アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

催眠状態と宗教経験の違い

2013-05-31 06:11:04 | マインド・コントロール
◎催眠状態の本質

現代では普通に生きているだけでも、あらゆる洗脳情報に曝されている。我々はテレビ、ネット、スーパーや量販店の店内放送などの洗脳情報に晒されない日はないからだ。

こうした洗脳は、人をいちいちトランスという意識の低下状態に持っていくことなく人を洗脳している。

これに対して、催眠状態と宗教経験(見神など)はトランスと呼ばれる意識の低下状態を前提にしたものである。

本山博によると(催眠現象と宗教経験/本山博/宗教心理学研究所)、催眠状態と真正の宗教経験の違いは、催眠状態は個人的無意識に留まるだけなのに対し、真正の宗教経験では、個人を超えた普遍的無意識(大いなるもの)に達するということである。

また催眠状態は、外からの暗示(洗脳情報)に対して無批判で受動的、意志が低下し、複雑な思考が除外される。この結果、個人的無意識が表面に表れ、想像力情動が盛んとなる。

これが本山博の分析だが、この想像力、情動の盛んな状態が、統合失調症の中核症状とされる妄想、幻覚が醸成される土壌ともなるのだろう。

本山博は、この個人的無意識が表面に表れた状態は、覚醒時の意識ではなく、覚醒時の意識の低下によってそれの規制を受けることなく意識化した無意識の意識というべきものであると評し、この個人的無意識による意識支配が催眠状態の本質であるとする。

宗教修行、冥想修行では、こうした個人的無意識からでてくるものは、妄想だとか邪境だとかして、相手にしないように訓練されるものだが、そういうテクニックを知らない一般の人が一日中ほとんど口をきかない環境に置かれると、(ひきこもりなど)意識が低下し、個人的無意識から湧き上がってくる自分勝手な妄想に沈潜しがちになりがちなのだろう。

昔、タクシーの運転手の方が、映画タクシードライバーの話になったら、あの映画のドライバーの気分はそのとおりなのだと教えてくれた。タクシードライバーでも意識の低下は起きがちなのだろう。

現代の混乱、地獄的な様相というのは、こうした整理されないままでの個人的無意識の表出が原因という側面もあるように思う。冥想しないことの弊害ともいえる。

なお真正の宗教経験では、外部暗示への無批判性や意志の低下は生じないが、意識の清明は必要だ。


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無宗教ジャポン

2013-05-30 06:13:29 | 時代のおわり
◎神知らぬことを自分の危機だとも感じられない人たち

次の時代は、宗教のない時代であって、すべての個々人が神を直接知っている時代である。

現代は近代西欧文明が席巻しているのだが、近代西欧文明はカトリックから出てきて、カトリックは7世紀イスラム成立の土壌のひとつとなった。16世紀にマルチン・ルターが出てきてプロテスタントが登場するまでの1500年間は、カトリックは、未発達な西欧的自我を見事に涵養しえたと言える。

その結果市民意識というはっきりした自我意識の人間たちによって成る近代西欧市民社会が誕生してきた。これは物が豊かになり、個々人の持ち物がそれ以前の時代と比べて飛躍的に増大したことと無縁ではない。

我々は、テレビで中国の山奥の貧しい民族の個人の部屋や、チベット族の石造りの粗末な部屋に食器と洗濯物くらいしかないことを見ることで、現代の個人の持ち物がいかに多くなったかを比較し、確認することができる。

持ち物の多さは、自我の強固さの土台である。

近代西欧文明は、父偏重の文明で、母をないがしろにしている文明なのだが、父は意識的な部分、母は無意識的な部分で、こうした意識偏重文明を、光偏重ともアポロン的文明とも言う。

こうした特徴を持った宗教(カトリック)では社会全体のバランスがとれないので、グノーシスあるいは古代エジプトから発する無意識、死の世界、母の部分を主として取り扱う錬金術、魔術の伝統が付かず離れずして、存続してきた。

この古い伝統的テクノロジーは、一旦はイスラム社会の中で発展を遂げ、1492年のスペインからのユダヤ人追放をきっかけに、ヨーロッパを舞台にユダヤ教と混交した形で近代西欧文明の背後で伝統を継承してきた。

こうしたことを背景に20世紀になって、プロスタントの牧師の息子C.G.ユングが出てきた。彼は12歳の時に、このようなヴィジョン(幻視)を見た。『大聖堂の背景を為す青空の遥か上に高く神の黄金の玉座がそびえていた。そして玉座の下からはおびただしい排泄物が聖堂に落下して建物をばらばらに破壊した。』
これで彼は、神は聖書も教会をも超えるものであり、そのような伝統を捨てさせる恐ろしいものでもあることを直観した。

以後、ユングは心理学者として、無意識という死の世界を表に出して研究することを世間に認めさせることに成功したが、無意識=死の世界の影響範囲は、心理にとどまるものでなく、生活や世界の勢力の興亡にも直接影響することは隠し通したふしがある。

人はパンのみに生きるものではないが、20世紀になって、宗教禁止国家である共産主義国家が成立し、共産中国はいまや世界第二の経済大国として米国と覇権を争うまでに勢力を拡大した。

近代西欧文明は、無意識の部分を圧殺するという特徴があるが、共産主義国家は、その特徴を極限まで推し進めたものといえる。つまり近代西欧文明下の人は、キリスト教のもとで、無意識の奥底に位置する神とのリンクを持ち続けてきたことで、なんとかまともな人間の生きる正気な社会の体裁を整えることができていたのだが、共産主義は、その蜘蛛の糸にも等しい神とのリンクを認めないことで成立しているものだからである。

そして日本。戦前の国家神道の反動と、明治維新以来の宗教骨抜き政策の結果、日本は、知らずして無神論な人々がほとんどな社会になってしまった。神知らぬことを自分の危機だとも感じられない人がほとんど。そうなると、世間には、メンヘラー、そううつ、統合失調の人々があふれていく。

外国勢力の日本侵略も問題だが、そっちのほうが実ははるかに問題なのだ。
日中角逐は、無神論国家同士のせめぎ合いなのだとしたら、日本人は人間として結構恥ずかしいのではないか。

さて宗教のある国と宗教を認めない国が混在する現状では、当然より神に近づこうとする人と神などないとする人の2種がそれぞれ分離していく傾向がだんだん強まる。

その2種の人類の行く末は、旧約聖書のロトの事績が示しているとおりだが、ロトを訪問してきた天使を追い出しにかかるようなことは戒めたいものだ。

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原初の光を見る

2013-05-29 03:25:05 | クンダリーニ・ヨーガ
◎悟りを開いた人が悟りを開いた意識のままで

実際にクンダリーニ・ヨーガ修行で仮死になっている本山博氏が、死後直後の原初の光を見るということについて語る。

チベット死者の書では、人間が肉体死のプロセスが進行していく中で、どのタイミングでどのような大悟のチャンスがあるかを懇切丁寧に分析的に語っている。

死のプロセスにおける悟りのチャンスは、最初のチカイ・バルドーで最大のチャンスがやってきて、それを捕り逃がしても次のチャンスはやってくるけれど、最初のチャンスほどの大物ではない。

本山博氏は、やはり冥想修行を積んでいない者が、死んでいきなり登場する空からくるところの原初の光を見るのは困難であることを述べている。

よく言われることだが、準備もなしにその時を迎えて、神の名を呼んでも急には応えてくれるまいということがある。平素の冥想修行があってのいざという時である。

大人数の人が大量死を迎えるような究極のピンチに陥ったとして、何人が悟ることができるかという観点では、そのチャンスは生前にもあるし、死後まもない時期(チカイ・バルドー)にもあるが、どちらも冥想修行していないタダの人がチャンスを生かすのは難しいかもしれないということ。

さて人は死を迎えると、まもなくチカイ・バルドーと呼ばれる中有にまず入る。
『そういうふうなすべての存在のもとになっているものは、一切の存在が消えてしまうようなところであり、それが一切の存在を成り立たせている。そのように、本当の心の状態、心の原初の状態は空である。
その空の状態が、物を創造する、あるいは存在を創造するという時に、初めに光を発する。それをチベットの「死者の書」では原初の光と称するわけです。

そして、チカイ・バルドーの状態、心臓の中に微細身を持ったアートマンが入り込んでいった状態の時には、普通の人間の場合にはそういう光は長い間の行をしないと体験しにくいのだが、チカイ・バルドーの状態になった時には、原初の空の状態から発する光を体験する事ができる。

だからそのものすごい光を自覚できて、その中に融合できたら、いわゆるダルマ・カーヤという次元で悟りが開ける、と言うわけです。

ところが、私が実際に霊界の霊をみていると、自分の家族の事とか、家の事とか、痛かった肺癌の事とか、殺された時の恐怖とか、死の直前の思いにとらわれていて、自分の今の状態も、まわりの状態もわからないでいる霊がたくさんあります。

この世の人でも、ノイローゼになった人や、自閉症の人をみていると、自分の思いの中に閉じこもってしまって、周囲の事は一切わからない。ある想念とか感情、例えば愛情のようなものとか、反対に人に対する非常に強い憎しみとか恐怖とかというものにおち込んで、まわりの事は一切わからない。

死んだ場合にはそれがもっと極端になって、
自分の小さな薄暗い穴のようなものを自分で作り出して、その中にじっとちぢこまって潜んでいるような状態が多いのです、一つの執着を持って死んだような人は。

そういう人が、ここで言っているような心の本源である原初の状態というか、心の空性の状態から発する光がわかるわけはないと思うのです。この光がチカイ・バルドーの状態でわかる人というのは、結局は悟りを開いた人が悟りを開いた意識のままでチカイ・バルドーの状態になったら、多分、わかると思うのです。そうでないと、それはなかなかみられないと思います。

もし普通の霊の世界の霊、さっき言った、エジプトの「死者の書」に出てくる凶霊の世界でない霊が、もう一段上の霊の世界の光をみた時には、それは目がつぶれるほどまぶしくてみられないくらいなのです。

だから、もし今ここで言うような原初の光がみえたら、太陽が何万個も一ぺんに光ったような光で、原子爆弾が落ちたぐらいの光ではなくて、その何千倍も何万倍も明るい光で、とうていみられないし、怖いと思うのです。それで皆逃げちゃうのですね、もしみられたとしても。

そこが非常に問題なのですが、怖がらないで、これこそ本当の一切の存在を成り立たせる元から出ている光だと思って、その中に飛び込んでいけたら、解脱が一瞬のうちにできると(『バルド・ソドル』では)言うのだけれども、そういう人は覚者でないとむずかしいみたいですね。』
(カルマと再生/本山博/宗教心理出版P199-P201から引用)


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霊言、チャネリングの見極め方

2013-05-28 05:43:35 | 超能力・霊能力
◎審神者の資格としての見神

霊言、霊告、霊界レポート、チャネリングと言えば、洋ものでいえば、古くはダンテの神曲、スェデンボルグ、最近ではバシャール、あとはヘミシンクによる霊界フォーカス探訪、それと日本ものではX教祖の霊言などいくらでもある。

霊言、霊告、霊界レポートは、読んでみると、あまり世間で言わないことも言っているし、未来予言あり、過去の大事件の真相が暴露あり、もの珍しい霊界=無意識世界の風物もあって、それなりに面白かったりする。

そうしたものに共通して問われるのは、どの霊界を見ているのかってことである。たとえばヘミシンク霊界ではフォーカス○○なんていかにも霊界が数十とか数百しかないようなイメージを呈示しているけれど、霊界は見る人の分だけあると言ってもよいのではないか。つまり何十億とあるのではないか。またその人の思いが変わる都度霊界の数は増える。

天国な霊界あり、地獄な霊界あり、また現実化していく霊界あり、現実化しない霊界あり、現実化するかと見えた霊界も現実化を待つ間に変化を加えることもある。

こうして無数の霊界ある中で、わざわざ語られている霊告、霊言が眉唾でない可能性は極めて低いのではないか。

眉唾でない可能性を見極めるメソッドは一つであって、審神である。日本は審神先進国であって、神功皇后の時代から審神をやっているが、審神のテクノロジーについてきちんとまとめたのは、出口王仁三郎であった。

審神のテクノロジーの核心は、その霊言をどの霊が語っているかを見極めるということである。霊言とは神霊が憑依して語るということであるが、何が憑依しているかを見極めるということが課題となる。

見極めるためには、コーザル体以下(一霊四魂)の認識を持ち、天神地祇(本田親徳は、無形にありては、天津神(天神)、有形にありては、国津神(地祇)とする)を区別できなければ、ならないが、そのこまでできるのは、最低でも見神以上でなければならないってこと。
要するに審神者は悟っていなければならない。

つまり審神のない、霊言、霊告、霊界レポート、チャネリングは、その真偽に疑惑があるのである。

一方審神を経た霊言としては、大本神諭、霊界物語があり、カルロス・カスタネダのシリーズでもドン・ファン・マトゥスの語りは正しいと思う。

霊言、霊告、チャネリングが、多数集積され、ビッグ・データになるのは良いが、そのほとんどがものの役には立たない代物だろう。

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神に祈る人々神に祈らない人々

2013-05-27 06:04:49 | 冥想アヴァンギャルド
◎狂気への入り口

人がおりふし神に祈るのは当たり前のことかと思ったが、切羽詰っても神に祈らない人もかなりいるようだと気づいて愕然とした。

中国、北朝鮮のような宗教禁止国では神に祈らないのが当たり前だが、日本の戦後の無神論的教育、マスコミの宣伝が功を奏して神に祈らない人が激増した。

昔はなかった仏像泥棒が横行するのもこうした素地があるせいなのだろうか。

戦後、宗教・信仰は個人の自発性に任してくれたのだが、その結果が無神論人の大量発生である。だが、統計がないのでちゃんとした数字は言えない。

無神論だと、就活失敗とか、リストラに会ったとか、離婚したとか、人生の大きな障害での局面で、がっくりきて、時に意識レベルが低下する。そのタイミングで宗教、信仰のある人は自分の根本的無力さをしみじみと感じ大神に祈るということになる。

ところがこういう時に神に祈らない人にあっては、時にネガティブな分の情感・気分に落ち込んだまま自分責めるという行為を頭の中で繰り返すのではないか。

これは完全にある種の自己催眠への導入であって、このまま行ってトランスという意識レベルの落ちた状態を繰り返すと、ネガティブなエネルギーを呼びこんで、発狂に至る人も少なくないだろう。

今日もどこかで電車の人身事故が起こっている。人が自殺する時は、既に正気ではなく、発狂しているのだと思う。人は正気では自殺できないからである。電車に飛び込む人身事故は、既に発狂した人の所為なのだと思う。

しかし神に祈る人がすべて自殺しないかといえば、決してそんなことはないが、神に祈らない人は、より狂気に陥り易いということがあるように思う。

人世上の蹉跌に出会い、孤立し、無力感に陥り、自閉気味になり、誰も助けてくれないとなった時に、神に祈る習慣がないとは結構恐ろしいものなのではないか。

神の心は石ころのこころであったとしても。


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メスマーの27の法則-3

2013-05-26 06:08:42 | 究極というものの可能性
◎エーテルとアストラルの区別

メスマーは、気(動物磁気)は、磁石の磁力や電気とは違う力であるとする。そうすると首などに磁石を捲いている人は何のためだろうか。

メスマーの動物磁気とは、肉体の直接な治療を意識したものだから、半物質であるエーテル体ベースのことだろうと考えるのが自然だと思う。

というのは本山博の「チャクラの覚醒と解脱」のP194からP195にかけて、気の次元とアストラルのサイの次元を峻別しており、かつまた中国の内経図を指して、これは気の次元だから、クンダリーニを水で表現している、これに対してヨーガでは、クンダリーニを火で表す。つまりヨーガでは、クンダリーニは、アストラル体レベルのことであると説明している。

要するに肉体の治療を目的とする限り、気=エーテル体レベルまでを主として相手にしているのであって、アストラルより上の話はあまり関係ないだろうということ。また、レイキ・手かざし治療なども気の次元、エーテル体レベルを出ない。

私はこれまで気とはエーテルとアストラル双方のレベルにまたがるものかと考えていたが、はっきりと区分すべきものだとわかった。

『一九、このような力も動物磁気と同様にすべての物体に浸透する。物体間の伝達、空間伝播、蓄積、集約、転送、鏡による反射、音響による伝播も可能である。この力は動物磁気の欠如にすぎないのではなく、動物磁気とは正反対の実在する力である。

二十、磁石は、天然、人工を問わず他の物体と同様動物磁気とそれを打ち消す力の両方に敏感に反応する。しかしいずれの力に反応し、その性質を持つようになろうとも、鉄や針を引きつける効果に変化はない。このことは動物磁気の作用が鉱物磁気のそれとは根本的に異なることを示している。

二一、動物磁気に関する理論体系は、火や光の持つ性質、重力説、自然界に見られる干満現象、磁気と電気などについて新たな説明を与えることであろう。

二二、病気治療という点に関する限り、電気や磁気は自然界に存在するその他の諸力とまったく同じ性質を示すにすぎないことがやがて明らかになるであろう。電気や磁気に何らかの治療効果があった場合、その効果は動物磁気の作用によるものなのである。

二三、私がこれから述べようとする実践的ルールに従えば、動物磁気の原理によって神経系の疾患を直接に、その他の疾患についても間接的に治すことが可能である。このことはさまざまな事実によって証明されている。

二四、動物磁気の助けを借りれば医師は治療薬の正しい処方を身につけることができる。つまり、薬の作用を強めて治療に有効な分利を引き起こしたり分利へと誘導したりする制御が自在にできるのである。

二五、私が自分の治療法を公表する理由は、動物磁気原理の普遍的な有効性を新しい疾病理論によって立証するためである。

二六、この動物磁気についての知識を基礎とすれば、医師は疾病の原因、性質、進行状態を、たとえその病態が非常に複雑なものであっても正確に診断することができるであろう。その結果病状の悪化を防ぎ、危険かつ不快な状況に患者をさらすことなく治療を進めることができるであろう。
しかもこの手法は患者の年齢、気質、性別を問わず有効であり、例えば治療の対象となる患者が妊娠中あるいは産後まもない女性であっても、他の患者と同じような治療効果を上げることができるのである。

二七、結論として次のように言うことができる。これまで述べた理論を臨床に応用するならば、医師は患者一人ひとりの健康状態を的確に診断し、罹患する可能性のある諸病からその患者を守ることができる。そして治療技術は完璧なものとなるであろう。』(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P142-144から引用)


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メスマーの27の法則-2

2013-05-25 06:18:44 | 究極というものの可能性
◎気の力を自在に操れる人もいる

メスマーは指先を患者に向けることで催眠術で患者をトランスに陥らせ、そこで気(動物磁気)を送って分利と呼ばれる激しいけいれんを起こさせて、病状をピークに持って行き、やがて脱力と休息が起こる。そこから患者自身の治癒力で病気を治癒せしめた。

メスマーの27の法則の続き。
『一〇、人体は諸天体の影響を受け、またその周囲に存在するさまざまな物体と相互に影響を及ぼし合う。人体の持つこのような性質は磁石に似ているため、私はこの性質を動物磁気と呼ぶことにする。

十一、動物磁気の作用と諸性質は他の生物体・無生物体に伝達することが可能である。その程度は動物磁気に対するそれらの感受性によって異なる。

十二、動物磁気を伝達された生物体・無生物体は同時にその作用と諸性質を強化したり伝播したりすることが可能である。

十三、経験によれば、動物磁気は拡散し非常に薄く広がるため、すべての物体に浸透する。しかも拡散によってその影響力が弱まることはない。

一四、動物磁気は遠く離れた物体にも作用する。しかもその場合、動物磁気を媒介する物質は必要ない。

一五、動物磁気は光に似た性質を持ち、
何枚かの鏡を用いて反射させ、その効果を強めることが可能である。

一六、動物磁気は音波の作用によって他の物体に伝達したり、四方に伝播したり、またその効果を強化したりすることが可能である。

一七、動物磁気の磁力は蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりすることが可能である。

一八、私の発見によれば、すべての生物が動物磁気に対してまったく同じ感受性を持つわけではない。ごく稀れにではあるが動物磁気の効果を相殺するような力を持つ生物が存在する。そのような生物が近くにいる場合、その周囲にあるものの持つ動物磁気力はすべて消失してしまう。』
(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P141-142から引用)

人体が諸天体の影響を受け、またその周囲に存在するさまざまな物体と相互に影響を及ぼし合うのは、エーテル体レベルアストラル体レベル

気(動物磁気)は空間を拡散する。しかしその影響力が弱まることはないというのは、エーテル体レベルではなく、アストラル体レベルのことだろう。

また気は音波に乗せて他の物体に伝達したり、四方に伝播したりでき、また気の効果を強化したり、蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりすることが可能であるとしているが、これは、メスマーがこのとおりに気の力を自由自在に扱えたということではないが、その作用に気が付いたという程度なのだろうと思う。

それに対して合気道の植芝盛平は、まさに気の力を強化したり、蓄積したり、一点に集めたり、またある場所から別の場所へ移したりできたが、そのポジショニングについては、「天の浮橋」という精妙なものであることを強調した。気の力を自在に操れる人もいるのだ。

メスマーは作曲家モーツァルトのひどい肩こりを治癒させたが、その原理を十分に語れるというほどではなかったようだ。

さて、気(動物磁気)の効果を相殺するような力を持つ生物とは何のことだろうか。メスマーははっきりとは書いていないようだが、のことだろうか。出口王仁三郎によれば、猫は死体を躍らす力を持つと言っているが、猫が気を操れる力があるとすれば、それも気(動物磁気)の効果を相殺するような力と見ることができないことはない。出口王仁三郎は猫は魔王であるとも言っているし。


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メスマーの27の法則-1

2013-05-24 06:03:10 | 究極というものの可能性
◎人間と全宇宙は常にシンクロしている

メスマーは、マリー・アントアネットと同時代の人物であって、近代催眠術の始祖みたいな人物である。彼の指摘した27の法則には、催眠術つまり人間を人為的にトランスに導くことについての経験的現実が多数盛り込まれている。まず最初の9個。

『一、天体、地球、生物などの間には相互作用が存在する。

二、ある流体が一分の隙もなく宇宙全体に広がっており、そのため宇宙には真空は存在しない。この流体はあらゆる運動を物体から吸収し、四方に伝播し、他の物体に伝達する性質を持つ。つまりこの流体は運動作用の媒体である。

三、この流体が媒介する物体間の相互作用は現段階においては科学的に証明されていない力学法則に従う。

四、この流体が媒介する物体間の相互作用によって一種の交代効果が生じ、この効果は潮の干、満と同じ種類の運動であると考えられる。

五、この干満運動の現われ方はさまざまな原因により決まるため、一般的、特異的、あるいは複合的な特徴が混じり合っている。

六、命題二の流体(自然界の中において見出せる最も宇宙的な物質)を媒介にして天体や地球、および地球上の諸要素は互いに影響を及ぼしあう。

七、この流体は物質および生命体の持つすべての諸性質の基礎である。

八、動物の体はこの流体の干満に反応する。この反応は流体が神経そのものに直接入りこむことにより即座に引き起こされる。

九、生体、特に人体の内部には磁石と同様なある種の性質が現われる。すなわち人体の内部には正反対の極が存在し、それらを明確に識別することが、できる。またその両極を交換、結合、抹消、強化することが可能であり、地磁気偏角に似た現象さえ観察される。』
(ウィーンから来た魔術師/ヴィンセント・ブラネリ/春秋社P140-141から引用)

ある流体が一分の隙もなく宇宙全体に広がっているというのは、物理学的には、長くナンセンスとされてきたが、最近ヒッグス粒子の発見によりにわかに真実味を帯びてきたのは、結構なことである。この流体は半物質なのだろうからエーテル体レベルの存在であろうから、それは気・プラーナのことであろうし、ここで想定されている流体の性質は、気・プラーナのそれと推定される。

メスマーの目からは、文字通りこの流体により、人間の肉体は、全宇宙と直接連動していると見えたのだ。

この洞察は極めて優れたものであって、人目を避けて悪事を行ってもその報いはたちどころに発生しているという法則が、エーテル体以上のレベルでは存在しているのだろうということが推測される。

またこの流体の干満は、中国では陰陽と呼ばれた。

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ひきこもり列島

2013-05-23 06:07:20 | 時代のおわり
◎非社会的生活での思考力・集中力の低下

第二次世界大戦が終わって間もない時期に、アメリカのプリンストン大学で、約100人の大学生を3日間位、防音装置の施された真っ暗な部屋に閉じ込めた。部屋は1.3m×3mで、中には大型ベッドとトイレがあって、食事はアイスボックスに入れてある。

部屋の中には、いわゆるパニック・ボタンが置いてあって、それを推すとこのSD(sensory depriviation)実験から解放してくれることになっていた。また部屋の外には1名の立会人がついていることになっていた。

この実験によって、いわゆる拘禁反応を見ようというものである。

被験者の心理的な特徴は、思考が混乱するだけではなく、ふつうはある特定の思考を維持することさえできなくなること。更に白昼夢がたえまなくひき続きおこるということである。
他人と接触しない時間が長くなると精神の集中力が低下し、まとまった思考ができなくなる。これは3日間の実験なので、被験者は思考過程に障害が生じたという自覚があるが、長期間にわたるとその自覚さえも怪しくなるかもしれない。

また白昼夢は絶え間なく起こるというのは、意識レベルが低下するということであり、個人の意識はここで無意識の中に沈潜する。

捕虜収容所や刑務所、精神病院などでも、このような環境下におかれた人間は類似の心的反応を示すのだろうから、そのことは昔から経験的に知られていたのだろう。

さて暗室で無音という設定を除けば、社会性を失ってかつ自分の意志で室外に出れるという点で、この環境はひきこもりに近い。むしろ暗室と無音という設定により、ひきこもりで起こる心理の特徴を端的に浮かび上がらせている可能性が高い。

日本のひきこもりは今や100万人と言われる。彼らがこうした環境下にいることは、日本全体の心的ロゴスの状態を想像すると、100万人がまとまった思考を持てずに、白昼夢的な世界に過ごしていて、おそらくそのほとんどは小悪な、小地獄な混乱した世界観に暮らしているわけだから、日本の明るい未来など展望するどころではない状態であるように思う。

かつてソルジェニーツィンはソ連の物理的収容所をして『収容所群島』を描いたが、日本でもひきこもり百万人ともなれば、鉄格子なき収容所をかかえた列島とも見えるかもしれない。

『さて以上をまとめると、SDが思考作用におよぼす効果は多種多様である。少数のひとにとっては、思考はSDのあいだじゅうきわめて明断であり、ふつうの状況よりもいっそう良好でさえあった。

しかし大部分のひとにとっては、SDの状況は思考過程に障害を生じさせるように苛酷なまでに計算されたものであり、とくにSDを生産的な思考を行なえる期間であると期待し、考えるための問題をたくさんかかえて実験にやってきた被験者にとってはとくにそうだつた。

最初この種の被験者は非常によく考え、深く鋭い洞察力を発揮したが、この時期は長くは続かず、ふつうは二日目までに、はげしい変化が起るのに気づいている。すなわち、思考が混乱するだけではなく、ふつうはある特定の思考を維持することさえできなくなるので、この点で被験者は、恐慌ボタンを押してSDから解放されるか、あるいは白昼夢がたえまなくひき続きおこるのに身をまかせて実験を最後までやるかの、どちら
かを選んだのである。

精神の集中力を失ったのは被験者の約三分の二であったが、ふつう彼らはこのことを認めたがらなかった。彼らは、自分たちの失敗にたいする非難を他に転嫁するような言いわけを述べ、自分たちは考えることはできたのだが、その考えについて一緒に議論する人がだれもいないのに考えるのは無意味に思われたのだとしばしば主張した。また他の人たちは、自分たちの思考過程に紙と鉛筆がいかに大切であるかがはじめでわかったと語った。ある被験者は、大声で話すことが許されなかったために考えることができなかったのだと主張した。

すべての被験者は、もし誰か他の人が一緒にいたなら自分たちの思考過程はさらに活発になっていただろうと報告した。彼らのほとんどは、聞き手がいることが、考えることを正当化してくれるのだと感じた。自分の思考過程について自信を持ち、他人の保証をいささかも必要としないという人に出あうことはごくまれであった。

それでは、ほとんどの被験者が「聞き手」の必要性に重きを置いているのであるから、それを利用して彼らをだますことができただろうか。もし、マイクロフォンの導線の他端にはいつも聞き手がいると被験者に教えれば、彼らのすべてに比較的良好な思考を維持させることができたであろうか。このような計画はきっと成功したにちがいない。SDの被験者は、聞いてくれる人がいると信じることができれば、きっと満足しただろうと思う。

以上の所見は、われわれすべてにとって社会的な相互作用が重要であることを強調しているように思われる。大部分の被験者にとって、SDはおそらく人生における最初の長い非社会的な体験であった。このことが、SDの他の諸条件と相俟って、被験者があらゆる種類の生産的活動――――精神的なものであろうと他のものであろうと――――にたいする欲求を疑うにいたるような状況をつくり出したのである。

たしかに人間は、感覚遮断によってつくりだされるような高度な知的真空状態のなかでは、考えることはできまい。』
(暗室のなかの世界/J.A.ヴァーノン/みすず書房P94-95から引用)

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万事を休息する

2013-05-22 02:38:33 | 丹田禅(冥想法8)
◎休息すべき万事もない

正法眼蔵第十一坐禅儀「諸縁を放捨し、万事を休息すべし。善すら不思量なり、悪すら不思量なり。心意識でもなく、念想観でもなく、作仏を図する事なかれ。坐臥を脱落すべし。」

同じく道元の普勧坐禅儀「それ参禅は、静室宜(よろ)し、飲食節あり。諸縁を放ち捨て、万事を休息して、善悪を思わず、是非を管することなかれ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図る事なかれ、豈に坐臥に拘らんや。」

只管打坐にあたって、道元の説くスタイルは、「まず。諸縁を放ち捨て、万事を休息して、善悪を思わず、是非を管することなかれ。」であって、正法眼蔵、普勧坐禅儀ともほぼ同じことを唱えている。

あらゆる関わり合いを放ち捨て、すべてをとりやめて、善悪をも思わず、正しいとか間違っているとかいうのも棄て去って坐るのである。

これはあくまで坐り方を言うのであって、目指すところは、放ち捨てる諸縁もなければ、休息すべき万事もないところであるのは言うまでもない。

達磨の二入四行論に登場する縁禅師が、真理を他人に教えることなどできないと語った真相がここにある。


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アンジェリーナ・ジョリー母娘と癌

2013-05-21 06:26:25 | 時代のおわり
◎核戦略、原発政策とピンクリボンのリンク

アンジェリーナ・ジョリーは、トップ女優でありながら、不幸にもその両乳房を切除するという痛ましい人生上のイベントに遭遇してしまった。

アンジェリーナ・ジョリーといえば、危険なシーンを次々と駆け抜けていくトゥーム・レイダーの雄姿とナイス・バディがその代表的イメージである。

今般は、癌の予防医療の側面と彼女の勇気ある決断ばかりにスポットライトがあたっているが、真因は別のところにある。

そもそも乳癌は、1950年代以前はそんなに普通に発生するものではなかった。1950年台から60年台にかけて、アメリカ、ソ連、中国を中心に盛んに行われた大気圏内核実験、それから各国の原発の稼働・運転により、乳癌発生の確率が大きく押し上げられたものと考えられるのである。(参考:「低線量内部被曝の驚異」(ジェイ・マーティン・グールド/緑風出版))

彼女の母親は10年の闘病の末56歳で乳癌で死亡。そして彼女自身にかかわる乳癌発生の高い確率。それを考慮しての決断とはいえ、人はサイボーグに非ず。予後も老後の生活もある。大きな視点からいえば、彼女はアメリカの核戦略の犠牲者の一人ということになろう。

最近日本でも、ピンクリボンの運動をやるようになってきた。ピンクリボンは、乳がん検診の早期受診と治療を推進する運動なのだが、そういう運動が出て来ないとならなかった背景は、日本に設置された50個以上の原発にあるのだと思う。日本だって、1950年以前と最近の乳癌発生の比率を比べると、しっかり激増している。これまでの日本の原発政策が、ピンクリボンを呼んでいたと言ってよいのではないだろうか。

世の大峠の後も、すぐには放射性物質の汚染はなくならないだろうから、体内からの放射性物質排出促進技の開発が、ますます求められる時代となった。

その意味でも、アンジェリーナ・ジョリーの乳房切除は異形な事件である。こういう自分の肉を削ぐ話は釈迦前生潭ジャータカにときどき出て来るが、そういうのに接すると人として平常心ではいられないものだ。


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普明の十牛図

2013-05-20 02:23:25 | 丹田禅(冥想法8)
◎絶対無に軸足

十牛図には、2種類あって、皆が存じているのは、廓庵の十牛図。もう一つは普明禅師の十牛図。

普明禅師の十牛図の特徴は、最後の第十図が円相で終わっていること。廓庵の十牛図では円相は、第八図であり、その後に現実世界に戻って生きる図が2図追加されている。

光明を得れば、それに出会っただけで人間としてはほとんど問題がなくなるので、それだけで生命を終わってしまうものが少なくないという。つまり円相を最終ステージとする求道者の人生が普明の十牛図と言える。

光明を得た後でも、人は食うために、あるいは日々の営みをするために日常生活をしなければならない。光明を得るというのは、体験ではなく、体験とは言えない体験であり、それを境に別の人生が展開する。

つまり光明を得た後に生き残るというのは、普明禅師の想定しない世界なのだ。しかし、達磨、臨済、趙州など、いくらでも大悟の後に何年も存命した祖師はいる。つまり廓庵の十牛図は人間の方に軸足がある十牛図だと言える。

その点で普明の十牛図というのは、絶対無に一致した時点で目的達成なので、神の方、絶対無の方に軸足を置いた十牛図だと言える。


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桃の花を見て悟道

2013-05-19 06:21:09 | 丹田禅(冥想法8)
◎弟子は簾を捲き上げて悟道

時は春。福州長渓県出身の霊雲志勤は、禅による求道の道に入って30年。一向に肝心のものをつかむことができなかった。

霊雲は、ある時、山にハイキングに行こうと思い立った。歩みがかなり進んだところで、山のの見晴しの開けたところに出た。そこでこれまできた道を振り返って、遠くはるかな人里を望見した。

すると、なんと桃の花が満開であった。・・・・・・・・・この時忽然として悟道した。

道場に戻って師匠の大イ(サンズイに為)に偈を呈示して悟道を認められた。

何年かたって、長慶慧稜(854-932)がこの霊雲に参禅して問答を仕掛けてきた。
長慶「仏法の大意とは何か」
霊雲「ロバのことが終わっていないのに、馬のことがやってきた」
と一蹴されるなどして、長慶慧稜は、雪峰禅師と霊雲の間を30年間往復しながら冥想修行を続けた。
そしてある日、簾を捲き上げた瞬間に大悟した。

30年必要なのでもなく、何か特定の動作が問題なのでもない。冥想を継続していれば、それが起こる機縁があるといういことなのだろう。

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メディテーション・コンプレックス

2013-05-18 05:29:31 | 冥想の準備
◎単一ではないメソッド

只管打坐、クンダリーニ・ヨーガと言っても、それだけ坐っているわけではない。このブログの「冥想の準備」カテゴリーにあるように、禁酒、禁煙、禁肉などして肉体の調子を整えて、柔軟体操(ハタ・ヨーガ、太極拳・八段錦など)をやって身体をほぐして、呼吸法を何セットかやって、読経や祝詞などで発声・祈願などして、おもむろに坐る(只管打坐・クンダリーニ・ヨーガ)、そしてだんだんと呼吸を落としていく。

こういう一連の冥想技法の組み合わせをメディテーション・コンプレックスと呼ぶ。呼び名はともかく、宗派に限らず冥想の専門道場・修道院では、似たようなことはやっているものではないか。一日に何時間も坐るためには、メインの冥想のための助走が必要なものである。

環境の問題ということで言えば、一日に何時間も坐れるというのは、衣食住がなんとかなっていること、時間が捻出できること、坐ろうというモチベーションがあることがその前提条件となる。

住所が一定で、その日の食事に事欠かなければ現代人の大方は、日に一時間程度の冥想は可能なものではないか。むしろ現代人の大方は、長時間の余暇をネットやスマホやテレビで、こまぎれに自分の慰め・気分転換のために浪費し続けているのではないか。

そうした時間の浪費の仕方こそ、現代人のカルマを日々の小悪の積み重ねに仕立てる典型なのではなだろうか。こういうのが小人閑居して不善を為すの謂いだろう。

そしてモチベーションの問題。これは、冥想しても金がもうからないということと、自分勝手な願望が実現するとは限らないということ、とりわけ世の大峠、世の終わりで生き残るかどうかわからないということが、モチベーションがわかない理由の最たるものである。

これでは、千年たっても人は冥想に取り組もうする日はやってこない。既に人間のあらゆる生業の行く末を見切って、万事休した気分がまずないと、人の関心は冥想には向かないのではないか。

メディテーション・コンプレックスはメソッドのこと。しかし冥想があるには、その上に本人のモチベーション、そして師匠(グル、マスター)・指導者が必要である。その師匠は最低でも見性・見神していることが条件となる。

このようにクリヤすべき条件は厳しいがそれを乗り越えないと千年王国はない。

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スマホを見ながら前を注意しないで歩く人達

2013-05-17 06:02:31 | 時代のおわり
◎現代人と自己催眠性トランス予備軍

人間が意識レベルを低下させる手法は明治時代でも多数あって、催眠性トランスみたいなものを引き起こす手段はいくらでもあった。出口王仁三郎のいう帰神は、深いトランスに持っていったところで、幽の幽=天御中主神を憑依させようというものであるが、類似した催眠術や降神術、降霊術などでは決してうまくいかないことを述べている。

まず容れものである対象の人物の適性、審神者のレベル、踏んで執り行うところのプロセス、手順(神界御制定の御規律)こうしたものが妥当であって、更に神界の御許しがないとダメと言っているので、簡単に考えてはならない。

いわんやいろいろな要因で、自己流の催眠性トランス(無意識に落ち込んで、目の前のものが見えていなかったり、ある人物の声にしか反応しなかったり、トランスで起こったことを記憶していなかったり)にはまっているようなケースでは、喜ばしからぬリアクションがあるのだろうと思う。幼児期から成長期でのテレビ・ゲームのやり過ぎでボディの臍付近に穴が開いている人が多いとも聞くが、そうしたことも誘因になっているかもしれない。

結局、無意識に引き入れるためのメソッドそのものには色がついていないこと、人間の悪意というものを今の文明では社会通念としてあまり問題だとは考えていないこと、テレビ・マスコミなど様々なレベルでの洗脳手法の氾濫など、そうしたいろいろなことが相まって、偶発的な自己催眠性トランスを多発させているのではないか。
最近多くなったスマホを見つめつつ人ごみを前に注意しないで歩く人達というのは、既にそうした催眠性トランス予備軍であるように思う。


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