アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

2011年の終わり

2011-12-31 06:20:50 | 時代のおわり
◎積不善の国JAPAN

オレ達のマスコミに踊らされた頭では、今年は、我が日常性を根底から揺るがされた3.11大震災と原発事故、そして観想法による願望成就の極致であるなでしこジャパンのワールドカップ制覇の二つだった。

震災の爪痕はいろいろなところに残っており、わりに手が入った仙台周辺でも名取周辺は全然進んでいないと聞く。
福島の原発事故は、原発事故を起こすにはこのパターンしかないと、神が条件をきちんと揃えてきたような不思議な事故だった。神風も、かくやあらむ。
一方なでしこジャパンの新ユニフォーム。その右胸のワールド・チャンピオン・エンブレムは4年間胸に輝き、左胸の一つ星は永遠に残る。


出口王仁三郎は、『天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし』と歌い、西海岸の覚者ケン・ウィルバーは、その現実にオープン・マインドを迫った。
オープン・マインドし切れぬ我々は、とりあえず生き延びようとするが、何のために生き延びようとするのか。今ここに展開する不条理そのものなる現実から逃げられるのか。

悟りは、あるいは絶対的一者は、心を利用して心を超越するというプロセスをたどる。不条理な今ここへの直視すべき時に、却ってマスコミに与えられた人工的な情報でパンパンの頭で、絶対的一者を、心理現象あるいは、脳内の神経反応として見るかぎり、我々に永遠の命はない。

積不善の国や社会には、思わぬ巨大災害が繰り返すもの。2011年、我々は、下流に降るか上流に上るかの岐路に立たされたことは間違いない。政治家が悪い、官僚が悪い、マスコミが悪いなどという情報操作に惑わされながらも、充分に自分を顧みさせられたはず。

2010年末にテーマと見たグローバリゼーションの流れは、結局世界樹に収斂した。宇宙樹は世界共通だった。グローバリゼーションは、これからは世界の違いを際立たせることよりも、世界は共通する土台に載っているということを強調する方向に動いていくように思う。

この文明の成否は覚者の人数である。2011年は何人の覚者が出たのだろうか。

この一年のご来訪を感謝致します。


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冥想科学中心構想メモ

2011-12-30 06:04:21 | 時代のおわり
◎冥想習慣の定着から

日本人の知性は、個人の利害打算優先に動きすぎた。ここで功利優先の価値観を美徳優先の価値観に変化することができなければ、あはれ日本は、そのサラリーマン根性によって亡国の混乱に沈むことは必定。

ここで冥想科学中心の位置づけというものを構想してみる。
大前提となるのは、
1.宗教とは知的ドグマ(教義)ではない。

2.宗教の手段とは、冥想のメソッド(坐法)とポスチャー(坐相)である。ここに宗派なき宗教がある。

3.正直、勤勉、謙虚、無私、自己犠牲、などの徳性は、せんじ詰めれば、見神・見仏などの窮極とのコンタクトから来る。そうしたコンタクトなしでその絶対性を確証することはできない。よってそうしたものとのコンタクト(こういう言い方は、コンタクトすべき何物かがあるみたいで、誤解を招きやすいのだが)は絶対に必要となる。

4.そのコンタクトの手段は冥想である。

日本とは、あらゆるスタイルの宗教の花が咲き集どう国であったが、戦後社会の無神論的国家経営によって、その伝統の花もほとんど散り落ちようとしている。

冥想科学中心がこういう動きをすれば、既成宗教各派の方向性と抵触してくることになりそうだ。ところが、既成宗教各派は、あらゆる冥想の精華として存在するのであり、冥想科学中心の役割は、冥想の基本習慣を国民に植え付けることと、冥想科学そのものの深化とすれば、そのあつれきは最小限で済む。要するに冥想がラジオ体操みたいに国民に根づいたものとすべき。

冥想科学中心の研究の指向目標
1.只管打坐での坐法・坐相の研究と身心脱落の位置づけ。

2.クンダリーニ・ヨーガ坐法・坐相の研究と中心太陽突入の位置づけ。

3.死を迎えようとする段階から中有・再誕までの死のプロセスの研究。狙いは死の恐怖の分析と緩和・解消。

4.見神・見性に至る手法のバリエーションの研究。

5.悟り、見神・見性、神人合一が、心理現象ではなく、単に「言葉では表現できないこと」にとどまらない体験ではないのこと(現象・現実そのもの)の確認。

6.坐法・坐相としての冥想普及手段研究

7.悟り、見神・見性、神人合一を基礎とした社会・文化のありかた研究

官製宗教としては、国家神道という反面教師がある。国家神道は上からの押しつけだったが、今度は下から正統的に盛り上げないとその運動に納得する人は少ないだろう。

これらによって社会全体の価値観は大きく変貌を遂げる。閉塞感は打破されるだろう。



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マーカス・サミュエルの日本人観

2011-12-29 06:13:29 | 時代のおわり
◎中国との違い

石油のセブン・シスターズの一、ロイヤル・ダッチ・シェル創始者のマーカス・サミュエルは、ロンドン育ちのユダヤ人だが、明治5年19歳で横浜に降り立ち、明治25年にはロシアからの石油買付を手始めに石油業界に参入して、後にロイヤル・ダッチ・シェルの隆盛を築きあげた。そして明治35年ロンドンに戻ると、ユダヤ人として5人目のロンドン市長となった。

『サミュエルは、終生、日本贔屓だった。もっとも、当時のヨーロッパやアメリカでは、中国大陸に対する憧れのほうが、強かった。今日でも、ヨーロッパ人や、アメリカ人は、日本よりも、中国のほうがはるかに大きいということから、中国のほうに魅せられている。

日本人は約束を守るが、中国人変節を繰り返す

サミュエルには日本の値打ちが、分かっていた。
サミュエルは「どうして、それほどまでに、日本が好きなのか?」という質問に対して、「中国人には表裏があるが、日本人は正直だ。日本は安定しているが、中国は腐りきっている。日本人は約束を、かならず守る。中国人はいつも変節を繰り返している。したがって日本には未来があるが、中国にはない」と、答えた。

このサミユエルの発言は、ユダヤ人と日本人のあいだに、お互いに響きあうものがあることを示している。国民性が、よく似ているのだ。

ユダヤ人はユダヤ教による“戒律の人” だ。そこで正直であり、約束をかならず守る。日本人と相通ずるものがあるのだ。

日本人はユダヤ教のかわりに、武士道によって精神が律せられてきた。武士道の精神は、武士だけではなく、商人、農民、職人のあいだにも、浸透していた。』
(ユダヤ製国家日本/ラビ・M・トケイヤー/徳間書店p145-146から引用)

中国について、世間では、ようやく中国分裂の可能性を唱える人が出てきた。20世紀のオカルティストには、中国は4つに分裂すると見ていた人があり、おそらくそうなって行くのだろう。
なんだかんだ言っても中国では、理念は育ちにくいし通用もしない。イエスは「人はパンのみにて生きるものに非ず」としたが、中国のような精神的なものにまったく価値を認めない社会では、利害打算だけが優先するので、残念ながらパンのみを求めて国が4分するのだろう。

理念なき中国人を評して毛沢東はこれを小悪人とみたのだろう。今も昔も中国で「市民、近代人」と呼べるのは知識分子、読書人だけである。これぞ世界にもまれな文明のガラパゴスのように見える。しかし神を殺した近代西欧文明は、今の宗教なき中国文明のことをあざ嗤うことはできない。



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ヤコブ・シフ韓国に渡る

2011-12-28 06:22:44 | 時代のおわり
◎金さえ払えば何でもできることを憂う

ヤコブ・シフは、日露戦争の戦費であった日本国債5百万ポンドを引き受けてくれた日本の恩人である。日露戦争勝利の立役者の一人。

ヤコブ・シフはフランクフルト生まれのユダヤ人で、18歳にして無一文でニューヨークに渡り、父親が銀行員であったためか、銀行で出納係として働いた。

28歳でクーン・ローブ商会(この会社の後身が、かのリーマン・ブラザーズ社)に転職し、その10年後に共同経営者の一人であるソロモン・ローブの娘と結婚し、38歳で同社社長に就任した。シフは、主に鉄道建設に出資して、巨利を得た。

さて明治39年3月28日、シフは、明治天皇の招きによって来日し、旭日大綬章を受け、天皇は午餐会にてシフを歓迎した。

この後、シフは韓国を訪問している。
『シフ一行は門司から、日本の保護国となっていた韓国へ向かい、五月三日に仁川に上陸した。ここでも、日韓あげての歓迎を受けた。

シフは「男たちは裾が長い白衣に、頭の天辺に奇妙な帽子をかぶっている。女性たちは衣で頭からすっぽりと覆って歩くので、顔がわからない」、「この国には、法律があっても法がない。金さえ払えば、何でもできるというが、日本はこの混乱して腐敗しきった社会を建て直す、困難な仕事に取り組んでいる」と、書いている。

シフたちは韓国から、いったん日本へ戻って、大阪や、名古屋を訪れたうえで、五月十八日に、横浜からアメリカへの帰途についた。』
(ユダヤ製国家日本/ラビ・M・トケイヤー/徳間書店p119-120から引用)

韓国には、武士道・大和魂みたいな固有のナショナリズムの核がなく、反日を本来のナショナリズムの代わりにしていることは不幸なことである。シフが訪韓した当時を見ると、韓国の気風は中国の悪しき気風を濃厚に受け継いでいることがうかがわれ、基本は今も変わらないのだろう。

朝鮮生まれの神人姜甑山(きょうそうざん:1871-1909)の事績は決して大きく評価されていないが、神は平等で、朝鮮にも神人を下し給うたことはありがたいことだと思う。


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脊柱の33

2011-12-27 06:08:18 | 究極というものの可能性
◎神と人とをつなぐリンク

33は大いなる数字である。

まず脊柱の骨の数が33個(頸椎7、胸椎12、腰椎5、仙骨5、尾骨4で計33)。

脊柱はクンダリーニの入れ物であり、古代の神秘学文献では、蛇、宇宙樹、王笏、杖、らせん階段などのシンボルとして現れる。

観世音菩薩は、三十三の姿に変身して現れ、フリーメーソンは三十三位階を用いる。キリストの生涯は三十三年間。

どうも三十三は神と人とをつなぐリンクの数字である。

ギリシア神話で、天から火を盗んだプロメテウスが、その火を閉じ込めるのに、フルーラ(大茴香)の髄に入れて地上に持ち帰ったとは、クンダリーニの火が、もともと天上たる神の持ち物であって、神からその魂が発出したという、(上から下への)古代秘教タイプの人間形成モデルの説明である。(髄を脊柱に見立てる)

ただし、頸椎7個は7惑星、胸椎12個はゾディアック、腰椎の5は五元素に照応するとまで言うと、調子に乗り過ぎのように思う。


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みぞおち

2011-12-26 06:12:39 | ハタ・ヨーガ(冥想法3)
◎生のポイント・死のポイント

みぞおちは、チャクラでもなんでもないが、このようなことがある。

みぞおちは別名鳩尾(きゅうび)。この場所にある「胸骨剣状突起」の形が、鳩の尾の形に似ているのでこの名前が付いたという。

この文中の先生とは、整体の野口晴哉。
『ある日、先生が言った。
「僕は子どものころ、この人は死ぬ、この人は死なない、ということがわかったんだよ。僕が死ぬと言うと、必ず死ぬし、死なないというと、臨終だと言われている人でも生きてしまう。だから、神童だと言われて、いろいろの病人のところへ連れてゆかれた。

鳩尾の剣状突起のすぐ下の禁点に硬結が出ると、四日以内に死ぬということを見つけたのは、愉気するようになってからだ」』
(回想の野口晴哉/野口昭子/ちくま文庫P86から引用)

いつ死ぬかよりは、どう死ぬかどう生きたかの方が問題だと思っているので、いつ死ぬかがわかっても・・・・・・。

ぬけがら日記のブルーさんが書いている、ダンテス・ダイジの発言。
丹田呼吸で大事なことは、下腹をふくらますことよりも、
みぞおちを落とすことらしい。
落とすというのは、みぞおち部分を柔らかくするということ。
みぞおちには力を入れず、入息時もみぞおちはふくらませない。
みぞおちを落とさずに、腹ばかり大きくすると、感受性のにぶい、
中小企業の経営者や相撲取りのようになってしまうらしい。
(このたとえは、ダイジの言ったまま)』

世を押し渡るには気力が必要だが、気力は下腹を膨らますのと密接。しかし、さる感性がなければ、究極のテイストを味わうことはできないだろうというニュアンスだろうか。


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幻想の平和から昭和神聖会へ-3

2011-12-25 06:34:45 | 時代のおわり
◎戦争は悪い相手国とする

以下は、クリストファー・レインの説ではなく、西尾幹二氏の発言だが、自民党政権末期に自民党の有力者のアメリカへの対応を引き合いに出している。西尾幹二氏は、この「GHQ焚書図書開封」という本で、『日本が戦争を振り返るとき、戦争をした日本が悪いという報道はするが、戦争には必ず相手国がいて、なぜかアメリカが悪かった、ソ連が悪かった、中国が悪かった、(インドシナでは)フランスが悪かった、(インドネシアでは)オランダが悪かったという報道はしない』ということを盛んにいう。

要するに日本は敗戦国として、60年以上たった今も、アメリカの機嫌をうかがいながら、文化面・思想面・政治面で自己規制しているというものである。
しかし、この記事以降民主党政権の成立とアメリカの国力ダウンによって、大きくその潮流は変わりつつあるように思う。

『田母神俊雄前航空幕僚長が、平成二十一年十月号の『WiLL』で、「原爆の日に広島で敢えて核武装を論ず」という記事を書かれておりまして、これは広島で行われた講演をそのまま収録したものです。
その中で、とてもいいことをいろいろおっしゃっているんです。広島の市長は核が廃絶されれば平和が来ると言っているけれども、そんなことは逆だと。核が廃絶されたらむしろ平和が脅かされるんだと。核が地上から完全になくなるということはないので、核があることで平和が守られているという現実があるということを何度もおっしゃっています。

にもかかわらず、日本が自分を守るためにやらなければならない問題として核武装が必ずあるということを言ったあとで、「にもかかわらず、日本の核武装には必ずアメリカが反対
します。アメリカ以外の核保有国も反対します。核保有国と非核保有国では国際政治を動かす発言力が全く違うのです。
核兵器を持っていない日本が核兵器を持っている国を交渉で動かすことはできません。核武装して初めて交渉ができるのです」。

つまり、北朝鮮がそうしようとしているように日本も核武装してしまえば、核国家はみな頭を下げてくれ、初めて対等な外交ができる。
この勇気は日本の中にありません。日本の側がアメリカの顔色ばかり窺っているわけですから、アメリカに楯突いたら大変だということなんでしょう。

かつて、元防衛庁長官に石破茂という方がいて、大変有能な人だと言われていた。私も感服して、この人が好きで『坐シテ死セズ』という対談本まで出しました。が、この人がある時期を境に突然変身したようにへっぴり腰になりますね。
それは何かというと、政治家として成功するには、
結局はアメリカに頭を下げて、自分の勇気やなんかを捨てて、道徳もモラルも捨てて、アメリカのいう通りになんなきゃダメだと思い込んでいる保守政治家の生き方の弱さ、日本の自民党政治家のダメなところが出たのではないかと思います。

故中川昭一さんが北の核実験後、核武装の論議をしようと言い出したとき、テレビで石破さんがアメリカが許すはずがない、原子力発電まで奪われると言っていたのを聞いて深く失望したのを覚えています。

どうしても克服できないのは、この「自分から」ということです。「自分からする」というところ、これができないんです、この国は。
これができないのは、さっきからずーっと言っている自己規制とか心の弱さという、この日本人の問題だということはお分かりだと思うんですね。戦争は、相手があったからやったんであって、日本の一国が、何もないところから始めたわけではないんです。そんなことは、歴史を調べればすぐにわかる話じゃないですか。』
(GHQ焚書図書開封3/西尾幹二/徳間書店P360-361から引用)

2009年頃は、日本の核武装は全然だめという雰囲気だったのだろう。しかしアメリカが韓国、日本から駐留軍のかなりの部分をグアム以東に引き上げる中、今ならば、近い将来における日本の更なる軍備拡張と核武装はまんざら夢物語でもないように思う。

日本の国は自分で守る・・・至極当然のことだが、これが発動・現実化することは、一連の事件のきっかけになる。それが昭和神聖会の型出しである。

世界全体が核廃絶しても平和にはならないだろう。人間の心が、国同士で争わないまでに成熟を遂げていないからである。核武装すると平和になるという議論もまた妙で、核を持つ限り相手国への恫喝外交は終わらない。
要するに核武装の有無と平和の実現は無関係。世界の人間が変わらない限り、あるいは各国の指導者が悟らない限り、次の時代はあるまいと考えている。


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幻想の平和から昭和神聖会へ-2

2011-12-24 07:07:14 | 時代のおわり
◎始まった日本の軍事面での自立(再国家化)

クリストファー・レインは、アメリカの独覇維持コストがアメリカの軍事的衰退を招き、その結果、近い将来それが、日本の軍備強化を招くことを予見している。

『冷戦中に西ヨーロッパの同盟国たちがそうだったように、アメリカのユーラシアの主な同盟国たちは、核武装した国々が存在する世界における、「拡大抑止」が抱えるシレンマをよく理解している。一九六一年にフランス大統領のド・ゴールはケネディ大統領にたいして「ヨーロッパの人々は、アメリカがパリを救うためにニューヨークが破壊されるというリスクを背負うことなどあるわけがないと考えております」と告げている。

今日のアメリカの同盟国たちも、アメリカが東京や台北を守るために本気でシアトルやロサンゼルスをリスクに晒せるかどうかという当時と似たような――――しかも根拠が十分の――――疑いを抱いている。ユーラシアにあるアメリカの同盟国たちは、アメリカの安全保障の約束の信頼性が落ちつつあることを十分理解しており、だからこそ「再国家化」を始めているのだ。軍事面での自立(再国家化)を諦めるかわりに、彼らはアメリカに見捨てられた場合のことを考えて自分で自分の国を守ろうとする動機をもっているのである。

結果として、アメリカの東アジアにおける軍事フレゼンスは地域の安全保障競争を阻止するはずなのだが、実際のところは―――中国と日本の間で見られるように――――激化しつつあるのだ。

日本は東アジアにおいて徐々に「再国家化」しつつある国の典型的な例だ。日本はまだアメリカとの結びつきが深いが、それでも将来いつかの時点で「アメリカが信頼に足る同盟国ではないことを証明してしまうような脅威に直面する」ことを近年になってから心配し始めている。

たとえば一九九八年には、アメリカが北朝鮮の(日本の領空を通過した)ミサイルの発射テストの前兆を教えてくれなかったので、日本におけるアメリカの信頼性は低下し、日本政府は独自の偵察衛星の獲得に走ることになった。

近年の日本は中国の軍備増強をかなり警戒するようになっており、日本はそれに対処する形でアメリカが押し付けた憲法の(日本の軍事政策に強烈な制限をかけている)第九条を改正する動きに出ており、自国の軍隊を増強し、核武装をする可能性についてもひそかに考えはじめている。

いいかえれば、日本は独立したパワーの極としての基礎を徐々に固めつつあるのだ。これについて、米国海軍大学の東アジアの安全保障の専門家であるジョナサン・ポラック(Jonathan Pollack)は、こう述べている。

近年の日本の行動は、既存のアメリカとの二国間関係の枠内で行われているように見えるかもしれないが、それでも日本がその方針を変えていることは明白だ。日本のリーダーシップは長期的な国益についてかなり明確なコンセプトを持つようになっており、将来的にも以前より強固な意志で自国のやり方を貫き通すことができるようになるはずだ。アメリカの政策家や日本の周辺国たちは、このような強いリーダーシップに対処しなければならない状況に直面するだろう。』
(幻想の平和/クリストファー・レイン(五月書房)P367-369から引用)

福島第一原発の事故で様々な情報が出た中で、日本は実は核兵器に転用可能なプルトニウムの保有量は世界第六位というのがあったと記憶している。さすがは細矛千足(くわしぼこちたる)の国。

いわば日本は30年以上前から、将来アメリカの核の傘の威力が弱体化することを見越して、原発推進に取り組んできたわけだ。アメリカが弱体化すれば、自国防衛力を強化しようとするのは、当然の流れ。北方領土をロシアに実効支配され、竹島を韓国に実効支配され、さらに尖閣諸島は中国と係争していく中で、日本の本格的軍備増強・核武装を公然と進めさせるような大きな事件(外国の手によるテロや領土侵犯などか=東京事変?)が起きるのだろう。

そういった流れを当然と考えるのは社会常識が備わった常識的な人たち。しかし日本はそれだけでは済むまい。こうして歯磨きのチューブから中身を押し出すように、自然に軍国化が進めば、まもなく世界から日本が再びしたたかに叩かれる日がある。

それを出口王仁三郎は昭和神聖会という形で実演して見せたのだ。ある平和な宗教団体がいつのまにか右翼と結んで軍事教練までやる似非軍事組織と化して全国で活発な活動を展開していたところを、昭和10年大弾圧を受けたのだ。

今度も、取り締まりやすいところから取り締まるのだろうから、ネットでの自由な言論は真っ先に圧殺されること間違いない。それも出口王仁三郎は玉串を座布団の下に隠して暗示してみせた。

昨今、大きな時代を動かす事件が連続して起き初めている。憲法9条を動かせるようなシンボリックな事件が起きても、日本は一気に第二次世界大戦時を上回るファシズム政治にならないと誰が云えるだろうか。


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幻想の平和から昭和神聖会へ-1

2011-12-23 07:39:22 | 時代のおわり
◎オフショア・バランシング

幻想の平和(五月書房)は、クリストファー・レインの米国の世界戦略を描いた本。

アメリカの国力の絶頂期は、1950年代。今や第一次世界大戦、第二次世界大戦で戦場にならなかったことにより勝ちえたアメリカの巨富も漸次縮小し、世界の独覇国、唯一の超大国からの「出口戦略」を検討せざるを得ないような状況に追い込まれている。

その過程で出てきているのが、アメリカの海外駐留軍の縮小である。これはアメリカの財政面からの要求ということだけではなく、アメリカ自身の世界戦略の転換という側面もある。海外駐留軍は、アメリカの持つ地域外覇権政策の根幹であった。

アメリカの為政者の念頭にあったのは、第二次世界大戦以前の独覇国は、大英帝国であり、大英帝国ですら、唯一の超大国は、その覇権維持コストのゆえに衰退を免れないというものであった。アメリカは、戦後、ソ連の脅威を餌に欧州・アジアでの軍事プレゼンスを強化してきたが、ソ連の破産により、アメリカは独覇国となったために、以前ほどの強力な軍事プレゼンスの必要性は薄れた。

クリストファー・レインは、こうした状況の変化から、オフショア・バランシングと言う名の下にアメリカの政策について以下のような提言を行っている。

1.NATOから抜けて欧州から軍事力を撤退させる。
2.日米安保条約を破棄し、日本が報復核抑止力や東シナ海などの海上輸送ルートを守るための機動力を含む軍事力増強計画を支持する。
3.中国に対しては過剰に敵対的な政策の実行を避ける。
4.ロシアの国内問題に関与しない。
5.韓国から米軍を撤退させる。
6.原油輸入への依存を減らし中東から撤退するよう努力する。中東から米軍を撤退させる。この延長でエネルギー安全保障政策を検討する。

アメリカは、覇権を失うリスクと覇権を維持するコストを天秤にかける。以前と違って徐々に核拡散が進行した結果、覇権を維持することで、アメリカは、ユーラシアで大国間戦争に巻き込まれるリスクの方が高いとクリストファー・レインは考えている。

クリストファー・レイン(テキサスA&M大学教授)の提言はいずれも強烈かつ刺激的なものであるが、これらの提言の方向がアメリカの現今の動きと必ずしもずれていないことに注目すべきだろう。






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禅の2種の坐り方

2011-12-22 06:10:05 | 丹田禅(冥想法8)
◎信念、疑団、憤志

禅は、只管打坐の黙照禅と丹田に力点を置いた丹田禅の2種がある。禅は禅でも全く違った坐り方である。只管打坐では、坐禅儀で縷縷述べているので、ここでは丹田禅の説明。

白隠は、『息耕録開筵普説』でそれを説明する。

『古人云く、参禅は須らく三要を具すベし、
一つには大信根、
二つには大疑情、
三つには大憤志なり。
若し此の一を欠けば、折足の鼎の如し。

信根とは何をか言ふや。ただ是れ人々見得すべき底の自性あり、徹了すべき底の宗旨あることを信ずる是れなり。

縦ひ信ずと雖も、難透の話頭を疑着せざるときは、底に透って徹了すること能はず、
縦ひ疑団凝結すと雖も、憤志以て相続せざるときは、疑団破れず。
是の故に言ふ、慨怠の衆生の為めには、涅槃三祇に亙り、勇猛の衆生の為めには、
成仏一念に在りと。只だ須く切に精彩を着くべし。』

要するに信念、疑団(意識的な分別を容れない疑いの固まり)、憤志であり、いずれも公案の周辺でこれらの圧力を高める工夫を凝らしていく。これだけは師匠が教えてなんとかなるものではない。

この三要の説は、白隠オリジナルでなく、元代の原妙の『高峯禅要』にある由。
白隠は、主として無字の公案を用いて見性に至る定番メソッドとして確立させた。

見性直前はほとんどノイローゼみたいになっちゃうのだろうから、社会生活を営みながら丹田禅をやるというのもなかなか大変である。
それでも坐らないと、あらゆる洗脳を払拭した、先入観なき世界の本来の姿は見えてこないのだろう。これが大信根。

白隠は、十牛図の第八まで行ったのだろうか。





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大燈国師の遺言があなたに向かう

2011-12-21 06:14:55 | 丹田禅(冥想法8)
◎濃密な雰囲気の流れる時代

大徳寺大燈国師は、死に際に、弟子たちを集めて、
『あなた方は、この山中にやってきて、求道のために頭を寄せてきている。衣食の好き嫌いなどに配慮してはならない。肩があって服を着ないということはなく、口があって食べないということはない。

ただ24時間、わけのわからないところに向かって、そこを究め来て究め去りなさい。
光陰箭の如し。身を慎んでむだなことに心を煩わせてはならない。
看取しなさい。看取しなさい。』
とやった。

今や文明全体が死に際である。我々も単に毎日の日常生活とやらを生きるために毎日稼業にいそしんでいるわけではない。もしそうであるならば、アマゾン奥地のヤノマミ族みたいな未開人と同列の人生である。

この時代にこの日本に生きるということは、悟ってなんぼ。

同じことを中国などの発展途上国の人に語ってもまま通用しないが、今この時代の日本に生きるということはそれなりの覚悟を持って出生直前に現代日本の子宮を選び取って生まれてきたはず。

モバゲーやテレビの人気ドラマに時間を浪費する余裕はますますなくなって来ている。真剣な自分自身への向き合いが24時間求められる濃密な雰囲気が流れる時代である。



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メリットを求めて坐ってはいけない

2011-12-20 06:09:35 | 冥想アヴァンギャルド
◎窮めるためには

道元の学道用心集に「有所得の心を持って仏法修行してはならない」という一段がある。
有所得の心とは、何かメリットを得ようとする心のことである。

何か願望を成就させようと思って只管打坐してはならない。
坐ることで落ち着こうとして坐ってはならない。

と言えば、それを聞いた人の大方は、何もならないのであれば只管打坐なんてアホらしいって思うに違いない。・・・・・・・それでも、そんな話に何かぴんと来る人だけが坐るのだろう。

こうした求道では、自発的、内発的でないと長続きしないという絶対的な法則があるのだろう。
最初からある道に詳しくて関心が高かった弟子よりも、そんな友人にくっついてきたあまり関心のなかった人物の方が、むしろその道を窮めることがあるというのも此の辺の消息だろうか。

道については、ものを教えるというのは、学校教育みたいにそのものズバリを指し示しては駄目で、常に弟子が自分の手でもって得させるという手法となっている。なぜかそうなのだ。

一方で有所得の心でもって坐ってはならぬとし、動機の清廉さも問う。

いずれにしても本当の悟りは簡単ではない。


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野口晴哉の鳩尾(みぞおち)

2011-12-19 03:34:35 | ハタ・ヨーガ(冥想法3)
◎リラックスの急所

野口整体の野口晴哉は、鳩尾を重視した。

『意識の「乗り物」としての体の観察という点では、晴哉はほんとうに徹底していた。死の床にあっても、自分の全身で起こっている変化を、繊細きわまりない指で触り、確かめ、そうやって、自分の鳩尾にある硬結を確認するとそれを直後に触らせて教え、正確に四日後にこの世を去っていったのである。

もともと、鳩尾は、下丹田、背骨とその両側に平行して走る気の流路などとともに、野口晴哉の身体図式の中で、とくに大切な役割を与えられている。

鳩尾は、邪気を吐き出して、リラックスしていくための急所であり、そこの力が抜けないと、気が頭に上がりっぱなしになるため、脳溢血や脳梗塞を起こしやすくなる。

リラックスするためには、鳩尾の無駄な力がすっかり抜けきることが大切だ。そのため、活元運動の準備の一番最初には、鳩尾を軽く指で押さえながら全身の邪気とともに息を吐ききる呼吸法が組み込まれている。

その意味では、鳩尾に硬結ができることは、エントロピーが、その中心部に集約されてくることを意味しており、それが死の兆候とされることには、一貫性があるのである。

だが、野口晴哉の独自性は、死の兆候として鳩尾の硬結を考えるだけではなく、死のプロセスで苦しんでいる人に対する具体的な援助の方法として、鳩尾への愉気という単純なやり方を教えたことである。

この方法が、実際にたしかな効果を持っていることを、わたしたちは知っている。』
(野生のブッダ/永沢哲/法蔵館p56-57から引用)
※愉気=気を送ること
※活元運動=自律調整運動法の一種

ボディだけクリアしようとするのは、ハタ・ヨーガで完璧な肉体を持つために何生も過ごすのに似た印象を持つ。

それにしても鳩尾というのは肉体のクリティカル・ポイントなのだろう。ターミナル・ケアの一手法としては面白い。しかし、自分の肉体を超え、自分を超えたところまで行けたのだろうか。

またこの手法はゆっくり訪れる死に際しては、緊張の緩和という効果はあるのだろう。しかし津波や事故などの急速に訪れる死に際しては有効ではあるまい。

邪気を払って元気になって、そして何をするのだろう。鳩尾をリラックスさせ、死期を延長して、そして何をするのだろう。

きっと坐るのだろう。坐るのは、きっと肉体の快適さを至上の目的とするのではあるまい。

面白そうなので、野口整体を調べてみましょう。



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立替立直を何人でやるか

2011-12-18 08:17:38 | 古神道の手振り
◎三人世の元

昭和で数えると今年で80年を超えているが、神知らぬ人がほとんどであるという点では、昭和の初めの心性と何変わることがない。

惟神(かむながら)を唱えながら神を知らぬ者は、「人ながら」が惟神を説くものであると、出口王仁三郎はそんな宗教者、宗教評論家を喝破する。

人ながらでは、時代の立替立直しはできない。出口王仁三郎も昭和神聖会の頃(昭和8年)こんな歌を残している。神知る人の人数がそろわないと進めない

動くべき時まだ早し 惟神 道の備えも人足らずして


出口王仁三郎の国家意識、国体とは、神を知る者の持つ国家観、社会観であって、社会の181位階のトップに神を据える国家意識。もちろん戦前にそんなことを言えば、非国民だったろうが。

更に出口王仁三郎は、日本では国家意識のある宗教でないとだめだという。日本人の覚醒が進むにつれて、日本人は国家意識のない宗教を相手にしなくなるという。まあ当然のこと。

彼の説明では、愛は大事である。ところが愛には、人類愛、国家への愛(愛国)、郷里に対する愛、役所・会社・学校など帰属する組織への愛、家庭愛、個人への愛などあるが、今「日本国民として」どれを最優先にすべきかといえば、国家への愛だろうとする。181位階の感覚というのは、そういう感覚での無私なのだろう。

そういうことを前提にして、出口王仁三郎の座談(昭和6年)から。※聖師=出口王仁三郎。
『林『明治維新の志士は実際よくやりましたねえ、今の世の中にはとてもあんな熱のある偉大な青年達はありませんなア』

聖師『明治維新のあの大業でも五十人位でやったんだが本当にやった人間はタツタ二十人程しかなかったのだ。あれは全く団結がよく出来てゐたからなんだ。その二十人の力が徳川三百年の礎を破ったのだから・・・・・。

西郷南洲が二十人の者を一つにした為や。
あの四十七士とこの二十人が歴史にのこっているもので団結の為に仕事をやり通したのみで他にはひとつもそんなものはないのやでよ・・・・・。

或る人が俺にこう云ふ事を云った「大本の人は皆あんたに命を投げ出してついてゐる、全国に何百万ゐるか知れない。あんたの命令は善かれ悪しかれとても大きな結果を生む・・・・・」と云ってゐた。 団結の力は大きいからなあ。

お前、ロシアの革命でも二十人は居らなかったのやでよ。本当にやったものは二三人しかあらへん。その二、三人の人の団結の力で今のソヴェートロシアが出来たのやからそれは見方によっては大本の力はどんなにあるか判らんからのう。

三人世の元と云ふが、どんな仕事でも本当の者は三人でよいのや、教祖はんは「一人此の事を知った者が出て来たら」・・・・・とその一人を待って居なさった。その一人が出て来たら此の事は成就すると云ってゐられたのだ』
(一座寂として声なし〉』
(『昭和青年』昭和6年7月号から引用 ))


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九分九厘

2011-12-17 07:07:26 | 古神道の手振り
◎チャネリングに神はかからぬ


出口王仁三郎は、チャネリングでは神はかからないと言っている。この神は当然に大神のことである。
『○神はかからぬ

なんと言っているんだい。
普通の人間に神がかかるかい。皆な狐と狸だ。
(昭和9年)』
(新月の光(上巻)/木庭次守編/八幡書店P201から引用)

九分九厘は、ニセ物。

【帰神
 いすくはし人の魂に霊幸ふ神の懸らせたまふたふとさ
(出口王仁三郎)】
鎮魂
 玉鏡剣に魂をとりかけて天津日継を依さす鎮魂

 鎮魂
 鎮魂の尊き御業知らずして加持祈祷に迷ひこそすれ

 浮かれ往く魂をまねきて丹田にをさめ生かすを鎮魂とふ
 (出口王仁三郎)】


『○神と人

 九分九厘までは神様がつれて行かれるが、岸は人間が登らねばならぬ。(昭和10年以前)』
(上掲書P219から引用)

岸の登り方は、日々の冥想で練習するしかないのではないか。すなわち日々の冥想なければ、一厘には届かないということか。

【よきにつけ悪しきにつけて天地の神に祈るは人の真心
(昭和4年2月 出口王仁三郎)

 眼に見えぬ己が心霊を眼に見えぬ神にささぐる幽斎の道
 (大正七年七月 出口王仁三郎)

 人の眼のとどかぬ処を慎しむは神に等しきこころなるべし
 (大正九年二月 出口王仁三郎)

 人目より愚かと見ゆる人こそはまこと賢き神人にぞありける
 身を捨てて道に尽さば道もまた捨身の人を捨てず助くる
 (大正九年三月 出口王仁三郎)

 思ふことこころのままに語り得る幼児は神のこころなるかな
 (昭和二年十二月 出口王仁三郎)】

一厘の仕組とは、

一厘の仕組-1(古事記の仲哀天皇の段)
一厘の仕組-2(三個の神宝)
一厘の仕組-3(大量死と復活)
一厘の仕組-4(衝立船戸神)
一厘の仕組-5(天津祝詞)


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