アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

正受慧端-5

2009-07-31 07:34:28 | 丹田禅(冥想法8)
◎その生い立ち

正受慧端は、1642年信州松代藩主真田信之の庶子として生まれ、飯山城主松平忠倶侯に養われていた。正受13歳のころ、城下の曹洞宗大聖寺の奪心禅師の登城した時に、侯の子供達が、禅師に紙を差し出し仏名を書いて頂いていた折り、正受も請うたところ、禅師は「正受には観世音がついておられるので、仏名をを上げられない」と断られた。

正受がその意味を問うと、禅師は「自分に訊いてみなさい、他人に問うてはならない」と戒められた。この時正受は、将来の自分の成道の予感を持つことになる。

以後、出家こそしていないが、修行に専念するようになり、しばしば寝食を忘れ、大疑団に集中し、立っては坐ることを忘れ、坐っては立つことを忘れ、城内で行方不明になることも多く、雪隠(トイレ)で発見されることが多かったので、松平忠倶侯は、正受のことを強情な白痴だろうと言うほどであった。

正受16歳の時、たまたま2階に上がろうとして、階段の半分位のところで、立ったまま定に入り、階段から転げ落ちて、気絶した。

人々が驚いてこれに水をかけて呼ぶと、蘇生して、手を打って大声で笑いだしたので、人々はこれは発狂したのだと思ったが、実は大悟したのであった。

その後19歳の時、江戸に出て、菰一つだけで寝たり坐ったりする極貧の麻布の至道無難禅師について出家した。(いつの世も、極貧が本物のサインであって、豪壮な本部を構えている本物はまずない。マンモンの神は本物には寄りつかない。)

大器は、遅くとも思春期のころから悟りのボーダーにいる。思春期の頃から無常を生きているわけだから、生きるのはつらいものだと思う。また部屋住みとはいえ、藩主の子が出家するのはなかなかの覚悟がなければできることではない。

実母も長生だったようだから、覚者によくある両親の早世というインパクトがなくても、充分にこの世の思い通りにならぬことを骨身にしみて承知していたから、16歳で大悟したということだろう。

飢え死にする危険はほとんどないけれども、いまや小学校でも三分の一が片親家庭、失業率も高く、うつ病の生涯有病率は8人に一人と、充分に不安定な精神の者が大量に出現する時代。物質的にはそこそこで、精神的には不安定、そんな環境は正受の生い立ちによく似ている。よって自覚さえあれば、大悟への道は開けやすいとも言える。

衣食住の環境は整い、精神は成熟した。今や待たれているのは、政治でも経済でもそうなのだが、精神世界でも『次世代のビジョン』である。そろそろ出ないと、あらゆるものが混乱のうちにコントロールを失って失速する虞がある。




コメント (2)

一休と現世肯定

2009-07-30 08:08:35 | 丹田禅(冥想法8)
◎雲雨風流事

一休さんは、今や中国でも最も知られたアニメとなった。一休とんち話はエログロがなくて、気働きがあって、とても良い子供向けの教育材料である。

しかし一休なかりせば、日本の伝統文化の源流である茶、能、絵画、造園などの室町文化がこれほどまでに現世肯定的に進むことはなかったのではないか。一休は、普化と違い、宴席の豪華な料理の卓を蹴り飛ばすようなことはせず、山海の珍味をことごとく平らげてみせたのだ。

修行といえば戒律。酒は飲んではいけない、セックスしてはいけない、嘘をつくな。生真面目につとめ、
軽佻浮薄なことには関心も持たない、これがあるべき仏道修行者の姿であって、在家もこれに倣うべきだろう。ところが世の中全体がこんな風潮になれば、息がつまって仕方がない。抹香臭くて、窒息してしまう位のものだろう。 

わびさびは、ある翳りであるが、それは現世肯定の風潮が奔流の如く流れているからこそのわびさびであって、わびさびだらけでは、単にネクラなだけ時代になってしまったことだろう。

禅といえども、硬骨一本槍のムーやカツばかりでは、デリカシーあふれる文化の華は開くことなどない。夢窓国師も室町文化の一方の大立者だったが、一休も大黒柱であったことは間違いない。この辺が、禅は現世肯定、の面目躍如たるところだろう。

狂雲集に典型的なのがある。

大燈忌宿忌以前、美人に対す

宿忌の開山諷経
経咒耳に逆らう衆僧の声
雲雨風流事終りて後
夢閨の私語慈明を笑う

大徳寺開山の大燈国師の年忌の前夜に美人を相手にする。
年忌の坊主どもの読経の声がとてもうざい
メイク・ラブ(雲雨風流事)の後、
ピロウ・トークで、眠気が起これば自らの腿に錐を刺して睡魔を払って修行した「慈明」のことを笑った

という読み方ばかりと思っていたら、別の慈明である慈明楚円が、寺の近くの婦人(婆子とあるが、ばあさんとは限らない)と取り込み中で、弟子の楊岐が呼びにやってようやく寺に戻った故事を踏まえ、一休は寺からお呼びがあっても戻ることなんかしない、こちらがまず優先とばかりに。

未悟の修行者と大悟した一休では、まず生きている世界が全く異なる。未悟の者は一休も同じ世界に生きているだろうと思い込んでいるだろうが、そうはいかない。あいにく、一休にそんな質問をすれば、同じ世界だと答えるに決まっているけど、実情はそうではあるまい。

大悟の先には、未悟の者には想像もつかない自由、生命の喜びみたいなものが広がっているのだろう。それを卑近なところで垣間見せてくれているのだ。

こうした生き様は生真面目な修行者にとっては毒だが、現代のように至る所毒だらけの時代にこそ、冥想の先にこそ現世肯定があり、そんな真の現世肯定の現れを示してくれる人が出てきて欲しいものだと思うし、自分もそうした境涯を味わって生きたいものだと思う。




コメント

日本の信仰喪失百年

2009-07-29 06:06:21 | 時代のおわり
◎精神漂流60有余年

明治維新の廃仏毀釈以前は、天皇に即位できなかった皇子達の多くは仏僧となり、有名寺院の門跡となるのが常であったが、廃仏毀釈によって天皇家の宗教が神道になった関係で、天皇家の人が寺に入って僧となることができなくなって今日に至る。

国家神道成立後は、天皇ご自身もその信者になったが、敗戦による国家神道の禁止により、天皇家からは仏教信仰も神道信仰も実質的に失われた恰好になって60有余年になる。

これにならって、日本人も国家神道のもとに実質的な仏教信仰を捨て、更に国家神道の終結により、神道への熱狂的な信仰をも捨てさせられ、今や世界から信仰のない奇異な民族として見られるほどにまでなった。

寺や神社を焼き討ち、破壊したり、仏像や仏画を捨てたりするような激烈な動きは廃仏毀釈の時だけだったが、敗戦による国家神道の禁止は、国民に大きな虚脱感を与え、戦後の国の教育方針からも宗教の影響が失われ、マスコミ報道や文学からも宗教臭は意識的にまた無意識的に排除される習いとなっている。

それが、無信仰による精神の漂流というべき長いモラトリアムの時代を作り出し、その結果どんどん世の中の地獄具合は悪化の一途をたどっている。

そんな中で、浜田ブリトニーみたいな無宗教臭の権化みたいな人が、「冥想してみたいっすー」などと叫ぶようにならないと、流れは変わって来ないだろうよ。




コメント

能楽の政治力

2009-07-28 04:44:58 | 時代のおわり
◎将軍家・天皇家・忍者

能楽が時の政府に保護され続けてきた理由・・・。政府は時代によって変わるが、それでも力を持ち続けてきたものは、天皇家位のものだ。以下は勝手な想像ではあるが、その核心に迫る材料ではあるまいか。

まず第一に世阿弥の長男元雅が30代で足利の家臣斯波兵衛三郎に暗殺されているが、白洲正子氏はこれを以て世阿弥ファミリーまたは能楽師は、忍者のような諜報活動をしていて、それが咎められたのではないかと推測する。また観世家は、忍者の本場伊賀の出身という有力説がある。織田信長も伊賀攻めは周辺諸国を落とした後にするほど、伊賀を慎重に扱った。

第二に、金春家はかつて紙幣を発行していたこと。能楽の有力家のひとつは金春家であり、祖先は秦河勝であったと自称している。通貨発行権というものは、非常に大きなもので、日本では政府が握っており、アメリカや香港ではなぜか民間銀行がこれを握っている。通貨発行権というものは、税制と併せ政府財政の根幹であるから、しばしば財政事情が政権を傾けることがあるので軽々に対応するものではない。

それほど重要な権利であるのに、金春家は、江戸時代には、金春札と呼ばれる銀兌換券、紙幣を発行して巨利を博していたのである。

明治維新で、通貨発行権を統合するのに、関東は弾左衞門で一本化していたので、容易であったが、関西は複数の者が発行権を持っていたので複雑だったという話を読んだことがあるが、金春札はこのことであったかと思い当たった。

ここで注目すべきは、このような重要な権利を手に入れるほど、金春家は大きな政治力を持っていたことである。政治のバックは、いつの時代も軍事力と財政力と情報力。金春家は芸能家だから、軍事力も財政力はないから、情報力があったのだろうか。情報力といえば元雅の話と関連する。

秦河勝は、ネストリウス派キリスト教だったのか、ユダヤ教だったのかは、判然としないが、情報力、インテリジェンスといえば、この話はなるほどユダヤ的な構成ではある。

梅原猛氏は、観阿弥の養父家光の母は、落胤腹ではないかと推測する。観阿弥の頃から、能楽家は、足利将軍家という政治力と経済力に近いところに位置してスタートしていたのだろう。

(参考:うつぼ舟Ⅰ・Ⅱ/梅原猛/角川学芸出版)




コメント

能楽の発祥

2009-07-27 06:17:43 | 時代のおわり
◎人間性の暴虐を慰める

ニューエイジャーには、スーフィの円舞と陶酔はよく知られるところだが、我々にとって、能楽はテレビでよく放送されているわりに、親しみやすいものとはいえない。

セリフを聞いても何を言っているのかわかりにくい上に、テンポがのろくダウンテンポなので、なかなかオチがわかりにくいので、チャンネルをすぐに他のものに回してしまうのが常である。

さて能楽の根本は翁舞である。そもそも聖徳太子が橘の内裏にあって、国情穏やかでない時に、秦河勝に命じて能(猿楽)を舞わせたところ、国穏やかに天下太平となったという。

その後村上天皇の御代に秦河勝の子孫秦氏安に命じて、やはり紫宸殿にて猿楽66番を舞わせたことがある。一日で66番は終らないとして、式三番(翁舞)をえらんだ。よって能(猿楽)の根本は翁舞。翁舞は国のバイブレーションを調整するメソッドの一つであった。

風姿花伝に、祇園精舎建立記念パーティで、釈迦が記念講演をしている時に仇敵提婆達多が1万人の群衆(外道)を連れてきて、木の枝、笹の葉に幣帛をつけて踊り叫んで回った。そこで舎利弗が、バックバンド、バックコーラス(後戸)を展開して、阿難、富楼那、舎利弗らが66番の物まねをしたところ、群衆は、後戸に集まり、騒ぎは静まったという話がある。

宗教のエッセンスは、多くは真摯な修行者向けのものだが、社会にあっては、真摯な修行者は極く一部。エッセンスを社会に中和して出すひとつの手法が翁舞であり、能楽であり、それはともすれば暴れまくり、騒ぎまくり、血を見るような残酷な所業も平気でできる人間性のとある部分をなごませるものとして、必要欠くべからざるものであるのだと思う。

それにしてもテレビで能を見てもあまりなごむ気はしないが、江戸幕府も、現政府も能楽を保護する深い隠された理由が何かなければ、ここまで残るものではないだろう。




コメント (9)

聖徳太子とキリスト教

2009-07-26 08:43:18 | 冥想アヴァンギャルド
◎進化する梅原史観-2

ニーチェは、熱狂と陶酔の神ディオニュソスがアポロンと合体したところにギリシア悲劇が発生すると考えたそうだが、人生ドラマの絶望と歓喜の振幅のさわりの部分で、しばしばこの不思議な神ディオニュソスは登場してくる。

さて梅原猛氏は、聖徳太子の寵臣秦河勝が、日本で最初のネストリウス派キリスト教の信者でキリスト教が日本に入って来るときにディオニュソス信仰もセットで入ってきた可能性を言う。

梅原説では、広隆寺と木島坐天照御魂神社は廃仏毀釈以前は一体の寺だった。広隆寺は、秦氏の氏寺。木島坐天照御魂神社は三柱鳥居で有名。三柱鳥居の三角を二重に組み合わせると、ダビデの星(六芒星)。

木島坐天照御魂神社の摂社が大酒神社であり、大酒は、大闢のことであり、漢訳聖書では大闢とはダビデのこと。大酒神社は秦河勝そのものを祀った神社と梅原氏はみる。


アポロン型の正の面、明の部分、光の部分だけを強調する社会・宗教は、それだけではやっていけないので、邪の面、暗の部分、闇の部分を噴出させる信仰や祭りが必要となる。

だからキリスト教が単独で入ってくるのは不自然で、ディニュソス信仰も同時に入ってくるのが自然であると思う。この新宗教の輸出を企画した人は、すんなりそう考えたのだと思う。

聖徳太子は彼の生母が厩の前を通った時に生まれたので、厩戸の王子とも呼ばれるが、皇族について、わざわざイエス降誕にそっくりの卑賤な生まれの生誕エピソードを作るものだろうか。それゆえ聖徳太子が実はキリスト教(かユダヤ教)の信者であったとの可能性を梅原氏も示唆している。

聖徳太子とその子孫ファミリーが一斉に惨殺され、その怨念を納めるのに苦慮したことは法隆寺、広隆寺などの聖徳太子鎮魂目的の寺院にかかわる文書などで知られるところだが、そもそも聖徳太子一族の惨殺の原因は、梅原説では、蘇我氏の宗教的権威のカリスマであった聖徳太子をまず抹殺することで、次に政治権力だけになってやや弱体化した蘇我氏を追い落とすための布石としたためとなっている。

ところが仮に聖徳太子がキリスト教信者であったとすれば、これは事情がやや異なる。日本にアポロン型信仰とディオニュソス型信仰をペアで入れるということは、人々の自我モデルにおいて、大自然たる八百万の神々と共存する、神と自分との障壁が薄いタイプの原日本的自我から、神々と自分とは全く距離を置いたものである西欧型の自我モデルの精神構造へと改造することになる。

この西欧型の自我モデルにおける問題点は、我々が生きる自我が近代西欧型自我モデルなのだから、その社会と精神性の問題点を日々実感しているところであるので、多言は要しないであろう。

当時の日本の支配者層の宗教ブレインは、こうした自我モデルの改造を伴う新宗教導入を是とせず、後のキリシタンの取締まりでは見られたものの、皇族に対しては極めて珍しいファミリー全体の抹殺という厳しい措置に出たというのはあり得ることだと思う。


日本書紀にある、東国の不尽川のほとりの大生部多(おおうべのおお)の宣教した常世の神とはキリスト教(ユダヤ教)のことではなかったか?日本書紀ではこれを秦河勝が討伐したことになっているけど。




コメント   トラックバック (1)

何をしても後悔しない

2009-07-25 07:49:41 | 冥想アヴァンギャルド
◎自分のメリットにこだわらない

知性が発達したわれわれは、ネットやテレビや携帯や新聞・雑誌から来る奔流のような様々な情報によって、何が正しいのかよくわからなくなっているし、勿論何が善なのか何が悪なのか、よくわからない場合がしばしばあるものだ。

『もしも或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。

もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い。』
(真理のことば (第5章)/中村元訳/岩波文庫から引用)

悪事やヘマをやらかして、後悔するのは善くない、それは愚人の習いであると釈迦は言う。毎度後悔している自分には耳の痛い言葉であるが、ここでは釈迦は少々世間の常識とは違うことを言っている。

その行為そのものにもとより善悪はなく、その後でその行為の報いを受ける姿勢に応じて善悪が定まると言っているようだ。

その行為そのものにもとより善悪はないんだと言って、悪行三昧をしまくれば、地獄行きは必定。釈迦のこの言葉は、まじめに戒行をやってる修行者に向けられた言葉であって、
やばいこと、まずいことをして、どんな報いを受けることになっても嬉々としているのは、「自分がどうされようが、そんなことは自分の知ったことではない」という覚者、聖者特有の心性がなければ、こんなことは語れないのだと思う。

何をしても後悔しないというのは、映画のキャッチフレーズにもあったが、そうしたことを心がければできるというものでもないように思う。




コメント

かたよらないもの

2009-07-24 06:13:48 | 老子
◎老子第29章 将欲取天下

『天下を取ろうと思って、いかに人為的工作をしてみても、結局天下はとれないものであることを、私はよく知っている。

この天下なるものはまことに霊妙な器である。それは自分勝手に為(おさめ)ることも執ることもできないものである。

それを強いて為(と)ろうとするとすぐ壊れてしまうし、これを執ろうとするとすぐ失ってしまうのである。

ものというものは決して一方的なものではない。早く行くものがあれば、必ず遅れるものがある。

息を吹きかけて温めねばならないような冷たいものがあるかと思うと、フーフー吹いて冷まさねばならぬような暑いものもある。

剛強なものがあるかと思うと、脆弱なものもあり、出来上がるものがあるかと思うと破壊されるものもある。だから聖人は、甚、奢、泰、などのすべて片よったことをしないのである。』

これは、為政者に対して天下の治め方を語るものとして読む読み方もあるが、あなたが私であることを知ることが天下をとることである、つまり道(タオ)と一体になった者の生き方を語っているという読み方もある。

タオ知る者を聖人とし、聖人は、甚、奢、泰、などの片よったことをしないとは、悪事を行わず、善事のみを行うものであり、諸善奉行諸悪莫作というとおり。

タオ知らぬ者にとって、何がかたよったことであり、何が偏っていないことであるかをわかるはずがないのだから、「偏らない中ぐらいがよい」などと解釈してはならないと思う。




コメント (2)

原日本の抹殺

2009-07-23 06:17:35 | 冥想アヴァンギャルド
◎進化する梅原史観

日本の歴史教科書では、縄文があって、弥生があって、古墳時代があって、いきなり聖徳太子が登場する。紀元2600年の歴史だけど、空白の何百年があるのである。

梅原猛説では、法隆寺が怨霊鎮魂の寺であるという説では、藤原不比等を首謀者と見立て被害者は、聖徳太子とその子孫に限定した説を当初展開していた。ところが最近は、秦河勝が流罪になった気配を世阿弥の風姿花伝の記述に発見したことにより、これを聖徳太子のパトロンだった秦河勝も同時期に放逐された証拠として見る。

秦ファミリーは、いわゆる成り上がり者ではなく、古く応神天皇の御代に弓月の君が百済より120県の民を率いて帰化したのに始まり、仁徳天皇の御代には普洞王が絹織物を献上したことにより秦の姓を賜った。

また雄略天皇の御代には、普洞王の子である秦酒公は絹を織ってうずたかく積み上げて朝廷に献上したので、天皇からうずまさの姓を賜った。うずまさにある広隆寺は、平安時代には秦公寺と呼ばれていた由。

このように秦ファミリーは、民間の有力豪族として、日本に稲作や酒造を持ち込み、養蚕や絹織物の技術を導入した、何代もの天皇に仕えた由緒ある名家であった。

つまり最近の梅原猛史観では、聖徳太子とその子孫の抹殺と同時に、旧来の有力豪族である秦氏を抹殺したことは、巧妙に歴史の記録の表面から消さなければならなかった事情がると見ているのである。

同じ時期に蘇我氏が滅ぼされ、それを慰めるように法隆寺の祭では蘇莫者が踊り、万葉集と古今集がほぼ同じ時期に編纂され、また日本書紀と私家版だった古事記がこの時期に起草されているのは、それまでの古来の文学、日本神話・古神道を新政治体制に合わせて書き換えようとしたものではないか。

またそれまでの神代文字をもつ原日本文化が、漢字中心の文字に一掃され、またそれまで何百年間天皇を支援してきた旧来の豪族を、藤原氏が根こそぎにしたのがこの時代であったのではないかというのが、最近の梅原猛史観だと思う。

それでは、ここまで大規模に原日本の政治、宗教、文化を抹殺した藤原氏とは何者かということになるが、梅原猛氏はあまりそこを追求はしていないようだが、中国の軍事力を背景に日本を簒奪した勢力というところではないかと想像される。




コメント

呼吸法のステージ-5

2009-07-22 06:13:53 | 冥想アヴァンギャルド
◎止

さて、呼吸法の数息、相随、止、観、還、浄のうち観から後の3段は、見仏(観)から悟った後の聖胎長養(還)、そしてそうした絶対的なものを持って陋巷に暮らす(浄)ことであるように読めた。

それでは、悟りを得るには、やはり第三段の止をもう一度参究してみる必要があるだろう。

大安般守意経の止の説明では、数息、相随、止、観、還、浄ともすべて呼吸は鼻から出入りするので鼻にこだわりがあるのであるとする。(意識の中心は)鼻にあって止することもあれば心にあって止することもある。

このこだわり・執着のあるポジションで止としている時に邪念が兆して意が乱れたならば、呼吸法に打ち込むことで(直ちに一事を観じ)、諸悪念が起こっても心は動じないものの、心は(その乱れの起こることを)恐れるに決まっている。

つまり止なる定が鼻で起こる、心で起こるなど気にしてはいけないということだろう。

入息至り尽せば鼻頭止なり、とあり、入息の終った時には悪念は兆さない。しかし、出息至り尽せば鼻頭にこだわり、悪念が兆しはじめるとする。
この手の呼吸では、出る息は意識してやれば、入息は気にする必要がないなどと説明をされるものだが、出息の終りこそが、ピンチとなることがわかる。

これは鼻頭止に限った注釈だが、肝心の息心止の説明がないようだ。

「問う。第三の止は何を以ての故なりや。
止は鼻頭に在りや。
報う。数息、相随、止、観、還、浄を用いるに皆鼻より出入す。
意習う故に処また識り易しとなす。
この故に鼻頭に著けるなり。
悪意来れば断つを禅となす。
ある時は鼻頭に在って止す、ある時は心中に在って止す。
著する所あるを止となせば、邪来りて人意を乱さば、直ちに一事を観じ、諸悪来るも心は当に動ずべからずも、心は之を畏れずとなさんや。」
(釈尊の呼吸法/村木弘昌/春秋社から引用)

「止に四あり。一には数止、二には相随止、三には鼻頭止、四には息心止となす。
止とは五楽六入を制止すべきものなり。
入息至り尽せば鼻頭止なり。
謂く悪復た入らず、鼻頭止に到る。
出息至り尽せば鼻頭に著く。
謂く意復た身を離れず、行い悪に向うが故に鼻頭に著す。」
(釈尊の呼吸法/村木弘昌/春秋社から引用)




コメント

呼吸法のステージ-4

2009-07-21 04:14:02 | 冥想アヴァンギャルド
◎還

大安般守意経における呼吸法の6バリエーションのうちの第五である還。

「還は尚有身亦は無身なり。
何を以ての故に、有意は有身、無意は無身なり。
意は人の種なり。
是を名付けて還となす。
還とは意にまた悪を起さぬことをいう。
悪を起せば是を不還となす。」

意は人の種だということならば、個別性のない無身から個人たる有身になることを有意とし、有身とするということ。

これを還と呼ぶとは、親鸞のいう往相「」相と同義であり、ニルヴァーナからこの世に帰還することを「還」と呼んでいるのだと思う。

意に悪を起こさぬ個別性はコーザル体レベルだが、そうなるのはなかなか難しい。仏に出会うか仏に作(な)るか、どちらかでしか意に悪を起こさぬなどという芸当はできるものではない。

ここで還が出てくるということは、この前段の「観」で究極にワンタッチしないと還はありえないという組み立てになっているということになる。

これによって、後半の三段である観、還は、それぞれ、悟り、個別性(人間への回帰)であり、その感動を持ちながら生きるのを浄と名付けたように見える。つまり後半の三段はほとんど呼吸法には見えないのだった。







コメント

呼吸法のステージ-3

2009-07-20 09:25:47 | 冥想アヴァンギャルド
◎観

大安般守意経における呼吸法の6バリエーションのうちの第四である観。

「観。息の敗るるを観ずる時、観と身体と異る。
息は因縁ありて生じ、因縁なくして滅す。
心意、相を受くるとは、謂く意、所得あらんことを欲す。
心に因縁を計るに、会うて当(まさ)に滅ぶ。
便ち所得を断って復た向わず。
是を心意、相を受くるとなす。」

この観は、観行つまり観想法の意味で用いられているのか、それとも見守る、見ているの意で用いられているのかと言えば、後者のようである。

この前段の「止」の説明に「便(すなわち)ち出入の息を察して敗を見れば便ち相を受けて生死を畏(おそ)る」とあるが、「相を受ける」とは、この世界、宇宙、時間全体を一望のもとに見渡すことを言っているように思う。その直観は向こうから来るので、「相を受ける」という受動で表現しているのではないか。

こうした全体観が起これば、生死の本質を畏怖せざるを得なくなる。これがこの説明文の
「息の敗るるを観ずる時」であって、こうした全体観が起こるのは、まだ見ている自分がある状態を謂うということだろう。

息はメカニズム(因縁)によって生じ、息はメカニズムなどないままに滅す。なるほど息と息の間では滅している。

そして観には二種並行してあることを言い、一つには、出息・入息を観じることであり、もう一つは五陰(五蘊)のメカニズム(因縁)を観じることである。これが倶観。出息・入息を見つめながら、世界を見守るというところか。

また意と意がお互いに観じ合うべきであるとする(意相観)。これを行う動機には2つある。まず第一に悪を断って道を念(おも)うこと。第二には、世俗の感覚的な刺激(五楽・六衰)についての欲望を断つこと。

そこで観とは身体を観ることだとはいえ、息をするのも意(こころ)、息を見守るのも意であるので、ここに意意相観が起こるというところだろうか。




コメント

呼吸法のステージ-2

2009-07-19 08:27:17 | 冥想アヴァンギャルド
◎浄

大安般守意経では、仏に六潔意あり、数息、相随、止、観、還、浄、この六事はよく無形を制する。また数息、相随、止、観、還、浄にして、三十七品を行ずれば、仏になれるとある。(※三十七品とは、仏説禅行三十七品経の修行法で、四聖諦八正道などを説く)

無形を制するのも仏になるのも同じような意味だから。「止」の段階まで行っても、更に
観、還、浄が必要だと、この経典ではいう。
さて、止の段階以後も観、還、浄は、ステップとして並べられているのだろうか、それとも並列の冥想法として並べられているのだろうか。

まず浄は、究極を指すのだろうか。

「何等かを浄と為す。謂く、諸の所貪欲を不浄と為す。何等をか五陰相となす。譬えば火を喩えて陰と為し、薪を相と為す、息より浄に至るを、是れ皆観と為す。謂く、身を観ずれば相随、止、観、還、浄はあることなしとす。」

つまりあらゆる自分勝手な欲望(貪欲)が不浄なのであって、それがないことが浄だと謂う。これは随分単純な表現だと思うが、つまり浄は究極を指す。そして、息から浄に至るプロセスは皆これを観であるとする。

ここでは火を=不浄の現れた相(五陰相)にたとえ、薪をその原因である貪欲にたとえる。そして身=肉体の不浄であることを直観し徹底すれば、相随、止、観、還、浄などの修行も要らないという意味だろうか。

あるいは身という言葉を、有身、無身という表現の総称であるとみれば、無身は仏であり、有身は人間であり現象全体ということなのだろうから、ここは仏も自分もふくめた現象世界全体を観ずれば、呼吸法の修行など要らないという意味になる。




コメント

呼吸法のステージ-1

2009-07-18 08:24:50 | 冥想アヴァンギャルド
◎岩にしみ入蝉の声

呼吸法と言っても、大安般守意経を見ると、呼吸のやり方そのもののバリエーションはあるが、坐(冥想)も行じるし、行動や思念において悪を行わないという基本原則もあり、悪行三昧の中で呼吸法だけやればよいというものではない。

最初は数息をやるが、数息では四禅まででせいぜいで、それからは呼吸を見つめる冥想に切り替えるようである。数息では入息は短く、出息は長くというが、冥想の深まりと同時に呼吸はだんだんないようになって行き、呼吸の間隔も長くなるものだから、深まっている時でさえ「入息は短く、出息は長く」と意図するものかどうかには疑問がある。

最終段階では、やはり呼吸が止まる状態というのがあるのではないだろうかと思う。

大安般守意経では、まず数息、相随、止、歓喜と4ステージで進むとある。
相随とは、心の動きが息の出入りに従うのを内観すべしとあるので、そのことをいうのだと思う。

止とは、定に入ることをいうのだと思うが、まだ自分が残っている状態で、出息入息の念もなくなって、定にはいる。三昧ではない。

芭蕉の山寺での一句
 しずかさや 岩にしみいる蝉のこえ
  (閑さや岩にしみ入蝉の声) 

歓喜とは、気持ちのよい快適な感じで、これが残っているからには四禅以下の段階ということになる。釈迦も歓喜まででの段階では力不足と指摘する。

ただし釈迦は四禅から涅槃に飛び込んでいったけれども、だからといって、これから先に何か特別なもの、高い段階があるという邪心を持っては難しいと思う。




コメント

釈迦の呼吸によって至る境地

2009-07-17 06:15:55 | 冥想アヴァンギャルド
◎呼吸の効果

雑阿含経に、釈迦が弟子に向かって語るには、
3カ月出息を念じてみたところ、入息、出息、長息、短息などの呼吸法をいろいろやってみて得るところが多かった。

これによって最初は粗い境地であったものが、更に微細な境地に長い期間入った。これを見て美しい三神霊がやってきて「この境地は、死期が到来したとか、不死が到来したとか、聖者の寂静の境地だ」などとそれぞれに異なる批評をしたものだ。

釈迦は、この境地は聖住、天住、梵住、学住、無学住または如来住というべきもので、修行の途中にある人にとっては、呼吸法によって至らざる所に至ることができ、また既に覚った人にとっては、呼吸法によって法を楽しむことができるというものが「呼吸法」の実際のところであるとした。

呼吸法といえば冥想の準備である数息や、ヨーガの完全呼吸法などを思い浮かべるものだが、そういったものも含めて、出息入息をひたすら見つめることまで、すべての呼吸にまつわる体系のことを指して釈迦は「呼吸法」と呼んでいる。

釈迦自身がこのメソッドで悟ったという話があるからには、無視できない分野として更に調べてみたい。




コメント