アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

マクモニーグルの未来透視-2

2009-08-31 04:36:23 | 超能力・霊能力
◎新たな宗教改革

マクモニーグルの透視した21世紀の宗教状況では、キリスト教徒の著しい減少を透視し、その原因として、次の4つを挙げる。
1.キリスト教会の教義解釈の緩和または厳格化
2.西洋社会へのアジア、中東の宗教の流入(仏教、イスラム教、道教)
3.まだ現在生まれていない宗教的分派が著しく台頭する
4.無神論者が著しく増える。

問題なのは、この3番目。

『2002年から2005年には新しい宗教を生み出そうとする協調的な動きが見られるようになる。この宗教は、宗教と科学の再統合を意図しているが、キリスト教的な観点に重きを置いてはいない。

おもな教義は、魂にかかわる普遍的な法則に基づいている。

人間と現実世界とのかかわりが、いかに生命、健康、幸福に影響をおよぼすかを訴える宗教で、名称は「科学の形而上学的教会」といった感じになるだろう。

大きな脅威とみなされるため、誕生の経緯は平穏ではないが、教会のそもそも意図するところは、個人の信念の違いを許容し、尊重するよう教え諭すところにある。病人やけが人を癒し、かつまた死期の近い人や苦痛に苛まれる人を慰めることで、2050年には強固な基盤を築いているだろう。新教会は、円と無限大のシンボルを合わせた印を用いるようだ。

他の宗派は新教会に脅威を感じるよりも、その出現するところを真摯に受け止め、無償の愛についてあらためて考えを広げて、科学的道義を教義に組み入れることを検討すべきだろう』
(未来を透視する/ジョー・マクモニーグル/ソフトバンク・クリエイティブから引用)

「科学の形而上学的教会」といってもクリスチャン・サイエンスや幸福の科学ではありません。またこの説明だけでは何のことかわからないが、既成宗教の教義の本質的なところを問い直す、このブログみたいなチャレンジをする宗教なのではないかと思う。

魂にかかわる普遍的な法則とは、死後も魂は存続すること(死んだら終りではない)、人間にとっての悟りの持つ意味と、現実の行動における善悪とその結果の絶対性、個人の行動が直ちに世界情勢に反映することなどを科学的に捉えるところにあって、2012年になれば無条件に全人類に幸福が実現するなんて教条的な都合の良い話を勧める宗教ではないと思う。

さりながら、「科学の形而上学的教会」って、ネーミングがなんとかならないものでしょうか。このままでは、ハイセンスな日本人に受け入れられそうもないです。




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マクモニーグルの未来透視

2009-08-30 16:10:36 | 超能力・霊能力
◎見えたビジョンと洞察力

マクモニーグルの透視は、アストラル・トッリプではなくて、何というかアジナーでもって見に行くような印象を受ける。

彼の見た西暦三千年は、世界人口は現在の六分の一に減少しているが、緑したたる沃野の中に超近代都市が点在しており、その中に肉体人間が居住しているビジョンである。この未来図は、ヘミシンクのモンローの見た、地上に肉体人間が全くいないような未来図とは全く異なるものである。

マクモニーグルの未来透視でもう一つ特徴的なのは、大破局、つまり出口王仁三郎の見たような大峠の記載がないことである。彼のビジョンには本当に出てこなかったのかもしれないし、見た人はほとんどがその悲惨さに驚き、あからさまに叙述するとを避けるものだからかもしれない。

わずかにノストラダムスや出口王仁三郎やイエス・キリストのような人が断片的にそれを伝えるだけである。

彼の未来透視の特徴は、現代の文明の利器がそのまま発達して、次の1千年も機械・物質文明に断絶がないように見えるところである。

さてかれはどの未来を見たのだろうか。いくつかある代表的な未来ビジョンパターンの一つを見たのではないか。

例の集団未来透視実験では、人によってバラバラな未来を見た。それは、各人がそれぞれその人の個性に対応した人生を生きているという厳然とした法則を想起してみれば、その人の見た未来ビジョンが、その人が将来の再生において最も選び取りそうな未来を見ているだけであるというのがありそうなことだと思っている。

もう一つマクモニーグルは、如何に正確に未来を透視し得ても、それが何なのかその文明においてどのように使われているかを知らなければ、奇妙キテレツな解釈に終わるだけであるとする。つまり、たとえば飛鳥時代の人間が携帯電話を透視して、未来では平たい箱に向かって声を出したり耳を当てたりするものと見るのが関の山ではないかということ。電話という概念がなければ理解できないだろう。

よって地球全体のビジョンを見る場合、透視する人の器量、洞察力、世界観というものはそのビジョンの妥当性を検証する上で無視できないファクターなのだと思う。すなわちマスコミが必ずしも報道しない世界全体の軍事勢力、政治勢力の真のパワー・バランスと民心の動向をトータルに把握する能力があって、初めて妥当な未来ビジョンがわかるのだと思う。マスコミ報道だけでは、現在の真相すらわからないものだろうから。だからそれは単に遠くのものが見えるがある能力だけではどうしようもないものだと思う。




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人間である自分がないこと

2009-08-29 07:30:47 | 究極というものの可能性
◎2種の至高体験

ほとんど誰にでも、どんな時でも、どんな年齢でも開悟できるとは何のことだろうか。これは、ケン・ウィルバーの言う至高体験のことである。

これは、明らかにクンダリーニ・ヨーガの至高体験のことではないだろう。というのは、クンダリーニ・ヨーガの至高体験は段階を踏んでやってくるものであるからである。

よってこれは只管打坐型冥想における至高体験のことを言うのだとおもう。禅的悟り、生の側から全体を見るというのは、体験という視点から見るならば、2つのピークがあるのだと思う。

一つはそれを一瞥することであり、見性。もう一つは人牛倶忘なる神の側の体験である。十牛図の流れを見れば、見性が至高体験であり、それに続く得牛、牧牛、騎牛帰家、忘牛存人までが高原体験というべきものだろうと思う。そしてなにもかもない、もはや体験とは呼べない体験が第八図の一円相となる。

壁によりかかろうとしたが、壁がなかったので、すかされて、身体が倒れて悟った夢窓疎石、猛暑の一日蚊の大群に襲われながら正気を失うまいとがんばって至高体験を得た妙心寺の愚堂東寔(ぐどうとうしょく)、寺の土蔵の大きな鍵が机の上にほうり出されたガシャなる鉤の音で気がついた宗峰妙超

最初に至高体験がなければ、それに続く高原体験もない。ケンウィルバーは、明かに見性、見神、つまりまだ見る自分が残っている体験を至高体験と呼んでいる。それに続いた高原体験の先にもう一度ある至高体験は、人間の体験ではない。人間のないところには生も死もない。人間の自我のないところに有も無もない。自分のないところには男も女もない。

人間である自分がないということが赤裸々な現実である世界にあっては、苦悩にもがく哀れな男も、一時の至上の歓喜に震える女も、すべて滅びることのない永遠であり、不死である。

人間である自分がないということこそ想像もつかないことであるが、このことが少なくとも知的なイマジネーションとして浮かばなければ、ある程度社会の通念として持たれることがなければ、誰でも神を知っている時代である次の時代のビジョンが理解されることはないのではないだろうか。

今の人にとって、人間である自分がないなどということは、何の意味も感じられなく、何の実利的メリットもない。しかしその壁を突破しなければ、次の時代はない。その壁こそが超次元の壁であり、神の領域というべきものだろう。その全く想像もつかぬ世界への飛び込み台に立っていることにすら気がつかない我々である。




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戦後の宗教無策

2009-08-28 06:14:13 | 時代のおわり
◎家康から出口王仁三郎まで

徳川家康は、切支丹を厳禁して、キリスト教を排斥するとともに、隆盛であった仏教全体を支配するために、まず天台宗を支配することから手を打った。

天台宗は、日蓮宗、禅宗、浄土宗、浄土真宗の母体であり、日蓮、栄西、道元、法然、親鸞いずれも皆天台で修行した者ばかりである。つまり天台宗を抑えれば日本の仏教を抑えることができると考えた。天台智は悟れなかったが、彼の冥想メソッドは極めて優秀なものだったことがこれでわかる。そのメソッドは結局中国では根付かず、日本で花開いた。また密教や修験道にもそれなりに幕府支配の手が入っている。

家康は、天海の構想で、上野に東叡山寛永寺を造成し、後水尾天皇の第三皇子尊敬法親王を門主に迎え、天台座主とすることで、信長の焼き討ちの傷跡の残る比叡山延暦寺を完全に支配することに成功した。

そして明治維新。
廃仏毀釈は、奈良興福寺を始め、大伽藍の被害も甚大だったが、神仏習合寺院では、神社になるか寺になるか無理やり選択させられたのは無残だった。この政策は数年でうやむやになるが、修験禁止令が出されたのは修験道にとって大打撃だった。

この神道優先政策がやがては、国家神道に変貌していき、戦時中には仏教各派もそれぞれに戦時協力を行った。

そして戦後は、GHQが国教をキリスト教に変えてしまうべく動いていた形跡はあるが、
それは発動されず、宗教の自由の名の下に、国教は持たないが、事実上の無神論の国民が大多数という世界的に見ても奇妙な宗教観を持つ国となった。

戦後の新興宗教は、日蓮宗系は別として、優勢な宗派の多くが古神道系で出口王仁三郎と縁のある教祖からスタートしているのが特徴である。

出口王仁三郎の残したものは、大本教と霊界物語だけではなく、古神道系新興宗教であったことは、彼の実力の本物具合を示していることは間違いない。

今は、それぞれの人が自分にあった宗派のメソッドでもって覚醒する時代。
宗教についてはfree wayな状態なのだから、妙な宗教政策が出る前に最低でも見性しておくに限るのではあるが。




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この世での自己実現

2009-08-27 06:11:37 | 究極というものの可能性
◎闇雲に自分の願望を通す

日本の社会では努力して組織の長になることを良しとする。それによって地位も高収入もある程度の名声も手に入れることができる。それでも、トップにいられるのは、多くは数年の間である。

クリシュナムルティがインドで旅回りの苦行僧の来訪を受けた。その苦行僧は新聞紙を持ってこさせて、みんなの目の前で、新聞紙を徐々に縮めてついには空中に消し去った。それもわずか数秒の間に。

これについて誰かが彼らはその力を手に入れるためになぜそんな難行に挑むかという質問にクリシュナムルティが答えるには、
『それはわりと簡単なことです。それで彼らは重要さをみにつけ、力を持ち、人々に印象づけるのです。

あの男のように、彼等のうちの何人かにとっては、それは特殊な贈り物なので、彼等はそれで金儲けは考えていません。しかし彼らの多くは途方もないことを耐え忍びます---彼等自身の肉体にどんな慰めも楽しみも与えず---ただ事の成就を求めるのです。そしてそれをやり抜き、成し遂げます。心を専一にそのことに向けると、とても信じられそうもないこともできるのです。

しかし別のこと--私たちが語り合っていること--それはまるで別のことです。それはこのような術策や魔術的な力とは難の関係もありません。』
(キッチン日記/マイケル・クローネン/コスモスライブラリーから引用)

この文で『私たちが語り合っていること』とは、只管打坐的な究極のことである。

主婦なら家事をちゃんとやる、家庭をきちんと切り回すということも、社会人として社会での立身出世や、社会でもって自分の好きなことをやろうとするのも同列の自己実現だが、それは、あたり前の人間として生きるということとは何の関係もない。

人は、社会や家庭で自己実現をして、子孫を作って、老いて年金をもらって、死んで行くだけなのか。人として当たり前に生きるということが何なのかわからないまま闇雲に自分の願望を通すだけの一世代前の生き方はもはや通用しない。

まず当たり前に生きるという生き方のモデルを見つけだす出すことが次世代ビジョンである。それは冥想という平素の努力なしではなし得ないとケン・ウィルバーも見る。




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ケン・ウィルバーの聖胎長養

2009-08-26 06:15:22 | 丹田禅(冥想法8)
◎誰でもすぐに悟れる

ケン・ウィルバーは、
至高体験がたいてい短時間しか持続しないのに対して--数分から数時間--高原体験はより不変的かつ持続的であり、永続する適応に隣接している。

至高体験はたいてい自発的にやってくるので、それを持続させ、至高から高原に--短時間の変性状態から持続する特性に--変化させるためには長期にわたる実践が必要となる。

ほとんど誰にでも、どんな時でも、どんな年齢でも短時間の至高体験を得ることができるのに対して、私は高原体験の真正の事例において数年にわたる霊的実践を継続していない事例を知らない。』
(ワン・テイスト(1997年11月)/ケン・ウィルバー/コスモスライブラリーから引用)

高原体験とは、最初は無字になりきるというような公案禅の始めの段階なども指すが、非二元までも含むトランスパーソナルの状態にあり続けることまでも含む。

ここで注目すべきは、ケン・ウィルバーは、至高体験は、ほとんど誰にでも、どんな時でも、どんな年齢でも起きるとしているところ。これは、よく覚者が「誰でもちょっと坐れば悟れる」という発言と同じ認識を持っていること。やはり、そうなのか・・・。

もうひとつは、真正の高原体験は冥想なる数年の霊的実践を経て得られるとしているところ。これが聖胎長養(悟後の修行)の必要性を指摘しているところで、至高体験のエッセンスを定着して高原体験とするには時間がかかるという意見なのだと思った。




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慈覚大師円仁

2009-08-25 06:19:15 | 密教
◎立石寺、瑞巌寺

夏のレジャーシーズンになると、東北の有名寺院を訪問することがしばしばあって、山形の立石寺や、松島の瑞巌寺など、近くにいけば必ず立ち寄ったものだ。

でもって、そうした観光地に行けば、いずれも慈覚大師円仁が開基したという説明を読むことになるが、円仁という人に興味がなかったり、天台密教の檀家でなければ、それ以上の感興はわかないものである。

ところが立石寺には、円仁の入定窟というのがあって、そこから円仁のものとおぼしき首から下の遺骨と首から上の木像が出てきたという。

円仁の関東、東北、北海道への布教が精力的であり、彼が開基である寺院は数百を数えるが山形の立石寺はその白眉であったのだろう。

円仁は、最澄の直弟子のエース。中国の苦難の留学時代を経験し、第三代天台座主として、法華経と密教を結びつけた台密理論を完成する。

円仁は、東国の布教、台密の完成の他に回峰行の創始にも係わる。

円仁は弟子の相応に不動明王の法を伝授し、相応はこれによって生身(しょうじん)の不動明王を見ることになった。これに感じて相応が不動明王像をつくり安置した堂を無動寺と名付け、これが千日回峰行のベースとなる寺院となった。

このようにともすれば無味乾燥な「慈覚大師円仁」という言葉に、極めてグローバルで意欲的な人物像を想像することができる。比叡山にあって貴族相手の加持祈祷ばかりをやっていたわけではないのだ。




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円仁の入唐

2009-08-24 06:05:09 | 密教
◎新羅人の協力

円仁は最澄の直弟子。円仁の入唐は恐ろしく困難の連続に見舞われた。

1.円仁の乗った唐行きの船が難破したこと。2度失敗し、三度目にようやく揚州に到着。
2.円仁は、遣唐使とともに帰国することになっている還学僧であったが、天台山に登らず帰国することはできないと考え、不法在留外国人として中国に唐に残る。登州の赤山法花院に潜伏していた円仁は、山東省の新羅人社会の協力でパスポートを得ることができた。ところがここでの滞在中に天台山行きをあきらめ、五台山を目指し、五台山から長安へと留学先を変えていく。

3.円仁は、金剛界曼荼羅や多数の経典を手に入れ帰国を願い出るが百回以上も拒否されたが、会昌の廃仏で外国僧侶が追放されることになり、皮肉なことだが運良く帰国することができるようになった。

4.円仁は長安から再び登州の赤山を目指し、107日をかけて徒歩でたどりつく。そこで乗る予定の船が密告により乗れないことになった。後、新羅商人の船にのり、朝鮮沿岸に沿って90日をかけて博多にたどりついた。

このように唐では、要所要所で新羅人の協力があったからこそ、留学で所期の成果を挙げることができた。新羅人の協力がなければ、不法滞在者として刑場の露と消えていた可能性すらあった。

そこで京都修学院離宮の北隣にあるのが、新羅人の遺徳を偲ぶ赤山禅院。赤山禅院の御神体は、なんと道教の神様である泰山府君だが、入唐時の赤山法花院でも泰山府君を祀っていたのだろうか。新羅人たちが、我が身のリスクを省みず、円仁の求法に協力してくれることがなかりせば、円仁の留学完遂は成らなかったのである。

ギブ・アンド・テイクではなく、こういう無私なる動きが得られないと、往々にして大事は成ならないが、こうした類のことはあまりおおっぴらに語られることは少ない。その功を誇るようでは、たちまちそれが善行ではなくなることを当時の人は皆知っていた。




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電磁波によって豪雨や突風を作りだす

2009-08-23 08:08:55 | 時代のおわり
◎日常と軍事

ゲリラ豪雨が多い時代になった。これは10年ほど前には見られなかった気象である。また最近は過去多発することがなかった竜巻まで日本列島の各地で起きるようになり、人間の悪想念がこのような激烈な気象現象を引き起こすというようなオカルト的な説明に逃れるだけでよいのかという疑念がわいてくる。

GWEN地上波緊急時ネットワークシステムは、もともとは核戦争中に交信するための緊急施設として考案され、72~80ヘルツのELF極長波によって海面下400メートルの潜水艦とも交信が可能となるもの。英仏は核ミサイルの主力は潜水艦発射型にするなど核戦争の主戦場が潜水艦になることが想定されているから、核交戦時における潜水艦との通信手段の確保は確かに急務だったろう。

ところがこの研究の結果は、むしろ人工的に豪雨や突風などの嵐を引き起こす方に価値を見出されているのは皮肉なことである。

1977年米国海軍は、ウィスコンシン州のイクワーミガン国有林にELF実験施設を構築し、45キロメートルのアンテナケーブルを張って、同州6郡でELF実験を行ったところ、巨大な暴風雨を引き起し、とりわけフィリップスという町では350ヘクタールの森林が破壊された。これは米軍の関与が明確な事件。

関与が疑わしい事例として、1993年ミシシッピ川大洪水がある。『ブレティン・オブ・アトミック・サイエンティスト』は、当時の高い雨量エリアの真ん中にGWENユニットがあったと指摘。これはELFユニットでジェット気流の流路を変更することで、前線を停滞させることが可能であるという推測をもとにした記事。 
(以上出典:戦争はいかに地球を破壊するか/ロザリー・バーテル/緑風出版)

1950年代に大気中での核実験を繰り返したせいで、オゾン層が広く破壊され、特に南半球での破壊が著しいのでオーストラリアでは肌の紫外線への露出には神経質になっているなど、軍事活動が日常生活に与えている部分も無視できない部分がある

スイスみたいに各家庭に核シェルターがあるのまではどうかと思うけれども、生存できる環境や衣食が足りなければ礼節も人間の神化も戯言(たわごと)になってしまう。

チェルノブイリやスリーマイルを教訓にここ二十年ほど欧米は原発を作ってこなかったけど、ここにきて一斉に建設に乗り出すなど、地球環境の不安定化要因はその他にも多い。

地球環境の安定は、まず自分の心から。自分のメリットだけ求める心が残るうちは軍事を手放す世界など来ない。





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ハープ:人類滅亡の奏で

2009-08-22 08:49:41 | 時代のおわり
◎もう一つの地球壊滅手段

私は軍事には疎いが、この文明のほとんどのテクノロジーが失われるという予言が優勢であることを見て、どのようにそれを実現する企てが進行しているかについては関心を払っている。

出口王仁三郎予言でいう東洋全体に火の雨を降らせる技術については、これは素人の想像だが、海底深くに眠る次世代の鉱物エネルギー資源であるメタンハイドレートを宇宙空間から直接加熱して、大気中にメタンを浮上させ、そのメタンが火の雨として降ってくるなどということもあるのかななどと考えている。

次の引用はHAARP高周波活性化オーロラ研究プログラムについての説明の一部。
『1997年4月28日に、報道関係者のへの説明会で、ウィリアム・コーエン米国防長官はテロリスト組織がおそらく保持する新しい脅威についてコメントした。

電磁波の間接的な使用を通して気候を変え、地震を起こし、火山を噴火させることが可能な手段でエコタイプのテロリズムに携わっている者もある」と。

軍には、自分たちが既に持っているものを、他の人たちが保持する能力を持っているとして非難する習癖があるのだ!』
(戦争はいかに地球を破壊するか/ロザリー・バーテル/緑風出版のP221から引用)

HAARPには、水中の潜水艦と交信するための極低周波(ELF)を作ることの他いくつかのコンテンツがあるが、高層大気の風を変更することも含まれており、人為的にジェット気流の流れを変えることもできるようだ。つまり昨今日本周辺のジェット気流の流路が大きく変わっており、今年は日照の少ない夏となったが、これすらも単純に民生産業による地球温暖化効果ばかりと言えるのかどうか、眉につばをつけて考える必要があるのかもしれない。

いわばHAARPは、それについてはとても情報が少ないが、地球にとっての自殺を招きかねない危険な技術となりうるのだろうという印象を持った。要するに核兵器に引き続いて、人類はもう一つの地球壊滅手段を持った可能性があるということである。オバマ大統領の核廃絶提言もこうした背景なしには出てくるものではないのではないか。

太古からいつの時代も、これまでも大衆が知らないうちに何度も地球壊滅が起きてきたのだろう。 




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覚せい剤の歴史など

2009-08-21 18:17:57 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎触らぬ神にたたりなし

酒井法子の覚せい剤の事件の報道は、ワイドショ-を何気なく見る野次馬にとっても食傷気味となるほどにしつこく流されるという異常な報道ぶりとなっている。

さて日本では、1940年代に大日本製薬が漢方薬である麻黄を原料として覚せい剤であるヒロポンを製造したのを初めとし、戦前は武田薬品工業や参天堂製薬、小野薬品工業など名だたる有力製薬会社23社が覚せい剤の製造を行っていた。

当時これらの覚せい剤は、軍隊や軍需工場を中心に使用され、特攻隊では突撃錠と名付けて使用させ、歩哨や軍需工場では猫目錠という名で支給されていたという。

戦後しばらくは、学生や労働者などかなり幅広い層で用いられており、文士織田作之助や坂口安吾がヒロポンを服用しながら創作活動を行ったり、漫才のミスワカナもヒロポンの使いすぎで死亡したとして知られていたほどである。

昭和24年からヒロポンは劇薬指定となり、昭和26年には覚せい剤取締法が制定され、規制がかけられることになる。(以上出典:「麻薬とは何か」新潮選書)

もともと戦争の必要から来たためそのデメリットに目をつぶりながら合法としてきたが、いつのまにか、『ダメ、絶対』とか『覚せい剤やめますか、人間やめますか』という扱いに変貌してきたものである。

こうした薬物の冥想における問題は、脳内麻薬の特殊な機能(ある種の多幸感)の発現を悟りとする物理的肉体的な見地(本来悟りは肉体機能のみでは論じられないが)からすれば、本来外部の薬物の手を借りずに達成すべきその状態を、薬物によってパーフェクトでない部分的なその状態の達成を繰り返すことになるのではないかという問題点があるように思う。

要するに薬物に手を出したばかりに正統的な覚醒(大悟一番)へのルートを歩むことが難しくなる可能性が高いのではないかと思う。

この理屈は薬物に限定されるものでなく、超能力や霊能力についても同じことが言えるところがあるように思う。つまり薬物や超能力や霊能力によって、人間を超えた部分や日常ではない感覚や異次元を垣間見てしまうことで、悟りとは関係のないパワーや快感・感覚追求の誘惑にはまりやすいということ。

だから先哲は、霊能力、超能力が発現しても、それに拘泥してはならぬと戒める。薬物についても、触らぬ神にたたりなし。




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隠元はなぜ日本に来たか

2009-08-20 06:59:20 | 丹田禅(冥想法8)
◎大明帝国再興の夢

隠元は63歳で日本にやってきた。彼が日本に来た理由については諸説あるが、有力二説がある。

一つは、愛弟子の也懶(やらん)が、長崎興福寺の住持逸念性融の招請を受け、厦門(アモイ)から出航したところ、風浪によって舟が転覆して、也懶は溺死。この也懶の無念の思いを受け、隠元が日本からの招請を受けたというもの。

もう一つは、隠元がほとんど滅亡しかかった明の再興の密命を帯びて、日本に渡来したが、日本にいるうちに鄭成功を中心とした明の残党が完全に力を失ったため、やむなく日本に帰化したのだという説。隠元は晩年弟子に送った手紙に「永く断つ中華の夢」と書き、その心中を表白している。

既に北京は1644年李自成の乱で陥落、南京に逃れた明の福王はその翌年南京陥落により敗死。更に明朝は、福州に唐王を立て、紹興に魯王、そして桂王が桂林に拠るが、それぞれ1646年、1649年、1650年に陥落。隠元来日の1654年には、明朝の命運は風前の灯火であった。

1661年江戸幕府は、隠元に対し、もともと近衛家の所領だった土地9万坪を与え、黄檗山万福寺の建立を許した。ところが1658年に福建から出撃して南京奪回を目指した鄭成功は大敗し、台湾に退却、1662年鄭成功が台湾で39歳で急死するに及んで、大明帝国再興の夢は断たれた。

動機、時代背景から探れば、以上のようなところだと思う。

江戸幕府が隠元を厚遇したのは、堕落した仏教界に新風を入れるためなどと書いている本もあるが、寺社奉行を頂点とする寺社支配の基本は、寺にメリットを与えて、寺の経営を安定させることで宗教としては堕落させていく方針だったろうから、隠元の禅に仏教界の宗教的な意味での立て直しをさせるなどという甘ちゃんな考えは幕府になかったと思う。

隠元が来日した当時、日本に禅は既にあり、根を張り、成長もしていた。それが臨済禅であり、曹洞禅であり、それなりに純粋な禅として体系も深みも具していた。そのため、隠元の来日は、平安時代に空海が日本に密教を将来した時のような宇宙的なインパクトのある来日ではなかったように思う。それがゆえに来日の理由に政治的な側面や個人的な側面の比重が高いと見られるのだろうと思う。

そこで隠元が持ってきたものとしては、煎茶やインゲン豆の方が、日本人の生活に与えた大きな影響として、真っ先に思い浮かぶのである。




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パタンジャリの呼吸法

2009-08-19 06:03:53 | 冥想アヴァンギャルド
◎呼吸の四種

パタンジャリは、呼吸には3種あるとする。それは、呼息、吸息、保息である。

通常のプラーナヤーマでは、初心者には吸ってから呼吸を止めるのを練習させ、その効果がわかってきたら、呼いてから呼吸を止めるのをやらせる。

吸うのと吐くのには、そのバリエーションを構成する三つの要素があって、それは時間と空間と数である。

時間とは、息の保留の長さのこと。
空間とは、呼吸している時に意識をおいている場所のことで、脊椎の付け根に意識を置くなどということ。
数とは、息を吸いながら数える数、息を吐きながら数える数のこと。1、2、3、4、5と数えながら息を吸い、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10と数えながら息を呼くというようなこと。この間には保息が入ることがあり、それも数を数える。

パタンジャリは、呼息、吸息、保息の他に第四番目の呼吸(プラーナ・ヤーマ)があるとする。それは、深い冥想状態における呼吸の停止である。呼吸は何時間も止まることがあり、最終段階では肉体死までいくことがあるのは知られているとおりである。

パタンジャリのヨーガ・スートラでは、呼吸についても詳しいことは何もかかれてはいないが、坐法(アーサナ)が固まったら、次は呼吸法(プラーナ・ヤーマ)。呼吸法の最終レベルは呼吸停止という具合にステップの大要を述べるだけである。

大安般守意経に比べれば、整理された形で原則が提示されているが、ディテールは口伝によるのだろう。釈迦の覚醒メソッドとされる『呼吸を見つめる』という肝心かなめのテクニックについては言及されていないところが残念である。




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隠元の念仏

2009-08-18 06:04:47 | 丹田禅(冥想法8)
◎念仏から禅へのチェンジ

隠元は、臨済宗の正統でありながら、念仏を在俗の人たちに勧めていた。この理由を問われると「私は、日本に渡ってきて10年になるが、専ら臨済禅を行っている。どうしようもないことがだが、最近の人は素質がなく(根劣)て、気力が弱く、プレッシャーに弱い。やむを得ないので、念仏をさせている。これは病状に応じて薬を与えるようなもので、誰がよろしくないと言えようか」と答えている。

プロ修行者や在俗でも上根の者には、でやっていたようなので、相手を見て出方を変えていた。純粋な禅からみれば変だという議論はあるし、メソッドとして徹底していないという議論はあるが、いつも一対一のハイ・プレッシャーな禅の修行に堪えられる体力気力のない人や、ある程度の無常感がない人に向かって禅を勧めるのは、やや教条的のそしりはあるのではないか。向かない人に禅を無理に勧めても本人のためにならいことを重いと見て対応を変えるというのは、隠元の深みなのだろうと思う。

隠元は、念仏である程度究極なるものの感じがつかめてから本格的な禅をやらせるという方針があったようで、念仏公案というものまで与えることがあった。

念仏公案とは、「念仏をする者は、一体誰であるか」という公案である。このやり方は行住坐臥すべてにおいて、南無阿弥陀仏の六字名号を念じ、飯の時も念じ、坐禅で深まっている時も念じ、心が散乱している時も念ずる。こうしてすべてが南無阿弥陀仏となる。さらに結局それを念じている者が誰かと観れば、自分が本来仏であることを知る。というもの。

これは、隠元の法嗣の独照性円の説明だが、すべてが南無阿弥陀仏となってから一歩勧めさせるところが、念仏から禅へのチェンジとなる。つまり隻手や無の代りに南無阿弥陀仏を使っているだけなのである。これであれば、妙心寺などの先住臨済宗からとやかく言われることはないはずなのだが、組織宗教同士では勢力争いは必ず起こってしまうものであった。




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隠元の大悟

2009-08-17 06:08:42 | 丹田禅(冥想法8)
◎一声の荼毒 聞くもの皆喪す

かつて密雲和尚に隠元がお前の徹底したところを見せてくれと言われ、隠元が「時清くして太平の曲を唱えることを休(と)める」と答えたことを話したら、黄檗山で費隠に、それは半分しかわかっていないとやられた。35歳で大悟したはずだが、徹底していなかったと見られたのだ。

こうのやりとりののち、昔百丈懐海が馬祖道一に参禅したときに、馬祖の一喝で3日間は耳が聞こえず、目もくらくらしていたことがあった。この話を聞いた黄檗希運が、思わず驚いたというエピソードについて諸人一言(偈)つけなさいというイベントがあったが、隠元は他人の偈に納得せず、この偈を提じた。

一声の荼毒 聞くもの皆喪す
徧野の髑髏蔵(かく)すにところなし
三寸舌伸ぶ 安国の剣
千秋凛々として霜よりも白し

一声の毒を浴びて聞くものは皆震え上がり、野原じゅうの髑髏は隠れるところもない。馬祖の舌は三寸しかないが安国の剣であり、永遠に凛々として霜よりも白い、くらいの意味だろうか。

費隠は、この偈でもってその境地が徹底したものであることを認めた。これによって隠元は臨済から数えて32代の嗣法者となった。臨済の正統な継承者となったのである。隠元42歳のこと。

隠元が日本に入って先住の臨済禅の妙心寺や大徳寺とうまくやれず、むしろ曹洞宗との関係がよかったのは皮肉なことだが、それは隠元の悟境の高みとは何の係わりもないこと。悟っても世間的にもうまく運ぶかどうかは別のこと。悟ってから野垂れ死ぬこともあり,賊に斬り殺されることある。




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