アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

妙好人で妙なこと

2011-04-30 07:13:23 | マントラ禅(冥想法7)
死の世界をクリアしに行かない

妙好人は、教義的には、南無阿弥陀仏を唱えれば、死後に、念仏の功徳によって、信心が不十分な者は、まず浄土に往生するものの、辺鄙な浄土に生れて疑いの罪を償って後に、初めてホンチャンの浄土に行けることになっている。

それが本当であれば、こんなことになっているに違いない。

真摯な念仏修行者である妙好人は、念仏を唱える傍ら、クンダリーニ・ヨーガを実習し、アストラル・トリップなどを実習していた。人体浮遊タンクなんかでトリップを十分に練習して、なんと生前にアストラル体で浄土の辺地訪問を敢行し、そこで浄土訪問記念TV中継などを行った。

実はそこには、親鸞が見ていたように、多数の念仏修業者が、そこから先に進むための阿弥陀仏の仕立てたバスの来るのを待っていたのを発見。そこでその人々から貴重なインタビューを取材し、現世に帰還後にそれを公表して、辺地成仏の教義が実際そのとおりであることを実証実験もできたし、複数の人の証言もとれたので、もはやこの教義の盤石であることを確認できた。

この報道を受けて、南無阿弥陀仏中心の宗教は、クンダリーニ・ヨーガ型、あるいは密教系の観想法や呪法主体の修業に力点のある宗教に変化していった。

仮にそうなっていれば妙好人は、在家のエリート修業者なので、霊能力、超能力のあるのは珍しくなく、妙好人は呪法による病気治しをバンバンやるような人物に仕上がっていたに違いない。

ところが妙好人の行状を見ると、全くそうなっておらず、霊能力、超能力とはほとんど縁のないエピソードばかりである。つまりクンダリーニ・ヨーギに特徴的な現世否定的な、ビジョンの世界を主体として行こうとする生き方、あるいは死の世界をクリアしてその後生の世界が死の世界の一部であることを確認するという生き方ではなく、現世肯定、現実に直面する、生の側から見るという生き方なのである。

こうした方向性はクンダリーニ・ヨーガではなくて、只管打坐の方向性と合致するので、鈴木大拙が妙好人を高く評価したのは理由のないことではない。

この点が、妙好人が妙である点である。

妙好人 浅原才市の歌
「才市や 何がおもしろい
迷いの浮世がおもしろい
法をよろこぶ種となる」





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ラスト・チャンスな日本

2011-04-29 07:23:36 | 時代のおわり
◎カネと良心の両天秤

産経新聞によると、都内の放射性物質を測定している「東京都健康安全研究センター」(東京都新宿区)の4月1~28日の観測によると、同区の1平方メートル当たりの降下量は、月間数百ベクレルに達した。これは、1960年代と同水準で、当時1カ月に1平方メートル当たり数十~数百ベクレルを観測していいたが、これは、当時米国や旧ソ連が繰り返した大気圏内での核実験で拡散した放射性物質の影響によるもの。

さらにこの分野のオーソリティである「放射線医学総合研究所」(千葉市稲毛区)は、現在の東京の地表から60年代と同レベルの放射性物質が検出されていることについて「望ましいことではないが、健康への影響はないと考えられる」としているそうだ。

4月1~28日の放射性物質の数字が1960年代並みならば、2011年3月の数字はその何倍も行ってるだろう。実は米ソの大気圏内核実験は、1960年代前半まででほぼ終了している。終了した原因は明確にはされていないが、健康への影響が無視できなくなったためのようである。以後米ソは地下核実験主体に移行、中国だけが、1980年ころまで大気圏内核実験を継続する。

放射性物質の人体への影響についてはガンの発生率の増加が第一義的に論じられるが、リンパ細胞の破壊により総体的に免疫力が低下し、普通は感染しにくい感染症にかかりやすくなることもその影響である。その代表はエイズ。アメリカ人はエイズにかかり易く、日本人はさほどでもないというのは、土地の残留放射性物質の差があるのかもしれない。

こうした経緯を無視して、堂々と政府系の研究機関が口をそろえて、「健康に影響はない」と唱えるが、こういうのを空念仏というように思う。

また産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が23年4月23、24両日に実施した世論調査では、震災から1カ月以上たってから福島第一原発の事故を国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻な「レベル7」に引き上げた政府や、東電の対応に不信感が高まっており、原発事故の政府発表に66・2%が「信頼できない」、としている。

マスコミの世論調査の数字をそのまま信用するわけにはいかないが、政府発表がこれほどまで信用できない状態になったのは、1945年の敗戦直前の毎日空襲にやられながらも神風が吹けば勝てる、神州不滅と叫ばれていた時代以来ではないだろうか。

1967年の学生運動盛んなりし時の新宿騒乱事件当時ですら、これほどまでに政府発表が信用されないということはなかった。今はネット時代で嘘がすぐばれる時代。嘘がばれたら信用されなくなる。信用されなくなった勢力は、やがてその地位を逐われれる。

今回は権力を持っている側が、その嘘により逐われる側になるのだろうから、さらに徹底的にネットも含めた言論弾圧を仕掛けてくる可能性が否定できないと思うし、そうした動きのきっかけになるようなデマ流布事件を企画してくる可能性は高いと思う。

良心ある科学者、良心あるマスコミ人、良心ある官僚にとっては、自分の生活や社会的地位というカネの部分と良心を両天秤にかけるステージになっている。このステージがまともな進展をしていけば、この先ソフト・ランディング・シナリオがあるだろうが、カネを優先し、更に国民の生活と健康をないがしろにする展開となれば、亡国シナリオが急展開するのではないか。

今がラスト・チャンスである。

もっとも、良心を確固としたものにするには、冥想修行が必要なのだが、そうした訓練不足で勝負になるかという問題もある。






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怒りのコントロール

2011-04-28 06:16:14 | 究極というものの可能性
◎最上の忍耐

大人になるということは、怒りをコントロールできるようになることだろうと漫然と感じてきたが、きちんとできないままこの年に至った。

この膨張した自意識の時代に自意識のぶつかり合いの結果である怒りの噴出は、親殺し、子殺しの多発や、駅での60代の暴力の多発に見られるように、ますます猖厥を極めている。

釈迦の感興の言葉から
『一、怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とに執着せず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。

二、怒りが起こったならば、それを捨てされ。情欲が起こったならばそれを防げ。思慮ある人は無明を捨てされ。真理を体得することから幸せが起こる。

三、怒りを滅ぼして安らかに臥す。怒りを滅ぼして悩まない。毒の根であり、甘味を害なうものである怒りを滅ぼすことを、聖者らは称賛する。修行僧らよ、それを滅ぼしたなら悩むことがない。

四、怒りたけった人は、善いことでも悪いことだと言い立てるが、後に怒りがおさまったときには、火に触れたように苦しむ。

五、かれは、恥じることもなく、愧じることもなく、誓戒をまもることもなく、怒りたける。怒りに襲われた者には、たよりとすべきいかなる帰趣(よるべ)もこの世に存在しない。

六、ある人にとって力は力であっても、怒ったならば、その力は力でなくなる。怒って徳行のない人には道の実践ということがない。

(略)

一四、人は恐怖のゆえに、優れた人のことばを恕す。ひとは争いをしたくないから、同輩のことばを恕す。しかし自分より劣った者のことばを恕す人がおれば、それを聖者らは、この世における<最上の忍耐>と呼ぶ。

(略)

二一、怒らぬことと不傷害とは、つねに気高い人々のうちに住んでいる。怒りは悪人のうちに常に存在している。-------山岳のように。

二二、走る車をおさえるように、ここでむらむらと起こる怒りをおさえる人------かれをわれわれは<御者>とよぶ。そうでなければ、この人はただ手綱を手にしているだけである。(<御者>とよぶにはふさわしくない。)』
(ブッダ 真理のことば感興のことば/岩波文庫P220-223から引用)

だけれど、聖者でも怒る。教会で暴れたイエスもそうだし、他聖者の怒った例も見聞したことがある。

最近になって、自分が弱い立場の人に相対する時に怒りが噴出しやすくなっていることに気がついた。それでもって、他人が怒っている場面を見ると、果たして自分より弱い立場の人に対しては、ややもすると思う存分怒るものであることに気がついた。

そんなことは、大人びた人ならば若い時分から身についているのだろうが、恥ずかしいことだが、私にはここ何年かのことである。

悟っても怒りは起こるもの。悟ったら怒りをコントロールできるようになるものだろうから、それをしなさいと釈迦は言っているのだろう。悟っていない人はその練習を繰り返そうとも。





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因幡の源左の生い立ちなど

2011-04-27 06:16:52 | マントラ禅(冥想法7)
◎忘れても忘れぬ弥陀がある

因幡の源左は、文字を書けないまま、88歳まで生きた(明治41年没)が、その一生は過酷だった。

父は18歳の時に急死。兄竹蔵が発狂し、自分の息子が二人まで発狂した。
自宅が2度火災に遭い、一度は火元で、一度は類焼だった。
また知人を信じて知人の事業に多額の投資をしたが事業が失敗して、田8反歩を手放すことになり、あるいは家内の兄に騙されて自分の持ち山を売られたり。

これだけ並ぶと、大本教の出口ナオレベルの厳しいめぐりあわせではあるが、小金を持っていただけに貧窮ではなかったようだ。

二度目の火災に遭った時、因幡の源左は、「前世の借銭をこれで少しでも戻して貰って、重い荷を軽くさせて貰った。」と評価したが、現世的には不本意であったことは間違いない。

それでもめげずに、「他人の荷物をちょっと持たせて下さい」と言っては、重そうな他人の荷物をいつも持ってあげ、他人の肩をいつも揉んであげることを心がけた。できることをやり続けたのである。

忘れても 忘れぬ弥陀がある故に 忘れながらも この身このまま

これには、この身このままで悟っている、迷いのままに悟るという響きを感じさせる。弥陀と自分が別ではないという立ち位置がわかる。





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おらより悪い者はない

2011-04-26 04:06:14 | マントラ禅(冥想法7)
◎因幡の源左

浄土真宗の在家の篤信者を妙好人という。その一人に因幡の源左がある。

源左が言うには、
「誰が悪いの彼が悪いのとちゅうても、この源左ほど悪い奴はないでのう。その悪い源左を一番に助けるとおっしゃるで、他の者が助からんはずはないだがやあ。ありがたいのう。」

さらには、
「おらより悪い者はないと知らしてもらやええだけなあ。助ける助けんは、おらの仕事じゃないだけ。」

悪人正機だから、自分を悪人と思い込むのだが、本当に悪人だと思ってはなかなかに生きていくことはできにくいものである。しかしそこに「救われない」という見方が深まれば、たった一人で無力な自分以外にはないという徹見が起こる。

そこで逆転が起こる場合があるのだろう。
深まりから逆転へは南無阿弥陀仏というマントラが載せて行く。

そこで自分が助かろうが助かるまいが、自分の知ったことではないという見方、生き方は真実の覚者の証拠である。





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日本は原爆を発明したか

2011-04-25 07:21:02 | 時代のおわり
◎ただたふれゆく民をおもひて

環境省によると、東北地方などで風力発電をさらに導入した場合に見込まれる発電量を環境省が試算したところ、最大に見積もって現在の国内での原子力による発電量を上回ることがわかったと報道されている。

これでは電力供給のために安全を犠牲にして原子力発電をやっていることについての大義名分は薄いことになる。原子力発電を継続させてきた動機は、核兵器開発・保有が日本の為政者の念頭からどうしても離れなかったためだと見える。

日本が世界で最初に原爆を発明したと見ているのは、出口王仁三郎である。彼は大概のことは霊眼で見ているので、マスコミで報道された事実と霊眼に映じた事実が異なることはよくあったようだ。

作家の五島勉が「日本・原爆開発の真実(祥伝社)」でそのあたりに肉薄したが、日本が原爆を完成させたかどうかの確証は得られなかったようである。

同書によると、岩田幸雄氏が広島の平和運動家の河内正臣氏に打ち明けた内容は、次のようなもの。
1944年夏、昭和天皇と東条英機首相と杉山元帥との三者会談が行われた。その内容は、日本のウラン型原爆の完成が見えてきたので、完成したらハワイに投下したいということを天皇に図った。
『昭和天皇のその発言(なぜ原爆攻撃に反対するかの理由)はこうだった。
「数カ国がその新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注し完成させ使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させることになる。

それでは、人類絶滅の悪の宗家に日本がなるではないか。

またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには日本の同胞が多数移住し、現地民とともに苦労し今日を築きあげたところである。そのような場所に新兵器を使用することは賛成しかねる」』
(日本・原爆開発の真実/五島勉/祥伝社P208から引用)

同書では、これで一旦原爆開発は打ち切りになったはずが、原爆を搭載するロケットの燃料実験の失敗が天皇陛下の上聞に達し、その後も天皇陛下に隠れて開発を進めていることを叱責されたことまで出ている。

広島の原爆はウラン型原爆、長崎の原爆はプルトニウム型原爆だが、原爆開発の中心人物だった仁科義雄博士の往復書簡集(みすず書房)を見ると、彼はウラン型原爆の製造を目指し、ウラン10キロでいけると見ていた。

原爆の人間に対する被害は、熱線、爆風と放射能。熱線、爆風は今回の福島原発事故ではとりあえずないとされる。放射性物質の中では、ヨウ素131は、半減期8日だから被曝初期にヨウ素剤を服用しておけば大過ない。セシウム137は半減期30年だが、体外に排出されやすい。 ストロンチウム90は、体内に蓄積し半減期30年であるから、原発事故で最も問題となるのはストロンチウム90である。

イタリアの原子物理学者フェルミなどは、ストロンチウム90の利用が軍事的に最も効果を挙げられるみたいな露骨な発言をしており、原子物理学の発展は、大量殺りくを主眼に置いてきた側面を無視できないものだと、改めて考えさせられた。

無辜の民の殺戮はそれを実行した人物、国家のカルマを大きく捻じ曲げる。それは史記などにも先例があり、イエスという無辜の聖者を殺害するのも同じような結果を生んでいる。

昭和天皇御製
身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて
(昭和20年)

ストロンチウム90についての報道が非常に少ないが、これは為政者が「ただたふれゆく民を思わない」姿勢の表れだと思う。その為政者を選んだ国民の責任も免れないのは、いうまでもない。

国民全体が悟りに向かう方向性を持たなければ、たとえ原子力発電が風力発電に変わったところで、個々人の中に悪の温床が温存されていることは変わらない。日々安全に暮らせることは重要だが、人の人生はそれがメインではない。人はパンのみにて生くるものにあらず。





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霊界物語に記されたる放射能汚染

2011-04-24 08:13:17 | 古神道の手振り
◎自我の死から復活へ

霊界物語は、大正時代の完成だから、その内容に原発も原爆も放射能もないと普通は思う。しかしそうでもなさそうなところがある。

30年以上前の大学生の時分、霊界物語を読み進んでいた時に、全81巻の最後の10巻シリーズ天祥地瑞まで読み進んで、第80巻にたどり着いた時、無残なや、ストーリーの主人公主従が、白髪異様の悪漢「笑ひ婆」に手もなくひねり殺される場面に出くわして、非常に驚いたことを記憶している。

というのは、ストーリーの主人公が殺されてあの世へ行くなどというシーンはそれまでの79巻までにはなかったからである。

この場面は悪人征伐に出かけたものの「笑ひ婆」の返り討ちにあって、主従が逝去し、精霊(幽霊)になったまま、「笑ひ婆」の追放に成功するというものである。最後はハッピーエンドみたいに仕上げてあるように見えるが決してそうではない。

国土全体に毒性の強い水奔草が広く繁茂し、行軍中の主人公はその毒に当たり、さらに「笑ひ婆」と3乙女に、ことば巧みにラブ・アフェアを仕掛けられ油断し、水奔草を煎じた茶を飲まされて、ついには亡くなることになったからである。

水奔草のはびこる様には抗しがたく、広い原野には人も動物も虫も魚類も住む者はいなくなり、周辺の小高い丘にこの毒で亡くなった多数の幽霊たちが穴居する程度であったとされる。

3乙女の言葉巧みな色ごとの仕掛けは3S政策(Screen(スクリーン)、Sport(スポーツ)、Sex(セックス)の愚民化政策)。

この黄色い放射能マークを思わせる黄色の猛毒の水奔草こそ、放射能の暗喩ではないかと思われる。放射能はあらゆる人畜に害を為し、福島のように人々は住むことができなくなり、爬虫類みたいな人たちだけがその政策を仕切っているとは、そのものズバリにも見える。

既に原発は国土全体に広くばらまかれ終わった。3S政策も成功し、あとは放射能汚染の毒茶を飲んでもらえば仕上げである。

けれども我々が放射線障害であの世に行って、その悪の仕掛けのボスキャラを追放したところで、死んで花実が咲くわけではない。

また死んで幽霊になったところから逆襲したことは、一旦自我の死がなければ、自我の復活もないということで、冥想による悟りをこのタイミングで思い知ることを描いたものとも考えられる。

『葭原の国土は其名の如く地上一面葭草に充たされ、其間に水奔草なるもの発生し、黄色き花を開き、外面より見れば実に、美しき花なれども、其花に葉に茎に強き毒を含みて、之に触るるものあれば、何れも其毒に中り、忽ち生命を落すが故に、国津神等も禽獣虫魚も、其難を恐れて広き原野に棲むものなかりけり。

只生命を保ち得るものは、甲羅のある鰐に似たる怪獣と蛇と蜈蚣を混同したる如きイヂチといふ爬虫族の棲みて、あらゆる人畜に害を与へれば、国津神の住むに応はず、開拓の始めより葭草や水奔草の茂るに任せありけるが、その物凄きこと言語に絶せり。』
(霊界物語第80巻から引用)

霊界物語では、この先に火の雨が展開する。






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イエスの兄弟姉妹など

2011-04-23 08:49:22 | キリスト者の秘蹟
◎その他大勢の方が主戦場

キリスト教徒の人は、よくご存知なのだろうが、イエスには兄弟姉妹が沢山いて、イエスはその長男だった。

父は大工のヨセフ。母は、マリア。
兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ。姉妹は、マリア、サロメ、アンナ(ヨハンナ)。

イエスは、貧しい子沢山の一家の長男として、年若くして幼い弟妹たちを養うために大工として勤労に打ち込まねばならなかっただろう。

これが、イエスの伝記が12歳ころから布教開始まで不明になっている原因の一つであることは大いにあり得ると思う。この間、ある程度はエッセネ派で冥想修行もしたのだろうが、日々厳しい労働に明け暮れて、取り立てて特筆すべき出来事などなかった、その繰り返し・・・・・・ということはあるのではないか。宝瓶宮福音書みたいに、クンダリーニ・ヨーギだからといってわざわざインドにまで修行に行かせることもないだろう。

2千年前、たとえ悟っていて、バリバリに超能力を使ってみせたとしても、貧乏で子沢山一家の一人の青年にできることは限られている。その結果磔刑にされるようなことになったが、その時代を2千年もたせたという功績は比類のないものだ。

しかし今イエスが再臨して、悟っていて、バリバリに超能力を使ってみせたとしても、マスコミが殺到して好意的に取材することなんかなく、トンデモ系の一発芸みたいな扱いにされるくらいのものではないだろうか。

価値観は人それぞれだし、他人の生き方にあまり干渉するのは気分悪くされるし、それこそ、貧乏な子沢山一家の生い立ちで、低学歴だけどまじめな勤労青年であって、悟っていて、超能力が使えたとしても、彼一人の影響力などそれこそたかが知れているのではないか。

というのは、今は、我々その他大勢が、勝負の時を迎えているからである。2千年前イエスが課題としていたことを我々が現実に解決すべき課題として抱えて日々生きているのだと思う。


兄弟:
マタイ伝13章55-56節『この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」。』

長男:
ルカ伝2章6-7節『ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。』

イエスの妹は、エピファニオスの『パナリオン』と『アンコラトゥス』によると、マリア、サロメ、アンナ(ヨハンナ)だという。イエスの妹マリアは、「マグダラ行伝」やバチカン公文書内の古代写本「英国史」によると、紀元44年にマグダラのマリアに従ってガリア(フランス)に赴いたとされる。

マリアとヨハンナ:
ルカ伝24章8-10節『そこで女たちはその言葉を思い出し、墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告した。この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した』

サロメ:
マルコ伝15章39-40『イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。また、遠くの方から見ている女たちもいた。その中には、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、またサロメがいた。:』

マグダラのマリアは、イエスの母マリアや妹たちと並んで、イエスのすべてを知る女として聖書に登場してくる。おそらくマグダラのマリヤは、霊眼でイエスを追跡し続け、復活したのを確認して、イエスの墓を訪問したり、更には真っ先にイエスが彼女の前に復活した姿を現わし、そのことをマグダラのマリアに語らせた、というようなことだったのではないかと思う。







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核攻撃に対する7つの自衛策

2011-04-22 06:20:37 | 時代のおわり
◎天佑自助

核爆発災害/高田純/中公新書』には、核爆発から身を守る七つの自衛策が書いてある。
その主旨は、衝撃波と閃光による初期被害を回避し、爆心地付近から安全に脱出することで、その概要は、次のようになっている。

1. 国民保護警報・ニュースで、日本向けの弾道ミサイルの発射を知り、防護の初動態勢に入る。
・・・・・・近隣国から発射された場合、その警報発令から着弾まで、最大2-3分しかないのでその間に対比する。

2. 初期被害回避のための防護態勢
・・・・・・核閃光を避けるため、1分以内で、ガラス窓が視野に入らない場所に移動する。

3.ゼロ地点と自分との距離の推定
・・・・・・周囲の建築物のほぼ全てが大破、もしくは自動車が横転していれば、あなたがいる場所は、20キロトン核爆発換算で、半径2キロメートル以内なので、火災と残留核放射線を避け、すぐに地下鉄で脱出をはかる。

4.屋内退避と地下鉄による脱出
・・・・・・地下鉄で脱出する。自宅が風下でなければ、帰宅する。

5.帰宅時の核の灰の除染
・・・・・除染が必要なので、すべての衣服を脱いで、家に入る。

6.自宅内退避の方法
・・・・・自宅の気密性を高め、食料、飲料水を確認する。

7.核の灰が降下した危険居住区域からの退避と方法
・・・・・核の灰が降下中の屋外での退避は、放射線の防護が困難である。地下室地下街などに一旦退避する。


このたびの福島第一原発の事故と比較すると、核爆弾の爆発こそなかったが、核の灰ではなく放射性物質が降り注いだので、対処の方法は核閃光の防御を除けば、核爆発も原発事故もおおむね同じと考えて良いと思う。

ただ7つの自衛策の内容には、爆発後は地下鉄は動いていないだろうということの他に、政府が国民を保護するための対策を採るかどうかに関し、とても疑問なところがある。

つまり着弾前に政府が『ミサイルが発射された可能性がある』などという報道は、国民のパニックを恐れるという名目のもとにしないだろうという点。過去のケースでもしたことはない。
さらに福島原発の件でも未だに地域別の放射性物質汚染状況をほとんど開示しないように、国民の被曝被害をできるだけ防ぐための情報公開は、積極的には行われないだろうという点である。

よってこうしたシチュエイションでは、自分の身は自分で守る努力がなければ、守りきれないだろうってことになる。その努力があって初めて神頼みがある。

天佑自助:(天は自らを助くる者を佑(たす)く)なり。

いざという時に信用できない政府、頼りにならない政府は哀しいが、そうした政府で良しとしてきた自分に主たる責任はある。そうした政府でもしかたがないとしてきた自分の生き方にも問題はある。





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聖遺物というブランド

2011-04-21 06:13:04 | キリスト者の秘蹟
◎あかしを立てて殺された人々の霊魂

西洋では、土葬であるため、著名人の墓が掘り返されて、何かをする場合があり、火葬に慣れた日本人としては鼻白む思いでそうした記事を読むことがある。

キリスト教では聖者の遺体のパーツは聖遺物とされ、珍重されてきた。聖遺物はローマ帝国時代に公開処刑などで惨殺された聖者の遺体のパーツが大半であって、そもそも縁起がよいものとは受け取りにくいところはある。仏教の聖遺物はもちろん仏舎利であり、東洋各地の仏塔パゴタに安置されてきた。

聖遺物、仏舎利はいわばいにしえの最高級ブランドであったわけである。そのブランド品は、知性と自意識の発達がまだまだであった当時の人々に対する宗教プロパガンダの広告塔として大いに宣伝効果を上げてきたわけである。

もともと古代ローマでは、遺体不可侵の伝統があり、聖者の遺体にはそれなりのリスペクトを持って接していた。これが崩れたのは7~8世紀頃で、メロヴィング朝の公会議では、どの祭壇もどの教会も聖遺物を必要とするという決議がなされ、さらに787年の第二次ニケーア公会議では、聖遺物なしに聖別された教会における礼拝をとりやめるべきことが決議されている。

その上、ヨハネの黙示録6-9の
『小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た』を典拠として、教会内に聖遺物があることが正統とまで考えられるようになったことから、どんどん聖遺物収集ブームが盛り上がることとなった。

これによってローマ時代の聖者の墓は、しばしば人知れず掘り返されることになったようだ。

しかし形見分けと聖遺物分捕りを比較すれば、その差は歴然としている。形見分けは高弟たちや縁者に聖者自身の意図を以って譲りわたすもの。一方聖遺物分捕りは、聖者本人の意向を無視して善意の第三者が勝手にパーツを持って行くもの。

分捕りの経緯に目をつぶれば、崇拝の対象と思い込めるかもしれないが、それってどうなんだろう。今は自分の外にあるものに崇拝の熱情を込める時代ではないだろう。





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成功の秘訣

2011-04-20 06:11:26 | 究極というものの可能性
◎本気度が試される

パタンジャリのヨーガ・スートラから、
『ヨーギたちの成功は、彼らのとる態度がゆるやかなものであるか、中くらいのものであるか、強烈なものであるか、によって決まる』

道元が寧波(にんぽう)から天童山に登った時、山内に千人以上の僧がいたが、身心脱落した者は数えるほどだった。

今、すべての人が修行者であるという時代は、皮肉なことに冥想に充てられる時間は一日のうちせいぜい5分という厳しい生存競争の時代でもある。

昭和初期の大クンダリーニ・ヨーギ出口王仁三郎は、人類が次世代へ生き延びる比率を極めて少なく見ており、それは、かつて天童山で悟った人の比率程度のものだろうか。

出口王仁三郎は生き残る人は、「信仰のない者は助からぬ」とし、正しい信仰のある者、つまり最低でも神を知った者のみが生き残ることを示唆している。出口王仁三郎は、死神死仏への信仰は偽物だとし、天御中主神以外への信仰についてはダメ出ししている。

天御中主神への信仰とは本当の自分に出会うことで、高級神霊を拝むことではない。

そこでこれだけ本気にならないことを良しとする風潮の中で、パタンジャリのヨーガ・スートラにあるように本気度が試されることになる。ただし本気になったからといって生き残る保証などはないのだが。また本気にならなければ犬死にする運命だろうってことは想像できもする。





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日本の危険な宗教

2011-04-19 05:48:33 | 時代のおわり
◎原発安全教

日本には危険な宗教があったし、今も残る。かつては立川邪教であり、今はオウム真理教が有名だ。最近これにもう一つあったことが発見された。原発安全教である。

この宗教の強力なことは、政財官学界に幅広く支持勢力を持ち、マスコミもその教団の豊富な宣伝資金に取り込まれ、何も知らない人は新聞とテレビの政府発表を見聞きする限り、原発が暴走して、毎日大気や海に膨大な放射能を撒き散らしていても、「原発安全、原発安全」と唱える声に疑問や異論はかき消されてしまう。

これによって関東から東北にかけての市民は、毎日放射性物質入りの空気を吸い、放射性物質入りの水道水を飲み、放射性物質入りの野菜や魚や牛乳などの食材を食べて暮らしても、「原発安全教」の信者だから、信仰の功徳により、感謝の心を忘れなければ、安穏な生活を送らせてもらえるなどと思い込んでいる。それに疑いを持ったり、放射性物質摂取でガンになる確率が上がるなどと考えるのは信心が足りない証拠とされる。

時に原子炉のそばで放射線量が急上昇したり、原子炉の圧力が急上昇したり、原子炉付近の温度が急上昇しても、しばしば計器の故障ということになって、役所や電力会社の高級教団信者のおかげで、市民の不安を掻き立てて恐怖をあおるようなことは、なるたけないようにしてくれる。

この結果、なぜだか最近では政府の発表する情報を信じない国民が続々と増えて、福島からは安全とされるエリアからも避難民が続出する事態になっていると聞く。

国土を実質的に毀損しても本尊の原発様だけは残そうというのは、危険な宗教の面目躍如たるところがある。



さて日本を滅亡させたり、日本人を絶滅させようとする勢力がいるなどということは、性善説で人の良い日本人には想像もつかないだろうが、スピリチュアル界では常識だといえる。大本神諭などは、その一例である。

最後は、日本国内に外国人の心を持つ日本人を沢山養成、教育して、日本を外国の餌食にするというのが、そうした外国勢力から見た場合の上策ということになる。

そうした方向でのあらゆる宣伝、情報操作、教育、洗脳の中で暮らしているのを、我々はどうすることもできないし、ともすれば何が真実で何が善で何が悪かすらもわからない自分であればこそ日々の冥想が必要なのだと思う。






悟りとは何か
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神の意志・人の意志

2011-04-18 04:56:15 | 時代のおわり
◎文明は繰り返す

ビキニ環礁での水爆実験は、後世にビキニ・スタイルという蠱惑的なファッションを長く残しただけでなく、「塩」を降らした。
1954年3月1日、爆心から165キロほど離れたアイリングナエ環礁で被曝したポール・イルスマンはコプラ(ココヤシの果実の胚乳)採取のため同環礁に一家で行っていた。
『昼ごろ、粉が落ちてきた。空は真っ暗だ。降ってきた粉は塩のようだった。

粉は私や妻のリジャ、二人の子供にも降りかかったが、毒だとは思わなかった。粉が水に入ると水は茶色に変わったが、かまわず飲みました。そのあと気分が悪くなってきた。」(『還らざる楽園』)と彼は語っている。

白い粉は、間もなく村人たちに苦痛をもたらしはじめた。異常な炎症、痒み、ひどい痛みが島民を襲った。』
(核爆発災害/高田純/中公新書P86から引用)

さて旧約聖書のロトがソドムを出るかどうか迷っていると、
『夜が明けて、み使たちはロトを促して言った  「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。

彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。

彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。

ロトは彼らに言った、「わが主よ、どうか、そうさせないでください。しもべはすでにあなたの前に恵みを得ました。あなたはわたしの命を救って、大いなるいつくしみを施されました。しかしわたしは山まではのがれる事ができません。災が身に追い迫ってわたしは死ぬでしょう。

あの町をごらんなさい。逃げていくのに近く、また小さい町です。どうかわたしをそこにのがれさせてください。それは小さいではありませんか。そうすればわたしの命は助かるでしょう」。

み使は彼に言った、「わたしはこの事でもあなたの願いをいれて、あなたの言うその町は滅ぼしません。急いでそこへのがれなさい。あなたがそこに着くまでは、わたしは何事もすることができません」。これによって、その町の名はゾアルと呼ばれた。ロトがゾアルに着いた時、日は地の上にのぼった。

主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。

アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。 』
(口語訳聖書創世記第19章から)

いわゆる死の灰=放射性物質は塩にも見える。
そこでロトの妻が塩の柱になったことを、ロトの妻は塩を浴びたので、放射線障害になったと解釈すれば、ソドムとゴモラを滅ぼした天から降った硫黄と火は核兵器のことになる。

そうなると天のみ使いは、攻撃側の勢力の使者ということになるだろうか。核兵器であれば、人間が発射のボタンを押したのだろうが、甚大な被害を与えるからには、人災とみるべきでなく、「神が滅ぼした」と表現しても間違いではないだろう。

塩ならぬ放射性物質がどのくらい降るか情報があるのに予報を出さず、国民の健康を脅かしているどこかの国は、創世記の当時の国と大差ないというべきか。





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ユダヤ12支族の今

2011-04-17 07:00:07 | 古神道の手振り
◎宗教・信仰の大弾圧時代

出口王仁三郎のtwitter。

出口王仁三郎のつぶやきを読み合わせると、ユダヤには12支族あって、1支族だけが中東の故国にいる。残り11支族は外国にいる。

残り11支族のうち一番善いのが日本民族である。

とかくユダヤと言えば日本とは別の民族と考えるが、出口王仁三郎は、霊系霊統から見て日本もユダヤと見ていたのは意外だった。

ユダヤは、悪に見せかけて大善を為す、ともある。

こういうのもある。

『問 みろくの世は本当に来ますか。
答 悪いのは十六人だ。十六人を○○したら来る。
問 ○○して下さい。
答 悪いことをせぬと○○すわけにはいかぬ。悪いことをするのを待っているのだ。
(昭和19年4月11日)』
(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店P147から引用)

昭和十年の第二次大本事件直後に教団の方に向いていたのは、わずか10人だったと出口王仁三郎は指摘。今後来る宗教・信仰の大弾圧時代に広義の「信者」は、日本魂が腐っているので、ほとんど逃げるそうだ。もちろんこれは大本教のことを言っているのではない。

宗教・信仰もその時に根こそぎに「撤去」されないと立替立直に入れないということか。さみしい限りだが、そういうものなのだろうか。





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無想の境

2011-04-16 05:23:10 | 究極というものの可能性
◎意識下に座る

道者笹目秀和氏が、崑崙山頂ムッツァータンゴにて重要なレクチャーを、疏勒仙人より受けた。仙師とは、疏勒仙人のこと。そして、

『その日の夕刻、月を拝する鎮魂(坎水印)を終えて、山上洞窟の最後を行じたのであった。

翌日意識下に座っていたようでもあるが、眠っていたもののようでもあるし、失神状態であったようでもある。

フト己に還ったとき、仙師は、・・・・・・
「気がついたか。天界遊行とまではゆかないまでも、しばらく今のような無想の境にある修行が必要なのだ。坎水、離火、別々に行じても、やがて自然に合一の境に入るものである。さてこれから地の玄境に行って‘坎離印’の秘法を授けることにしよう」といって洞窟を出た。

日は中天にあったのをみて、洞窟の打坐は昨夜来のことで、随分長かったことに気づいたのである。

(神仙の寵児/笹目恒雄/国書刊行会P265から引用)

笹目秀和氏は、クンダリーニ・ヨーギ。クンダリーニ・ヨーガでも、このように無想の冥想がある。想念停止は只管打坐の専売特許ではないことがこれでもわかる。ヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスも時間を止めると言う。

その先に天界遊行があることを示唆してくれている。天界遊行とは、レジャー、トリップとしての天界遊行ではなく、人間の本来持つ自由の発揮・行使というようなもので、決して霊がかりなアストラル・トリップもどきのものではないのだろうと思う。

これだけ長時間座れる人も多くはない。道元や松島の瑞巌寺の雲居希膺などもそうした人。





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