アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

大地震の八つの発生条件-3

2012-08-31 03:08:51 | 超能力・霊能力
◎ブッダが完全なニルヴァーナに入る


フツーの人による発生原因、菩薩による発生原因と来て、最後の4段は覚醒を遂げた者=ブッダによる大地震発生要件。

『さらにまた、アーナンダよ。修行を完成した人(如来、ブッダ)が無上の正しい完全なさとりをさとるとき、この大地は動揺し、震動し、激しく震動する。
これが、大きな地震が起るための第五の原因、第五の条件なのである。

さらにまた、アーナンダよ。修行を完成した人(如来、ブッダ)が無上の法輪を回転するとき(=説法をなすとき)、この大地は動揺し、震動し、激しく振動する。これが、大きな地震が起るための第六の原因、第六の条件なのである。

さらにまた、アーナンダよ。修行を完成した人(如来、ブッダ)が念じ、よく気をつけていて
寿命の素因を捨て去ったとき、この大地は動揺し、震動し、激しく震動する。これが大きな地震が起るための第七の原因、第七の条件なのである。

さらにまたアーナンダよ。修行を完成した人(如来、ブッダ)が、煩悩の残余のないニルヴァーナの境地において完全なニルヴァーナに入るとき、この大地は動揺し、震動し、激しく震動する。これが、大きな地震が起るための第八の原因、第八の条件なのである。

アーナンダよ。これらの八つが、大きな地震が起るための八つの原因、八つの条件なのである。』
(ブッダ最後の旅 大パリニッパーナ経/中村元訳/岩波書店P74から引用)

この章の冒頭に発生した大地震は、「釈迦が寿命の素因を捨て去った」ことで起こった。その時人々は恐怖し、身の毛をよだたせたとある。つまり上掲大地震の原因の第七で起こった。

全体として見ると、大地震は大地の諸要素のバランスが崩れることで起こり、悟っていない力のあるクンダリーニ・ヨーギの呪力でも起こり、また菩薩の受胎時、出生時にも起こり、如来が悟った時、如来がその悟りを弘める時(転法輪)、如来が寿命の素因を捨てた時、そして完全なニルヴァーナに入るときに起こるとする。

さすれば、阪神大震災はどの原因で起き、東日本大震災はどの原因で起こったのだろうか。

ここは、冥想を中心とした文明史観しかこの世にはあり得ないのだから、生きとし生けるものすべてが悟りを得ることが文明の完成である以上は、大地震という一見ネガティブなイベントでさえも、悟りの進展ということで殊更に説明していると見たい。

そして、文明の完成、全員が悟りきる時代は、この近代西欧文明の最後の段階であるように思う。


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リモート・ヴューイングと体外離脱の違い

2012-08-30 05:57:14 | 超能力・霊能力
◎マクモニーグルの見方

超能力者マクモニーグルによると、体外離脱とリモート・ヴューイングは全く異なるものである。

彼の言う体外離脱は、3種ある体外離脱のうちアストラル・トリップを指す。しかし、見ている対象の人物が何を考えているかわからないし、壁の向こう側で何が行われているかを知るには、壁の向こう側に自分のアストラル・ボディを持っていかなければならない。

これに対し、リモート・ヴューイングでは、マクモニーグルの心のイメージの中にその部屋のぼやけた映像が出てきて、部屋の人物のぼやけた映像が見え、彼が何を考えているのかを知ることができ、どんな生活をしているのかを知ることができる。

具体的には、彼らが何を考え、どんな友達がいて、昨日の夕食に何を食べたかなどを知るのはとても簡単なことだとする。

でもそんな簡単なことすらアストラル・トリップ(体外離脱)では、できない。

アストラル・トリップもまあ超能力に分類されるのかもしれないが、これに対しリモート・ヴューイングこそ天眼通であり、他人の心の中まで見ているのだから他心通であり、ホンチャンの超能力である。この辺がアストラル・トリップなど子供だましと、アストラル・トリップの評価が低いところなのだろう。


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大地震の八つの発生条件-2

2012-08-29 05:51:45 | 超能力・霊能力
◎菩薩の誕生

『さらにまた、アーナンダよ。ボーディサッタ(さとりを開く前のブッダがトゥシタ(都卒天)の身体から没して,念じ、よく気をつけて、母胎に入るとき、そのときこの大地は動揺し、激しく震動する。
これが、大きな地震が起るための第三の原因、第三の条件なのである。

さらにまた、アーナンダよ。ボーディサッタが念じ、よく気をつけて、(母マーヤー夫人の
母胎から外に出るとき、この大地は動揺し、震動し、激しく震動する。
これが、大きな地震が起るための第四の原因、第四の条件なのである。』
(ブッダ最後の旅 大パリニッパーナ経/中村元訳/岩波書店P74から引用)

中村元は、ボーディサッタ=菩薩のことを、釈迦のことに限定して訳しているが、ここは釈迦のみに限定されることはなく、見性・見神体験を有するもの=菩薩一般であると見たい。

気象庁の地震観測データの公表により、日本では微弱な地震がしょっちゅう起こっていることが知られるようになった。一方で大地震とされるものは少ない。

ただし地震の少ないインドでは震度2や3レベルのものも十分大地震と認識されるだろうから、3.11大震災後の余震群のいくつかは、菩薩がこの世の子宮に入った時の大地震か、菩薩が出生したときの大地震であったとしても変ではないように思う。

子宮に入って誕生するとは密教的な輪廻感ではある。

菩薩の子宮入り、菩薩の誕生とはそれほどまでにこの世にインパクトがあるものなのだろう。


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大地震の八つの発生条件-1

2012-08-28 03:58:58 | 超能力・霊能力
◎メカニズムと人間の意志

釈迦が大地震に遭遇したときに、大地震発生の8種の条件を説明した。そのうちの第一と第二。
『「アーナンダよ。大きな地震が現れるためにはこの八つの原因、八つの条件がある。その八つとは何であるか?

アーナンダよ。この大地は水の上に安立し、水は風の上に安立し、風は虚空の上に存する。

アーナンダよ。だから、まことに大きな風が吹くとき、大きな風が吹いて水を動揺させるとき、動かされた水は地を動揺させる。これが大きな地震が起るための第一の原因、第一の条件である。

さらにまた、アーナンダよ。神通力があり、他人の心を支配する力のある修行者(沙門)またはバラモンがいて、あるいは大いなる神通力・大いなる威力のある神霊がいて、地の想いを僅かに修し、水の想いを限りなく多く修したとしよう、その人はこの大地を動揺させ、激しく振動させる。これが、大きな地震の起こるための第二の原因、第二の条件なのである。」』
(ブッダ最後の旅 大パリニッパーナ経/中村元訳/岩波書店P73-74から引用)

まず五大の宝塔のような世界があり、下から地水火風の順で積まれている。多分風が一番精妙で、地が一番粗大。そうすると上位のものが下位の動因となるので、風が下位の水を動かし、水が下位の地を動かして地震となる。(火はどうしたのか?)
これが第一の原因。錬金術的説明と言えよう。

ただし釈迦の説明は、地を最上位に置き、上下逆転しており、この世側から見た見方で説明している。

この世界観を知悉したクンダリーニ・ヨーギが居て、故意に地を少なくかつ水を多くしてバランスを崩すことにより、大地震を起こすことができる。これはいわゆる人工地震の類である。

人為により、地震すらもコントロール可能であることを釈迦自らが例示しているのである。安定するためには地と水の想いは均等とすべきであるが、これを人間の都合で変えるのである。さてこの人物の功罪はどんなものだろうか。


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地球の雛形「日本」は世界一切を救う

2012-08-27 04:25:13 | 古神道の手振り
◎水晶身魂にならないと救えない

『「地球の雛形「日本」は世界一切を救う」伊達宗哲/ヒカルランド』は食い足りない本だった。ミロクの世は、通信や交通の一部機能は残って、農業中心社会になって、都市の人口は上限10万人、既存の価値体系は崩壊するのはわかるが、どういう人が、ミロクの世、水晶ミタマの時代に残っていくのかさっぱりわからなかった。

その部分こそが眼目であるのに、ほとんど説明されていないのは、いわば信仰心がない、宗教がないみたいな印象を受けた。

石川県小松は、第三次世界大戦の緒戦で家一軒残らないが、よほどしっかりした信仰を持っていないとあかんぞ(同書P150)と出口王仁三郎は語ったそうだ。これによると、第三次世界大戦の緒戦は対日本戦で、日本が戦場になり、激しい空爆があることを示す。

これは世界に先駆けて日本が立て替えられるという予言とシンクロしているが、じゃあ「しっかりした信仰」って何かってことになる。こういう件りを読めば、まともな人ほど「しっかりした信仰」を持とうと思うもの。何がしっかりした信仰なのかは明かされていない。某新興宗教教団に入信することでしょうか。

これから神世になるのは良いが、どのような人が神世へと生き延びる資格を有するのか、また神世の人々の水晶身魂とは何か、それらが明かされないと、読者の腑に落ちるってことがないのではないかと思った。もはや第三次世界大戦直前の切羽詰った読者は、風変りな文明論だけでは納得するまい。


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挑発される日本の「邯鄲の夢」

2012-08-26 03:48:00 | 時代のおわり
◎中山みきからやらせテロ

連日の暑さで、石炭火力発電8割の中国と石炭火力発電5割のアメリカが地球温暖化の主犯なのだろうと思いつつ、日本の行く末を妄想した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカは9.11テロで、米国世論をイラク開戦に大きく誘導した。

天理教の中山みきは、「やがて日本には四つの国が攻めてくる。屋敷の門前にさえ死人の山が築かれる。あちこちで蚊の泣くような悲鳴が聞こえてくる。そして日本は滅び去る」と予言したという。

大本教の昭和神聖会運動では、日本の再軍備を口実に諸外国が日本に侵攻することが暗示されている。日本侵攻を狙う諸外国は日本を本格的な再軍備させることをもって罠としているわけだ。

今尖閣、竹島、北方領土と三か国が日本を挑発している。日本の本格的軍備を催促しているのだ。しかしこの程度では日本の政治が軍備強化に大きく舵を切ることはありえないだろう。米軍の日本からの実質的撤退が決して夢想ではなくなった今、日本の世論を大きく右寄りに変える可能性があるのは、9.11ばりの首都でのテロなのだろうと思う。

最初のテロで、まるで福島原発事故後に原発周辺の体制が刷新する動きとなったように、日本はおそらく徴兵制の復活など、軍備強化方針を大きく打ち出すだろう。

しかしこれだけでは、日本は文民統制を捨てず、第二次大戦戦勝国による間接的コントロールが効いたままであろう。そこで首都での第二の大型テロが発生し、それをきっかけに戦前みたいな○屋の息のかかった軍事政権が突然日本に誕生する。

再度の軍国主義となった日本は、日本の国益第一の方針を堅持し、軍備強化、思想統制、経済統制に走る。この思想統制の時代が出口王仁三郎の玉串を隠した事件であって、ネットの自由(facebookなんか真っ先にやられそう)、言論、宗教の自由もなくなる時代なのだろう。

しかし豈(あに)はからんや、ある日突然、続瑞能神歌みたいな、あるいは中山みき予言みたいな諸外国の日本空襲(京都も含む)が起こって、日本の立替となりにけり。・・・・・・これは夏の妄想でした。邯鄲の夢


酷暑の連続の中、南方に大型台風が出現した。9月は、北朝鮮も含めて何かあるかもしれないなあ。


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ノルマンの北米大陸発見

2012-08-25 06:06:04 | 冥想アヴァンギャルド
◎通う千鳥を追う

アイスランドには300年頃、渡り鳥のあとを追い、スコットランド人が到達したと言われる。スコットランドから島伝いにシェトランドへ、そこからフェール諸島へ160浬、そこからアイスランドへは230浬である。この距離を走らなくても何十浬か手前でその地を見るであろうが、ともかく最初に発見して帰った人の困難は想像にあまりある。

(中略)

彼らが最初に北米大陸を発見したのは986年のことで、その人の名前はビャルニと伝わっている。彼はアイスランドから所用のためノルウェーに赴き帰ってみると、父は彼の留守中にグリーンランドへ移住してしまっていた。そこでそこへ行くべくアイスランドを出発したところ、霧と荒天とで針路を誤り、見も知らない陸地に到着してしまった。ここから陸岸に沿って、約720浬北上し、そして東のデービース海峡を横断し、約580浬走ってグリーンランド南端近くの植民地に到達した。

アイスランドを出て約1300浬を航海し、発見したところはニューファンドランドの北端近くであろう。そこから北上し、バッフィンランドの南端のレゾリューション島に到り、次いでデービース海峡を横断したのであろう。

ポルトガルの西方750浬に浮ぶアゾレス群島の西端から、ニューファンドランドまで約1000浬であることを考えると、ビャルニの航海は計器不在の原始航海術による大航海であった。』
(航海術史/飯田嘉朗/出光科学叢書P13-14から引用)

残念ながら、ノルマンの航海術は伝わっていない。ノアの方舟では土地探しに鳩を用い、アイスランド発見では渡り鳥の跡を追った。トンビは数十キロを周回し、鷹も生態系の頂点として広範囲をテリトリーとし、渡る鷹もある。わりに渡り鳥を見たり、鷹を放つというのが天体観測技術のいまいちな当時のハイテクだったかもしれない。


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覚醒に値する肉体

2012-08-24 05:50:31 | ハタ・ヨーガ(冥想法3)
◎戦争に肉体も心理も耐えられないこと

OSHOバグワンの見立てでは、現代人は覚醒に値する肉体を持ちうるに至った。つまりハタ・ヨーガで何生もかけてアレンジして手に入れる肉体を現代人は持つことに至ったわけである。

そのことは出口王仁三郎も、かつては神意を伺うのに天津金木
、太占など肉体外の道具が必要だったのに現代人はその肉体でもって神意を伺うことができるようになったとしている。

さらにダンティス・ダイジも、肉体に関する言及ではないが、現代人は少々坐ればたちまち光明を得ることができるようになっているというような発言があり、精神ももちろんだが、肉体の準備も整ったことを示唆している。

現代のテーマとは、メンタル体における、自己実現のマニピュラ・チャクラから愛のアナハタ・チャクラへの上昇なのだが、最深層の愛、慈悲、大慈大悲に触れた人間は、生きとし生けるものを殺すことなどできなくなる。

ニューズウィークの記事『帰還後に自殺する若き米兵の叫び』(2012年08月07日(火)17時11分)によると、アメリカでは毎日18人前後の元兵士が自ら命を絶っている。アフガニスタンとイラクからの帰還兵だけでも自殺者は数千人にも上り、戦闘中の死者数(6460人)を上回るとみられている。

また米軍でイラクかアフガニスタンのどちらかに送られた兵士の数は推定230万人。このうち80万人は2回以上派遣されている。 ポートランド州立大学(オレゴン州)のマーク・カプラン教授(地域保健学)が、全米暴力死報告システムのデータに基づき語ったところによると、男性帰還兵の自殺増加率は一般男性の2倍、女性帰還兵の自殺率は一般女性の3倍に上る。

更に、ベトナム戦争時代から帰還兵を診てきたジョナサン・シェイ医師によれば、現代の兵士は戦場に2回以上送られることで、道徳観念にダメージを受けると言う。
戦場で失敗をしたり、上官から適切な指示が与えられなかったりすると、兵士は戦場の強烈なストレスに対処するため、仲間への信頼や善悪の観念を捨てる。

連続的な派遣でそれが繰り返されると、その心理状態は一種の癖になる。だから平和な生活に戻っても、異常に警戒心が強く、誰も信用しない。そして生きていくのがつらくなる。スタンフォード大学ストレス保健センターのデービッド・スピーゲル医師によると、「帰還した兵士たちは、自分が理解されていないと感じている」。孤立感や孤独感にさいなまれて死にたくなるのだそうだ。

退役軍人省と軍は、戦場で人を殺すことが兵士の心や社会性にダメージを与え、自殺の引き金になり得ることを認めたがらない。だがアフガニスタンとイラクからの帰還兵に自殺者が多く、それが大きな懸念事項であることは否定できない。
以上が記事の中で目に留まった部分。

シェルショックが言われたのは第一次世界大戦からであって、日本でも日清日露に参加した兵士で、半狂乱になって白兵戦で突撃する心理を語る古老もいた。19世紀の終わり頃には人間の肉体と心理は戦争に耐えられなくなりつつあったのだろう。17世紀以前の血を見るのに人々のほとんどに抵抗がなかったり、戦うことや戦闘で人を殺すことが社会心理的に是認されていた時代と今は違う。本当の愛、アナハタ・チャクラが開きかけている人々は、もはや戦闘に耐えられないのだ。
それは、現代人は覚醒に向かって肉体の準備ができているということの反証であるように思えるのだ。


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選民思想

2012-08-23 06:04:44 | 時代のおわり
◎悟ってない者同士が議論し合っても

石屋関係の資料を見ていて思うのは、やはり最後に問題となるのは選民思想であるということ。旧約聖書の時代には、石屋は、救世主イエス・キリスト殺害の因果を負ってはいなかった。

イエス・キリストの磔刑は、彼らの言う3000年の言う計画の中に入っていたのかいないのか。それがために、彼らは祖国を失いディアスポラとなった。その結果、いつでもその国を逃げ出せるようにするために、農業者と軍人にはならないものだというが、それは裏返せば、国際金融者として巧みに金融でもって世界全体を支配するために数百年前から動いてきたものとも考えられる。

選民思想という土着民族を第一と考える傾向は、どの民族にもあるものだ。日本でも神国日本の思想あり、中国にも中華思想あり、猶太にもある。それは大体建国神話に付随して出てくるものであって、各地に産土神がある以上、産土神が土着民族を慈しむように、土着民族第一と考える思想は当然ある。

そうしたものと石屋の選民思想はどこが違うか。石屋以外のそれは概ね自衛的であって、自国領土内の防衛・安寧が主眼であるのに対し、祖国を持たなかったせいか石屋のそれはワールドワイドに侵略的なところがあるように思う。

なるほどギリシャ神話では金の時代、銀の時代、鉄の時代と文明はその都度滅亡を繰り返してきた事が述べられているが、イザヤ書のように他国人民を滅亡させようという視点や意志が明確に出ているものは石屋ぐらいのものではないかと思われる。そこが違和感を感じさせる部分である。

更に、他人・他国の悪意を信じないお人好しの日本人には、こうした他人の悪意を認めるということそのものが、日常感覚にはない部分であるから、これまた別の違和感を感じさせるところである。

陰謀論花盛りの今、石屋については、いろいろの由来やら特有の習慣やら民族苦難の歴史やらいろいろ言われているが、せんじ詰めるところその選民思想が、他の民族にとっては大きな問題となると思う。

旧約聖書の時代、エリヤの時代は確かに選民だっただろう。今はどうか。選民なのだろうか。今の時代の選民は血統や民族や大金持ちかどうかで決めるのではなく、悟ってるかどうかだけのはずなのだが。そういう基準で論じないと、いつまでも水掛け論に終わるだろう。悟っていない者同士が選民だ選民でないとやっても何の意味もあるまい。


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紀元前地中海の航海術

2012-08-22 06:02:40 | 時代のおわり
◎風力と方位

古い記録の航海術といえば、古代の地中海である。
『地中海は北緯35°付近を東西約2000浬にわたって拡がる内海である。多くの半島と島々によって区画されているけれども,約300浬を航行すれば、目的地か著名な目標を見ることができる。九州から黄海や東支那海を横断すると考えたら近い。

前500年頃隆盛を極めたクレタ島の文明が、前2000年頃に始まる。その頃でもエジプトとの直行に、何日も陸を見ることなしに航海することもあったことであろう。

方位はまず東西南北が容易に定まる。太陽の出没する方位が東西で、これに直角な方向,太陽の最も高いのが南,影の最も短いのが北である。この四つだけでは不便なことから,古く八方位が用いられた。

夜間の方位を決めるのは北極星である。前600年頃ギリシアのターレスはフェニキア人の航海に使用する小熊座の星の位置を決定したと言われる。その頃フェニキア人はkochabを北極星と考えていたらしい。
その星は前2000年頃、 天の北極から離れること約7.3°、前1000年には約6.5°になり,紀元元年頃には9°くらいとなって、以後北極から離れてゆく。現今の北極星は紀元元年の頃3 約11.5°離れており,次第に天の北極に近づいて来たのであった。

これは地球の歳差運動のためである。地球の南北軸は一定の方向を指して静止しているのではなく、回転の弱った独楽の心棒のようにぐるぐる向きを変えて回わっている。その発見者はヒッパルコスで、その角速度を1年間に36秒と計測した。今日では約50秒とされている。

ナイル河口を出てクレタへ北西の針路をとる。昼間は太陽、夜間は星や月を見て方位を知る。方位は正確とはかぎらない。たどり着いて目的地と異なる陸を見ることが多かった。
航海者にとって,その陸景の識別が現今と比較にならないほど重要な知識であったろう。

船位の推測もさることながら,その季節によく吹く風,天気予察,操帆、操舵、碇作業の方がより重要な航海技術であったろうと思われる。』
(航海術史/飯田嘉朗/出光科学叢書P11-12から引用)

動力は、風か海流。ガレー船のように人力も用いたこともあったろうが、大した推力であったわけではあるまい。沿岸を渡り歩くような航海が基本で、時には何日も沿岸を見ない航海もあってのけた・・・・というのが、この当時の航海術の水準であったと信じ込まされているのだが、本当にそうだったのだろうか。

アレクサンドリアの神官ソロンの伝えるようなジブラルタルの外側からアトランティス人がエジプトに移住したり、ギリシアと交戦するためには、相当な海軍力、航海術が必要なのだが、航海技術関係者は、プラトンとかあまり読まないのだろうか。伝説ということにして読まないのだろうか。

奈良、東大寺の大仏落慶セレモニーにインド人が参加した記録があるが、そのインド人は陸路は考えにくいので海路来たのだろうが、どうやってきたのだろうか。・・・・などと興味をそそる点は多い。


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ESP、サイ、予知夢など

2012-08-21 06:03:42 | 超能力・霊能力
◎枝葉末節に係わらず

ESP、サイ、予知夢など人間には五感を越えた能力があり、近親者の夢知らせなどは身近なものである。こうした超能力の類はクンダリーニ・ヨーギだけに特異なものでなく、只管打坐で悟りを開いた人にでも見られるものであって、只管打坐者クリシュナムルティが時おり見せる霊能力はその一例である。超能力、あるいは神通力というものは古い書物を紐解くまでもなく、覚者の開悟に随伴して起こる能力であって、それ以上気にしたり追及したりするものではないと思う。

20世紀初めにかけて、出口王仁三郎やルドルフ・シュタイナーやブラバツキー夫人などによる心霊主義の時代があった。こうした時代には霊言、神がかり、エクトプラズムなど盛んに霊がかりな実験が行われたものだった。

こうしたものは表層を撫でるものであって、結局本質へのアプローチではないので、現代人にとっては、回り道であり、時間の無駄みたいなものであった。

テレパシー、トランス、深層意識からの回帰、異言・・・・、こうしたものは、まずどのレベルで起きているかを分析すべきである。肉体なのか、エーテル体なのか、アストラル体なのか、メンタル体なのか。物質に直接干渉してくるのはエーテル体以下なので、分析の最初はそこから始まる。

時代的なことは、人類のテーマは、メンタル体マニピュラ・チャクラからアナハタ・チャクラへの移行であるというポイントに尽きる。すべての人がすべての願望を実現しにかかり、マニピュラ・チャクラな自己実現だらけの社会と世界を構築するが、その自己実現の欲望は、自らの虚無に直面し、愛たるアナハタに卒業していかざるを得ない。それがこの人類の運命である。

このシナリオの手のひら上のあだ花が、ESP、サイ、予知夢などであり、こうしたものの研究という群盲象を撫でるが如き真似をしてもあまり益はないだろう。人間に必要なものはすべて与えられている。

原子力発電は昔の人が見たならば立派な超能力である。ただ神知らぬ人類が持てば、その結果はろくなことにならない。だからこそ現代人は神知らねばならないわけである。神知らない指導者が原発をコントロールするのは、キチガイが刃物を振り回しているようなものだとは最後まで気がつかないだろう。


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随処に主となると今ここ

2012-08-20 05:36:54 | 丹田禅(冥想法8)
◎同時並立せず

無門関第四十七則兜率三関に「随処に主となる」がある。

兜率和尚が修行者に次の三関を示した。
「諸方を暦参して、宗旨の根本に参入する理由はただ一つ、自己の本性を見届ける(見性)にある。さあ、今あなたの自性はどこにあるか。」

「自性さえしっかりと把握することができたならば、たちどころに生死の迷いを脱却するはずだ」

「生死を脱することができたならば、死んでからの行く先もわかるはずだ。あなたの肉体が分離する時どこに向かって去りゆくつもりか」

これに対し無門のコメント
「もしこの三関に正答できれば、たちまち随処に主となって、あらゆる縁に出会ってどこでも宗旨を立てることができるだろう。もし正答できなければ、粗食はすぐに腹いっぱいになり、良く噛んで食べれば飢えることはない。」

頌に曰く
一念あまねく観ず無量劫 無量劫のことは今のこと
今のこの一瞬の一念を見破れば、同様に見破っている人のことがわかる。


随処に主となるとは「今ここ」のことである。時間のある世界から時間のない世界にぶち抜けないと、このことはわからない。しかし、時間のある世界と時間のある世界は、同時に並立しないはずなので、随処ということばで、あたかも「今ここ」が時間的空間的に複数あるような想像をさせてしまうのは、いかがなものか。

随処に主となるとは臨済も使ったが、この時間のある世界に居る人たちにとって見も知らぬ実感の世界だからいかにも唐突である。しかしそこが勘所。
一念三千世界というが、随所とは三千世界のことと見れば、一念と三千世界は同時には立つまい。


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野球は公開の密儀である

2012-08-19 07:13:27 | 冥想アヴァンギャルド
◎無意識にそれを刷りこむ

夏の高校野球が行われている。高校球児は平素の悪行は忘れ去られて、あたかも無垢なる聖者のような扱いをされて、マスコミに報じられるが、それってどうなんだろう。やっている本人たちもこそばゆいが、基本は報道する人たちの側の「青春憧憬」でしょうね。

さて、野球は地水火風という四大をかたどったベースで形成された正方形の中心にマウンド(空)が盛り上がる。これを野球ではダイヤモンドという。

外野手が3人で、内野手が4人で、投手、捕手、打者で10人。10個の球と言えばユダヤの生命の樹(セフィロト)である。

生命の樹を見ると底がキャッチャーで、その真上は打者、その真上は投手。内野は長方形の4球であり、外野は3球で三角。

ランナーを別にするとワンシーンが10人で構成されるという最初の発想は、このセフィロトがあったかもしれない。

プレーは、なぜか白「球」で行われ、ボールが打者を含めると、10人の間を転々と流転する。それぞ修行の各相。

打者は修行者として、試練を乗り越えながら1塁から3塁を回り、ホームベースである本来の自己に戻ることが窮極の目的とされる。

その場には審判という名の数人の審神者が立ち会い、修行の成就を見届ける。

サッカーなんかに比べると異常にルールが複雑な野球というゲーム。創始者の脳裏にセフィロトがなかったとはとても言えないのではないか。野球こそは神聖スポーツの代表だってか。なにしろ石屋のアメリカ発祥のスポーツですからね。





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ブッダの骸骨-2

2012-08-18 06:02:55 | 究極というものの可能性
◎悟るに必要なものは、すべてあなたに備わっている

OSHOバグワンの講話の続き。自然はあなたに「なぜまだ悟っていないのか」と尋ねる
『自然がそのように尋ねたとしても、それは当然のことだ。しかし、あなたが自然に対して尋ねるというのは不条理だ。あなたにその資格はない。

今やあなたには自覚があり、何かをすることができる。すべての要素は整っている。水素はそこにあり、酸素はそこにあり、電気もそこにある。
必要なものは、何らかの努力と実験であり、そうすれば水は生まれる。

悟るに必要なものは、すべてあなたに備わっている。でもそれは散らばっている。だから、それをつなぎ合わせ、綜合し、そこから調和を作り出せばいい。そうすれば突然、炎が生じ、それが悟りとなる。
こうした技法はすべてそのためにある。あなたはすべてを持っている。
ただ必要なものは、悟りが起こるための処方であり、「何をするか」だ。』
(ヴィギャンバイラブタントラ8存在と一つに/OSHOバグワン/市民出版社P69から引用)

なぜまだ悟っていないかと問われても、悟っていない者にとって悟りの何たるかなど理解できないし、当然悟りの必要性なども納得できない。悟った者に出会っても、その人が悟った人かどうかすらわからないし、悟った人の言動を見聞きしても、彼が本当に悟っているのかどうか判断がつかない。

さとりへの処方・メソッドなどと言われても、そもそも悟りへの動機がはっきりしていないのだから、前には進まない。

その一方で、覚者はセールスマンではないから、ごり押しはしない。呈示して見せるだけだ。悟りという甘露は、誰かに飲ませてもらうわけにはいかず、自分で飲まなければならないからだ。
覚者たちの紳士的な振る舞いの原因はそこにある。

新興宗教の優良信者みたいに、誰か悟った他人を信奉しているだけでは何も起こらないのだ。
やはり冥想がその人を悟りに導いていくのだろうか。


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悟りとは何か
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ブッダの骸骨-1

2012-08-17 06:03:21 | 究極というものの可能性
◎時は来た

OSHOバグワンが人間の成熟度を語る。
『ブッダの骸骨とあなたの骸骨は基本的に変わらない。でも、あなたとブッダは絶対的に異なっている。進化は水平に働くが、方法や技法や宗教は垂直に働く。

人間の体は停止した―――すでにある一点に達した。終点だ。もはやこの先、何の成長もない。水平的には、進化は停止した。そして今、垂直的な進化が始まる。今現在、あなたがどこにいようと、あなたは垂直に飛躍するしかない。

その垂直的進化は、意識の進化であって、体の進化ではない。そしてその責任はあなたにある。

自然に対して「なぜ」と尋ねることはできない。しかし、自然はあなたに対し尋ねるだろう――――「なぜまだ悟っていないのか」と。

なぜなら今や状況はすべて整っているからだ、体には必要なものすべてが備わっている。あなたはブッダの体を持っている。ブッダが起こるのに必要なものすべては、すでに備わっている。

すでに備わっている要素のすべてを、新たに案配し、綜合するだけで、ブッダはあなたに起こる。だから自然はあなたに問うかもしれない―――「なぜ、まだ悟っていないのか」と。なぜなら自然はあなたにすべてを与えているからだ。』
(ヴィギャンバイラブタントラ8存在と一つに/OSHOバグワン/市民出版社P68-69から引用)

さてこの話を聞いても最近の人ときたら、まずその気にならないと来ている。
しかしこの「あなたは準備が出来ている」とは、最近の覚者間に共通認識であって、定説である。大統領候補が、「私は大統領になる準備ができている」と演説するように、現代人はその肉体進化の結果「私はいつでも悟る準備ができている」

ここで問題がある。悟ってみせたとしても、悟ってない人々にそれを証明することなどできないし、悟りのメリットや効果を、悟っていない人に論証することなどできない。悟りは悟っていない人々の側にはないからである。

察してもらうしかないのだ。他者が強制的に悟らせることなどできない。水に入ることはできても、水を飲むのは自分でしかできない。自ら、内発的に、自発的に、これも大きなキーワードだ。

禅寺でも、警策で叩いたり、ワーッと大声でどなったりしか、その人に対してはできない。禅寺の作法は伝統により洗練されているが、準備のできた現代人向けにもう一工夫できるかもね。それが問題だ。


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