(とこやみ)なるも』
(上掲書P282)



第二次世界大戦終結時には、マッソン世界統一経綸は破れてはいなかったのだが・・・・。

『マッソンの世界統一経綸もいや果てにして破れんとすも』
(上掲書P272)


最近何だか先の尖った靴を履く人が増えた。

『靴のさき尖りたるもの穿く人は必ず嚢中無一物なり』
(上掲書P275)


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カルダーノの守護霊

2013-06-25 05:53:04 | 超能力・霊能力
◎正守護神

人には、本守護神と正守護神がある。

本守護神とは、本来の自己にまで展開する有の部分から、エーテル体、アストラル体まで含んだ自己の部分。
正守護神とは、これをサポートしてくれる高級神霊である。

ルネサンスのカルダーノは、その自伝において守護霊について言及したが、その分析において出口王仁三郎ほどの精緻さはなく、前もって人生上のイベントを知らせてもらったり、人生上の苦難を軽減してもらったりと、時に正守護神の恩恵を受けていることを感じていたという程度であったようだ。

以下はカルダーノが神と守護霊について述べている部分。
『わたしはひとりになると、この二者〔神と良き守護霊〕を瞑想することにしている。その一方は神の存在で、言い換えれば精神の善、永遠の叡智、純粋な光の源泉でありその創造者、喪失されることのない心のうちなる真の喜び、真理の担い手、惜しみなく与えられる愛、造物主、人格化された至福、全聖人の守り手でありかつ渇望のまと、深遠で気高い正義、死者を見守り生者を忘れない存在のことである。

他方〔守護霊〕は神の命によってわたしの許ヘ送られてきた守り手であり、慈悲深く良き助言者となり、逆境にあってわたしを助け慰めてくれる。』
(魔術との出会い/澤井繁男/山川出版社P023から引用)

こういう正守護神と本守護神の分析をみても、大本教の霊的実験は相当なものであって、たまさかな一霊能力者の言及をはるかに凌いでいたように思う。


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ヘルメス教とカバラの習合

2013-06-24 06:04:39 | 冥想アヴァンギャルド
◎ルネサンスから薔薇十字団へ

新プラトン主義の学者フランセス・イエイツは、ルネサンスのピコ・デッラ・ミランドラが、ヘルメス教とカバラの習合を誘導したとする。

『ピコが創始しほとんど煽ったとすら言いたくなるヘルメス教とカバラの融合は重大な帰結をもたらすことになった。この融合の結果としてのヘルメス教的カバラの伝統は、究極的には彼に由来するもので、遠くの時代にまで及ぶ重要な現象の発端となった。この融合は純粋に神秘主義的なものでもあり得た。』
(ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統/フランセス・イエイツ/工作舎P136から引用))

ヘルメス教もカバラも、見えない世界、死の世界を扱う技術なのでクンダリーニ・ヨーガの一種。

ルネサンスでは、フィチーノがプロティノスとヘルメス・トリスメギストスを再評価して、ヘルメス教とクンダリーニ・ヨーガの伝統に火をつけた。

ピコ・デッラ・ミランドラが、ヘルメス教とカバラを習合させた。

コルネリウス・アグリッパは、自然魔術、天上的魔術などをある程度、実践で確認しえたのではないか。

コルネリウス・アグリッパの事績を肯定しつつ、ジョルダーノ・ブルーノは、クンダリーニ・ヨーガの覚者として焚死して見せた。これがルネサンス魔術(=クンダリーニ・ヨーガ)一つのピーク。

これ以後、ヘルメス教とカバラの習合したものは、薔薇十字団などとして延命を繰り返すことになる。

という風に見えるが、どうだろうか。

クンダリーニ・ヨーガ同士の習合は、古神道と道教の習合みたいに、親和性があるから時々起るのだろう。


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偽救世主、色と金の宗教

2013-06-23 06:16:32 | 古神道の手振り
◎坊主、牧師、信者もろともに堕つ

以下は昭和七年の出口王仁三郎の短歌。

所所(ところどころ)偽せ救い主現れて 迷へる羊を地獄に堕(お)としつ

三千年以来開けし宗教に現在を治むる権威あるなし

古(いにしえ)の未開の人を治めたる宗教この世に何の用なし

反宗教 打倒宗教運動はまことの神の心なるべし

大方の宗教寺院教会は 大泥棒の棲家(すみか)なりけり

御仏を商品として飯を食う坊主の仕業に世は乱れたり

かくまでも無霊無力と思わざりき 色と金の既成宗教

牧師まず地獄におちて信者(まめひと)を地獄に導く末世なりけり

盲目坊主めくらの手をばひきながら 共に地獄におちゆくあはれ

人間は行くところまで行かざればさとり得ざらむ誠の道を

いずれも80年前の日本の宗教を慨嘆したものだが、21世紀の現代でもそっくりそのまま当てはまろうというところに、この時代の危うさを感じる。当時から葬式宗教、形骸宗教であって、本当の人間の救済にとりくむ宗教者は一握りだったのだろう。
出口王仁三郎も「人間は行くところまで行かざれば」と呆れ、ニューヨークの禅者嶋野栄道は、「日本人はどこかでどん底まで落ちるしかないのかも」と懸念する。

更に、出口王仁三郎二首。

惟神(かむながら)神の御国に生(おひ)ながら神知らぬ人多き御代なり

ハルマゲドンいくさ迫りて地の上の諸族ことごと騒ぎ出したり


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サマリヤの魔術師シモンの飛翔

2013-06-22 07:26:51 | 超能力・霊能力
◎見世物で人を信じさせる

新約外典にあるペテロ行伝にある話。

サマリヤの魔術師シモンは、超能力自慢の男で、超能力を見せることを生業としていた。イエスの12使徒のペテロがローマに入って来て以来、ローマでは商売がやりにくくなっていたが、シモンは、一日その飛翔能力をローマ中に見せびらかして、その能力を証明してやろうと思い立った。

と見るや否や、シモンはローマ市内を飛び回り、あちらの神殿の上、こちらの丘の上と悠然と飛び回った。これを見たローマの多数の人々は唖然として声もなかった。

12使徒のペテロは、この異常な光景を目の当たりにして、このままシモンに恣意的な奇跡を民衆に見せつづけることは、イエスの行った奇蹟の意味合いを歪ませるものとして危機感を感じ、イエス・キリストに向かって、魔術師シモンの空から墜落して3か所骨折するように祈った。

すると魔術師シモンは、たちどころに墜落して、3か所の骨折を負った。

これは、正義の味方12使徒のペテロが、悪漢魔術師シモンをやっつける勧善懲悪に仕上がっているようにみえるが、その実、イエスの奇蹟とシモンの奇蹟は超能力という点では並列であって、見ている群衆にとっては、超能力の白黒の見分けがつくものではないという問題点を抱えている。

奇蹟を見て信じさせることで布教を拡大していくというやりかたは、このような危うさを秘めているものである。

2000年前のローマ人の民度は低く、超能力を見せることで信じたかもしれないが、知性の発達した現代ではそれはもはや通用しない。人を見世物で信じ込ませることはできないのだ。

現代人は、どう生きるべきかを他人から教えてもらうことができなくなった。自分で自分に向き合うしかないのだ。


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指導者のいないクンダリーニ・ヨーガの危険

2013-06-21 07:23:21 | クンダリーニ・ヨーガ
◎本山博のケース

本山博が、『現代社会と瞑想ヨーガ/宗教心理出版』P
P234あたりで書いているのだが、25歳の時にヨーガ行を初めて3か月位したときに、尾てい骨がむずむず動くかんじがあり、それが3か月くらい続いたらクンダリーニが上がった。

クンダリーニが上がったとは、下腹部の中にあった少し赤みを帯びた光が熱い水蒸気に包まれているのが、背骨の中を上昇し、頭頂まで突き抜けたことだそうだ。

本山博は、幸いにも頭頂のサハスラーラ・チャクラが開けてエネルギーがアストラルの次元に抜けたために心身にさほどの異常(彼の場合は、身体が熱くなって頭痛がひどいなどでおさまった)がなかったが、頭頂が開かずエネルギーが頭の中や身体に閉じ込められた場合は生命が危険になる場合もあるとしている。

クンダリーニ・ヨーガの行法を我流でやる場合も危険だが、ひきこもりなどの心身のエネルギーが正常に流れないような環境で暮らす人においても、これに類したことも時々起きないとは限らないと想像される。

難しい時代になった。


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フィチーノの人間観

2013-06-20 05:58:26 | クンダリーニ・ヨーガ
◎3つの身体区分

ルネサンスのクンダリーニ・ヨーギ、フィチーノの人間像。フィチーノは記憶術という名の観想法で冥想修行していた。これは彼の『プラトン神学』の一節。

『霊魂は完全に純粋なもので、それ自体とは遠い存在(その性質に従って)である固体の地上的物体と、「気息」〔spiritus〕と呼ばれる気体の光粒子によって結合される。これは血液がもっとも希薄な部分の熱によって生成し、そこから身体全体に浸透するのである。霊魂は自分と同類であるこの輝ける気息体に容易に侵入して、まず最初にそのなか全体に伝播し、次いでそれを仲介として全身に拡がり、そのようにして肉体に生命と運動をもたらし、生気を与えるのである。

この気息体によって、霊魂は肉体を支配し、それを動かす。そして肉体を通じてこの気息体に伝えられたものは、それに内在する霊魂によって知覚される。これをわれわれは知覚作用と呼ぶ。そののちに霊魂はこのような知覚を観察し、判断する。そしてこのような所見が幻想力と呼ばれるのである。』
(ルネサンスのエロスと魔術/ヨハン.P.クリアーノ/工作舎P61-62から引用)

気息は、気・プラーナであり、エーテル体を指す。霊魂とは、アストラル体以上のボディを指す。

つまりアストラル体以上の意識(知覚)にて幻想力と呼ばれる観想法を駆使して、現実を操作するのである。
七つの身体論で言えば、最初の3身体程度しか区分が意識されていないが、メソッドとボディ論は連動している。

霊魂が完全に純粋と言えるのは、メンタル体以上のこと。

また根本にあるのは、アストラル体以上のエネルギーはより強大にして、エーテル体を操作し、エーテル体のエネルギーはより微弱にして肉体を操作するという、本山博と同様の法則に沿っている。


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プロティノスの見た星の影響

2013-06-19 05:47:45 | 占星術  (冥想法6)
◎星の影響が地上においてある混合物になる

古代ローマのクンダリーニ・ヨーギにして哲人プロティノス占星術にまつわる星の影響について。

プロティノスの神秘主義的な部分は、ルネサンスに至ってネオプラトニズムとして再興したが、いわゆるクンダリーニ・ヨーガの精華が、きちんと伝わったかどうかは怪しい部分もある。

本山博が、肉体由来の意識を内から来る意識とし、それ以外の肉体外からの意識を外から来る意識と見ているように、プロティノスもそうした肉体からくるものと、肉体の外から来るものを峻別した上で星の影響を考えている。肉体の外とはアストラル体以上の宇宙を言う。

星の影響とは、第一義的には肉体外から来るものなのであるが、次のような特性を彼は指摘する。

『しかもまた、(星々から)出て来るものは、(地上で)ひとつに合するのであって、生まれるものはそれぞれが、この混合物から何かを取り込んで、その結果、すでに何かであるものが、さらに何らかの(ある性質の)
ものとなるのである。

というのは、星から来るものは、(たとえば)馬を作るのではなくて、馬に何か(ある性質)を与えるのである。

なぜなら、馬は馬から、人は人から生まれるのだから。太陽はこの形成に協力するだけであり、人は人の原理から生まれるのである。

しかし、外からの影響も、時に害あるいは益を与える。というのは、なるほど人はその父親に似ているけれど
も、しばしば(父親よりも)すぐれていたり、時には劣った者となる。が、いずれにせよ、外的事情が(生きものを)その基本的な枠からはみ出させることはない。

ただし時にはまた、自然(本性) の代りに素材が優勢となって、その結果、形相が打ち負かされ、不完全なものが生まれることもある。』
(プロティノス全集第一巻(エネアデス)/プロティノス/中央公論社P416-417から引用 )

それにしても
『(星々から)出て来るものは、(地上で)ひとつに合して混合物になる』と言っているが、何のことだろう。単に星の影響が、具体化する段階であるエネルギーの集合体になるということだろうか。


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アグリッパのオカルト哲学(隠秘哲学)

2013-06-18 06:48:19 | 超能力・霊能力
◎自然的魔術、天空的魔術、儀礼的魔術

ルネッサンス時代のネッテスハイムのアグリッパは魔術概観みたいなのを書いた。

『アグリッパの著作2 『オカルト哲学について』

私は他の本でこの奇妙な著作の内容をかなり明快な形で提示しようと努力したことがあるが、今またそういう努力をしなければならない。

最初の二章でアグリッパは大筋を示している。宇宙は三つの世界、つまり元素世界、天空世界、叡智世界に分かれている。

各世界はその上の世界からの影響を受け、それゆえに創造主の美徳は、叡智世界にいる天使を通り、天空世界の星へと下降し、そこから元素世界にある元素と元素から成立する万物へと下降する。

この見方に従ってアグリッパの書物は三巻に分かれている。

第一巻は自然的魔術、すなわち元素世界における魔術に関係する。この巻は、物体をその間にあるオカルト共感に従って、自然的魔術の作用を引き起こすためにはどう配列するかを教える。

第二巻は天空的魔術すなわち星の影響をどう引きつけ利用するかに関するものである。アグリッパはこの種の魔術を数学的魔術と呼ぶ。なぜならばその作用は数に依存するからである。

第三巻は儀式的魔術、または天使的霊の超天空的世界に向けられた魔術に関するものである。なおこの世界のかなたには、一なる形成者すなわち創造主自身が存在するのであるが。』
(魔術的ルネサンス エリザベス朝のオカルト哲学/フランセス イエイツ/晶文社P75-76から引用)

さて、現象を形成するエネルギーは、本山博のいうようにメンタル体レベルで強大であり、アストラル体レベルでは更に弱く、肉体レベルでは更に微弱となるのだが、自然的魔術とは、アストラル体以下のレベルのエネルギー操作のことであろう。

また天空的魔術とは、メンタル体以下のエネルギー操作のことをいうのだろうと思う。

さらに儀式的魔術とは、これは第六身体、不壊なる神々の戯れのことであり、人間の好みとか操作とかの及ぶところではないと思う。

魔術、魔術と連呼されるが、これら魔術の本来の訳語は、超能力とか仏教でいう神通とすべきなのだろう。


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ババジ

2013-06-17 05:10:02 | 現代冥想の到達点
◎クリヤ・ヨーガの大元締め

ババジと言えば、不滅の肉体を持つ聖者で、「あるヨーギの自叙伝」のパラマンサ・ヨガナンダという本にも出て来る。

「ババジと18人のシッダ」によればその年齢は1800歳以上。

森北出版でババジ伝という本もあったが、この本は感心しなかった。

ババジはクリヤ・ヨーガ(クンダリーニ・ヨーガ)の大マスターで、パラマンサ・ヨガナンダは、ババジのことを「近代インドのヨギ-キリスト」と呼んだ。

そして何と言っても注目されるのは、ダンテス・ダイジが、インドのボンベイだかの町を歩いている時に、ババジと出くわして、思わずババジに対して「How did you get it?」(要するに、どうやってその高みを得たのかということ)と問うて、それをきっかけにクンダリーニ・ヨーガの真髄を伝授されたというエピソードである。

ババジの現れ方は肉体を持っているんだかいないんだかわからないという点で、西洋のサンジェルマン伯爵を思わせるものがある。

私は、クンダリーニ・ヨーガ系のマスターは、肉体を持ってクンダリーニ・ヨーガの伝授をしているとは限らないと思っているが、ダンテス・ダイジがインドでババジに会ったとしても、肉体のそれで会ったとは軽々に信じられないと思っている。


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プトレマイオスの12室

2013-06-16 06:11:31 | 占星術  (冥想法6)
◎メンタル体以下のチャクラの照応

日本では沢山の占星術関連書が出版されているにもかかわらず、古典中の古典たるプトレマイオスのテトラビブロスが和訳されていないのは遺憾である。

そこでプトレマイオスの12室。
第一室 ホロスコープ
第二室 冥府(ハデス)の門
第三室 女神
第四室 天底
第五室 幸運
第六室 不運
第七室 西天
第八室 死の始まり
第九室 不運
第十室 天頂
第十一室善魔
第十二室悪魔
(出所:世界の占星術とオカルティストたち 山内雅夫P36)

これだけでは、何のことやらわからない。ただ死の世界への言及が多いので、クンダリーニ・ヨーガ的世界観ではある。
善魔、女神、幸運など、という言葉からすれば、恒星というメンタル体レベルから来るもの、そしてアストラル体レベルでの影響=かそけきパワーを概括するとこのようなハウスの意味となるのだろうと思う。

現象を形成するエネルギーは、本山博のいうようにメンタル体レベルで強大であり、アストラル体レベルでは更に弱く、肉体レベルでは更に微弱となる。

一方ヘルメスの古占星術文書によれば(出所:西洋占星術の歴史/tester/恒星社厚生閣P34)、もともとは、天球図は4分割されていて、アセンダントから天頂まで(10~12室)までが男性で青年期、天頂からデセンダント(9~7室)までが女性で壮年期、デセンダントから天底までが男性で老年期(4~6室)、天底からアセンダントまでが女性で晩年と死(1~3室)。

この発想は、太陽や恒星などの一日の運行からくるものだろう。
要するにこの4区分を前提にしなければ、プトレマイオスの12室の意味は、判然としないと思う。

ヘルメスの古占星術文書によれば、占断をこの4区分でやっていたそうだ。最初は天宮は4区分であって、時代が下がってこれを各2分割して8室になり、12室になったようだ。
これより黄道12星座のゾディアックと12室は別個のものであることがわかる。

それにしても天球をどのレベルで見るかということについて言えば、メンタル体にそれぞれチャクラがあり、アストラル体にそれぞれチャクラがあり、エーテル体にそれぞれチャクラがあるということを前提にすれば、恒星はいずれかのボディに照応するもので、古代7惑星は7チャクラに照応するに決まっている。

そこで占星術の基本はメンタル体以下のチャクラの照応というベースで考えていくべきなのだろうと思う。つまり7惑星と現れたメンタル体以下のチャクラの陰陽強弱の影響が、各ボディたる4室や12室のレベルで現れるものというようなところだろうか。

つまりまず占星術者とは、クンダリーニ・ヨーギであり、クンダリーニ・ヨーギが、その冥想の中で起きたこと、起こりそうなことを天球の事象で再確認するという作法が根底にあったように思う。


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