アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

AKB48の孤独と不安

2011-10-31 05:50:21 | 時代のおわり
◎風は吹いている

ダンテス・ダイジのつぶやきから、
「この西欧文明は、マスコミがなければほとんど何もない。」

マスコミの演出やド派手な舞台装置にもかかわらず、
芸能界のスーパースターやスポーツ界のヒーローほど自分の不安や不満を解決していない。
権力者や大金持ちほど自分の不安や不満を解決していない。

たとえばマスコミに毒された我々の目から見て、不安も孤独もなさそうな人たち・・・・
AKB48の神8
SMAP
和田アキ子
イチロー
ダルビッシュ
白鵬
総理大臣&各大臣
各省の事務次官
東証一部上場企業の社長
都道府県知事
電力会社のトップ
マルチ商法のトップ
ネットワークビジネスのトップ
○○教団のトップ

ダンテス・ダイジは、こうした人になるほど、「オレを一人にしないでくれ」とか、「灯りを消さないでくれ」などと言っているものだと、彼ら彼女らの不安と孤独を茶化して言う。

こんなことを書くと、9割方の人は、成功して絶頂にある人たちがそんなはずはないと思うかもしれないが、それこそマスコミの思うつぼにはまっているというものだ。

近代西欧文明そのものである日本。マスコミは、こうした人たちこそ人間の本源的欲望を実現している証拠であると触れ回る。実はそんな人たちは、不安も不満も孤独も何一つクリアしていないという点では、我々と何も変わるところがないのである。

文明の精華とは、悟った人をその文明で何人出せるかどうか。本当の孤独と不安に向き合ってそれを克服できた人が何人いるかどうか。マスコミは本当の孤独と不安を解消できた人こそヒーローでスーパー・スターだなどと思いつきさえしない。

タイは大規模な洪水に沈み、北米は早すぎる吹雪に降りこめられているけれど、時代の風は吹いている。


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桜沢如一の無双原理・易

2011-10-30 07:47:24 | 時代のおわり
◎肉体変成の可能性

桜沢如一(1893-1966)は、食事による養生を説くマクロビオティックの創始者。海外に広く普及しているのは、フランスで、アンドレ・マルローの知遇を得たことが大きいように思う。

彼の無双原理とは、易や老子道徳経から着想を得たものだが、このようなもの。
(実有とは、太極、無極、永遠であるとのことだから、ニルヴァーナですね。)

まず、無双原理: 『宇宙万物は、陰陽より成る』
次に派生する12の定理:
(一) 陰陽を生ずるものは実有である。
(二)陰陽は、実有より不断に派生し、分極し、相関往来し、栄盛し、不断に実有に
    帰入消滅する。
(三)陽は求心、圧縮の性を有し、陰は遠心、拡散の性を有し、おのおの、その性反対なり。
(四)陽は陰を、陰は陽を互いに牽引す。
(五)森羅万象は、あらゆる比例において陰陽を荷帯せる実有大極の、複雑にして無数なる微分子の集合体なり。
(六)森羅万象は、単に種々なる程度の動的均衡を示す陰陽の集合体なり。
(七)絶対的陰、もしくは絶対的陽なる事物は存在せず。
(八)一物も中性なるものなし。必ず陰または陽に多寡あり。
(九)森羅万象相互間の引力は、各対者間の異性(陰陽)量の差に比例す。
(十)同名の性は、相排斥す。同性の二物の排斥力は、その差に逆比例す。
(十一)陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず。
(十二)万物、その内奥に陽を荷帯し、外側に陰を荷帯す。

まず第一の定理の実有が陰陽を生ずるというのは、同一次元に実有と陰陽があるような表現であり、そもそも誤解を招きやすいように思う。また(五)と(十二)は、易の発想ではないように思うが、戦前に物理教育を受けた人の物質観なのかなと思ってしまう。

その他は易を中心にした発想だから、易経繫辞上伝に「天は尊く地は卑しくして、乾坤定まる。卑高以って陳(つら)なりて、貴賤位(くらい)す。動静常ありて、剛柔断(わか)る」とあるが、これを敷衍したような定理が並んでいることに不審はない。

こうした易の原理の説明には新味はないのだが、私が興味を惹かれるのは無双原理のことよりも、巻末のプラズマの話である。

さて桜沢如一によると、1961年モスクワで発行された「宇宙と新しい物理学」には、『物質は5千度以上の高温では、固体も液体もプラズマになってしまう。全宇宙のプラズマの質量はズベテノ元素の固体、液体、気体のよりハルカニ多い』とあり、これに桜沢如一が『しかし生体では37度以下でもスベテノ元素がプラズマになっている。』とコメントをつけている。
(出所:無双原理・易/桜沢如一/日本CI協会P231)

炎もプラズマだそうだけれど、生体内ですべての元素がプラズマになっているってことはない。だから、桜沢如一がどういうつもりで生体ではすべての元素がプラズマになっていると思ったのかに興味がある。クンダリーニ・ヨーガによる元素変換・肉体変成・治療への新たな可能性を直観したのかもしれない。



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イルミナティ最高機密文書

2011-10-29 06:39:29 | 究極というものの可能性
◎薔薇十字団による宇宙論

イルミナティ最高機密文書(青志社)とくれば、おどろおどろしい書名だが、内実はあまたある錬金術文書のひとつであって、同書後半の「薔薇十字団による宇宙論」は、「薔薇十字団の秘密の象徴」の続編であるとの説明がついている。

『数の神秘4

幸福 自然の光
恩恵の光
承知しないぞ! 承知しないぞ! 承知しないぞ!
ソフィストめ!
第五元素 煙が君たちの頭から立ち昇り何世紀にもわたって君たちを痛めつけ苦しめるであろう。

(中略)

この図を理解する者は、他の何かからある物の由来を
引き出す
方法を知ることになるだろう。基本的に、
どれでも4元素に
由来している。4元素が3つの基礎を生み出し、
そこからさらに
2つの性を作り出す。これは太陽と月だが、最後には
不死の息子と神の人間に結びつく。』
(イルミナティ最高機密文書/ベンジャミン・フルフォード/青志社P177から引用)

この文は、錬金術書によくある錬金術記号が多数配置された図版中のばらばらの説明文を並べたものであって、図版(同書では図版が小さすぎて判読できないので、錬金術書としては読めないし、使えない。)がないと真意をうかがい知ることはできない。もっとも、きちんと図版がある場合でも、ほとんど何のことかわからないのだが・・・

日々人に知られないようにmeditation(冥想)を繰り返す錬金術者というクンダリーニ・ヨーギがいる。かれはある日、世界の構造を一望の下に見渡す体験をする。その体験の感動に震えながら、彼は世界の構造を錬金術のテクニカル・タームでもって説明する文書を残す。

彼は薔薇十字団のメンバーであって、OSHOバグワンの見るとことろ、薔薇十字団こそはイエス・キリストのエソテリック・グル-プである。

陰謀論を期待してこの本を手にする人も多いのだろうが、賢者の石の説明のところで
『信仰はこの地球から逃げ出し、天へと飛んで行った。この物質は
地球から逃げられない人間を苦しめた』
(同上書P245から引用)
という部分があるが、この部分が陰謀の本質を表わしていると読めないこともない。熟達したクンダリーニ・ヨーギは、「」として生き、その巣立つ巣である地球にはともすれば関心が薄いのではないかと思われるところがある。

「この物質」とは賢者の石のことで、賢者の石は赤いライオンの血が固まったものと白い鷲のグルテンであるとの説明がついている。

イエス・キリストの天啓の一節
『さあ、王よ、騎士よ、貴族たちよ、自らの中に神の子イエスキリストが現れるように神に祈りなさい。』
(同上書P247から引用)
この一節でも、薔薇十字団が冥想により不死の息子、老いたる息子を目指していることがわかる。


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人々に知られないように修行する

2011-10-28 05:55:31 | 冥想の準備
◎怠ることなく清く生きる

政治情勢、景気動向なども重要なファクターだが、この日本も、所詮は、ねたみ、そねみ、やっかみの社会であることに間違いはない。そんな人間の性質は、古代インドから何ら変わることはなかった。

以下は、主として修行に臨む心構えであるが、これなくして日常生活即仏法は標榜できない。引き寄せの法などをやっているうちは心は千々に乱れて使い物になりはしない。自分の利益を得ようとしない人は、それがバレると仲間はずれにされがちなものであるが、それ以外に真理に至る道はない。

おお、クレイジーな日本の社会。

『三 善くない人々は、利益を得ようと願い、修行僧らのあいだでは尊敬を得ようとし、僧坊にあっては物惜しみの気持を得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようとする。

五 愚かな者はこのように思う。こうして欲求と高慢とがたかまるのである。利益を得るよすがは、ニルヴァーナにいたる道とは異なっている。

六 ブッダの弟子は、つねにこのことわりを如実に知って、栄誉を喜ぶな、孤独の境地にはげめ。

七 いかなることにもあくせくするな。他人の従者となるな。他人に依存して生活するな。法による商人として暮すな。

八 (托鉢によって)自分の得たものを軽んじてはならない。他人の得たものを羨むな。他人を羨む修行僧は、心の統一安定を得ることができない。

九 もしも楽しく生きようと欲するならば、修行者のつとめに注視して、蛇が鼠の隠れている穴に近づくように、臥処をさがして実践せよ。

一〇 もしも楽しく生きようと欲するならば、修行者のつとめに注視して、互いに満足せよ。唯一の真理(=ブッダの教え)を念じて修行せよ。

一一 もしも楽しく生きようと欲するならば、修行者のつとめに注視して、教団の所有である衣や飲食物を軽んじてはならない。

一二 たとい知慧は乏しくても、修行僧が戒しめを守ってよく心が安定するに至ったならば、怠ることなく清く生きるその人を、ことわりを知る賢者たちが称讃する。

一三 たといその修行僧が三種の明知を体現していて、死を打ちのめした者であり、汚れが無いとしても、無智なるものどもは、「かれは人に知られていることが少ない」といって、かれを見下す。

一四 ところで、この世で食物や飲料を〈多く)所有している人は、たとい悪いことを行なっていても、かれは(愚かな)人々から尊敬される。

一五 つねに重衣をまとっているが飲食物と衣服と寝具と坐具を得る人は、多くの敵をつくる。

一六 (修行僧に対してなされる世の人々の)尊敬のうちにはこのわざわいと大きな危険のあることを知って、修行僧は、人々に知られること少なく、無欲で、気をつけて、遍歴せよ。

一七 この(体)は、食べなければ生きてゆくことができない。食物は心胸(むね)を静かならしめるものではない。食物は身体を存続させるためのものである。そのことを知って、托鉢の行をおこなえ。

一八 けだし良家の(人々から)つねに受ける礼拝と尊敬とは、汚泥のようなものであると(修行者らは)知っているからである。細い矢は抜き難い。凡人は(他人から受ける)尊敬を捨てることは難しい。』
(ブッダの真理のことば・感興のことば/中村元訳/岩波文庫P200-201から抜粋)


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ナムカイ・ノルブの夢の可能性-4

2011-10-27 06:12:20 | 密教
◎幻身と悟り

幻身を悟りであると評価するには、決定的な何かが欠けている。

「夢の修行/ナムカイ・ノルブ/法蔵館」の夢の執着を断つ・根本テキストでは、
『5 転移の要点

転移の要点の実践の説明には、三つある。
(5-1)最高の機根のものが光明において転移する方法
(5-2)中間の機根のものが幻身から転移する方法
(5-3)劣った機根のものが肉体と言葉から転移する方法

(5-1)最高の機根のものが光明において転移する方法
これは、男であれ、女であれ、光明をみずからの心の連続体において十分に修行し、熟達したヨーガ行者の場合である。自分が死ぬ時が訪れたら、以前からよく修行してきた光明の境地にとどまる。そのまま明知はブラーフマ孔から飛び出し、法界に転移する。

(5-2)中間の機根のものが幻身から転移する方法
男女のヨーガ行者が自分の心の連続体において、幻身の修行をよくおこない、達成を得ているなら、自分が死ぬ時が訪れたら、幻身の境地において明知をブラーフマ孔から矢のように飛び出させ、法性の真実の本尊の仏身に転移する。それによって、バルドの幻身を認識し、現等覚を得る。


(5-3)劣った機根のものが肉体と言葉から転移する方法
(省略)』
(夢の修行/ナムカイ・ノルブ/法蔵館P71-72から引用)

幻身の一般的説明である、「七日間部屋籠りして、肉体が虚空に霧消したが、髪と爪が残った」という話と、上記転移の説明とでは、幻身と肉体の変化については、全く関連を知ることはできない。

「(5-1)最高の機根のものが光明において転移する方法」こそは、明知である自分が頭頂のブラフマランドラから体外離脱し、法界に転移するということであって、説明として、ダンテス・ダイジのクンダリーニ上昇における肉体を出る場面を想起させるものがあるので、これが「悟り」に相当するものだと思う。
ところが、この説明には幻身など出て来ない。幻身は、このピュアな転移とは関係ないのではないか。

次に「(5-2)中間の機根のものが幻身から転移する方法」。これには、幻身が出てくる。しかし、明知である自分の行く先は、中有(バルド)であり、輪廻転生のサイクルから解脱できていないように思う。臨終に際して頭頂のブラフマランドラから出たが、解脱はできなかった。ならば、ここでは幻身を用いるが、厳密にはこの方法は「悟り」とは言えないように思う。


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虹の身体

2011-10-26 06:11:16 | 密教
◎ナムカイ・ノルブの説明

虹の身体とは、七つの身体のどこに位置づけられるのだろうか。虹の身体とは、通俗的なな説明をすれば、チベット密教行者が、この世を去るにあたって、7日間密室にこもり、その肉体を虚空に霧消させ、爪と髪の毛だけを残すこと。これだけの説明では、世界の転換もなく、精神性のかけらもない。

以下はナムカイ・ノルブの説明。

『しかしゾクチェンの場合、ただ一回の生で悟ることができるだけでなく、〈虹の身体の大いなる転移〉という特別な悟りが可能になるとされている。この特別な悟りは、パドマサンバヴァやヴィマラミトラ(Vimalamitra)、あるいはボン教の伝統においては、タピラツァが成就したものである。

肉体的な死を経過することなしに、身体がふつうの生きものの目から見えなくなり、さまざまな元素の光り輝くエッセンスに変容し、あるいは再吸収される。

たとえ生きているうちに、この虹の身体を悟ることがなくても、死後においてその悟りを成就することができる。現代でも、チベットにおいてこの悟りを成就したゾクチェンの行者は、たくさんいる。この悟りにいたるには、ゾクチェンの特別の修行法が不可欠なだけではなく、師からの伝授が根本的な重要性を持っている。』
(ゾクチェンの教え/ナムカイ・ノルブ/地湧社P67-68から引用)

更に
『虹の身体を成就することはゾクチェンの究極の悟りだ。虹の身体は、報身の本尊とは違っている。虹の身体を成就した存在は、他の生きものと直接に接触し、積極的に助けることができるからだ。虹の身体はまるで肉体のようなものだ。物質的な構成要素はその本質である光に吸収されているが、その微細な側面における元素の集合体として生き続けているのである。

それに対して、報身の神々は受動的だといえる。光のたわむれに満ちた本尊の姿を見るだけのヴィジヨナリーな力を持っている者でなければ、接触は不可能だからだ。

悟りは何か人為的に作りあげるものではない。行為や努力から生まれるものでもない。』
(ゾクチェンの教え/ナムカイ・ノルブ/地湧社P82-83から引用)

これだけ読むと、報身の神々よりも七つの身体は微細ではないことはわかる。虹の身体は物質ではないので、肉体でもなく、半物質のエーテル体でもない。他の肉体と意識的にコンタクトできるということなので、アストラル体なのか、メンタル体なのかということになる。

もうひとつ。肉体死を経過しないというのであれば、プロセスとしてどうして一つの悟りと言えるのかという疑問は残る。



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ブラジル国旗の風水

2011-10-25 06:15:40 | 時代のおわり
◎豊穣の国

ブラジルは、2014年のサッカーのワールドカップ開催、2016年のリオデジャネイロ五輪開催と、経済成長の波に乗り、国運隆盛である。

ブラジルは、ポルトガル植民地から出発したが、まだ政情は安定しているとはいえず、つい先だってハイパーインフレから抜け出したばかりで、軍政から民政に移管してまだ日が浅い。

アメリカみたいにイギリスからの独立戦争はあったが、いわば白紙から石屋主導で作った国とブラジルとでは、国旗を見てもアメリカとは仕上がりが違うような印象を受ける。



まずは、ブラジル国旗の通り一遍の説明。
緑色と黄色はそれぞれブラジル皇帝であるペドロ1世のブラガンサ家とその皇妃マリア・レオポルディナのハプスブルク家の色。

更に下方を中心にちりばめられた星は、王政を廃止し、共和政が樹立された日である(1889年11月15日)の朝(8時30分)のリオデジャネイロの空を表している。円内の27個の星はそれぞれブラジル連邦共和国を構成する26州と1連邦直轄区を表している。そのためアメリカ合衆国の国旗のように州が増える度に星の数も増える。

『「中央の白い帯にはポルトガル語で"Ordem e Progresso"(英:Order and Progress 日:秩序と進歩)というモットーが書かれている。その周りには九つの星座があしらわれており、それぞれ以下の通りである。
1.こいぬ座のプロキオン
2.おおいぬ座。大きく描かれているのはシリウス
3.りゅうこつ座のカノープス
4.おとめ座のスピカ
5.うみへび座
6.南十字星
7.はちぶんぎ座σ星
8.みなみのさんかく座
9.さそり座。大きく描かれているのはアンタレス』
(『』内はwikipediaから引用)

(1889年11月15日)の朝(8時30分)のリオデジャネイロのホロスコープを創ってみたが、乙女座が第9宮にあり、スピカはこのぐらいの位置ではある。

天頂はてんびん座の火星であり、その後のブラジルの物心両面での苦闘を表す。またアセンダントは磨羯宮であるが、木星が上昇しており、この国の衣食住が豊かであり続けることを象徴している。

ただこの日のこの時刻を選んだのは、火星を天頂に置く意味を承知していたのならば、為政者的には民の安寧を祈願するという意味では、失敗だったのではないかと思う。天頂の火星は民の継続的な苦闘を意味するからである。その反面スポーツは強い。

さらにスピカを最上位に置いているのは、豊穣神イシスを更に強化し、うづの国(霊界物語ではブラジルはこう呼ばれる)ブラジルの物質的豊かさを一層保障するものとなっている。基本は、生きるのが楽で楽しい国、それがゆえに精神文化は若い。そんな感じのうづの国である。


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聖なるポイマンドレス

2011-10-24 05:52:42 | クンダリーニ・ヨーガ
◎永遠の光との合体

ヘルメス・メルクリウス・トリスメギストスの『聖なるポイマンドレス』第二巻は、『幻』と呼ばれ、聖なる智慧がヘルメスに最初に明かされた方法を説明しているとされたが、次の断片はその全容を示している。

『ヘルメス
「おお地の人々よ、元素から生まれ元素から作られてはいるが、内に『神なる
人間の霊を持つ人々よ、無知の眠りから目覚めよ!
真面目に、思慮深くあれ。

あなたがたの家は地ではなく『光』にあることを知れ。

不死にあずかる力を持ちながら、なぜ自らを死に引き渡すのか、悔い政めよ、あなたがたの精神を変えよ。

暗い光から退き、崩壊を、永久に見放せ。
『七つの環』を昇り、魂を、永遠の『光』と合体させる準備をせよ。」』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/P174-175から引用)

ここでは、修行の窮極がチベット密教よろしく永遠の光との合体であると示されている。そのためには七つの環を昇らねばならないが、七つの環とは、七つの身体であり、七つの宇宙であり、七つのチャクラであることは言うまでもない。



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ナムカイ・ノルブの夢の可能性-3

2011-10-23 08:14:58 | 密教
◎自然の光明

夢見の修行は現実操作につながるといえば、これぞメインの修行だと思いこむかもしれないが、ゾクチェンではメインの修行は夢見ではなく、補助的な行であると位置づける。メインの修行は、「自然の光明」の修行つまり、悟りのことである。

クンダリーニ・ヨーガでの悟りとは、中心太陽突入のことだが、その前段で、いわゆる「一瞥」がある。チベット密教では、自然の光明と呼ばれる中心太陽をちら見(一瞥)することをも悟りと見ているのだ。これも重要なステップの一つで、これをはずせば、夢見の修行は、ブラック・マジックに落ちる。現象はおもちゃではないのである。

ナムカイ・ノルブは、死のプロセスの説明の中で、自然の光明の位置を特定している。
『睡眠の過程とバルド

自然の光明の修行は、夢を見始める前の状態に、かかわっている。眠りに落ちる過程について考えてみよう。横になって眠るとともに、すべての感覚は、その本質である空性のエネルギーに融解し、眠りこんでしまう。それから夢が始まるまでのあいだに、移行の期間がある。その長さはまちまちだ。眠るとすぐに夢を見始めることもあるし、しばらく時間がかかる場合もある。

夢が始まるというのは、意識がふたたびはたらき始めたことを意味している。これに対して、自然の光明の状態においては、意識はまだ機能していない。自然の光明は、眠りに落ちた時に始まり、意識がはたらき始めるとともに終わる。その後に、わたしたちが夢のバルド(ミラム・バルド)と呼ぶものが始まるのである。

睡眠や夢と死の体験のあいだには対応関係がある。人が死ぬときには、まず、すべての感覚が消え去る。感覚がその本質に溶け入った時、それを死のバルド(チカイ・バルド)と呼ぶ。その瞬間、死にゆく人は感覚が消滅したり、無にもどるといった感覚を味わう。

その後で、無意識の状態が来る。それは気絶のようなものだ。それから四つの光の現出と呼ばれるものが始まる。タントラ経典によって、その説明の仕方は少しずつ違っている。四つの光に分けることもあるし、五つに分けることもある。いずれにせよ、気絶状態の後で、光の現出とともにゆっくりゆっくり意識が目覚め始めるのである。

推論や論理的な思考が生じるためにはその前に意識がはたらき始めなければならない。まず最初に、知覚や感覚にかかわる認識作用(前五識) がはたらく。つぎに、そういった知覚からの情報を、意識が受け取る。だが、それについての判断や思考は、まだそれについての判断や思考はまだはたらいていない。その後で、しだいに思考が生じてくる。

じぶんの状態を認識し、自覚してはいるけれども、思考をはじめとする意識の機能は、まだはたらき始めていない。このような状態こそ自然の光明への通路である。密教の修行者は、この段階で悟りをえると考えられてきた。タントラ経典の中では、母なる光明と出会う時だとも、説明されている。死の気絶状態の後で、自己の状態を認識する自覚が生じ、
ふたたび目覚めるのは、まさにこの段階なのである。』
(夢の修行/ナムカイ・ノルブ/法蔵館P86-87から引用)

『じぶんの状態を認識し、自覚してはいるけれども、思考をはじめとする意識の機能は、まだはたらき始めていない。』これは、自然の光明につながる最初にして最大のチャンスなのであり、だれでもこのステップを通過する。

しかし、その時、充分に意識的でなく、満足な感受性がなければ、それは漫然と通過していくだけである。多くの人は、その死のプロセスにおいて、これを「三途の川」の流れのきらめきの一つ程度にしか気づかないまま終わるのだろうと思う。

自然の光明が母なる光明と同義であるというのは貴重なヒントである。
そして夢に落ちるときも死のプロセスに似たようなチャンスがあることを示唆しているわけである。


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ナムカイ・ノルブの夢の可能性-2

2011-10-22 07:30:53 | 密教
◎コントロールしにくい夢

夢をコントロールできるということは、本質はドリームであるこの現実をも、ある程度意のままにコントロールできるということである。ナムカイ・ノルブは、そのあたりの危険性にはことさらに触れることなく、夢見の修行における可能性を率直に開陳している。

夢は現実ではないが、夢を見ている当人にとっては紛れもない現実である。ところが修行が進むと、夢の中で自分は夢を見ていると自覚することができるようになり、更に夢の中の事物を意のままに変容させることができるようになる。

ただしこうした修行は、常に光明の体験を離れてはいけないとする。光明とは、ニルヴァーナであり、法(ダルマ)の側であり、善も悪も、生も死も含む。つまり悟りを離れてはいないということ。

夢の中の事物を変容させ、支配できるようになったら、夢の中の事物を逆転させる、つまり上下逆にしたり、小さいものを大きくしたり・・・・・。

ここまでについて、ナムカイ・ノルブは3つのポイントを提示する。曰く、
1.夢を吟味する。
(夢には、前世・今生のカルマの夢と光明の夢がある。)
2.夢をコントロールする。
3.カルマの痕跡を認識し見分ける。
(古いカルマに起因する夢のコントロールは難しい。最近の状況に係る夢のコントロールは容易。また例えば未知の国や人間のような、一度も起こったことがないような出来事の夢のコントロールは困難。
コントロールの上達にはナムカイ・ノルブは「祈り」を勧める。独力ではいかんともしがたいところがあるのだろう。)

想念は霊界(無意識)であり、人間が想念で思ったことはまず霊界において実現し、やがて現実として現れる。夢で事物を実現するコントロールするということは、現実をもコントロールできるということである。

つまりこの世が地獄的であるというのは、地獄的な想念を持った人間が多数棲息しているということであり、一方地上天国が実現するということは、天国的な想念をもつ人間が多数活動しているということである。地獄的想念人間が優勢であるかぎり、アセンションもフォトンベルトもない。地獄的想念人間とは、社会常識をわきまえた自分のことではないと思っている人がほとんどだが、厳しい意味では悟っていない人すべてが地獄的想念をまき散らしていることに間違いはない。すなわち自分が悟らなければ地獄が終わらないという状況に変わりはない。

夢見の修行でいえば、光明の側の夢を見る人が多数出るようにならないと千年王国、地上天国の実現はないということ。

いまは、テレビやネットやモバゲーで人の意識をできるだけ自分の内側に向かわせまいという動きのアポロン型文明の極致であるから、夢見の修行に向かえる人は極めてまれだろうと思う。


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ナムカイ・ノルブの夢の可能性-1

2011-10-21 07:50:16 | 密教
◎瞑想修行によるカルマの種子

ナムカイ・ノルブは、チベット密教ゾクチェンのマスターの一人。リンポチェの称号を持っているので、相当な実力のある人物。

夢の修行、夢見の修行では、日常生活をすべて断捨離しなければならない。テレビ、ネットは勿論見てはいけないし、Iphone、Ipad、携帯のような情報端末は持ってはいけないし、新聞、雑誌も見てはいけない。都市に住んでいては、そんな修行は絶対にできないとは言い切れないけれど、夢の修行では、そうした修行環境を整えてくれて、サポートする人の存在が必要だ。

夢には、いろいろなレベルがあって、心理学のフロイト、ユングを紐解くまでもなく、内臓の調子が悪いとそれが夢に現れたり、心理的な緊張感が悪夢となって出たりと、肉体、感情の状態が夢として見られることがあるのは我々も日常的に知っている。

夢の修行、夢見の修行で相手にするのはもっと深い意識レベルの修行である。夢見の修行としては、チベット密教の他にヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥス、心理学者のC.G.ユングもある。

以下はマイケル・カッツ(M)とナムカイ・ノルブ(N)の問答。
『M:正しいと思われるような助言を夢の中で受けることがあります。それは本当の意味での助言だと考えていいのでしょうか。

N:それには、二つの可能性が考えられる。光明に結びついている夢であれば、本当の意味で役に立つ情報や助言を受け取ることができる。これに対して、とても強い緊張や執着がある場合、夢の中で助言を受けたとしても、それが完全に正しいものとは言えないだろう。

(中略)

M:リンポチェ、あなたは密教の経典を夢の中で思い出されましたね。そういうことはどうやっておこるんですか。

N: そういう夢は光明と結びついている。光明の夢の場合、勉強したり、読んだり、学んだりいろいろなことができる。

M:チベット人が大事だと考えている夢の象徴について、いくつか例をあげてくれませんか。

N:同じ一つの夢について、二つの解釈がありうるということについて、説明しよう。浄化の修行をしている時に、洗ったり、風呂にはいる夢を見たら、それはよいしるしだ。浄化がうまく進んでおり、心がより透明になっているということを意味するだろう。けれども瞑想をしていないのに、そういう夢を見たら、気をつけた方がいいと言われている。
どうしてかというと、金銭や富を失う危険があることを意味していると考えられるからだ。

M:夢を光明に満ちたものにできれば、未来の予知も可能だ、とおっしゃったことがありますね。なにかじぶんの夢、あるいはじぶんの師匠の夢の中から、そういう体験について話してもらえますか。

N:たしかに、光明を育てていけば、夢の中で予知したり、未来についての情報を得たりすることもある。
光明の夢は、もともとわたしたちにそなわっている知恵、瞑想修行によって生み出されたカルマの種子、そして実際の生活の中で行なった善の行為と結びついている。瞑想体験から生まれるカルマの種子を蓄積することによって、潜在していた力が発現する。

瞑想体験のカルマの種子が、それを成熟させる環境や条件(縁)がある時にめぶき、発現してくるのである。また、未来につながるような環境や条件があれば、予知夢を見ることもある。そういう予知については、すぐれた瞑想の導師たちの伝記の中に、たくさんの例がある。』
(夢の修行/ナムカイ・ノルブ/法蔵館P142-144から引用)

C.G.ユングは夢の操作がテーマの一つだったが、、ナムカイ・ノルブは夢の中で、勉強したり、読んだり、学んだりできるので、まさに夢の操作を行っている。ただし、将来を予知することのは、未来につながる環境や条件が整えばとしており、要するにその人にとって必要があれば予知夢を見せてくれることもあると言っているにすぎないように思う。

あとは、「瞑想体験もカルマの種子を成熟、変容させる」としているのは注目発言である。一子出家すれば九族昇天すとはこの辺から出てきているのだろう。



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拝金者たちの末路

2011-10-20 06:14:10 | 時代のおわり
◎新大陸で得た金銀の使い道

ユーロの危機で、日本も含めて欧米各国はGDP以上かそれに近い借金で財政を回していることが繰り返し報道されるようになった。その中でも最も危ないとされるのがギリシアであり、その次がスペイン、イタリアなどで、それはこの頃格付会社による国債の長期格付けがどの国が下げられたかでわかる。スペイン、イタリアまで格下げされると次はフランスまで波及するかも・・・・・などとドミノ倒しの要領で不安は広がっていく。国債が格下げされると、各国大手銀行の資産が劣化して経営が悪化して、景気はどんどん負のスパイラルに入って行く。

スペインは、新大陸を発見したことで、16世紀に膨大な量の金銀をヨーロッパに持ち込んだ。その量は、一説では、14世紀までの欧州の金銀総量の5倍にも上ったという。

大金を手にしたスペインは、腕輪やちゃちなガラス製品や、ばくちにどんどん金をつぎ込み、農民までが絹服を着るような、ぜいたくな暮らしをするようになった。周辺諸国からは、スペインこそ外国から見たインディアス(新大陸でどんどん金を流してくれる国)だと言われるほどだった。

1516年に即位したスペイン王カールは、神聖ローマ帝国皇帝になろうと決意し、ライバルだったフランスのフランソワ一世との選帝侯による選挙のための買収合戦で巨額の資金を放出した。カールは選挙に勝ったもののアウグスブルグの銀行からの借金で苦しむことになった。

更にカ-ルは、フランソワ一世と27年間戦争を行い、これまた巨額の資金を傭兵費用に充てた。カール在世の40年間に消費した金銀は、新大陸から持ち込んだ金銀の総量を既に上回っていたという。この結果、スペインは、1576年、1596年、1607年などにおいて債権者への支払不能宣言を行った(デフォルト)。

スペインは上手にその金銀を使えば、欧州、いや世界の覇者になることもできたのだろうが、そうはならなかった。1492年にスペインはユダヤ教徒とイスラムを追い出したので、理財のノウハウを事実上失ったのが災いしたとも言われる。

大金を手にして、戦争を繰り返して没落し、破産に向かう姿はアメリカにも似ている。神も仏もなく、拝金している人や国が、にわかに大金を得てもろくな結末にはならないという先例である。大金では人間の進化という方面でクリエイティブなことはできず、結局国や社会を目茶目茶にして終わるものだ。


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浅い悟り 深い悟り

2011-10-19 06:07:06 | 冥想アヴァンギャルド
◎人生いろいろ 悟りもいろいろ

今さらいうまでもないが、神人合一とか、身心脱落にいろいろなレベルがあってはたまらない。昨今いろいろな精神世界系、宗教系の書籍やブログに悟りのことが書かれるようになった。時勢柄当然の流れではあるが、そうした中に「私は悟ってます」というものもいくつもある。

「私は悟ってます」という主張をするのは、外人、日本人を問わないが、人生相談、カルマ改善、霊障除去などの商売繁盛のために「私は悟っています」という看板を掲げている者までいる。またいわゆるプチ気づき程度で、世界と合体した気分になったことをして悟りと主張するものもいる。あるいはまた、わが魂が光明を得た、本当の自己になったと言いながら、その語り口に聖性の光が全く感じられない者もある。また肉体を出てアストラル・トリップで霊界の穴場を訪問したことを悟り同然に語るものもあり、その態様は様々である。

本当に悟った人間がごろごろいれば、この世はこんな地獄相を現実に実現しているという有様にはなっていない。「私は悟っています」と語る人は、本人は大真面目なのだろうが、実は偽キリストであることが大半なのだろうと思う。

悟っているかどうかは、財産があるかどうかとは関係ないし、勉強ができるかどうかとも関係ないし、健康かどうかとは関係ないし、人格的に練れているかどうかとも関係ないし、ファッションが決まっているかどうかとも関係ないし、話がうまいかどうかとも関係ないし、ルックスがいいかどうかとも関係ない。

本物は、決してスピリチュアルで商売をしないものだ。人生いろいろ、しかし悟りもいろいろとはあってはならないことだ。



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タントラの大海

2011-10-18 06:05:10 | 究極というものの可能性

◎渇望も欲求もしなくなったら

OSHOの「欲望が落ちれば」の条。この弟子への質問の回答は「あなたの語る神は真の神ではない」から始まっている。しかし、弟子がわかっているかどうかにかまわずに?冥想の深まりを示す。呼吸が落ち、想念が落ちていくと・・・・・。

『欲求しなくなると、何が起こるか。渇望しなくなると、何が起こるか。あなたは動かなくなる。
あらゆる動きがやむ。どこかに向かって急ぐことがなくなる。深刻にならなくなる。もはや希望もなければ挫折もない。もはや期待するものは何もなく、何かのせいで挫折することもない。もはや欲求がないから、失敗することもない。もちろん、成功することもない。

渇望も欲求もしなくなったら何が起こるか。あなたはただひとり残され、どこへも向かわなくなる。もはや日的地はない。目的地を生み出すのは渇望だ。もはや時間はない。なぜなら渇望は動くための時間を必要とするからだ。時間は止まる。未来はなくなる。渇望しなくなるとき、マインドは落ちる。なぜならマインドとは渇望することにほかならないからだ。渇望があると、それとともに、計画や、思考や、夢や投影が現れる。

渇望しなくなれば、すべては落ちる。あなたはただ自分の純粋さの中に存在する。―――――どこに向かうこともなく、内側にとどまる。あらゆる小波は消え去る。大海はそこにあるが波はない。タントラにおける神性とはこのことだ。』
(存在と一つに/OSHO/市民出版社P148-149から引用)

この話のポイントは大海だと思うが、大海そのものについて、詳述していない。タントラでは大海に行きつくのだろう。

この技法をやれば、必ずこの境地になる・・・なんてことは誰も言わない。



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サッカーの決定力養成法

2011-10-17 03:46:15 | 冥想アヴァンギャルド
◎意図と力み

浦和レッズが、16位に後退してJ2陥落ゾーンに落ちた。原因は、国内トップクラスのボランチだった阿部勇気と細貝の放出、そして堅実なストライカーだったエジミウソンのトレード、そしてその結果としての守備崩壊とフォワードの決定力のなさというところだろう。昨日もゴール前独走の1対1をはずしたデスポトビッチが敗因に挙げられていた。

そこで決定力の話。

『「直感でプレーしろ」-ペレ
「判断力を身につけろ」

日本では近年『判断力』という言葉をよく耳にします。監督に言われてからプレーするのではなく、自分で考えて行動しろというのです。今まで監督の指示を待っていた人たちにとって、これは新鮮な言葉に感じたようです。

しかし、ペレは「これでは遅い」と言うのです。『判断してプレーする』ということは、目で見た情報を脳で分析し、それに適した動きをするよう筋肉に伝達してはじめてプレーされるからです。ペレは「特にゴール前では考える前にもうプレーしているようでなければ守備網を破れない」と自分の経験を語ります。

つまり、ペレは「サッカーは直感でプレーしろ」と言うのです。直感とは脳が考える前に勝手に体が動いてしまうわけですから早いわけです。では、どうやったら直感でプレーできるようになるのでしょう。

それは数多くプレーをするしかないのです。そうして体に覚えこませるのです。

多くのプレーを重ねていると、後ろを見なくても前方でこういう動きがあったら、後ろはこうだろうと予想がつくようになります。相手の動きの先を読むことも可能になります。
そして、それがもっと進化すると考えなくてもプレーできるようになるのです。

直感でプレーできるようになることを妨げる原因は周囲からの指示です。「ああやれ、こうしろ」「何でこうしなかったんだ」などの言葉を受けると次のプレーのときには「どうやったら怒られなくて済むか」と考えてしまいます。ぺレは子供の頃、自由奔放にプレーしていたから直感でのプレーが身についたのです。』
(サッカー王国ブラジルに見る「決定力」育成法/下田哲朗/東邦出版P166-167から引用)

この本にはいろいろと書いてはいるが、ここがポイントだと思った。ブラジルのフォワードと言えば、ベベットとロナウド。その1対1のゴールシーンでは、瞬時ではあるが狙ってシュートを打っていた。これぞ決定力。

ゴール前の守備がきついところでは、最後はあらゆる経験の集大成である直感でシュートを打てるスペースを創りだし、最後に「狙って」シュートを打つ。

それを裏付けるかのように、ペレはノー・ルック・パスが多かった。

ゴール前で、上がらずに、力まないでシュートを打てるのは、練習や本番の積み重ねでは上達しないのではないか。舞台恐怖みたいなものだから。

そういえば常に1対1勝負のでは、力みがちの、あるいは力みが抜けない師匠や弟子が多いものだ。力みは決定力とは別物なのだろう。


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