アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

食品の放射能汚染

2012-09-30 07:46:30 | 時代のおわり
◎原発事故の後始末

スーパーに設置してある大型浄水装置から無料の純水を利用する人は、原発事故以降は確実に増えた。

実りの秋となり、各地から秋の収穫物の放射能汚染が基準値超えであることが、ちらほらと報道されることが多い。話題になった長野県軽井沢のきのこ、那須塩原や那須町の栗、福島県内でも原発から遠い猪苗代のきのこも、いずれも基準値オーバー。しいたけも福島以外でも千葉などは出荷制限が続いており、重症である。

問題は米。福島では全袋検査が行われている一方で、真偽の確認できないものの、ツイッターに福島市内で約6割が出荷制限という情報まででているそうだ。しかし全袋検査では検査結果の公開に賛同されない農家については、検査結果の数値は、公表しないとのことなので、福島県産コメの何割がアウトかは善良な消費者にはわからないようになっている。

森林や農地の除染が進んでいないことが、ここに来て重い課題として突きつけられているのだが、マスコミが黙っているのと、票にならないので政治家が動かない。

セシウムの半減期を考えれば、向こう30年状況があまり変わらないことを見越して、汚染状況を広汎にまとめて、消費者としてどうするのか、生産者としてどうするのか方向性を考える時期に来ているのではないか。生産者側にとっては、歩留まりの少ない生産物はやめる、消費者側にとっては、より安全性の高い食材を使用しているというランク表示を義務付けるなどの新制度など。

スーパーに行けば、福島県産米や福島県産野菜が他県産のそれに比べて2ランクダウンくらいの低価格で売られていることは皆知っている。外食産業では、そうした安い食材が使われているのだろうことも想像がつく。そうしたものは推理であって、事実とは言えないのではあるが、低価格の外食が、放射能的には、いわばきわどい食べ物になっているだろうという疑惑はある。また外食や冷凍食品を食べる回数の多い人ほど免疫力が低下するなんてことは、疫学的に論証しにくいテーマではある。

ここは、日常生活の上では、騙されてか知らないままにか、毎日どんどん放射性物質摂取させられていることを前提に、セシウム(摂取後90日滞留すると言われている)やストロンチウムの早期排出を促進する観想法やらハタ・ヨーガ・ポーズをスピリチュアル研究者側から出すべきではないだろうか。
ただまともに出せば、代替医療として、医師法とかにひっかかっていくのだろうから、出し方は工夫が要る。またその効果の測定は地味なデータの積み重ねが必要だし、簡単にはいかないだろう。

達磨は毒殺され、OSHOバグワンは毒物摂取の後遺症の体調不良は結局治らなかった。食品の放射能汚染については一人一人が自分の工夫で取り組んでいくしかないのだろう。


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本山博的世界

2012-09-29 07:02:01 | 超能力・霊能力
◎6つの身体論みたいな

本山博氏は、1925年生まれだから結構な年齢である。霊能力者ながら、邪に落ちず、地道に霊能の科学的説明、メンタル体での体外離脱(モンローのはアストラル離脱であることを喝破)などを推奨していることは、前向きの姿勢であって好ましいことだと思う。

道場が吉祥寺の井の頭にあるらしいというのは、若い頃から知っていたが、訪問してみようと思うこともなく、この年に至った。彼は、肉体からの離脱について「科学的な説明」を試みたりしているのだが、全体的に霊がかりすぎてどうかと思うところがあったからである。

彼のボディ観は、七つの身体ではない。彼の言うカラーナ体というのはメンタル体にあたるようなのだが、コーザル体と混同しているようだし、また中心太陽への突入から帰還という体験もないようで、モクシャということについてプルシャという言葉で位置づけてはいるものの全体としては6つの身体論であるように思う。

ルドルフ・シュタイナーはとても霊がかりな世界観だったのだが、ルドルフ・シュタイナーよりは、全体・神というものに対して一歩近いのではないかと思う。

またきちんと七つの身体論を立てているOSHOバグワンや、神人合一をきちんと語る柳華陽やダンテス・ダイジには及ばないのではないかと思う。

ただ地に足をつけた前向きな姿勢には、きちんと評価されるべきところがあるように思う。

仮に十人に一人が幽霊を感知できる程度の霊能があるとして、あるいは5百万人に一人が見神体験があるとしても、そうした異能や特異な体験は、無数の多様な個性の大海の中の一滴に過ぎないのである。

東日本大震災&原発事故のような巨大な天変地異の前には、そうした特殊能力のある人や聖性を持つ人であっても、抗すべくもなく巻き込まれていく場合がままあるように思う。日本にこれから何が起きるのかということは、日本人全体としてどうなのか、それが問われているのである。

余談だが、久々に中部大学の武田邦彦先生のブログを見たら、
http://takedanet.com/2012/09/116_2331.html
『2012年(今年)9月21日の報道によると、「福島第1原発事故が起きた2011年(昨年)3月の空間放射線量で最大なのは、原発から北西に約5・6キロの双葉町上羽鳥で、12日午後3時に毎時1.59ミリシーベルトだったことが福島県から1年半経った9月21日に公表された。』(同ブログから引用)

この件について、

「12日の2時半頃、福島原発からかなりの放射性物質が流れたことになる。
もともと『なぜ、福島原発から放射性物質が出たのか?」がまだ不明である。原子炉が破壊されていなければ放射性物質はでない。また水素爆発は建物の上部で起こり、それによっては原子炉は破壊しないから、これも出ない。
ということは、2号機などがかなり初期の段階(3月11日か12日未明)で破壊していて、その段階で大量の放射性物質が流れたとも考えられる。3号機の爆発以後なら小規模核爆発の可能性もある。』(同ブログから引用)

私は、これまで、福島原発から大量の放射性物質が流れたのは、公式発表どおり概ね3月15日の水素爆発以後だと信じていたのだが、12日の2時半に既に大量の放射性物質が流れる何かが起きたわけだ。これこそ政府が隠している巨大なけしからん情報なのではないだろうかと思った。水素爆発以前に大量の放射性物質が流れる何かが起きたってこと。

参考:『2011年5月8日、民主党の岡田幹事長は、東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内の警戒区域(福島県南相馬市、浪江町)を視察した時に、岡田幹事長だけ防護服を着て完全装備で、平服の現地の人たちと会っていた。』


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ハシディームの言葉

2012-09-28 05:57:47 | 現代冥想の到達点
◎最後の奇蹟は最初の奇蹟より大きい

ユダヤ神秘主義ハシディーム(18世紀ポーランド、ウクライナで始まったユダヤ教神秘主義ハシディズム)の言葉。
『天と地との創造は、無から有を展開させることであり、上なるものが下なるものの中に降りることである。

しかし、存在界から身を離して、つねに神に着く聖者たちは、真に神を眺め、捉えるのである――――彼らは有を変容させて無のなかに返すのだ。

そしてより不可思議なことはこれである、無すなわち下なるものを上へと高めることである。「最後の奇蹟は最初の奇蹟より大きい」とゲマラに書いてあるように。』
(忘我の告白/マルチン・ブーバー/法政大学出版会P254-255から引用)

※ゲマラはタルムードの一部

この文の前半の上なるものが下に云々は神からの視点であり、後半の下なるものが上に云々は人間の側からの視点に変わっている。

18世紀になってもユダヤ教神秘主義は正統的な視点を持ちえていたということを考えれば、ユダヤ教という正しきものがありながら、ことさらにイエスが出てきたというのは、マーケットをユダヤ人に限定せず、その教えの世界水準であることを西欧に押し出していくための運動だったということになるだろう。

最後の奇蹟こそがいわゆるアセンションだろう。人が上へとアセンションするのではなく、下なる無が上へと高まることをもってアセンションと見ていると解釈するのだろうか。


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サン・ジェルマンの不思議な液体

2012-09-27 06:03:42 | 超能力・霊能力
◎毒死者を蘇生させる

サン-ジェルマンの不思議な液体は毒死者をさえ蘇らせた。ヴェネヴァン- ロオド子爵とエレーヌ・ド・バロワの結婚式の前日、突然エレーヌが誘拐されて鹿の園に拉致されるという事件が起った。

色好みのルイ十五世がまず処女の毒見をしようという趣向である。エレーヌは書面で、花婿以外の男に抱かれるくらいなら死んだ方がましだ、と王に答えた。王は折返し一人の貴族に、絶対に乱暴はしない旨の回答を届けさせたが、時すでに遅く、彼女はいまし方毒を嚥んだところだった。

幸いにもこのときサン-ジェルマンが宮廷に居合わせていた。ポムパドゥール夫人が招き寄せると、彼はクリスタル・グラスと緑色の液体入りのフラスコを手にしてあらわれ、瀕死の花嫁のベッドに近づいて、まず彼女のまわりの虚空に魔法の輸を描き、それからグラスのなかに六、七滴の秘薬を垂らして飲ませた。

娘は秘薬を飲むやいなや、一瞬、前にもまして顔面蒼白となった。「死んだ」、と傍らでながめていた人びとが一斉に叫んだ。すると魔術師は快心の笑みを浮かべてこう答えたという。

「いや、彼女は助かったのです。二、三時間もすれば昏睡状態から醒めて、愚かな行為を阻んでくれたわれわれに感謝することでしょう」』
(薔薇十字の魔法/種村季弘/青土社P136から引用)

ルイ15世の時代だから18世紀。江戸時代。心霊主義以前の時代だけど、こうした神の奇跡をことさらに見せるのは、その周辺に集まった人々に対して神威を確信させるという効果があったに相違ない。

ここは、何のためにこれを見せたかというのが主たる意図なのだと思う。邪心とか、自分の功利とか名誉とかそういうものを実現させるために用いないというところがミソ。そういう場面に出くわすのは、人として、とても稀なことだと思う。


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1ドル札の4つのマントラ

2012-09-26 06:10:04 | 時代のおわり
◎神は私たちの企てを嘉(よ)みしたまう

千円札では富士山が湖面に映っているが、その姿が富士山とは似ても似つかぬシナイ山であるという有名な都市伝説がある。米ドル札にも都市伝説がある。

さて1ドル札の$の字はタウ十字に巻きつく青銅の蛇とも、水星メルクリウス=ヘルメスの象徴ともされる。

1ドル札には4つのマントラが並んでいる。

1.多より1を生ず
このマントラは鷲の図案の帯にある。 
これは、現象から神に収斂するということで、これぞ人間から神へというアクアリアン・エイジならではのマントラと言える。
このマントラは13文字のラテン語なので、東部13州にかけているという説もあるが、12プラス1なる聖数だろう。 
12が世俗あるいは世界であり、1で別世界への裂け目に導く。
  
2.神は私たちの企てを嘉(よ)みしたまう
このマントラは、神の目ピラミッドの上部にある。
私たちの企てとは、コーザル体を経て、ニルヴァーナに向かおうとする人間の本源的な方向性のことである。人間にとってこれ以上の野心的企てなどない。

3.世紀の新秩序
このマントラは、神の目ピラミッドの下部の帯にある。
ニューオーダーのこと。伝統的にはキリスト到来の予言であると解釈されてきたが、別のニューオーダーを夢見る人もいる。

4.我らは神を信じる
他はラテン語だが、これだけ英語で、“In God we trust.”。
これはONEの字の上に小さくある。

この四つのマントラは、ワシントンDCの上院議事堂の四つの入口の上に彫られているのだが、これは南。
人は南の入口から入り、聖なるものに北面するので、このマントラはまあ妥当なのだろう。ちなみに北口には、多より一を生ずである。
(以上参照:秘密結社の1ドル札/デイヴィッド.オーヴァソン/学研)

アメリカにも結構なレベルの呪術師がいてその伝統が連綿として受け継がれていることがこれでもわかる。

米国財務省1ドル札へのリンク
http://moneyfactory.gov/images/1noteid.pdf


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愛する者との出会いは、別の生で顛倒す

2012-09-25 05:54:50 | 究極というものの可能性
◎釈迦は釈迦、自分は自分

人生を苦と見ていた、とても厭世的な釈迦が、四聖諦の一つに苦諦を置いた。、苦とは、生・老・病・死だが、愛する者と別れねばならない苦と、憎む者に出会わなければならない苦をこれに加えたのだが、なぜそんなわかりきったことを釈迦が言わねばならなかったが不審に思われたものだ。

OSHOバグワンの、人が前世記憶を知るということの危険性と意義についての説明の一部。
『ブッダはいっている。愛しい者との出会いは喜びをもたらし、厭(いとわ)しい者との別れもまた喜びをもたらす。
愛しい者との別れは悲しみをもたらし、厭わしい者との出会いもまた悲しみをもたらす。ことはこのように認識されていた。ことはこのように理解されていた。

しかし後にわれわれは、愛しい者と感じていた人が厭わしい者となり、厭わしい者と思っていた人が愛しい者となりうることを知るようになった。

すなわち、過去の記憶を思い出すことで、現在の状況が根こそぎ変わってしまうのだ。まったく異なった視野のもとに見わたされるようになるのだ。』
(死 終わりなき生/OSHOラジニーシ/講談社P84から引用)

この視点は、七転生というか、転生の終わりに槿花一朝の夢を見た視点である。この視点に立ってこそ、苦を超克する知性と言える。その理屈がわかっても感情的に納得するかどうかは別だが・・・・。その情動の波が収まれば、直に納得するしかあるまいが。

人生は苦だという釈迦の説明を知的に理解しても、それが気に入るかどうかは別なのだ。釈迦の悟りはあくまで他人の悟り、自分は自分で真理を見つけなければ。


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天の露とオルゴン

2012-09-24 06:02:22 | 気功、導引(冥想法2)
◎生命が誕生する前、宇宙にはオルゴン・エネルギーが流れていた

焚書された現代アメリカの心理学者にして科学者のウィルヘルム・ライヒ。彼のいうオルゴンとは、中世錬金術者のいうところの天の露ではなかったか。彼の著書「宇宙との合体の一節」を引用しながらのコリン・ウィルソンの説明。

『「生命が誕生する前、宇宙的オルゴン・エネルギーが流れていた。地球上の気象条件が整ったとき、原始的な原形質の薄片という形で生命が誕生した。・・・・・・この薄片は、十億年以上かかって、単細胞生物へと進化した。

ここにいたって宇宙エネルギーは広大な銀河系宇宙のなかだけでなく、どんな小さな膜状物質のなかにも流れることになった」。そして地球上に生まれた生命は、長いゆっくりとした苦闘を開始した。そしてついに人間が誕生した。

「人間は少しずつ、オルゴン・エネルギーとの密接な繋がりや自然との調和を超えて思考しはじめた」。だが、やがて人間は自分自身を思考の対象とするようになった。自意識がうまれたのだ。

そこから堕落がはじまった。「・・・・・自分自身を、そして自分のエネルギーの流れを理解しようとして、人間はその流れを邪魔することになった。そして、そうすることによって、鎧を身につけ、自然から逸脱した。自分自身の核からの疎外がはじまり、生存の機械的秩序が、圧倒的な力で、有機的・無意識的・生体エネルギー的な自己調整に取って代
った」』
(ライヒの悲劇/コリン・ウィルソン/筑摩書房P403から引用)

オルゴンとは、晴れた日の日中空を見上げ、眼の力を抜いて空中を眺めると、ぐるぐる回りながら乱舞している無数の光のきらめきが見えるが、それのこと。

オルゴンとは、気、プラーナのことかと最初のうちは考えていたが、むしろ人間を貫くクンダリーニのエネルギー・コードの原質みたいなものではないかと思われる。

というのは、上記引用文ではオルゴン・エネルギーとは自意識を成立させている原因であり、また自分自身の核からの阻害とは、コーザル体レベルでの自意識からの離脱のことを言っているからである。

つまりオルゴン・エネルギーとは、気・プラーナで成るエーテル体レベルのものに止まらず、それ以上の微細なレベルで活動するものであると、ライヒが見ていたからである。


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現代日本の最大の課題

2012-09-23 07:10:51 | 究極というものの可能性
◎冷たい自分と死の恐怖

現代日本の最大の課題は、対中国政策でもなく、食料自給率の向上でもなく、ホルムズ海峡の安全航行の確保でもなく、若者の失業率の改善でもなく、韓国による竹島の実効支配打破でもなく、超高齢化社会の介護コストの抑制でもなく、財政赤字の改善でもなく、ファーウエイ華偉製ルーター経由iPhone5の情報ダダモレ懸念でもなく、自分の死の恐怖を如何に差し迫ったものとして意識させるかという点である。

近代西欧文明の課題とはとりも直さず、何人悟った人間を出せるかということ。
悟ることが差し迫った課題と認識されるためには、自分が実は常に自分の死の可能性を思考から排除して生きていることに気が付かなければならない。

自分の死の懸念が念頭にない人間に対して、宗教だの冥想だの光明だの覚醒だの意識レベルだのという問題を持ち出しても、鼻であしらわれるだけである。

そんな人に対して、悟れば、願望が叶う、金がもうかるなんて、利益・メリットで釣るようなことは、ご法度。

地獄的な意識を持つ人が多い時代。地獄的な意識を持つ人は、財布のひもが固いのは勿論のこと、とても冷たい人が多い。人はかたくなにならないと自我を持てない。自我が固いほど、人は冷たくなる。なぜ冷たくなるのか。それは、自分の領分、自分の持ち物が侵されることを恐れるから。それは自我の一部分が浸食されるのと意識の上では同義だからだ。

外人は、日本人は冷たいとよく言う。冷たい人は、無意識だけど、十分に自我の死の恐怖を感じているのだ。つまり、日本人の大方は、その表面意識とは裏腹に自分の死の恐怖を実は感じまくっているのだ。(最愛の人の死やペットロスなど、現実の裂け目から死の恐怖を見るケースもある)

死にゆく自分に感づいた男女は、愛し合いたがる。あなたの愛を受け入れたい人がいて、あなたに愛を与えたい人が必ずいる。誰もが真実の愛を求めている。それは、潜在的な死の恐怖からの逃避を動因として起こる。冷たい自分だから愛を求める。

そこまで説明して、「あなたは、内心、自我の死の恐怖を感じているのだから、呼吸法とか柔軟体操とかやって、冥想するといいかもよ」なんて誘導してわかってくれる人は50人に一人くらいで、キャッチセールスに引っかかる人と似たような確率なのだと思う。

釈迦やイエスや新興宗教の教祖などの他人の悟りは、あくまで他人事。そして、他人が悟ろうと悟るまいが、実際のところ悟っていない自分にはどうすることもできないのだ。まずは自分がそこまでたどり着けるかどうか

最近も、自分は悟っていると称して全然そうじゃない人が、ブログ書いたり、講演したり、マスコミに出ているケースも多々ある。

死からの恐怖を問題にしない愛は、祈りとしてある。


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富士と鳴門の経綸

2012-09-22 05:48:45 | 古神道の手振り
◎禁足の地を侵さず

経綸とは天地の神業である。

富士と鳴門の仕組

岡本天明が、神業の歴史上、初めて「富士と鳴門の祭り」をしたのだが、以前この話をしたとき、居合わせた年配の大本信徒は、「富士と鳴門は経綸だから祭祀ではない」と疑問を口にした。

なるほど大本の教義上、富士と鳴門の仕組は、「仕組」とあるように経綸(神の計画)だから、祭祀の対象にはならないはずだ。

戦前、大本信徒は、富士山は神体山だから、なるべく登らないほうがよいと言い、富士登山ははばかられた。昭和三年、出口王仁三郎は四国徳島県を巡教した折、鳴門海峡近くを訪れ、地元の大本信徒から名勝の鳴門にお連れしたいとの申し出に対し、「鳴門は最後に行く」と言い、鳴門に行かなかった。

出口日出麿も徳島巡教時、王仁三郎の言に倣い、鳴門海峡には足を運ばなかった。
出口王仁三郎は、そもそも富士と鳴門を禁足地としたのだ(淡路島にも上陸していない)。』(岡本天明伝/黒川柚月/ヒカルランドP366から引用)

木庭次守の「新月の光(上巻)P196」に、九鬼某氏が、昭和8、9年頃大阪毎日新聞に日米戦争の予言を出したのを出口王仁三郎が評して、「これを発表したら神界の邪魔になる」と語ったことがある。

神の経綸で定めたことは、それを個人が侵すような真似はしない方が良いと熟達の古神道家が戒めているのである。

どうしてそうなのかはわからないが、そんなものなのだろう。
 

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現代のカルトの条件

2012-09-21 05:57:54 | マインド・コントロール
◎宗教の体裁をとらないカルトが多すぎる

現代はカルト隆盛の時代である。宗教の体裁をとらないそれこそ街頭のキャッチ・セールスやネットワーク・ビジネス(ねずみ講)みたいなものすらカルトの手法を応用して隆盛しちゃっているからである。

『ジェームズ.J.レバーの「カルト、セクトそしてニューエイジ」(1989)は、ニューエイジのカルトの五つの特徴を挙げている。

一、 カリスマ的リーダーがいて、神よりもリーダーが信者をひきつけている。
二、 若者を惹きつける仕掛けや秘密で入会を誘う。入会したらリーダーへの絶対服従が課せられ、全財産を没収されるといったことは明かされない。
三、 入会の儀式は非常に速く、反省するひまを与えない。帰って親に相談したりする余裕を与えない。
四、 いったん入ると抜けるのは困難である。脱会しようとすると、精神的、肉体的な処罰を与える。
五、 信者から集めた資金の運営はきわめて秘密にされる。リーダーはそれを自由に浪費し、ぜいたくに使う。

これらの条件をオウム真理教などはほとんど満たしていることがわかるだろう。それと同時にこれらの条件はきわめて秘密結社的であることに気がつく。おそらくカルトは、秘密結社の現代的なあらわれの一つなのだ。』
(秘密結社の世界史/海野弘/平凡社新書P187-188から引用)

この本ではさらにクリスチャン・サイエンス、エホバの証人、モルモン教、統一教会、サイババ、創価学会などもカルト分類されていることを紹介している。

モルモン教は一夫多妻のゆえに金と女の取り合いなんかで有力男性間でしばしば内紛を繰り返してきたのだが、アメリカの次期大統領の有力候補としてモルモン教徒ロムニーが出ているのは、宗教史観的には、悪い冗談としか思えない。

真正の師匠を求めるという姿勢からは、カルトは論外である。そして、比較的まともっぽい宗教でも、金もうけ主義だったり、霊がかりだったり、超能力志向だったりしたらアウトなのだが。

現代は宗教の体裁をとらないカルトが多すぎる。そのことが冥想から人を更に遠ざける原因にもなっている。こういうのをイエスが偽預言者だらけの終わりの時代と見たのだろう。


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夢の考え方

2012-09-20 05:59:40 | 冥想アヴァンギャルド
◎意識を覚ましたままで

夢を見ない状態は、人間のあり方の頂点である。

夢とは何か。
まず人は夜通し夢を見る。夢を見るとは睡眠と覚醒の中間の状態である。半分眠って半分起きている状態。夢を見ている時、肉体の一部は寝返りするなど絶え間なく動いている。

夢は無言語の思考である。また夢は映像による思考である。夢の思惟は、無言語社会の原始人の思惟のようだ。夢の中で、人は学歴も社会的地位も財産もすべて失っている。夢は人にとって新たに見始めた無声映画のようなものだ。

というわけで、夢を見ている間、意識は動いており、起きている。つまり肉体が起きているか休息しているの違いはあるが、人は起きて活動している間も意識は動き、夢の間も意識は動き続けているのだ。人が起きて活動している間も想念は動き、夢の間も想念は動き続けているのだ。

本当に意識が休息する時を、古代インドでは想念停止と見た。これを夢を見ない状態という。この状態をまず狙うのが冥想である。

冥想の始まりでは、想念を穏やかにするため、呼吸をコントロールすることから始める。呼吸と想念は連動しているのだから当然だ。そうして、想念のない状態にもって行く。

夢が消えると思考も想念も消える。背骨を垂直にして、意識を覚めたままで坐るのが只管打坐


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西洋人と骸骨

2012-09-19 05:55:42 | キリスト者の秘蹟
◎チェコの墓地教会

チェコ西部の村セドレツにある聖母マリア大聖堂は、1300年頃にシトー会修道院によって建てられた聖堂であって、世界遺産である。共産主義下では接収され、タバコ工場になっていたので、今は内部の壁画の修復中である。東欧は共産主義政権によって宗教を否定されたため、このような運命をたどって再建、修復中のキリスト教寺院が多い。

この聖母マリア大聖堂の隣に墓地教会がある。NHKによれば、ここには人骨で作られた装飾品が飾られているから観光客が押し寄せるのだとか。

墓地教会には、かつて墓地に埋まっていた4万人分もの骨がシャンデリアや十字架、聖杯などの装飾品に使われている。なんでも、中世の修道士たちが、死んだ人たちの新たなる復活を願って、骨の装飾品を作り始めたらしい。

ギリシアの古い修道院や、中東のキリスト教会でもこうした古い骸骨を保管して並べて見せている写真を何度か見た事がある。

見てうれしいものではなく、できれば見たくないものである。仏教にも不浄観というのがあってしゃれこうべを観じたりするのだが、それはプロ修行者向けの修行であって、素人向けの修行ではない。

骸骨には、恨みの想念がしばしばまとわりついているものだろう。というのは、こうした骸骨はペストや戦乱や飢餓で非業の死を遂げたものが多いのだろうから、そうしたものを供養するのは宗教者として当然だろう。だが、供養が済んだとして、そうしたものを何のために見せているのだろうか。

聖遺物なら聖者の聖なるバイブレーションとして、多少グロテスクでもわからないことはない。しかし、聖人のものでもない骸骨をさらすのは違う。

私は、こういうことをできるのは、西洋人には、ある種の無神経さ、繊細さを欠く部分があるからではないかと思う。
そこまで人が見たくないものを突き付けないと、現実の裂け目ができないような西洋人の心性。こうしたショッキングさについては、実は十字架に掛けられたイエス像も実は同様のインパクトを持っているのだと思う。
西洋人には、そこまでしないとわからないのだ。そして西洋人化した現代日本人の心性もそうなってしまっていたとすればかなり重症である。


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お前、神様に祈ったか

2012-09-18 05:52:03 | 冥想アヴァンギャルド
◎無私で祈る

キョーセラの創業者稲盛和夫と霊能力者本山博の対話から、稲盛氏の発言。

『稲盛

私がまだ若いころの話ですが、夜中にファインセラミックスの部品を作る工場を見回っていると、一人の技術者が窯(かま)の横で半べそをかいていたんです。

「どうしたんだ」と声をかけたら、「一生懸命やっているのに、何日徹夜してもなかなか
できないんです」と答えるわけです。
私は、「お前、神様に祈ったか」と、彼に問いました。

本当に全力を尽くしたのか、そうであれば、後は神に祈るしかないという意味だったのです。彼はすぐにはピンとこなかったようですが、再び勇気を奮い起こして開発に取り組み、見事に難しい製品を作り上げたんです。これは、うちの会社で今も語り継がれるエピソードになっています。

本当に無心になって、精魂込めてやったのであれば、人は自然と神様にすがり、神様に祈ろうとするはずです。また、世の中にない、まったく新しい製品を開発するときにも、神に祈るようなことが往々にしてあります。

期せずして先生が今おっしゃったように、ものづくりもすべて神様の秩序の中ででき上がっているのかもしれません。』
(人間の本質/稲盛和夫・本山博/PHP P159-160から引用)

これは、事上磨錬の典型例。

禅では禅語録そのものには祈るシーンなんて出て来ないが、あらゆる生き物をこの世から救済したいとか、煩悩を断じ尽くしたいとか、仏法の学問は広大だが学び尽くしたいとか、
仏の道は無上だがかならず成仏したいという誓願がその前にある。つまり祈りが先に置かれていて、それでもってZEN冥想なのである。

稲盛氏は日常祈ることを習慣にしている人さえ少ないと指摘している。そんな具合だと、日常の折節や、ニュースで頭のおかしくなった人を見たり聞いたりするのだが、祈る習慣すらなければ、そんな人がどんどん増えるのも仕方のないことだと思う。敬虔もなく無私もなく、もちろん神の居所が心の内になければ、人は容易に精神のバランスを崩すものだと思う。

人間の営為には結局救済などない。しかし、そこに一片の光明を祈れば何かが起きることもある。
何かを期待して坐ったりしてはいけないのだが、無私で祈るのは良い。その無私こそが難しいのだが、それでも日々祈り、坐る。


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中国と石屋

2012-09-17 06:09:20 | 時代のおわり
◎秘密結社栄える国

フランス革命やナポレオン戦争以降、ドイツと英国を軸にした背後の石屋の動きがわからないと欧州史はわからないと思い当った。同様に青年期にフランス留学した周恩来と小平が奇しくも共産中国を主導したことが偶然とは思えないので、石屋の動きがわからないと中国現代史もわからないとも思う。

近代中国史の大きな転換点は、なんといっても1936年の西安事件である。これは、当時中国で中国共産党壊滅直前まで追い詰めた国民党が同党幹部張学良の裏切りによって蒋介石が西安で監禁されるはめになり、身代金がわりに国民党と共産党が協力して抗日戦争を戦うことになるという方針に転換してしまった事件である。

この事件が遠因となり後に蒋介石は台湾に退去することになり、ひいては現在の馬英九政権の中共寄りの政策にもつながってくる。

さる研究者によれば、西安事件当時の登場人物で国民党トップだった蒋介石以外は全員石屋だったという説まである。張学良もそうだし、周恩来はフランス大東社系石屋だったというのであれば、フランス留学仲間の小平もそうだったかもしれない。浙江財閥の蒋介石夫人の宋美齢もそうだったというし、結局西安事件全体が石屋のシナリオに乗って動かされたと見れば説明は非常に易い。

日本では、中国の官制暴動でパナソニックの工場とトヨタの販売店が破壊されて中国の抗日運動の報道一色だが、海外ではイスラム諸国の反米暴動一色である。既に反米の方は在リビア米国大使が殺害され、流血があったが、抗日の方は未だ流血がない。シナリオの中国・イスラム同時進行のバランスを考えれば、日本人の流血もあるかもね。犠牲者が出たとなればマスコミの論調も変わるし。

1980年代に小平が登場して文化大革命を終息させると同時に、現在の思想信教の自由のない国家資本主義を推進して、中国は今や世界第二位の経済大国となった。これは白人の石屋にとっては白人至上主義の観点から甚だ都合の悪いことであるから、日中の離間は勿論、中国内部の分裂まで狙っていることだろう。

中国国民の気質はなぜだか秘密結社に適したものがあるので、秘密結社としての石屋というのは中国人の体質に合うのかもしれない。漢代の五斗米道や黄巾は道教系秘密結社だが、そんな昔から中国では秘密結社が栄えてきた歴史がある。

最近日本でも松下大臣とか西宮中国大使が死んだが、全体として仕組まれていたらやっかいですね。仕込み、前準備は終わり、実行の段階に移ったということになるから。時しもレイムダック野田政権で弱体で仕掛けが容易な政権ときているし。

それはさておき今日も坐る。


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天候と心的エネルギー

2012-09-16 07:08:57 | 超能力・霊能力
◎怨嗟の声が天候を動かす

台風16号は史上最大級と言われているが、集団的心的エネルギーがしばしば激烈な天候のバックボーンとなっていることがある。

玉光神社の霊能力者本山博の話。
『森長可という大名は、文武両道に優れていて、非常に剛直で、“鬼の長可”というような名前が付いている大名だったということですが、よくお祈りをしたところ、本当に悟ってくれたのだなと思われます。

というのは、玉光神社で長可公の慰霊祭が行なわれた二十六日は、朝から暴風雨みたいな天気だったのです。その朝お祭りに入る前の朝行の時にお祈りをした時には、家来たちがお宮のまわり一面に、群がっているように沢山みえました。
白地に黒字で書いた旗のようなものを持っている侍達がいっぱいみえるのです。そして、えらく喜んでいる声なのか、鬨の声のようなのが聞こえる。

これらの人びと皆が互いの憎しみやら恐怖の気持ちやら怒りの気持ちが鎮まって、神様の御力を、戴いて、やっと四百年経った今、自分達のそれぞれの国へ帰れるのだなと思いながら、その人達が救われるように神様にお願いをし、その人達に力も送って、お祈りをしたのです。

そうしたら、その間に天気がすごく良くなったのです。十時から慰霊祭が始まって、済んだのが十一時過ぎでした。いっぱいお供物が供えてありましたが、「今から一時間位は集まった霊たちが皆で祝宴をするから、供物を動かさないように。そして皆も外に出ないように」と言ったのです。

その間は本当に風も凪いで、非常にうららかな天気になりました。それが済んで一時過ぎるとまた急に風が吹いてきて、四時頃には雨も降ってくるような天気になりましたが、霊達が救われるようにお祈りをして霊達が喜んている間はよいお天気でした。

このように、お祈りをしていると、神様の御力も加わってですが、天気も変わるのです。本当にそういうことがよく起きるのです。確かに霊的な成長ができ、一つの場所的存在となり純粋な精神の状態になると、天気を変えることができるということも事実なのです。

それから、物をつくったり消したりもできるようになりますね。また、物を霊的な力で一時的に霊の次元の物にかえると、それはあたかも物理的次元では無いようになって、その物が壁を出たり通ったりするようにもなるのです。

そういうふうに、物を違った次元でコントロールできるようになる。そういうことから考えると、物をつくったり消したり、増やしたりすることもできる。キリストが五~六匹の魚を二千人ぐらいの集まった人達に分け与えてもまだ余っていたと伝えられているようなことも、できると思うのです。』
(場所的個としての覚者/本山博/p50-51から引用)

これは、霊能力者を中心とした教団ではよくみられる神事の時に天気がどうしたこうしたという出来事ではある。

霊がかり系は、このブログでは極力排すべきであるという考え方を採っているのだが、本山氏が言うように、憎しみやら恐怖の気持ちやら怒りの気持ちつまりネガティブな心的エネルギーが集合すれば、天候をも変えられる。そして時満つれば、風速70メートルクラスの激烈な台風を現出させることもある。

激烈な台風と言えば、台風のエネルギーを極小化させる調伏、祈りというのもあるのだろうが、その激烈な台風のエネルギーの根源を探って行けば、この極東エリア全体の貧富の格差が増大し、日本・中国・朝鮮の生活苦から来る怨嗟の声の高まりがこのような台風を繰り返し呼んでいるという見方になるだろう。

台風が例年と違い中国寄りになるのは、気象庁は偏西風の流れるルートの違いと説明するが、オカルティストは例年より中国側の民衆の怨嗟のエネルギーが強くこれが台風のルートを変えていると説明するのだと思う。中国の暴動は年間8万件とも言われるから、是非もない。台風に一部向いていた心的エネルギーを反日暴動に逸らしたり。

地球温暖化というのを、トランスパーソナル的に見れば何か。猛暑の夏も御彼岸の直前まで引っ張られれば、十分に激烈な天候異変といえる。地球温暖化はこの3千年の火力文明の発展に対する本来あるべき心的エネルギーの素直な反応なのだと思う。暑くてたまらん、毎日苦しいほど暑いとは、この異常な近代西欧文明に対する自然な生体反応みたいなものだと思う。温暖化をCO2だけのことと見てはいけないと思う。


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