アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

選り好みをしない-3

2011-03-31 06:04:17 | 丹田禅(冥想法8)
◎放射性物質と日本人の行方

唐代の禅マスター趙州に対して、弟子が問うには、
「至道無難唯嫌揀択。わずかに言語あれば是れ揀択。(至道は難しいことはなく、ただ選り好みをしないだけだ。しかし言葉で表現した途端に、それは選り好みだ。)だそうですが、師匠はそれをどのように人に表現されますか。」

趙州は、
「どうして古人の言葉を、(冒頭だけでなく)全部引用しないのだ。」

弟子
「私は、ここまでしか言えません」

趙州は、
「それこそが、至道無難唯嫌揀択(至道は難しいことはなく、ただ選り好みをしないだけだ)である。」


放射性物質の入った空気を呼吸することについて、私は選り好みできない。放射性物質入りの水道水を飲むことについて、私は選り好みできない。放射性物質のちりが入った雨に濡れることについて私は選り好みできない。

長期的に見て、多くの日本人が、こうしたことをきっかけに国を出ることになっても不思議はない。最近の英語ブームは、今までのそれとは違っているように感じるし、パナソニックなどの新卒採用がグローバル採用になったことなどともシンクロしている。

日本人は海外に出て行くことを、このようにじわじわと内外から催促されているように感じるのだが、『勤勉、熱心、平均学力が高い』というだけの特長でもって世界に日本人が歓迎されるとも思えない。

日本人全体に冥想の習慣が広がり、冥想の多くのバリエーションの手ほどきができる程度に冥想に熟練するというようなことがあってはじめて、今後の混乱の海外に出て行って、そこで日本人が歓迎されるのではないだろうか。日本が海外にODAなどでばらまく金が尽きようとする今、その思いは、6年前とは変わっていない。





悟りとは何か
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ニジンスキーの精神分析

2011-03-30 06:12:57 | 冥想アヴァンギャルド
◎精神分析と他人事

ユングの弟子だった河合隼雄さんも亡くなってしまったが、河合隼雄さんが、ニジンスキー夫人に出会って、ニジンスキーが、当時の精神分析家に、精神分析を次々に受けていたことを知る件りがある。

ニジンスキー夫人はハンガリー貴族の出。彼女はニジンスキーに一目惚れして、いわば押しかけ女房みたいにして結婚してしまう。

さてスイスの保養地に彼女が住んでいた時に、召使の一人がニジンスキーは間違いなく精神病であるとこっそり伝えてくれた。それはなぜかと問うと、召使は、「実は私はニーチェの召使をやっていて、ニジンスキーの言動とニーチェの言動が同じ感じがするからだ」と言う。

この発言以後、彼女が気をつけてみると、やはりおかしいかもしれないと思い、ニジンスキーを精神分析家のもとに連れて行った。

まずは、オイゲン・ブロイラー。彼は精神分裂病であると断定した。それから、フロイト、ユング、アドラー、ビンスワンガーらを歴訪。いずれも大きな書店の心理学コーナーに行けば何冊も著書が並ぶ大物心理学者である。

ニジンスキー夫人はビンスワンガーのことを気に入って、彼の病院にニジンスキーを入院させた。ところがしばらく経つと、ビンスワンガー自身の息子が自殺してしまい、彼女も非常に動揺することになった。

ビンスワンガーは、これをきっかけに「現存在分析」を言い出すことになるほどショックだった。

結局ニジンスキーらもビンスワンガーの病院に留まったが、結局ニジンスキーの分裂病は治癒せず終る。
(以上出典:未来への記憶/河合隼雄/岩波新書)

どんな巧みな心理家であろうと、どんな開悟した宗教者であっても、その人の病気を治癒できるかどうか、あるいは自殺させないようにできるかどうかは別の問題なのだろう思う。

超内向的なニジンスキーが超外向的な妻と生活していて、別にニジンスキーは同性愛の愛人を持っているという道具立ては、精神分析のネタとしては揃っている。ところが、そうした分析、推理を超えた部分で、現実は重く、着実に動いて行くもの。

現実の出来事の中には、今回の東北関東大震災もそうだが、人のさかしらを全く無視する形で起こって行く出来事が一部あると見えるが、実はすべての出来事がそうであるという見方こそ真相に近いのだと思う。





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ニジンスキーの死と神

2011-03-29 06:02:08 | 究極というものの可能性
◎安らぎを得たためしがない

ニジンスキーは、戦前の超有名バレー・ダンサー。1890年ロシアのキエフに生まれた。29歳で発狂し、幻覚と自閉症に苦しみながら60歳まで生きた。

そのニジンスキーには手記があり、神に接しながらも安らぎを得ない苦悩が描かれている。

『世界は神によって作られた。人間は神によって作られた。人間が神を理解することは不可能だ。しかし、神は神を理解する。

人間は神の一部である。それで時として神を理解する。

私は神であり人間である。私は心を持った動物である。私は肉体である、しかし私は肉体から生まれたのだ。神は肉体を作った。

私は神である、私は神なのだ。神なのだ。・・・・・・

私は愛そのものであるので幸福である。私は神を愛す、それで自分に微笑みかける。人々は、私が狂って理性を失うと考えている。ニーチェはあまりに考えすぎて理性を失った。私は考えない。それで狂うはずはない。』
(ニジンスキーの手記/市川雅訳/新潮社P11-12から引用)

そして1919年2月の手記。
『死は不意にやってきた。----私は死にやって来て欲しかったのだ。生きたくないと自分にいいきかせた。私は長生きしなかった。気が狂っているとひとにいわれた。

私は生きてはいたが、安らぎを得たためしがない。
生きて、喜びを感じたが、ひとは私を悪い奴だといった。

私は声をあげて泣き、悲しんでいる。私の周囲のものはみな空虚であるからだ。』
(同上書P121から引用)

自意識の極大化と神へのワンタッチは起きたのだろうが、そこには安らぎがない。人間であることに安らぎはないからである。人と神のバランスは古神道流に言えば『天の浮橋』。
そのバランスはとても難しいものあって、一歩誤るとギリシャ神話のイカロスのように神に叩き落とされることになりがちなものである。
それは簡単ではないのだ。






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ありがたいという気持ち

2011-03-28 05:53:29 | 冥想アヴァンギャルド
◎大根の芽に踊る

奇跡のリンゴの木村さんの話。5人のケニア人が、大根作りを習いに3日間だけ来日した。

『大根づくりを習いに5人のケニア人が弘前に来た。乾期に育てたいので水をやらないで発芽させたいという。

「水をあげないと芽が出ないので、私はちょっとだけ工夫をしたのな。
茶碗のお尻の部分で土をへこますのな。そしてへこんだところへ種をまく。そうすると朝露がくぼみに集まってくるから、水をやらなくてもどうにか水分がとれるわけだ。
ケニアの乾期でも、そういうふうにすれば、大根も芽を出すはずだと考えたのな。」

彼らが滞在するのは3日間だけ。その間に芽が出ればいいけれど、果たして水なしで大丈夫だろうか。やることはやったけれども、芽が出るという確証はなかった。

「帰る日の朝5時ごろな。気になって畑へ行ったのな。そしたらケニアの人たちが先に来て畑で踊っているのな。どうしたのだろうと思ったら、芽が出ているというわけ。

彼らは、土に額をつけて土下座みたいにしていてな。何をしているのかと聞いたら、土の精霊に感謝しているっていうのな。いやあこれこそ人間だって思ったな」

彼らは1日目も2日目も「芽が出ますように」とお祈りしていたそうだ。』
(木村さんのリンゴ奇跡の秘密/小原田泰久/学研パブリッシングP170-171から引用)

木村さんリンゴの本質は、軽いオカルト話よりは、こちらの方だ。自分の無力さを真剣に受け止め、そして天地万物のありがたみを噛みしめる。無力を実感すれば敬虔、謙譲となり、そこで本当の祈りが起こる。







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続瑞能神歌の真偽

2011-03-27 07:13:57 | 古神道の手振り
◎早すぎる水爆登場

続瑞能神歌は、未曽有の大地震である東北関東大震災と福島第一原発の事故のダブルパンチに見舞われた今見てみると、ひょっとして当たっているかもなどという疑念もよぎる。そこで改めて真偽を真面目に検討してみた。
真偽と言っても、出口王仁三郎作ならば真で、そうでなければ偽ということ。

そもそも私が続瑞能神歌の存在を知ったのは、仲矢伸一の著書だったか、泉田瑞顕の著書だったかはっきりしないが、出口王仁三郎没後にいくつかの予言があって、出口王仁三郎の意向である(憑依した?)予言とされるものが何本かある。それらの一つが、続瑞能神歌である。

なお日月神示は、その格調が大本神諭や、瑞能神歌などとはまったく異なるものなので、信用はしていない。

さて、続瑞能神歌は、1947年の発表とされる。出口王仁三郎の逝去は1948年1月。
続瑞能神歌の問題箇所の最初は、
「花のお江戸は原爆や 水爆の音草もなく」
最初の水爆実験は、1952年1月。よって、1947年の段階で水爆の存在が世に知られていたかどうかが問題となる。

新型兵器というものは、原爆もそうだが、実際にそれが使用されるまでは徹底的にその新型兵器の存在すら秘匿するもの。せいぜい、「SF小説には出てくるかもしれないような危険で無慈悲な新型兵器を敵国が開発している」という形のデマを飛ばすことで、その実在がほのめかされる程度である。

よって1947年の段階で、水爆のことが、大本関係者に知られているとは考えにくい。

続瑞能神歌の次の問題箇所は、
「残るは三千五百万 赤き自在天主の旗のもと」
日本一億人の三分だから、多めにはじいて3千5百万人と見たのだろう。しかし出口王仁三郎は、逝去直前の頃には、三分とは3割でなく、3%であるとつぶやいている。よってこれは出口王仁三郎の見方とは一致しない。

続瑞能神歌のもうひとつの問題箇所は、
「血潮に赤き統一も 一年余年の殺りくも」
出口王仁三郎のつぶやき(新月の光/木庭次守編)によれば、日本の立替は、半年であり、1年余年というのは、これと合致しない。

このように子細に見ていくと、続瑞能神歌の真偽は怪しいと言わざるを得ない。
誰か神がかった人の霊言をまとめて、箔をつけるために出口王仁三郎作と称したのだと思う。その時にその霊能力者の見ていた世界が、地獄に近い霊界であればあるほど、悲惨な未来を予見することになるもの。





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ケン・ウィルバーの日本の友人向けメッセージ

2011-03-26 07:55:08 | 究極というものの可能性
◎よりあなたを傷つけるが、より悩ませることはない

東北関東大震災を意識して、現代の覚者の一人ケン・ウィルバーが、日本の友人向けにメッセージを出している。

これは私の拙訳。
『人が悟りへの修行(Integral Life)を送ろうとすると、そのプロセスには常にアップ・ダウンがあるものです。統合的な認識があるということは、あなたには、より高い、より広い、より深い認識があって、それには、更なる展望、更なる注意、更なる関心、更なる愛(love)が付随している。そこで、大変な困難な時期にあってさえも、心を開いて、広く構えて、受け容れることが重要なことです。

このやりかたは、福島県でのトラブルにも求められる。この問題の潜在的な破壊的な性質には、その人の目を閉じさせ、その人の認識を狭くして、心から全てのことを押しだす傾向があります。このことがまさに我々がしてはならないことです。

閉じこもってしまう代りに、この強烈な恐怖の状況の下でさえ、心を大きく開いておくために、我々はオープンである必要があります。混乱の最中で、安定して穏やかに見つめることは、人を直接スピリットに関係づけさせ続け、本当に重要であることと究極の真実において人を固定します。

そのように、表面の現象は単に行ったり来たりし続けるでしょう。しかし、あなたは、すべての変わることのない根源と基盤と本当の自分に根ざしているままです。

表面の現象に対して、あなたが手伝うことができるものは何でもしてください、けれどもそれを見つめたままでいなさい(目撃者)、そうすれば、日々の現実である「よりあなたを傷つけるが、より悩ませることはない。」となります。

「よりあなたを傷つける」というのは、あなたがより感じやすく、そのことにより注意を払っていて、それで気持ちが一杯だからで、あなたはそれに背を向けたり隠れたりすることはできません。

しかし、「より悩ませることはない」とは、あなたが、それにとらわれることをやめたからです。つまり、「neti、neti(※ヨーガ・スートラ:想念が浮かぶつど、そうではないそうではないと否定を繰り返すこと)」または「これでもない、あれでもない」という状態にいることをやめ、全体的を見つめるもの(目撃者)であり続けるからです。

私の考えと祈りは、これらの困難な時期の間にあなた方全員とあります。あなた方が真の統合された自己に安らぎ、できる限り前進せんことを祈ります。

愛と光をこめて 

ケン・ウィルバー』

原文
Ken Wilber's Message to Japan
March 18, 2011 17:05

Hello to my friends in Japan,

As one attempts to live an Integral Life, there are always ups and downs in the process. To have an Integral awareness means that you have a higher, wider, deeper awareness, with more perspectives and more care and more concern and more love. So even when difficult times arise, it's important to keep the heart and mind open and wide and embracing.

This goes for the troubles in Fukushima prefecture. The potentially devastating nature of these problems has a tendency to make one close one's eyes, narrow one's awareness, push the whole thing out of mind. But that's exactly what we shouldn't do. Instead of closing down, we need to open up, to keep heart and mind wide open even under these frightening circumstances. A steady, calm Witnessing in the midst of turmoil keeps one directly related to Spirit, as Spirit, and anchors one in what really matters and what is ultimately Real. That way, the surface phenomena can continue to simply come and go as they will, but you remain anchored in the unchanging Source and Ground and real Self of it all.

Do whatever you can to help with the surface phenomena, but remain anchored in their Witness, so that day-to-day realities "hurt you more, but bother you less." "Hurt more," because you are more sensitive, more aware of them and let them all in, you don't turn away or hide from them. But "bother you less" because you have ceased to identify with them, remaining "neti, neti," or "not this, not that" but the impartial Witness of them all.

My thoughts and prayers are with you all during these difficult times. May you rest in the real and integral Self and move forward as best you can!

Sending much love and light, Ken Wilber



大災害にあって、人はそのあまりの悲惨さに、心をふさいだり、目を閉じたりしがちなものだが、そんな時こそ心をオープンにして、すべてを受け入れなさいと、ケン・ウィルバーは言う。

すべてを見つめる者、あらゆる惨禍の平静な目撃者になるのである。そこにしか人間の苦悩の突破口はない。

最愛の人をガンで失ったケン・ウィルバーだからこそ説得力がある。

「よりあなたを傷つけるが、より悩ませることはない。」とは、ケン・ウィルバーの平常心是道


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選り好みをしない-2

2011-03-25 06:02:49 | 丹田禅(冥想法8)
◎覚者の行動ルール

唐代の禅マスター趙州は、弟子たちを集めて言うには、
「至道無難唯嫌揀択(至道は難しいことはなく、ただ選り好みをしないだけだ)というが、言葉で表現した途端に選り好みだ。

だからといって、私は明白なところにもいない。それでは一体あなた方は、どこに達磨の真意を見るのか。」

弟子が質問する。「趙州マスターが既に明白なところにもいないのであれば、どこを大事なポイントとするのですか。」

趙州「わしも知らない」

弟子「趙州マスターは自分で知らないと言うのであれば、どうして「明白なところにもいない」となぜ断言できるのですか」

趙州「質問はそれで良い。礼拝して、退出しなさい」


これは、三祖の信心銘では「至道無難唯嫌揀択」に続いて、「ただ憎愛なければ洞然として明白なり」とあることを前提としている。趙州は、愛憎がなくても明白なところにはいないとだけ述べる。どうしてそうなっているのかは、趙州も説明できず、ただ何でか知らないがただそうなっている、とする。

ここまで行くと選り好みをするしないの問題ではないのだろう。でも最初は選り好みをしないから入る。

選り好みをしないというのは、悟った人に共通の沢山ある行動ルールの一つなのだろう。でもそれをそうだと見分ける人は少ないのだと思う。





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天地の神の宮居と生まれたる

2011-03-24 05:58:09 | 古神道の手振り
◎自分がどうなろうと

戦乱の時代を生きた出口王仁三郎の歌三首

天地(あめつち)の神の宮居と生まれたる 人の神魂(みたま)ぞ 清くもたまし

それでもって、こんなのも

人のこと悪く見ゆるは おしなべて わが心根(こころね)のきたなき故(ゆえ)なり

また

試みにあうも 憂いの雨ふるも 悔やまず 怯(お)じず 神にまかせよ


今日も憂いの雨ならぬ放射能が降っている。水道水にも、呼吸する空気にも放射能の粉塵が含まれているのでは、放射性物質のついた衣服を洗って捨てたり、身体をぬぐっても限界がある。

政府を恨まず、東京電力を怨まず、まずは自分を清く保ちたいものである。真正の覚者は自分がどうなろうとそのことにはあまり関心がないものである。悟ってない身ではそこまで徹底できないので、反実仮想である「清くもたまし(清くもちたいものだ)」という言い回しとなる。





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食物と水の放射能汚染

2011-03-23 06:02:56 | 時代のおわり
◎内部被爆と対策の方向性

ほうれんそうと牛乳に加え、水道水、ブロッコリー、小松菜からも基準を越える放射性物質が検出された。

放射能汚染には、外部被爆と内部被爆がある。
外部被爆は、強い放射線に外部から肉体を照射されるやつ。これは線源から遠く離れれば離れるほど影響は減衰する。東海村JCO臨界事故なんかはこれ。

内部被爆は、身体の内部に放射性物質(ヨウ素—131やテルル—132やセシウム—134など)が食事や雨にぬれたり呼吸によって身体に取り込まれること。その放射性物質の粉が何年もの間、内臓やら骨やらを回りながら、その放射線で遺伝子や細胞を破壊し続ける結果、リンパ球の減少や白血病、骨のガンなどになりやすくなる。一粒の一生の総被爆量は、累積1シーベルト(ミリシーベルトでもマイクロシーベルトでもない)にもなるらしい。

学者さんも言っているが、政府は外部被爆のデータは一生懸命とるが、内部被爆は広島、長崎があるせいか、日本ではまともに研究されてこなかったらしい(アメリカでは研究しているところがあるという)。

冥想修行者は、健康で肉体の柔軟性を維持して意識が清明が基本だが、その健康が放射性物質で侵されたなら、放射性物質を体外に放出する対策を打たねばならない。

アストラル・トリップの体外離脱だって、アストラル体が帰ってくる肉体が不調だったら問題だろうに。

放射性物質の体外排出技術が必要になるのは、核戦争後だろうと思っていたが、まさかこんな形で万人に必要となる時期が来るとは!
でも広島、長崎周辺の人の中で、このテクニックを秘かに知っている人がいるのではないかという気がする。

放射性物質の体外排出技術は、クンダリーニ・ヨーガの肉体コントロール技術(毒の排出)の一種なのだろうが、私はクンダリーニ・ヨーガを実習してませんので、残念ながら知りません。





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選り好みをしない

2011-03-22 03:59:08 | 丹田禅(冥想法8)
◎趙州のジレンマ

ある僧が問うに「至道無難唯嫌揀択(至道は難しいことはなく、ただ選り好みをしないだけだ)ということは、現代の禅者の巣窟ですね。」。

趙州は、「かつてこの問いを、誰かが私に尋ねたが、5年間わからぬままになっている。」

選り好みをしないのは、時間のない世界のことである。世界樹の聳え立つ世界にあって初めて、それを語りえる。
しかしこれを他人に問われれば、語った瞬間に選り好みが起こるので、至道でなくなる。

選り好みをするとは、スーパーで商品を選ぶ選り好みのことではなく、自分のさかしら、はからいを言う。





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出口王仁三郎の今ここ

2011-03-21 08:32:08 | 古神道の手振り
◎個々人が自分で悟る

風水火の天災地変も 信仰の徳し 積もれば 安くのがれむ
(出口王仁三郎)


出口王仁三郎は、盛んに死神死仏を葬るということを言った。

死神死仏を葬ろうとしたから、第二次大本事件が起きた。

出口王仁三郎は、大切な神様を祭らなかったり、何でもない神様を自分の都合がよければ立派に祭ったりして、今までのことを乱したのがいけないという。

『○日本の神社の祭神
日本の神社に祭ってある神様は昔の英雄で死神死仏ばかりで、キリスト教のゴッド即ち不老不死の生き神を祭ってあるところは一カ所もない。邪教だからといって禁じているから、一つも今度の御用に立つ神様はない。死んだ獅子は鼠が自由にするのである。
(昭和二十年3月8日)』
(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店P272から引用)

更に
『○昭和十年大本事件の動機
昭和十年事件は昭和神聖会で、あんなこと言ってはどもならんというので起きた。古事記の天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)とある神様を祭らねばならぬと言ったのでやられた。それは本居、平田の説が邪魔している。旧事記も大事なところは○○にしてある。』
(新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店P299から引用)

出口王仁三郎のいう死神死仏ではない神とは、天之御中主神。「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)とある神様を祭らねばならぬ」とは、今ここ、個々人が自分で悟るということである。

昭和20年の人に、「今ここ」、「自分が悟りを開く」などと言っても、出口王仁三郎の真意はまず伝わることはなかっただろう。21世紀の今ですら、そう簡単なことではない。

言葉を変え、譬えを変え、いろいろとやってみたが、終戦後まもなく亡くなったところを見ると、昭和神聖会事件により、日本の命運の集合的無意識における元型を固めたというのが、出口王仁三郎の社会面での主たる使命だったと思う。





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地震兵器考

2011-03-20 09:18:31 | 時代のおわり
◎日本人は逃げる

今回の東北北海道大震災の震源が10キロと浅いことから、これが地震兵器によるものではないかと疑いを持つ人たちがいる。現状では、地震兵器の実在は確認されていないが、存在するならば、非人間的な兵器である。非人間的な兵器は他にもあって核兵器もそうである。地震兵器は、謀略論好きで空想たくましい人たちのいわば想像の産物に過ぎないかに見えるのだが、必ずしもそうとも言えないところがある。

出口王仁三郎のつぶやきによれば、東洋全体に火の雨を降らすことを研究している手合いがいるそうなので、そんなことが人力で可能ならば、地震兵器などはそれに比べてはるかに簡単にできるのではないかと思われるからである。


出口王仁三郎は、大本事件の時に大勢の信者が逃げたように、日本魂が腐っているから、いざという国難の時、ほとんどの日本人は逃げると見ている。外国にも大勢逃げるだろうし、日本魂を捨てて、アメリカナイズや中国化される人が主流となるということだろう。最後には、古神道や仏教など日本固有の信仰を持っているだけで摘発されるような時代になることを、出口王仁三郎は見ているのではないか。

終戦後、さる信者の前で、出口王仁三郎が、玉串を最初は座布団の上に出し、次に座布団の下に隠し、最後は自分の懐にねじ込んだ。信者がどうしてそんなことをするのかと問うと、出口王仁三郎は、「今に見い、こういう時代が来る」と語ったそうな。

原発事故処理の延長で言論封殺が行われ、そういう時代が来る可能性はある。放射能被害の問題は万人共通の生活の問題となるからである。

大本神諭に日本の立替は三四月、八九月とあり、果たして三月に火蓋が切られたのだろうか。立て替えるには、一度は元のをつぶさないと新しいものは建たないが・・・・。始まったら半年みたいだし。





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福島第一原発について何か隠していること

2011-03-19 08:55:22 | 時代のおわり
◎暗雲低く仇鳥の

「菅政権は、福島第一原発について何か隠している」と、最初からマスコミが妙な報道の仕方をしていたが、隠しているのは日本のマスコミも同じみたいだ。

福島第一原発で放水がなぜ三号機からかという説明は、テレビでは「現場の判断でそうなった」という意味不明の説明だった。

いろいろ調べてみると、福島第一原発の3号機は、日本に4台しか稼働していないプルサーマル原発。でもって、プルサーマルの原発事故は、通常の軽水炉タイプ原発と違い毒性が強く放射能汚染被害エリアも軽水炉タイプの倍らしい。

このことを菅政権もマスコミも隠しているのだろう。軽水炉なら避難命令エリア30キロだろうが、プルサーマルならその倍のエリアを避難命令にするのだろうから、在日米大使館が福島第1原発の半径80キロ圏内から避難せよとの命令を出したのは、この理由だろう。韓国もフランスも日本からの緊急避難用飛行機を出すのは、おそらくこのためだろう。

このような緊急な人命に係わる情報をマスコミまでが秘匿するのは、共産主義政権や独裁政権と同じ。そしてそうしたきわどい核心の情報は、一般的には外国の報道を転載する形でその国に入ってくるもの。たぶんこの話は、外国の報道では既になされているのだろうが、転載さえ認めない圧力があるのだろう。情報操作恐るべし。

wikipediaによれば、日本のプルサーマルは、2009年12月に運転を開始したばかりで、九州電力玄海原発3号機、四国電力伊方原発3号機、東京電力福島第一原発3号機、関西電力 高浜原発3号機の4台。福島第一原発の3号機は、稼働してわずか5カ月で事故ったのですね。

こうしたプルサーマルの危険をよく承知しているからこそ、菅首相の「最悪の場合、 東日本がつぶれる」という発言にもなっているのだろう。米軍もIAEAも本腰を入れてきた。


昭和初期の古神道家出口出口王仁三郎の作だろうと言われる(断定はできない)続瑞能神歌の一節にこんなのがある。

『シベリア狐は死にたれど 魂の邪霊は様々に
妖霊呼んで東天は 北から攻め入る非道さよ
オーツク海や千島舟 樺太島とゆさぶりて
雪割草の間より 暗雲低く仇鳥の
舞ひ降り上る恐ろしさ

北海道から三陸へ なだれの如く押し寄する
ここをセンドと聯合の 獣の庭や神の国
花のお江戸は原爆や 水爆の音草もなく
一望千里大利根の 月の光ぞ憐れぞかし』

一般に予言詩のイベントは、文の始めに書かれていたものが始めに現実に起こるものとは限らないし、またイベントの規模も予言した時点と実際に起こった時点では変化があるもの。

『暗雲低く仇鳥の』は、昔は北から攻め入る国の航空・ミサイル攻撃だろうと想像していたが、原発事故による放射線事故と読めないこともない。時期も雪割草の時期。そうは言っても予言された事象そのものが起こるとは限らないという大原則もある。
そしてこの事故ですら、万人の、いや自分の一挙手一投足の結果でもある。

人は自分の髪の毛1本白くも黒くもすることはできない。自分のメリットを捨て、買いだめをせず、清貧に生きることしかできない。







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漆黒の闇の街

2011-03-18 03:25:04 | 時代のおわり
◎文明の終りの始まり

昼と夜と計画停電の街に出ることがあった。

昼は良い。日は燦々と照り、微量の放射能も混じる強い北西風の中を歩くと、時折パソコンとテレビを奪われたかのような、視線がうつろなひきこもり風の人によく出会った。通常そんな人と通りでは出会わないものだ。車も少なく、信号は点灯しておらず、人通りも少ない。
開いていたのはコンビニと自家発電のあるらしい銀行だけ。

夜は、駅を出たら漆黒の闇。ビルの階段も歩けないほどに暗い。
懐中電灯や、自転車の前照灯がなかったら、他の人にぶつかってもおかしくないほど暗い。幸いに月夜であって、なんとか識別はできたものの、そぞろに、もの凄い様子の街である。

高層ビルも上から下まで真っ暗。20階はある、巨大な駅前のコンサート・ホールも真っ暗、黒に近いダーク・グレイの街が視界一杯に広がる。一人で歩く人々は、表情はわからないものの、皆不安げだ。警察の見回りもなく、バスだけが、以前のようにきちんと走っている。治安の気になる風景である。

戸建ての家の窓もすべて真っ暗。その闇に溶けこみながら家路を急ぐ。人はここに言いようのない孤独を感じさせられる。

この物質文明が終ったら、こんな感じになるだろう。暗い高層ビルは人の気配がない。
そうした人間の無力さと、闇の不気味さを見せつけられることで、日常生活の裂け目というものを無理やり意識させられるような帰途だった。

これは、文明の終りの始まりだと直観した。その序幕は大地震、大津波と原発危機で始まった。結局今の文明の大半は残るまいが、そのためには、それまでは積み上げた今の文明生活が崩れさって行くのをそれぞれが見送る作業がある。


帰り着いたら自宅も真っ暗だった。
風呂に入っていたら、震度3の余震に襲われたのは昨夜と同じだった。くつろぐ隙を与えてくれない。

明日はどうなるんだろうか。神に翻弄される時代が始まったのだろうか。






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日米避難命令の違い

2011-03-17 06:04:49 | 時代のおわり
◎日本の歴史の分岐点

米国防総省は、2011年3月16日、東日本大震災の救援活動にあたる米海軍などの要員に対し、福島第一原発の半径約80キロ以内への立ち入りを禁止した。
更に航空兵には、同原発から約112キロ以内に近づく際は、ヨウ素剤を服用することを義務づけた。

更に在日米大使館は17日、日本に滞在する米国市民に対し、放射能漏れ事故が起きた福島第1原発の半径80キロ圏内から避難するか、安全に避難できない場合には屋内に退避するよう勧告した。米原子力規制委員会(NRC)による検討、分析結果を受けた「予防的な措置」だそうだ。

半径80キロ圏内は、猪苗代湖以東であって、福島市、郡山市、いわき市などが含まれる。北は宮城県岩沼のあたりまで。今、東北新幹線は、那須塩原まで行っているが、宇都宮までしか乗れないってことか。 

アメリカは、原発の数も多く、原子力空母、原子力潜水艦も歴史があり、スリーマイル島も経験している、世界で一番原子力を扱い慣れた国。そのアメリカの対応は大いに参考となる。

ところが、日本政府は福島原発から20キロ以内に避難指示、20~30キロに屋内退避指示を出したままにしている。これってどうなんだろう。人命尊重は、大本営発表名の下にどこかに消えたのだろうか。

左翼の人たちは人権感覚は強いことになっているが、状況の変化に機敏に対応できていないのではないか。今回の福島第一原発の危機対応には、脱石油の対策として原発推進に動き始めた世界の潮流の中で、多くの国がその動向を注視している。

日本の政治は三流と言われて久しいが、今回の事件の政府対応は、今後の日本の歴史の分岐点になるように思う。国民の政府に対する信用を維持できるかどうかという点において。

歴史的に日本国民の『お上』に対する信用は絶大だったが、この対応を誤り、国に対する国民の信用が失われるようなことになれば、今後日本の国は荒れる。具体的には治安の悪化が加速度的に進むことになるように思う。







悟りとは何か
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