アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

猪のイメージ

2009-06-30 06:13:49 | 冥想アヴァンギャルド
◎アートマンのシンボル

ヒンズー教の神話では、宇宙猪に変身したヴィシュヌが登場する。

創造神ブラフマーが何もないところから世界を創造しようとして、片方の鼻の穴から親指ほどの小さな猪を出した。これがヴィシュヌ。猪は瞬く間に巨大化し、巨大な山のような大きさとなり、身体は太陽のように光輝いていた。

この猪は、大地の女神を救うために宇宙の暗黒の海に飛び込み、下へ下へと潜行していった。やがて大地の女神を発見し、その輝く白い牙で女神を暗黒の海中から持ち上げた。

そこでヴィシュヌの花嫁である大地の女神が、ヴィシュヌを讃える詩。
『すべての英知の真髄であり、不変にして不滅なる御身に勝利あれ!

永遠であり、定義しうる万物の定義し得ない本質である、御身に勝利あれ!

原因であると同時に結果であり、宇宙であり、犠牲であり、神秘の音節オームであり、供儀の火であり、聖典とその教えであられる御方に勝利あれ!』
(神話のイメージ/ジョゼフ・キャンベル/大修館書店から引用)

ここで猪はアートマンのシンボルとして登場している。本来の自己というやつである。その力強い感じ、圧倒的な感じ、猪突猛進な感じを表すにイノシシのイメージを用いたのだ。禅なら牛。

これは、ホルスが戦ったブタのイメージとほぼ同じと見てよいのではないか。有なるものには、猪なる具象を用いることで知的な直観を与えられる。オームという響きだけでは、イメージを結ばない人には分かりやすい。

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入唐今昔

2009-06-29 06:09:27 | 冥想アヴァンギャルド
◎栄西の訪中

成田-上海なら2時間、長崎-上海なら30分程度。偏西風の関係で、帰りはもっと早い。

空海の入唐は、海路で34日もかかり、おまけに目的地ではない福州に漂着した。当時は遣唐使船の生きて唐にたどり着く確立は5割くらいだったようなので、たどり着けただけでも良しとされたことだろう。

日本に禅を持ち込んだ栄西は、禅よりも茶を持ち込んだことの方が有名である。栄西は2度入唐(宋)している。28歳の時の最初のツアーでは博多-明州を6日で走破。出発前の栄西は、ここ2百年海を渡った沙門(僧)はいなかったなどと気負っているので、宋国の土を踏んだ時は拍子抜けしたのではないか。在宋半年で帰国。

栄西は、47歳で2度目の入宋を敢行。これも6日間の航海で宋の土地を踏んでいる。5年を宋で暮らし、帰国したのは頼朝が鎌倉幕府を開いた1192年。

帰国後の栄西は禅を京都で始めようと目論むが、比叡山を中心とする抵抗勢力に阻まれ、博多に去り、後関東に赴き、京都の最初の禅刹となる建仁寺を建立できたのは1202年で、帰国から10年かかったことになる。

禅は当時のアヴァンギャルド。まず危険として誰もチャレンジしなかった渡宋を2度行うところから日本の禅は始まった。

いまや中国ツアーは日帰り圏内となったが、もはや中国に見るべき禅はない。これぞ歴史の皮肉であるが、栄西門からまもなく道元が出て、また大燈一休などと花開いた幸運によって、21世紀の今日も坐ること(メディテーション)ができる。




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空海の仕掛け

2009-06-28 07:41:15 | 密教
◎同行二人

もとより聖なる部分、本当のところは、言葉では語り得ず、動画でも、静止画でも描き得ない。だからといって伝達の労を取らなければ、まあ何も伝わることはない。聖なるバイブレーションは残るだろうが、それを感得できる程の感受性を持つ人は極く限られる。

空海の『法はもとより言なけれども、言にあらざれば顕はれず。真如は色を絶すれども、色を持ってすればすなわち悟る』(御請来目録)とは、このことを言っている。だから真言の寺では、派手な天蓋や絵や音曲や香りを用いて五感を総動員させて、法・真如についての直観を与えようとする。これは密教に対する前提知識のない大衆に密教を広めようとする仕掛け。

四国八十八箇所霊場を巡回するお遍路さん。
背中には、白衣に南無大師遍照金剛の黒いゼッケン。そして同行二人の遍路傘。これは、単純に歩く広告塔ということではない。肉体を持たぬ精妙なボディの空海が「呼べば」同行してくれることを約束してくれているということ。

密教系、クンダリーニ・ヨーガの修行記や伝法のいきさつを読めば、どうみても肉体を持っていないと思われるグル・師匠が、肝心のところで重要な指導をしてくれる場面に出くわすことがある。このクリティカルな指導を空海がしてくれると保証するのが同行二人なのだと思う。

長く様々なトラブルの待つ修行の道程を、最後まで面倒を見ると空海がギャランティー してくれるのが「同行二人」なのである。これは真剣に取り組んでいる修行者への空海の仕掛け。

高野山奥の院で、空海はまだ生きているというささやきを聞いたなら、それを単純に非常識なことと退けるわけにはいかない背景がここにある。




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殺人命令

2009-06-27 07:40:05 | 究極というものの可能性
◎ミッション・インポシブル

臨済宗の開祖の臨済は、「仏に逢ったら仏を殺せ。達磨に逢ったら達磨を殺せ。羅漢に逢ったら羅漢を殺せ。父母に逢ったら父母を殺せ。親類に逢ったら親類を殺せ。これができて始めて解脱を得るだろう。」と宗教者にあるまじき、ギョッとするようなことを言う。

親鸞だって、弟子の唯円に、「オレの命ずることを信じるか」と質し、唯円が決して背きませんと誓った途端に、「だったら人間を千人殺してくれ、そうすれば往生間違いなし」などと命じて見せた。

臨済は、専門道場でこれを言っているのであるから、リアルの殺人ではなく、坐禅中の殺人を云う。あらゆるなつかしい者に別れを告げよと呼びかけているのだ。

唯円が「とてもじゃないけど殺人なんかできません」と応酬したのに対し、親鸞は、「業縁によって殺せないのであって、業縁が変われば殺すまいと頑張っても百人でも千人でも殺すことがあるだろう。」と諭しているのは、古代インドで親族の多数見える敵方に戦いを挑んで殺戮に及ぶことをためらう王子アルジュナに対して、「戦え」と説得する聖者クリシュナの風景を思い起こさせるものがある。


また臨済も親鸞も先祖供養を相手にしていないなどということを言いたいわけではない。先祖供養は家族という小さな社会性が既に存在することが前提になっている行事であり、そうしたものに何の価値も意味も見いだせないぎりぎりの所になれば、そうした小さな社会性の絆すら役に立ちはしない。

殺せとは、あと一歩の修行者に対してに限って、マンツーマンで実力・経験充分のマスターから指導されるべき言葉であって、それが誤ってメディア経由で大衆に生中継されるようなことになれば、誤解中傷を巻き起こすことになるだけである。





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自分のメリットを求めない

2009-06-26 06:06:47 | 冥想アヴァンギャルド
◎自分の命を救おうとするものはそれを失う

ルカによる福音書17-33
『自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである』

この言葉は、善の本質、求道することの方向性をあやまたず指し示している。
すなわち自分のメリットになるように行動してはならない。自分が利益を受けるように動いてはならない。

神に至る道で自己主張などあってはならないのだ。ただ神だけがある。

翻って現代社会では、自分のメリットを追求することが果てしない争いのきっかけとなることがわかっていても、ありとあらゆる局面で自分のメリットを追求することを強いられる。

なぜ、こんな神と逆行するような社会を創り出すことに世界を挙げて邁進してきたのか?

これには、人を悟りに至らしめる舞台装置を作るというからくりがある。自我、個人の欲望が極大化して、神をも凌ぐような自意識にならないと、その欲望の虚しさが骨身にしみてわかることはないからである。

そこから本物の求道がスタートする。自分を捨てる、自分のメリットを求めないというのは、この社会のしきたりからはかけ離れているが、人間本来の生き方はこれしかない。




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ホルスの左目

2009-06-25 06:22:07 | 冥想アヴァンギャルド
◎この世から超脱するためのアイテム

エジプト死者の書では、父オシリスを殺した仇であるセトに対して、息子ホルスが戦いを挑んだときに、セトは黒ブタに変身した。

ホルスがこれに目を向けた時、黒ブタはホルスの左目を焼き尽くしてしまった。しかしこれにもひるまず、ホルスはセトの睾丸を奪い戦いに勝利することができた。

件のホルスの左目はオシリスのミイラへの供物として奉献され、これによってオシリスは再生し、永遠の命を得て、オシリスは死者の審判者として君臨することになった。

ホルスの左目だけが、永遠に至る命を与え得るとは、永遠に至る命を得ることがホルスの左目を得ることとなる。よってホルスの左目は死の世界共通のパスポートのようなシンボルとして扱われているように思う。

大航海時代のクック船長は、南太平洋のタヒチ島で、殺されたばかりの中年男の人身供儀に出くわし、そこで祭祀長が死者の左目をえぐりとり、島の王に手渡すのを見た。

この人身供儀はこれから始まろうとする隣の島との戦勝を祈念するために行われたものであり、現実的な目的のために行われたものだった。つまり、左目を、本来の使用目的たるこの世なるものから超脱するためのアイテムとして使用したものではなかった。

ホルスは左目を失って勝利したが、オシリスは再生したとは、ホルスとオシリスが別物と見ればわかりにくいが、もともと一体と見れば、他の国の神話によく出てくるパターンに近いように思う。




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アセンションとは最後の審判だった。

2009-06-24 06:19:54 | 冥想アヴァンギャルド
◎クリマコスの最後の審判の梯子

さし絵は、ヨアンネス・クリマコス(579年-649年)の最後の審判の梯子。いまや天上にの昇らんとする多くの篤信者をこれでもかこれでもかといわんばかりに引きずり下ろす一群の黒い者がいる。

霊界物語第五巻の24章天の浮橋の段。『眼を開けば今度は最高点の黄金橋の上に引き揚げられてゐたのである。まづ安心とあたりを見れば、国姫神は莞爾として四五の従神とともに吾前に現れ、

『この橋は黄金の大橋といひ、また天の浮橋ともいひ、地球の中心火球より金気昇騰して顕国の玉となり、この玉の威徳によりて国の御柱は中空に高く延長し、その頂上は左右に分れ、左は男神の渡るべき橋にして、右は女神の渡る橋なり、この黄金橋は滑にして、少しの油断あらば滑りて再び地に顛落し、滅亡を招くの危険あり。

汝は抜身の中に立つごとく心を戒め、一足たりとも油断なく、眼を配り、耳を澄ませ、息を詰め、あらゆる心を配りてこの橋を東方に向つて渡れ。また此橋は東南西北に空中を旋回す、その旋回の度ごとに橋体震動し、橋上の神人は動もすれば跳飛ばさるる恐れあり、また時には暴風吹ききたつて橋上の神人を吹き落すことあり。

欄干もなく、足溜りもなく、橋とはいへど黄金の丸木橋、渡るに難し、渡らねば神の柱となることを得ず、実に難きは神柱たるものの勤めなり』
と言葉嚴かに云ひ渡された。
王仁は唯々諾々として其教訓を拝し、東方に向つて覚束なき足下にて、一歩々々跣足のまま歩を進めた。』

バックグラウンドの描写こそ違うものの、シチュエイションは似たようなものである。アセンションの梯子または黄金橋にとりついたものの、不心得のある者は次々に滑落していく。

さて我々はふつつかなれど、神の柱となれるのだろうか。




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神との間のガラス

2009-06-23 06:09:14 | 冥想アヴァンギャルド
◎世界観と曼陀羅

アジナー・チャクラから見た神の見え方について
『ラーマクリシュナは次のように述べている。

心がこうした段階に達すると、人は、日夜、神の顕現を目にする。しかし、そういう時でさえ「自我」の意識が少し残る。この上なく素晴らしい顕現を見ると、人は狂喜し、偏在する神と一体になりたいと思う。

しかしそれは不可能である。神はガラスケースの中にあるランプの光のようなもので、その光に触れることができそうに思っても、ガラスが邪魔になってできない。』
(神話のイメージ/ジョゼフ・キャンベル/大修館書店P388から引用)

ジョゼフ・キャンベルは何を思ったか、この神との間に立ちはだかるガラスとは、曼陀羅のことであるとして、チベットの金剛杵曼陀羅と、9世紀のヒルデガルトの曼陀羅の図版を置いている。

アジナーから見る神の光景は、この上なく衝撃的なもので、ある人の場合は神から虫けらに至るまでの多層の世界観(たとえば空海の十住心論)として散文として語られ、またビジュアル好きの人の場合には、曼陀羅として描かれるというのもありそうなことだと思う。でもってそれらは、ガラスを通してでなければ描き得ないものでもあるのだろうと思う。

禅者はこのガラスを薄紙1枚などと言った。




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法隆寺の二つの意図

2009-06-22 06:08:00 | 冥想アヴァンギャルド
◎慰めと封じ込め

法隆寺の塔は、この塔から聖徳太子の子孫25名が突如西に向かって飛行した事蹟から現身往生の塔と言われる。実際に亡くなったのは若草伽藍においてであるので、この場で25人が次々に投身自殺を遂げたということではないが、それにしても異常なシチュエイションの伝承ではある。

梅原説では、昭和の始めまで法隆寺金堂の西の入り口に玉虫の厨子があり、それと向かい合うように東の入り口に阿弥陀三尊像から成る夫人(藤原不比等の妻)念持仏が置かれていたという。

玉虫の厨子は仏壇であり、その仏壇に祀られている霊を阿弥陀三尊が浄土へとすくい取ろうとする橘夫人の意図を体したものと思われる。

法隆寺が聖徳太子一族の鎮魂の寺だとすれば、玉虫の厨子に祀られている聖徳太子一族の霊を、今をときめく橘夫人が慰める必要があったというのもにわかには信じがたい。

梅原猛氏は、法隆寺秘仏の救世観音の光背が後頭部に釘を打ちつけられて止められているのを見て、呪詛の印象を持っているが、これが秘仏とされる原因となったというのはありそうなことである。

ただ法隆寺が聖徳太子一族の鎮魂の寺であるという前提からすれば、呪詛は成仏できない霊を慰撫するという本旨からして、はずれた行為であるように思う。

法隆寺には、三伏蔵という三カ所の埋蔵された宝があり、聖徳太子の遺言で将来法隆寺が破損するようなことがあったら、その宝で修復せよという言い伝えがある。これも文字通りの意味かどうかは怪しいが、慰める一方で封じ込めるという、一連の法隆寺関連の企画を行ったオカルティストの全体的な方針からすれば、救世観音のことも含めて実はズレたものでもないのかも知れない。




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聖徳太子鎮魂の寺

2009-06-21 07:55:33 | 冥想アヴァンギャルド
◎聖者惨殺

梅原猛説では、聖徳太子が建てたとされる寺は、法隆寺、広隆寺、橘寺、四天王寺など数多いが、そのほとんどに舎利がからむという。法隆寺の塔の心柱の礎石にも穴がくりぬかれており、そこで舎利容器(人骨入り)が発見され、法隆寺のミニチュア版とされる法輪寺の塔の礎石の上にも同じような穴があったという。

通常仏塔に入れる舎利と言えば、仏舎利であるが、法隆寺のそれは仏舎利ではなく、どなたかの火葬人骨である。法隆寺、広隆寺、橘寺、四天王寺、法起寺の聖徳太子ゆかりの寺にはすべて舎利が埋められているという。その舎利のDNA鑑定ができれば歴史はまた違った風に書き換えられるかもしれない。

梅原説では、蘇我一族の精神的シンボル、宗教的指導者であった聖徳太子は、国家権力を簒奪しようと画策していた藤原一族による蘇我一族追い落とし作戦第一弾として、聖徳太子を非業の死(622年)に追いやり、次に聖徳太子の長男であった山背大兄王一族25名が、斑鳩宮で襲撃を受け全員惨殺されたらしいとする。

これによって蘇我一族は、政治権力と宗教権威の2輪のうち、宗教権威のシンボルであった聖徳太子ファミリーを失うこととなり、政治権力だけとなった。政治権力だけの勢力は藤原一族にとってより組しやすく、蘇我入鹿が女帝皇極天皇の御前で暗殺(645年)されたのをきっかけに蘇我氏を滅亡に追い込んだ。

ところが、惨殺された聖徳太子ファミリーの怨念はすさまじく、成仏せぬどころか、要職にあった藤原房前など有力藤原4兄弟を次々に取り殺し?、それを鎮めるために藤原不比等の妻三千代やその娘光明皇后が主体となって、法隆寺、四天王寺などの造営を進めたのではないかというのが、梅原説のメインストーリーである。

権力者が自らの周辺に不幸が連続すれば、それまでに政敵を葬るために採った悪辣な手段の報いと考えて、我が権力護持のために、国力を傾注して次々と寺院を造営したというのは、仏教を国内に振興するために大型寺院を沢山造営した、というのよりありそうなことだと思う。

東大寺の創建(聖武天皇と光明皇后による728年の山房設置)ですらこの延長線上にある。

全体から見ると、聖徳太子以後起こった藤原氏にとって不都合な事件の数々というのは、いわゆる聖者惨殺の反作用というべきものではなかったかと思う。聖徳太子一族の霊界からの逆襲というような怨念バトルというのは聖者なればこそありえない。

聖者惨殺の反作用は、イエス・キリストを殺した人たちへの反作用で先例をうかがうことができると思う。その対象は下手人だけでなく、民族全体に及ぶようなものではないか。

一方で、聖徳太子の悟境は聖者と呼ばれるに値するものだったかという疑問がある。

これははっきりと断定できるようなものはないが、法華義疏の序文に「あらゆる善がさとりの一果に帰する道理」という言い回しがあり、それなりに理解はしている人なのだろうくらいしかわからない。

しかし、鑑真の唐大和上東征伝にもあるように、南岳の慧思禅師が聖徳太子として転生したことは、中国の覚者の間では常識であり、また聖徳太子の後200年で、仏法が興隆する予言が行為されていることも知られていた。要するに中国の有識者間では聖徳太子が聖者であることはオーソライズされていたことから、聖徳太子の悟境は疑問の余地のないものだったろうと思う。




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法隆寺金堂の釈迦如来像、薬師如来像

2009-06-20 08:11:10 | 冥想アヴァンギャルド
◎等身大の仏像

聖徳太子伝私記には、法隆寺の薬師如来像は、聖徳太子の父用明天皇のためにこれを造営したとあり、いわば用明天皇の位牌みたいな感じで、当時はこれを拝んでいたようだ。

また釈迦如来像は、法隆寺の資材帳によれば王后が聖徳太子のためにこれを造ったとするので、これもまた当時は遺族や民衆が拝む聖徳太子の位牌みたいな感じのものだったようだ。

聖徳太子伝私記には、薬師如来像の方が本仏だったが、釈迦如来像の方が勢いがあるので、釈迦如来像の方を中の間にしたとある。

以上参考:梅原猛「隠された十字架(新潮社)」

梅原猛氏は、この他にも薬師如来なのに薬壺を持っていない、手印が違う、釈迦如来も手印が違うという指摘を行って、この二像が釈迦如来、薬師如来としては異例なものであるとする。
人間を拝む神社というものは、明治神宮や東郷神社、靖国神社みたいにないことはないが、多くはないものである。ましてお寺の仏像ではほとんどないのではないか。さすがに梅原猛氏は前例として、北魏で高宗文成帝が帝身大の仏像を造らせた事蹟を挙げてはいる。

法隆寺金堂のそれが、通常一般のお寺の釈迦如来像や薬師如来像と違うユニークな様式であることは、むしろ観光客を引き寄せる材料であるはずなのだが、法隆寺はむしろそれをオープンにしてこなかったのは、何か引け目みたいなものがあったのだろう。

法隆寺金堂で釈迦如来像、薬師如来像を拝む時には、聖徳太子と用明天皇をイメージするというのは、やはり仏教らしからぬ独特の観がある。その微妙な不整合から梅原猛氏は法隆寺鎮魂寺説を直観したのだろうと思う。

皇族方は念持仏を持っていらっしゃるそうだが、その習慣がいつの頃から始まったものなのから知らないが、仏像を位牌がわりにというのは、庶民にとっては珍しいが、雲上人にあっては普通のことであったのかも知れない。




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小周天の進行ー9

2009-06-19 06:04:47 | 道教
◎沐浴

悟真註疏によれば、子(丹田を十二支の子とし、ここから子丑・・・巳と進む)に陽火を進める。火を息(や)める。これを沐浴という。さらに午(頭頂を午とし、ここから午未申・・亥と進むこれを「退く」と称する)に陰符を退く、符を停(とど)む、これを沐浴という。 (金仙証論による)

つまり周回の上りの中で、周回を停止するのを沐浴と云い、また同様に下りにおいても周回を停止することを沐浴とする。また上るものを火と呼び、下るものを符と謂う。

ここで慧命経の六候図第二を見ると、上昇、下降のそれぞれ四規のところに沐浴とあり、卯と酉のタイミングで沐浴があるように見える。

ところが、単純に1周回で2回沐浴があるという解釈は間違いであるというコメントがある。曹還陽真人によれば、十二時中時時に陽火陰符ありとしているので、たとえば丑タイム(パート)の中にも陽火陰符の昇降があって、当然その中にも沐浴があるだろうと読めるのである。

これも実際にどうなのかは正師のみぞ知るである。





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小周天の進行-8

2009-06-18 06:09:37 | 道教
◎周天の息数微々として数える

昇降における微妙な数の決まりとは、一回転360度だが、300を用いるというところである。

守陽真人によれば丹田発の上りは36段であり、一日12時なので、上りは半分の6時であり36×6=216。これから沐浴の分を差し引いて180度となる。
頭頂発の下りは24段であり、24×6=144。これから沐浴の分を差し引いて120度となる。

上り下り合計で300度を用いる。

上りが陽であり、下りが陰。上りが呼とされ、下りが吸とされる。

丹田が十二時の子。頭頂が十二時の午。

上りより下りが短いが、なぜかはわからないが、それが秘訣。

それでは沐浴とは何かという疑問が次に残る。




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小周天の進行-7

2009-06-17 06:03:44 | 道教
◎回し方と呼吸

柳華陽は、小周天で任脈督脈で小薬を廻すのは1回だけではなく、何百回も回さないと成就しないとしている。

回し方にも更にいくつかのこつがあり、回す際の度数のきまりを守らないと丹ができないとか、小薬を回し始めるスタートのタイミング(陽生)をつかまないと周天しても丹はできないなどの失敗事例を挙げている。

覓元子(べきげんし)によると、小周天の一吸は下から上へ(丹田から脊柱内側を通って頭頂へ)、そして一呼は上から下へ降る。これをもって一息の昇降とする。

加えて昇降にも精妙な数の決まりがある。




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小周天の進行-6

2009-06-16 06:01:21 | 道教
◎周回の始まり

武火をもってスワジスターナ・チャクラ(丹田)に小薬を落ち着かせ、そこで柔なる文火でもって温養して、小薬がほどよい加減となることを待つ。(このタイミングは正師に出会って聞くしかない)

煉丹では、風と火を用いる。風は呼吸であり、ふいごにも譬えられる。火は意識である。このことは古来公開されてこなかったが、柳華陽がこれをオープンにした。

覓元子(べきげんし)がいうには、意識を集中して呼吸を整え、ふいごみたいに風(呼吸)で火を吹くと、精液(陰精)が気に変化して、あるボディ(一身)の気に混入し、この気が先天の気に合体する。その次に先天の気はスワジスターナ・チャクラ丹田)から出て薬となる。

さて混然子によれば、小薬がほどよい加減となったならば、徘徊させようという意志をもって意識(火)でもって、小薬なる元気に迫りなさいという。

この「坤の火が運動する時には、下に沈潜する」とは、丹田から出た小薬なる元気はやや下に下がってから脊柱内側を上昇するルートをたどるが、最初に下がることを言っているようだ。

回し方のこつは、意識でもって丹田(中宮)を守ること。丹田があたかも北極星であるかのように意識して小薬を北極星のまわりを周回・昇降させる。




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