アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

呂洞賓の故地

2010-07-31 08:22:43 | 道教
◎最大の関心事の変遷

唐末の道家呂洞賓は、山西省の芮(ぜい、くさかんむりに丙)城永楽鎮がその出身地とされ、もともとその故居に呂公祠があって、それが発展して永楽宮となって現在に残る。

全真道龍門派の開祖邱処機(長春真人:1148-1227)は、金から元代にかけての王重陽の七人の有力弟子のひとりであるが、73歳にしてジンギスカンに招かれ、山東省栖霞県の太虚観から長駆(数千キロ)サマルカンドに赴き、道を説いたところ、ジンギスカンの支持を受け、モンゴル帝国内での全真道保護のオーソライズをもらった。

呂洞賓の評価は、金代末になって高まり始め、呂洞賓は全真道の開祖のひとりであったので、元代に入り呂洞賓神話が整理されていくとともに、この元朝の追い風の下で呂公祠の整備も進み、各地に呂公祠が増えていった。

芮(ぜい、くさかんむりに丙)城永楽鎮の永楽宮も元代(1262年)に再建され、廟名も大純陽万寿宮から永楽宮に改称された。

ここは、陜西省戸県の重陽宮、北京の白雲観と並ぶ全真三大祖庭とされていた。
(以上、参照:道教聖地/奈良行博/平河出版社)

もともと中国では、唐代までは外丹、つまりソーマ・ヨーガ主導であったが、その後は内丹、つまりクンダリーニ・ヨーガ主導となった。

そして歴代帝王晩年の最大の関心事は、不老長生、不老不死であった。だから、唐の太宗も胡僧の調合した長生薬を服用して中毒死。唐の武宗も宣宗も、丹薬の飲み過ぎで没した。

さて現代人の最大の関心事は、不老長生、不老不死などではない。もちろんロハスでもエコでもない。自分の利益、自分の儲け、自分のメリットを求めること・・・それは常に念頭にあるがおそらくそれは実現したい最大の願望というようなものではあるまい。

多分それは、「本当に生きたい」「本当に自分らしく生きたい」「本当の自分を生きたい」というようなものではないかと思う。

しかしそれを感じ取ることには、かそけき神経が要る、精妙な感受性が要る。

そこで初めてメディテーション(冥想)の登場となる。あらゆる外からの情報操作、洗脳そしてその反響としての自分の猥雑な心理状態、その無用な何重にもわたる内面のフィルターを取りのけて、自分の本当にやりたいことを透過、発見できるか。

クリアな解像度では見えなくとも、それが「本当に生きたい」という方向であることを直観できるかどうか。「本当に生きる」ためには、一日24時間のどこかに冥想タイムが必要となる。
そこに気づくかどうかが、時代の帰趨を分けるクリティカル・ポイントとなる。




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プロティノスのクンダリーニ上昇

2010-07-30 05:44:14 | クンダリーニ・ヨーガ
◎万有の内なる神的なもののもとへ上昇

ギリシャの哲人プロティノスの末期の場面。エウストキオスはプロティノスの弟子。

『さて彼がまさに逝去しようとして----エウストキオスがわれわれに語ったところによると----エウストキオスはプテオリに住んでいて、彼(プロティノス)のもとに到着するのが遅れたので、「君をまだ待っていたのだ」と彼は言って、それから「われわれの内にある神的なものを、万有の内なる神的なもののもとへ上昇(帰還)させるよう、今自分は努めているのだ」と言い、一匹の蛇が彼の横たわっていた寝台の下をくぐって壁にあいていた穴に姿を隠したときに息を引き取った。』
(プロティノス/中公クラシックスから引用)

享年66歳、プロティノスの死を看取ったのは、エウストキオスだけであった。

プロティノスの死に方は、横臥しながら、頭頂から出るという様子であって、釈迦の涅槃に似ている。それはまた最終段階ではアートマンがブラフマンに至るなるクンダリーニ上昇であって、それは彼の説明の「われわれの内にある神的なものを、万有の内なる神的なもののもとへ上昇(帰還)」でわかる。

プロティノスは肉体に再び帰還することはなかった。帰還しない往きかたを選んだわけである。

そして、わざわざエウストキオスにこれを見せるために、エウストキオスの到着を待って、クンダリーニの肉体からの脱出と万有への帰還を見せた。エウストキオスの眼力のほどはわからないが、クンダリーニを蛇と見たか、蛇と表現したかである。

このエピソードだけでも、プロティノスがただの哲人ではなく、手練れのクンダリーニ・ヨーギであることがわかる。




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漢字と神

2010-07-29 05:49:02 | 冥想アヴァンギャルド
◎神と漢字の出会い

白川静の神にまつわる漢字はこんな具合で紹介されている。(出所:呪の思想/白川静-梅原猛/平凡社)

1.神へ問う・・・・言
  言の下部の「口」は、神への申し文を入れる器。言の上部は、「辛」であり、神への誓いを破れば入れ墨の刑を受けてもいいという意。

2.神に捧げる・・・・可、歌
可は、木の枝で「口」(神への申し文を入れる器)を叩いて願事成就を強く祈る。
  歌は、可を上下に重ね、右のつくりの欠は、大きく口をあけた人。

3.神の訪れ・・・・曰
  言の字の下部の「口」の中に神意である横棒が一本入った象。 

4.神が答える・・・・音
  言の字の下部に、神意付きの「曰」が入った。神意は音で告げられる。

5.神の気配を感じとり、恍惚となる・・・・兌

6.神に祈る、強い呪力を持って祈る・・・・逞

7.神と出会う・・・・啓
  神の坐す戸棚を開く意。

いずれも神と人は別物である立場から見ており、「人が神になる」ってのはない。古代中国の呪術が、現世利益中心だったり、あるいは憑依・帰神を中心とした土俗シャーマニズムであったという証拠もなく、老子、孔子を出すだけの正統的な冥想技法の伝統があったはずだと思う。




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トリノの聖骸布など

2010-07-28 05:52:54 | キリスト者の秘蹟
◎聖遺物の真価

トリノの聖骸布は、十字架にかけられた人物の前後の痕跡が残っている如き布。炭素14年代測定法により、中世の製作と判定され、一旦はニセモノ呼ばわりされたが、その後炭素14年代測定法がかならずしも絶対ではないということになり、にせものとまではいえないというところに落ち着いている。この聖骸布で想定されるイエスの身長は178cmで年齢30歳ほどでセム系。しかし178cmというのは、イエスは小男だったという伝承とは異なる。

トリノの聖骸布以外に、似たような聖遺物がある。

そのひとつがアルジャントゥイユの長衣(チュニック=ゆるやかな貫頭衣)。
これは、イエスが十字架に釘付けされたとき、刑吏たちがイエスの衣服を分け合ったが、これをくじ引きにしたもの。これは後にコンスタンチノープルのイレネ女帝からカール大帝へと渡った。

さらにこの長衣は、1156年にアルジャントゥイユで発見され、ルイ12世、ルイ13世などと渡って、損傷が激しいものの、現代に伝わる。

もうひとつは、オビエドの汗ふき布。812年スペインのオビエドにエルサレムから84cm×53cmの血染めの布が到来した。これはイエスがイエスが十字架から降ろされた時にイエスの顔に当てられた布で、血液型はAB型。科学者がトリノ聖骸布と重ねたところ70か所の血痕が一致した由。

いろいろな学者がいろいろな調査を試みたり、提案したりしているが、ここまでDNA鑑定技術が進んだのであれば、さっさとDNA鑑定してみれば良いと思う。

その結果この3つのDNA鑑定の結果3者一致すれば、これらがイエスの聖遺物の可能性は高まる。そこで同じDNAでクローン・イエスを作ろうなどというのは、さも外人が考えそうなことである。肉体が同じでも中身が同じという保証はないので、そのことに意味があるとは思えないのだが。

これらが本物であれば、それに間違いなく聖者の持つ精妙なるバイブレーションというのはあるのだと思う。スティグマタまで造る純真なイエスの帰依者にとっては、このうえない崇拝の対象となることだろう。

しかしそうした気持ちのない科学者やマスコミがこうしたものを弄ぶのは、単に不敬なことであり、人間の進化、神人一如へ向かうロードマップという観点からは、何にもならないことであると思う。

かつまた、机上のマウス一つですら神の賜物であるから、その聖性において、聖遺物と何の異なるところもない・・・・という立場もある。

東洋でも聖遺物はないわけではなく、仏舎利などはその代表である。西洋みたいに聖者の肉体の一部をちょん切ってまで、取ろうとはしないところは違う。




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白川静の見た孔子

2010-07-27 05:57:19 | 冥想アヴァンギャルド
◎典型的クンダリーニ・ヨーギ

白川静の見た孔子は、こんな具合である。

1.孔子は葬儀屋だった。だから儀礼を重んじ、楽隊を用いる。
2.孔子が苦手としていた陽虎は、自分の教団を持っていた。だから孔子は陽虎のいた国を避けて、自分の教団を率いて移動を繰り返した。陽虎も孔子も新興宗教だった。
3.孔子は巫女の私生児で、髷も結わずざんばら髪で、集団で遊行する徒党のひとりだった。
4.孔子は雨乞いの呪術師であった。というのは儒教の儒の字は雨を求める人の意味だから。中国では古来、日照りが続くと巫女などを公開で焚殺した。その雨乞い儀式で殺される身分の人たちを儒という。

孔子は要するに拝み屋であって、葬祭業を主とした生業としている。ところが日照りになって稲の生育が危ぶまれると、雨乞いをするのだが、人身御供を出して焼き殺される卑しい種族に属していた。

孔子の母は巫女であって、父の名は叔梁紇(しゅくりょうこつ)として残ってはいるが、シングル・マザーとして孔子を生んだ。

呪術師一族であるから、坐法も知っているし、雨乞いをするのだから観想法も知っている。いつも死者を扱っているので、死の世界の何たるかについて、日常感覚で承知しており、死者のパイロット(水先案内)もやる。つまりはクンダリーニ・ヨーギとしての生長をしてきた。

論語周辺ばかり読むと怪力乱神これを語らずといい、オカルトとは無縁の人物に見えるが、もともと育った環境がスピリチュアルだったわけである。
孔子が晩年に易経の十翼を整理したのは、その一生の流れからすれば当然の流れだったのだろう。






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ファティマ第三の秘密

2010-07-26 05:39:24 | キリスト者の秘蹟
◎万人の見神

ファティマ第三の秘密については、『「ファティマ 第三の秘密」教皇庁教理省 カトリック中央協議会』のを以前読んだことがあった。こんどはバチカン・シークレットという本の中で改めて見ることになった。

内容全体としては、カトリックが歩む終末の運命全体を幻視したものであって、どの教皇がいつどのように亡くなって、教会組織がいつ壊滅するというようなことを描いた代物ではない。心理学者ユング流に言えば、カトリック信徒・教団の集合的的無意識を活写したというような感じ。

手に剣を持った天使とは、不動明王か仁王のよう。そして天使が語るのは、悔い改め。大本神諭でも改心、真のご改心などという。悔い改めとは、罪と汚れを自覚して祓うというよりは、悟りのことを悔い改めと言っているように思う。見神のことである。

そして剣を持つ天使が修祓を行い、聖母がそれを緩和するようとりなす。このバランスを見れる人はそうはいないと思う。

『十字架の二本の腕の下には、二人の天使がいて、それぞれ手にクリスタルのじょうろを持ち、その中に殉教者の血を集めて、神に近づこうとする魂に注いでいました。』
これは、密教などの潅頂で師が弟子に水を注ぐという儀式があるが、それと同様のことがここで幻視されている。真剣に修業していけば、自分の側からだけでなく、向こうの側からのサポートもあるものだということだと思う。

今見れば、歴代の法王が公開するほどの内容ではなかったということがわかる。ヨハネパウロ二世の銃撃事件をきっかけに、これが公開されたのは、時代の要請があったのだろうが、その後も時代に対する要請の内容、つまり万人の見神というのは、変化していないのではないか。


以下が、ファティマ第三の秘密。
『私がすでにお話したふたつの部分のあと、聖母さまの左側のやや高いところに、左手に火の剣を持った天使が見えました。剣はきらきらと輝き火を発していました。それはまるで世界を焼き尽くそうとしているようでした。

しかし聖母さまの右手から発するまばゆい光に触れると炎は消えました。天使は右手で地上をさし、大声で言いました。『悔い改めよ!悔い改めよ!悔い改めよ!』そして私たちは、神の大いなる光の中にそれを見たのです。(それはまるで鏡の中に通りすぎる人の姿が映るかのようでした)。

それは白い服を着た司教でした(私たちは教皇聖下だという気がしました)。ほかにも
大勢の司教、司祭、修道士、修道女がけわしい山をのぼっていました。山の頂上には、コルクガシのような樹皮のついた生木の幹でできた大きな十字架がありました。教皇聖下はそこに着く前に、ほとんど廃墟になった大きな都市を通りすぎました。教皇聖下は半ば震え、ふらつく足取りで、苦しみに打ちひしがれながら、途中で出会う死者の魂のために祈っていました。

そして山の頂上に着くと、大きな十字架の足元にひざまづき、兵士の一団に何度も銃で撃たれ、矢を射かけられて、殺されました。

同様にして、司教、司祭、修道士、修道女、さまざまな階級と社会階層の男女の一般信徒が殺されました。十字架の二本の腕の下には、二人の天使がいて、それぞれ手にクリスタルのじょうろを持ち、その中に殉教者の血を集めて、神に近づこうとする魂に注いでいました。
トゥイ 1944年1月3日』
(バチカン・シークレット/ベルナール・ルコント/河出書房新社から引用)




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臨済の大悟

2010-07-25 08:09:31 | 丹田禅(冥想法8)
◎余計なものはなかった(無多子)

兄弟子にあたる一番弟子(首座)が、若き臨済に「黄檗先生のところに来て何年になる」と問うた。すると臨済は「三年になります。」と答える。

首座が「三年経つのであれば、参禅はしたのか。」と更に問うと
臨済「まだ一度も参禅しておりません。何を訊いたらよいのかもわかりません。」
首座「ならば、そこでニルヴァーナ(仏法の大意)とは何のことですか、と言えばよい。」とのアドバイスを受けた。

そこで早速、臨済が参禅した。
臨済「仏法の大意とは、何のことでしょうか。」
すると黄檗は、間髪を入れずに黙って棒でしたたかに30発殴った。
晴天の霹靂ともいうべき展開に臨済は呆然として引き下がった。

いろいろと考えてみたが、昨日の出来事がまだ納得できないので、翌日臨済はまたも参禅した。
臨済「仏法の大意とは、何のことでしょうか。」
すると黄檗は、間髪を入れずに黙って棒で30発思いっきり殴った。
またも予想もしない展開に、臨済はなすすべなく引き下がった。

二度も何もアドバイスをもらえずに、ただ殴るとは、何か自分に落ち度があるのか、あるいは考えにくいことだが師匠がヘボなのかなどといろいろ思い悩みながら、悶々と一夜を過ごした。それでも三年も修業したし、3はラッキーナンバーだし、三度目の正直ということもあるし、ネバリとガンバリが肝心だから、師匠は根性をみたいと思っているかもしれないし、などと思い定めて、臨済は、翌朝三度目の参禅にチャレンジした。

臨済「仏法の大意とは、何のことでしょうか。」
すると黄檗は、間髪を入れずに黙って棒で30発痛打してきた。
またも想定外の展開に、臨済は唖然として退出した。


こんな具合では、この先黄檗の許に居ても見込みはないと、臨済は首座とも相談して、黄檗の許を去ることにし、黄檗に「お世話になりました」と挨拶をした。
黄檗は、それなら大愚和尚のところに行けとの指示をくれた。

さて、大愚和尚のところに着いて、臨済は、憤然として事情を説明するには、「黄檗和尚に参禅して、三度仏法の大意を問いましたが、何も教えてくれずに、三回とも棒で打たれました。合計90発もですよ。私に落ち度があるのかどうかもわかりません。」

すると大愚和尚は、「それは、単に黄檗和尚が親切なだけだ。黄檗和尚の方は、お前さんを悟らせようとして困りきっているのに、こんな遠方まで来て落ち度があるかないかなどと問うのか。」

ここで、臨済は大悟した。「なんだ黄檗の仏法には余計なものはなかった(無多子)。」

すると大愚和尚は、「この小便たれが。ここまで来て落ち度の有る無しを語ったくせに、こんどは黄檗の仏法には余計なものはなかった(無多子)と言うけれど、それは一体何のことかすぐ言って見ろ。」

すると臨済は、大愚和尚の脇腹に強烈なフックを三発お見舞いしてこれに応えた。

大愚和尚は息を乱し、そのダメージをこらえながら、「ううっ、お前の師匠の黄檗のことでは、私はもうやることはないようだ。」


悟ってなければ、何を語ろうが、何を理解しようが、どう説明しようがダメなものはダメ。
そこで言辞、論戦でなく、K1ばりの打撃戦が展開されるのが伝統のルールというべきものなのだと思う。勿論打撃バトルが問題になるわけではない。




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猫の生贄

2010-07-24 06:33:46 | 時代のおわり
◎アポロン信仰の対極

生贄は、何かの見返りを期待して行うものである。

イングランドでは、ごく最近まで告解の三が日に猫を打って殺すという慣習があったそうな。

『特に西部のシュロッブシャーのアルブライトンという村では、非常にポピュラーな行事だったようで旅館の看板にはこんな詩が掲げられていた。

太陽の下の最高の娯楽
それはアルブライトンで猫を鞭打つこと

この野蛮な儀式は、明らかにギリシャ・ローマの太陽神アポロン信仰の名残である。場所によっては、猫の代わりに太陽神のシンボルである雄鳥(または雌鳥)を使っていた。


この場にいるわれわれは
アポロンの告解の日を厳粛に祝い
われわれの言葉とペンで貴方を迎え
われわれの告解に雌鳥を捧げる
(W.ホーキンズ)

鶏は猫と同じようにたたき殺されたあと、人々の胃袋に収まった。』
(猫と魔術と神話辞典/M・オールドフィールド・ハウイ/柏書房から引用)

これはアポロン信仰自体の持つ闇・死に対する対処の不足・欠落を、死の世界のシンボルである猫(鶏)をたたき殺すことによって、その心理的、集合的無意識的な弱点あるいはアポロン型社会の持つ歪みを克服しようとするセレモニーであるといえよう。

つまりアポロン信仰の社会を継続していくには、こうした大きな意味でのガス抜き機構、社会・大衆心理のバランサーとして祭礼が必ず必要なものであり、たまたまイングランドでは、猫を生贄としてずっとやってきたということなのだと思う。

そしてまた日本も含めた近代西欧文明自体がアポロン型なので、それが発生させる澱を浄化する手段を社会は定期的に必要とするもの。70年代の学生運動以降は、明示的にそうしたもの解消するものがなくなったので、その矛盾は集団活動の形ではなく、個人の内部に沈潜し、うつや家庭内不和、人間関係の不調などに噴出しているように思う。


猫は単なるペットに留まるものではない。そして、猫ほどその正体がわかりにくいものはない。その正体を見ぬくには相当の高みに行かなければならないようで、猫の全体像についての叙述はまず断片的なもにとどまっている。

出口王仁三郎は「猫は魔の王」と喝破したが、その傍証は極めて少ない。ズバリと断定できる体系的網羅的な材料が少ないのだ。




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暑さに弱い

2010-07-23 05:54:26 | 時代のおわり
◎対策は早いほどよい

私は暑さに弱い。

私は文弱の徒であり、スポーツもあまりしなかったし、学生の時に東京に出てきて、冷房のない部屋に下宿して、もっとも当時は冷房のある部屋に住んでいる学生は極めて稀だったけれど、夏になると一日暑気に当たって夕方になるとすっかり食欲もなくなり、元気もなくなるというような日を繰り返していたものだった。

そうして就職してからは、これまた冷房のない寮と冷房のガンガン効いた職場の往復をすることになった。冷房の入り始めの1カ月はいわゆる冷房病に悩み、帰宅してからは、冷房のない夜を、暑さを紛らす方法もなく、汗まみれになりながら輾転反則して朝を迎えたものだった。

佐保田鶴治のヨーガ本に「涼しくなる呼吸法」みたいなのがあったが、効果がなく、その後まじめに試したことはない。若い頃は、毎度21時頃まで残業していたので、帰宅してからは、寝るまでの短時間には、涼しくなることよりも、坐ることによって鎮静→リラックス→疲労回復の方が急務だった。ただ当時から夜はあまり坐れず、朝は毎日坐るという生活リズムではある。

そして今の職場は、エコ対応で28度に冷房は制限されているが、実際の室内の気温は29度と30度の間を行き来している。おまけに更にエコ対応と経費節減で18時には冷房は切られ、その後の残業は暑気払い?我慢比べレースへと変貌する。

よって自宅では、早朝以外は夜中も冷房とはいうものの、朝から29度の職場では、冷茶、ポカリスエットの体内冷却効果にも限界があり、午前中はなんとかもつが、午後は思考力、気力著しく低下し、春秋冬と比べると労働効率は著しくダウンし、おまけに夕方頃からドライ・アイも重なり、パソコンを見る目もショボつくという体たらく。

このように困り果て、何とかならないかということでいろいろ調べたら、「ひんやりタオル」「クールビットタオル」の首筋を冷やすのとか、ゴルフウェアのツアーステージの首筋と背骨を冷やすのが良いようだということがわかった。

いずれも冷却原理は、水の気化熱で冷やすもの。そこで早速水を浸したハンカチを折り畳み一日首の後ろに当て続けたら、いつも季節のように気力、洞察力、展開力が回復したのには非常に驚かされた。水徳畏るべし。夏場のエコは気力が要るので丹田力の鍛練になるということで頑張るだけが能ではないってことですね。

ちなみにタオル地に水を含ませると17度が数時間継続(温度は外気温によるのだろうが)し、かつタオル地から水がもれないというクールコンフォート・テクノロジータオル(首に巻くタイプ)を注文しました。

これは暑さのことだが、これに限らず悪い環境に対しては、「意識が高い人」だけが対応してくる。オフィスで「ひんやりタオル」は、そうした「意識が高い人」だけにニーズがあったという。

メディテーションもそうした「意識が高い人」だけのものなのだろうが、対策は早いほどよいということを痛感した。




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生命が本来実質的に要求しているもの

2010-07-22 05:48:02 | 老子
◎老子第12章 五色

『美しい色彩は人の目をして盲にしてしまう。美しい音楽は、人の耳をつんぼにし、聞くべき音を聞かせなくしてしまう。美味は、人の味覚を損ない、正しい味を味わう力を損ねる。狩猟は、面白いが正業を忘れさせてしまう。金銀珠玉は、人に清廉を守れないようにさせる。

この故に聖人は、生命が本来実質的に要求しているものを充たしめて、そういう感覚的欲望の上に生活を持たない。従って聖人は、感覚的なものを求めることを去って、無為に従って我が本来の要求に誠実に生きる。』

感覚的な生活とは、現代の社会的常識をわきまえた人の生活のことである。
ここでいう『感覚的なものを求めることを去って、無為に従って我が本来の要求に誠実に生きる。』とは、般若心経にある『無眼耳鼻舌身意』に近いが、感覚自体を否定している訳ではない。感覚的な快楽の否定は通常の人間的感覚の中にはないので、特殊な立場が必要であることがわかる。その立場が無為である。




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藍采和

2010-07-21 06:01:51 | 道教
◎古人は混混、今人は紛紛

藍采和は唐末から五代にかけての人物。

いつも藍色の長衣を着て、幅三寸の帯を巻き、片足にしか靴をはかず、夏は破れた綿入れを着て、冬は雪の上で眠っても全身から湯気が立っていた。

『いつも城内に物乞いに出かけ長さ三尺の板(拍子木)を鳴らして、
「歌いながら踊る、藍采和、世界にどれだけの価値がある。紅顔は一春の樹、流光は一擲の梭(さ)、古人は混混として去りて返らず、今人は紛紛として来たりて更に多し・・・・」と歌いながら物乞いしていた。歌には仙意がたっぷりと盛り込まれているが、口から出まかせに歌っているだけであった。

それでも老若男女を問わず惹き付けられ、ずっと藍采和について歩くとともに、多額のお布施をした。藍采和は集まった銅貨を縄に通して背中にぶら下げていたが、縄が切れて銅貨が散らばってもまったく意に介さなかった。
もらった銅貨を貧しい人やいつも通っている店に贈ったりしながらあちこち放浪したが、どんなに年月がたっても少しも老いることがなかった。』
(道教故事物語/褚亜丁・楊麗編/青土社から引用)

この後、藍采和は、酒屋で酒を飲んでいるときに、空からやってきた仙鶴に乗って白日昇天する。

雪の上で眠っても身体から湯気が出るのは、河口慧海のヒマラヤの峠越えと同じだが、冥想により内分泌腺を活発化させることでできるものであって、坐り慣れた人の業である。

歌を歌いながら無常を説き、貧窮も気にせず、金銭に恬淡としているのは一休宗純を思わせる。昔はこんな人を単に狂人と思っただけで済ませられたが、いまは一個の成道者としてリスペクトすると同時に、そんな人に出会うことを、この世のドラマを見切って藍采和と同じ世界から生きるきっかけとしなければならないと思う。




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程偉の妻の錬金術

2010-07-20 04:56:22 | 錬金術
◎徳が足りない

漢の期門郎という役職にあった程偉は、もともと錬金術に関心をもっていたが、方術に優れた人の娘を妻にもらった。

『程偉は、ひまをみては、秘伝の本を参考にしながら金を作ろうとしていたがどうしてもできない。妻がのぞいてみると、竹筒の中に水銀をいれて炭火にかけ、一心にあおいでいる。「ちょっとわたくしがやってみましょう」といいながら、もっていたふくろのなかから、ひとつまみの薬をだして、竹筒のなかにいれた。

しばらくたってあけてみるとができていた。程偉はびっくりして、「なんだお前は知っていたのか。そんならなぜもっと早く教えてくれないんだ」とせめた。

妻は、「あなたにはそれだけの徳がないんだわ」と気の毒そうにいうだけだった。

それからというものは、毎日毎晩教えてくれとせがみはては持っていた田や畠から宅地まで売って、その金でご馳走したり、きれいな着物をつくってやったりしてごきげんをとったけれども、妻はどうしても教えない。業をにやしたかれは、とうとう仲間と相談して妻をなぐりつけていうことをきかせようとたくらんだ。

これを知った妻は、「道の奥義というものは、伝えるにふさわしい人でなければ伝えられないのです。ふさわしい人だったら、ゆきずりの人にでも伝えます。けれどもふさわしくもない上に、口でよいといい、心で悪いと思うような人には、たとえ一寸きざみ五分きざみにされても伝授することはできません」という。

それでもなお、かれがしつこくせまるので、妻はとうとう発狂して、はだかになってかけだし、泥を身体にぬりつけて死んでしまった。』
(道教百話/窪徳忠/講談社学術文庫から引用)

まったく西洋の錬金術と同じように、水銀に薬(賢者の石)を入れたら金ができた。そしてその技法は、伝える資格のある正しい人、準備のできた人ではないと伝えられないというところまで同じ。改めて思うが、どうして洋の東西でまったく似たような話が謎として千年以上も伝承されてしまうのだろうか。

昨今のアセンションの諸説でも、アセンションできる人とできない人がもともとあるという話が前面に出ないのはどういうことだろうか。アセンションを商売にしようとする輩のせいだけだろうか。黄金をたやすく手に入れるのとたやすくアセンションができるというのは、似た響きがある。

そいつを成し遂げるには、徳を積むなど、日々の地味で真剣な努力が要るはずなのだが。




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岡田茂吉の鎮魂帰神

2010-07-19 07:30:59 | 古神道の手振り
◎万有の霊体を浄める

岡田茂吉は世界救世教の創始者。岡田茂吉は出口王仁三郎の弟子なので、古神道系である。

彼の窮極の体験は帰神である。大正15年の暮れから数ヶ月にわたり、さる高貴な神が岡田茂吉に懸かり、岡田茂吉が帰神状態となって口述する内容を夫人が筆記した。その内容は、本人の理解の及ばぬものであったということから、帰神における依代は懸かった神の語る内容を記憶していないし、またしばしば理解もできないという帰神状態の典型パターンであることがわかる。

口述筆記の内容はその後の官憲対策など(大本教の関係者として官憲に牽制された)から、現存していないとのことだが、原始時代から日本の創世記、満州事変や太平洋戦争、皇室の運命、未来の人類に至るまで広汎に及ぶものであったという。

岡田茂吉は、昭和9年の大本から分離独立した頃以前は、浄霊のことを鎮魂と呼んでいて、「一二三四五六七八九・・・」の天の数歌を三回口の中で唱えて祈り、空中に指で「この中浄(きよ)まれ」と書いたり、相手が頭痛で苦しんだりしている場合は、「この者の頭の痛み去れ」などとやったりしていた。今の浄霊法と当時のは異なるようだが、もともと浄霊とは、大本の鎮魂の延長線上にあったもの。

出口王仁三郎は、大正末年頃までに教団としては帰神をやめる方針を採ったが、そのテクノロジーは岡田茂吉に継承されていったとも言える。

岡田茂吉の浄霊といえば、超能力を駆使した病気治しばかりが喧伝される。けれども、人間として暮らしている以上は、汚れない精神の部分だけで暮らせるわけではなく、肉体・物質の部分を使うわけだから、時間の経過とともに澱、穢れがどうしても溜まるもの。それを体操や祈りや祝詞やオームなどのマントラなどのバイブレーションによって適宜クリーニング・調整していく必要は万人にあるものだ。
そして、自分だけの手におえない場合は、他者の手を借りる場合もあるのだろうから、それが浄霊。

岡田茂吉は、腹中の巨大な玉をもって自ら万有の霊体を浄める一方で、万人に浄霊法を広めることで、古神道の鎮魂のノウハウの一部を公開した。

しかし言霊のノウハウは、極く限られた人にしか伝えていないそうだから、どう思ったのだろうか。やはり粗雑バイブレーション全盛の現代にはまだ言霊コントロールは充分に機能しないと見たのだろうか。




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OSHOのヴィパッサナー-4

2010-07-18 07:26:46 | 冥想アヴァンギャルド
◎取扱注意が必要な呼吸覚醒

ダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の呼吸法の分類は3種類であって、(1)基本呼吸法(2)完全呼吸法(丹田呼吸法)(3)片鼻呼吸法を挙げている。もう二つ挙げるとすれば呼吸が無いようなのと、呼吸を意識しない=自然に任せるのがある。

これらは肉体レベルの呼吸のことだが、エーテル体レベルの気・プラーナの呼吸のことを言う場合もある。勿論肉体レベルの呼吸であっても、気・プラーナの呼吸が伴っていないことはないのだろうから、肉体レベルの呼吸とエーテル体レベルの呼吸を別のものとすることに意味があるかどうかは疑問である。

さてヴィパッサナーの中心技法である呼吸を見守るという技については、ダンテス・ダイジは呼吸法としては挙げていない。ダンテス・ダイジは冥想の前段階の下ごしらえとして呼吸法を挙げているのであって、本番としての呼吸を見守る技についてはその著書では触れていない。
ダンテス・ダイジが呼吸覚醒をメインの冥想法として挙げていないことには、帰神(神降ろし、憑依)をメインの冥想法として挙げていないことと同様のある種の意図を感じさせられる。つまりこの2種は現代人にはフィットしない冥想なのではないかということである。

現代人にフィットしない冥想法として、他に積善陰徳のカルマ・ヨーガや、バクティ・ヨーガもあるのだろうと思うが、これは迂遠であるというような特性があるためではないか。

迂遠と言っても、スピーディなのは、只管打坐だけであって、ハタ・ヨーガもクンダリーニ・ヨーガも迂遠だから、只管打坐以外は、皆迂遠とも言えるように思う。ただし窮極に至る手法としては、迂遠なのも否定されることはない。個人のキャラクターに応じて古いのが最適の場合があるだろうし。

一方OSHOバグワンは、ヴィパッサナーの第一の方法は、醒めていること、意識化。第二の方法は腹式呼吸。第三の方法は呼吸を見守るとして、3種合わせてヴィパッサナーという位置づけである。

ところがOSHOバグワンには、他にも呼吸覚醒への言及がある。
『あるいは、息がすべて出終わり、ひとりでに止まるとき
あるいは、息がすべて入り終わり、止まるとき
そのような全休止において、人の小さな自己は消え去る。
これが難しいのは不純な者のみ。』
(内なる宇宙の発見/OSHO/市民出版社から引用)
というようなのだが、

ここには「鼻孔で息を見つめよ」のビの字もない。これこそ呼吸覚醒・ヴィパッサナーの根幹部分なのだろうが、呼吸覚醒法修業の特徴、メリット、デメリット、必要な準備についてなどの説明がほとんどない。ここにOSHOバグワンは、呼吸覚醒を推そうということではなく、様々な冥想手法の品揃えのひとつとして呼吸覚醒を紹介するに止めたのではないかという雰囲気が感じられる。


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OSHOのヴィパッサナー-3

2010-07-17 06:28:06 | 冥想アヴァンギャルド
◎入息出息を鼻の先で見守る

OSHOのヴィパッサナーの三通りある方法の第三番目。

『そして第三の方法は、息があなたの鼻孔から入ってゆくとき、その入口で息に気づいていることだ。鼻の先端で感じるのだ。腹の対極で、鼻で、息を感じなさい。入っていく息は、鼻孔に一定の冷たさを感じさせる。それから、息が出てゆく・・・・・息が入る、息が出てゆく。これでもよい。

これは女性よりも男性にとって容易だ。女性はどちらかという腹を意識している。ほとんどの男性は腹まで呼吸することすらない。彼らは胸を上下させる。というのも、間違った体操が世界中に広まっているからだ。たしかに胸が熱く、腹がへこんでいれば、肉体はより美しく見える。男性は胸でしか呼吸しないため、胸はさらに大きくなり、腹は引き締まる。そのほうが彼をスポーツマンらしくみせる。

日本を除いた世界中のどこでも、すべての運動選手とその指導者たちは胸式呼吸に力点を置くため、胸を広げて腹を引き締めようとする。彼らの理想は、胸が大きく腹の小さなライオンだ。ライオンのようであれ---というのが体操選手や肉体に働きかけている人々の規範となった。日本は「広い胸、引き締まった腹」に注意を払わない唯一の例外だ。

腹を引き締めるには特殊な訓練がいる。だがそれは自然ではない。
日本は自然な道を選んだ。だから日本の仏陀の像を見れば驚くだろう。それこそ仏像がインドのか、日本のかを即座に識別できる方法だ。インドのゴータマ・ブッダ像は、まさに運動選手のような肉体をしている。胸はとても広く、腹は小さく引き締まっている。だが日本の仏陀はまったく別だ。彼の胸はほとんど沈黙している。なぜなら、彼は腹から呼吸しているからだ。だから腹のほうが大きい。みかけはそれほど良くない。というのも、世界に広まっているこの考え方は非常に古いものだからだ。だが複式呼吸のほうがより自然でくつろいでいる。

夜眠っているときには、胸でなく腹で呼吸している。だから夜とはそれほどにもくつろいだ体験なのだ。眠りの後、朝には、とても新鮮で若々しく感じる。というのも一晩中、自然に呼吸していたからだ・・・・あなたは日本にいたのだ!

これが二つのポイントだ。腹式呼吸、息の出入りへの注意が体操選手のような見かけを破壊すると恐れるなら・・・・・・・人々は体操選手のような見かけのほうに関心があるのかもしれない。それなら彼らにとっては、息の入る鼻孔のあたりで見守る方が容易だ。見守りなさい。そして息が出る時にも見守りなさい。』
(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社から引用)


第三の方法は鼻孔のあたりで入息を見守って、また鼻孔のあたりで出息を見守りなさいというものだが、この文章の大半は、第二の方法である腹式呼吸の説明に費やされている。逆に第三の呼吸を見守る方法についてはほとんど説明がない。これで第三の方法のコツも効果もわからないままになっている。第三の方法こそ釈迦の覚醒メソッドのはずだが、ここでもその秘密が明かされることはなかったわけだ。

第二の方法の説明だが、呼吸において「女性はどちらかという腹を意識している」とは、女性は生まれながらに腹ができている、つまりスワジスターナ・チャクラが使えていることを意識しているのだと思う。オバサン・パワーとはスワジスターナ・チャクラの働きなり。

第一の方法は、醒めていること、意識化。第二の方法は腹式呼吸。第三の方法は呼吸を見守る。OSHOは三種同時にやってもよいというが、同時にやることに殊更にこだわることはないのではないか。

第一の方法は、最後には眠っている間も醒めているという、ヨーガで一つの到達点とされる境地を意識した奥深いものである。
第二の方法の腹式呼吸も、最後にスワジスターナ・チャクラの開顕となれば、大安心という一つの到達点がある。
第三の呼吸を見守るのも「呼吸による覚醒」という、そのものズバリのメソッドではある。

どの方法も窮極へのメソッドだが、このように説明が途中でそれまくるのが、OSHOバグワンの特徴なのだが、「禅」、「禅」と語るわりに、その教えがわかりにくいのは、話題が飛びまくることが、必要以上にいろいろな誤解を生んでいるせいもあるのだと思う。人はどちらでもとれる話を自分の都合のよい方に解釈しがちなものだ。



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