アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

臨死体験のロード・マップ

2011-08-31 19:39:54 | 究極というものの可能性
◎霊界の先

臨死体験(ブルース・グレイソン&チャールズP・フリン共編/春秋社)では、臨死体験の類別が挙げられている。

○雑音
トンネル
肉体の外にいる
走馬灯的記憶
○超俗性(白い光、天国の風景)
○神秘的意識状態(言語に絶する・知性的)
○余波効果(死への不安の減衰)

これだけを見ても臨死体験の内容にはばらつきがあり、深浅高低いろいろある。臨死体験でもって体外離脱したとしても、その半数以上の人が神を見ないで終わる。それを体験する人の感性や魂の成熟度の差はいかんともしがたい。

このブログで臨死体験を取り上げたり、ユング派の象徴解釈を取り上げたりするのも、すべて変性意識が、「悟り」のプロセスの近傍にあるためであって、その他の理由からではない。

臨死体験で筒みたいな暗く長いトンネルを抜けて、肉体の属する物質宇宙を脱出して、エーテル宇宙を抜け、アストラル宇宙に入って自分の肉体を天井から見下ろしていて、その足で、三途の川の手前で、昔亡くなった親族に出会ったとしても、それは悟りとは関係ない場合の方が多い。

臨死体験ではなく、回転禁止の一方通行の死へ向かうルートを述べたチベット死者の書でも死後に到来する最初のチャンスを逃すと、悟りへの可能性はどんどん低下していく。臨死体験というのは、最後は生へ戻ってくるのだから、チベット死者の書とは少々違うが、チベット死者の書でいえば、中有に向かうまでのどこかの時点までは臨死体験として到達できるが、それ以上は行かないのだと思う。

中有まで行くことに何か価値があるのではなく、どこまでいくかということそのものは「悟り」とは関係なさそうなので、「どこまでいくかということ」にはあまり意味がないように思う。だから体外離脱や臨死体験で霊界のどこまで行ったとしても、霊界を抜けられるものでもないし、悟りという、霊界を抜けたところにある至高の体験とはいえない体験とは関係ないのだろうと思う。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か


コメント

抜隊得勝

2011-08-30 05:49:14 | 丹田禅(冥想法8)
◎揺りかごから悟りまで

抜隊得勝は、1327年神奈川県足柄の武家の生まれで、南北朝時代の禅僧。
父母の名も不詳だが、4歳で父を喪い、無常感あふれる生い立ちを選んで出生してきた。

幼少時より、「お前は誰か」と問うと「自分である」と答える者は何者であるかという疑問を持っていて、その疑団が年を取るにつれ大きくなり、29歳で出家した。

ただ出家したと言っても髪を下ろしただけで、僧衣も着ず、出家の作法も習わず、経典の読誦もせず、風雨も恐れず、飢寒も気にせず、ただひたすら坐るだけであったというから、現代風の純粋な冥想修行者の一人であったといえる。
寺を出るという出家を選んだわけである。

彼は修行に当たって大願を持っており、それは、大善知識から悟りの印可を受けるに至らなければ人のために法を説くことはなく、仏祖の精神を深く体するに及んでは、人々を救済するために全生命を賭けるというもの。

悟っていない者が法を説かないのは基本中の基本。坊さんでも悟っていない人が大半なのは今も昔も変わらないのだろう。

ある日、夜坐の末に暁を迎えた。このとき渓流の音が浩々として肺腑に入るのを覚えて豁然として大悟したという。いずれにせよ変性意識状態にならないとそれは起こらないのだろう。

この時31歳。修行歴2年で悟ったわけではなく、出生時から無常に苦しみながら31年かけて悟ったとみるべきだろう。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

真の神を信仰する

2011-08-29 05:25:07 | 古神道の手振り
◎永遠無窮の天国

霊界物語第15巻跋文から
『再び神の意志に由り  現世に生れ来る時は
 以前の記憶の一切は  忘却さるるものなれど
 こは刑罰の一種にて  如何ともする術はなし
 
一度霊界へ復活し  またもや娑婆に生るるは
 神霊界より見る時は  凡て不幸の身魂なり

 人は現世に在る間に  五倫五常の道を踏み
 神を敬ひ世を救ひ  神の御子たる天職を
 竭しおかねば死して後  中有界に踏み迷ひ
 或は根底の地獄道  種々雑多の苦しみを
 受くるものぞと覚悟して  真の神を信仰し
 善を行ひ美を尽し  人の人たる本分を
 力限りに努めつつ  永遠無窮の天国へ
 楽しく上り進み行く  用意を怠ること勿れ』

※五倫・五常: 五常とは、父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝で、「仁・義・礼・智・信」。 五倫とは、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の、「親・義・別・序・信」。

漫然とこの文を読めば、輪廻転生の最終ターンに入らなければ、もう一回転生がある、それでもやむなしという結論に堕す。
私の見るポイントは、『真の神を信仰し』というところで、これが神を知りなさい、神に出会いなさいの部分。真の神を知らないままで、信仰するのではなく、真の神を知って信仰するというものであって、簡単なことではない。

またともすれば、「人の道を踏み誤れば、地獄に落ちるので、そうならないように善を行い美を尽くし」というカルマ・ヨーガ的な読み方もあるが、時代も切羽詰まっているので、『永遠無窮の天国』を目指すべしとする。

『永遠無窮の天国』とは第六身体の謂いであって、霊界天国ではない。ここがクリティカルで、これが通俗的な天国への転生を目指すものとは一線を画す。しかし、この文では、わかりにくいように思う。



人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

プレアデス星訪問記

2011-08-28 07:30:36 | 超能力・霊能力
◎神知らぬ者

『プレアデス星訪問記/上平剛史/たま出版』は、見たところ霊界探訪記でした。

このプレアデス星往復の途中に宇宙船に乗せられた少年が、核戦争後の廃墟となった星を通りかかり、その説明を受けた。

『「この星では核戦争によって、全都市が破壊されました。そして、戦争を起こした種族だけでなく、その他の全生命も滅亡してしまったのです。今は強力な核の放射能によって覆われているので、とても危険で近づけません。もはや生態系はこわれ、生命の住めない、死んだ星になってしまったのです。何千万年、何億年もの時間を経なければ、もとに戻れないでしょう。もとへ戻れないまま、星の終罵を迎える可能性もあります。知的生命体であるはずなのに、罪深いことをするものです。

下等動物にも劣るような行為で全体を駄目にしてしまう、それが知恵ある者と言えるでしょうか。 何のために知恵ある者にまで進化を遂げたのでしょう。知的生命体として進化を遂げたのなら、『その上をめざして』努力しなければ、意味がなくなってしまいます。

『その上をめざす』とは、神の存在に近づくように努力し、進化を遂げていくことです。そのために、私達の社会や教育は知識よりも心のありかたを重要視するのです。心のありかたを変えれば、生きかたが変わり、社会のありかたも変わり、自然と犯罪や戦争のない社会が確立されていくのです。』
(プレアデス星訪問記/上平剛史/たま出版P160-161から引用)

滅亡したこの星の住民の霊体()はどこに転生していったのだろうか。あるいは転生しなかったのだろうか。

転じて我々の日常生活の感覚と気力をもって『神の存在に近づくように『その上をめざして』努力する』モチベーションは、あまり当然の帰結とも思えない。いきなり犯罪や戦争のない社会、他を思いやる社会の実現と言われても、その社会で暮らす心や思いやる心がそもそも正しくないのだから、こうしたモチベーションを持とうとする動きが空念仏に終わりそうなことは察せられるだろう。

先に『神の存在に近づくように『その上をめざして』努力する』という目標があるのではない。というのは、我々の大半は神を知らないのだから、『神の存在に近づくように・・・』という目標を掲げた途端その目標が正しくないことが露見してしまおうというものだ。

神の存在に近づくように努力したつもりが、実は反対方向を向いていたというのは昨今の新興宗教教団でよく見るところである。

まず神を知る。次に神に近づこうとするという順序だろう。



人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

同殿同床の本来の意義

2011-08-27 06:30:59 | 古神道の手振り

◎現代人も同殿同床を求められる

出口王仁三郎は、主神を拝むべし、主神でない只の人を祀った神社を拝んではいけないと盛んに主張した。マツリとは、主神を祀るのが本筋であって、そこで同殿同床が原則。同殿同床とは、神殿を自宅の室内に設けて日常を暮したことで、今のように神殿を別殿としたのは時代が下ってからのことである。

従って、同殿同床とは、神と同居し神と寝食を共にし、神意を汲んで生活し、 行動全般に神を体する生き方ということになる。要するに悟った人の生き方そのものである。仏教でいえば菩薩の生き方である。

この悟った人が同殿同床で奉祭してきたというライフ・スタイルが、第10代崇神天皇の御代で、別殿になってしまったという故事がある。

出口王仁三郎の意図は、現代人も同殿同床せよということであるから、個々人も神に出会う、神を見るなど神を知るという体験とは言えない体験が必要な時代に立ち至ったと説明しているのだと思う。

『総て太古の御神政は神祭を第一とし、次に神政を行ひ、国々に国魂神があり、国魂神は、その国々の神王、または八王などと云つて八尋殿を建てられ、殿内の至聖処に祭壇を設け、造化三神を鎮祭し、神王および八王は、同殿同床にて神明に奉仕された。

さうして神政は左守神または右守神(或は八頭神とも云ふ)に神示を伝へ神政を司掌らしめ玉うたのであります。さうして国治立命御神政の時代は、天使長と云ふ聖職があつて、国祖の神慮を奉じ、各地の国魂たる八王神を統轄せしめつつあつたのが、諾冊二尊の、淤能碁呂嶋へ御降臨ありし後は、伊弉諾の大神、八尋殿を造りて、これに造化の三神を祭り玉ひ、同殿同床の制を布き、伊弉冊尊を、国の御柱神として、地上神政の主管者たらしめ玉うたのであります。』(霊界物語第六巻から引用)

これを見ると国王或いは天皇は、同殿同床で生活していたものの、神意をうかがうのに、左守神または右守神または天使長なるシャーマンを用いていた。国王或いは天皇が自らそういう役を行わないのは、実業ができないような、肉体状態、精神状態だったというようなことがあるののではないかと想像する。ラーマクリシュナみたいな感じだったのだろうか。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

なづな 七草

2011-08-26 05:59:02 | 時代のおわり
◎前夜の対策

昭和の古神道家出口王仁三郎には、まだ実現していない予言がいくつかある。
その一つが外国の飛行機から毒瓦斯を投下するというもの。米軍の先の空襲では毒ガス投下はなかった。
(出口王仁三郎は、昭和7年の時点で、長崎の壊滅的な被害まで予言している(新月の光(上)P214))

出口王仁三郎の予言は、もちろん第二次世界大戦に関するものも多いが、外国の日本侵攻予言の中には、このなずな七草や京都の大規模空襲など明らかに今後の時代に関するものも少なくない。

予言のことだから、予言して以降の何十年で状況の変化はあるのだろうが、メイン・シナリオはそうは変わるものではないだろう。

出口王仁三郎の玉鏡から
『なづな 七草

昔から「なづな七草 唐土の鳥が 渡らぬさきに 云々」と云ふ歌がある。これは 唐土の鳥 即ち外国の飛行機から毒瓦斯を投下するその時に、なづな七草を食べて居れば 毒瓦斯にあたらぬと云ふ予言警告である。
 なづなと云ふのは冬青々としたもので、松葉でも葱でも皆薬となるものである。七草は七種の意である。
(昭7年1月)』

昔は正月6日の夜に七草を刻みながら、
「七草なずな 唐土(とうど)の鳥が
日本の土地に 渡らぬ先に 七草生やす
ストントンストトン ストトントン…」と歌ったという。なずな七草は冬の空襲の暗示。

更に出口王仁三郎の「新月の光」では、この空襲時の毒ガスよけとして、「大根を生で食うこと、ネギを食べること、梅干しを食うことを挙げている。

原発事故の放射性物質の来襲は、自国発なので外国の手によるものではないが、毒物の降り方は空襲みたいなものだから、体内の放射性物質や毒物の排出を促進させたり、吸収しにくくなる効果があるものを摂取するというのは、対策としては同じである。

前夜にそれと知って、対策を採るのである。政府の情報があてにならない昨今では、身を守るために、自分でどの情報が正しいのかを真剣に考えることが日常生活・衣食住に必要な時代となってしまった。
今は前夜である。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

無意識は心理現象にはとどまらない

2011-08-25 05:20:43 | 究極というものの可能性
◎自分がこの世界の神だ

ユング心理学は、無意識での結合や象徴が心理現象にとどまり、それらが現実そのものでであることを知らないという間違いを犯している。とすると、

『バウマン氏:
先生は昨日、ある患者からの手紙にマンダラがあったことに触れておられました。中心のまわりに魚たちがいるというものです。彼女は「私がひとつの中心のようになって、まわりを魚たちが漂っているような状態を見出せたら、と思っています。」と述べたということですが、それが私には非常に印象的でした。

ユング博士:
いいえ、あれは彼女があの魚たちのように調和した状態でまわりを動けるような中心への道を見出す、という ことです。彼女がその中心になるのではないでしょう。それは私たち西洋人の考え方です。私たちが中心だと考えるのは誤りです。
私たちは自分がこの世界の神だと思っています。それゆえ、人が神になるというタントラ・ヨーガの観念は、私たちには危険です。

私たちはそうした偏見を持ってスタートします。しかし、私たちはほんとうは悪魔的な恐ろしい存在なのです。実のところ、自分自身を外から見てはいません。自分たちのことをとてもすばらしい人間で、高い尊敬に値し、道徳的であるなどと思っていますが、現実には血なまぐさい海賊なのです。ヨーロッパ人が自分自身について思っていることは偽りです。私はインディアンと黒人から教えてもらいました。』
(C.G.ユング/クンダリーニ・ヨーガの心理学/創元社P170から引用)

ヨーロッパ人のみならず、日本人も大方自分が内心「この世界の神だ」と思っている。自分が内心「この世界の神だ」と思っていることを自我の極大化と呼び、これはまた自我の危機でもあるが、そんな人間には人は神になることなど危険だという。

ところが人が神になることが危険なのではあるまい。ユングは、人が神になった場合の心理のバランス取り・心理コントロールが難しいのが念頭から離れないのだろう。

神知らぬシャーマンも似たようなことをいう。神になることは世界の転換であって、心的統合などという「とある心理状態」のことではないのだから・・・。

ユングは、これほどまでに象徴の解釈を念入りにやったけど、世界観の転倒について心理現象だと思い込むところから抜けられなかったのは、その体験とは言えない体験がなかったせいなのだろうか。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

意識の発達の歴史

2011-08-24 03:18:34 | 時代のおわり
◎頭で考えるのは現代人だけ

心理学者C.G,ユングの考えるクンダリーニの発達の歴史。
『歴史の中にもクンダリーニの。プロセスを見ることができます。
まずはじめに、原始人の腹部意識が発達しました。彼は自分のお腹にのしかかったり胃にもたれたりするものにしか注意を向けませんでした。聖パウロはまだこう言っていました。
「お腹があなた方の神である」と。
それから、ホメロス時代の人の横隔膜意識が発達しました。緊張した呼吸状態や心拍の変動に現れてくる自分の情動というものを感じたわけです。

近代の西洋人がはじめて、頭部も影響されうるということに気づきした。それ以前には、頭部は、感情のある身体にくっついた一個のボタンとたいしてちがわなかったのです。実際どれほどそうだったかは、黒人たちが岩に描いた人間の絵を見るとはっきりわかります。

たとえばレオ・フロベニウス (Leo frobenius)がその著「エリトレア」(Erythraa)のなかにそうした絵を載せています。
そこには、極端に胴長で、その上に非常に小さな、もしくは痕跡程度の人頭か獣頭がのつかっている人間の絵が見出せるでしょう。

人間だけが、「今、私は考えている」と言えるのです。
ヴィシュッダ・センターは言葉を表出します。これを凌ぐものがあるとすれば、抽象作用のセンターでしょう。』
(C.G.ユング/クンダリーニ・ヨーガの心理学/創元社P156から引用)

横隔膜は、胸のアナハタ・チャクラとへそのマニピュラ・チャクラの中間に位置する。ユングは、人間の意識は、会陰のムラダーラ・チャクラから起こり、スワジスターナ、マニピュラと進み、ようやく心臓=アナハタに自己の観念が初めて登場してくるものと位置づけ、マニピュラではまだ情動、情欲優勢であると見ている。
ユングは、プエブロ・インディアンもホメロスの時代の人も心臓で考えていたとする。現代人は自己・自意識が頭にあるのは承知していながら、ともすれば昔のように自己が胸にあると錯覚する瞬間もある。

ユングは、マニピュラで神との同一化が起こり、そこで人は神の一部となり、不死の魂を持つと指摘しているが、これは、現代文明がマニピュラ・チャクラからアナハタチャクラへの移行であることと符合する。


聖パウロの言葉は、ローマ人への手紙16章17~18節
『さて兄弟たちよ。あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるがよい。なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである。』



人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

暗の時代から恐怖時代ヘ

2011-08-23 08:02:45 | 時代のおわり
◎日本も世界も一所に来る

出口王仁三郎の昭和19年3月のつぶやき。
『○暗の時代から恐怖時代ヘ

この時代・暗の時代が去ったら恐怖時代が来る。一切口に出さぬことが肝要である。
先方より出して緒(いとぐち)を拵(こしらえる)えるから。

問 そして日本が清まってから世界が清まるのですか。

答 そんな事は言うてはならぬ。それが因で問題が起こるから、日本も世界も一所に来るわい。

問 自分の精神が良くないので、第二の世界へ出してもらえぬのですか。
答 そんな事は心配せんでもよい

問 一心におすがりすれば良いのですか。
答 そうや赤ん坊になればよい。 智慧のある赤ん坊になれ、神様は皆知っておられるからな。大本事件の時みんな逃げて行った。 それで良いのや。
                  (昭和19年3月18日午後3時半)』
(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店P141から引用)

戦中は間違いなく暗の時代。戦後はうすらぼんやりだから、どちらかというと暗の時代。おまけに恐怖時代は戦後まだ経験していないから、これからだろう。
信仰を一切口に出さぬことを、玉串の件など形を変えて、ここでも繰り返して警告している。

如来は来るが如しで、先方より糸口を出すとは、自ら動くのでなく、糸口の出てくるのを待てということか。糸口は天変地異かもしれないし、大きな社会的事件かもしれない。東北関東大震災福島第一原発事故も糸口のひとつだろうか。

質問者があまりわかっている風でもないので、智慧のある赤ん坊としたが、この暗の時代から恐怖時代への経緯については、出口王仁三郎はあまり語りたがっていない。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

盤珪和尚の坐り方

2011-08-22 04:16:07 | 丹田禅(冥想法8)
◎一切は不生 (ふしょう)で整う

盤珪和尚の親は儒者、和尚は、四書の大学で言う「明徳」の意味が分からなかった。そこで、その意味を究めるため、14歳で浄土宗の寺に入り、次に真言宗に入った。

17歳で赤穂の雲甫和尚について得度を受けて、20歳で行脚に出た。

そこで山に入っては、七日も十日も物を食わず坐禅三昧となり、岩に登ってはとがった岩の上に着物を引きまくって、お尻を直接岩に接し、坐を組むが最後、命を失う事をもかえりみず、自然とこけて落ちるまで坐を立たず、食物も誰が持ってきてくれることもなかった・・・・というほど徹底した。

これでも明徳を究めることはできず、故郷に帰り、一丈四方の牢屋みたいな部屋を作り、出入り口をふさぎ、用便も中で足すようにして、昼夜不臥で修行するようにした。この結果尻から出血するようになり、血痰を吐き、大病を患うことになった。

そして、かの「一切は不生 (ふしょう)で整う」ものと悟った。

このくらいまで、命がけで坐らないと、禅では何も起きないのだろう。これに比べると、クンダリーニ・ヨーガはいわば、ゆっくりのんびりみたいなところはある。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

なでしこ力(ぢから)

2011-08-21 06:58:35 | 時代のおわり
◎決意が本物かどうか

日本サッカー協会には、なでしこビジョンというのがある。

ひたむき 芯が強い 明るい 礼儀正しい

だそうです。如何にも体育会系のスローガンで、これだけでは何かを実現するには不足かもしれない。それを補うものが「なでしこ力」である。全員が一つになることで最大の力を発揮するのだ。

佐々木監督の著書から。
『選手が成長するかどうかは、技術や知識だけではなく、「決意が本物かどうか」で決まるものだと、僕は思っている。だからこそ、僕は就任当初から選手たちと一緒に目標を共有してきたし、その目標を達成し得るプロセスを導きだし、選手の長所を活かす組織を構築して、なでしこたちと一緒に戦ってきた。

今、選手たちは、本気で世界一を目指すという決意に満ちている。その決意があるからこそ、彼女たちはさらに自分を高め、仲間を信じることを諦めない。
僕も決して諦めない。』
(なでしこ力/佐々木則夫/講談社P219-220から引用)

この本は、今般のワールドカップで優勝する前に書かれたものだが、目標を実現するためには「決意が本物かどうかで決まる」とは願望実現の観想法の要諦を踏まえたものであって、試合後インタビューを聞いてみると、出場メンバーの一人一人にそれが徹底していて、中には優勝時の予知夢までみていたメンバーもいたので、いかにそのやりかたが徹底していたかに驚かされる。

そして、この本から受ける佐々木則夫監督の生真面目さは、男子代表キャプテンの長谷部誠選手の「心を整える」冥想習慣から出てくる匂いととてもよく似ている。

またこの本に書かれてある字面だけではない何かを持っていないと、延長PK戦前の選手・スタッフの輪の中で笑うことなどできるものではなく、ワールドカップ優勝という大事は成し遂げられるものではない。その笑顔は,なでしこ力とは全く異質のところから来ている。

ともあれ、なでしこのユニフォームの胸に輝くワールド・カップをあしらったFIFAチャンピオン・エンブレムはこれから4年輝くことになった。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か

コメント

宇宙人の種類-2

2011-08-20 03:32:01 | 超能力・霊能力
◎エネルギー的存在

宇宙人の種類で、火星人、グレイ型宇宙人の次の3番目はエネルギー的存在である。

『第三のグループは「エネルギー的存在」で、遠隔透視者の中には「超越者」と呼ぶ者もある。形態の「観念」のみを有する「エネルギー的存在」には形がなく、幽霊のような存在で、あらゆる手段、形、様態で顕在化できるらしい。

異次元つまり我々の時間の外部にも存在する。どうやら任意の時間を選び、ひょいと姿を現すことができるらしく、異なる時間に出現し、同時進行で作業を進めることも多い。
人間型エイリアンとは異なり、「エネルギー的存在」は遠隔透視者が見ていることを認識できる。さらに、透視過程を編集すると言ってもいいほど、透視内容に影響をおよぼせる。「超越者」と関連する宗教的象徴も驚くほど多く存在するようだ。

その意味するものと目的にもかかわらず、超越者のイメージや行動、性質、能力は、教父が「天使」に備わるものとしてきた特徴と一致している。』
(宇宙UFO大辞典/ジム・マース/徳間書店P427から引用)

エネルギー的存在とは、物質でも半物質でもないので、アストラル体以上のことだろう。

さて宇宙人には3種あるというが、火星人、グレイ、エネルギー的存在と並べて宇宙人だ、エイリアンだと言い張れば、それはそうかもしれない。

人は意識レベルが落ちれば、肉体を有する狸やを、角隠しを載せた新妻とも見るし、妙齢の娘とも見る。肉体をもつ生物ですら見誤ることは、日本昔話が示している。
エーテル体生物は、そのものズバリで例示できるのは、降霊会でのエクトプラズムくらいしか思い浮かばないが、それなりの個性ある娘の形状をとったりしていたものだ。
アストラル体は、幽霊なので、このエネルギー的存在に述べられている性質のとおりなので、詳説するには及ぶまい。

つまり火星人、グレイ、エネルギー的存在は、下世話な言い方をすれば、結局狐狸妖怪、怪力乱神の類なのである。見る人は大方意識レベルの落ちた人や霊能力者ということになるが、その見え方は見る人によって千差万別。ある霊能力者は、その3つを、龍、黒犬、白狐と見て、黒犬は水子霊でもあるなんておまけ説明をつければ、その占断の的中率が急上昇したりするかもしれない。

この手の見え方は、定説があるのかもしれないが、その定説にお目にかかったことはない。悟ってもいない霊感の強い人が○○が見えるなどとのたまわっても、まずはその見え方は眉唾に聞いておいたほうが間違いは少ないのだろうと思う。

こうした普通の人の見えないものを総称してこのブログでは諸神霊と考えているが、真神ならぬ諸神霊をまつった神社への崇拝が過ぎるのがよくないと出口王仁三郎が慨嘆していたことをゆめゆめ忘れるべきではないだろう。人を祀った神社の崇拝はまずいと彼は考えていたのだ。

神社の祭神もいろいろ。火星人もいろいろ、グレイもいろいろ、エネルギー的存在もいろいろあるのだ。



人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

宇宙人の種類-1

2011-08-19 05:58:23 | 超能力・霊能力
◎火星人とグレイ

アメリカの遠隔透視者グループの中には宇宙人専門透視部隊もあった。彼らによると、まず重要なファクターは、その宇宙人が敵対的かどうかということ。そして次に宇宙人は、3種に分かれるとする。
まず第一が火星人で、第二がグレイ型宇宙人。

『時間が経つうちに超能力スパイは、遭遇する様々なタイプの生命体を区別するようになっていた。超能力スパイによると、これまで多くのエイリアン文化に触れてきたが、人間と関わりをもつエイリアンには三つの重要な、グループがあることがわかったという。

一つは火星での大惨事の生残りグループ。「実体的存在」で、外見は人間に似ていて第二のグループと手を組んでいる。

第二のグループは小さな灰色の生物で、大きな輝く目をもち、元々は太陽系外からやってきた種族だ。この二つのグループは風変わりなテクノロジーを使って活動を展開していた。

「グレイ(灰色エイリアン)」は生物だが、人間のような自己中心的意識はもっっていない。人間よりもクジラやイルカに近い存在だ。この生物は何かしら人工的に作られたような感じもする。また「グレイ」は火星種族の救出と保護に一役買っていたことも示唆されている。

実際の火星人も「実体的存在」だ。まれにしか見ることはないが、地球を訪問してくる宇宙船のパイロットにも火星人が含まれているようだ。火星人は兵士のように話しかけてくるので、遠隔透視者にとっては非常に興味があった。
火星人は未開発国の兵士に似た感情をもっていて、先住民を見下す独りよがりの態度が見られる。しかし、敵意は感じられない。彼らは平和的任務にあたっているのである。』
』:(出典:宇宙UFO大辞典/ジム・マース/徳間書店P426-427から引用)

ここでいう実体的存在とは、肉体あるいはエーテル体であって、つまり物質ないし半物質のボディを持つ存在ということだろう。どちらにしても当ブログの分類上は「諸神霊」という分類にあたる。

火星での大惨事とは、遠隔透視者グループによれば、6500万年ほど前、ある物体が火星をかすめた(この物体は地球にも衝突した)結果、火星は大気のほとんどを奪われ、火星の表面ではその後長期にわたって火山噴火が続いた。その結果大気が奪われ、最初は火星表面に公共用シェルターを建造し、後に地下にシェルターを建造するようになって、一部は火星脱出に成功して先史時代の地球に到達し、地球の地下で生活するようになったこと。

ダンテス・ダイジは、宇宙人が人間社会の風景に紛れ込んで暮らしていることを否定しなかったようだ(さる映画館で映画を見ていた観客の中に宇宙人が何人かいたなどと語っていた由)から、宇宙人、エイリアンについてもそれなりの認識を持っていても悪くはないだろう。

こうした宇宙人との出会いは、霊能力の行使を神に許されるみたいな、「縁」によって起こるのだろうから、まずは日常性の中には起こりえないものとして認識すべきだろう。日常性の揺らぎ、裂け目が発生してから起こるのだろうと思う。

ポイントなのは、火星人やグレイが指導して悟った人は聞かないってこと。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

宇宙空間への一時疎開-2

2011-08-18 05:52:38 | 時代のおわり
◎神のシナリオ

惑星間疎開計画の続き。
『「クラブ・オブ・アース」が一九八八年に出した声明では、「世界規模の人口増加を食い止めることは、核戦争を人類の日程に上げないことに次ぐ、重要な課題」としている。

富と権力や権威をもつ人々が、一般人並みにこうした状況をつい忘れてしまうことなど考えられない。状況に無知、無関心であっては富と権力の備わった地位を得ることはできないからだ。したがって、過剰人口で死にゆく地球に代わるものをどうするかといった議論が、当局最上層部では、間違いなく交わされてきているとするのが妥当な結論だろう。

この惑星間疎開計画がはじめて一般に知られるようになったのは一九七七年六月二〇日のことで、この日イギリスで『Alternative 3(第三の選択)』というタイトルのドキュメンタリードラマが放映された。制作はアングリアTVで、デイヴィッド・アンブローズとクリストファー・マイルズが脚本を書いている。

番組はインタビューと地球の状況が悪化している状況を描写したニュースシーンで構成さ
れていた。地球を脱出し、新たな社会の構築につくすため、優れた能力をもつ多くの人間が選抜され、同時に洗脳された多くの「労働人間」を「一括積送品」として合わせて送り出し、月と火星にドーム型の基地を建設するという計画を描き出している。

この番組はイギリス国内では非人道的だとして怒りを買うことになり、すぐさまドキユメンタリー仕立のフィクションにすぎないとのテロップが流されるようになった。
また、この番組がまともに受け止められなかったそれなりの理由も、確かに存在した。主なインタビュー相手相手は、ボブ・グローディンと称するアメリカの元宇宙飛行士となっていたが、実在する人物ではなく、アメリカ人でもなかった。そのことがばれたのは、グローディンが「We’re right out of beer!」や「Have a proper drink」といったイギリス俗語を口にしたからだった。さらに、番組内の他の登場人物もみな俳優だったのである。

イギリスの作家レスリー・ワトキンスは一九七八年に『第3の選択』(たま山版、一九八一年、梶野修平訳)と題する書籍を発表し、このTV番組のさらに先を行った。
キースが公表した手紙の中で、ワトキンスは非常に率直にこう述べている。「この作品のオリジナルであるTV版は―――本書では大々的に増補してあるが―――実際は作り話で、本来エイプリル・フールに放送する予定だった。ところがネットワークの書組編成上、放送が遅れてまった」

しかし、UFO研究家の多くがそうしてきたように『第三の選択』を研究の価値なしとして完全に切り捨ててまうのは早計にすぎるだろう。

ワトキンスの手紙の続きにはこうあった。「最初は基本的な前提があまりに突拍子もないので、・・・・・誰もこれをノンフィクションとは思わないだろうと考えていた。出版直後にその考えがまったくの間違いだったことがわかった。
実質的に世界中のあらゆる地域から山のような手紙が届き、権威筋の非常に知的な人物からも膨大な数の手紙をちょうだいした。
それではっきりしたことは、私は知らぬまに機密扱いの領域に足を踏み込んでしまっていたということだった・・・・・つまり簡単に言えば、この本は事実にもとづいたフィクションだったのである。しかし、今では極秘の真相にうっかり近づきすぎたと思っている」
』:(出典:宇宙UFO大辞典/ジム・マース/徳間書店P239-241から引用)

文明の発展の尺度は、その文明で何人の悟った人間を出したかということである。この尺度でもって、ロトの時代やノアの時代は町や世界が破滅する一方で、ロトやノアは生き延びた。つまり、ロトやノアはこの話に出てくるような少数の富も権力も有するエリートだった。エリートだったところは同じだが、ロトもノアも「正しき人」つまり悟った人だったのに対し、現代のここでいうパワーエリートは全員悟った人なのだろうか。

少数エリート+多数の労働人間の宇宙疎開シナリオは、スペース・シャトル稼働時には、スペース・シャトルをベースにしたシナリオだったのだろう。しかしその背景にはその他大勢の人が地上で見殺しということになり、この点が非人道的という批判の的になったのだと思う。

偏見なく考えてみれば、ロトのエピソードもノアのエピソードも、その他大勢の悟っていない人を見殺しにしたという点では、非人道的ではある。だからこの宇宙疎開シナリオについては、そのシナリオはひょっとしたら神もオーソライズしているものである可能性も否定できない。ただ、その計画の遂行メンバーや受益者が全部が全部悟っているわけではないだろうから、プラン全体として、当初神が想定していたとおりに運ぶとは限らないのだろうと思う。

また宇宙疎開した人が生身の人間かどうかについても、私は強い関心を持っている。生身でない“亡くなった”またはアストラルな人間を、文明が掃討された後の地球に転生させんがために疎開するというシナリオもあり、なのではないか。
つまり宇宙疎開した人の地上への帰還が肉体でもって宇宙船により行われるのか、それとも死後に別の肉体を乗り物として行われるのかは、このシナリオに隠された大きな疑問点の一つだと思っている。この疑問を解くカギがスペース・シャトル計画の終了だったりするのだろうか。

また神の描くシナリオもこれだけではないのではないか。


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント

宇宙空間への一時疎開-1

2011-08-17 05:54:19 | 時代のおわり
◎第三の選択

2011年7月21日:スペースシャトル「アトランティス」が21日、米フロリダ州に予定通り着陸して、30年間に及ぶ米国のスペースシャトル計画が終了した。

シャトル帰還後、米航空宇宙局(NASA)は地球低軌道飛行事業から撤退し、民間による、人や貨物を乗せた短期間の宇宙旅行を行うための宇宙船の開発を推進する予定だそうだ。月より遠い宇宙空間へのミッションに重点を置く一方で、宇宙船の開発もを進めるという。

スペースシャトルには、宇宙開発の側面とは別に、陰謀論者が語るような、「この世の終わり」になった時に、地球のエリート支配者層が、シャトルに乗り込んで宇宙空間に一時疎開するための乗り物という側面もあったとされる。これは第三の選択とされる。

第一の選択は、ジム・キースによれば、核爆弾を大気圏で爆発させ、大気汚染と熱を宇宙に逃がすというものだったが、大気も放射能で汚染されるので、この計画は没になった。

第二の選択は巨大な地下居住域を建設し、危険な状況になった時にエリートがそこに逃げ込む計画だった。実際に1950年代、60年代にアメリカではそうした地下建造物が建設されてきたが、今ではあまりメンテナンスもされていないという報道に触れることがある。

第三の選択は、選ばれた人間を月の秘密基地経由で火星居留地へ移住させるというもので、アメリカと旧ソ連の協力関係まであったという。

(出典:宇宙UFO大辞典/ジム・マース/徳間書店P238)

月の秘密基地やら火星の植民エリアへの移住など眉唾にしか思えないが、実はこれは当時の支配者層の意図するところの核心をついていたふしがある。

こうした発想の延長に地震兵器やらポスト核兵器があるのだと思う。
(続く)


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


悟りとは何か
コメント