アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

皇道と神政

2009-09-30 06:13:40 | 時代のおわり
◎世界統一後のビジョン

内田良平の国是私案は、以下のようなもので、出口王仁三郎の昭和神聖会の綱領と似ている。

○国是私案
一、神政復古建国の皇謨を完成すべし。
二、皇道を宣布し全人類を指導教化すべし。
三、皇道に立脚せる新政治を行うべし。
四、無道の国を懲するに足る実力を養成すべし。
五、世界をして絶対平和ならしむべき基本国となるべし

○昭和神聖会綱領
一、皇道の本義に基き祭政一致の確立を期す
一、天祖の神勅並に聖詔を奉戴し、神国日本の大使命遂行を期す
一、万邦無比の国体を闡明し、皇道経済、皇道外交の確立を期す
一、皇道を国教と信奉し、国民教育、指導精神の確立を期す
一、国防の充実と農工商の隆昌を図り、国本の基礎確立を期す
一、神聖皇道を宣布発揚し、人類愛善の実践を期す

キーワードは皇道と神政ということになるが、皇道も神政も当時の政府の考えていたものとは全く違っていたものであろうことは想像がつく。

出口王仁三郎のように最初から弾圧を受けることを知っており、かつまた日本が敗戦を迎えることを知っていた人間が、殊更にこのことをどういうつもりで提言したのか。その真意が問題となる。

ロシアを単独横断した内田良平が強く認識したのは、欧州露西亜におけるユダヤ勢力の端倪すべからざる動きであり、また出口王仁三郎も出口ナオの大本神諭以来そのことは常に念頭にあり、出口王仁三郎は、この先ユダヤの名のもとに世界が一旦は統一されることを予言もしている。


○昭和神聖会の主義
本会は神聖なる神国日本の大道、皇道に則り万世一系の 聖天子の天業を翼賛し奉り、肇国の精神を遵奉し、皇国の大使命と皇国民天賦の使命達成を期す。

皇国民天賦の使命とは、冥想により、神国ジャパンの国民一人一人が神・仏・ニルヴァーナを知ることなのだろうと思うが、当時そんなことを主張してもその必要性を理解できる人は極めて稀であるために、皇国民天賦の使命という漠然とした表現を取らざるを得なかったのではないかと思った。

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内田良平の男の道

2009-09-29 06:11:31 | 時代のおわり
◎道に当たっては不惜身命

『男の道

男を売る道侠客道も浪人道も士道であり、臣民道であり、皇国体に殉ずる道に他ならぬ。
埋に流され溺れ、を忘れ、一念不動の男の道を失って了った。

男という理念を失った浅薄な人間に何ができるか。浪人の道は下積みに生きる地味な渋みのある処にあるのだ。

真剣に生きよ。

男らしさは真剣味な生活から生ずる。

道に志し男を磨き、道に当たっては不惜身命 邁進奉公をすることである。』
(国士 内田良平/内田良平研究会編著/展転社から引用)

皇国体に殉ずる道は、結局志を遂げることはできなかった。
それでも男の道だけは残っている。

皇国体に殉ずる道とは、マニピュラ・チャクラ主体の自己実現の当時における典型だったのだろうと思う。大東亜戦争とその後の戦後復興、高度成長で、日本全体がマニピュラ・チャクラ的自己実現を見切った観がある。

残った真剣味でもって、やまとおのこは、冥想道に邁進するしかあるまい。




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アメリカのみっともないお金持ども

2009-09-28 06:07:36 | 時代のおわり
◎強欲につける薬はない

マイクロソフト社のデビッド・ゲイツは総資産3兆円も持っていて、要塞のような巨大な邸宅に住んでいるというのは、アメリカでも例外的な成功者のことかと思いきや、アメリカではよく見かける風景のようだ。

また先日ゴールドマンサックス社員の平均年棒は40万ドル(40百万円程度)という記事が出て、驚いたものだが、生涯の平均年収2~3億円の日本人といえども、そんなことでビビッていてはいけない。

http://www.nytimes.com/2008/04/16/business/16wall.html
これは、リーマンショック前の2008年4月のニューヨーク・タイムズの記事で、この左側のgraphicというボタンを押すと、2007年のヘッジファンドのファンドマネージャー報酬のトップテンがある。(1ドル=百円で換算)

1位 John Paulson  37億ドル(年収3700億円)
2位 George Soros  29億ドル(年収2900億円)
3位 James H. Simons 28億ドル(年収2800億円)
・・・・・・・
10位 O Andreas halvorsen  520百万ドル(年収520億円)

1千億円とは、たとえば大都市近郊に最新鋭の大型自動車製造工場が建てられる金額であり、年間2百万円の年金生活者や最低賃金の人なら5万人の収入総額に匹敵する金額である。

儲けすぎることは醜いことなのでしょうか、金儲け・・悪いことですか。彼等は何も間違ったことはしていないし、違法なこともやっていない。ヘッジファンドに公的資金は入らなかったが、その主な顧客であるAIGやゴールドマンサックスやシティバンクには巨額の公的資金を税金から入れてもらって、結果的にその収入を維持できるようにしてもらっただけなのだ。

しかし、その強欲ぶりは恥知らずで、悪玉商人大黒屋をやっつける水戸の黄門様のドラマはアメリカにはない。いくらもらっても満足しない人につける薬はない。

リーマンショックはこうした「ごうつくばり」が原因で起きたのであって、毎日地味に働いている大勢のパートのおばさんのケチケチが原因で起きたのではない。こうした人の都合が真っ先に優先されて、世界は不況と増税に脅かされているのである。こうした人を合法の名のもとに許す社会体制が一つの近代西欧文明の特徴であり、それが終末への混乱を増幅しているわけだ。

各国の首脳会議で議論されている金融界の年収制限は年棒1億円、2億円のことではないのである。サッカーのクリスチアーノ・ロナウドや、野球のイチローの十倍、百倍稼ぐ人の年収上限を規制するしないの議論なのだ。

もう一つの視点としては、商品や工業製品を製造したり販売したりする実物商売の人よりも、金を右から左に動かすこうした商売の方の収入のほうがはるかに高いということも真面目な実物経済で働く人のやる気を失わせようというものだという点もある。

冥想修行者なら、立って半畳、寝て一畳。椀と箸しかなくても不平は言わないのが作法である。そういうカルチャーこそ人間本来のカルチャーのはずだが。覚者がわざわざそういう質素ぶりを見せてあげないとわからないところが、現代人の機根の弱いところだと思う。




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モンゴルのリハーサル

2009-09-27 09:13:26 | 時代のおわり
◎日本、モンゴル、崑崙山

出口王仁三郎が昭和10年の第二次大本事件で囚われの身となった時に、親身に釈放工作をしてくれたのは、右翼の大立者内田良平と頭山満だけだった。彼等と出口王仁三郎が知り合ったのは、大正10年過ぎのことらしい。

述懐
五十年国を憂ひて 草莽の野にさまよひて 泣きに泣きたり
内田良平(昭和九年)

内田良平は、昭和神聖会運動を出口王仁三郎と共に押し進めたが、第二次大本事件により頓挫したことで、非常に落胆したと伝えられる。


出口王仁三郎は、第一次大本事件のために仮釈放の身であったが、大正12年2月12日の白昼、月と金星が空に輝く異象を見て、モンゴル行きを決意する。

出口王仁三郎は、翌日には奉天に入り、大本信者の元海軍大佐矢野祐太郎や、内田良平の玄洋社時代からの盟友・末永節の主宰する「肇国会」の現地責任者岡崎鉄首らの斡旋で、現地の馬賊の頭目盧占魁との盟約が成った。
出口王仁三郎一行は、この混成軍の名を内外蒙古独立軍とし、四カ月あまりモンゴルを進軍を続けていたところ、張作霖軍に捕縛され、同行した植芝盛平ともども銃殺寸前までいった。(パインタラの遭難)

そして昭和十年の第二次大本事件前夜、出口王仁三郎は、ご神体を笹目秀和に託し、中国崑崙山系への返還を依頼した。

型を出すとは、アカシック・レコード上のリハーサルのことだろうから、東アジア再編の大波の中で、モンゴルが軸になる時代が来ることを暗示しているのだろうと思う。
2月12日は、例のダンテス・ダイジの誕生日であり、何か因縁があるのだろう。




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現人神の再来

2009-09-26 07:50:29 | キリスト者の秘蹟
◎下世話な好奇心

偽現人神の幻滅の時代の次は、現人神の再来の時代を迎えている。冥想により続々と本物の現人神が出るのだ。天皇だって最初の頃は同殿同床、第10代崇神天皇の頃までは現人神だった。

現人神、つまり神を見た人、神と合一した体験のある人があまりいなくて珍しい頃は、珍しい見せ物にされがちなので、それに伴う衆人の好奇心に応対したり、属する社会や組織の上長からの無神経なコンタクトに煩わさせたりすることが多いものだ。そういう人が珍しくない時代は、今の時代ではないかもしれない。

けれども、一歩下がってそうした生き方が「フツー」のあり方であると気がつく人が続々と出て来ないと、現人神大量出現の地ならしができていないということで、潜在的な現人神候補の方々も立候補をご辞退されるに違いないと思う。

1951年になくなったフランスの修道女イヴォンヌ・エメは、ピオ神父と並んで、なんでもござれの超能力者だった。

聖痕があるのは勿論のこと、イエスとの頻繁な交渉はあるは、テレポートはするは、同時に多数の場所に出現して別々の行動はするは、思念による物体移動はするは、虚空からの物体取り出しもあり、イエスの御告げを受けた予言もあり、悪魔からの頻繁な攻撃にさらされることまであった。

16世紀のクラリス会修道院長マドレーヌが宗教裁判にかけられて、実は悪魔と契約していたので出世と成功を得たという話を引き合いに出して、「彼女の信じていたものすべてがサタンに騙されていたのではないと言い切れるか」と詰め寄る親しい人まで現れて、こうした彼女も、晩年には非常に窮屈な思いをしたのではないだろうか。

宗教裁判による拷問と自白の手口は今では広く知られていて、宗教裁判での自白の信憑性はとても疑わしいこととされる。
サタンにだまされているかどうかを判定できる人(審神者)はサタンに騙されていない人だけである。サタンに騙されていない人は、神を知る人だけなので、相当に限定された数の人だけとなる。従って、こうした質問を彼女に投げかけたクレテ神父という人は神を知らなかったので、その正邪の判定ができなかったのだろう。

これは聖者がたまたま超能力を見せてくれただけなので、そんなのはほっといて欲しいと思う。それができることは肝心な部分とは何の関係もないのだから。

ある時イヴォンヌ・エメは、修道院の台所でソースをかき回していたが、突然その動作が急にのろくなった。その同じ時間帯に彼女は、自分の部屋で机に向かって手紙を書き始めのを別の修道女に目撃されたということがあった。分身の動作がのろくなるのは、フィリス・アトウォーターも同じだった。

こんなのは、ちょっと面白いけれど、だからといってどうということはない。日々悪業を積み重ねない生き方だけが今我々に求められているのだから。




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其の雄を知って其の雌を守れば

2009-09-25 04:21:33 | 老子
◎老子第28章 知其雄

『その雄の持つ強さを知っていても、これを出そうとしないで、反対に雌の持つあの弱さ、従順さを持ち守っていたならば、谿(たに)がすべての水を集めるようにできるであろう。

そうなったならば、永久に変わらぬ真の徳がその身から離れない。即ち自然の和そのものである嬰児の心に復えるのである。

その明智の持つ賢さを知っていても、これを表に出そうとしないで、反対に暗愚の持つあの無能を持ち守っていたならば、天下の模範となることができるであろう。

そうなったならば、永久に変わらぬ真の徳に違わず、その真の徳に違わなかったならば、行き詰まる事なき自然の道に復帰できるからである。

栄誉を身につける道を知っていても自らそれになろうとせず、むしろ反対に人の忌み嫌う卑賤の位置にいることを求めたならば、すべての水が集まって来るような天下の谿(たに)となる。

谷となったならば、永久に変わらぬ真の徳がみち備わって来て、山から切り出したばかりの木のような、汚れのなき道(タオ)の原始へ復り得るであろう。

(樸(あらき)はこれをその木の質によりわけて、それぞれの器につくる。聖人はこの自然の道を用いて、天下を経営し、それぞれの人にそれぞれの所を得させる。これを、道による制度は自然のままで、少しも人為を加えないと。)』

大道を知るものにとっては、道の本源に立ち返って生きるにはどうすればよいかなどというノウハウは本来余計なものであるはず。つまり大道は見た体験があるけれども、常にそのレベルに意識があり続けない人が、ここの章の対象ということになる。

ないしは、大道すらも見た経験のない人に対してその体験と、大道を履(ふ)んだ行動の結果を説明している。




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人間を祀った神社-12

2009-09-24 04:21:47 | 古神道の手振り
◎現人神の幻滅

現人神とは、悟りを開いて神人合一の人間の体験とは呼べない体験をした人間なのだろうか。それは全然そんな意味ではない。戦前にあっては、政治的タテマエの権化が現人神。

さて、神が人の姿をとってやってくるんだ。本来、そんな現人神のイメージは人々を熱狂させるものだ

純粋な道心を持つ者にとって、現人神に出会えるかどうかは、それを信じるかどうかよりも、ある意味で大きな問題である。チベット密教には、活仏の伝統あり、浄土真宗には生き仏である法主生仏信仰の伝統がある。

またひとつ違った意味で、空海の死せずして入定しているという伝説があり、これも生き仏である。

教団のリーダーが生き神ということではないが、カトリックにも聖痕の聖者の伝統がある。

キリスト教はこうした騒ぎの扱いについては慣れており、真の信仰とは、さる高貴、神聖なビジョンを見ることではなく、かつまた神との合一でもないというような基本姿勢がある。だから十字架上のイエスと同様に、始終手のひらや脇腹から出血していたり、神との合一体験を語る人が出てきても、なかなか聖者としては認めてはくれない。
                    
パウロはコリント人への第一の手紙の中で、『たとえ御使達の言葉を語っても、預言する能力があっても、あらゆる奥義に通じていても、もし愛がなければ私は無に等しい。』と外面的なものや、超能力や、たまさかの神秘体験にはだまされないぞという姿勢で一貫している。

戦後の日本社会も「そんなまやかしにはもうだまされないぞ」という冷静さ(シラケと裏腹ではあるが)を持ち得たのは多とすべきだろう。

翻ってそうした傾向には、しばしば土俗シャーマニズム的な迷蒙、迷信の世界に陥り易いという欠点もある。

日本人は、スーパー・アイドルとしての現人神をもう信じなくなった。かつてのスーパーヒローだった王、長島、大鵬も病に苦しみ、老残の身となった。美空ひばりも石原裕次郎も故人となった。

日本では、国家神道の幻から醒めた後、旧来型のアイドル、ヒーローのリードする民衆熱狂型の宗教の到来する余地を徐々になくしてしまったのだ。

あらゆる歴史的・個人的悪あがきを尽くした後は、本当の自分に向き合ってみるしかないということになってくれるのだろうか。




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人間を祀った神社-11

2009-09-23 07:03:09 | 古神道の手振り
◎他山の石

人間を祀った神社とは、明治以来80年にわたった国家神道におおわれた戦前の日本全体のことだった。

最近北朝鮮の報道がマスコミで盛んに流されることが多くなり、故金日成主席、金正日総書記に対する国民による絶対的な崇拝の姿をみて、ファシズム的であり、ある意味で戯画的な姿であることを目の当たりにする。同じような構図は、1960年代後半からの毛沢東崇拝を軸とする中国の文化大革命運動の当時でも見られた。

日本でもわずか65年前には、同じような宗教統制、思想統制を大々的にやっていたのだから、「わが先進国であり民主主義国である日本では、国家神道は死語であり、思想、信教の自由は憲法で保証されている」などと、他国に対して威張ることはできない。

国家神道の進展過程を見れば、最後は治安維持法を中心とした法律で引き締めていたのではあるが、基本構想は、まず明治維新前後に尊皇思想があって、廃仏毀釈と神道がヘゲモニーを握るという発想にあったのだろう。それが教育勅語によって土台づくりが成され、昭和に入ってからは、軍部の台頭とともに発展していき、ファシズムを奔らせる道具となった。そうなったのは、法律や文部(神祇)官僚の仕振りだけの問題ではないと思う。

その反動としてか、戦後の神社神道は、神社儀礼の執行者に成り下がり、宗教としては衰退の道をたどっているように見える。逆に戦前は日陰の花であった天理教、金光教、大本教などの教派神道がむしろ宗教本来の勢いを保持しているように見える。

しかしながら並行して皇族の小規模化による皇統断絶の懸念も抱えていることは、神社神道にとっても大きな問題なのではないだろうか。




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人間を祀った神社-10

2009-09-22 07:58:17 | 古神道の手振り
◎宗教弾圧の時代

昭和に入ってから終戦までの間に、治安維持法がらみで弾圧を受けたのは大本教だけではない。宗派を問わず軒並みやられている。

1.昭和18年、創価学会は、伊勢神宮の大麻(神札)を祀ることを拒否して弾圧され、会長牧口常三郎は獄死。戸田城聖、矢島周平以外の幹部は全員転向した。

2.ハリストス正教会の老齢のセルゲイ大主教は、ゾルゲ事件の容疑で拘引され、終戦直後に厳しい取り調べが原因で病死。

3.キリスト教のホーリネス系諸教会が弾圧され、殉教者6人を出した。

4.「ひとのみち」は、御木徳一を教祖とし、教育勅語を経典として、アマテラスオホミカミの信仰を中心とする新興宗教で、国策に協力していたが、昭和11年、教育勅語の卑俗な解釈などを理由に、教祖御木徳一は不敬罪で起訴、保釈中に病死した。

5.昭和11年、仏教の革新と社会主義運動との提携を唱える妹尾義郎らの新興仏教青年同盟が治安維持法で弾圧。

6.キリスト教学生社会運動(SCM)も弾圧。

7.昭和13年、天理教系「ほんみち」は、内務省により禁止とされた。生き神甘露台を自称する教祖大西愛治郎は、記紀神話は架空の物語であり、これを根拠とする天皇に国家統治の資格なしと断ずる資料を大量に配布。
第二次弾圧では、教祖以下信者400名を検挙したが、生き神甘露台を裁判で否定することなく、教祖を精神病と認定して、無罪判決を下した。

一方新興宗教の全部が弾圧されたわけではなく、生長の家や霊友会は弾圧されることはなかった。
(以上出典:国家神道と民衆宗教/村上重良/吉川弘文館)

宗教弾圧は、文部省による現人神思想の確立の昭和10年以降に盛んに行われているところを見ると、現人神の権威を守るためにしゃにむに宗教弾圧を繰り返していたようである。ところが、現人神であった方は、敗戦後直ちに人間であることを宣言されたのだった。

特定の宗派の中からみれば、わが宗派こそ圧政の犠牲者の筆頭みたいに見えがちなものであるが、当時の暗い時代を輪切りにして俯瞰すれば、現人神をわずかでも認めない宗派はことごとく弾圧されていたのであって、まさに思想面でのファシズムだった。

一方既成宗教にあっても、積極的に戦争協力していた宗派は、戦後その見識を問われてはいる。そうした宗派は戦中に、現人神をどう位置づけていたのだろうか。

結局、敗戦後大衆の心に残った影響は、絶対的な権威など何もないということだったのではないだろうか。
つまり政府の押しつける精神的・宗教的な権威は絶対的なものでなく、その場しのぎ、ご都合主義みたいなところが多分にある。また宗教においても、戦争に協力した宗派も、同様のそしりは免れない。一方、弾圧された宗派においてであってすら、自己犠牲の正当性は保持したが、現世利益面では疑問を持たれる結果となった。

戦後国民全体の生活水準が向上したことで現世利益を標榜する宗教はほとんど例外なく興隆することになった。しかしながら、戦争を意識して一朝政府の思想統制が始まれば、規律厳しい官僚によって戦前と同じようなことが徹底されない保証はないだろう。

こうした戦前の宗教弾圧は、なぜかNHKなどでもまとめて採り上げることがほとんどない。そんなことが布石とならねばよいが。




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人間を祀った神社-9

2009-09-21 07:08:22 | 古神道の手振り
◎国家神道の本質

国家神道は、宗教ではなく国家の祭祀とされた。祭祀があれば、その裏付けとなる教義があるものであるが、それは記紀の日本神話くらいのものであり、教義と呼ぶには、あまりにもシンボリックなものに過ぎなかった。そのような「教義」では、仏教やキリスト教義に拮抗すべくもなかったから、「神道は、宗教ではなく国家の祭祀」などと言い張ったのかもしれない。(これはたとえば大日経を教義と呼ぶのが厳しいのと似ている)

宗教であれば、神に近づく修行がメインになるべきところ、祭祀という顕斎のみを取り上げ、明治以来の政権が、国民の政府への献身の動機づけとして国家神道を利用したところが特徴的で、これがその後の日本の迷走の基盤となった。

明治23年の教育勅語は、歴代の天皇を中心とする国体を基本理念とし、一旦戦争などの事あれば、臣民は、義勇公に奉し、天皇制国家を扶翼するためにすべてを捧げなければならないというように、国家神道にもとづいた教育を行うことを宣言した経典であった。

教育勅語の骨子は、日本人なら持っている天皇への忠誠心とこれまた日本人の古来持っている先祖への崇敬心を融合させて、天皇を先祖の親玉と見立てることによって、天皇への滅私奉公を揺るぎないものにしようとする発想であった。

さらに翌明治24年、全国の公立小学校に天皇、皇后両陛下の御真影が下賜され、まずは教育でもって、後の戦争への国民総動員に心理的抵抗をなからしむるための準備が整えられた。

そして大東亜戦争を前にして、天皇の現人神思想が文部省によって明確化されて仕上げとなる。
『天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。』
(昭和10年「国体の本義」文部省) 

国家神道では、これらの根本思想を中心において、政府主導の宮中祭祀の再編、伊勢神宮(内宮)の祭祀の再編を始めとした全国の神社祭祀の再規定、神社の整理、各地護国神社や靖国神社、明治神宮などの神社創建、神官神職の宗教官僚化、ほんみち教団(天理教の分派)や大本教などへの弾圧などが展開されていった。

このように国家神道というのは、大量の人も金も時間も動員したのであるが、求道という視点からは、はなはだ心もとないものであったという印象である。その祭式・修行法のもとで、何人が神に出会ったのだろうか。




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空海の念力伝説

2009-09-20 07:02:13 | 密教
◎藤森神社での土地賃借

空海が藤森神社で、念力によって不動産詐欺を働いた話がある。

藤森神社は、720年日本書紀を献上した舎人親王を祀る神社。本殿の主祭神は、神功皇后ゆかりの矛神と盾神だったが、明治になってスサノオの命となったという。東殿の祭神が舎人親王で、人を祀る神社である。西殿は早良親王を祀る。

『ある日、弘法大師が藤森の社に、「稲荷の神を祀るので、土地を貸して欲しい」とやって来た。藤森では、
「まあ、藁一束分位ならいいでしょう」
と応えた。すると大師は藁一束をほどいて、一本一本を繋いで、稲荷の山と里を全部囲んでしまった。

それから大師は、
「期限は十年」と書かれた証文に向かって、
「エイッ」と言った。すると証文の文字は「千年」になっていた。点がひとつ、知らぬ間に増えた訳である。

祭礼の日(5月5日/明治時代から昭和20年までは6月5日に行われた)に、神輿を担いだ藤森の氏子が、稲荷神社に行って、
「土地返せ」
と言うと、稲荷の方では、
「神様お留守」とか
「後三年、待ってくれ」とか言うというのである。

これは藤森神社と伏見稲荷との長い間の領地争いを語るものであろう。空海についての話即ち「大師伝承」は至る所にあり、殆どは空海が天才であり、聖人であるという話であるが、ここでは空海はむしろいかがわしい人物として登場する。
私は空海の崇拝者であるが、空海にこういう面が全くなかったとは言い切れないと思う

(京都発見一/梅原猛/新潮社から引用)

空海のように急速に勢力を伸ばした人の場合、天皇の庇護によって、さまざまな接収や造営を大規模に行ったのだろうから、こうした強引とも思える仕業はないことはないのだろうと思う。

また呪力、超能力はある意味で恣意的な現実の改変なのだから、実際の現場では損をする側からみれば、納得できないことは多々あったのだとも思う。

長いものには巻かれるのが温和な日本人の習いなのだけれど・・・。また超能力を信じない者にとっては、超能力者とは詐欺師そのものでもある。






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人間を祀った神社-8

2009-09-19 05:02:46 | 古神道の手振り
◎古神道のグランド・デザイン

古神道を復興させようと思うならば、もとつ神、天津神、国津神、八百万の神の由来をそれぞれに明かにする必要があるのだろうと思う。


それは当然神話であって、古事記、日本書紀になるのだが、出口王仁三郎は、特に古事記を神々の因縁来歴を記した書として重視した。その一方で古事記は内容がわやになっていると評し、その内容に混乱があることも認めている。

古神道がクンダリーニ・ヨーガであるということを前提にするならば、アメノミナカヌシノカミなどの造化三神を中心太陽のシンボルと見るのか、アマテラスオオミカミを中心太陽のシンボルと見るのか、あるいは両方とも中心太陽の表現であると見るのかという見極めから始まって、神々の世界での様々な重大事件が現代に連なっていき、未来にも渡っているところまでを描くのが世界のメジャーな神話の定番である。

古事記は一応それらしい体裁を整えてはいるが、持統天皇の時代を中心として、藤原政権が政権を奪取した時代に、日本書紀を中心とする神話の組み替え、言語の組み替え(漢字主力の言語)、神道に対する輸入宗教である仏教優位の体制の確立などを通じて、政治、宗教、文化にわたる文化大革命を起こして、藤原政権の基盤を揺るぎないものにしたという背景があるようなので、それを無視してかかるわけにはいかない。

つまり古事記といえども、藤原政権の支配強化の道具のひとつであったという傾向が強いので、やまとの天津神、国津神、八百万の神々の太古から現代にわたる正統的な歴史読み物として読むわけにはいかなかったのである。

古神道のグランド・デザインを構想する場合に、わやになっている神代から持統天皇の時代までの「真説 古事記」を再提示して、本来の日本神話を再構成して、更に現代人に与えられたテーマである覚醒(帰神)の意義を明かにするのは、出口王仁三郎にとって急務であったろう。それに加えて、危機の時代と現代人の覚醒のことは、太古の物語のように見せながら、霊界物語五巻のあたりまでのところで、しっかりと書かれてあるよう見える。

出口王仁三郎の時代は、国家神道全盛の時代。その時代に、古事記は間違っているので、真説古事記を出すというわけには参らなかっただろうから、霊界物語という独自スタイルで出さざるを得なかったのだろうと思う。




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人間を祀った神社-7

2009-09-18 06:01:16 | 古神道の手振り
◎みたま磨き

神道が曼陀羅を用いないクンダリーニ・ヨーガであるとして、諸尊格や諸神霊をイメージする観想法は用いられなかったようである。

その代わりに、神功皇后以来のシャーマニズムによる神降ろし、帰神を中心メソッドとして大神との交流を図ってきた可能性がある。

出口王仁三郎の試行錯誤を見れば、大正10年頃までは、本気で教団全体に帰神メソッドでもって神と交流しようという動きをしていて、その後は、帰神メソッドを推奨することをやめた。やめた原因は、ほとんどのケースで帰神には至らず、低級霊の憑霊に留まったためだと思われる。

出口ナオのケースを見ても、帰神となるためには依代のみたまが相当に磨けていることが必要となる。ところが意外にみたまの磨けていない者が多く、大神の懸かるようなレベルには到達できなかった。

そこでみたま磨きというのが、その準備として着目されるところだが、みたま磨きとは、社会での自己実現を通して、自我を極大化させ、この世の不条理に直面させ、自我の死を実現することである。その先に愛がある。

これが文明的なテーマである自己実現たるマニピュラ・チャクラから愛のアナハタ・チャクラへの移行のカラクリである。

大正10年の方針転換後は、出口王仁三郎は、社会の成熟と自我の極大化は並行するものであるから、昭和神聖会から第二次大本事件へと進んでカタストロフィーを迎えることで、広義の自我の死を演出することが最善のみたま磨きカリキュラムであると信じていたのではないだろうか。

出口王仁三郎は、それを型を出すと言うが、そのプロトタイプに沿ってその後の日本の運命が展開する鋳型を造ったということである。

さて時代精神のみたま磨きが済んだら、真正の古神道修行者は、やはり帰神メソッドによって大神と一体になるのだろうか。





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人間を祀った神社-6

2009-09-17 06:17:26 | 古神道の手振り
◎曼陀羅を用いず

延喜式神名帳の中に名神という分類があって、特に霊験著しい神社のことで、二百二十六社あるが、序列はつけていない。

延喜式神名帳の冒頭には、宮内省坐神の三座あり、薗神社、韓神社二座で、宮中と朝鮮の強い結びつきが知られる。

この中には、秦氏の神社の木島坐天照御魂神社、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、貴船神社、伏見稲荷大社(当時から稲荷は別格だったのですね)などの有名どころに加え、藤原氏の時代なので、春日大社は当然入って来る。

伊勢神宮(内宮)は、大社には入っているが、名神にはなぜか入れていないところを見ると藤原氏にとっては、伊勢神宮よりは春日大社の扱いの方が重要だったのだろうか。

延喜式神名帳は、畿内の神社が中心なのだが、全国的にみると、陸奥国特に宮城県が多く、一方北陸が少ないことは注目される。当時の政治的、経済的なパワー・バランスがこれに反映しているのだろう。

※延喜式神名帳はここが良くできていました。
http://www.genbu.net/engi/

延喜式神名帳の時代であっても政府から支出される幣帛の金額は仏教優位だったので、次の神仏習合の時代において、仏教優位となるところはやむを得なかったのだろう。

その後国司の近隣の神社が総社と呼ばれて栄える一方、民衆から支持を集めていた各地方の神社が一の宮とされていった。

同じクンダリーニ・ヨーガ系でも大神、大日如来から来るべきビジョンを密教では曼陀羅という形でより具体的に見せたのに対し、神道では、いわば絵画で偽物を見せるような真似はしないという厳格な姿勢が一貫していたとみるべきだろう。

よって幕の後には何もないという、どの神社でも見られるスタイルが全国どこでも見られるのだろうと思う。またそのスタイルこそが、何千年にもわたる政変、宗教破壊、戦乱をくぐり抜けて、神道の本質をあやまたずに伝承してきた重要なポイントだったようにも思う。




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人間を祀った神社-5

2009-09-16 06:13:08 | 古神道の手振り
◎最古の神社ランキング

最古の神社ランキングと言えば、延喜式神名帳。これは905年成立なので、古事記や日本書紀より後の成立である。

つまり日本書紀成立前後に、畿内から日本で最有力のメジャーな神社が出雲に追いやられ、また持統天皇が押す伊勢神宮を神道の中心に据える動きが一段落し、また原日本神話が日本書紀的日本神話に置き換えられ、それが世上に信じられ始めた時代の成立である。
よって延喜式神名帳の神社ランキングも藤原政権の意向の色濃いものだろうと思われる。

また日本は神国であって、それぞれの地方に土地の神があり産土神あって、神名帳の出現を待つまでもなく、パワー・スポットはある。従って延喜式神名帳といえども、当時の政府の役人の作ったものであって、必ずしもその神気の優劣をランキングしたものとは言えないのだと思う。

延喜式神名帳のランク区分は、官幣大社、官幣小社、国幣大社、国幣小社で、官社には社格と神階(正三位、従四位などをいう)が与えられた。神階は天皇が祭神に対し賜ったみたいなので、微妙な感じがする。




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