アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

アトランティスのアウトライン

2013-04-30 02:55:57 | シャンバラ
◎ポスト・アトランティス

今の時代は、近代西欧文明が席巻していて、言語も英語が世界語となっており、英語を話さずんば人に非ずという具合だ。1万2千年前のアトランティス末期も世界をアトランティス文明が席巻していて、世界宗教たるアトランティス密教が、世界の宗教のイニシアティブを握っていたという説がある。

そこで、アトランティス末期に、次の1万2千間の宗教育成のために、各地に散ったアトランティス密教の残党が、ギリシャ神話、北欧神話、日本神話、アステカ神話などを創作したが、いずれのストーリーも細かい部分こそ異なれ、今の「時代の終り」から次の千年王国への転換というモチーフは必ず持っている。

神話のエッセンス部分は、伝承されるが、言葉は文明と共に変化し、しばしば滅びる。それは、いまの漢字かなまじり日本語以前に神代文字主体の原日本語があったのではないかという推論につながっていく。言語は滅びても、冥想手法は必ずしも世間に知られぬままに伝承され、言語では表現されない教義のエッセンス部分は、時代を超えて残っていく。

そうして今から3千有余年前に、アポロン型文明である今の近代西欧文明をメインにして今の「この世」の終りまで行こうとする方向が固まった。それを決定づけることになった具体的な宗教イベントあるいはローカルな大事件は定かではないものの世界的な大洪水があったのではないかと思われる。

その事件以後に、釈迦も、老子も、イエスもスーパースターとして登場してきて、その教えは有力な世界宗教として興隆して来たが、2千年を経て、いまや組織宗教としての命脈を終えようとしている。(4千年前以前の聖者(たとえばメルキゼデク)の伝説はいまや時代の同定ができないし、実在していたかどうかも怪しいほど、歴史のかなたに霞んでいる)

アトランティス末期に12000年後の人類が、次のステップに入ることを予見して、その時代のメモリアルとして建造されたものは、ピラミッドなどのモニュメントだけではなく、各国に残る神話もそうである。

建造物モニュメントの意義は、前の時代の科学文明の存在証明という側面が強いが、神話の方は、明らかに次の時代の精神性の発展を主導しようという意思があるように思う。

しかし12000年の間には、物質文明それ自体の持つ性質である、時間による情報集積の進行、その結果としての核兵器などによる文明の自壊があり、加えて大洪水などによる自然災害で、物質文明が実質的にゼロに戻ることはこの3千数百年前にもあったのではないかと思う。

過去の大洪水回数については、出口王仁三郎はノアの大洪水並みのは過去6回あったとするが、時期を書いていない。さらに出口王仁三郎は、現代は地球に七層期が出来る時だとして、七回目のノアの大洪水あるを予言している。

アトランティス沈没原因については、和尚バグワンも「現代と同じ」原子エネルギーによるとしている(「永久の哲学」による)そうなので、こんどの大洪水も、純粋な自然災害ではなく、アトランティス同様に、原子エネルギーを利用した人為によることを予見していると読める。

プラトンのクリティアスには、
「洪水のたびに山岳に住む無学の者ばかりが生き残るため、今日アテナイには当時の統治者の名前ぐらいしか伝わっていない。」
プラトンの昔から、文明は、洪水や津波にやられやすい浜辺、水辺に発達したものと見える。

近代西欧文明は水辺を中心に都市が発達している以上は、なぜそうなのか、どのように滅びるかに関心を向けるよりは、どのように次の時代たる至福千年にフィットした人間になれるかのほうが、万人にとってのクリティカル・イシューなのである。




エドガー・ケーシーの見たアトランティス-1(半人半獣)
エドガー・ケーシーの見たアトランティス-2(ピラミッドの建設目的-1)
エドガー・ケーシーの見たアトランティス-3(ピラミッドの建設目的-2)
エドガー・ケーシーの見たアトランティス-4(スフィンクス)
エドガー・ケーシーの見たアトランティス-5(エメラルド・タブレット)

その時に見るやすらぎ-1(ダンテス・ダイジ-1)

時空の壁を超える(バミューダ・トライアングル飛行)

失われたアトランティスの魔術(冥想センターとしての王の間)

錬金術潜行二千年(ケム、アルケミー)

ダンテス・ダイジの3.11(君が自ら身を投じた混乱の渦)

ヘルメス・トリスメギストスの三度の生(各時代の爛熟期に登場)

仏法東漸してニューヨークに到る(愛語の力(嶋野栄道/到知出版社))

エドガー・ケーシー予言と今(地球規模の大変動)

シリウス=大犬座(今は重視すべきではない思ひ出)

アトランティス犠牲の宮(放射線障害対策へ)

太古の洪水の縦糸と横糸(クリティアスから神代文字)

巨石文明の周辺(宗教が主、物質科学が従
)

アトランティスと核(人間の手に余るエネルギーの再来
)

世界宗教のメイン・シナリオ(神道とユダヤの共通項など)

またの転生に及ばず(解脱と他の天体への道)

6.悟りへの階梯-9(生還と社会への適応)

シュメールのイナンナ女神 (暗黒の72時間)

アトランティス人の身体 (両性具有者の起こり)

メキシカン仙人への道 (死の隠れた選択肢)

ツーオイ石使用法 (まず神と出会って後錬金術)

アトランティス古記録 (チベット埋蔵経との類似)

今なぜアトランティス? (大洪水もへっちゃら)

大洪水は何回あったか (クリティアス)

カリブ海のビミニ沖探検 (超古代史へ)

ピリ・レイス地図 (文明の崩壊と技術の喪失)

トァン・マッカラル (アイルランド興亡の記憶)

過去1万5千年の気温変化 (アトランティスの水没と異常気象)

ピラミッドの目的 (ブラントンとブラバツキー夫人)



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虚無を見るあるいは死を恐怖する

2013-04-29 06:26:37 | 究極というものの可能性
◎非現実的な妄想

自我が最高レベルに発達した人間にとって、死から逃れられないということは、この上のない恐怖である。死からは誰も逃れられない。それが証拠に釈迦もイエス・キリストもとっくに死んでしまって、自分たちも死から逃れられなかった。釈迦もイエスも、あなたが死から逃れることについて助けてくれるどころではなかったのだ。

失恋した、就活に失敗した、リストラされた、離婚した、老いて孤独になった、厄介な病気になった、社会的に成功したが肉体を失えばもとの黙阿弥であることに気がついたなどなど、調子よく進んでいた人生が実は何の保証もないことに気がついて、死の不安におびえ、人生そのものが虚無であることに気が付く瞬間はいくらでもある。

そうやって自我の発達の極点に立たされて、死の暗黒に怯え、人間の虚無に直面して、立ちすくんで、何をしても価値を見い出せなくなった者は一体どうすればよいのだろうか。

先賢は言う。虚無を見るのも、死を恐れるのもその人の責任ではなく、それに執われ苦しむのも、そしてそこから離脱するのも、すべてその人の責任ではない。それはその人にとって甚だしい苦痛を伴う発達のプロセスに過ぎない・・・・と。

しかし、そのためには、その苦悩と絶望が一過性のものであり、それがプロセスだと見切る視点のジャンプが必要になってくる。虚無に直面するということは、まぎれもない恐ろしい現実そのものだが、それが実は単なる悪夢であったと見切る逆転が求められる。

死の恐怖を超えるとは、死の恐怖に耐えられる強靭な自我をつくることでもなく、不老不死の超能力をつけることでもなく、人間のないところこそが真の現実であることを知ることである。

人間がなければ、この世もあの世もなく、生も死もなく、ニルヴァーナ(涅槃)もマーヤ(無明)もない。それは常識人にとっては、非現実的な妄想にすぎないが、覚醒した者にとっては、そうした常識人の通念こそが非現実的な妄想なのだ。


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ニルヴァーナのアウトライン

2013-04-28 07:17:00 | シャンバラ
◎一つの輝くもの

現代人の日常生活に不可欠でありながら、欠けているものがニルヴァーナである。七つの身体でいえば、第七身体であるが、個別性はなく、人間の側のものでもない。

何より言葉で表現できないものであるので、暗喩たるシンボルで指し示すことしかできない。それは一円相だったり、大日如来だったりする。また仮に名をつけて、仏教では涅槃であり、禅では無、老子では道、古神道では天御中主神、キリスト教では神、インドではニルヴァーナなどとして、呼び名は異なる。

ウパニシャッドでは、アートマンが有って、次にブラフマンが来て、更にニルヴァーナは別格という登場の仕方だが、それ以上の関係を詳述していない。ところが、ダンテス・ダイジは、これをブラフマン(中心太陽=絶対光)突入への最終段階で、アートマンの光線の軌道がブラフマンに向かい、その次にニルヴァーナのステージに進むことをカミング・アウトしたのは空前絶後のことであった。



OSHOの誕生日(あなたはブラフマンの夢 そしてあなたは私自身)

アートマンとブラフマンの違い-1 (神と悪魔の悟境の差)
アートマンとブラフマンの違い-2(最高の光明)

太極図説と世界の構造-1 (アートマンとブラフマン)

ダライラマの菩提心のポジション(悟りを得ようという願い)

天照大御神のジェンダーの変容(もともとは、神霊界の完成者)

古の真人とは(嗜欲深き者は、その天機は浅い)

玄のまた玄は衆妙の門なり(老子第1章 道可道)

孔子の見ていた悟り(雷風恒)

芭蕉 幻住庵記(やがて死ぬ けしきも見えず 蝉の声)

スピリチュアルの暗号解読(海王星の発見から)

天の数歌 (四段構えの世界)

聖者出現のコネクション (万教同根)

一厘の仕組-5(天津祝詞)

6.悟りへの階梯-36(枝と葉の広がり)

6.悟りへの階梯-11(神の造化のデリカシー)

2.悟りとは何か-15(ダンテス・ダイジ-1)

未発の中 (君子は中庸す)

冥想の方向性-3(二種類の効果)

ダルマの説明の仕方 (ちょっと変わった思いつきに非ず)

冥想の深浅高低-9(原始仏教の分類-6/釈迦成道)
冥想の深浅高低-10(冥想の縦軸と横軸)
冥想の深浅高低-11(冥想十字マップ-1)
冥想の深浅高低-12(冥想十字マップ-2)
奥深い心 (奥深い心 )

コミューン-一定数の覚者(ニルヴァーナの臨在に人は集まる)

只管打坐のポジショニング (ニルヴァーナではもうからない)

大地震の八つの発生条件-3(ブッダが完全なニルヴァーナに入る)

覚鑁(かくばん)の阿字観-2(ニルヴァーナへの展開)

阿弥陀仏はニルヴァーナの展開だった (覚鑁(かくばん)の見方)

神・仏・ニルヴァーナについての共通認識がない (神なき時代)

アートマンとブラフマン (梵我一如か?)

アートマンとブラフマン再論 (梵我一如に非ず)

太沖-1(ブラフマンを霊能力者が見立てる)



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霊がかりの堂々めぐり

2013-04-27 06:46:22 | 超能力・霊能力
◎わかってる人は他人の悪霊払いはしない

さてある日、イエスは、おしの人の悪霊を追い出して、おしがものを言うようになった。人々が驚いて、このことについて、あれこれ言っているが、イエスが説明するには、
『汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。』
(ルカによる福音書11章24~26)

イエスは、状態の悪い人について悪霊払いすることは、この福音書に書いてあるように、ろくな結果にならないから、ニネベの人々がヨナの宣教により悔い改めたようにその場に居合わせた人たちに悔い改めることを期待している。

クリシュナムルティがある婦人にエクソシストしたことがあるが、クリシュナムルティの姿勢も一貫してこのイエスの姿勢と同じようなものであった。

さらにイエスは、パリサイ人に食事に招かれた席で、わざと杯や盆の外側を清めずに「内側にあるものをきよめなさい。」とパリサイ人を諭した。このように、緊急対策として、外から聖なるパワーで邪悪なもの汚れたものを払ってもらっても、それはあくまで当座の臨時の対策でしかなく、その人の内面が変わらなければ、何度でも同じ状態になることを語っている。

それが証拠に、OSHOバグワンもクリシュナムルティもほとんど悪霊払いみたいなことはやっていない。出口王仁三郎もたまにしかやっていない。

自分が悔い改めるのは、自分でしかできないが、そういう時代に来ている。


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アートマンのアウトライン

2013-04-26 06:09:26 | シャンバラ
◎本来の自分、聖杯、月、鏡、不死、不壊、永遠

個別性があるのは、コーザル体までであり、第六身体とされるアートマンは既に人間の側のものではない。現象全体をまとめた呼称みたいなのが、アートマンである。だから身体という呼称そのものが、そぐわないのである。

またコーザル体の先に位置するのがアートマン、「有」である。

アートマンとは本来の自分であり、聖杯であり、月であり、月輪であり、鏡である。そして、不死であり、永遠であり、腐敗しない、不壊であり、滅想定である。

悟った後でも、なぜ金を稼いだり、洗濯したり、家事をしたりしなければならないのか。結局人間は、アートマンという、いわばこの世での欲望の原因を宿して生きているからであるということ。アートマンは欲望の塊りなどではないが、肉体とプラーナと想念を突き動かして生きている本体は、せんじ詰めればアートマンである。

悟り、なにもかもなし、ニルヴァーナ。その対極がアートマンである。
人間は、悟りを求めて苦闘するのだが、アートマンなしでは人間ドラマは起こらず。アートマンだけでも人間ドラマは始まらない。

そしてアートマンとニルヴァーナはペアという風でもない。その関係は、極めて微妙な位置づけであることを示唆する書き方で、文献には現れてくる。



アートマンとブラフマン (梵我一如か?)

アートマンとブラフマン再論 (梵我一如に非ず)

太極図説と世界の構造-1 (アートマンとブラフマン)

アートマンで生きる(太陽も月も沈み火も消え果てた時の光)

サナート・クマラのアートマン (ブラックマジックも効かないライン)

アートマンはなぜ心臓内にあるか (インド的見方)

ハートのアートマン (ウパニシャッドの不死の道)

妙法蓮華 (アートマンまで)

アートマンとブラフマンの違い-1 (神と悪魔の悟境の差)
アートマンとブラフマンの違い-2(最高の光明)

聖霊の話(二位一体)

覚醒して世界が変わる-16(一休-3)

覚醒して世界が変わる-4(白隠-4)

音楽の効用(日の老いたる者の言葉)

五十五は、天地の数(天行は健なり)

続脊柱の33(聖アンドリュー)

最高者リシャバデーヴァ(バクティと自己実現、感官の満足を求めぬ)

女性には生まれながらにして薬がある(女性の内丹)

ジェドの柱(Djed Pillar)(アンク十字架と日輪盤)

非常時日本の風景(天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし)

記憶としての神-2(有って有る者)

シヴァ・サンヒターの人間の義務(行為の結果を念頭から捨てる)

古代インド文献の中心太陽との合体(クンダリーニ上昇から中心太陽合一)

全体的な人間になる(原人間アントロポス)

タロット・カードの順序 (生の世界と死の世界)

プロティノスのクンダリーニ上昇 (万有の内なる神的なもののもとへ上昇)

三神系-4(天之御中主大神か天照大神か)

世界の転換のバリエーション (真の逆転)

アジャータシャトルの人間観 (エーテル体からアストラル体)

阿弥陀仏はニルヴァーナの展開だった (覚鑁(かくばん)の見方)

サーンキャ・カーリカー (身体の分離)

猪のイメージ (アートマンのシンボル)

身口意 (不死の境地)

熟睡中の夢も見ない状態 (神性の具現)

人間の最終ステップ (九分九厘まで)

6.悟りへの階梯-36(枝と葉の広がり)

6.悟りへの階梯-33(西洋錬金術の外形)

6.悟りへの階梯-31(慧命経の粉砕図)

6.悟りへの階梯-23(空海の十住心論-2)

6.悟りへの階梯-21(見ている自分)

6.悟りへの階梯-19(古神道のステップ)

6.悟りへの階梯-18(ヨーガ・スートラの三昧)

6.悟りへの階梯-14(見性・見神の希薄化)

6.悟りへの階梯-13(死の質の違い)

6.悟りへの階梯-12(クンダリーニ・ヨーガのステップ)

6.悟りへの階梯-10(不連続な意識のスペクトル)

6.悟りへの階梯-7(第四図から第七図まで)

6.悟りへの階梯-6(体験ではない何かが起きている)

6.悟りへの階梯-4(只管打坐タイプの冥想のステップ説明)
6.悟りへの階梯-5(牛を飼いならす)

2.悟りとは何か-9(クンダリーニ・ヨーガ系-4.呂洞賓)

2.悟りとは何か-6(クンダリーニ・ヨーガ系-1.サナート・クマラ)

万物は陰陽を抱いて和す (老子第42章 道生一)

クンダリーニ・ヨーガの源流-1 (ウパニシャッド「死神の秘教」)
クンダリーニ・ヨーガの源流-2(仮死で「ただある」)
クンダリーニ・ヨーガの源流-3(不死への上昇)

錬金術書の鍵-1 (坩堝をくぐり抜ける人)

天動説と地動説 (神と自我)

坐禅のバリエーション-2(雪巌禅師のトライアル-2)

ウパニシャッドと密教-1 (古代インドの曼陀羅と真言)

ラーマクリシュナのチャクラ (チャクラが開く)

老子の世界観 (老子第40章反者道之動)

ケン・ウィルバーの意識状態 (見性からの深まり)

ケン・ウィルバーのサイキック (アストラル体から上位へ)
ケン・ウィルバーのサイキック-2 (コーザル体から上位へ)

ケン・ウィルバーの結跏趺坐 (空と宇宙意識(ワン・テイスト)の違い)

解脱の定義-3(大乗の大般涅槃経-3)

エレウシスの密儀の謎 (デーメーテール讃歌)

冥想の深浅高低-10(冥想の縦軸と横軸)

冥想の深浅高低-3(ヨーガ・スートラの定と三昧-3)

冥想の深浅高低-1 (ヨーガ・スートラの定と三昧-1)

シロシベ-2(アムリタ不死の霊薬)

イグナティウス・ロヨラの神秘体験-1 (聖三位一体)

エドガー・ケーシーの見たアトランティス-5(エメラルド・タブレット)

象徴できるものはない (クリシュナムーティの冥想手法)

ソーマ・ヨーガ(薬物冥想)-3(ソーマに酩酊した者の独白)

プロティノスの窮極体験 (プロティノスの窮極体験 )

哲学から神へ (ラーマクリシュナの哲学の位置)


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コーザル体のアウトライン

2013-04-25 02:35:32 | シャンバラ
◎コーザル体の死

コーザル体についてまともに書かれている本はとても少ない。

さて死には2種あり、自我の死と肉体の死である。ところがボディの死にはいくつかの種類があって、それは肉体の死、エーテル体の死、アストラル体の死、メンタル体の死、コーザル体の死とある。

コーザル体は個我の頂点であるから、コーザル体の死が自我の死であると推論できる。つまり肉体の死は悟りと同義ではありえない。

中心太陽への突入プロセスにおいて、それぞれのボディの死の描写を見ると、単に個々人のボディが死ぬわけではなく、肉体レベルの宇宙が死に、次にエーテル体レベルの宇宙が死に、同様にアストラル体宇宙が死に、メンタル体宇宙が死に、最後にコーザル体宇宙が死ぬことによって、個我は死に切り、アートマンに至り、ニルヴァーナになるようなのだ。

すなわちクンダリーニ・ヨーガのカリキュラムでは、自我の死とはコーザル体の死であるときちんと位置づけられるように考えられる。



6.悟りへの階梯-13(死の質の違い)

6.悟りへの階梯-12(クンダリーニ・ヨーガのステップ)


クンダリーニ覚醒のプロセス-9(コーザル体の離脱)

最初の4つの身体と統合失調症(私たちも軽度の統合失調症)

覚醒して世界が変わる-14(一休-1)

天の露とオルゴン(生命が誕生する前、宇宙にはオルゴン・エネルギーが流れていた)

続脊柱の33(聖アンドリュー)

最高者リシャバデーヴァ(バクティと自己実現、感官の満足を求めぬ)

合気道は愛なり(布斗麻邇(ふとまに)の御霊)

二つの出会い(太乙金華宗旨から)

火と水による滅亡(ティマイオス)-3(自分の星)

ジェドの柱(Djed Pillar)(アンク十字架と日輪盤)

テオティワカンの死の道(コーザル体レベル)

自我の結晶化と第五身体(願望実現と謙虚さ)

ユング派の見る錬金術 (心理学とクンダリーニ・ヨーガ)

ヴィシュダ・チャクラ (個我の最果て)

人間の最終ステップ (九分九厘まで)

6.悟りへの階梯-33(西洋錬金術の外形)

6.悟りへの階梯-30(肉体死からクライマックスへ)

フィチーノの天と霊魂 (上昇と下降)

クンダリーニ・ヨーガの源流-1 (ウパニシャッド「死神の秘教」)
クンダリーニ・ヨーガの源流-2(仮死で「ただある」)
クンダリーニ・ヨーガの源流-3(不死への上昇)

人間の可能性 (完全なる仕え(ユダヤ神秘主義))

哲学者の薔薇園の神秘-2(第三図 裸の真実)

幻身の正体 (メンタル体の特徴)


統合失調症と悟り (微妙なバランス)

慧命経の出神-1 (三界を超出する)
慧命経の出神-2(魂の成熟と離脱テク)

記憶はどこにあるの (海馬のエピソード記憶)

ケン・ウィルバーのサイキック-2 (コーザル体から上位へ)

解脱の定義-3(大乗の大般涅槃経-3)

チャネラー達-12(シャーマニズムと召命)

脱魂型シャーマニズムと憑霊型シャーマニズム (自我の殻)

天の浮橋について (合気道の天の浮橋)

冥想の深浅高低-12(冥想十字マップ-2)

シロシベ-1 (呪術師マリア・サビナ)

イグナティウス・ロヨラの神秘体験-5(知性の眼が開く)

イグナティウス・ロヨラの神秘体験-3(至聖なる秘蹟)

イグナティウス・ロヨラの神秘体験-1 (聖三位一体)

信愛の7つのステージ (信愛の7つのステージ )

哲学から神へ (ラーマクリシュナの哲学の位置)

自我の見え方と深淵 (自我の見え方と深淵 )

大周天について-1 (大周天とは)

クンダリーニ覚醒のプロセス-9(コーザル体の離脱)

クンダリーニ覚醒のプロセス-5(クンダリーニの覚醒-2)

死のプロセス-9(クンダリーニの覚醒と死のイメージ)

スーパーチャネラー列伝-3(審神のテクノロジー-2)

十牛図-8(第六騎牛帰家)

生命の木とタロット・カードと易経-7(⑶生命の木の深淵)

占星術-2 (⑵アカシックレコード)

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メンタル体のアウトライン

2013-04-24 02:20:33 | シャンバラ
◎自己実現のマニピュラ・チャクラから愛のアナハタ・チャクラへの上昇

クンダリーニ・ヨーガで、冥想による肉体死から先へ進む話は、柳華陽や呂洞賓、出口王仁三郎にもあり、明恵にもそれらしい話が出てくる。

メンタル体らしきもので体外離脱するエピソードがそれとはっきり書かれているのは、柳華陽とダンティス・ダイジになるだろうか。そのから先のことを指して、死の世界を究めると言っているのだと思う。

ダンテス・ダイジの物語るメンタル体離脱以後のルートはこうなっている。

(1)頭頂から肉体を離脱する。

(2)メンタル体意識は消滅する。

(3)コーザル体は6つの次元を越えて、中心太陽に向かって上昇していく。
コーザル体は、最後の個人性・個別性を残してはいるが、完全な透明な光明意識である。そして個別性を残しながらすべてを見る局面があると彼は語っている。

(4)上昇しつつアートマンであることに目覚める。

(5)アートマンとブラフマンの合体

(6)モクシャ(実在・意識・至福)

(7)肉体への帰還

メンタル体離脱以後には、通俗的アストラル世界、つまり霊界にはまったくこだわりなく進んでしまっていることに注目すべきだろう。ここは霊界を相手にせず進んでしまうのだろう。

またステップということでいえば、メンタル体、コーザル体、アートマン、ニルヴァーナとステップを駆け上がるが、同一3次元エリア内ですべてのステップが展開するようなものではなく、世間の常識人の想像を完全に超えたものとなっている。


「生きとし行けるものはすべて、限りない回数、死しては生まれ変わってきている。彼らはこの名状しがたい光明(『原初の光』)を幾度となく体験しているにも関わらず、無知の闇に妨げられて、無限の輪廻を果てし無くさまよっている。」
パドマサンバヴァ(仏教をチベットに伝えた人)

こうした状態のなかで、いまの文明のテーマは、メンタル体における自己実現のマニピュラ・チャクラから愛のアナハタ・チャクラへの上昇となっている。



寝入りばなの冥想 (メンタル体コントロール)

メンタル体のアナハタ・チャクラ-1(メンタル体のアナハタ・チャクラ)
メンタル体のアナハタ・チャクラ-2(アナハタ・チャクラを打つ)
メンタル体のアナハタ・チャクラ-3(妙好人の悟境-1)
メンタル体のアナハタ・チャクラ-4(妙好人の悟境-2)

幻身の正体 (メンタル体の特徴)

最初の4つの身体と統合失調症(私たちも軽度の統合失調症)

最近のクンダリーニ・ヨーガ動向(肉体偏重、ハタ・ヨーガ偏重)

本山博的世界(6つの身体論みたいな)

本山博の見方(禅への批判)

覚醒に値する肉体(戦争に肉体も心理も耐えられないこと)

青春は長く老年は短い(想念の切り替わりの瞬間)

記憶としての神-1(北欧神話のカラスたち)
記憶としての神-2(有って有る者)
記憶としての神-3(文明の記憶)

シヴァ・サンヒターの甘露(月からは甘露、太陽からは毒)

ブラック・アウト (カムバック・タイム)

古代七金属 (チャクラと錬金術)

それぞれのボディの呼吸 (気・プラーナの機能)

6.悟りへの階梯-30(肉体死からクライマックスへ)

6.悟りへの階梯-26(死のプロセス-1)

不死なるチャクラ、死すべきチャクラ (神に対する敬虔)

フィチーノの天と霊魂 (上昇と下降)

アトランティス人の身体 (両性具有者の起こり)

南無阿弥陀仏のメカニズム (死後の修行に力点なし)

クンダリーニ・ヨーガの源流-1 (ウパニシャッド「死神の秘教」)
クンダリーニ・ヨーガの源流-2(仮死で「ただある」)
クンダリーニ・ヨーガの源流-3(不死への上昇)

哲学者の薔薇園の神秘-6(第七図 魂の上昇)

究竟次第 (死の光明と幻身)

慧命経の一つの見方 (クンダリーニ上昇)

慧命経の出神-2(魂の成熟と離脱テク)

合気道の神髄-4(植芝盛平の神秘体験-1)

冥想の深浅高低-12(冥想十字マップ-2)

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アストラル体のアウトライン

2013-04-23 05:59:25 | シャンバラ
◎三次元宇宙の自由自在な歩き方

アストラル体にこだわっていては、自分は死なない。アストラル体へのこだわりはそこそこにしないと、先にはいかない。

文盲の人々は迷信に左右されがちなものである。それと同様に無神論社会に生きる人々もたとえば宗教禁止の中国人たちや、神など信じない大半の日本人たちも、往々にして震災などの自分の生存を脅かされる可能性を目の当たりにしたとき、迷信深くなりがちなものである。

そうした状況下で、我々は、政府と企業にコントロールされた情報を、スマホやネットやテレビを通じて日夜流し込まれている。こういう情報を受け取る日本人の精神は、無神論が通常だからオカルトを信じやすくなっているうえに、若年層では幼児期から成長期でのテレビ・ゲームのやり過ぎでボディの臍付近に穴が開いている人が多く、そうしたこの世ならぬものの影響を受けやすいと来ている。いわば霊能力者もどきが多数闊歩している。

アストラル体は、こうした人たちにとって、霊能霊覚の基盤となっていて、とても日常的なものになっていると思われる。

さてアストラル体の呼吸は感情であり、アストラル世界における感情パワーの強烈さはとても強いもので、アストラル世界では、千年も生きながらえるエネルギーの源泉になっているような場合すらもあるという(本山博)。

アストラル世界は、この世の現象の原動力になっているのだが、必ずしも正ばかりでなく、邪もあることは、ダライラマが幽霊のいろいろにかこつけて説明しているとおりである。

またアストラルのパワーの盛衰はどうも天体の動きに対応しているようで、アヴィラのテレサが見抜いたように「時を選ぶ」タイプの奇蹟でそれを知ることができる。

更にパラケルススによると、天体をアストラル宇宙あるいは霊界と見れば、人間の想像力がアストラル宇宙に作用し、悪しきバイブレーションを創出し、それがやがてこの世の悪疫として現実化するというメカニズムもある。

悟っていない者は、日々肉体を持っているかぎり必ず悪想念が兆し、悪事を犯すもの。よって毎日禊払う。これは毎日風呂に入るようなものではある。アストラルを意識的に扱うものは、こうした作法を必ず必要とするが、無意識に扱う者にも禊祓いは必要なのだと思う。

いずれにしても、垂直ジャンプを常に意図する中でのアストラル体の位置づけを認識していないと先には進めないと思う。



幽体離脱のステップ-1 (霊になっても孤独は変わらず)
幽体離脱のステップ-2(始めはぼんやり、段々はっきり)
幽体離脱のステップ-3(出口王仁三郎の説明)
幽体離脱のステップ-4(キュブラーロスの定義)
幽体離脱のステップ-5(アストラル・ボディの形成)

肉体は下、アストラル体は上 (老子第76章 人之生)

ケン・ウィルバーのサイキック (アストラル体から上位へ)

鬼門とアストラル体 (アストラルな方角)

アジャータシャトルの人間観 (エーテル体からアストラル体)

オーラとアストラル体 (自分を知り他人を知る)

レイキ考(エーテル、肉体、アストラル体)

リモート・ビューイングの悪用(アストラル・トリップを支配する金と権力)

UFO・臨死体験・シャーマン (アストラル止まりでは・・・)

チャネリングとアストラル・トリップ(遠隔透視における比較)

アストラル人間の姿-1(右肩甲骨の後ろにあるポイ,ント)
アストラル人間の姿-2(集合点とエネルギー・コード)
アストラル人間の姿-3(三種の生き方)

空中旅行 (アストラル・トリップ)

出口王仁三郎のアストラル・トリップ (三次元宇宙の自由自在な歩き方)


モンローのアストラル・トリップ (楽しいだけでは)

中国五岳 (空間のアストラル・コントロール)

アストラルな副守護神 (知らない他人と同居)

ダイアン・フォーチュンのアストラル・トリップ(霊界の大いなる力の潮)

アストラル・トリッパーの作法(勇者の道がお好みならば)
アストラル・トリッパーの作法-2(時間軸の遡及)
アストラル・トリッパーの作法-3(変性意識な日常)

サンジェルマン伯爵行状(アストラルな分身)

催眠術でアストラル・トリップ(活元運動以上の世界へ)

アストラル・トリップ後の肉体(肉体の睡眠状態)

アストラル人間にも救いはない(非論理的説明、非論理的垂直ジャンプ)

尸解仙 (アストラルでの交流・修行)

高熊山での幽斎修行 (アストラル・トリップからの試運転)

和歌に見えるアストラル・トリップ (アストラル・トリップを出ない)

幽霊とはなにか(砕霊と幽霊考)

先祖供養の実相(救霊の至難事)

パラケルススのペスト伝染論(想像力と天体のフィードバック)

気への感性、霊への感性(水とコップ、邪気と神気)

ロバート・モンローと死(どこまでも自分を失わない)

巨石モニュメントと天文学、占星学(クンダリーニ・ヨーギへのサポート)

ラビ・レーフの魔術(プラハのユダヤ人マスター)


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エーテル体のアウトライン

2013-04-22 02:21:58 | シャンバラ
◎エーテルで上昇

エーテル体は、半物質であり、エーテル体での呼吸とは、気・プラーナなので、肉体の呼吸が停止した後も、エーテル体の呼吸は暫時残る。

出口王仁三郎の説明では、宇宙には火素または水素としての神霊原子が充満し、これがやがて精気を構成し、精気から電子が生まれ、電気を発生させる。
エーテル体の電気的性質はこのレベルのことである。

肉体レベルと気・プラーナのエーテル体レベルでは相互にエネルギー交換が行われており、病は気からと言われる如く病気の原因は、エーテル体レベルを源とする場合は少なくない。この原理を利用してヒーリングに利用したのがレイキや気功ということになる。

ソーマ・ヨーガにおけるエーテル体に関する捉え方は、以下のヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスの考え方が最も正統的であると考えられる。

1.エーテル体(エネルギー体)とは、肉体と対になっていて,純粋エネルギーからなる幽霊のようなもの。

2.エーテル体(エネルギー体)には、形があるが質量がない。だから一瞬のうちに宇宙の果てまで移動することもできる。夢見とはエーテル体を操る技法。

3.夢見におけるエネルギーの使用方法は3種。
(1)流れのままにエネルギーを知覚する。
   エーテルを、光や脈動する流れのようなもの、乱れ、揺さぶり、衝撃、痛みとして直接感じ、見ること。

(2)未知の領域に飛ぶロケットのようにエーテル(エネルギー)自体を噴射する。
   宇宙に存在するエーテルの流れをエーテル体が自分を上昇させるのに使うことができる。エーテルの流れを分離してそれとともに進んで行ける。

(3)普通の世界を知覚するように知覚する。

4.エーテルのエネルギー量は有限であり、普通の人はそれを普通の世界を知覚するためだけに使っているので、エーテルを知覚するエネルギー量は残っていない。シャーマンはそれをエーテルの世界知覚にも用いる
だから、修行の最初では、射精しないことという禁則をどの宗教でも採用する。



クンダリーニとウパニシャッド-1 (エーテル体)

天の露とオルゴン(生命が誕生する前、宇宙にはオルゴン・エネルギーが流れていた)


七つの生気の放出(エーテル体崩壊がリミット?)

物質世界とエーテル世界の壁(マクモニーグルのパチン)

レイキ考(エーテル、肉体、アストラル体)


最初の4つの身体と統合失調症(私たちも軽度の統合失調症)

UFO体験と電気的感受性(エーテル体と電気)

オルガスムの法則 (エーテル体レベルでの現象)

グルジェフのエーテル体 (遠隔治療の原理)

ゲリー・ボーネルのエーテル体論(記憶の継承とボディ)

肉体の回りの青みがかった光(エーテル体)

アジャータシャトルの人間観 (エーテル体からアストラル体)

平田篤胤の養父篤穏の養生法 (エーテル体のイメトレ)

エーテル体と病気(ちょっとした不調というきっかけ)

ドン・ファン・マトゥスのエーテル体 (エーテルで上昇)

失われたアトランティスの魔術(冥想センターとしての王の間)

気への感性、霊への感性(水とコップ、邪気と神気)

本守護神と正守護神(自己の真心を発揮して活用せしむる)

宇宙人の種類-1(火星人とグレイ)

宇宙人とUFO(現代人の世界観のすき間)

パラケルススの第五元素(活動力の元とプラーナ)

ゾシモスの夢(下の七つの階段を昇る)

OSHOのヴィパッサナー-4(取扱注意が必要な呼吸覚醒)

OSHOのヴィパッサナー-2(出入する腹への気づき)

エーテルの更に先 (神霊原子)

生体電気のパワー (脱身へのきっかけ)

三神系-2(霊界から見た宇宙  )

塩、水、香 (エーテル世界と電気磁気)

断食の意義 (人はパンのみにて生きない)

それぞれのボディの呼吸 (気・プラーナの機能)

小周天のテクニカル・ターム-3(精、元精)

6.悟りへの階梯-37(2万4千年周期と肉体)

6.悟りへの階梯-36(枝と葉の広がり)

6.悟りへの階梯-26(死のプロセス-1)


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ラジニーシ・堕ちた神(グル)

2013-04-21 06:48:38 | 冥想アヴァンギャルド
◎早々に失敗を自覚

「ラジニーシ・堕ちた神(グル)―多国籍新宗教のバビロンヒュー・ミルン (著), 鴫沢 立也 (翻訳)/第三書館」については、長い間読まずにおいていた。1991年の出版当初は、反バグワン・キャンペーンの急先鋒として出版された本であることが明らかに思われたからである。

出版された当時は、ブランチ・ディビディアン事件やオウム真理教事件の前であり、この本に書かれているようなカルトぶりは、立ち読みした限りでは信じられなかったので、手をつけずにおいたのである。

「ラジニーシ・堕ちた神(グル)」では、著者とバグワンの心情的な同期はあるものの、著者に対して冥想指導をほとんどしていないという点が指摘される。またこの本では、バグワンがどのような冥想指導をして、このコミューンでどのように覚者を打ち出して行ったが何も書かれていない。

つまりバグワン本でありながら、冥想そのものについてほとんど何も書かれていないから読むに値しないと当時から考えていたのである。こうした冥想と関係ないバグワン本としては、OSHOアメリカへの道も同類である。ここがネガティブ・キャンペーンの本と言われる所以でもある。

著者ヒュー・ミルンは古参信者ではあるが、教団の全容を知り得る立場とは言えなかった。だから書いていることすべてが正しいとは思えないが、エイズ出現以前でのプーナでの教団ぐるみの乱交ぶりや、オウム真理教を思わせる多数の信者の労働での酷使ぶりはそのとおりだったのだろうと思う。

またこの本では、教団経営の中心だったラクシュミーとシーラという二人の女性幹部の悪辣ぶりが強調されているが、食べ物が粗末だったり、住環境がひどかったりと、およそ冥想修行そのものと関係のない話ばかり出て来る。

オレゴンのコミューンのカルトへの変貌ぶり(武器集め、信者の言論の自由の剥奪、監視塔を多数作って信者の脱走を防止など)はこの本に書いてあることが本当であれば、驚くべきことだが、半分くらいは本当なのだろうと思う。

さてバグワンは先にダイナミック冥想などの直接覚醒とは結びつかない(可能性のある)ファッション冥想を教団全体にすすめ、後に禅を勧めるように変わった。

この冥想手法での方向転換の経緯もさっぱりうかがい知ることができない。要するに著者ヒュー・ミルンは、自分の悟境には関心が高いが、そうしたものにあまり関心がなかったのだろうと思う。

昔、知り合いにOSHOバグワンの生活ぶりウォッチャーみたいな人がいて、バグワンがプーナに居る頃からあまり冥想しないで読書ばかりしていることに憤慨していたことを思い出す。

OSHOバグワン関連書籍については、生前に出版されたものより、死後に出版されたものの方が評価が高く、ダンマパダや秘教の心理学などはその一つである。生前に出版された存在の詩や老子などは冗長に過ぎて読むのがつらかったりした。

この本を読んで、OSHOバグワンは、インドのプーナのコミューンにいて読書三昧していた頃から教団経営の破たんを自覚していたのだろうと思った。オレゴンのコミューンに移ってからは、この本に書かれてあるようにほぼ抜け殻みたいなものだったのだろう。

最後は抜け殻になったとしても、OSHOバグワンほどの技量であれば、必ず相当の高みにある弟子を打ち出そうとしないわけはない。この本に書かれてあるように世界中から集まる美人信者の裸を鑑賞することばかりに熱心だったわけではあるまい。そこでOSHOの高弟の動向というものに、今でも非常に関心を持っているのである。


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肉体のアウトライン

2013-04-20 06:02:53 | シャンバラ
◎肉体人間を超える

現代文明における人間観とは、人間とは肉体人間であるということである。肉体が死ねば人間は終わりである。

一方メジャー宗教で肉体が死ねば人間は終わりだと説く宗教はない。しかし現代人は肉体が死ねば人間は終わりだと思っている。

当面、衣食住に問題がなくて、生きていることに何も困っていなければ、人間はすべてが順調だと思いがちである。

ところが東日本大震災などに出会って、死は誰にでも突然襲って来るものだということを知り、肉体死は自分にとってのっぴきならないものだと思い知る。死は厳然とある。それを知った途端生は暗転して真っ暗闇の人生になる。

その恐怖に堪えきれず、釈迦ですら、肉体人間というのが本当は存在しないんだというところを発見する旅に出た。

その冥想修行の旅の中には、様々な肉体の可能性と機能がある。

体外離脱の起点としての肉体。
アストラル体と肉体間でクンダリーニのエネルギーコードがつながったままでのアストラル・トリップ。
呼吸停止・心拍停止でないと中心太陽合一までは行きつけないが、戻ってきた肉体が回復するのは結構時間がかかるらしい。
現代人の肉体は、覚醒するのに準備ができた肉体と言われるが、ハタ・ヨーガは覚醒に堪えられる肉体の準備である。
などなど、肉体にまつわる視点ですら無数にあって、それぞれクリティカルである。

肉体を超えるとは、肉体人間観を超えるということであって、それが肉体死を超えるということである。それは死の恐怖を超えるということであって、一筋縄ではいかないし、本気での取り組みを必要とする。

メソッドはあるが、それについて本気で取り組むモチベーションを何人が持ち得るかが、現代文明がどの程度残るかのバロメーターとなった。



その時に見るやすらぎ-1(ダンテス・ダイジ-1)

覚醒して世界が変わる-15(一休-2)

2012年の終わり(既成宗教と精神操作)

死を経験した肉体(出口王仁三郎の高熊山修業後の体調)

裸で天に昇り太陽の樹に降る (いつまでも白い肉体)

ドルネウスの再生(再び分離することのない霊、魂、肉体)

マリー=アンナ・リンドメイアの脱魂 (肉体がダメになるリスク)

肉体は下、アストラル体は上 (老子第76章 人之生)

3.悟りの必要性-9(肉体の死と自我の死の関係)

3.悟りの必要性-10(肉体死と死の世界の全貌)

3.悟りの必要性-11(肉体死への恐怖から覚醒へ)

6.悟りへの階梯-30(肉体死からクライマックスへ)

6.悟りへの階梯-37(2万4千年周期と肉体)

旧事本紀と天皇 (アトランティスと肉体改造)

放射線の肉体への影響(低線量放射線の影響についての研究の不毛)

桜沢如一の無双原理・易(肉体変成の可能性)

人間の肉体の可能性(肉体を温める)

OSHOも木から落ちる (霊魂は肉体と別にあり)

OSHOの死の見方 (肉体の死と自我の死)

光明を得れば肉体と脳はかき乱される (真理は語れない)

肉体から意識を後退させる (強盗に重傷を負わされた老ラマ(僧))

ラマナ・マハルシの臨死体験 (肉体に止まって見る)
ある殺人者の冥想体験 (観想法で肉体を飛び出す)

肉体意識を脱却する手法の限界(水平的な手法)

ヘルメスの幻のチャクラ-2 (銀河と肉体間の往還)

人の一生と肉体の静電気 (電気的コントロールの可能性)

パラケルススの最後の審判の日(その後の肉体の有無)

必滅の肉体+不死の霊魂セットは、うそっぽい(上原ひろみ Brain)

ホムンクルス(透明で真の肉体ではない)

冥想の姿勢について (肉体を感じないということ)

キリスト教の断食 (肉体コントロール)

覚醒に値する肉体(戦争に肉体も心理も耐えられないこと)

無門関第四十七則  兜率三關 (肉体から去る時)

無臂林(むひりん)(意識を肉体から後退させ痛みをコントロールする)

クンダリーニ覚醒のプロセス-12(肉体への帰還)

死のプロセス-7(肉体死のプロセス)

OSHOの高弟の死 (肉体へ帰還せず)

スタニフラフ・グロフの妻の神秘体験 (肉体クンダリーニ上昇)

ラヤと肉体死(知覚と心の停止)

臨死体験とパノラマ現象(肉体離脱直前のステップ)

最近のクンダリーニ・ヨーガ動向(肉体偏重、ハタ・ヨーガ偏重)

ラスプーチンの病気治療 (肉体とカルマの操作)

ツンモ=人間発熱機の威力(肉体でできること)

レイキ考(エーテル、肉体、アストラル体)

アストラル・トリップ後の肉体(肉体の睡眠状態)

背中の気血上行 (肉体の健康と煉丹修行)

何仙姑=八仙唯一の女性(ある意識状態に入るきっかけと肉体変成)

空海の死 (肉体を残す)

肉体死が悟りのきっかけにならない人たち(死にゆく人への技術)

出口王仁三郎の肉体離脱 (愛の情動)

最初の4つの身体と統合失調症(私たちも軽度の統合失調症)

統合失調症と霊覚・超感覚(本山博の見方にヒントあり)

カルマ理論には穴がある(地獄なこの世)

茶髪・パーマ(内から壊す)

昨今の中国、ロシアの日本侵攻の動き(大本神諭、玉鏡など)

アヴィラのテレサの自我の死-3(愛の甘美さの中にある)

パラケルススの神と人との合一(聖なる奇跡と新しい肉)

アヴィラのテレサの自我の死-2(自分の死なくしては神に至れず)

覚醒して世界が変わる-15(一休-2)

プロティノスの死の練習-1(「哲学」とは死のテクニックだったのか)


プロティノスの死の練習-2(死の技術を扱う密教)

エジプト死者の書「アニの霊の告白」-1(自分が人間だったことがあるということすら本当には思えなくなったり)

エジプト死者の書「アニの霊の告白」-2(人体出現の術)

幽霊とはなにか(砕霊と幽霊考)

ブッダの骸骨-1(時は来た)

外食産業は食欲と肥満まで操作する(甘くとろける食べ物で食べ過ぎを繰り返させる)

スウェデンボルグの四つの見え方(ビジョンと体外離脱)

スーフィの窮極(バハーウッディーン・ナクシュバンドの魂の旅)

まだ準備のできていない魚(情報だけは提供される)

気への感性、霊への感性(水とコップ、邪気と神気)

本守護神を本来の自己として奉斎する(自分を拝む)

サバイバル時の心的反応-1(恐怖感と不安感のコントロール)

サバイバル時の心的反応-2(欲求不満と怒りから鬱へ)

サバイバル時の心的反応-3(死者たちと共に死ぬ)

虹の身体 (まず死から)

人間の運命についての二つの視点(人間という形と自由)

アトランティス犠牲の宮(放射線障害対策へ)

スピリチュアルな放射能対策(内分泌腺の活性化)

同殿同床の本来の意義(現代人も同殿同床を求められる)

宇宙空間への一時疎開-2(神のシナリオ)

I-Phone、I-Pad、アンドロイド携帯と人間(液晶ワールドに閉じ込められて)

広い宇宙に地球人しか見当たらない理由(フェルミ・パラドックス)

狂人ノート-2=和尚バグワン(転生の終焉)

身体と心を整えて悟る(道元の学道用心集から)

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通俗人間性からのジャンプのアウトライン

2013-04-19 05:39:09 | シャンバラ
◎天の露あるいは天の精気

人間は、動物からの生物学的ジャンプという形で、動物的な自意識を離脱して、想念・思考機能を有する知情意から成る自意識、そして7つの意識レベルを展望できる自意識を獲得した。

この革命的飛躍と同様に、人間の覚醒というのは、7つの意識レベルからなる統合された人間としての自意識にあって、ニルヴァーナという超意識の高みと深淵とを生きることであり、日夜情けない自分に悩み苦しむ通俗人間の生業のことではない。


天の露あるいは天の精気-3(タロット・カード)

修行の結果に個人差 (二重の不確実性)

誠実に生きる(大いなる禁欲)

2012年の終わり(既成宗教と精神操作)

アストラル人間にも救いはない(非論理的説明、非論理的垂直ジャンプ)


願望⇒実現⇒自我膨張(ホロスコープの水平展開から垂直ジャンプ)

アセンションと人間のカルマ(必滅と不滅&ジャンプ・アップ)

アヤワスカ-1 (現実からのジャンプアウト)

ゾシモスのクンダリーニ(手に剣をもって探せ)

タントラの現実(谷体験)

Googleは世界をググれなかった!(Google秘録)

OSHOの誕生日(あなたはブラフマンの夢 そしてあなたは私自身)

自我の結晶化と第五身体(願望実現と謙虚さ)

でっちあげ (真理のかけら)

神に貫通される (自分が悟る覚悟の時代)

百万遍 (虚空蔵菩薩のマントラ)

7.悟りの実現可能性 (二重の不確実性)

典型的な素人(しろうと)考え (自分がどうか)

アマゾンの口噛み酒 (外丹の心得)

モンローのアストラル・トリップ (楽しいだけでは)

恐怖があるから冥想しない (飛び込んでいく)

チョコレートをあてにお酒でも (カカオはカフェインの豆)

豊臣家と徳川家 (東西と南北)

七日間で悟りを得る-1 (リフレッシュ&トライ)
七日間で悟りを得る-2(定力で推し詰める)
七日間で悟りを得る-3(現成公案)

クンダリーニとウパニシャッド-7(管の中を動く風-3)

シロシベ-1 (呪術師マリア・サビナ)

クンダリーニ覚醒のプロセス-6(クンダリーニの覚醒-3)

ソーマ・ヨーガ(薬物冥想)-1 (概観)

意識の裂け目 (意識の裂け目 )


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本山博の神様とのコンタクト

2013-04-18 05:50:44 | クンダリーニ・ヨーガ
◎その体験を見ている自分

本山博の最初の神様とのコンタクトは、20歳くらいの時。

本山博は、戦時中、鉄道の大きなレールみたいなものの先を尖らせて、それを吊るして、10人くらいで山の岩を掘ってトンネルを掘る作業をしていた。

そうした合間に、彼が一週間ほど前に亡くなった義弟が成仏するように壕のトンネルの中で一生懸命お祈りをしていたら、急に回りが光ったというか彼の身体も多分光った。その時に本当に神様とつながりができた。これが最初の神様とのコンタクト。

2回目は、最初の体験から7年くらい経って、二十四、五歳の時で、ヨーガを初めて1~2年経った時。この時に神様はこういう方で、自分の役目はこうで、自分はどういうところに神様によって上げられたかということが自覚できたそうだ。
(出所:神秘体験の種々相2/本山博/宗教心理出版P144-145)

霊がかり気味だし、体験とは言えない体験とまでは言えないかも知れないが、神様とのコンタクトは起きることは起きたのだろう。

ただそれをきちんと自覚して、評価するまでは、何年もかかることがある。評価するためには、「見ている自分」を冥想によって養っていくということが必要なのだろうと思った。

こういう話を率直にできる本山博氏は極めてフランクな人である。フランクなのは覚者の特徴ではある。


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死の側から窮めるのアウトライン

2013-04-17 02:04:23 | シャンバラ
◎人間はどこから来てどこへ行くのか

人間は死の世界から出でて死の世界に帰って行く。

死んだその先が、時に人間としての来世ではないこともチベット死者の書では言う。自分で選び取る子宮が人間のものではないこともあるとして。

このように人は死後の世界から自意識を再形成されて、自分の生まれてくる子宮と両親を選んでこの世に誕生してくる。

そしてこの地獄的な意識の人の多い時代を生き抜き、日々ほとんど悪事、一部善事を重ねて、寿命を終える。死後は、その生涯の積善積悪の結果を受けて、ごく少数の(前世分も通算して)善業の多かった人だけが、人間として中有を通過して、霊界ライフをエンジョイでき、再輪廻する。

これではまるで人間として輪廻することがゴールみたいで変な感じだが、これが実情に近いのではないか。

しかし実際のところ、人間には本当の救済がない以上は、「人間として再輪廻を目指す」ことに何の意味もない。また、そういう発想からは、人間からドロップアウトしたものたちに救済はなく、また運よく人間として再輪廻したものたちにとっても真の救済は遠い。

その遥かに遠くに見える救済を求めて、敢えて苦難に満ちた道、死の世界をクリヤする道を歩もうとするのがクンダリーニ・ヨーガ。

修験などでいう七転生、あるいは七回転生コースをとって地球での輪廻カリキュラム卒業を目指すなんてのはよほどのエリート霊魂だけの話であると思う。

今は、70億人全体のあらゆる人間の霊魂にとって、その環境が良いとか悪いとかの前提条件をすっ飛ばして、神に出会えなければ何も始まらないし、機根の良い霊でも大震災や核戦争に巻き込まれて本意ならずも砕霊になるピンチもあり得る際どい時代である。

いずれにしてもこの時代に「神に出会う」という最低限の合格ラインを突破する方法は、生の側から窮めるか、死の側から窮めるかの2とおりの道しかない。人間は死の世界から出でて死の世界に帰って行くからには、死の世界を窮めるというのは、社会的適応という側面を無視すれば、有力な冥想修行であることは間違いない。



覚醒して世界が変わる-17(老子-1)

現代冥想の到達点-3(2.クンダリーニ・ヨーガの中心太陽)

生を喜ぶのは惑いか(死が生より優位)

いろは歌から(つみといふ罪はあらじ)

その時に見るやすらぎ-7(イグナティウス・ロヨラ-2)

その時に見るやすらぎ-6(オーディン)

ザ・プライベート・ファイナリスト(人間の側に確かなものなどない)


エリザベス・キュブラーロスの位置づけ(死後の人間存続と幽体離脱)

ソクラテスの死生観-2(12片の皮を縫い合わせたボール)

人間はどこから来てどこへ行くのか(普回向(あまねく回向する))

玄のまた玄は衆妙の門なり(老子第1章 道可道)

合気道は愛なり(布斗麻邇(ふとまに)の御霊)

3.悟りの必要性-9(肉体の死と自我の死の関係)
3.悟りの必要性-10(肉体死と死の世界の全貌)
3.悟りの必要性-11(肉体死への恐怖から覚醒へ)

6.悟りへの階梯-25(死の世界を扱う技術)

ヘラクレイトスの見方-1 (人は死の世界から出る)

十字架 全体性としての四位一体(死の世界は水)

死を心に思い浮かべる修練(死の世界の水位は高い)

過去に出会った人物すべてを思い出す (死の世界での個生命の残存)

世界のクンダリーニ・ヨーガども(世界はぶっ壊れ続けている)

生には死あり(死を見ぬ人は生を歪める)

アストラル・トリッパーの作法-3(変性意識な日常)

津波のPTSD(心的外傷)から-1(いやすには時がある)

吊るし人(タロット)の周辺(素直になる)

建木=中国の世界樹(太陽のSPA)

死はシックかルックか (クンダリーニ・ルックへ)

野立彦神のクンダリーニ上昇 (それは悲劇に非ず)

聖者出現のコネクション (万教同根)

イエス出現の因縁 (野立彦神の跡を慕いて)

百万遍 (虚空蔵菩薩のマントラ)

ホルスの左目 (この世から超脱するためのアイテム)

死の領域を超えて彼岸に至る (三途の川の評価)

熟睡中の夢も見ない状態 (神性の具現)

6.悟りへの階梯-30(肉体死からクライマックスへ)

6.悟りへの階梯-14(見性・見神の希薄化)

6.悟りへの階梯-12(クンダリーニ・ヨーガのステップ)

5.悟りへの手段-9(クンダリーニ・ヨーガの弊害と適性)

2.悟りとは何か-10(クンダリーニ・ヨーガ系-5.空海)

2.悟りとは何か-9(クンダリーニ・ヨーガ系-4.呂洞賓)

2.悟りとは何か-6(クンダリーニ・ヨーガ系-1.サナート・クマラ)

哲学者の薔薇園の神秘-6(第七図 魂の上昇)

哲学者の薔薇園の神秘-5(第六図 死)

ケルトの黄泉比良坂 (冥界からの逃避行)

道教と悟り (ネタバレによる混乱)

出口王仁三郎の生き返り (クンダリーニ・ヨーギは六度死ぬ)

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生の側から窮めるのアウトライン

2013-04-16 06:18:09 | シャンバラ
◎本気で取り組む

只管打坐は生の側から窮め、クンダリーニ・ヨーガは死の側から窮める。

生の側からの覚醒である只管打坐の系譜としては、老子がいて、釈迦がいて、達磨がいて、道元がいて、クリシュナムルティがいる。

生の側から窮めるというのは、最後は黙照枯坐の只管打坐というポスチャーが起きるのだろうが、その前段で王陽明の事上磨錬や、ことによっては、妙好人の南無阿弥陀仏のマントラ・シッディなども、黙照枯坐の只管打坐が発生する導因に成り得るのではないだろうか。

ここにある特定の冥想法をしても、結果が期待した方向ではない場合があり得るという、奇妙だが冷厳な法則を見る。

それこそ徳山みたいに金剛経の研究をしまくって終にはそれを捨てたり、禅でも無字の公案のように終日「むーむー」とやってどんどん集中していく中で、最後に黙照枯坐の只管打坐が起こることもある。

ポスチャー・坐る姿勢はその時の人間の状態を反映するものだから、真正の只管打坐は、自分で坐るものではなく、「起こる」ものであるという側面もある。

只管打坐をするから生の側から窮めるという説明はこのように、一見腰砕けなロジックのようにも見えるが、実はそうでもないだろうと思う。
ものごとに本気で取り組むこと。これがポイントであることは間違いない。

便利な時代、便利な道具があふれるということは、生活スタイルとして、人を物事に本気で取り組むということから遠ざけがちなものである。ここに現代人のライフ・スタイルの落とし穴がある。

そこで、日々の冥想習慣がある場合は、本気で取り組むことの効用に気が付くチャンスが多いのではなかろうか。

生の側を窮めれば自ずと死の側のこともわかる。本気で取り組むとは、生の側を窮める第一歩だと思う。


生を出て死に入る(柔弱は道の要なり)

あなたは神の顔を見ることはできない(神々の顔を見た者は必ず死ぬ)

生の側を窮めて死の側を知る (老子第50章 出生入死)

只管打坐の7ステップ-3(完璧な生の瞑想)

現代冥想の到達点-2 (1.只管打坐でいう身心脱落 )

妙好人で妙なこと(死の世界をクリアしに行かない)

人間である自分がないこと (2種の至高体験)

生の側から極める (老子第64章 其安易持)

死を受け入れる (ある黒人掃除婦の息子の死)

タロット・カードの順序 (生の世界と死の世界)

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