アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

あるが如くにしてなく、なきが如くにしてある

2010-06-30 04:04:28 | 老子
◎老子第14章 視之不見

を視ても見えず、名付けてありと見えないものと曰う。道を聴けども聞こえず、これを聞こえないと曰う。これを搏(とら)へてもとらえ得ず、至って細かなものと曰う。ここの三つははっきりとこれを問い詰めつかむことができない(感覚的な存在ではない)。これらは一緒になって一つのものになっている。

その道の上になったからといってあきらかではなく、その下になったからといって昧(くら)くはない。道はずっと昔から縄のように、ものをあらわしあらわし続いてきており、名付けることのできないものである。しかもそれはまた物のない無の彼方へ帰っている。これありさまのないありさま、姿のない姿という。

これをあるが如くにしてなく、なきが如くにしてあるものと謂う。 これを迎えてもその首を見ない、これに従ってもその後ろを見ない。古の道(道が既に現れた姿)をとって今の有、そのあらわれてゆく姿を全体的に理解すれば、初めてよくこの世界の始めを知ることができる。』

道の説明である。もとより言葉で表現できないものを言葉で表現する。だからその言葉でもって想像をめぐらしても、その知的イメージが迫真のものとなるかどうかはわからない。
『あるが如くにしてなく、なきが如くにしてある』の感覚の主体は『』にあるのだろうが、それは日常感覚のものではないだろう。

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占い者 佐藤六龍氏

2010-06-29 05:19:42 | 占星術  (冥想法6)
◎中国占術の歴史的役割の終焉

佐藤六龍さんの東洋占術の本は20冊以上は持っていたし、それなりに熟読した。そして最近講談社新書から「「占い」は信じるな」という本を出版された。
何をいまさら、何をかいわんや。

中国占星学(四柱推命、紫薇斗数)や手相や人相などの相学の根本は富貴という現世利益にあるので、心の満足なんていう無形のものは相手にしない。だからたとえば若い女性が、ドメスティック・バイオレンスのオカマと結婚した。けれどもそのオカマは大金持ちなので、占い的には巨富を得たということで大吉で出る。よってその女性は、中国占星学的には幸福だと出る。

佐藤六龍さんは中国占星学はそういうものだと説明するそうだが、「結婚生活での幸福」という視点が欠落していることに多くの人は面くらうことだろう。

その他でどうかと思うことは、彼は占いは当たらないことを前提として考えていることである。日露戦争でのバルチック艦隊の進路予想や中国人民解放軍のチベット侵攻前夜のチベットの神託僧ネーチュンの神託ではないが、将来の予想が一国の命運を左右するような占いでは、占いや神託は当たることを前提に見るものだと思っている。その意味でも、腰の入っていないことだと思ってしまう。

彼がそう思うに至ったのは、100%当てる占い者に出会わなかったということも証拠に挙げている。神に出会わなかった、神に出会うほどの情熱がなかったということだろうか。

中国では占い系は五術で山医命卜相というが、どの分野からも一歩進めば、肝心の部分は文章には書けない、文章では残せない、口伝も残っていない(老子にも口伝などというものはなし)ということに突き当たる。最終ステージは書物でも師匠の指導でもどうしようもなく、自分でなんとかするのだ。

四柱推命などの占いの体系はもともとクンダリーニ・ヨーガから来ているのだろうから、もともとそれなりに正統で「当たるはず」であって、彼のいうように単に「当たらない」占い技法を何千年も伝承してきたわけではあるまい。それは錬金術書どおり材料を調合しても鉛が黄金に変化しないのにも似ている。

ただ富貴=富裕・高貴が、人生や社会のもう半分の価値(もう半分は精神的なもの)である時代は既に終ろうとしているのだから、そうした中国五術もその歴史的役割を終えようとしているのだなあと思う。




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アの言霊

2010-06-28 05:41:03 | 古神道の手振り
◎精妙なニュアンスを区別する感覚

それぞれの言霊には体と用がそれぞれあり、まず原則として

1.体
一は火にして |は水なり

2.用
|は火にして 一は水なり

と体と用で火と水が入れ替わる。

そして75声それぞれに体と用がある。

アの言霊
1.体
空中の水霊なり、無にして有なり。75連の総名である。天であり、海であり、吾であり、自然であり、◎である。

2.用
易経の爻辞のように12支で12段階の変化を示す
(1)午七
顕れ出る言霊である
(2)子一
  隠れ入る意味なり、夜なり
(3)丑二
 皆これ、おさまるなり。

(4)寅三
  陽熱備(あつくまる)なり、ホーリマルなり
(5)卯四
光線の力を顕すなり、眼に留まるなり

(6)辰五
円象入眼なり
(7)巳六
  画なり、世の司なり、大物主なり

(8)未八
  御中主なり、地珠なり

(9)申九
大本初頭なり
(10)酉十
全体成就現在なり
(11)戌十一
(12)亥十二
一切含蔵なり

○1.顕の形なり、近く見るなり
○2.名の魂なり
○3.スの本質なり、心の魂なり
△1.大母公なり、あまねく、仁慈なり
△2.その方面を見るなり、低く居るなり、幽の形なり、遠く達すなり。
(以上出典:雑誌神霊界/出口王仁三郎)

このような具合でたかが「ア」の字ひとつでも、「用」の方の説明は子細にわたっている。中にはホーリマルなどという意味不明な言葉もある。

これを学校の学問みたいにマル暗記しても何も起きないのであって、然るべき冥想修業を経て、悪用しない状態に至り、そこで不壊なるイデアとして言霊75声が向こうからやってきて、始めて活用可能となる・・・というような代物なのだろうと思う。

言葉のソムリエということではないが、まずはこうした精妙なニュアンスを区別できる感覚を持ち得なければ、先には進んでいかないということ。




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カルマパ17世の脱出

2010-06-27 07:46:22 | 密教
◎真冬の標高5416メートルの峠越え

1999年12月28日ラサ郊外のツルプ寺の4階にいた14歳のカルマパ17世は、汚れた中国人の服装に着替え、三階の屋根に滑り降り、24歳の姉と侍従をひきつれて、三菱自動車製の四輪駆動車で、検問所を迂回しながら、昼夜兼行で、ヒマラヤ北麓までの1400キロを走破した。

中国の追手がかかる中、車を捨ててから、真南のカリ・ガンダキ川渓谷へ12時間歩き続け、西チベットのムスタンを目指し、そこから標高5416メートル、零下25度のトルン峠に挑んだ。ヨーロッパ・アルプスの北壁で有名なアイガーでも標高3975メートルしかないので、足に凍傷は負ったものの、軽装備でこの峠を生きて越えられたのは奇跡的とされる。

1月2日カルマパ17世一行は標高3535メートルのある村に到着。翌日ヘリコプターで拾われ、車に乗り換えてネパール・インド国境を越えて、2月5日ダラムサラに到着した。
(出典:ダライ・ラマ その知られざる真実/ジル・ヴァン・グラスドルフ/河出書房新社)

カルマパ17世は、圧政の中国支配のチベットを脱出して、自由の国インドにあったダライラマが迎えてくれた。
一方この近代西欧文明の終焉から脱出する先がモンゴルになるってのは、やはり今の文明はほとんど残らないことを意味しているのだろうか。

切羽詰まって行く先はモンゴルだけではないと思うが、モンゴルだって仏教壊滅して70年。なんでまたわざわざそんな場所に・・・というのが正直なところでもある。




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言霊の基本

2010-06-26 07:28:14 | 古神道の手振り
◎息から声へそしてシンボル

出口王仁三郎の言霊の説明では、

1.天地創造の時に一つの凝りがあった。
2.その凝りが火水の二つに別れて、火が父で水が母。
3.父の火霊と母の水霊が合体して、また一つの凝りを発生させる。

4.その凝りの重く濁ったのは形体となって、軽く澄んだのは息となって、その息が母体を出て高く現れたのを声という。
5.その声の75連であるものが言霊である。
6.その言葉には恩寵(幸と助け)があって、火水もあって、この結合により詞となる。

7.詞には、声だけがあって、形象がないので、眼に見えない。
  そこでその声を眼に見えるようにするものはカタカナである。

8.そのカタカナでもって、50音の10行と、濁音、半濁音の25連の5行を表現することで、火水の言々を与(く)み(結合の意)開き、体用、軽重、清濁などの法則をもって、詞の根本を明かにする。
9.そして天地の水火と人間の水火と同一であることを知って、国家を治める大本は自分の呼吸の息にあることを知る。
つまり、博く天地の真理を知り、神の御経綸を究めようとしたいならば、まずは自分の水火を知ることが始め。
古事記神代の巻とは、火水与(かみよ)の巻。

10.天地の水火を結合させて万物を生じ、人間の水火を結合させて、ものを言うことを知らなければならない。
11.天地の間に肉眼をもって見ることのできない火水がある。これを火水(かみ)という。
12.神と唱えるのは体であって、水火と唱えるのは用である。
13.故に陰陽(いき)と陰陽とを結合させて万物を産むのである。

14.人の胎内に火水あり、これを霊水火(たましひ)といい、また息ともいう。
霊水火(たましひ)と唱えるのは体であって、息と唱えるのは用である。だから息と息とを合わせて物を言い、気と気を合わせて人を生む。
(以上参考:雑誌神霊界/出口王仁三郎)

いまさらながら、声の限りに浦和レッズや日本代表を応援しても、浦和レッズや日本代表が毎度勝利を収めるわけではない。その応援の声は、即効性の高い言霊ではない。だから言霊とは、アオウエイのヴォイス・トレーニングではなく、また発声練習とは基本的に無縁のものなのだと思う。極めて精妙なる、万物をクリエイトしたり、トランスフォームしたりするレベルのもの。

声と詞とは、音とシンボル。万物は、名前という音とシンボルによって構成されていることを知れば、自分の呼吸(息)の一部が声であるから、自分の呼吸を治めれば、世界を治めることができるとは、ヴィパッサナーに似ている。ただし出口王仁三郎は、ヴィパッサナーの呼吸を見つめるという手法は採らなかったようだ。

そして息の母体を離れ高く昇ったものが言霊という音。これが基本ポイント。息の一部が言霊なのである。音だけで足りそうなところをカタカナというシンボルを造ったところに更に秘密がありそうである。




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言霊の妙用

2010-06-25 04:39:08 | クンダリーニ・ヨーガ
◎精妙なる感覚

クンダリーニ・ヨーギは、世界を変成する代表的な手法として言霊を用いる。

『神は万物の言霊にして、言霊なり、道(ことば)なり。宇宙に充ち満つるを以てミチ(道)とも謂ふ。

人は天地経綸の主宰者として生を享けたるものなり。

故に言霊の妙用を解してこれを実地に応用する時は、天地万物を自在に動かすことを得べく、地震、風雨、雷電を駆使する如きは実に易々たる業なり。』
(雑誌神霊界/出口王仁三郎から引用)

として、アオウエイ以下75声の解説を行っている。日本語の声は正音であるからこれを駆使し得るが、外国語は正音でないから、外国人は言霊の妙用はできないとしている。はたして、西洋錬金術師や中国錬金術には、言霊の妙用に類似したのは、とりあえず見かけはないようではあるが、ないはずがない。

『はじめに言葉ありき』で言葉=言霊は、旧約聖書でも同じ。精妙な技術であればあるほど、その舞台となる存在レベルは門外漢の想像できるレベルではない。

龍樹は、隠身(身体が見えなくなる)の青薬を師匠からもらって、その香気を嗅ぎわけることによって70種の成分から成ることを指摘したが、そうしたレベルの繊細さについて来れるくらいでないと、ものにはなりはすまいということだと思う。




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乾いた道と湿った道

2010-06-24 05:26:33 | 錬金術
◎只管打坐とクンダリーニ・ヨーガ

パリ大聖堂の南入口には、「聖女アンナの入り口」と呼ばれる開かずの扉があるという。錬金術師フルカネリは、これぞ智者だけのための「卑俗ならざる道」であるとする。
「卑俗ならざる道」には、一つは短く簡単な「乾いた道」ともう一つは長く困難な「湿った道」があるという。

『一つは短く簡単な「乾いた道」、もう一つは長く困難な「湿った道」この二つの道が存在しえることを認めた錬金術師はほとんどいない。事実、著述家の多くは、単に短い方の手法を知らなかっただけなのか、あるいはその原理を教えるよりは沈黙を守ることの方をよしとしたのかして、結局長い方の手法しか論じていない。

ペルヌティは二つの方法が存在することを否定する。それとは対照的にフギヌス・ア・バルマは、ゲーベルやルルスやパラケルススなどの老大家たちはそれぞれ独自の技法に従っていたのだと断言する。科学的にいえば、湿った道のかわりに乾いた反応を用いる別の手法がおなじ結果をもたらすことは十分にありえる。ヘルメス学的には、われわれの目の前にあるこの図像が一つの証拠である。

十八世紀の百科事典には、大作業が、「湿った道」とよばれる時間を要するが尊重される手法と「乾いた道」とよばれるほとんど評価されない手法のいずれによっても完成されうると記されており、これまた証拠のひとつである。「乾いた道」においては、「哲学者の水銀たる「天上の塩」を地上的な金属体とともに直火にかけた坩堝の中で四日間焼灼しなくてはならない」と説明されている。

バシリウス・ヴァレンティヌスの作とされる書物-むしろセニオル・ザディトの作と思われるがそれはともかく-の第二部には「この術に達するためには辛い労働も甚大なしゅっ火も高価な機器も不要である。この術は半日で十分習得でき、適切な原質があれば八日で完全化に達するからである」とあり、この著述家が「乾いた道」を念頭に置いていたらしいことがわかる。

フィラレテスは『入門』の第十九章で、「長い道」が面倒で裕福な者たちにしか向かないことを論じたあと、「しかし『われわれの道』によれば一週間もあれば十分である。神はこの数少ない容易な道を蔑まれた貧しい者たちや卑しい境遇に暮らす聖なる者たちのために取りよけておかれたのである」と述べている。
さらにラングレ・デュフレノワは、フィラテスのこの章につけた註で、「この道は『哲学の二重水銀』によって展開し、最初の道なら一年半を要するはずの作業を一週間で完成する」と述べている。

賢者たちは、この短くはあるが厚い覆いで隠された道を「サトゥルヌスの過程」と呼ぶ。この作業の焼成には高価なガラス容器のかわりに簡素な坩堝があればよい。
(中略)

錬金術におけるある本質的格言「容器はひとつ、原料はひとつ、炉はひとつ」はかように説明されうるのである。』
(大聖堂の秘密/フルカネリ/国書刊行会から引用)

端的な印象を申せば、一つは短く簡単な「乾いた道」とは、只管打坐のことであり、長く困難な「湿った道」とはクンダリーニ・ヨーガのことを語っている。只管打坐は急速に悟りに至り、クンダリーニ・ヨーガは緩慢に悟りにアクセスしていく。そして只管打坐とクンダリーニ・ヨーガとを並列に論じる人間は極めて稀である。

その意味でフルカネリの見識の高さは尋常のものではない。乾いた道=只管打坐なら、4日ないし8日で大悟可能ということだろうが、文字通り4日・8日はそのままの時間を表現しているのではなく、「短時間で悟りに至る」ことを強調するものだろう。つまり最低4ないし8日かかるということではなく、坐ってまもなく大悟もあるのだろうと思う。

一方長く困難な「湿った道」=クンダリーニ・ヨーガは完走までに一年半はかかるというのは大いにありそうなことである。

そして只管打坐のことを「サトゥルヌスの過程」と錬金術師達が呼んでいるのも面白い。そうであれば、クンダリーニ・ヨーガは、「ルナ(月)の過程」であるに相違ない。

いずれにせよ、西洋錬金術師の中にも、只管打坐を意識する炯眼の者がいるのは流石といえる。




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なぜ次の時代は霊的文明と言われるのか

2010-06-23 05:37:16 | 時代のおわり
◎冥想修業から至福千年

次時代は霊的文明であると言われる。霊的文明とは何のことか。若い時からこれは結構頭に引っかかっていた言葉である。

地上に生きる全員が霊能力が開け、死者と会話ができ、幽霊を見ることができるようになる時代?たとえそうなったとしても、一人一人が幸福である保証などない。だからそんな霊能力が開けるかどうかは「霊的文明」のキーワードとは何の関わりもないと思う。

さて、よく巷の霊界探訪譚を読むと、霊界のどこにいても、誰からも霊界太陽が必ず見えるということが書かれている。神=霊界太陽がどこからでも誰からでも見えるのである。そこにヒントがあった。

これを霊界でなく、現実世界に引き直してみると、それは人間が生きていて、どこにいても、誰であっても神が見える、神を確認できる生き方のこと。換言すれば、いつでもどこでも神と共にある、神を確認しながら生きる生き方のことだろうと思う。

そんなことは絵空事ではないのだろうか。この、家族関係も不安定で、離婚率3割の夫婦間でも信頼が薄く、いわんや赤の他人との人間関係は、礼儀・挨拶という一皮を剥けば、実に殺伐たる時代である。そんな生き地獄に近いこの社会の中で、いつでもどこでも誰もが神を確認しつつ生きる生き方などあるのだろうか。

もちろんそれは、実現可能である。あらゆる人々、すべてが悟りを開くことによってそれはできる。それでなければ至福千年などありえない。すべての人が無私と愛に生きるのである。

残念ながら、今の社会制度の中に無私と愛を否定する制度や仕組みが多数組み込まれているので、その実現は容易ではない。競争原理、市場原則という名の弱肉強食のルールや、私権不可侵という自己のメリットを享受し維持させる法の枠組み、銀行預金や投信の金利や分配金などもその延長線上の一つ。労せずして利益を得るという金融商品という制度は根源的に人を堕落させる。つまり合法の名のもとに無私と愛から遠い、社会、経済、法律制度ができているので、この社会にきちんと適応して生きるだけで、もっと言えば社会の成功者であればあるほど悪人とならざるを得ない。

それでは、すべての人が冥想修業を経て悟りを開くなどということがあるのだろうか。まず今の調子では、そもそも冥想には何の世間的メリットもないのであるから、全員冥想するなんてことは、近代常識的社会人の「合理的」判断としではありえないことである。よって全員が冥想修業するなんてことはありえない。従って冥想修業の結果として修業した人全員がニルヴァーナに出会った(開悟)としても(そんなことはまずないが)、それは社会全体から見たらごく少数である。

至福千年、地上の楽園、叫びのない世界は、すべての人が悟りを得て、神とともに生きることで達成可能であるが、こんな社会の具合では、絶対に全員が悟りを得るなどということはないのは火を見るより明かである。

よって、そこに既に悟りを開いた人と、悟りの当落線上にある人だけが残っていく選定システムがあるのではないかと想像される。それがアセンション。ただし悟りを開いた人+当落線上の人の人数が一定数に達しなければ、旧約聖書のソドムのように文明全体の滅亡するリスクもある。

アセンションとは、間引き・選抜であるとしても国会議員選挙のような平時の大イベントとして起きるのではなく、世の大峠=カタストロフィーに伴って起きるのだろうと思う。

こうして霊的文明とは、その実現は容易なことではないが、冥想修業により悟りを開いて文字通り神と共に生きる人だけの世界を言うのだろうと思う。

そういう時代的な大きな流れを見据えながら、ダライ・ラマ14世が殊更に日本人の若者は英語を学んで海外へと唱えるのは意味深長である。日本の運命を見据えてアドバイスしてくれているのだろう。




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英語を学んで海外へ出よう

2010-06-22 06:05:47 | 時代のおわり
◎ダライ・ラマ14世の発言

先頃来日したダライ・ラマ14世は、『日本の若者は英語を学び、中東やアフリカ、ラテン・アメリカなどへ積極的に赴き、その発展に大いに貢献すべきだ」と述べ、海外雄飛を勧めたという。

日本企業の海外進出は、プラザ合意以降での日本での工業の生産コスト低減を狙いとし、海外への工場移転を主体として、1990年代以降盛んに行われた。よって日本の企業の海外への貢献が盛んになってからすでに20年は経っているわけである。

当然企業での海外派遣者は若手が中心なので、若者は海外に貢献してきたわけである。

それを承知の上で、宗教指導者のダライ・ラマ14世が経済産業省みたいなこと言うからには、真意は別のところにあると見るのが妥当だと思う。

つまり将来日本はいろいろな意味で亡国となる可能性があるので、そうなると日本の若者は国を出ざるを得ない局面がやってくる。その時にあわてて英語を学ぶのではなくて、今のように平時で落ち着いて学べるうちから英語を学んで、『悟り』というものが潜在的に息づいた挙措、発想などに宿る精神性を持ちながら、海外に精神面で貢献すべきだ・・・ということを改めて強調したのではないか。

日本が亡国となるならば、仏教国の亡国としてはチベットと似る。

英語だけできてもその精神性が通用するわけではなく、まず『悟り』が要る。冥想を続けながら、英語も英語の歌を聞くだけでなく、久々にヒアリング強化したり、英語ブログ読んだりしてみようかな。英語に触れる環境は、以前に比べネットのおかげで格段にアップしていますね。




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ドルジーエフ ダライ・ラマの外交官

2010-06-21 04:12:23 | 密教
◎モンゴル、ロシアでの仏教壊滅

ドルジーエフ(1854-1938年)は、ダライ・ラマ13世の外交官として、チベットのために働いた人物であった。名前が似ているので、グルジェフと同一人物ではないかという説もあるそうだが、写真を見る限り、ドルジーエフはビートたけしに似ているが、それをきりっとしたような面貌の人物であって、グルジェフとは別人に見える。

ドルジーエフは、ブリヤート系モンゴル人。ラサ市の名刹デプン寺に学んだ。ブリヤート人は、バイカル湖の東西に住むが、東側のみが仏教徒であった。

ドルジーエフは、ニコライ2世の勅許を得て、ペテルブルグにチベット密教寺院を創建するなど、ロシア国内での仏教布教に努めた。

しかし1924年5月には、ウランバートルの転生活仏ジェプツンダンパ8世逝去したが、それに伴う転生活仏の捜索を、旧ソ連は認めなかった

更にスターリン体制下の宗教弾圧の段階的進行に伴って、1940年までにはブリヤートやカルムイク(カスピ海北側)を中心とした旧ソ連国内の仏教勢力はほぼ壊滅した。

またモンゴルでは1937年から38年にかけて、ウランバートルのガンダン寺を除いてすべての寺院が閉鎖、破壊され、一部の高僧は殺害され、僧侶は還俗させられた。ブリヤートやカルムイクでも同様のことが行われた。
(以上参考:ダライラマの外交官ドルジーエフ/棚瀬慈郎/岩波書店)

こうしてみると、この19世紀まで、仏教は、モンゴル、チベットでも盛んに行われていたが、20世紀になって、本当にまともに残っているのは、日本だけと言って良いような惨状である。共産主義国の方が宗教圧殺に容赦がないようである。

この姿を末法と言うのは簡単だが、元祖の釈迦はどう思っているのだろうか。




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ダライ・ラマの最高の神秘

2010-06-20 06:42:53 | 密教
◎自他の交換
         
ダライ・ラマの入菩提行論の講義から

第八章禅定の第120偈
『自他をすみやかに
護ろうと望む者は
自他の交換という
最高の神秘を実践すべきである。』
(ダライ・ラマ/至高なる道/春秋社P192から引用)

同じく第131偈
『自分の安楽と他者の苦しみを
交換しなければ
ブッダになることはできないし、
輪廻における安楽もない』
(ダライ・ラマ/至高なる道/春秋社P196から引用)

いきなり『自他の交換』と言われても何のことか想像もできないので、それが『最高の神秘』である。

しかし『自分の安楽と他者の苦しみを交換する』ことは、『愛』なので、なんとなく最高の神秘について想像をめぐらすことができる。




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無線周波数による精神操作

2010-06-19 08:26:56 | 時代のおわり
◎正気の維持

ベトナム戦争でアメリカは、人間の精神を操作するいろいろな手法を、捕虜の人権を無視した形で実験を繰り返していた。

『ビエンホア病院内の敷地内の隔離された場所では、CIAのグループが再びその作業を始めていた。三人のベトコンの捕虜が現地のCIA駐在所で選ばれていた。この三人が選ばれた理由も方法も今もってわからない。これら捕虜にはそれぞれ麻酔が施され、神経外科医はそれぞれ小型の電極を脳に移植した。

捕虜が意識を回復すると、行動研究者たちが活動を始めた。まず始めたのは簡単な実験であった。測定装置の無線周波数を利用して、実験対象が突如として排便したり、嘔吐したりするようになるかを試すことであった。この装置が人間に対して効果的に作動することに満足した実験班は、更に重要な実験段階に移っていった。

捕虜たちは、別の一室に移され、ナイフが与えられた。行動研究者たちはある装置の制御ボタンを押しながら、捕虜たちが暴力行為に出るように仕向けていった。

だが、なにも起こらなかった。

それからまるまる一週間実験班は捕虜がお互いに攻撃し合うよう試みていた。だが実験がうまく思い通りに進まないのに困惑し、実験班はついにワシントンに空路帰ってしまった。実験が失敗に終ったさいの事前の取り決めによって、実験班がまだ機内にいるうちに三人の捕虜は陸軍特殊部隊(グリーンベレー)の隊員によって射殺され、死体に火がかけられた。』
(拷問と医者/ゴードン・トーマス/朝日新聞社P408-409から引用)

この本では、電気ショックを何回もかけすぎて心臓発作で死んだ話や、向精神薬の過剰な投与で廃人になった人の話が沢山出てくる。

人間の精神を操作しようとする目的は、催眠術のようにある電気信号やサインをきっかけに暗殺やある商品を買うなどのある行動をとらせようとするものと、敵方の情報収集のために情報をしゃべらせようとするものがあるのだろう。

この周波数実験のように、思いつきはするだろうが、実際に実行はしないだろうと思われるようなひどいこともベトナム戦争時はやっていた。CIAは、国益やベトナム戦争勝利の名のもとにキャメロン博士を中心にこのような実験を繰り返していたのであろう。

邪心を持ってというか、悟っていない人間が無私ではない動機で始めたプロジェトは、往々にこうした混乱した結果に終りがちなのではないか。この実験は人間の精神と行動を操作しようというものであるから余計にそうした審判の結果が早く出がちなのではないだろうか。

我々の日常生活は、テレビ・コマーシャルを始めとした、あらゆる『行動を操作しようという多数の意志』にさらされているわけだから、その中で、本当の自分を失わずに正気で生きるということすらも、なかなかの難事なのである。

上官の命令とはいえ、無力な3人のベトコンを殺したグリーンベレーのカルマの積み方も気になる。




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ダライ・ラマ6世の一生-3

2010-06-18 05:52:18 | 密教
◎愛欲に沈む

一休宗純狂雲集にこんなのがある。

愛念愛思胸次を苦しむ、
詩文忘却して一字無し。
唯だ悟道あり道心無し、
今日猶お愁う生死に沈まんことを。

これは前半が愛欲に目がくらむ自分の現実を表現し、後半がニルヴァーナにあって生死を超えたはずだが、生死の区別ある迷いに沈む自分を愁うくらいの意味だろうか。
この世はドリームでもあり、リアルでもあり。『』なる現実感覚でもって愛欲生活に沈潜すればこういう感慨になるのだろうか。

ダライ・ラマ6世の恋愛詩は、一休の狂雲集のそれとは違って、単純に甘い恋の出来事を断片的に描写するものが多い。

『柔肌熱く燃ゆる娘は
褥(しとね)で我を待ち焦がれ
若き男の財宝を
偽り盗みとらんとや』
(ダライ・ラマ六世 恋愛彷徨詩集/今枝由郎訳/トランスビューから引用)

しかしダライ・ラマ6世には狂雲集ばりのものもある。

『たった一夜といえども、 一人で過ごしたことはない。
私の床にはいつもすばらしい美女たちがもたらされた。
だが一瞬たりとも道(空性が歓喜となって顕現する大楽の体験)を踏みはずしたことはない。
なぜならば私は”普遍的な心(ユニヴァーサル マインド:一切の命あるものを苦界の輪廻から救済するという普遍的な責任を受容した純粋な意識)”を決して見失ったことはないのだから』
(14人のダライ・ラマ/グレン・H・ムリン/春秋社から引用)

かっこ内の説明はくどいが、ダライ・ラマ6世も一休同様に、ニルヴァーナ・道というものを持ちながら女犯をエンジョイするという立場にあったことは同じ。

こうしてみるとカーマ・ヨーガは、確かに男性側の修行法なのだろうが、かたや女性においてはカーマ・ヨーガは修行ではないという位置づけに、男女の魂の完成プロセスの別を感じさせられる。ある生では男性として生き、次の生では女性として生き・・・などという事情もあり。




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ダライ・ラマ6世の一生-2

2010-06-17 06:14:09 | 密教
◎還俗

ダライ・ラマ6世一家が僻遠の寒村ツォナからラサに向かっていたところ、その途中のナンカルツェというところで父が急逝した。
ダライ・ラマ6世は、その服喪の中でパンチェン・ラマ5世から沙弥戒を受け、15歳で出家した。そしてポタラ宮に入り、ダライ・ラマとなった。

その後パンチェン・ラマ5世ら多数の名僧善知識から講義を受けたり冥想修業を続けたりしたが、そのライフ・スタイルは彼のそれまでの軟禁生活とはあまりにもかけ離れたものであって、彼の気に染まぬものであり、むしろ乗馬や弓技や屋外での遊戯を好んだ。

『ダライ・ラマ6世は、形式ばったことを好まず、傲慢なところがなく、質素で召使も使わずに、自らお茶を淹れるという簡素な生活を送った。』
(ダライ・ラマ六世 恋愛彷徨詩集/今枝由郎訳/トランスビューから引用)

やがて彼は20歳となり、僧侶として正式に具足戒を受ける年齢となったが、あろうことか還俗することを希望し、それができなければ自殺するとまで言い出した。

パンチェン・ラマ5世や摂政サンギェ・ギャムツォらの懸命の説得にも係わらず、結局ダライ・ラマ6世は還俗した。

こうして還俗した彼は、夜な夜な充実したナイトライフ=カーマ・ヨーガの修業に励むことになる。相手の女性は酒場の街ショルの玄人の女性ばかりでなく、夜這いのように素人の女性宅もあり、コンタクトのあった愛人の家の外壁は、後にダライ・ラマ6世の逝去を悼んで黄色く塗られたという。

長身の彼は、いつも淡い青色の絹の衣装に身を包み、指にはいくつもの指輪を嵌め、腰までの髪は長く垂らすか頭上に巻いて、その髪に珊瑚やトルコ石のビーズの紐を編み込んでいた。長髪はクンダリーニ・ヨーギのトレード・マーク。


当時の摂政やチベット貴族は彼を放蕩のダライ・ラマとして問題があると見て、廃位を急ぎ、廃位後に北京に送還される途中にクンガノールで脱身して逝去した。

ダライ・ラマが放蕩するのは、政治家にとっては好ましくないことなのだろうが、チベットに密教をもたらしたパドマサンバヴァ自身がチベットじゅうの女性と関係をもってカーマ・ヨーガの実践にはげんだという前例があり、もっと寛容に対応できる風土があったのではないかと思う。

ダライ・ラマ6世の、高貴な立場にありながら、傲慢でなくフランクな態度は、覚者の一つのスタイルである。

そして寺を出るという出家を選んだのは、単純に生活スタイルの激変によるものということではなく、カーマ・ヨーガの実践と熟達したクンダリーニ・ヨーギとして更に冥想を深めるためには、還俗がベストという判断があったのであろう。自ら一個の自由人として組織宗教を捨ててみせたのだ。

近代的自我発達の極点というぎりぎりのところでは、組織宗教は役に立たない。この判断は未悟者のものではなく、最低でも見性を経た者にしかできないものだろうと思う。




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ダライ・ラマ6世の一生-1

2010-06-16 06:17:44 | 密教
◎12年間の軟禁

ダライ・ラマ6世は、偉大なクンダリーニ・ヨーギであり、カーマ・ヨーガの実践者であるが、わずか23年のその一生は数奇なものである。

1682年先代ダライ・ラマ5世が逝去した。ところが、摂政のサンギェ・ギャムツォは宗主国である清朝に対し、長期の冥想に入っているという名目にして、その死を15年の永きにわたり隠した。隠したことで公式に転生活仏捜しをすることができなかった。

1683年3月1日ダライ・ラマ6世は同年3月1日、今日のインドのアルナーチャル・プラデーシュ州にあるタワンに生まれた。この地は印度と中国の係争地であるが、2009年11月ダライ・ラマ14世がタワンを訪問して、中国の反発を買っていた件でも知られる。ここは、ダライ・ラマ14世自身のインドへの脱出ルートでもあり、チベット国境からもブータン国境からも2日行程のところに位置する。

ダライ・ラマ6世は、秘かに行われた活仏捜しによって、数えで3歳の時に見出された。摂政のサンギェ・ギャムツォは、ダライ・ラマ6世のことを先代ダライ・ラマ5世の化身ではなく、シャル寺のソナム・チョクドゥウプの化身であると偽って、ダライ・ラマ6世と両親と一人の召使を、ヒマラヤ南麓のタワンから、チベットの寒村のツォナに移住させた。

ツォナの地方長官は、彼ら一家を素性の怪しいものと考えて、侮辱し、虐待に近い扱いを行い、12年間窓もない家に軟禁した。こうしたとても帝王教育を受けるような環境ではない所に、摂政のサンギェ・ギャムツォは、ダライ・ラマ6世が4歳になった頃から個人教授を派遣して、暦学などを教え込んだ。

1696年両親に対し子供がダライ・ラマ6世であることが告げられ、翌年そのことが公表され、ダライ・ラマ6世は数えの15歳で即位することとなった。
(以上 参考:ダライ・ラマ六世 恋愛彷徨詩集/今枝由郎訳/トランスビュー)

このように転生ダライ・ラマとしては、極めて異例の生い立ちを経て即位していく。15歳は思春期の末期であり、この頃に既に神人合一にまで至っていたということではないと思う。




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