アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

女神イナンナの復活

2008-11-30 04:15:05 | 時代のおわり
◎たった一人の冥想が救う

さてシュメールの天界の女神イナンナが冥界の第一の門に入ると、彼女のステップの王冠が持ち去られた。

第二の門に入ると、心をなごませる6メートルの輝く葦の杖が持ち去られた。

第三の門に入った時、ラピスラズリの首飾りが持ち去られた。

第四の門では胸の卵型ビーズのペンダントが持ち去られた。

第五の門では黄金の腕環が持ち去られた。

第六の門ではあらゆる人をひきつける胸飾りが持ち去られた。

そして女神が第七の門に入ると、彼女の貴婦人の服、パラ衣裳が持ち去られました

素っ裸にされたところで、冥界の女王エレシュキガルと7人の裁判官が死刑の判決を下し、イナンナの死体は釘にかけられてしまった。

イナンナの従者であるニンシュブルは、イナンナから生前言いつけられていた通り、天界の神々の間を訪問し、イナンナを助けてくれるように頼んで回った。そして彼女は面を伏せ、目を伏せて、「人とともに行くところではない場所で彼女の大きな〈肛門〉をかきむしった」。貧者のようにたった一枚だけ衣を着て。

ニンシュブルは、イナンナの父神エンキから命の食物と命の食物を受け取り、それを持って冥界に降り、妊娠に苦しむ冥界の女王エレシュキガルの病気を治してやった。そのお礼に差し出された大麦と川の水を受け取るのを断り、代わりに釘にかかったイナンナの死体をもらい受けた。

そしてその死体に命の食物を与え、命の水を与えたところ生き返った。

イナンナは、従者ニンシュブルの、神々の間を頼んで回った努力を称賛し、特に、彼女が面を伏せ、目を伏せて、人とともに行くところではない場所で彼女の大きな〈肛門〉をかきむしり、貧者のようにたった一枚だけ衣を着ていたことも誉めたたえてた。

冥界を出るには身代わりを一名置いていかねばならぬという掟を聞かされ、イナンナは、我が喪に服していなかった、不肖の夫ドゥムジをつかまえて冥界に送り込んだ。
(出典:筑摩世界文学体系1 古代オリエント集/筑摩書房)

これは、天界、天が冥界の地の底に落ちていくモチーフ、復活はあるものの、アセンションならぬディセンションのストーリーである。このディセンションは当代の秘密のひとつではないか。

また素直に読めば、ニンシュブルは練達の冥想修行者。『彼女が面を伏せ、目を伏せて、人とともに行くところではない場所で彼女の大きな〈肛門〉をかきむしり』とは、クンダリーニ・ヨーガ冥想をして、肛門なるムラダーラ・チャクラからクンダリーニが上昇し、天界に至ったくだりを指していることになるだろう。

加えて『たった一枚だけ衣を着ていた』とは、平素着ている肉体の衣なしの霊衣一枚だけで、天界を訪問した消息を述べているとみえる。

つまり神通力をすべて失った神々の王を、クンダリーニ・ヨーギが単独行で救う、それがきっかけで、世界全体が復活する話なのである。孤独なクンダリーニ・ヨーギとは我々のこと、たった一人の冥想が世界を救う。




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仕事の上での修行

2008-11-29 07:24:44 | 究極というものの可能性
◎事上磨錬

王陽明の特徴は、仕事の上での修行を説いたことにあるように思う。知行合一とか事上磨錬とは、毎日の仕事の中で、知的に知った天の理を実地に適用していくのが修行であるという意味に読める。

王陽明の修行は、3本立てであり、儒学の教義の研究が一つ、端坐澄黙して静一を求めるというメディテーションが一つ、そして仕事の上での修行が一つである。

仕事の上での修行とは、インドの分類では、カルマ・ヨーガになるのだろうが、四書の中庸に「誠なるものは天の道なり、これを誠にするものは人の道なり」とあり、また王陽明も「それ天地の道は誠のみ、聖人の学は誠のみ」(南岡の説)と語り、天の道である誠を実現するのは、人の行為つまり日常の仕事であることを言う。

日々の、善であり無私である、仕事や、家事や、学生の人だったら勉学の積み重ねによっても、ついには誠に至るのである。

王陽明は、抜本塞源論で、中国の歴史・社会では、功利があまりにも優先され過ぎたことによって、本当に天の理を求める方向に儒学が行かなかったをことを嘆いている。そうした風土の中で、誠を実現する手段としては、まず学による概念の確立と実際の仕事の上でのそれの実現が優先度が高いとしたようだ。

現代もこれだけ功利優先の時代になってしまえば、この2手法が有効と考えられるが、今度は知性が進化しすぎて、誠の正当性について容易に疑念をさしはさまれる惨状であるため、その柱の片方は既に崩れさっている。

王陽明は、冥想については、あまり多くを語っていないのか、後世の弟子達は教義・哲学への関心が高いため冥想への関心を惹かなかったのか、冥想にはあまり言及がない。
また王陽明自身が、大悟はある特定の坐法によるものではないと見ていたことも影響があるかもしれない。

当時も今も冥想しづらい環境だが、日々の仕事を誠心誠意こなしていくことも、ひとつの冥想たりえることを私も信じている。




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王陽明の愛

2008-11-28 06:05:47 | 究極というものの可能性
◎良知は、真誠惻怛

王陽明は、晩年、弟子の聶文蔚に対して、
『良知とは、天理が霊妙な明智として自然に発現したものにほかならず、それは、真心から同情し痛み哀しむ心にほかなりません。そしてそれこそが実は良知の本体なのです。』
(王陽明大伝五/岡田武彦/明徳出版社から引用)

これは良知とは、天の方からやってくる霊妙なる理(法則)の現れであって、その本体は真心から同情し痛み哀しむ心(真誠惻怛(しんせいそくだつ))であるという説明。

つまり、良知とは、自分の個の方にあるのではなく、天なる究極の側からやってくるものの現れであり、その本質はであると言っているように読める。

言葉づらは、儒家のものではあるが、天なる究極の側からやってくるという部分、そして愛がその本質であると語っている部分は、典型的な覚者の実感を述べているのであって、奇異なところはないように感じる。

愛のことを四字熟語の真誠惻怛とやられた瞬間に、昨今の若者は引いてしまうだろうけれど。




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王陽明の龍場の大悟

2008-11-27 06:09:24 | 究極というものの可能性
◎端坐澄黙して静一を求める

37歳の時王陽明は、宦官劉瑾の讒言により貴州省北部の龍場に流された。龍場は蛮地であり、毒蛇毒虫が群生し、言葉も通じないようなところであった。

王陽明は、3人の従僕を連れ、100人ほどが入れる鍾乳洞を見つけ、ここを陽明小洞天と名付け起居することとした。最初は、地元の人々の食物の寄進に頼っていたが、飢えに苦しむことが多かったので、後自ら耕作を始めた。

王陽明は、社会的地位や世間の評価を失ったり、飢えに苦しむことについては、既に淡々と応対できるようになっていたが、この遠隔の地にあっても、宦官劉瑾の魔手がその命を奪いに来ることを思うと安閑としてはいられなくなるのだった。

つまり、生死の一念がまだ残っていたのである。

『日夜、端坐澄黙して静一を求めているうちに胸中が洒然となった。そのころ従者たちが皆病気になったので、陽明は自ら薪を採り水を汲み粥を作って従者に食べさせ、また彼らが憂鬱にならないようにと詩を歌った。しかし彼らの心が晴れない様子なので、郷里の越の俗謡を歌いおどけたことを言って、その心を慰めた。そこで彼らも病の憂さや蛮地住まいの苦しさを忘れることができた。

その時陽明は、もし聖人がこのような境地にいたら、どういう道でもってこれに対処したであろうかと思いを凝らしていたところ、夜中に突如として大悟し、格物致知の本義を悟った。

その時喜びのあまり夢うつつの中で大声を発したので、従者は皆驚いた。

このように陽明は、聖人の道は外にあるのではなく、すべては皆わが性中にあるからそれを求めればよい。したがって理を従来外の事物に求めてきたのは誤りである、ということを知った。

そこで記憶している「五経」の説についてこれを徴したところ、何一つとして一致しないものはなかったので『五経臆説』を著した』
(王陽明大伝二/岡田武彦/明徳出版社から引用)

まず冥想法は、端坐澄黙して静一を求めるであるから、密教型の高級神霊、尊格を連続してイメージするようなものではなく、只管打坐型のただ坐るタイプのものだろうと考えられる。

それと、冥想指導の師匠がいなかったこと。これは、意外にすごいこと。宗教といえばとかく組織宗教のグルに依存するものと思い込んでいる現代人も、グルなしで冥想修行を始めるような一途さが欲しいものだとは思うが、冥想の効用がほとんど評価されない時代にそんなことを言うのも空念仏みたいなものではある。

グルがいないから、その見解を、いちいち記憶している五経の内容と不一致がないかどうか確かめていって、グルがいないままに自分の悟った見解が間違いのないことであることを確信したというプロセスを踏んだものと思う。




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王陽明の超能力

2008-11-26 05:55:40 | 究極というものの可能性
◎真の悟りに非ず

王陽明は31歳の時に、浙江省四明山の陽明洞に籠もって、その肉体虚弱を克服するために導引に打ち込んだ。そして1か月たつと陽神が身体に出入りして、未来のことを前もって知ることができるようになった。

ある日王陽明は、「四人の友人がここを来訪しようとしているから、五雲門に行って出迎えなさい。」と下僕に命じた。

下僕が五雲門で待つことしばし、果たして王文轅、許璋らの四人の友人がやってきた。友人たちは予告をしていなかったのに、出迎えがきていることに驚き、王陽明に会うなり、どうやって事前に来訪を知り得たのか質問を王陽明に浴びせた。

すると王陽明は、精神を統一して静虚の境地に入れば誰にもできるとした。

その後、世間の人もしばしば王陽明を訪問し、吉凶禍福を問うたところ、よく的中したという。これをして世間の人は、王陽明は道を悟ったと噂したが、王陽明は、「こんなことをやっても精神を弄するだけで、真の悟りではない」と言って後悔した。
(参考:王陽明大伝/岡田武彦/明徳出版社)

このように王陽明の予知能力についての超能力観は、悟りとは全く関係ないとしていることで穏当なものである。

四書の中庸に「至誠の道、もって前知すべし」とあり、儒教でも、この程度のことは通説として知られていた。




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シュメールのイナンナ女神

2008-11-25 06:13:16 | 時代のおわり
◎暗黒の72時間

世界の神話の中で最古層に入るもののいくつかは、約1万2千年前のアトランティス滅亡時に作られ、今回のカタストロフィーの時期の人間たちに向かって残されたメッセージとしか思われないものがいくつかある。

それは日本神話であり、北欧神話であり、アイルランド神話の一部などだが、そうしたもののひとつにシュメールの神話がある。

天界の女王イナンナは、彼女の姉妹エレシュキガルが支配する冥界に下降する。イナンナは冥海の七つの門を通過するたびにその七つの機能の象徴である豪華な装身具をはぎとられていく。

エレシュキガルは、イナンナに「死の目」を注ぎ、イナンナを死体のように吊るしてしまう。

イナンナの忠実な従者ニンシュブル(東方の女王の意)は、もしイナンナが帰ってこなかったら探しに来るように言われていたので、知恵の神エンキに訴え出たところ、エンキは、イナンナの解放を頼むために二匹の生き物を使いに出した。

すると二匹の生き物は、エレシュキガルが出産しているのを目撃し、それがきっかけとなってイナンナは、3日間の死の後に、生命を取り戻し、七つの段階を経て天界の女王としての地位をも取り戻す。

この復活の見返りにイナンナは犠牲を差し出すことを求められるが、イナンナは、この序の息子やニンシュブルを差し出すことを拒否し、最後には夫を差し出すことにする。

イナンナはバビロニアではイシュタルと呼ばれていたが、イシュタルが冥界にいた暗黒の3日間は、地上には呪文がかけられていたようで、豊かな実りは停止し、万物は眠りに落ちてしまう。

七つの段階を下降するとは、一旦覚醒したものだけが下降できるのであって、覚醒した者が、その暗黒の3日間は極めて無力となり、死の状態になることを指すのだろう。そしてその72時間がすぎて、あらゆる権能を取り戻していく。

この覚醒した者でも、全く無力である死に陥る72時間があり、そこから復活するというのが、現代文明の秘儀というべきものになるのではないだろうか。

天の岩戸隠れはまる3日だったのだ。

その時をきっかけに悟るかどうかという議論より、既に悟っていることを前提に組み立てられていることのほうが、きつい条件ではある。




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王陽明の致良知

2008-11-24 07:03:29 | 究極というものの可能性
◎日々正しく仕事をする

王陽明は、官僚であり、儒学者であった。仕事をしながら、時には戦争の指揮を採りながら、儒学の蘊奥を究めようというのだから、生活基盤も社会的地位も捨てて求道の道に飛び込むことを必須とするクンダリーニ・ヨーガ系の内丹の道は選ばなかった

逆にそういった人生航路を選びとったからというわけではないだろうが、王陽明の行き着いた境地である致良知は、只管打坐で行きついた境地を思わせるものがある。つまり彼の語る良知とは、タオのことであって、道元、老子、クリシュナムルティなどが語っている世界と同じではないかと思われるのである。

王陽明はもともと静坐と呼ばれる冥想を続けていた。静坐の坐法については詳らかでないが、中年に至り刑罰を受けて南方の龍場に左遷されて、洞窟に起居、冥想の暮らしをする時期があり、この時に大悟したとされる。

しかしながら、その後50代になるまで、きっぱりと確信できたわけでなく、いささかの疑いがやや残っていたようなので、この大悟は、禅家からみれば小悟かもしれない。しかしこの龍場での大悟がきっかけになって、晩年には良知を致すという揺るぎない教えが提唱されるほどに、その体験とは言えない体験が熟成されたものと考えることができる。

50代になる以前は、弟子に対して、自分で静坐をする中でそれが真理であることを確認せよと語っていたようであるから、いよいよもって陽明学の本質は冥想であると思われる。

但し大悟という一発ホームランもあったが、それを確実なものとする日々の仕事の上での致知を繰り返すことで、それが確実なものになったという彼のやり方は、日々勤労者として生きる現代の大多数の人間にとって参考となる行き方だと思う。

人間の道心はかすかなもので、日々の激しい生存競争である仕事を繰り返していれば、簡単にすり減るものであるからなおのことである。




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六祖慧能の思量しない禅

2008-11-23 07:46:58 | 只管打坐
◎想念停止

非思量底の禅とは、道元のキャッチフレーズの一つ。道元以前にも思量しない禅が議論になった。

ある時薛簡が六祖慧能に対して、「首都の禅の先生方は、「仏法を悟るためには必ず坐禅しないとならない。坐禅しないで悟った人は、過去例がない」と主張していますが、本当でしょうか」という質問状を送った。

これに対して六祖慧能は、「仏法の真理は心で悟るものである。そのための手段として坐禅は最もよいものではあるが、坐禅に執着してはいけない。」と回答している。また仏教教学を学んで知識を増やすことで煩悩をなくそうとするのも間違いだとする。

更に「明(迷い)と無明(悟り)は、その本質は、同じであり、実性=真如の両面である。実性=真如は、煩悩にあってもなくなることはなく、禅定に居てもなくなることはない。それは、その中間にあるのでも、その内や外にあるのでもなく、不生不滅であり、永久に変わることがない。」

また「外道の説く生と滅は、前提として、生も滅があるところからスタートしているので、滅は滅しないから、生は無生と説明する。
私の説く不生不滅は、実性=真如にはもともと生も滅もないので、外道の説明とは違う。

あなたがもし本当のところを知りたいと思うならば、ただ一切の善悪すべて思量すること莫(な)かれ。

そうすれば、自然に清浄なる実性=真如(心体)に入ることができ、静かに落ち着いた境地にあって、絶妙な数限りない働きをするだろう。」

一切の善悪すべて思量しないとは、想念停止なのだろうか。坐禅して、思量することがなければ、そこに入る。カルロス・カスタネダは、この世の思い出すべてに別れを告げる準備を終えてからその状態に入ったことから見ると、単なる坐禅時の心の持ちようだけではそこに入れるものではないと思う。




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フィチーノの神の名

2008-11-22 06:52:12 | 究極というものの可能性
◎無人島の気分

15世紀のイタリアの哲人フィチーノによると、万人は神を四文字で呼ぶという。
ヘブライ人なら he ho ha hi
エジプト人たちは Theuth
ペルシア人なら Syre
ペルシアの司祭なら orsi
ギリシア人なら Theos
イタリア人なら Deus
アラビア人たちなら Alla

四音節なのか四文字なのか判然としないが、とりあえず四文字と主張する。

『たしかにこれほどさまざまの種族が知ることのない神について一つの名前に一致したというのは神的霊感による以外にはない。そして彼らがアダムからその名を受け取ったのだとしてもこの名前を受け取ったのはほかでもない神的霊感によってなのである。


ヘブライ人たちが伝えるところによると、もし神の名が正しく発音されるなら、その名によってあらゆる奇跡をなしえるのである。しかしその発音はなによりももっと難しく、ただ奇跡によってのみできるものである。

思うに神はその発音をきわめて難しくしてしまったので、神がちょうどラッパのように自分自身で声をあげるのでなければ、だれもそれを発音して、自分で奇跡をなすことはできないのである。

こうしたことからもわかるのは、イエスこそがだれよりもはるかにしっかりと神に受け入れられたということである。

イエスが奇跡をなしたのは神の名を正しく発音することによってなのだとユダヤ人たちも認めているのである。ユダヤ人たち自身は神をHeroinと発音しており、ギリシア人たちは四文字語で発音する。

神は万物を四つのものつまり本質、存在、力、活動によって配列する。天体の存在者を四つの三宮によって、天体よりも下位のものを四つの要素によって配列する。

このような理由で神は、四つの文字で表現されることを望んだのである。』
(ピレボス注解/マルシリオ・フィチーノ/国文社から引用)


神の名を正しく発音するとは、『カミ』と発声することではなく、神と同調することで、同調の仕方は、シャーマンして帰神するか、身心脱落するか、中心太陽突入するかのいずれかとなる。

神と同調したことであらゆる神通力がついてくることを『あらゆる奇跡をなしうる』とする。

神の名を正しく発音できない大多数にとって、その神の呼び名が正しいかどうか確かめる術はないのだから、その集団内のさる権威者によって神の呼び名を教えられたに相違ない。

現代においても事情は同じで、誰かに神の呼び名がいろいろ伝えられてはいる。しかしその神の名が正しいなんて、簡単に信じることはできないほどに個々人の判断能力、洞察力が高まってしまっている。

他人から聞いた神の名を信じられなければ、冥想により自分でその疑問を晴らすしかないのだが、冥想によって確実にたどりつける保証もないから、今や神を求める人は、無人島に一人置き去りになっている漂流者と変わらない気分なのではないか。




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違いを理解できないもの

2008-11-21 06:06:48 | 只管打坐
◎身心脱落と臨済禅

何も事前の知識のない人々にわかりやすく説明するためには、違いを明らかにしなければならない。只管打坐ですら、道元とクリシュナムルティと老子は同じ境地を語っているらしいということはわかっても、クリシュナムルティも老子もその坐法と境地の連動について何も語らない。従って最近の文書による論証という手法では、論理的な組立てはできない。

また只管打坐と臨済禅の悟りがどう違うかということも、明確にはしにくい。両方の悟りを体験した者だけがそれを知るわけだが、そうした特別の人物が両方の悟りを得たことを、他の悟っていない第三者に証明できるわけではない。

面山は、只管打坐のことを純禅と呼び、黙照禅と呼び、臨済系の看話禅と区別している。面山は、黙照禅の身心脱落の境地を華厳経なら海印三昧のことであり、法華経なら無量義処三昧で、般若経なら三昧王三昧であると断言している。

ところがこの黙照禅の身心脱落の境地はこれを実体験した者のみがこれを確認できる(唯証相応の境界なる)とも面山は述べており、誰でも理屈で理解できるものではないとして、論理的証明のできないことをも認めている。

只管打坐と臨済禅の両方で悟った者を捜すのがてっとり早いが、理屈で言えば、臨済禅も只管打坐も釈迦正伝なので、釈迦こそが両方悟っていたということになるが、それでは何の説明にもなっていないところがある。

その境地が、ある特定の坐法の先にあるかどうかの説明はできないが、本当かどうか確かめるためには、自分でその体験とは呼べない体験に飛び込むしかない。

これでは禅をやろうということについて、社会へ訴求する力はないのだが、それができなければ、人類滅亡之境を見るというジレンマがある。




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正しい瞑想と沈黙

2008-11-20 06:09:27 | 只管打坐
◎百年河清を待つ

1943年のクリシュナムルティからエミリー夫人への手紙。
この頃クリシュナムルティは、アメリカにいて、少なくとも一日二~三時間は冥想する生活だった。

『正しい瞑想というのは、まさにわれわれが経験できる最もたいへんな現象なのです。それは創造的な発見であるばかりか、解放される過程でもあり、その結果至高のものが顕示されるのです。

沈黙しているということはよいことです。その期間に心の奥深く入りこみ、多くのものを見出し無窮のものの光と愛を再発見したのです。

今になってやっと、それは深く確立され、不滅のものとなりました。

前述しましたように一日数時間瞑想しますが、つきることのない宝があります。この愛は天然の井戸のように常にあふれているのです。』
(クリシュナムルティ実践の時代/メアリー・ルティエンス/メルクマール社から引用)

クリシュナムルティが『瞑想しようとする努力はすべて瞑想を否定することである』という持論をもっていることはさておいて、自分はちゃっかり冥想修行していたのだ。

ここで用いられているキーワードは、沈黙である。つまり密教での冥想のようにあらゆる尊格、神霊をありありと眼前に思い浮かべるというような具象を用いた観想法系の冥想ではないということである。

残念ながら、結跏趺坐なのか、あぐらを崩したようなのか、その坐相はわからない。クリシュナムルティは、本当の冥想は意図的に行なうものでなく、向こうからやって来ることだけを主張しすぎている。

確かに坐法さえ、ある(心理)状態に対応する形で変わることもある。しかしothernessは
坐法や姿勢やTPOにかかわらず起こるとも、クリシュナムルティは語り、坐法にまったくこだわりは見せない。

この結果、クリシュナムルティの主張は、冥想はとてもいいものだが、坐法・姿勢を特定してはダメとなり、事実上の冥想の否定となっているように見える。

これでは何も努力の方向が定まらず、百年河清を待つことを良しとする人が出るばかりとなることが予期され、果たしてクリシュナムルティに後継者は出なかった。

自然に冥想が起こることは、それがクリシュナムルティの言うothernessそのものではなく、自然な冥想の中でやって来るが如きものがothernessなのだろうと思う。

手を使わずに瓜を受け取る人だけが、それを掴むことができるとしか言いようがない。




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面山とグル

2008-11-19 05:55:56 | 只管打坐
◎一千日閉関

面山(1683-1769)は、曹洞宗の人。

当時の僧堂は荒れていたらしく、眠っておらず目が醒めていても、前に眠っていた分として警策で叩くのは序の口で、肩ではなく、頭、目、耳、鼻などめった打ちにして、流血淋漓の惨事になる場合まであったという。またその傷がもとで死に至るものもいた由。

またある寺では、結制という坐禅合宿の時期には、警策が数十本折れるほどだったともあり、坐禅会ならぬK1みたいな打撃ありのバトルのような惨状もあったようだ。

そんな中で、面山23歳のときに、師匠の損翁が亡くなる。その葬儀を終えて、翌年神奈川の羽鳥村鷹山の老梅庵で、一千日閉関なる修行を行なった。これは、一日中昼夜只管打坐して、睡魔がやってくれば正法眼蔵を読み返して暗誦するということを千日するというもの。

グルが去れば地を巡るという求道者の一般法則があるが、面山は、グルを失って、行脚に出る代りに、それを只管打坐に求めたということになろう。一千日閉関は満行したが、大業(身心脱落)が成ったかどうかはよくわからないけれど、途中でそれが起これば、千日満行にこだわらずに出てきたのではないだろうか。




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アメリカン・カルチャー

2008-11-18 06:00:28 | 時代のおわり
◎パンクと精神世界

20世紀、アメリカン・カルチャーは、世界を席巻したが、軍事的2極のもう一つの極であるソ連大衆カルチャーなるものは世界を風靡したとは言えない。それどころか90年代初頭には、破産して国家分裂の憂き目にあった。

また人口の多いことでは、世界が刮目する中国だが、20世紀はチャイナ・カルチャーが世界を瞠目させることは遂になかった。

おしゃべりで、軽快で気さくなアメリカン・カルチャーの特徴は、1950年代以降のフアッションのあらゆる分野にわたって、工業の生産能力向上に伴い、その外貌を変えてきた。つまりジーンズやミニスカートをはいた若者が、クレジット・カードでもって、どんどん新しいものを買い込んでいく過剰な消費文化。

買うべきものは、毎週ヒットランキングが発表される楽曲であり、人気車種ランキングなど、次々と新しい情報として提供され、ご丁寧にも、テレビCMなどのように、消費者の無意識をターゲットとして、単純な言葉の繰り返しで、平素からプチ洗脳を徹底してそれを強化していく。

そうした牧歌的な、我が世の春に一つの異変が投げ込まれる。それが、ベトナム戦争。PTSDを初めとする人間が目にしたくないあらゆる「人間の真実」が、そこには詰まっていた。サイケデリックスに逃避する若者も多数出た。ここからファッションもきれいごとは終わった。パンク・ファッションが始まった。

今では信じられないかもしれないが、長髪でパンクな服をまとったヒッピーの男女が新宿東口広場を埋めつくしていた時代すらあったのだ。当時はパンクって言葉はなかったけど。

アメリカは1970年代から工場が衰退し始め、1970年代は不況の色が濃かった。今GMが4兆円を超える債務超過で、クライスラーまでも公的資金支援を要請するほどまでにアメリカの製造業は衰退しているが、その退潮は1970年代から始まっているとしても過言ではあるまい。

大衆が、電化製品によって生活に充分な余暇をもったから、その現実に向き合ったり、それから逃避したりするために、精神世界に関心を持ったり、ドラッグに手を出したりするわけではない。生活に不安があるから、そうしたものに目を向けざるを得なかったのだ。

アメリカの人口3億うちワーキングプア2千万のワーキングプア大国が、この製造業の不振を招いているのだ。いわば大衆の没落が、製造業の地盤沈下を招いたのである。それはファッションのパンク化と軌を一にしている。

近代西欧文明はアメリカン・ライフ・スタイルの確立でピークを迎えたが、1970年代以降は、ピークを過ぎ混迷の時代となった。亢龍悔いありだ(易の乾為天の6爻。ピークを過ぎれば落ちること)。 

日本に比べてアメリカの方が、まともな精神世界の取り組みができているのは、こうした社会的環境のせいであることは間違いない。アメリカの風土がそうしたものへの率直さを認めてくれるものであることもある。

またアメリカが、ケン・ウィルバーや故人だがクリシュナムルティを初めとして、覚者を何人も抱えているのも当然のことだと思う。

それにひきかえ日本社会は、未だに覚者を21世紀の眼で正当に分析評価するスタンスをとり得ず、前時代的な迷妄の中にあがいているのは、どうしたことだろうか。突然日暮れが来ようとしているのに、神国日本の夜明けは遠い感がある。




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あらゆるものに神性を見る

2008-11-17 04:33:11 | 老子
◎老子第39章 昔之得一者

『そもそも、この世界の発現においては、それは無有一如の玄なる道を得たからである。天は、この無有一如のなる道を得て以って清いのであり、地はこれを得て以って寧らかなのであり、神は是れを以って霊なのであり、谷はこれを以って水が盈ちるのであり、万物はこれを以って生じるのであり、候王は是れを得て以って天下の範となるのである。

これ等がこのようになるのは、天は決して清となろうとしてこのようになったのではなく、若し自ずからこうなろうとしたならば、忽ち天は裂けてしまうであろう。地もまた同じことで、自ずから寧らかになろうとしたならば、おそらく動揺して休む時がないであろう。

神が自ずから霊となろうとしたならば、おそらくは、その霊妙力が減じてしまうであろう。また谷が自ら水を盈たそうとしたら忽ち水枯れてしまうであろう。万物が自ら生じようとしたならば、忽ち絶滅してしまうであろう。候王が自ら貴く高い人間となろうとしたら忽ちその王位は失われてしまうであろう。

だから貴いものは、それだけで貴いのでなく、賤しいものがその根本を成しているのであり、高いものはそれだけで高いのではなく、低いものがその根基を為しているのである。これだから帝王たちは、自分を呼ぶのに孤(幼くして親のないもの)寡人(老いて配偶者のないもの)不轂(轂のない役立たぬ車)というようなことばを使うのである。

これは賤しいもの下のものをもって本と為しているということを表しているのではないか。そうではないか。事実、車でも、その部分をこれは輪、これは御光、これは心棒というようにいちいちその部分を数え立てていくと、車というものがなくなってしまうように、卑賤があって高貴があるので、卑賤を無視すれば、その上に立つ高貴も認められなくなるのである。

だから玉と石が一方はつやつやと光あって何処までも美しく貴く、一方は粗っぽく光なく、どこまでも賤しくて全く別々であるような、そういう考え方を好まない。』

単純な相対的なものの片側の有用を説く議論に堕していると読まれかねないところがある。

ところが、この世なる現実世界は、絶対なるものは何もない。絶対なるものが何もなければ、優劣は必ずあるものであり、五感による現実を越えた至聖の世界なる現実を優れたものとすれば、われわれの生活実感であるこの世こそが劣った世界である。

その2つの世界の微妙な中間なる天の浮橋に、我々は立ち位置をとっている。従って貴賤あるからといって賤しい側を毛嫌いして捨てるのはそのバランスを失うことになることを戒めるのが主旨だと思う。

賤しい者がやって来たとしても、拒めたものではないだろうと老子は言っているのではないだろうか。その中にも神性が輝いている。




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デザイナー三宅一生

2008-11-16 07:08:41 | 究極というものの可能性
◎原爆の色

プライベートな数多い実感の中で、もっとも心の奥底に触れる思い出が、人を、うつろうことのないもの、絶対に変わることのないもの、一番なつかしいものに向かわせる。

ファッション・デザイナー三宅一生にとっては、それが被爆体験であったに違いない。そうした最深部の体験については、なかなか他人に語ることはないものだが、三宅一生もまず語らない。

1945年夏、三宅一生は小学校一年生。爆心地から2.5キロほど離れたところに住んでいた。この時の母のやけどがひどく、1948年に母は亡くなってしまう。

朝日新聞の新人国記(1981年)によると彼は「原爆の色、いまでもイメージが浮かんでくる。いやな色だ」と述べている。

否応なく見たくない色を見たことが、彼の色づかいの根底にあるのだろうか。三宅一生は多摩美大を出た後、パリを目指しジバンシーのアトリエを中心に修行する。そして1960年代末にはニューヨークへ移る。

ある極致を目指す者には、2つのタイプがあって、人間世界を越えた世界に生きるために、人間の限界を踏み越えて行こうとするタイプと、自分は人間の側に踏みとどまって、それを越えた世界を言葉や音や具象で、なぞらえ表現しようとするタイプがある。

前者は真正の求道者であり、宗教家のことである。後者は、音学や芸術などの道に進む人達であるが、自分を残して活動するという点では、シャーマンと共通している。

三宅一生は、「修羅を背中に背負いながら美を追う」という一つの人類的なスケールでの宿命を持った人物のようであるから、「自分を残す」というポイントから一歩踏み出すことを充分に意識した人生航路であるように見える。




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