アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

空想から常識へ

2010-03-31 05:39:56 | 時代のおわり
◎時代の大変化と覚醒

空想がいつか実現することは、SF小説に登場してきた空想の乗り物が、いくつも実現していることで、今や常識と言って差し支えないだろう。エア・カーこそ登場してきていないが、地を這う鉄の馬が地上を走りまわり、地中まで走る。また鉄製の鳥が天空を飛び回り、水中の鉄でできた巨大な杭を打ち出す魚が世界の海底を泳ぎ回っている時代である。これは、鉄道、地下鉄、自動車、飛行機、潜水艦のことである。携帯電話もそうしたもののひとつで、超能力の天耳通の具現である。。

これらはついこの間まで、SF作家の頭の中の空想や、シャーマンがトランスの中で垣間見たアカシック・レコードレコードの中だけの産物と思われていたのであり、その実現性はかつては鼻先でフンと笑われていた代物だった。

つまり自動車や飛行機も、今のUFOのように、かつてはきわもの超常現象の扱いをされていたのである。そうしたものも時代が移れば、だれも疑いを持たない現実となることがある。

同じようにこの文明の終末と、新文明の展開、特にそれが近代西欧物質文明だけでなく宗教の終りであること。次の文明が農業中心文明であること。神主主義であること。こうしたものは、次の時代である千年王国・地上天国をチラ見した人によれば、しばしば登場するビジョンである。そうしたものも、今はオーパーツや超常現象のように基本的にはきわものの扱いであるのはやむを得まい。

しかし正しい人の見たビジョンは実現する。メイン・シナリオは実現するものだ。瑣末のエピソードはしばしば大きく変わって実現したり、あるいは実現しなかったりする。その大変化はいわば無意識に起こる。

我々にとって問題なのはそのビジョンの解釈であって、それが実はしばしば現代人のまったく想像できるようなものではないことを、真人・覚者が強く示唆していることがある。

道元は正法眼蔵の仏性巻で、『六祖慧能が「人には南北の違いはあるが、仏性には南北の違いはない」とした発言は誤った見解だから、捨て去ってしまえ』と強弁する。学者はこれを指して道元の漢文の読み方は誤解・曲解しているなどと評価するが、それは道元の真意ではあるまい。

道元も、身心脱落という悟りは、書物の文章をもって解釈したり想像できたりするものであるということがそもそも間違いであるということを強調したいだけなのだと思う。ダンテス・ダイジはこれを「体験とは言えない体験」と呼んだ。クリシュナムルティも、OSHOも維摩居士も達磨はじめ禅の祖師たちも皆、それを「言葉では表現できないもの」とする。悟りは体験してなんぼであって、レトリックしたり想像を子細にすることは無駄なのだろうと思う。

次の文明の真相もそこにあるのだと思う。人間の悟りによる進化、その進化は悟りによるしかないが、それはおよそ現今の常識人のイメージを遥かに越えたところにあるのがわかる。それを確認するためには多くの人に冥想が日常習慣の一こまとして組み入れられ、徐々にそれを体験する人が増えていくという形でしか次の時代は展開しないのだと思う。

毎日の異常な寒暖の差に驚かされる昨今、そうした地球の大きな一節が近いことをじわりと感じさせられる日々である。

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冥想から愛へ

2010-03-30 05:20:06 | 只管打坐
◎灰・虚空・愛

『瞑想の炎のなかで
思考は燃えつきる

それとともに
感情も燃えつきる

思考も感情も愛ではないからだ。

愛がないところに真の実在はない
愛がないならあるのは灰だけだ

その灰のうえに
わたしたちの存在がつくられている

なにもない虚空からあらわれるもの

それが愛だ』
(瞑想/クリシュナムルティ/星雲社P92~93から引用)

これは、体験的に虚空から愛が現れることを語っている。
只管打坐ではこのようにとてもストレートな表現になる。

只管打坐だけど、漢字の熟語でその状態を表現しなければいけないという法はない。禅語録が盛んに残されたのが漢字の国だからにすぎない。今でも中国人は漢字だけでメモをとっているが、それは漢字しかない国だからである。

クリシュナムルティは灰と呼び、ダンテス・ダイジは石ころと呼ぶ無機質なもの。そこから愛が流れだすが、その愛は連ドラで描き出している類のものなどではない。




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坂本龍馬の暗殺の真相・メモ

2010-03-29 04:25:40 | 時代のおわり
◎明治維新の闇

坂本龍馬暗殺
の真相を追って、アーネスト・サトウ日記の遠い崖やら何やら読んでみた。アーネスト・サトウ日記も戦後になるまで禁書だったりしたので、明治維新のからみで都合の悪い人たちがまだ残っていたのだろう。

才谷屋こと坂本龍馬は、土佐の豪商の係累として金に不自由はなく、藩に対しても一定の発言力はあったのだろう。この辺は、同じ隠密・忍者と言っても長州の下忍伊藤博文あたりとは出自の違いを感じる。脱藩としたと言っても土佐藩黙認で出入りしていた様子も想像できる。

アーネストサトウは、薩摩にも長州にも土佐にも幕府にも頻繁に会っており、英国の意向というものが明治新政府の意思を相当に制約していたのは間違いないだろうと思う。英国の意向は、パークス、サトウ、グラバーが体していたもののようだ。

ところがアーネスト・サトウは、結局明治天皇に拝謁できなかった(パークスは拝謁した)。だからアーネスト・サトウにとっては明治維新全体のシナリオを構築する上で、見えない部分があったのではないか。特に薩摩も長州も西郷、大久保、伊藤博文のような下級武士が維新政府の要職を占めた謎など。それには単に薩長連合による倒幕ということだけでは説明のつかない部分がある。何を後ろ楯にしてそうした人事となったのか。

さてアーネスト・サトウはダメだったが、オランダ系米国宣教師フルベッキ(明治10年勲三等旭日章受賞)は、明治天皇と親しく何度も拝謁している。フルベッキは、米欧回覧の岩倉使節団の発案者でもあるが、維新政府にそれ以上の食い込みをしていた可能性は大いにあると思う。単にフルベッキが口の固い人物ということだけではあるまい。

明治維新政府には、これ以外にも明治天皇の奥様が皇后でなくて、昭憲皇太后との呼称をとる不自然さや天皇の東京移住の必要性などの謎も残る。

さて薩長同盟成立直後に龍馬が暗殺されたのは、スパイが二人で仕事をして完了すると片方が殺されるという噂に聞く風習を地で行ったものか。知らなくてもよいことを知ったためか。いずれにしても明治維新という完成形から見れば、メインではないエピソードのひとつにすぎないのかもしれない。




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デモクリトス

2010-03-28 07:32:13 | 究極というものの可能性
◎寿命のコントロール

プラトンも秘かにその実力を認めていたデモクリトス。
デモクリトスは、熟達したクンダリーニ・ヨーギであった状況証拠が多い。

1.デモクリトスは、「たいへん勤勉なひとだったので」家の周りの庭園の一部を区切って小部屋をつくり、そこに閉じこもったままでいた。
・・・・・・・メディテーション専用ルームでしょう。

2.デモクリトスは109歳で亡くなったが、三日間のテスモポリア祭の最中に亡くなるのは、祭神の女神に対する義務を果たせないのでまずいと考えていた。
そこで、そこで妹に毎日焼きたての温かいパンを持ってこさせて、それを自分の鼻にあてがって祭の3日間を持ちこたえた。
・・・・・・・焼きたてパンの生気でもって人間の寿命に変えられるのは熟達したクンダリーニ・ヨーギだけである。自分の寿命を3日でも延ばすことはなかなかできない。

デモトリトスの所説は、万有全体の始元はアトムと空虚(ケノン)。そして世界は無数にあり生成し消滅する。
アトムの大きさと数には限りなく、万有の中を渦を巻いて運ばれているものであり、地水火風はアトムの合成物である。
・・・・・・・物質レベルではなく、エーテル体レベルに片足を踏み込んだ見方。

デモクリトスは、我々がものを見るのは、映像が落ちてくるのだと説明する。
・・・・・・・が映像を見せているという説明に近い。




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イシス表

2010-03-27 08:20:31 | 冥想アヴァンギャルド
◎ピラミッドの最高の秘教思想

『トーマス・テイラーによる草稿は次の注目すべき一節を含んでいる。

プラトンは四十九歳のとき大いなる密儀に通じた。

密儀参入はエジプトの『大ピラミッド』の地下広間で行われた。『イシス表』が祭壇となり、『聖なる』プラトンはその前で、つねに彼のものであり、『密儀』の儀式がその眠った状態から目覚めさせるものを受け取った。

『大広間』で三日間過ごした後、この魂の上昇につれ、彼はピラミッドの祭司たちに受け入れられ(祭司を見ることができたのは、三日間、三つの段階、三つの次元を通過したものに限られていた。)

『最高の秘教思想』を口頭で伝えられた。その教えのそれぞれがそれにふさわしい『象徴』を伴っていた。

更に三ヶ月のあいだピラミッドの広間に滞在した後、『密儀』に通じたプラトンは、ピュタゴラスやオルフェウスが彼の前にそうしたように、『大なる結社』の仕事を行うために世の中へ出て行ったのである。』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P269から引用)

『密儀』の儀式とは、さる冥想手法。眠った状態とは、無明、マーヤ。

三つの次元とは、肉体、エーテル体、アストラル体のことか。あるいは実在、智慧、歓喜
『大ピラミッド』の地下広間とは、ムラダーラ・チャクラのことか。

『更に三ヶ月のあいだピラミッドの広間に滞在した』とは聖胎長養のことか。

ピラミッドの祭司たちから、『最高の秘教思想』を口頭で伝えられたというのは、文字通り受け取れば誤解を招く。他人から教えてもらえるぐらいなら誰も苦労はしない。(みだりに教えてはいけないものはあるようだけれど)

また口頭で教えられるようなものなら大した秘教ではあるまい。他人から儀式の中で教えてもらうというのが、一種のカモフラージュなのだと思う。これで組織の権威づけが継続され、組織の延命が図れるからである。

※『イシス表』:イシスのペンバイン表。キルヒャーのエジプトのオイディプスに説明あるが、キルヒャーは、核心に迫れなかったとされる。




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あなたの星

2010-03-26 06:09:39 | 占星術  (冥想法6)
◎ゾディアックの秘密

占星術師は、十二宮(ゾディアック)を人体の各部に当てるが、その人体とは肉体のことではないだろう。輪廻転生で子宮を選ぶ立ち位置は、おそらくはゾディアック以前の遥かに微細なボディのことである。

以下のギリシア哲学者の説明では、七つの惑星がゾディアックの各宮の15度に配当されているので、「神の七つの属性」がボディに配当されていることを見る。よってゾディアックのある位置はメンタル体のことなのだろうと推理される。

注目すべきは、上昇宮であって、それがかに座に配当されているので、上昇宮とは肉体または肉体に近い部分であって、それは他の数ある要素の一つにすぎない。つまりもともとの占星術の世界観ではこの世的な幸福、この世的な願望の実現は、人間の人生の数多くあるファクターの極く一部でしかないということを意味しているように思う。

『ピュタゴラス派はいわゆる魂の輪廻転生説を広めたという点で不当に批判されている。この観念は秘伝を受けていない者に伝わった場合には、神聖な真実を覆い隠す目的でしかない。ギリシアの神秘家は、人間の霊性は「銀河」--魂の苗床--から巨大な黄道帯の十二の門を通って物質的世界に下降してくると信じていた。

従って霊性はゾディアックの十二星座を表すためにペルシアの星の観察者が創造した象徴的動物の形で表れると言われている。
もし霊が白羊宮で受肉した場合羊の形で生まれるとされた。金牛宮の場合には天上の牡牛の形である。
こうしてあらゆる人類は天上の十二の神秘的な生物によって象徴され、その性質を通してこの物質的世界に生まれ変わることができるのである。

転生説は、人類の可視的な物質的肉体に適応するものではない。むしろ不可視の非物質的な霊にこそあてはまるのである。この霊は星の軌道に沿って遍歴し、それゆえ進化の過程を通して神聖なゾディアックの動物の形をとっているのである。

ユリウス・フィルミクス・マテルヌス著『マテーシス』の第三巻には低次世界が創造されたときの天体の位置について次のような要約をのせている。「アレクレピオスやアヌピウスは神メルクリウスが特に占星学の秘密を伝えた人物であるが、彼らによれば天地創造は次の通りであった。

太陽は獅子宮の十五度。月は巨蟹宮の十五度。土星は磨羯宮の十五度。木星は人馬宮の十五度。火星は天蠍宮の十五度。金星は天秤度宮の十五度。上昇宮は巨蟹宮の十五度にある。

この天地創造にあわせ、従って星辰のこのような状態とこのように天地創造の時期を確定した根拠にあわせて、かれらは人間の運命をも上述の配列に従って展開されるという見解を抱いていた。このことはアレクレピオスのミュリオゲネシス(つまり無数の『出生』)と呼ばれる書物から学べることである。人間の出生は上述の世界の出世と調和したときのみ可能である」

人間の七つの年代は次の順で惑星の支配下にある。幼児期は月、子供時代は木星、青春期は金星、成熟期は太陽、中年期は火星で、壮年期は木星、老年期と死期は土星である。』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P263-264から引用)

秘伝を受けている者とは、悟った人のことである。人間の出生とは、あらたなミクロコスモスの天地創造なのだから、さる調和がなければ、人は出生してこないということはわかる。だから自分が生まれる子宮を選んでいる「意志」は、自分が思っているような「意志」ではないことがままあるのだろう。




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ヘルメスの幻のチャクラ-3

2010-03-25 05:57:13 | チャクラと七つの身体
◎不滅への道

『不滅への道は困難であり、それを見つける人は少ない。他の者は宇宙の車輪が停止し、不死の火花が物質の鞘から逃れるあの偉大な日を待っている。

待っている者は災いだ。彼等は無意識のうちに知らないまま、星の苗床へ再び戻り、新しい始まりを待たねばならないからである。

おおヘルメスよ。私がお前に明かし、人々の間で確立するように命じた神秘の光に救われる者は、『白い光』に住む『父』のもとに再び帰り、『光』に自らを引き渡し、『光』に吸収され、『光』のなかにあって神の内なる『霊』となるであろう。これはの『道』であり、知恵を持つ者のみに明かされる。』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P174から引用))

宇宙の車輪が停止する日とは、2万4千年周期のことではない別のこと言っている。

『白い光』に住む『父』のもとに再び帰りとは、中心太陽への突入。『光』のなかにあって神の内なる『霊』となるであろうとは、そういう体験を経ながら個別性をなお失わないことを云うのだろうか。

そこで改めて善の『道』と言わねばならないところを見ると、これは無用のことではあるが、悪の『道』もきわどくあるに違いないのだと思う。




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ヘルメスの幻のチャクラ-2

2010-03-24 06:10:21 | チャクラと七つの身体
◎銀河と肉体間の往還

巨大な龍なるポイマンドレスがヘルメスに更に語る。

『「下位の本性が非情の世界に戻ったのち、上位の本性はその霊的な状態を再び回復しようと努力する。それは『七つの支配者』が坐る七つの『環』に昇り、それぞれに次のような方法でその下位の力を戻す。

第一の『環』に『月』が坐り、増減能力がそれに戻される。
第二の『環』に『水星』が坐り、策謀、欺き、奸計が戻される。
第三の『環』に『金星』が坐り、情欲と情熱が戻される。
第四の『環』に『太陽』が坐り、この君主に野心が戻される。
第五の『環』に『火星』が坐り、無分別と世俗的な大胆さが戻される。
第六の『環』に『木星』が坐り、蓄財と浮遊が戻される。
第七の『環』つまり『混沌の門』に『土星』が坐り、偽りと邪悪な陰謀が戻される。」

「七つの『環』のすべての蓄積を取り去って、魂は『第八の天球』すなわち恒星の環へと行く。ここですべての幻影から解放されて魂は、『光』の中に住み、純粋な霊のみが理解できる声で『父』への讃歌を歌う。

おおヘルメスよ、見よ。『第八の天球』には偉大な神秘がある。『銀河』は魂の苗床であり、魂はそこから『環』へと落ちるが、それは再び『土星』の車輪から『銀河』へと戻っていく。
しかし七つの横木をもつ梯子である『環』を昇ることのできないものもいる。
彼等は下の闇をさまよい。感覚と地上の幻影をもつ永遠へと一掃される。」』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P173-174から引用)

ここでは、死に際して、人間の神的な部分がその霊的な状態を回復するために、七つのチャクラにそれぞれの徳性ではない下位の力を戻していく。第四チャクラが太陽という順序は普通ではないので、これはおそらくはクンダリーニがその上昇にさいして各クャクラを上昇していく姿のことではなく、メンタル体より粗雑なボディのチャクラが、何らかの理由で復活することをいうのだろうと思う。

続いてこれらの徳性ではない力の蓄積を捨てて、魂は、恒星の『環』へと進む。恒星の『環』とは、第六身体のことだろうが、ここにあって『父』なる大神(第七身体、ニルヴァーナ)への讃歌を歌う。

『父』を知った魂は、『銀河』と肉体の間を七つのチャクラとりわけ『土星の車輪』経由で往還するが、そんなテクニックを知らない者は、永遠に輪廻の世界を転生する・・・・というところだろうか。




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オーパーツ 精神と物質の発展-2

2010-03-23 04:45:32 | 時代のおわり
◎人間の精神的発展

次に第二の時間軸の人間の精神的発展。

まず人間個人の進化は、悟りを開くことである。
そして文明の成功・失敗の分かれ目は、その文明の中で何人悟った人間を出せたかどうかということになるだろう。

精神的発展の時間軸は、現代文明のテーマとされる社会性のセンターであるマニピュラ・チャクラからアナハタ・チャクラへの進化であり、この間のインターバルは1万2千年ということで、さほどブレはないものと考えている。

さて1万2千年前のアトランティス滅亡直前に、南米やエジプトや北欧などにアトランティスから一部の指導者層が避難して、次の時代のテーマとして役に立つ神話を創作して公開したと考えている。それについて、状況証拠とおぼしきものがある。

それは、これまでも何度か触れてきたが、たとえば聖書の黙示録も北欧神話もこの文明の崩壊と旧宗教の終了、そしてその後に来る千年王国が予見されているからである。

かつまた現代文明における宗教、1万2千年前から発達、変貌してきた宗教は、21世紀に至り、その伝統的な権威主義的な特徴が通用しない人間たちの到来を迎えて、自壊の運命を承知しかつ覚悟しているようにも見えるということである。

1万2千年前という時代の同定の根拠は、せいぜいがエドガー・ケーシー予言なので、決して科学的と頑張れるものではない。文書記録に残る時代で最古のものは、せいぜい4、5千年前なのだろうから、それより古い時代の年数計算については、大雑把なものと見られてもやむを得まい。

ただ宗教というものの本質は時代を超えて変わることはないが、組織宗教は、しばしば時代と共にそのドグマを次々に変えて生き延びてみせるものである。
つまり社会、時代の変貌とともに、神と人間との関係は変わって行くもの。その状況のなかで、言葉や文字が数千年を経て失われたり、変わってしまったり、滅亡したりする。

こうした様々な不安定なファクターばかりではあるが、アトランティス以降、物質文明は少なくとも二度(4千年サイクルで)爛熟による腐敗を迎え、その一部または大部分を核戦争大洪水で葬り去られた時期もあったが、精神については人類全体のアナハタ・チャクラへの進化を目ざして歩みを止めなかったという見方ができるのではないかと思う。




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オーパーツ 精神と物質の発展-1

2010-03-22 08:34:08 | 時代のおわり
◎核兵器を持てるようになる年数

歴史を考える上で重要な時間軸が2つある。
一つは人間は石器時代から始めて何千年何万年で核兵器を持つ時代に到達するかという時間軸。もうひとつは、人間の精神的な進化が何千年何万年で起こるのかという時間軸。

まずは第一の時間軸について。
今の歴史学の定説では、人類は過去核兵器を持っていた時代などなく、現代が始めての時代であるとされている。
ところがさまざまなオーパーツの発見や古伝承により、その定説には疑問が呈され始めている。古伝承と由来書のないオーパーツでもって想像をめぐらすのであるから、およそ科学的な結論に至ることはできないのだが、一つのサジェスチョンにはなる。

さて、南米ボリビアのチチカカ湖の月の島に近い湖底には、インカ文明より遙かに古いティアワナコ文明の神殿が発見され、更に湖底には巨大な神殿(サッカー場の2倍ほどの大きさ)が沈んでいる。

ティアワテコの神ヴィラコチャ神は、神をないがしろにした人間を罰するため空から火を降らした。その火は町を焼き尽くし、石も藁のように燃えた。あまりの惨状に、ヴィラコチャ神は火の源を杖で消した。

これは、旧約聖書のソドムとゴモラにエホバが火と硫黄の雨を降らしたのと類似する。また火の源を杖で消したとは、原子核物理に関する知識が秘匿されたか喪失したかだろう。

オーパーツ的には、核爆発の痕跡とされる高熱で溶融してガラス化した岩や砂は、他にインドのインダス文明の時代の遺跡ハラッパ、モヘンジョダロや、米国カリフォルニアからネバダにかけての死の谷(Death Valley)にもある。

ハラッパ、モヘンジョダロのことは、マハー・バーラタの核戦争の記述にあるともされるが、死の谷についての記述は、アングロサクソンが先住民インディアンを迫害したためか残っていない。

さてこうした核戦争発生年代の確定は、エドガー・ケーシー予言がもっとも頼りになるのだと思うが、アトランティスの最後と同時に発生したかどうかということ(同時に発生したなら、事前に予知した人が○○へ避難したというエピソードがありがちなもの)、そして、旧約聖書や各国の神話はアトランティス末期に制作されたものと見られることなど考えると、直前回の核戦争の発生は、3千5百年から4千年前後に発生したものではないかと思っている。

つまり(旧)石器時代から核戦争まではせいぜい4千年程度ではないかと思うのである。この周期が規則的に繰り返されたとすれば、1万2千年前のアトランティスの滅亡から現代までの間には、2回の核戦争の時代があったのではないか。

この間、話言葉も文字も変わる。古い言葉も文字も失われる(アカシック・レコードは残る)。ギリシア神話では、金の時代、銀の時代、青銅の時代、鉄の時代と比喩されるが、そうした古記録の残りにくい超長期ストーリーの記述は、そんな比喩でしか書けないという事情を理解するのは容易だろう。




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タイ国 危機の蠢動

2010-03-21 05:54:28 | 時代のおわり
◎立憲君主制の危機

2010年3月19日(金)の日経ビジネスオンラインに「オバマのグアム訪問は、日本の牽制だけではない」という記事が載った。

この記事は、中国の南下政策とインドの東進政策が東南アジアで衝突する傾向があり、それがタイで現実化する懸念があるというような内容のものである。

マスコミ報道では、タイのタクシン元首相派(赤シャツ隊)が血液をばらまいたりする三面記事的なところに関心が集まるが、そもそもタクシン元首相が放逐されたのは、彼が首相在任時に、華僑であることをカミングアウトして、国王を中心とする立憲君主制にこだわらない旨の考え方を示したため、危機感を抱いた国王周辺、軍部がタクシン元首相を追放したものとされる。

これで思い出されるのは、2001年ネパール(専制君主制)での王族の晩餐会での国王を含む王族大量惨殺事件であるが、この事件で実権を握ったギャネンドラ国王は親中国政策を取ったにもかかわらず、ネパール共産党毛沢東主義派の実効支配地域の拡大にも悩まされ、2008年には退位を余儀なくさせられ共和制に移行した。

中国は易姓革命の本場であって、旧王族の命脈を断つことには歴史的に躊躇がない国であった。旧王族は、辱めを受けながら殺される場合が少なくない。最近中国に追われたのは、清国のラスト・エンペラー溥儀とチベットダライ・ラマ
日本の天皇家も、中国勢力の伸長具合によっては、こうしたことになる可能性も完全には排除できないのではないか。そうした目で見るとダライ・ラマの運命は他人事とばかりは言えまい。

中国・アセアン自由貿易協定(FTA)の投資分野協定が調印されて一年。インドネシアでは中国製品の流入により深刻な打撃を受けるとして、中国に対しインドネシア側の関税撤廃延期の再交渉を求めているが、中国は消極的であり、マレーシアやフィリピンでも国内企業から何らかの規制を求める声があがっている。タイも含め、ASEAN各国は中国とのFTAの発効が、中国の経済支配を更に強める懸念材料と感じ始めている。

他方軍事面でも、ベトナムの原発プロジェトのロシアによる落札は、原発ではなく核兵器を目的としているという観測(日経ビジネスオンライン)まである。ベトナムの原発は東南アジアで初だが、これに引き続きタイ、インドネシアなどの国が続くようであれば、中国周辺国が核の傘を自ら持つ必要が差し迫っているという徴候であろう。日本はどうするんだろう。

このようにタイなどの東南アジアでは、中国の経済的、軍事的圧力が、もはや対抗策を取らざるを得ないところまできていることに驚かされる。
「日本は経済大国」という「太平の夢」が、ある日突然黒船(赤船?)によって破られる日もあるのではないか。




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ヘルメスの幻のチャクラ-1

2010-03-20 04:04:24 | チャクラと七つの身体
◎第八の天球へと上昇

『聖なるポイマンドレス』(ヘルメスの幻)は、最古のヘルメス文献の一つ。それには、原初的なクンダリーニ・ヨーガのテクニカル・タームが満載されている。

この書で、ヘルメスは、岩の多い荒野を流浪しながら、瞑想と祈りにふけっていた。
その瞑想の中で、ヘルメスは全体者なる巨大な龍(ポイマンドレス)に出会った。

『ヘルメスは、多くのことを教えてくれた「巨大な龍」に感謝して頭を下げた。そして人間の魂の窮極について更に聞きたいと願った。

そこでポイマンドレスは再び話を続けた。
「死にさいして人間の物質的な体は、その源泉である元素へと帰り、目に見えぬ神的な人間は、彼のふるさとであるである第八の天球へと上昇する。

邪悪なものは悪魔の住み処へ行き、感覚、感情、欲望、情熱はその源泉である『七つの支配者』のもとに帰る。その性質は劣等な人間にあって生命を滅ぼし、目に見えない霊的な人間にあっては生命を与える」』
(古代の密儀/マンリー・P・ホール/人文書院P173から引用)

ここでは「第八の天球」とは、後に出て来るが「恒星の環」のことで、これは七つの横木を持つ梯子だから、クンダリーニのエネルギー・コードであり、アセンションの梯子のことである。

「邪悪なものは悪魔の住み処へ行き」とは、肉体は邪悪なものと分類されそうなので、肉体は悪魔の住み処へ。

『七つの支配者』とは、七つのチャクラに表象される原理だが、それは、劣等である肉体を滅ぼす機能を有し、一方微細身(目に見えぬ神的な人間)にあっては、永遠の生命を与える機能をも有するというところだろうか。





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祈る心

2010-03-19 06:10:34 | 古神道の手振り
◎心をも身をもまかせて祈る

『天地(あめつち)の神のめぐみに生(お)いながら 神を斎(いつ)かぬ人の多き世

神殿(かんどの)に神はまさねど 人びとの斎かんたびに天降(あも)りますかも

見るを得ず 聞く声もなき 神の前に 祈る心は神なりにけり

よきにつけ悪しきにつけて 天地(あめつち)の神に祈るは人の真心(まごころ)

天地(あめつち)を祈るこころは 人草の道にかないしまことなるべし

手をうちて 祈るはよけれ すめ神の心汲(こころく)まずばいさおしもなし

いのるとも心に曲(まが)のあるときは 神の救いのいかでかあるべき

心をも身をもまかせて祈りなば 神はまことの力たまわむ

朝夕に神の御前(みまえ)に太祝詞唱(ふとのりととなう)る家は安らかなりけり』
(愛善の道/出口王仁三郎/みいづ舎から引用)

悟達したクンダリーニ・ヨーギといえども、無力な人草としての祈りは欠かさない。「おれは神だ、悟ったんだ」などという慢心のかけらもないままに祈るところに、凄味がある。これが誠の謙遜。

高級神霊は、普段は神棚におはすわけではないが、出口王仁三郎クラスとなれば、こうした祈りをすると直ちに「天降(あも)」ってくれるものなのだろう。

古神道は、クンダリーニ・ヨーガであるが、まず先にチャクラやメンタル体などの微細身のメカニズムがあるわけではなく、まずは曲がった心をたたき直し、そして感謝報恩から無力な自分の自覚と、見るを得ず聞く声もなき大神に私心なく祈ることから始まる。

大神が自分の中にあるなどという説を唱える手合いもいるが、それを信じてしまうと例えば「ハイアーセルフは神として見えることがある」というトリックにひっかかることがあるのではないだろうか。しかし長期的に見ればその失敗ですら、大神にアプローチするエピソードの一つと見れば、災い転じて福となることもあるのだろう。




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大慧の黙照禅への批判

2010-03-18 05:27:12 | 丹田禅(冥想法8)
◎人を誤り自ずから誤る

禅僧大慧の「大慧書」の十八章に、黙照禅への批判がある。
『「近来以来禅道仏法衰弊すること甚だし。
有般の杜撰の長老、根本自ずから悟ることなく、業識茫々として本の拠るべきなく、実頭の伎倆の学者を収摂することなく、一切の人に教えて、渠(かれ)が如くに相似せしめて、黒悉悉地(黒漫々地に同、文明ならざる意)に緊しく眼を閑却し、喚んで、黙して、常に照らすとなす。」と述べられている。

さらに同書巻下八章においては、「而るに今黙照邪師の輩、威音那畔の事と作し、また喚んで空刧以前のことと作し、悟門あるを信ぜず、悟りを以って誑となし、悟りを以って第二頭となし、悟りを以て方便の語となし、悟りを以て接引の詞と為す。此の如きの徒は、人を謾じ、人を誤り、自ずから誤る。また然らずんばあるべからず。」
と述べられている。』
(講座禅 第三巻/筑摩書房/梶谷宗忍p270から引用)

大慧と同時代に、黙照禅を唱道した宏智正覚が天童山にいたが、大慧は黙照禅を厳しく批判した。曰く、黙照禅を唱道したマスターの中には、悟っておらず゛根本のところはわかっていないのに得々と道を説く輩がいた。更には、悟りなんてのは、本当にあるものではなく、うそ又は方便の言葉として悟りという言葉があるのだと主張するものまでいたわけである。

この批判は、当時は黙照禅に対して投げられたが、今は悟りという体験とは言えない体験を無視してかかるあらゆるスピリチュアル・マスター全般に対して言えることである。

自分が悟っていないから他人にもそれでよしと教えるのは、恐ろしいことだと思う。




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ラーマクリシュナのスピリチュアル商売批判

2010-03-17 05:49:33 | 超能力・霊能力
◎自分を他人に売る

ラーマクリシュナもスピリチュアルで金儲けをすることには批判的である。そんな人を彼は宗教師と呼び、宗教師は、多少の超能力(霊能力)があって5人ほどの弟子が仕えてくれれば、評判も尊敬も金も勝ち得ることができるものだとする。

『宗教師を職業にするのは、娼婦を仕事にするようなものです。それは僅かな金のために、評判を得るために、肉体に奉仕するために、そのようなことのために、自分を他人に売ることです。

『肉体と心と魂によって神を得ることができるのに、それを、そのようなつまらないことをするのに置いておくのは良くない』ことです。

或る人が『サヴィは、いま素晴らしいときをすごしている。彼女の暮らしは良くなった、大きな家を借りて、牛糞の燃料や生活必需品を手に入れ、寝台枠の両側には様々な家具や器が置かれ、寝台、敷物、枕があって、手なずけられた男たちが大勢出入りしている』と言いました。

つまりサヴィはいま娼婦なっているので、そのために裕福なのです。

以前彼女は大旦那の家の女の召使いでしたが、いまは娼婦になっているのです。些細なことで彼女は自分自身を破滅させてしまっているのです。』
(ラーマクリシュナの福音3/シュリーマ(M)/東方出版P226から引用)

「自分を他人に売る」とは、本来自分が売る権利を持っていないもの(自分)を売ること(自分は神からの賜物であって、自分のものではない。自分のものなどない。)。自分の手足を売るようなもの。

例えば土地を売買するのにも似たようなバイブレーションがあるが、そのまがまがしさを感じる人はまだ多くはないのだろう。そういう薄気味悪さを感じないのだろうか。

スピリチュアルで金儲けをすることも、金利やキャピタル・ゲインで金儲けをすることもその意味で共通するところがある。だからもとは、キリスト教でも昔は金利を取ることは認めていなかった。

こんな発想は、個人の私権が先験的に認められる法治の原則とは相容れないが、神のルールとはそんなものだ。どちらがクレイジーなのか。




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