アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

いろは歌

2010-05-31 05:18:55 | 古神道の手振り
◎異国魂の世の末

出口王仁三郎の予言歌の一つ、いろは歌から、「を」

異国魂の人が多い今の世の中。白人の外国の企みどおり、日本を滅亡させようと進むけれども、人は三分に減るけれど、日本人は残り、白人が実質支配する時代は終るという。そうは言っても残った日本人は、「神の身魂」であることが条件となっている・・・・と読むのだろうが、黙っていれば「神の身魂」になるというわけでもないが・・・

『をに大蛇狼よりも恐ろしき、異国魂の奸計は、口に蜜をば含み宛、尻に剣持つ蜂の如、大砲小砲の兵器を、残らず反古の紙と為し、尻の穴まで見済して、時待つ時の火車を、御国の空に轟かし、掠め取らんと曲津神、企みは実にも良けれども、日本の国は昔より、神の御幸ちの強き国、人は三分に減るとても、神の身魂は永遠に続く常磐の神国ぞ、異国魂の世の末と、成り定まりし幽世の、神の経綸も白人の、世の終りこそ憐れなりけり。』
(世界更生1994年2月号/出口王仁三郎/あいぜん出版から引用)


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エメラルド・タブレットの世界

2010-05-30 08:09:07 | 錬金術
◎古神道の世界観との類似

エメラルド・タブレットは短文過ぎてよくわからないという感想が多い。そこでその世界観を出口王仁三郎の神示の宇宙と比較してみる。

エメラルド・タブレットの世界観では、太陽と月と大地があらゆる生物、生物を発生せしめ、育成する元となっている。これは、神示の宇宙では、太陽と月(太陰)と大地が、他の天体とは一線を画したメインな天体として存在していることと似ている(天文学の天体とは全く異なることに注意)。そして、太陽は陽であり火であり高御産巣日神、月は陰であり水であり神御産巣日神。この神霊原子の水火が結びついて、万物が生成化々する。

更に神示の宇宙では太陽も水火の呼吸を行い、月も大地に対して水火の調節を行う。
これぞエメラルド・タブレットの「下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如く」である。

昇降を繰り返し、あらゆる精妙なものに打ち勝ち、あらゆる固体に滲透するものとは、神霊原子が変じた流体である葦芽彦遅神(あしがひひこぢのかみ)と固体である常立神(とこたちのかみ)(霊界物語第6巻第一章 宇宙太元)を意識した表現であって、ここは宇宙太元なる「湯気とも煙とも何とも形容の仕難い一種異様の微妙のものが漂う」なる天御中主神のことを言っているのではないと思う。

さて昇降するものは、自分以外のものであれば、天地神明のこと。あるいは自分が昇降するのであれば、クンダリーニの昇降のことだろう。只管打坐の急速に対して、クンダリーニ・ヨーガは「ゆっくり」なので、この昇り降りはクンダリーニ・ヨーガでの昇降を言っているで間違いあるまい。

エメラルド・タブレット:
『≪こは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて真正なり。唯一なるものの奇蹟の成就にあたりては、下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。≫
 ≪万物が「一者」より来たり存するがごとく、万物はこの唯一なるものより適応によりて生ぜしなり。≫
 ≪「太陽」はその父にして「月」はその母、風はそを己が胎内に宿し、「大地」はその乳母。万象の「テレーム」(テレスマ Telesma≪意志≫)はそこにあり。≫
≪その力は「大地」の上に限りなし。≫

 ≪汝は「大地」と「火」を、精妙なるものと粗大なるものを、ゆっくりと巧みに分離すべし。≫
 ≪そは「大地」より「天」へのぼり、たちまちまたくだり、まされるものと劣れるものの力を取り集む。かくて汝は全世界の栄光を我がものとし、ゆえに暗きものはすべて汝より離れ去らん。≫

 ≪そは万物のうち最強のもの。何となれば、そはあらゆる精妙なものに打ち勝ち、あらゆる固体に滲透せん。≫≪かくて世界は創造されたるなり。≫

 ≪かくのごときが、ここに指摘されし驚くべき適応の源なり。≫
 ≪かくてわれは、「世界智」の三部分を有するがゆえに、ヘルメス・トリスメギトスと呼ばれたり。「太陽」の働きにつきてわが述べしことに、欠けたるところなし。≫ 』
(ユタン・セルジュ/有田忠郎訳/『錬金術』/(文庫クセジュ)白水社から引用)


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エーテルの更に先

2010-05-29 07:36:45 | 古神道の手振り
◎神霊原子

神霊原子とは、電気のもととなるものであって、火素(霊素)と水素(体素)から成る。水素と言っても元素記号Hの水素ではない。火素と水素が結びつくと精気となる。精気とは、道家のいう『気』やプラーナに当たるもの。

この精気より電子が生まれたが、電気を使用すればするほど、邪気を発生させるもので、宇宙本来の精気を毀損して、人間その他一切の生物を軟弱にして、精神的に退化させ、果ては空気も濁り悪疫の原因となるとは、いちいち思い当たることばかりである。

気やプラーナはエーテル体レベルの半物質であることは知られているが、一歩進んで気やプラーナを構成する因子が火素(霊素)と水素(体素)であることを示したことはエポック・メイキングなことである。そんなスピリチュアリストは他にはいない。

出口王仁三郎は、更に火素(霊素)と水素(体素)のレベルを操作するのが言霊であることを暗示する。

『第五〇章 神示の宇宙 その五

 宇宙間には、神霊原子といふものがある。又単に霊素と言つてもよい、一名火素とも言ふ。火素は万物一切の中に包含されてあり、空中にも沢山に充実して居る。又体素といふものがあつて単に水素とも云ふ。火素水素相抱擁帰一して、精気なるもの宇宙に発生する、火素水素の最も完全に活用を始めて発生したものである。この精気より電子が生れ、電子は発達して宇宙間に電気を発生し、一切の万物活動の原動力となるのである。

そして此の霊素を神界にては、高御産巣日神と云ひ、体素を神御産巣日神と云ふ。この霊体二素の神霊より、遂に今日の学者の所謂電気が発生し、宇宙に動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力完成し、遂に大宇宙小宇宙が形成された。ニユートンとやらの地球引力説では、到底宇宙の真理は判明しないでありませう。

(中略)

電気なるものは、前述の如く宇宙の霊素、体素より生成したものであるが、其の電気の濫用のために、宇宙の霊妙なる精気を費消すればするだけ、反対に邪気を発生せしめて宇宙の精気を抹消し、為に人間その他一切の生物をして軟弱ならしめ、精神的に退化せしめ、邪悪の気宇宙に充つれば満つる程、空気は濁り悪病発生し害虫が増加する。

されど今日の人間としては、是以上の発明はまだ出来て居ないから、五六七神世出現の過渡時代に於ては、最も有益にして必要なものとなつて居る。モ一歩進んで不増不減の霊気を以て電気電話に代へる様になれば、宇宙に忌はしき邪気の発生を防ぎ、至粋至純の精気に由つて、世界は完全に治まつて来る。この域に達するにも、今日のやうな浅薄なものを捨て、神霊に目醒めねばならぬ。大本信者の中には、電気燈を排斥する方々が、たまたま在るやうに聞きますが、夫は余り気が早過ぎる。これ以上の文明利器が発明されて、昔の行燈が不用になつた様に、電燈が不用になる時機の来た時に電気を廃すればよい。

 また宇宙には無限の精気が充満してあるから、何程電気を費消しても無尽蔵である。決して、無くなると云ふ心配は要らぬ。また一旦電気濫費より発生した邪気も宇宙無限の水火の活動によつて、新陳代謝が始終行はれて居るから大丈夫である。この新陳代謝の活用こそ、神典に所謂祓戸四柱の大神の不断的活動に由るのである。』
(霊界物語第4巻/出口王仁三郎から引用)


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北朝鮮から時代の終りへ

2010-05-28 05:31:36 | 時代のおわり
◎準備はできたか

クリントン国務長官訪中で、引導を渡されたようで、中国は、北朝鮮を膺懲(征伐して懲らしめること)する方針に転換したようである。これは大きな歴史の転換点になる。北朝鮮の人々の間では6月上旬に開戦という噂になっているという。朝鮮の神人、姜甑山(きょうそうざん)の予言どおりならば、中国が侵攻し、米国は手を出さないまま終るのだろうか。また予言のとおり北朝鮮は生物化学兵器で対抗するのだろうか。

それだけなら他山の石なのだが、東京都心で9.11みたいな事件が起これば、話は違ってくる。そんなことが起きれば、真面目な日本人のことだから防衛体制強化の世論が高まり、スパイ防止が国民的な議論になっていくだろう。

更にその事件をきっかけにして、軍国主義寄りの言論統制が行われれば、当然ネットの言論も厳しく取り締まられることになる。しかしそんなことはいわば枝葉のこと。

何よりも日本が改めて軍備強化に動くことは、『この世の終りの引き金を引く』可能性が高いということなのである。そのことは昭和神聖会運動の顛末のところで説明してきた。昭和神聖会運動に続く第二次大本事件で日本官憲が完膚なきまでに大本教を破壊したように、日本がやられるきっかけになろうというもの。

『この世の終りの引き金を引く』、つまり日本が世界に先んじて立て替えられてしまうということが良いのか悪いのかという判断については、よく分からない。

しかし昔から言われているように立替立直しが早すぎれば生き残る人は少ないし、遅すぎれば、時代はより腐敗した、より悪化した形で破局を迎える。そうしたちょうど良い頃合いなのかどうか。ロトがソドムの町を出たような頃合いなのかどうか。

今できることは、できるだけ坐って、冥想に取り組むことしかない。


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伊雑宮

2010-05-27 05:56:16 | 古神道の手振り
◎内宮の遥拝宮

伊雑宮は、志摩国一ノ宮であり、804年(延暦23年)の皇太神宮儀式帳に出てきたりするので、それなりの由緒ある神社であることに違いない。そこでは、瀧原宮と同様に天照大神の遙宮という扱であり、伊勢神宮とは一線を画す。よって祭神は天照大神。

また倭姫命世記にも、伊雑宮は倭姫が遍歴した神社の一つとして挙げられている。

伊雑宮は、事件の多いいわくつきの神社であり、もともと伊雑神戸(伊雑宮の領地の人々=神人ともいう)が維持していた神社であったが、戦国時代に九鬼氏が志摩一国を治めたことにより、伊雑宮は窮迫し、その神領は失われた状態となった。

寛永13年徳川家光の日光東照宮参詣時に、これら神人の代表者が、神領回復について、なんと家光に直訴に及んだ。直訴自体は成功したが、神領回復はうまくゆかず、その後訴訟の場を朝廷に変えていく過程で、神人たちはいくつかの偽書群を用意し、その一つが伊雑宮旧記であった。伊雑宮旧記では、伊勢神宮の内宮、外宮の本宮が伊雑宮であると称しており、伊雑宮旧記は偽書判定され、伊雑宮は内宮の別宮と判定された。(参考:荘園と村を歩くⅡ/校倉書房/桜井彦から引用)

更に時代は下って、あきらめきれない神人たちは、先代旧事本紀大成経という偽書をまたぞろ創り、伊雑宮の社格が伊勢神宮の内宮・外宮より高いという説を広めたが、天和元年(1681年)、幕府はこれを偽書と判定し、伊雑宮神官らが流罪に処される結果となった。

本当に伊雑宮が、内宮、外宮を凌ぐサンクチュアリーであるならば、日本歴代の聖者、覚者が参詣したり、高く評価しているはずであるが、全然そういうことはない。出口王仁三郎も伊雑宮につていては全く言及していない(彼は他の元伊勢は元伊勢として評価している)ことから、内宮の遥拝宮のひとつ以上のことはないように思う。


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野立彦神のクンダリーニ上昇

2010-05-26 04:31:26 | 古神道の手振り
◎それは悲劇に非ず

霊界物語では、天教山というのは、富士山のことで、時によってはシナイ山のことをいうこともある。その天教山に最初に身を投げたのは、野立彦神、野立姫神。
彼等の跡を慕って、続いて釈迦や達磨やイエスやモーゼやエリヤの前身の神人が天教山に身を投げた。

妙なことに火山の火口に身を投げたけれども神人だから火傷しないとか、ボディがでかいから少々火に触れただけでは何ともないとか、奇妙な書きぶりであって、他意あって、この記述をしたことが想像される。つまりこの世界が大洪水に見舞われた責任を感じてボスが投身自殺して、その後に殉死者が多数続いたという単なる悲劇の描写ではないのである。

そこでここは、サハスラーラ・チャクラを火口に見立てて、死の世界に飛び込むというクンダリーニ上昇の秘儀を描いているものであると知れる。

霊界物語では、天之御中主神を樹木の根に例えて、外からは見えないが、最も重要なものであると表現している箇所がある。すなわち下方を神の側とすれば、神へのエントランスは火山の火口と表現されることに不自然さはない。火口の中に死の世界が広がっているのである。

この身を、神の大きくあけた無限の口の中に飛び込む・・・、飛び込むというような形で、クンダリーニ上昇するシーンをサジェストするのは、カルロス・カスタネダにもある。

以下は、大物である野立彦神、野立姫神のクンダリーニ上昇シーン。

『第二〇章 善悪不測〔二七〇〕

 国祖国治立命、豊国姫命の二柱は、千座の置戸を負ひて、根の国、底の国に御退隠遊ばす事となり、大慈大悲の御心は、神界、現界の当に来らむとする大惨害を座視するに忍びず、暫らく天教山および地教山に身を隠び、野立彦神、野立姫神と改名し、神、現二界の前途を見定め、

『ここに撞の御柱の神、天の御柱の神、国の御柱の神の降臨ありて、修理固成の神業も稍その緒に就きたれば、われは是より進みて幽界を修理固成し、万の身魂を天国に救はむ』
と、夫婦二神相携へて、さしも烈しき天教山の噴火口に身を投じ、大地中心の火球界なる根底の国に落行き給ひ、野立姫命は、これより別れて、その西南隅なる地汐の世界に入らせ給ひける。

 至仁至愛至誠至実の身魂は、いかなる烈火の中も、その身魂を害ふこと無く、いかなる濁流に漂ふも、その身魂は汚れ溺るること無きは、全く『誠の力は世を救ふ』の宣伝歌の実証なり。その身魂の偉大にして無限の力あるときは、心中一切の混濁溟濛なる貪瞋痴の悪毒なければ、悪心ここに消滅して、烈火も亦清涼の風となるなり。

 野立彦神、野立姫神は、さしも烈しき噴火口を、初秋の涼風に吹かるるがごとき心地して、悠々として根底の国に赴かせ給ひぬ。たとへば蚤や、蚊や、虱のごとき小虫は、『敷島』の煙草の吸殻にも、その全身を焼かれて、苦悶すと雖も、野良男は其の同じ煙草の吸殻を掌に載せて継ぎ替へながら、手の甲の熱さを少しも感ぜざるが如し。三歳の童子に五貫目の荷物を負はしむれば、非常に苦しむと雖も、壮年の男子は之を指先にて何の苦もなく取扱ふがごとく、すべての辛苦艱難なるものは、自己の身魂の強弱に因るものなり。

罪深き人間の火中に投ずるや、限りなき苦しみに悶えながら、その身を毀り遂には焼かれて灰となるに至る。されど巨大なる動物ありて人を焼く可き其の火も片足の爪の端にて踏み消し、何の感じも無きがごとく、神格偉大にして、神徳無辺なる淤能碁呂島の御本体ともいふべき野立彦神、野立姫神においては、我が身の一端ともいふべき天教山の烈火の中に投じ給ふは、易々たるの業なるべし。

 智慧暗く、力弱き人間は、どうしても偉大なる神の救ひを求めねば、到底自力を以て吾が身の犯せる身魂の罪を償ふことは不可能なり。故に人は唯、神を信じ、神に随ひ成可く善を行ひ、悪を退け以て天地経綸の司宰者たるべき本分を尽すべきなり。』
(霊界物語第六巻/出口王仁三郎から引用)


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聖者出現のコネクション

2010-05-25 05:52:41 | 古神道の手振り
◎万教同根

出口王仁三郎によるその他の聖者出現のコネクションも面白いのでご紹介。

月照彦神らの諸神がサハスラーラ・チャクラたる天教山に身を投げて幽界に入り、幽界の諸霊を安息せしむとは、サハスラーラ・チャクラからメンタル体で肉体を出て、死の世界に入ることを暗示する。ここに熟達したクンダリーニ・ヨーガ技を見ることができるわけである。

 また月照彦神らの諸神は、「野立彦神、野立姫神の御跡を慕ひて」とあり、彼等のご神業の指導は野立彦神、野立姫神をリーダーとして行われたことをうかがわせる。

こうした諸エリート神人が前世でもってクンダリーニ・ヨーガで開悟した後、再誕してきて、釈迦や達磨やイエスやモーゼやエリヤや、大日如来、地蔵尊、孔子として再誕したという。(大日如来、地蔵尊については、伝記が残っていない。大日如来ってニルヴァーナの別称だと思っていましたが、人格神だったとは。)

最後に老子出現の因縁が示されているが、ダンテス・ダイジには老子狂言という著作(未出版)があり、それはとてもぶっ飛んだ内容のものなのであるが、彼がわざわざそれを残したこととシンクロしていることも感じる。老子は野立彦神が直々に分霊したのである。

あらゆる宗教が同じところから来ている(万教同根)という説明は、一つには教義としての側面がある。つまり冥想法として只管打坐かクンダリーニ・ヨーガによってニルヴァーナに至るのだが、ニルヴァーナの現実への顕現の仕方を様々に説明して、それが教義となる。よってニルヴァーナはどの宗教でも共通であるから万教同根という説明の仕方がある。

もう一つの説明の仕方は、こうした覚者出現の霊統を説明する方法で、出口王仁三郎の霊眼ではこのように野立彦神、野立姫神を元祖として出てきていることを見ている。ただ後者の霊統で説明するのは、よくよく注意が要る。すなわち悟っていない低級霊能者もジャンジャンまがいものの「聖者の誰それは、誰の生まれ変わり」という怪しい(見た人によって異なる)説を大量生産してくれるので、「私の霊眼に映ったところでは、うんぬん・・」という話はまず信用できないものだからである。

『是より二神は撞の御柱を、左右より隈なく廻り給ひて、青木ケ原の真中に立てる八尋殿に立帰り、息を休め給ひける。

 ここに月照彦神、足真彦、弘子彦、祝部、岩戸別の諸神人は、野立彦神、野立姫神の御跡を慕ひて神界現界の地上の神業を終へ、大地の中心地点たる火球の世界、即ち根の国底の国に出でまして、幽界の諸霊を安息せしめむため、天教山の噴火口に身を投じ給ひける。
 神徳高く至仁至愛にして、至誠至直の神人は、神魂清涼の気に充たされ、さしもに激烈なる猛火の中に飛び入りて、少しの火傷も負はせ給はず、無事に幽界に到着し給ひぬ。

これらの諸神人は幽界を修理固成し、かつ各自身魂の帰着を定め、再び地上に出生して、月照彦神は印度の国浄飯王の太子と生れ、釈迦となつて衆生を済度し、仏教を弘布せしめたまひけり。ゆゑに釈迦の誕生したる印度を月氏国といひ、釈迦を月氏と称するなり。

 また足真彦は、これまた月照彦神の後を逐ひて月氏国に出生し、達磨となつて禅道を弘布したり。
 時により処によりて、神人の身魂は各自変現されたるなり。何れも豊国姫命の分霊にして、国治立命の分身なりける。
 少名彦は幽界を遍歴し、天地に上下し、天津神の命をうけ猶太に降誕して、天国の福音を地上に宣伝したまふ。
 天道別命は天教山の噴火口より地中の世界に到達し、これまた数十万年の神業を修し、清められて天上に上り、天地の律法を再び地上に弘布せり。之を後世「モーゼ」の司と云ふ。
 天真道彦命も同じく天教山の噴火口に飛び入り、火の洗礼を受けて根底の国を探険し、地上に出生して人体と化し、エリヤの司と現はれてその福音を遍く地上に宣伝し、天下救済の神業に従事したり。

 また高皇産霊神の御子たりし大道別は、日の出神となりて神界現界に救ひの道を宣伝し、此度の変によりて天教山に上り、それより天の浮橋を渡りて日の御国に到り、仏者の所謂大日如来となりにける。神界にてはやはり日出神と称へらるるなり。

 また豊国姫命は地中の火球、汐球を守り、数多の罪ある身魂の無差別的救済に、神力を傾注したまへり。仏者の所謂地蔵尊は即ちこの神なり。
 天教山は後にシナイ山とも称せらるるに至りぬ。併し第一巻に表はれたるシナイ山とは別のものたるを知るべし。

 弘子彦司は一旦根底の国にいたりしとき、仏者の所謂閻羅王なる野立彦命の命により、幽界の探険を中止し、再たび現界に幾度となく出生し、現世の艱苦を積みて遂に現代の支那に出生し、孔子と生れ、治国安民の大道を天下に弘布したりける。

 然るに孔子の教理は余り現世的にして、神界幽界の消息に達せざるを憂慮し給ひ、野立彦命は吾が身魂の一部を分けて、同じ支那国に出生せしめ給ひぬ。之老子なり。』
(霊界物語第6巻第二三章 諸教同根から引用)


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三神系-7

2010-05-24 05:31:18 | 古神道の手振り
◎豊受神

出口王仁三郎の「神霊界」の「信仰の堕落」という文に豊受神の位置づけが天照大神と対をなすものであることが示されている。

古事記における天照大神出現のコネクションからすれば、月読命が当然にペアだが、対人間世界という視点から、理想を司るのが天照大神、物質を司るのは豊受神であると説明している。

つまり伊勢神宮の内宮が天照大神、外宮が豊受大神という祀り方は、三神系を踏まえた正統的なものであることがわかる。そうすると次に天之御中主大神はどこに祀られているのだろうかという疑問も出てくるのである。

『実を言えば、稲荷の神は「飯成の神」という事で、宇迦之御魂神である。即ちこの神は、豊受神で、五穀の生育を司り、万民の食物の源を養う神様であるから、又の名を「御膳津神」というのである。とりも直さず、豊受神は、造化の第三位の神から遣わされた物質世界の神なのである。天照大神は造化の第二位の神から遣された理想世界の統治の神である。豊受神は物質世界の住民に食物を恵みて、そして天照大神の神業を助くるのである。さればこそ、この二柱の姫神は、内外両宮に祭られて、万民の信仰の中心となって居る。

日本の「創世記」によれば、天御中主神はエホバであるが、其神徳は隠れて見えない。樹木に譬うれば、地中に隠れたる根の如きものである。この根はやがて地上に顕現して、第二位、第三位の神と成った。第二位の神は即ち幹である、枝であるから、高皇産霊神の事を「高木の神」と謂い、又「カンロギの命」という。次ぎに第三位の神は花である、実であるから、神皇産霊神の事を又「カンロミの命」という。又「産霊」ということは、即ち「ムスブ」の義である。第二位の神は理想を結んで、之を天照大神に委ね、第三位の神は物質を結んで、之を豊受大神に托したのである。』
(神霊界(信仰の堕落)/出口王仁三郎から引用)


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イエス出現の因縁

2010-05-23 05:18:54 | 古神道の手振り
◎野立彦神の跡を慕いて

霊がかりの話題はあまりしてはいけないが、出口王仁三郎は、イエス出現の因縁は、伊邪那岐尊(イザナギ)、伊邪那美尊(イザナミ)の二神の最初の出会いで、女性の伊邪那美尊(イザナミ) の方から声をかけたのだが、それで生まれた淡嶋の少名彦神のなれの果てであるとする。

つまり葦船で流された蛭子が外国に長くあって、幽界修業を積んで、やがてユダヤにイエスとして現われたるものとする。女性から声をかけるという、順逆を犯すという昨今の世間的常識では問題にならないことが、イエスを十字架での贖罪に陥れせしめたもともとの原因になっている。

誰が誰の生まれ変わりという話は、低級霊能者の見解(誰々は爬虫類の生まれ変わりなど)を始め、いくらでもどんな話でも転がっているもので、基本的には信用しないことにしているが、覚者のそういう話をする場合は無視できないものである。この内容は、日本神話にイエス出現の因縁があるというもので、奇想天外ではあるが、何回も実際に死んで死の世界を見に行った出口王仁三郎の談話であるからこそ、信じられようというもの。

イエスである少名彦神もまた、野立彦神の跡を慕って旅に出た(野立彦神は、天教山の噴火口に身を投げて、幽界に入った)というのは、野立彦神が霊界物語物語の極めて重要な登場人物であることを物語っているように思う。


『少名彦神は野立彦神の御跡を慕ひて、幽界の探険に発足さるる事とはなりける。

その時成り出でましたる嶋は、前述のごとく淡嶋なりき。淡嶋は現今の太平洋の中心に出現したる嶋なるが、此天地逆転の神業によつて、其根底は弛み、遂に漂流して南端に流れ、地理家の所謂南極の不毛の嶋となりにける。

 而て此の淡嶋の国魂として、言霊別命の再来なる少名彦命は手足を下すに由なく、遂に蛭子の神となりて繊弱き葦舟に乗り、常世の国に永く留まり、その半分の身魂は根の国に落ち行き、幽界の救済に奉仕されたるなり。

この因縁によりて、後世猶太の国に救世主となりて現はれ、撞の御柱の廻り合ひの過ちの因縁によりて、十字架の惨苦を嘗め、万民の贖罪主となりにける。』
(霊界物語6巻22章神業無辺/出口王仁三郎から引用)


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富士と鳴門の仕組-2

2010-05-22 06:42:59 | 古神道の手振り
◎天柱砕け地軸裂け大地は傾斜

出口王仁三郎の次の二つの文では、平常時の富士と鳴門の仕組とは、月が地球ロゴスの呼吸コントロールをしているという説明に留まる。しかしメガ天変地異についても富士と鳴門の仕組であり、中国のことわざ「桑田変じて海となる」を引いて、それがこの地球の立替立直のメカニズムであることも示している。

残念ながら、立替立直しの後の地球の姿がどのようになるかは描かれていないけれども、霊界物語6巻第一九章祓戸四柱に大地が西南に傾くとあり、天の瓊矛である地軸(古事記では歳差も折り込み済?)がずれることまで描かれている。この物語では太古の出来事として描かれているが、それが予言でないとは限らないのが、この手のものの常である。

また、地軸がずれるようなメガ天変地異があったとしても、人間の中身はそのままなので、生き残る人間に何かが起きなければ、『政治学も、経済学も、教育学も』学説は変わることはないので、そちらも何かが起きることが想定されている。グレンとひっくり返るには神の側の視点が要るのである。


『第二四章 富士鳴戸
 二柱は茲に撞の御柱を廻り合ひ、八尋殿を見立て玉ひ、美斗能麻具波比の神業を開かせ玉ひぬ。美斗能麻具波比とは、火と水との息を調節して、宇宙万有一切に対し、活生命を賦与し玉ふ尊き神業なり。撞の御柱の根に清き水を湛へたまひぬ。これを天の真奈井と云ひまた後世琵琶湖と云ふ。撞の御柱のまたの御名を伊吹の御山と云ふ。天の御柱の神は九山八海の山を御柱とし、国の御柱の神は塩の八百路の八塩路の泡立つ海の鳴戸灘をもつて胞衣となし玉ひ、地の世界の守護を営ませ玉ふ。

また鳴り鳴りて鳴りあまれる、九山八海の火燃輝のアオウエイの緒所と云はれて居るは不二山にして、また鳴り鳴りて鳴り合はざるは、阿波の鳴戸なり。『富士と鳴戸の経綸』と神諭に示し玉ふは、陰陽合致、採長補短の天地経綸の微妙なる御神業の現はれをいふなり。

鳴戸は地球上面の海洋の水を地中に間断なく吸入しかつ撒布して地中の洞穴、天の岩戸の神業を輔佐し、九山八海の山は地球の火熱を地球の表面に噴出して、地中寒暑の調節を保ち水火交々相和して、大地全体の呼吸を永遠に営み居たまふなり。九山八海の山と云ふは蓮華台上の意味にして、九山八海のアオウエイと云ふは、高く九天に突出せる山の意味なり。而て富士の山と云ふは、火を噴く山と云ふ意義なり、フジの霊反しはヒなればなり。』
(霊界物語6巻 霊主体従巳 富士鳴戸/出口王仁三郎から引用)

『大地は日々に傾斜運動をすると共に、又一年に四度の中傾斜運動をなし、一年に一度大傾斜運動をなし、六十年目に大々傾斜運動をなし、三百六十年目に大々々傾斜運動をなし、三千六百年目に大々々々傾斜運動をするのである。

 故に桑田変じて海となる位の事ではなく、海が山になつたり、山が海になつたりする。高山の頂から貝の化石が出たりするのも、此等の傾斜運動によつて大地は常に変動しつつあるのを示すものである。

 鳴門の水が、大地の中心に向つて注ぎつつあると云ふ事をも知らぬ人が多からう。富士山の爆発によつて、相模の国が出来、武蔵との間がつながつたのである。天城山の爆発によつて、伊豆一帯の地が持ち上つた。蛭ケ小島も湯ケ島も、もとは皆島であつたので此の名が残つて居るのである。

 地文学も天文学も、否それのみならず、政治学も、経済学も、教育学も等々、諸種の学説が皆ひつくりかへる時が来るのである。神諭に「何も彼も新つにして仕舞ふぞよ」とあるのがそれである。
 世の立替立直しと云ふのは大望とあるが、頗る大規模なものであつて、殆んど人智の想像の範囲を絶して居るものである。』
(神の国・新つの世/出口王仁三郎から引用)


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富士と鳴門の仕組-1

2010-05-21 07:05:05 | 古神道の手振り
◎鳴門が肛門、富士が口

一厘の仕組の大要がわかったところで、次は富士と鳴門の仕組。

例によって、富士山は、静岡県や山梨県から見える富士山のことではなく、鳴門は、徳島県鳴門市の渦潮のことでもない。また霊界物語の中にバラバラに情報が置かれている。霊界は霊界だけど、この世の事象の元となる不壊なるイデアの世界レベルでのからくりを描いていると見たい。イデアの世界とは錬金術の世界のことでもあると思うので、富士鳴門という地球ロゴスの構造について、そのものズバリの錬金術図版が見つかれば紹介したいと思う。

まず富士と鳴門の仕組とは、政治も経済も社会もすべてがひっくりかえり、更に地球変成のことまでを言っているようだ。

富士と鳴門の仕組の主役は、月(太陰)である。そこで月の定義から。

月の半分は水球で、もう半分は火球。そして月は地汐でもって水を地球に送る。水の入り口は鳴門であり、火の出口は富士山であるとする。

また鳴門が肛門で、富士山(天教山)が口であるとは、鳴門がムラダーラ・チャクラで、富士山がサハスラーラ・チャクラで間違いあるまい。

『火球は呼気作用を司り、地汐は吸気作用』とは、地球は鳴門で水を吸うだけ、また富士山で火をはくだけというように読める(論理的ではないが)。この呼吸でもって地球の寒暑の調節をしている。

この地球ロゴス総体のコントロールを、五行中の金徳でもってしているのは、艮(うしとら)の金神・金勝要神(きんかつかねのかみ)であり、別名野立彦命(のだてひこのみこと)である。野立彦命こそが、地球のあらゆる罪悪のケツ持ちなのである。ケツ持ち故に死後の世界で閻魔大王として皆に一度は出会っている可能性は高い。

『第四六章 神示の宇宙 その一

 太陰は特に大空大地の中心すなはち中空に、太陽と同じ容積を有して一定不変の軌道を運行し、天地の水気を調節し、太陽をして酷熱ならしめず、大地をして極寒極暑ならしめざるやう保護の任に当りゐるものなり。

 しかして、太陰の形は円球をなし、半面は水にして透明体なり。しかして、それ自体の光輝を有し、他の半面は全く火球となりゐるなり。今、図を以て示せば次の如し。
 太陰は大空大地の中心を西より東に運行するにともなひ、地汐をして或ひは水を地球に送らしめ、あるひは退かしむるがゆゑに、満潮干潮の現象自然に起るものなり。

 神諭に、
『月の大神様はこの世の御先祖様である』
と示しあるは、月が大空と大地の呼吸作用たる火水を調節するの謂なり。火球は呼気作用を司り、地汐は吸気作用を司る。

『富士と鳴門の仕組が致してある』
といふ神示は、火球の出口は富士山にして、地汐は鳴門を入口として水を地底に注吸しゐることを指示せるものなり。火球および地汐よりは、なほ人体に幾多の血管神経の交錯せるごとく、四方八方に相交錯したる脈絡をもつて、地球の表面に通じゐるものなり。』
(霊界物語4巻 霊主体従卯 宇宙真相 神示の宇宙その一から引用)

更に、
『天は男系、地は女系と云ふは、霊界のこの消息を洩らせしものなり。神諭に、『大地の金神、金勝要神』とあるは、これの表示なり。

また、『この大神は、雪隠の中に落された神』とあるは、総ての地上の罪悪を持ち佐須良比失ふ所の鳴戸の意味なり。
 天教山は口に当り、鳴戸は地球の肛門に当るが故なり。神の出口、入口といふは、この富士と鳴戸の御経綸の意なり。大地の金神を金勝要神と称するは、大地の金気の大徳によりて固成され、この神の身魂に依りて凝縮保維されてゐるが故なり。』
(霊界物語6巻 霊主体従巳 金勝要大神から引用)


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三神系-6

2010-05-20 06:06:24 | 古神道の手振り
◎天御中主神

出口王仁三郎の手になる「神霊界」の「信仰の堕落」という文に天御之中主神について、非常にわかりやすい説明がある。

不変不易の窮極である天御之中主神は、その御働きによって様々な神として顕現していくが、
1.高皇産霊神となって神霊界なる理想世界を創り
2.神皇産霊神となって物質世界を創り
3.天照大御神となって理想世界は完成。
4.その理想世界を地上に移写するために天孫瓊々岐命を日本に天降りさせた。

こうした説明は、窮極の側から世界が発出していく古代秘教的な説明であり、いかにも大時代的な書きぶりである。

またこの説明によって天御中主神と天照大御神の関係がはっきりした。つまり天照大御神は天御中主神の無数にある働きの内のメジャーな一つなのである。

この文章だけでは、天照大御神崇拝から昭和神聖会での天御中主神崇拝に重心が移って行った動機は知り得ない。ただ最後ギリギリのところで悪を去り善を残すという選択をさせていく、つまり「ポイント・オブ・ノーリターンで間違えないためには、天御中主神でないとダメ」という確信を次第に深めていったのではないかと推測する。


『 二
前段述ぶるが如く、我が天御中主神のことを、アブラハムも、モーゼも、其他すべてのイスラエル人も、エホバと崇め唱えたらしいが、天御中主神は、全霊界統治の神であると同時に、全現界統治の神である。独りイスラエル民族が専有すべき神でなく、実に又、我日本統治の神であり、各個人の保護の神である。かかるが故に、かの神の降したと称する戒律は、よしや人為的、偏狭不備の臭味を脱せぬにしても、其裡には、幾分神意の伏在するものが無いではない。吾々とても、単に異邦の事、シナイ山嶺の事と聞き流す訳には行かない。神の誠の声の一部が、幾分吾々の耳底にも響く感がするのである。

 わが『古事記』には、宇宙開闢の第一の神様として、天御中主神の御名を出してあるが、其広大無辺の神徳、その全智全能の神性をば、毫も録して無いから、誰一人として此神の明瞭なる観念を有たなかった。尤も此神の神徳は余りに大きく、到底筆舌を以て言い尽し得ぬものであるから、神典にも、単に御名を称えたに止めたのであろう。わざと書かぬのでなく、書き得なかったのである。

 天御中主神の神徳は、空間的に観れば広大無辺である。時間的に観れば永劫不滅である。其神性は不変不易であると共に、其神業は千変万化して窮極がない。其まします所は、極めて近くして、又極めて遠く、とても人心小智の窺知すべき限りでない。

 天御中主神は、第一着手として、理想世界を造営せらるるが為めに、第二位の神と成って顕現された。これが霊系の祖神高皇産霊神である。この理想世界は即ち神霊界で、無論凡眼の観る能わざる所、凡智の察する能わざる所である。ただ霊眼、霊智を以て之にのぞめば、天分に応じて程度の大小高下はあるが、其一端を窺知せしめられる。次ぎに天御中主神は、第三位の神となって顕現し、物質世界を造営された。これが体系の祖神神皇産霊神である。『創世記』には、神を称するに単に「エホバ」とのみは言わず、「エロヒム」の語を用いて居る。エロヒムは即ち神々という事で、根源は一神だが、幾種にも顕現するから、この複数の語が必要なのである。

  三
 天御中主神は、三種の顕現を以て、先ず其神徳を発揮されたが、無限の神徳は、無論このような簡単な事で顕わし切れるものでない。そこで此大天地鎔造の神は、ミタマを分けて、随所随時に顕現して、次第に複雑完備の域に進ましめられたが、天照大御神の時に至って理想世界は完成した。次ぎに、此理想世界の姿を、地上に写し出すが為めに、天孫瓊々岐命を日本国に降して地上の主宰者の地位を確定し、同時に神子神孫を世界万国に降して、之を経営せしめられた。』
(「神霊界」の「信仰の堕落」/出口王仁三郎から引用)


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一厘の仕組-5

2010-05-19 05:57:00 | 古神道の手振り
◎天津祝詞

古神道には、窮極も悟りもないだろうと思っていたが、それは身近なものにあった。天津祝詞にあったのである。一厘の仕組は、結局のところニルヴァーナと悟りである。

○出口王仁三郎の天津祝詞
【高天原に神留坐す、神魯岐神魯美の命以て、皇御祖神伊邪那岐命、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓ひ給ふ時に生坐せる祓戸の大神達、諸々の枉事罪穢を払ひ賜へ清め賜へと申す事の由を、天津神国津神八百万の神達共に、天の斑駒の耳振立て聞食せと恐み恐みも申す。】

字義どおり読めば、伊邪那岐命が九州の阿波岐原で禊ぎをなさったときにできた祓戸の神たちにまが事や罪穢れを祓い清めて下さいと奏上したという、個人の都合のいいようにはからって下さいという、とりたてて特筆すべき内容のないものに見える。

これが、出口王仁三郎の解釈では、全く異なるものに仕上がる。

「全宇宙(高天原)に陰陽二元がたっぷりと充実している。

陰陽二系を司る神々の言霊(神魯岐神魯美の命)によって、連綿として継承さるべき万世一系の大主宰者の神伊邪那岐命が、窮極(筑紫)の光明遍照(日向)の五大父音の言霊(橘の小戸)によってできた大宇宙(阿波岐原)にあって、身体の大修祓をなさった時に発生した祓戸四柱神よ(瀬織津比売、速秋津比売、気吹戸主、速佐須良比売)、

諸々のまが事や罪穢(つみけがれ)を払ひ賜へ清め賜へと申す事の由を、天津神国津神八百万の神達共に、霊力体すべて(天の斑駒の)、活動を開始したまえ(耳振立て聞食せ)、と恐み恐みも申す。」

まず窮極・ニルヴァーナとは、「筑紫の日向」。「筑紫の日向」は、福岡県、宮崎県のことではなかった。ましてや昨日今日しでかしたチョンボを祓い清めてもらうことを願うというご都合主義の願文でもなかった。全体として個人の願望成就サポートではなく、宇宙全体の矯正を諸神ともに祈るというもの。

下の大意でわかるように、大体がアオウエイの五大父音が鳴り響く阿波岐原にいるということ自体、相当に修業を積まないとなかなかそこまではいかないレベル。そこでもって、言霊を駆使して、天地全体の禊祓を行いましょうというものであるから、これぞ古神道の窮極であって、その他のものではない。

また、ほとんど説明がないが、注目ポイントは、(大)伊邪那岐命に対して、小伊邪那岐命。小伊邪那岐命は、我々人間を差しているのであるが、伊邪那岐命に大小あるを示しているところは、神人和合を暗示すると見える。
ただし、帰神自体が、神に対して自分をなかなか捨てにくい技であるようなので、全体として神と自分は別であるという考え方を余り逸脱しない筆致であるところには注意が必要だと思う。

『大意
 宇宙天地万有一切の大修祓は、霊系の御祖神の御分担に属する。現在『地の世界』に於て執行されつつある国祖の神の大掃除大洗濯も詰まり宇宙全体としては伊邪那岐命の御仕事である。幾千万年来山積した罪穢があるので、今度『地の世界』では非常な荒療治が必要であるが、これが済んだ暁には刻々小掃除小洗濯を行へば宜しいので、大体に於ては嬉し嬉しの善一ツの世の中に成るのである。即ち伊邪那岐命の御禊祓は何時の世如何なる場合にも必要あるものである。これがなければ後の大立直し、大建設は到底出来ない訳である。

 さて此修祓は何によりて執行さるるかと云ふに、外でもない宇宙根本の大原動力なる霊体二系の言霊である。天地の間(即ち阿波岐原)は至善至美、光明遍照、根本の五大言霊(アイウエオ)が鳴り亘つて居るが、いざ罪穢が発生したと成ると、言霊でそれを訂正除去して行かねばならぬ。人は宇宙経綸の重大任務を帯びたるものであるから、先頭第一に身霊を磨き、そして正しき言霊を駆使すれば、天地も之に呼応し、宇宙の大修祓も決行される。

其際にありて吾々五尺の肉体は小伊邪那岐命の御活用となるのである。雨を呼べば土砂降りの大雨が降り、地震を呼べば振天動地の大地震が揺り始まる。これが即ち『御禊祓給ふ時に生坐せる祓戸の大神達』である。

かくして一切の枉事罪穢は払ひ清めらるる事になるが、かかる際に活動すべき責務を帯びたるは、八百万の天津神、国津神達でこれ以上の晴れの仕事はない。何卒確り御活動を願ひますといふのが、大要の意義である。何人も日夕之を奏上して先づ一身一家の修祓を完全にし、そして一大事の場合には、天下を祓清むるの覚悟がなくてはならぬのであります。』
(霊界物語30巻海洋万里巳 附記天津祝詞解から引用)


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鎮魂帰神から神人和合へ

2010-05-18 05:45:20 | 古神道の手振り
◎神がかりもピンキリ

霊界物語の舎身活躍亥の巻の聖言に、出口王仁三郎の布教の目的が書かれてある。それは、ズバリ『大神は、天界と世界即ち現幽一致の目的を達成し、神人和合の境に立到らしめむ』。つまり地上に天国を移設させる、これが、現界と幽界の一致。そして個々人は、神人和合の境に立到るであるから、大神との合一である。

鎮魂帰神という冥想法は、神との出会い方としては、神を降ろす方の分類ではあるが、古神道伝来の正統的なものとして、否定されるべきではない。ただ霊能、霊覚を用いるだけに、地獄に落ちやすいことを出口王仁三郎は戒める。また霊媒(霊能力者)の平素の人格をよく検証しないと霊界の研究者は地獄に落ちるとも指摘し、霊媒(霊能力者)がスピリチュアルで金儲けをしないなどの例のスピリチュアルの3条ルールを守っているかが、基本的な見分け方となるだろう。

以下、霊界物語の舎身活躍亥の巻の聖言から引用。文中の瑞霊は出口王仁三郎のこと。
『憎まれ口はここらでお預かりとして、改めて本題に移ることとする。茲に霊界に通ずる唯一の方法として、鎮魂帰神なる神術がある。而して人間の精霊が直接大元神即ち主の神(又は大神といふ)に向つて神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神といふのである。帰神とは、我精霊の本源なる大神の御神格に帰一和合するの謂である。故に帰神は大神の直接内流を受くるに依つて、予言者として最も必要なる霊界真相の伝達者である。

次に大神の御神格に照らされ、知慧証覚を得、霊国に在つてエンゼルの地位に進んだ天人が、人間の精霊に降り来り、神界の消息を人間界に伝達するのを神懸といふ。又之を神格の間接内流とも云ふ。之も亦予言者を求めて其精霊を充たし、神界の消息を或程度まで人間界に伝達するものである。

 次に、外部より人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行ふ所の邪霊がある。之を悪霊又は副守護神といふ。此情態を称して神憑といふ。

 すべての偽予言者、贋救世主などは、此副守の囁きを人間の精霊自ら深く信じ、且憑霊自身も貴き神と信じ、其説き教へる所も亦神の言葉と、自ら自らを信じてゐるものである。すべてかくの如き神憑は自愛と世間愛より来る凶霊であつて、世人を迷はし且つ大神の神格を毀損すること最も甚しきものである。斯の如き神憑はすべて地獄の団体に籍をおき、現界の人間をして、其善霊を亡ぼし且肉体をも亡ぼさむことを謀るものである。近来天眼通とか千里眼とか、或は交霊術の達人とか称すさはこたたる者は、何れも此地獄界に籍をおける副守護神の所為である。泰西諸国に於ては今日漸く、現界以外に霊界の在ることを、霊媒を通じて稍覚り始めたやうであるが、併し此研究は余程進んだ者でも、精霊界へ一歩踏み入れた位な程度のもので、到底天国の消息は夢想だにも窺ひ得ざる所である。

偶には最下層天国の一部の光明を遠方の方から眺めて、臆測を下した霊媒者も少しは現はれてゐる様である。霊界の真相を充分とは行かずとも、相当に究めた上でなくては、妄りに之を人間界に伝達するのは却て頑迷無智なる人間をして、益々疑惑の念を増さしむる様なものである。故に霊界の研究者は最も霊媒の平素の人格に就てよく研究をめぐらし、其心性を十二分に探査した上でなくては、好奇心にかられて、不真面目な研究をするやうな事では、学者自身が中有界は愚か、地獄道に陥落するに至ることは想念の情動上已むを得ない所である。

 さて帰神も神懸も神憑も概括して神がかりと称へてゐるが、其間に非常の尊卑の径庭ある事を覚らねばならぬのである。大本開祖の帰神情態を口述者は前後二十年間、側に在つて伺ひ奉つたことがある。開祖は何時も神様が前額より肉体にお這入りになると云はれて、いつも前額部を右手の拇指で撫でてゐられたことがある。前額部は高天原の最高部に相応する至聖所であつて、大神の御神格の直接内流は必ず前額より始まり、遂に顔面全部に及ぶものである。而して人の前額は愛善に相応し、顔面は神格の内分一切に相応するものである。畏多くも口述者が開祖を審神者として永年間、茲に注目し、遂に大神の聖霊に充たされ給ふ地上唯一の大予言者たることを覚り得たのである。

 それから又高天原には霊国、天国の二大区別があつて、霊国に住める天人は之を説明の便宜上霊的天人といひ、天国に住める天人を天的天人といふことにして説明を加へようと思ふ。乃ち霊的天人より来る内流(間接内流)は人間肉体の各方面より感じ来り、遂に其頭脳の中に流入するものである。即ち前額及び顳〓より大脳の所在全部に至る迄を集合点とする。此局部は霊国の智慧に相応するが故である。又天的天人よりの内流(間接内流)は頭中小脳の所在なる後脳といふ局部即ち耳より始まつて頸部全体にまで至る所より流入するものである、即ち此局部は証覚に相応するが故である。

 以上の天人が人間と言葉を交へる時に当り、其言ふ所は斯の如くにして、人間の想念中に入り来るものである。すべて天人と語り合ふ者は、又高天原の光によつて其処にある事物を見ることを得るものである。そは其人の内分(霊覚)は此光の中に包まれてゐるからである。而して天人は此人の内分を通じて、又地上の事物を見ることを得るのである。即ち天人は人間の内分によつて、現実界を見、人間は天界の光に包まれて、天界に在るすべての事物を見ることが出来る。天界の天人は人間の内分によつて世間の事物と和合し、世間は又天界と和合するに至るものである。之を現幽一致、霊肉不二、明暗一体といふのである。

 大神が予言者と物語り給ふ時は、太古即ち神代の人間に於けるが如く、其内分に流入してこれと語り給ふことはない。大神は先づおのが化相を以て精霊を充たし、此充たされた精霊を予言者の体に遣はし給ふのである。故に此精霊は大神の霊徳に充ちて其言葉を予言者に伝ふるものである。斯の如き場合は、神格の流入ではなくて伝達といふべきものである。伝達とは霊界の消息や大神の意思を現界人に対して告示する所為を云ふのである。

 而して此等の言葉は大神より直接に出で来れる聖言なるを以て、一々万々確乎不易にして、神格にて充たされてゐるものである。而して其聖言の裡には何れも皆内義なるものを含んでゐる。而して天界に在る天人は此内義を知悉するには霊的及び天的意義を以てするが故に、直に其神意を了解し得れども、人間は何事も自然的、科学的意義に従つて其聖言を解釈せむとするが故に、懐疑心を増すばかりで到底満足な解決は付け得ないのである。茲に於てか大神は、天界と世界即ち現幽一致の目的を達成し、神人和合の境に立到らしめむとして、瑞霊を世に降し、直接の予言者が伝達したる聖言を詳細に解説せしめ、現界人を教へ導かむとなし給うたのである。』


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一厘の仕組-4

2010-05-17 04:56:20 | 古神道の手振り
◎衝立船戸神

『○三種の神器と十種の神宝

二二岐命(ににぎのみこと)は三種の神器で、饒速日命(にぎはやひのみこと)は十種の神宝である。
古事記の禊祓いの段にある衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)は上と下とに衝立って遮る神様で、これを取り払われるのである。

王仁が書いている通りである。これから誠の天照大神が表われるのである。○○○○伊勢や熱田や宮中の三種の神器のあるところ○○○○○○○○○○。
(昭和二十年九月四日)

(参照)
皇居、昭和二十年五月二十五日空襲。二十六日朝、表宮殿、大宮御所炎上。
伊勢神宮外宮神域、昭和二十年四月十四日五カ所六発の爆弾投下。
七月二十八日夜半より翌朝にかけ大空襲を受けた。宮城内に投下された焼夷弾は八百五十発に及んだが、御正殿のみは被害がなかった。

熱田神宮、昭和二十年三月十二日夜、大空襲、無数の焼夷弾が神域に落下、境内諸施設三分の二を一夜にして失う。五月十七日二時より約二時間焼夷弾の攻撃をうけ、御本殿御屋根の一部および附属建物の一部炎上。』
(出口王仁三郎玉言集 新月の光(下)/木庭次守編/八幡書店から引用)

二二岐命(ににぎのみこと)は、神の側であって「上」、第六身体以上、一方饒速日命(にぎはやひのみこと)の十種の神宝は、10チャクラだから人間の側であって「下」。

上と下にある壁というか深淵みたいなものである衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)を取り払って、10チャクラを鍵として神の属性たる三種の神器とともに生きるのが、次のクリスタル・ピープルの時代。

やはりここには深淵がある。三つの珠の下に深淵が書かれてあるのは、カバラの生命の木でも同じ。肝心の部分は宗派を問わず、同じことを強調するもの。

人は、日々の冥想により、衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)を取り払うことができるのだろうか。

それにしても二二岐命や、饒速日命や、衝立船戸神をこうした役割であると見切れるのは、本物の神秘家の面目躍如たるものがある。衝立船戸神を取り払った人だけがアセンション

一厘の仕組とは、このことであって、個人が悟りを開くこと。それに天変地異たる一輪の仕組が同時並行的に起きていくのだろう。

そして天変地異に際し、「冥想訓練という準備ができていない者が、黄金橋を渡るという一厘の仕組を成就させるのは覚束ない」というのは過去ログの冥想の勧めで何度も言っているとおりである。


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