アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

デイヴィッド・サンボーン

2010-01-31 07:15:13 | 時代のおわり
◎everything must change

サックス奏者デイヴィッド・サンボーンが来日して、先日の日経新聞のコラムで紹介されていた。新アルバムのセールスで来日したのだろうが、ビッグ・アーティストが来日してくれるのは、コンサートにはなかなか行けないけれど、うれしいものだ。

私はもともと音楽にはあまり関心が薄かったし、そういう環境で育ったが、クンダリーニ・ヨーガの基本の一つに聞き守るというのがあり、日常生活の中で、ながらでなく人が聞き守っているのは、コンサートの時くらいであるということ、いつも聞き守っているペットは、夜の魔王であるであることなどから、「聞き守ること」にやや関心はあった。

また体調が優れない時に音楽で気分を変えるということが、タイミングによっては劇的な効果を上げることがあることについて、ある時に示唆を受け、実際に効果があった。気功・導引、柔軟体操、白隠軟ソの観想法などの冥想メソッド以外にも、音楽が効果があることを知って驚かされた。ミュージックはヒーリングすることがあるのだった。

デイヴィッド・サンボーンについては、数年前に聞いた"everything must change"はショッキングだった。「すべてが変わらなければいけない」とサックスが訴えかけてくる。心のどこかを揺さぶられる何かがある。

「すべてが変わらなければいけない」とは、すべての人の日常の中に冥想の時間ができなければ、次のエポックへのドラマチックな展開がないということ。ゴンビニのバイトのお兄ちゃんもパートのおばさんもメタボのおっさんも、みんなが一日のうちに冥想の時間を持たないと始まる話も始まらない。

宗教改革のカルヴァンもルターも音楽の効果を承知していた。ジャズ・フュージョンが今日あるのも、カトリックを含めて宗教改革で音楽を捨てなかったためということもあると思う。仏教系では、楽器を沢山使う使わないの違いはあるが、その音曲は打楽器中心で古色蒼然、音楽でもって参列者をなんとかしようと思っている意図は現代ではもう通用しないというべきだろう。無形文化財みたいなものではあるんだろうけれど。




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神は夜の側にあり

2010-01-30 07:26:14 | キリスト者の秘蹟
◎ひれ伏しおろがむ

『スペインの神秘主義者十字架のヨハネ(1542-91)は、次のように語っている。

「おお、夜よ、私を導きしものよ!

おお、夜よ、曙光より愛すべきもの!

おお、夜よ、愛する者を愛される者と一つにし、愛される者を愛する者に変えてしまう夜よ!」』
(聖人/ユッタ・シュトレーター=ベンダー/青土社p160から引用)

愛する者を愛される者と一つにし、愛される者を愛する者に変えてしまう夜こそ、世界が逆転するタイミングである。それは、夜に起こる。
神は夜の側にいるのである。

世界が逆転する、人が逆立ちして歩くとは、キリスト教的な表現では、我々の花婿との神秘的結婚である。結婚とは、対等な二人の結びつきのことだから、キリスト教の精神世界では、神との上下関係ではなく、神と対等な自分というものが自明のものと感じられていたというのが、伝統的な日本人の眼から見ればちょっと変わっている。つまりキリスト教社会では、近代的自我の発達を経て神に至るという共通認識が潜在的にあったということだろう。近代的自我の発達の極点では、自我は神に匹敵する矜持をもつ。

しかし今の日本では、基本姿勢は神に対して「ひれ伏しおろがむ」ではあるが、むしろ西洋流の、神との結婚や神とのコラボのほうがしっくりくる表現かもしれない。




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孔子と冥想

2010-01-29 06:06:36 | 冥想アヴァンギャルド
◎怪力乱神を語りまくる

大正時代あたりまでは、礼儀を学びに孔子の徳の行き渡る中国に留学する人があったものだが、今や中国では礼儀が廃れた。

中国の礼儀と言えば孔子の影響が大きい。
孔子の一生については、悟りを開く前の70代とそれ以後では全く書いているものが違う印象を持っている。70代で悟ったという説はないが、孔子には悟った時期があるように見え、それは晩年に相違ないと思う。

要するに易経の十翼は、孔子晩年に書かれたのだが、全くクンダリーニ・ヨーガの緻密なテキストに仕上がっており、かつその実力において卓越した者しか書き得ない事柄を体系づけているのである。易経の内容でいうならば、怪力乱神これを語りまくっているのが晩年の孔子の姿なのである。

孔子は若年には怪力乱神これを語らずとして、天を敬っていることから、クンダリーニ・ヨーガ系の修行はあまりしていなかったかもしれない。

論語の述而三四によれば、 孔子の病気が重くなった時、高弟の子路が孔子のことを天地の神々に祈りたいと申し出たところ、孔子は「私はいつも祈っているよ(丘の祷(いの)るや久し)」と、これを退けたという。

これにより孔子も平素から冥想をしていたことがわかる。それはクンダリーニ・ヨーガ系なのか只管打坐系なのかはわからない。平素の言動から見れば只管打坐系なのだろうと思うが、ミックスしていなかったとは限らない。

儒家も孔子がなんらかのメディテーションをやっていたことを承知しており、宋代に至って朱子や王陽明らが禅の影響を受けた冥想を盛んにしたというのは、逆に孔子の時代の冥想法は宋代にはほとんど廃れてしまったということだと思う。

何事も中国では苛酷だが、冥想法も命脈を長らえるのは難しい。




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天祖

2010-01-28 06:23:50 | 古神道の手振り
◎国家神道の名残

天祖神社は、珍しい名前の神社で、私が東京に出てきて初めてその名前を見た時は祭神の想像がつかなかったが、祭神は天照大神であるらしい。

天祖とは、日本書紀の神武即位前記にニニギノミコトを指して天祖(あまつみおや)とし、天皇の祖先とされており、また古語拾遺でもニニギのミコトを指して天皇の祖先とし、また古語拾遺ではアメノオシホミノミコトのことも天祖とし、もともとは特定の人物を天祖としていたわけではなかった。

これが幕末の水戸学において天祖とは、天照大神に限定した表現となっていった。

明治三年の大教宣布の詔勅では、この影響を受けたせいか『朕、恭(ウヤウヤ)シク惟(オモン)ミルニ、天神天祖、極ヲ立テ、統ヲ垂レ、列皇相承ケ、之ヲ継ギ之ヲ述ブ。祭政一致億兆同心。治教上ニ明ニシテ、風俗下ニ美ナリ』と、天祖とは天照大神に限定されるのを既定路線として国家神道体制が確立されていく。

要するに天祖とは、国家神道の中心的なテクニカール・タームの一つであって、天祖神社の前をとおりかかれば、おそらくは神社の名前を明治以降に変更したのだろうと思うことになる。

そういえば、上古、中古で、天祖神社の故事なんてほとんど出てこない。ナニゲに国家神道の残滓と古神道の神社が混在して放置されている・・・・・・・。それが今の神社の姿なのだろう。

鎮魂帰神を極めた人物は、国家神道の側に居たのだろうか。いわゆる神を知る人物が必ずしも神官であることはなく、その神社の周縁にいるということはままあるもの。
それで連綿としてその神社の伝統のピュアなところが継承されていくということはあるのだと思う。




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大愚宗築

2010-01-27 06:09:55 | 丹田禅(冥想法8)
◎率直とデリカシー

人事・労務の畑では、組織を乱すものとして三悪の人の評価を貶めるという。曰く、頭が悪い、口が悪い、考え方が悪いをもって三悪とする。

大愚宗築は、その伝ならば口が悪いに分類されるであろう。かれは、大酒飲みで、いつも半醒半酔でやたらにあたりの人を罵辱した。臨済系の人は、無神経でデリカシーに欠けると取られる場合があるが、この方もその典型の一つではある。

大愚宗築は(1584~1669)、十一歳で得度。20歳を過ぎた頃妙心寺の一宙に参じて、さんざんに棒を食らった。

大愚宗築が南泉寺の住職になった時、ある婦人がやってきて、わが子の葬儀の導師を頼みに来ていうには、「亡くなった子は一体どこに行ったのでしょうか」と。

大愚はこれに一言も返せず、婦人はがっかりして帰って行った。大愚は葬儀の導師をしながらこんなザマではどうして、寺の住職をやっている資格があるだろうかと言って、再び修行の旅に出た。

『また後水尾上皇に召されようとしたことがあったが、自分は尊貴の方の前に出る柄でないとして固辞している。

上皇が、大愚は仏法に誇って、つまり尊大に構えて固辞するのであろうと言われると、大愚はそうでなく、わたくしが口に任せて言いたいことを勝手に言えば、上皇は仏法に対して深い信仰をお持ちにならないだけに必ず腹を立ててわたしくを咎められるであろう、であるから固辞いたしたいと答えている』
(禅僧の遺偈/古田紹欽/春秋社から引用)

自分自身に飾り気なく対するには、他に対しても飾ることなく対しなければいけないということはあるので、その率直さが、しばしば粗暴ととられるのはわかる。





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風水火

2010-01-26 06:19:44 | 時代のおわり
◎棄てる覚悟

出口王仁三郎の未来幻視。

『○風水火

こんど来るのは風水火だ。
もう戦争はない。
小競合いくらいだ。
(昭和20年8月27日)』
(新月の光/木庭次守編/八幡書店から引用)

ハイチの大地震では、既に15万人が亡くなったという。
その天変地異が大量死なのか、それとも単独死なのかは、自分の死という観点では、その違いは、あまり意味があるとは思えない。
ただ肉体が死んでから、霊界探訪譚のように「私は死んでしまったようだ。」と後づけで死を受け入れるのはどんなものだろうか。

自分の死というのは、他人の死とは全く異なる。
肉体は死ぬが、自我は死なないなどと理屈を言っても仕方がない。

悟っているに越したことはないが、なかなかそうはいかない。いつでも自分のすべてを棄てる覚悟ができているかどうか(棄てさせられるのとは違う)。自分の持ち物のすべてをあっさりと他人に譲れるほど執着なく生きているか。そうした一見他人にはわかりにくい生活態度、内的ルールをもって生きているかどうかが試金石なのだろう。




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悟っていない人は説法してはいけない

2010-01-25 06:11:13 | 丹田禅(冥想法8)
◎雲居希膺

雲居希膺は、江戸時代の禅者。松島の瑞巌寺の中興開山。
大徳寺に幼くして入り、後、妙心寺蟠桃院の一宙に参じてその嗣法した。雲居が55歳の時、瑞巌寺に迎えられた。

『正保元年、美濃の名刹瑞流寺に迎えられ、その翌年には本山妙心寺に輪住した。結制上堂の語に正人、邪人の区別をたて、正人であればたとえ邪法を説いても正法となるが、邪人は正法を説いたとしても邪法となるとし、

道眼の精明でないものは、他に対して説法をしてはならないと誡めた。妙心寺は正法山と山号を称した。その正法山の住持の席を占めるに際し、敢えて正法の意義を結制に当たって力説したものと思われる。

妙心寺を退いた後は瑞巌寺に戻ったが、山上の一庵に住し、庵から十数日も出ることがなく、夜を徹して坐禅することが屢々であった。山上の鹿が馴れて坐禅している所まで近づくことがあったという。』
(禅僧の遺偈/古田紹欽/春秋社から引用)

要するに悟っていない人が邪人であり、悟った人が正人である。

「邪人は正法を説いたとしても邪法となる」とは、このブログでしばしば主張しているところである。

つまり悟ってない人が正法を説いても邪法となるということ。つまり悟りという体験とは言えない体験を有しない人が、宗派の教義とはずれた見解だからと言って他人の見解を批判したり、あるいは悟ってはいない人が、霊能力があるからといって、とくとくと自分の神仏についての見方を語ることなどを邪法という。

イエス・キリストは、こうした邪人が正法を説く人間が現代に多数出現することを幻視して、「終りの世にはアンチ・キリスト、偽預言者が多く出る」と語ったのだと思う。

邪人が正法を説いて邪法となるのは勿論、それで報酬を得るなどは、とんでもないこと。ニューエイジの旗手ラム・ダスが、道を語ることで一切報酬をもらわず生活に困窮したというのは、いわば最低限のルールは守ったという誇りのなせる技。

それにしても十数日籠もって坐れる人なので(そういう人は珍しい)、雲居希膺は有名ではないが、相当な実力者だったのではないだろうか。




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春浦宗煕

2010-01-24 04:03:49 | 丹田禅(冥想法8)
◎公案のアンチョコ

春浦宗煕は、一休の兄弟子の養叟の最有力な弟子の一人であり、応仁の乱で焼亡した大徳寺の再興を住持として成した人物。春浦は馬祖不安(碧厳録第三則:日面仏、月面仏の公案)の公案を透過し、さらに雲門関の『関』の公案も透過して、養叟にその悟境を許された。

『春浦の語を伝えるものとして、その語録がわずかに写本として残っている。養叟から春浦の頃にかけて、特定の公案を選び、それに一種の手引きを加えて得法させるという方法が盛んに行われることになった。こうした傾向が起こってきたのに対して、一休はこれを厳しく非難するのであるが、養叟、春浦は禅の大衆化をめざして公案の早わかりを図ったものと考えられる。

春浦の遺稿として伝えられている『春浦和尚参則』を筆者も写して所蔵している。この参則はその門に参ずる者以外に対しては秘せられ、密参と呼ばれている。ともあれ日本禅思想史の上から見ると、養叟・春浦の時代は、よきにつけ悪しきにつけ、禅が従来的なもので許されない一つの転換期にぶつかっていたのである。』
(禅僧の遺偈/古田紹欽/春秋社から引用)

一発でニルヴァーナに到達するのが、禅の真面目。ところが、公案の隘路でもって不条理を徹底させようとするところを、密参を見ることで高まった内的圧力が抜け、悟りからは遠ざかるということかあるのだろう。そこを一休は手厳しく、しつこく批判したのだろう。

公案のアンョコを伝授するのは、末寺の住持を増やすことに役に立つのかもしれないが、本当に悟れる人も悟れなくしてしまう。密参で作られた悟りは、ものの役に立たない張り子の虎のような悟りなのだ。

養叟、春浦は、そうした方法を採ることの害悪を承知してやったのか、理解できないままやったのか・・・・・・。今も昔も十牛図第三図レベルの悟りの人(見仏、見牛、見神)ですら、そんなにいないものだ。

養叟、春浦は、悟り以外のものを目的として密参というアンチョコを作ったことに間違いはあるまい。それは組織の継承者として当然の発想かもしれないが、純粋な求道者の発想ではないと思う。




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溶解せよ。しかして凝固させよ。

2010-01-23 06:31:30 | 錬金術
◎連続的な純化

現代人に錬金術に目を向けさせてくれた潮流は、ホリエモンの錬金術と漫画のハガレン「鋼の錬金術師」とであった。おかげで、いまや漫才のネタにまで錬金術師が登場したりするようになって、錬金術なる言葉がお茶の間に登場しても、もはや違和感はない。

ホリエモンの錬金術は、増資により株式を希薄化する作業を繰り返すことで、莫大な大株主としての利益を得るというそのものズバリの錬金術であった。一方ハガレンの錬金術は、相変わらず金属変成のことが錬金術だという誤解を振りまいている。

だからといって、錬金術が心理的成長や心理の変容のプロセスを叙述するためのいわば「夢日記」みたいなものだとする心理学者ユングの見方も到底真相に迫ったものとはいえまい。

『実のところ、人間にとって錬金術とは、実在の効果的聖寵に属するある種の精神状態から出た作業であるとともに、存在物の厚い外皮や事物のかたい殻に隠れてまどろんだ「生命」を捜し求めて目覚めさせる作業以外のなにものでもない。

これは窮極の完全化にいたるまでの連続的な純化からなる、物質と精気がともに座を占める普遍性の面からみても絶対的な過程である。

そのためには、「溶解せよ。しかして凝固させよ」という簡略な命令で明言されたある古の箴言ほどすぐれて操作法を教えるものはない。

この手法は単純かつ単調だが、その実践には誠実さと堅い意志と忍耐がいるうえ、破壊と不毛しか呈しない飽満の現代に生きるほとんどの者がほぼ完全に失ってしまった想像力が求められる。

生きた思想や多くを語る図像や象徴を、汗水ながして研究する者はもうほとんどいない。この学びこそ、あらゆる哲学的創造や詩的冒険と不可分であり、より一層の光明と知識
へ向けて徐々に扉を開くものであるにもかかわらずである。』
(1964年のユージェーヌ・カンスリエによる『大聖堂の秘密』への序文(『大聖堂の秘密』/フルカネリ/国書刊行会から引用)

冬は陰鬱なヨーロッパの冬を連想させるせいか、錬金術に思いを致すことが多い。

想像力が求められるからには、錬金術は只管打坐型のただ坐るタイプの冥想ではなく、観想法であることがわかる。観想法には、「誠実さと堅い意志と忍耐がいる」し、食料と飲み水と観想を邪魔されない静謐な環境が要る。チベットみたいに標高4~5千メートルの高原や山岳で観想法に適した、人のあまり来ない洞窟があればよいのだが、現代では都会の片隅で、ひっそりと誰かの世話になりながら何ヶ月も坐り続けるしかないだろう。

錬金術では、観想法による連続的な純化を繰り返し、窮極の完全化が求められる。するとこれは漸進的な進歩を前提とした修行法なので、クンダリーニ・ヨーガの一種であるということになる。

大聖堂の図像、モニュメント、十字架そうした無生物に先人の与えた手がかりの数々がある。それは、チベットなら埋蔵経のようなものだろう。同じものを見ても、わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。同じ話を聞いてもわかる人にはわかるし、わからない人には一向に何のことかわからない。釈迦は、これを、優れた馬は鞭の音を聞いただけで走り出すと評した。

この序文を書いたユージェーヌ・カンスリエという人は、フルカネリの周辺にいた人物に近く、ある程度訳のわかっている人のように思う。




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外丹なるソーマ

2010-01-22 06:40:45 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎人間としての体験の成熟

外丹とは、ソーマ・ヨーガのことである。薬物を契機として悟ることがソーマ・ヨーガ。

ソーマが私だったのか、私がソーマだったのかという古代インドの言葉は、薬物ソーマの服用によって、世界が逆転することを端的に表現している。

日常の仕事を真面目に精密に一生懸命やることを契機として、ある日突然開けるのも、悟りの道筋としてはある。これは事上磨錬。また功過格などで日々善行・悪行をもれなくチェックし続けある日、光明に到達することもある。

こうした毎日の連続した努力に比べて、ソーマ・ヨーガは、薬物を服用しさえすれば、いきなり、肉体の軛を超えて、えも言われぬ懐かしい世界に入ることができるような安直な印象を持ちがちである。

臨死体験ですらその体験内容の中で、窮極・神に出会った実例はごく稀であり、向精神性薬物の服用結果は、おおまかにはグッド・トリップ、バッド・トリップという分類こそあれ、絶対なる不壊の世界をかいま見たというケースは、これまた極めて稀であるという印象を持つ。

というのは、ドラッグ服用体験記みたいな本は相当出版されているが、中身はほとんどサイケデリックな感覚世界を見たとか、あの世の生き物に出会ったとか、ガラクタな体験記ばかりだからである。薬物によって霊やあの世を体験しただけでは、ほんとうにギリギリのところでは、通用しない。つまり、その状態から復帰したときに、人間としての苦悩は何一つ解決されていないことに変わりはないからである。

ドラッグ服用体験記の中で、例外的に絶対なるものにワンタッチできたものには、アヤワスカの服用記や、マリア・サビナの記録、カルロス・カスタネダのシリーズがある。

そうしたものを感じとれる器の大きさ、魂の準備、精神の成熟そうしたものなしには、外丹、ソーマというものは、何も惹き起しはしないのではないか。

人間としての成熟とは、あらゆる場面における実感の積み重ね、人間的体験の蓄積ということになるのだろうが、そうしたものがある一定レベルに到達して、初めて外丹というものが窮極に向けて、作用し出す・・・・・、そういうことがあるように思う。

その意味では、霊能力も超能力もドラッグも、それら作用の影響は同じようなもののような気がする。人間としての成熟、それがまず土台として必要なのだと思う。霊能力があっても、超能力があっても、ドラッグを飲んでも、それだけでは何も本質的な解決はない。

悟った人、窮極を知る人から見れば、神・仏・タオ・ニルヴァーナを知らない人と知る人の間に差はないと語るが、未悟の人にとっては大差があるとしか思えない。




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芭蕉のあはれ

2010-01-21 05:59:33 | 丹田禅(冥想法8)
◎無念になりきる

芭蕉の句。

野ざらしを 心に風のしむ身哉(かな)

悟ったからには、あらゆるものが未知の世界である。それが野ざらし。秋の野ざらしの風は、ことさらに心にしみる冷たさである。

塚も動け 我が泣く声は 秋の風

これは、松尾芭蕉が来らんことを久しく待望していたが、ついにその夢が叶わず先になくなってしまった俳人一笑の墓(塚)に詣でた時の句。芭蕉としての立場なら、さあファンである貴殿の待ち焦がれていた私がやってきたぞという死者への手向けの気持ちが句になっただろう。ここはそうではなくて、芭蕉が不遇のうちに亡くなった一笑の無念になり切っている。

これは、自分を棄てることにためらいがない人でないと、なかなかこうはなれない。これが芭蕉のあはれ。


やがて死ぬ けしきは見えず の声

これは蝉の声ではなくて、人の声でも同じ。蝉は地上に出てから6日くらいで亡くなる。人もせいぜい平均寿命で言えば90歳弱。蝉の間断ない声の長さの中に入り込み、その一生を直観してしまったのだ。蝉の一生の無力さ、たよりなさに、自分の一生も引き当てて見ている。
人間は、何一つ自分の思うとおりになりはしない。これがもののあはれ。
それでも何の問題がないことを知るのが悟り。芭蕉はそれを知っていた。




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十牛図の第三図と第八図

2010-01-20 05:36:00 | 只管打坐
◎悟りが違う

これは仮説だが、禅の悟りは、最後はいわゆる只管打坐の黙照枯坐の坐り方で第八図に到達するのではないか。

悟り、悟りというけれど、暗闇で手燭の明かりをふっと吹き消されて悟った、寺を出ようとして掃除をしていたら、小石が竹に当たってカンという音を出したので悟った、壁に寄り掛かろうとした壁がなかったので落ちて悟った、ババアにほうきでしたたかになぐられて悟った。

こういうのは、きっかけのことを言っているが、只管打坐のポスチャー(冥想姿勢)の時に発生したものではない。またこれらは皆身心脱落が同時に起こったわけではないのではないか。その証拠に身心脱落と言う言葉を用いる人はほとんどいない。

つまりこういう悟りとは、十牛図の第三図かそこらの悟りであって、見牛、見仏、見神にとどまる。見る自分が残っている。

第八図では、見る自分すらも残っていない。坐禅とは、第三図を惹き起こすためにやっているのではなく、目標は第八図である(坐禅は目標をもってするものではないと言えるのは、第八図に到達した人だけだと思う)。

第三図の見仏は、無字の公案のムーというマントラになりきることでも起こるし、何かの行(トレーニングや仕事)に一行専心することを積み重ねていくことでも起こるし、公案という知的哲学的隘路に陥り切ることでも起こる。

いろいろな坐り方や追い込み方で第三図までは行けるが、第八図への坐り方は黙照枯坐の只管打坐だけなのではないか。だから坐相をうるさく言う。

また第三図から第七図の中間段階をすっ飛ばして、急速に一円相(第八図)に至る。それが只管打坐のもうひとつの特徴なのだろう。その消息を哲学的に語ったのが正法眼蔵ということになるだろうか。道元の宝慶記には、その辺のこまかい話は子細に書いてくれてはいない。修行者のつけた断片的な備忘録みたいなものであって、未悟の者へのアンチョコという性質のものではない。

身心脱落も十方大地平沈もあらゆる表現を拒否している。親切な人なら、逆立ちした世界樹や、世界樹に吊るされた男でもってそれを暗喩する。

よってこんな仮説を証明することすら無意味であり、その証明が意味あることかどうかという議論すらも相手にしないのが第八図なのだろう。しかしそれでは現代人にはとりつくしまがなさすぎる。木で鼻をくくられたら、次からは誰も彼の話を聞きになんか行かない。

禅の悟りを生きている人が極端に少ない現代でも、悟りを生きてみせることがやはり最大の宣伝効果を生むだろうが、如何せん悟った人が、総人口に対して少なすぎる。聞く耳をもたない大多数の人は、縁なき衆生であることに変わりはない。そこで語り口の工夫は要ると思うのだけど。




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もののあはれ

2010-01-19 05:52:07 | 冥想アヴァンギャルド
◎死と隣りあう

『聖職者である樋口和彦は、はやくから現代人のこのような死に対する態度の問題点を指摘している。彼は古代人や中世人が死を自然の一部と見て、死の固有の意義をその世界観のなかにうまく取り入れていることを指摘し、それに反して、現代人は「『死』の取扱い方があまりにも片よっているために、死に対する極度の恐怖感などをおこし、人間を極度に不幸な状態におとしいれ」ていると述べている。

確かに、第三章の「地下の世界」において少し触れたが、古代人や中世人は彼等の世界観のなかに、象徴的で可視的な「死の位置」を定めている。しかしわれわれ現代人にとっては、死者の世界がその世界観の中に位置づけられていないのである。

これについて、樋口は、「このような現代人の『死』に対する考え方は、更に現代人の誤っている素朴な肉体観とも関連をもっている。現代人の多くは自分の肉体は無限に直線的に発展しつづけると素朴に考えている。・・・・・・・・したがって、死は現代人にとって、いつも『経験しないなにか』であり、生の延長上にしかなく、結局、死は経験せずにすむものという直線的な死生観を信じている」と指摘する。』
(影の現象学/河合隼雄/思索社P226-227から引用)

死と隣りあう世界観が無常観であり、もののあはれである。我々にとって死は感情的にも世間体的にもきまりが悪い、落ち着きどころのないものであるから、ほかならぬ自分の身や身近にそれが迫った時にパニックになりがちである。

死に対する感情的な抵抗感が大きいのだ。それは自分の宗教観や輪廻転生を信じているいないとはまったく関係のない反応である。自分が滅びること、いつか滅びるものであること、滅びは必ずやってくることについて社会的な共感や通念が醸成されていないためである。

エリザベス・キュブラー・ロスの死に対する姿勢の最初は「死を受け入れる」である。死に対する感情的な反発を取り除き、死を受け入れることが最初の一歩なのだ。それは特に近代西洋文明そのものである現代社会において顕著な心情的傾向であると言える。

テレビで死者を悼んだり、死に行く人々の特集番組は戦没者慰霊や大地震災害慰霊などの例外を除けばまずやらないし、「死は日常のものではないから視聴者の目から隠すべし」みたいな考え方が見え隠れする。

キリスト教でも仏教でも墓場で修行したり、墓場で髑髏や死体と寝るという不浄観は共通した修行として存在した。洋の東西を問わず、個人、修行者にとっても、死の日常化を徹底するのは簡単ではないのがこれでわかる。ある意味では程度の問題だと思う。

しかしそれにしても、現代社会は死を受け入れないという心情の延長に、実利最優先、我よしの願望実現(他人の不幸はおもしろい)、自分だけは死にたくないなどというまがまがしい発想の数々がつながっている。テレビ・新聞・週刊誌などのメディアがこうした世界観のもとに記事を書くことに悪びれもしないのは、こうした世界観を許容しているわれわれの方にも責任の一旦はある。

なんと「もののあはれ」から遠い世界を我々は生きているのだろうか。死を受け入れずして、本当の愛や感謝を語れるはずもない。




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液晶ワールドに生きる人々

2010-01-18 04:51:59 | マインド・コントロール
◎連続的な強力な光の衝撃

『テレビの画面ではあまりにも多くの殺人が起こっている。あなたは何をするだろう?

何もしはしない。ただ椅子にへばりついているだけだ。
彼らはそれに慣れきっていた。それもテレビの光景の一つにすぎなかった。彼らは現実を見失ってしまった。

テレビのほうがもっとリアルになった。五時間というもの、あなたはほかに何もやっていない------そして絶えずの、強力な光の衝撃にさらされていて、ものごとはあなたの頭の中で動いている。

あなたは観客になる。彼らはその自分の場所にへばりつき、麻痺したように立っていた----ただ見守っていた。
もはや行為の主体ではないので、彼らは何もすることができなかった。』
(英知の探求/OSHO/メルクマールから引用)

テレビを長時間見ると億劫になり、ぐうたらになりがちだ。挙げ句はこのように、いざという時でも、自分の身に起きていることとは思えず、ぼうっと立ち尽くすだけの人となる。こうした人が大量生産されている。

ぼうっとしたところにコマーシャルを流せば、無意識のなかに簡単にコマーシャルを流し込めるので、極めて高い宣伝効果を得られるのは、洗脳のシリーズ「テレビの前の正気」で説明したとおり。

事はそれだけではなく、家畜のような無意識と受動性に生きる、いわば動物に近い人間が製造し続けられていること。これらは、極めて操作されやすい人格なのだが、「素直で従順」という美点を持つとも形容され、当面特に社会的に排斥されることはないだろうが、社会の生産性は全体としては落ちる。

また冥想修行でいえば、いつまでも魂が成熟しない困った人たちということになる。アセンションを仕掛けようという人たちは、身内や味方には、テレビを見るな、パソコンに触るななどという指導をしているのかもしれないが、どこまで徹底できるのだろう。困った文明である。

それがその人たちにとって命取りにならなければよいのだが。

神に貫通される」ためには、本気で取り組まなければならないが、本気でやる習慣を持たない人たち。本気でやる、命懸けでやるということが、そもそもわからない人たち。そうした局面がなければ、「ぶち抜ける」ことはない、と思う。これも現代文明に仕掛けられた罠の一種。






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キッシンジャーのインタビュー

2010-01-17 07:03:05 | 時代のおわり
◎優秀な中国首脳陣

時々日本のマスコミは絶対に報道しないことを、ちょっとしゃべってくれる日高義樹の番組にキッシンジャーが出ていた。キッシンジャーはニクソン政権当時の国務長官。

気になったのは、キッシンジャーがこれまでの中国の経済成長を含めた最近の政策が成功し続けているのは、中国首脳の政策の取捨選択がよかったと、中国首脳の優秀さを評価していたこと。日本の高度成長で採られた政策を徹底研究し、その成果を応用した結果が今の中国の繁栄なのだろうが、そうした政策が全く共産主義のプリンシプルとは別物ではあるが、採用し続けたことこそ首脳部の卓見というべきものと思う。

しかしそれは、これからも将来の政策選択に関して正解を選び続ける人間が中国首脳に残り続けるかどうかは別の問題であるということと裏腹である。
これは最近西太后を主人公にした日中合作ドラマ(蒼穹の昴)が始まって、別のドラマ(坂の上の雲)では日清戦争で最新鋭戦艦を擁した中国軍(清軍)があっけなく負けて・・というのを見てそう思ったのだが。

もうひとつは、中国の都市部への人口流入の問題と、内陸部と沿海部の格差の問題。キッシンジャーが、中国では都市の人間を何億人か農村・地方に戻す政策を最近行った・・・みたいなことを言っていたが、それは何のことだろうか。

1950年代の反右派闘争や文化大革命の時の知識分子を対象とした都市住民の地方、農村への強制移住(下放)は既に実績のあるところ。当然中国の人々も、天安門事件はネットでは検索できないかもしれないが、中国伝統のクチコミでその真相は人づてによく承知している。政治的に突出することが自殺行為であることは皆良く知っている。

都市に何億もの人が集中し、職がなければ、その人たちは騒擾を起こす。共産主義革命は労働者・農民で起こすものと相場が決まっているが、無職の人の集まりは、それとは別で社会不安・治安の悪化の原因となり、時の政権への不信感を募らせる原因となる。

白蓮教徒の乱や、太平天国の乱は、そうした最下層の人々を秘密結社として組織したものだったが、組織の体裁はカルト(それぞれ白蓮教とキリスト教)かもしれないが、内実は食べていけない人々を糾合したもの。

中国も食料自給ができない状態に立ち戻ったようで、地方・農村からあぶりだされた人を再び地方農村に戻せなければ、その急速な軍事力強化の陰で、内政の不安定化も急速に進んでいく可能性がある。

キッシンジャーも、中国の軍事力強化の狙いを中国は公表していないと語っていた。要するに最終的に世界の覇権を握ろうとしているのか、それともアジアで覇権を唱えようとするに留まるのかわからないというなのことだろう。中国は、大陸間弾道弾はかなりの数を持ち、充分に米本土を射程にいれ、更に空母や潜水艦まで作ってどこまでやるつもりなのだろう。

何年後かに日本は中国の24番目の省(日本省)となり、北京の人民大会堂で行われる全国人民代表大会に大和族代表議員を出したり、国慶節の長安街のパレードに大和族代表が行進したりすることになっちゃうのだろうか。

アメリカが中国を敵国と見ていない理由は、建国の時の経緯が何かあるのかもしれないと思った。

キッシンジャーは、2016年7月の在韓米軍の撤収は、北アジアの軍事バランスを大きく変えることになり、早すぎて得策ではないという見方だった。2012年までの在韓米軍撤収の話は延期になったのだろうか。




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