アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

お稲荷さんの祭神

2008-09-30 06:17:11 | 冥想アヴァンギャルド
◎稲作のメジャー化

日本の神社の祭神は、多い方から、八幡さんであり、第二位がお稲荷さんであり、第三位が天神さん。八幡さんは、大分の宇佐八幡宮が最も古いとされ、梅原猛氏は、祭神は応神天皇と断定している。天神さんの祭神は、菅原道真で間違いないが、お稲荷さんだけ祭神がよくわからない。

お稲荷さんは、最も古い記述が山城国風土記にあり、梅原猛氏はこれを以って伏見稲荷の最初の由来とする。
秦一族の秦の伊侶具が稲作で富み栄えていた。ある時餅でもって的を作ったらそれが白鳥となって飛んで行き、山の嶺に降り、稲となったので、ここに稲荷神社を建てた。

後にその子孫が、祖先の前非(餅を的にしたことで祟りがあったのだろう)を悔いて、神社の木を抜いて家に移植して祀った。移植した木が蘇生すれば福があり、枯れれば福はない。』

伏見稲荷には上社、中社、下社があり、二十二社註式によれば、祭神はそれぞれ猿田彦命、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、大宮女命(おおみやのめのみこと)。中社の祭神、倉稲魂命は別名豊宇気姫命(とようけひめのみこと)であり、伊勢外宮と同じ祭神と考えられる。大宮女命は水の神であり、稲作には欠かせない。
(参考:京都発見/梅原猛/小学館)

このように稲荷はもともと日本にはなかった稲作の守護神であるように思われる。飢渇が日常的であった古代において、悪夢である飢えをしのがせる神こそ、正邪善悪を別にしても、たまゆらの命を長らえさせる重要な位置付けであり続けてきたのである。

そんなことから、伊勢外宮の豊受大神は、外来の稲作のオーソライズのために、殊更に改めて祀られたと見ることもできるわけである。稲作のメジャー産業化は当時の日本の産業革命であったのだろうと思う。




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正一位稲荷大明神

2008-09-29 05:53:38 | 冥想アヴァンギャルド
◎マニピュラ・チャクラの世界

町の小さな祠でもお稲荷さんは、正一位稲荷大明神の派手派手の赤い幡を立てているのを見かけることはあるものだ。

梅原猛氏によると、827年淳和天皇の御代に、空海が東寺を建てるため、24本の巨木を東山の稲荷山と思しき山から切り出した。するとどういうわけか淳和帝が病気になった。

天皇は49人の僧を召して17日間薬師の修法を行なったが、験なく快癒しなかった。そこで、稲荷社にお伺いを立てたところ、東寺を建てるために稲荷社の木を伐採した祟りであるとのご託宣を得た。

そこで、後に右大臣にまで昇る従七位下の大中臣雄良を稲荷社に遣わして、稲荷大明神に従五位下の神階を授けたところ、たちまち天皇は快癒された。

これを教訓としたせいか,空海はこの来歴のよくわからない古い神を東寺の鎮守神としてとりこんで祀ったらしい。

それから千年たった今でも、神社本庁所属の約8万の神社中4万余りが八幡社であり、次いで3万社が稲荷社であり、お稲荷さんは隠然たる尊崇を勝ち取り続けている。

稲荷は、豊受大神やマンモンと同じ、ホワイト・フォックス系の現世利益の神。自分の一番深いところの本当の願望がわからない現代人にとっては、軽々にこのような善悪の色のついていない神を呼び出したり、帰依することは、大概は自分に都合のよい願望を成就させることに利用しようと動くことになる。

その結果は、自分勝手な自分をなくす方向ではなく、この現実社会の中で勝手気ままな自分を肥大化させる方向の動きとなるので、この時代のメイン・ストリームである、社会の中での自己実現(マニピュラ・チャクラ)から愛(アナハタ・チャクラ)への移行ということではなく、マニピュラ・チャクラに象徴される社会の中の願望実現にとどまることから、むしろ退歩と位置付けられることになるだろう。





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マヤの世界樹

2008-09-28 07:48:39 | クンダリーニ・ヨーガ
◎6つの空

マヤの世界樹は、巨大な十字架である。マヤでは流血の供儀が話題となることが多いが、キリスト教で、流血の聖者が十字架にかかるシンボリズムが中心になっているのと基本的に共通している部分があったように思える。

つまりマヤ文明と近代西欧文明を支えた人間の精神構造は極めて類似したものがあったのではないかということである。徹底的な贖罪や苦行を必要とするほどの精神の圧力亢進と、それからの急激な解放というパターンでの超越が基本技法であった宗教体系を受け入れる心理の人々が構成する社会があったのではないだろうか。

冥想技法における十字架にはもう一つの大きな意味があって、冥想十字マップである。次元も個性も時間の流れも超えて、冥想の宇宙的広がりと、その宇宙を越えた深みを目撃した者だけが、その真実を確認することができる冥想十字マップ。

こうした精神世界のシンボリズムは、単一の意味を持つことはなく、スパイラルに展開する現象世界のパターンを踏まえて、多くは複数の意味を持つ。従って、十字架が、聖者の血の犠牲を象徴するのか、冥想十字マップのような窮極の図案を頭の片隅に置いて作ったものか、どちらかに決めようとする議論はあまり意味がない。

この絵は、パレンケのキニチ・ハナーブ・パカル一世の石棺の蓋。シロシビンかペヨーテをキメた王が世界樹の驚異に目を見張っている図案に見える。マヤでは、世界と世界への移動という概念があって、6つの空(7つ目は空ではないということだろう),上昇する空という考え方があったとされるそうなので、クンダリーニ・ヨーガの発達としては、かなりな水準にあったと推測される。




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弱者の徹底利用

2008-09-27 06:39:02 | 時代のおわり
◎貧困大国アメリカ

弱者とは、教育のない人達であり、知識や情報を持っていない人達であり、金を持っていない人達のことである。

そうした弱者の権利を徹底的にしゃぶり尽くすのが自由競争のもとに開かれたアメリカ社会である。日本でも少なからずそういうところはあるが、アメリカほど徹底的には行なわれなかった。

アメリカのサブプライム・ローンとは、年収2百万円もないような人達に対して、2千万や3千万円もの到底返済できないような金額を貸し付けるもの。それをまとめて転売したり、権利を分割して証券化したり、デリバティブのネタにしたので、この問題は大きくなった。

もともとローンの最初の数年は、返済額0のことが多く、当初問題は表面化しなかったが、この期間が過ぎて、返済が滞る人が増えてから、徐々に貸し手側金融機関の側の問題であるサブプライム・ローン問題として1年位前から認識されるようになった。

金融機関の破綻も問題だが、金融機関は破綻して清算すれば、法的にはけりがつく。しかし借り手側の破産した個人はけりがつかない。日本と同様に、アメリカでも一旦破産すると、なかなかクレジットカードが持てない。アメリカはクレジットカードがないと買い物も大変だし、身分証明書代わりにも用いられるので、不便なことこのうえない。

岩波新書の「貧困大国アメリカ」(堤未果)によると、こうした破産者など、政府から支給される食糧配給票(フードスタンプ)でもって食物にありつく人が、2006年で約2620万人で、5年間で930万人も増加したとする。これはアメリカの人口の1割弱であり、貧困大国と言われる所以である。

こうした返済能力を越えたローンに手を出さないようにするには、大方は知識がありさえすればよいが、知識があっても避けられないものがある。

それは、怪我や病気である。アメリカでは、健康保険制度が弱体であり、中流階級の人でも、ちょっとした手術や入院をきっかけに破産者に転落する事例が多いという。ニューヨークで盲腸手術で一日入院すると243万円もかかるそうだから(日本では4、5日で三十万円)さもありなん。

アメリカでは、こうして低所得層は勿論中流階級でも簡単に貧困層に転落できるが、国はこうした人達にただ食糧を与えるだけではなく、就職環境の厳しい若者なら兵士になるプログラムを用意し、中年の人ならイラクでの軍用トラック運転などの兵站の仕事を与えてくれさえするそうだ。そうして戦場で働けば、死んだり、不具になったり、PTSDになったりしがちなものだ。

このようにアメリカ社会は、スキあらば弱みにつけ込んで、弱者を徹底的にしゃぶりつくそうとするところがあることが窺い知れる。

今般破綻したレーマン・ブラザーズが強欲(greed)であるとして業界から同情を惹かなかったという話が新聞などに出ているが、七つの大罪の一つである強欲は、いわばアメリカの社会全体が容認している『美徳』の一つであるようにも思える。アメリカで、競争原理の社会で勝ち抜くには、いささかの強欲は必要なものだという通念は微動だにしないのだと思う。

その結果弱者たる借り手の悲劇より、強者たる金融機関の悲劇の方が優先して救済策を採られるという弱肉強食の地獄絵図は、今日もまた展開を続けていく。アメリカでは、愛はクリスマスの時だけと見える。ああ断末魔の資本主義。




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ケツァルコアトル

2008-09-26 05:57:37 | クンダリーニ・ヨーガ
◎蛇の口から出る

グアテマラのコツマルワパの石碑の一つに、蛇の口から天上へと生まれ出るケツァルコアトルを描いたものがある。蛇の口の真上には太陽が配され、蛇の口の目指すところが太陽となっている。そしてのその太陽の上方に空中に逆立ちのスタイルで両手を太陽を取り囲むように広げているのが、ケツァルコアトルである。(参考:マヤの死の儀礼/宮西照夫/大阪書籍)

蛇はクンダリーニのエネルギー・コードであり、蛇の口は、サハスラーラ・チャクラのシンボルでもある。

太陽は中心太陽。そしてケツァルコアトルは、もはや地上に足をつけていない形で登場する。そしてそれも逆立ちしたスタイルで。そして中心太陽の向こう側にポジションをとっていること。

これは人間が死に、神となる時、あらゆるものが逆転してしまうことを、「逆立ち」として明瞭にイメージさせている。そして、中心太陽の向こう側に居ることは、中心太陽との合体を一旦は経験して、それを通過したことを示すと考えられる。

このモニュメントは、マヤのクンダリーニ・ヨーガの窮極で起こることを見事に端的に表現できているものであると思う。

マヤの図像には、蛇の頭と蛇のとぐろが多いが、蛇の頭はサハスラーラ・チャクラ、蛇のとぐろはムラダーラ・チャクラに眠るクンダリーニと見れば、クンダリーニ・ヨーギにとって違和感はあまりないだろう。そしてまた、よく登場する羽のある蛇とは、肉体の軛を脱したクンダリーニのエネルギー・コードの姿の表現ということになろう。

マヤでは、チャックモールや人身御供ばかりに関心が集まるが、このモニュメントを見る限り、正統的な超越者が指導した時期があったことがうかがえる。




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万物は陰陽を抱いて和す

2008-09-25 06:00:48 | 老子
◎老子 第42章 道生一

『有無一如の玄なる道は、先ず有なる一としてあらわれる。その有は陰陽の二気に分かれ、更にこの二気は冲気(陰陽二気を中和交流させる気)によって相和し、そこに万物が生じる。

人の嫌いいやがるものは、ただ孤(徳がなく孤立すること)や寡(徳が寡いこと)やそれから不穀(自分が不善であること)といわれることである。ところがこれらの語をもって王侯は自称する場合の代名詞としている。

すべてのものは、これを損することが益することであり、これを益することが却って損をすることになる。このことは古人の教えるところであり、そして私もまた教えようとするところである。

事実、強がりのものは、満足な死に方をしないものである。だから私はものに剛強でない柔弱不争の徳をもって、教えの根本とする。』

一は有、二は陰陽、三は万物。ここの、アートマンなる一が陰陽に分かれ、万物を生ずるところは万国共通で紛れはない。

「一」は老子では通常無を指すが、ここでは有となっており、この部分が神仙家による後世の挿入ではないかと疑われる所以である。

毛沢東は近代西欧型の商工業文明を標榜せず、中国共産党指導下の農業中心主義を推進した。文明の型として無為大道的な柔弱な文明とは農業中心の文明であろう。商工業は、その販路拡大のために常に他と争う場面があるので「不争」とは言えないからである。毛沢東には、彼独特の徳治のビジョンがあったに相違ない。




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テスカトリポカの鏡

2008-09-24 06:06:46 | 冥想アヴァンギャルド
◎月と物質と鏡

アマテラスと言えば八咫のだが、アステカにも鏡をシンボルに持つ神がいる。アステカの主神といえばケツァルコアトルだが、テスカトリポカは、それと対峙する重要な神である。ケツァルコアトルもテスカトリポカも、イザナギ,イザナミに相当する最初の夫婦神オメテクトリの子である。

ケツァルコアトルは、善玉主神として明けの明星の主であり、太陽のエキルギーを与える源であり、知性を司る。

テスカトリポカは、その右足を原初のエネルギーの象徴たるワニに食わせて、大地を創造したので、右足のない姿で表される。

テスカトリポカの鏡はアマテラスのように太陽をイメージさせるものではなく、煙を吐く鏡、煙る鏡である。鏡の素材は金属ではなく、黒曜石である。アステカの呪術者は、この鏡を覗き込んでトランスに入り、部族の将来や神の意図を見た。

テスカトリポカは、魔術をあやつる女神の背景に潜む力を司り、現世、現象を成り立たせているエネルギーの支配者である。つまりどちらかと言えばこの世的な、物質的な事象をカバーする神である。

鏡は月のシンボルであり、現世的なものを象徴するのが本筋である。だから、テスカトリポカがそのシンボルとして煙る鏡を用いるのに違和感はない。他方アマテラスは太陽であり、現世的なものではなく、スピリチュアルなものを司るにも係わらず、そのシンボルとして鏡を用いているのは、しっくりこないところがある。




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倭姫命世記

2008-09-23 07:09:01 | 古神道の手振り
◎人が去れば地を巡る2

神人が去れば、修行者たちは、地のパワースポットを求めて、地を巡るの法則がある。

倭姫命の神社遍歴もそうしたものの一つで、2代60年(豊鍬入姫命→倭姫命)の長きにわたって遍歴を続けた。大多数の求道者は名も知れず、一生の遍歴を続けていくものだろうから、そうした人達から見れば、二代60年の道のりは決して長いものではないと思う。

神武以来9代までは、天皇は同殿同床で、人と神は別ではなく、窮極の悟りという体験とは言えない体験のある人間が天皇として君臨していたとみる。つまり9代までは天皇は現人神としてあった。

ところが10代崇神天皇の御代となり、そうした決定的な体験のないまま天皇となったためだろうか、同殿同床を廃してしまった。

この頃は鏡と草薙の剣だけの2種の神器であり、崇神天皇の6年9月、これを倭国の笠縫邑に移し、皇女豊鍬入姫命に命じて祭祀させた。

この笠縫邑の宮のオープニング・パーティの最中、豊鍬入姫命に太神の神託が降った。それは、諸国に神器を祀る大宮を探し求めよということであった。

これによって、皇女のパワースポット探検ツアーが開始された。笠縫邑から数えて25番目の伊勢五十鈴宮まで、それぞれ数年づつのツアーだが、皇女を動員して、神器を持たせて、数年ごとに普請を行なわせるような国家事業を企画しなければならないほどに、「神がいない」ことが為政者にとってクリティカルな問題であったと拝察される。

神がいないとは、そこまで自我意識が育ってしまったということであり、一旦自我が「神が自分とは別のものである」という認識をもってしまえば、自我こそが神であるという自我拡大の頂点に至らなければ、再び神と出会うことはなくなる。同殿同床の終了とは、自我意識の目覚めであり、ルネッサンスの近代的自我の確立を経て、ともすれば自我の肥大に悩む現代人の心性の源流ということになる。




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仏教の伝わり方

2008-09-22 06:11:59 | 究極というものの可能性
◎悟境が決め手

経典が日本に入っただけでは、仏教が日本に伝わったとは言えない。空海や道元のように生き身の人間でそれを体得した人間が日本に入って初めて仏教が日本に伝わったと言える。

この意味では、仏教公伝で朝鮮から経典や仏像が来ただけでは伝わったとは言えまい。聖徳太子は仏教公伝よりやや後の人であるが、皇太子が仏経典の注釈を書いた珍しい人である。

その注釈である三経義疏では、法華経、維摩経、勝鬘経を説き、法華経、勝鬘経はクンダリーニ・ヨーガ系の経典であり、維摩経は、どちらかというと只管打坐系であるとみることができると思う。

仏教未開の地にいながら、クンダリーニ・ヨーガ系と只管打坐系の2種を、ちゃんとそのチョイスの中に入れるということは、聖徳太子はクンダリーニ・ヨーガと只管打坐の違いをきちんと理解していたということになろうか。

聖徳太子が推古天皇の前で勝鬘経を講読したら、天から花が降って、推古天皇以下百官は感涙にむせんだなどという事蹟は、仏教の本質にアプローチできたかどうかとは関係のないこと。聖徳太子の悟境が問題となるが、手がかりは薄い。妻が四人いたのと、一族が後に皆殺しになったことと悟境はあまり関係ないと思う。




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外来勢力の日本政権奪取

2008-09-21 07:45:08 | 古神道の手振り
◎別の神々の体系

古事記、日本書紀とも、天から降った一勢力が日向高千穂に上陸し、そこから東へ侵略を行なって、近畿大和の既成権力を急襲することによって日本の支配権を確立したという物語である。このことは、天皇の由来する勢力が日本の原住民ではなく、外国から来た勢力であることを暗示する。

その外国勢力とは、7世紀の白村江の戦い前後にみる東アジアの交通事情から見れば、あるいは朝鮮であったかもしれないし、あるいは中国であったかもしれないし、神武東征の時代にはもっと別の勢力であったかもしれない。

いずれにしても、
伊勢神宮の第一回式年遷宮  690年
大宝律令に伊勢神宮の祭祀規定701年
古事記成立         712年、
出雲大社の巨大社殿完成   716年、
日本書紀成立        720年、

と並べてみると、藤原不比等の時代(659-720)に、天皇家のメイン宗教として伊勢神宮の神道を確立し、既成勢力であった三輪山を中心とする神祇を出雲に放逐したという梅原猛仮説はぴたりとはまることになる。

出雲大社の巨大社殿完成については、梅原猛氏は、北島家(出雲大社の宮司を明治まで千家と交代で務めてきた家)の系図に「霊亀2年(716年)斎(ゆには)を大庭から杵築に移す」とあることを根拠としており、杵築が巨大社殿のことであり、現行の社殿より数倍大きかったとされる。
(参考:神々の冒険/梅原猛/小学館)  

藤原不比等の宗教政策は、古神道のアメノミナカヌシを中心とする181のヒエラルキーの外形を変えようとするものではなく、内訳である天津神、国津神以下の再編成を試みるものであったと考えられる。

つまりこの時代以前には、記紀に見るようなアマテラスを中心とする神々の階層組織ではなく、三輪山のオオモノヌシを中心とした段階的組織があったはずなのである。そしてそれは、おそらく神代文字の文献で出てくるはずと予想するのだが。
神代文字でこうした本筋の予想を裏付けるものが出て来ないと、これ以上の議論の盛り上がりがないのは仕方がない。




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大石凝真素美の念力プレゼンテーション始末

2008-09-20 07:19:39 | 超能力・霊能力
◎一瞬の雑念

幕末から明治にかけての神道家大石凝真素美は、若き出口王仁三郎に霊学を指導したこともあり、そこそこに実力のあった人物とお見受けした。

明治9年4月21日、大石凝真素美は、盟友太玉太観(ふとだまふとみ)と東京の禅家山岡鉄舟宅を訪問した。二人は、山岡鉄舟に神徳の極意の説明を行なって、しかる後にその証拠に誓火(うけひ)の実験を見せようとした。(誓火とは、何もない空中に火を出すことか?)

ところがこの実験では、火は出るには出たようだが、太玉太観の片腕は焦爛して亡失したとあり、大火傷を負って片手がなくなってしまった模様である。

太玉太観はこの惨状にもいささかも動ずるところを見せず、その悠揚迫らぬ態度が、却って山岡鉄舟を感心させたという。

この失敗の原因は、当時太玉太観が淫逸にふけりまくって心霊曇って意の如くならなかったためと、門下の人は説明している。そういえば山岡鉄舟も淫逸にふけりまくった時期があったのだが。

大石凝真素美は、この失敗を反省して、近江甲賀郡毛枚村の寓居に悄然として帰ったという。

超能力は、用いる者の状況によって成否が分かれる。観世音菩薩普門品でも、願いが純粋に研ぎ澄まされるところで発動するとする。超能力は人為か神意かと問えば、どちらかと言えば人為だと思うが、ちょっとでも自分勝手なところ、自分にだけメリットがあれば良いなどという雑念があった瞬間にこうしたことは起きがちなものだと思う。

つまり少しでも現世利益に興味を残している限り、それは必ず反作用があるものだと思う。

どうすれば、自分に都合のよいことを優先しないようになるのだろうか。カルマ・ヨーガなら、積善陰徳であり、釈迦なら八正道の実践であると言い、その他宗教でも戒律を遵守することである。

善いことをして悪いことをしないとは、その結果自分というものをだんだん希薄にしていくことなのだと思う。そうした行為の平生の積み重ねとメディテーションによってしか、超能力をまともに扱えるチャンスはないのではないだろうか。




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文字と神聖王

2008-09-19 07:10:32 | 道教
◎神である自覚

日本にも神代文字があったが、殷・周に詳しい漢字の権威白川静氏は語る。

『白川「日本に文字ができなかったのは、絶対王朝ができなかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝ができなければ、文字は生れて来ない。」
梅原猛(略)

白川「神聖王朝というと、そういう異民族の支配を含めて、絶対的な権威を持たなければならんから、自分が神でなければならない。神様と交通できる者でなければならない。神と交通する手段が文字であった訳です。

これは統治のために使うというような実務的なものではない。神との交通の手段としてある。甲骨文の場合、それは神に対して、「この問題についてどうか」という風に聞きますが、神は本当に返事をする訳じゃありませんから、自分が期待できる答えが出るまでやって、「神も承諾した」ということにして、やる訳です。」

梅原「あらかじめ答を用意している訳ですか。」

白川「そうですこれは一つの手続きです。神と交通し、神に承諾せしめた、というね。」

梅原「自分の期待した答えが出なかったら何遍もやる訳ですか。」

白川「何遍もやる。十連卜なんていうのもありましてね、何遍もやるんです。だから決して悪い結果は出ないんです。(笑)」

梅原(笑)

白川「エジプトのヒエログリフでもピラミッドの中にしかありませんね。王様の墳墓にしかない。だから文字というものは一般の現実的な業務には使っていない訳です。

それは神であった者が地上に王として君臨して、また神に戻られた、その神に対する色々な連絡の方法として文字が使われている訳ですから、エジプトでも本来は、文字そのものは神との交通手段であった。

中国では祖先を祀る時にも、祀る器物に文字を入れて祖先に告げる。そういう風なことを殷代にはやっています。」

梅原「しかし現代人は文字というものは人と人との交通手段と考えますからね。神様なしに文字を使ってますから。そういう目で古代を見ると全く違う訳ですね。」

白川「人と人との交通の手段はね、後の竹簡・木簡の時代になります。それはいわば伝票ですね。時代はずっと下がってしまいます。」』
(呪の思想/白川静・梅原猛対談/平凡社から引用)

古代秘教においては、世界は絶対神の側から発出されて、言葉ができて、天地ができ、山川草木ができ、人間が作り出された。現代人にとっては、個人の自意識がまずあり、そこから宇宙観が展開し、自意識の極点に絶対神が位置するという全く逆の世界観に立つ。

中国の殷・周や、日本の平安時代以前は、こうした古代秘教的な世界観の中に人は暮らしており、神は神聖王だけが親しく接することのできる、いわば自分とは縁の遠い存在としてあった。自我意識が未発達で、家族や部族や集落の意識に埋没して日々を送る以上のものはほとんど考えない人々が大多数の時代だったのだろう。

こうした社会の中では、文字の必要性はあまりなく、古代日本や中国でなくとも、こうした文字なしシャーマニズムの世界に生きる未開部族はいくらでも実例があるものだ。

古代秘教的な時代の神との交流手段は、甲骨や天津金木など器物による卜占。出口王仁三郎は、今は器物を用いる必要なく、人間はそのボディで神と交通できるようになったと語る。これは自我意識の発達のたまもの。

文字が神聖王周辺の持ち物であったとすれば、多種類の神代文字が発見される日本は、まさに、言霊のさきはう国。人々の話す言葉は時代によって変わり、それに合わせてそれぞれの(神代)文字があったということになるだろうか。

普通の人が普通の人を手を合わせて拝む。つまり他人から礼拝されるというのは、自分が神である自覚を呼び覚ます。こうしたしぐさは古代秘教の時代には考えられなかったしぐさなのではないだろうか。

こういう何気ない挙措というものが、日本の精神世界の深遠な伝統を維持するダイナミズムになっているところがあるように思う。




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敵の慰霊をしない

2008-09-18 06:11:09 | 時代のおわり
◎屍体の壁埋め込み

漢字の大家白川静教授の言葉『
白川「中国の場合にはね。異民族は殺すんですよ。中華圏外の者はね。殺して首をとってきて城門に埋める。この殺した異民族は守護霊として使う。

戦争で遺棄された屍体があると、それを集めて城門に埋める。

京都の「京」という字は城門を示す字ですがね、ここはアーチ型になっている。屍体はこのの中に全部塗り込んで埋めてしまう。ここでお祭りなんかをする場合、祝詞を置く。高い城楼になっている。これが「高」。これが「京」。匈奴族なんかの首領を討ち取るとね。みな壁に埋めてしまう。魔除けになるのです。」

梅原猛「異民族と戦う時、同じその異民族の首が最も呪力を発揮するんですか。」

白川「いやそれは違っても構わない。一種の守護霊として働くという信仰がある。だから殷の王様の御陵ね、安陽には二千体もの、異民族の首をとった胴体だけをね、十体ずつ、何十列にもだーっと並べてあった。首は首で別に二千個ですよ、10個ずつだーっと並べてある。

郭沫若さんはなんかはこれを奴隷だと言うんですがね。僕は奴隷をそんなにむざむざ殺したり、不経済なことはやらんと思う。

それで首を離すのは、首があるとね、復活して悪く働く恐れがあるから、別にするんです。」』
(呪の思想/白川静・梅原猛対談/平凡社から引用)

白川先生は、死体がゾンビ再生して悪戯をすると信じているんですね。そんな迷信を信ずるのかと、ちょっとサプライズです。

それはともかく、中国は殲滅した敵の慰霊にはあまり関心がなく、生き残った自分たちだけの都合をどこまでも優先して考えるところがすごいですね。そこまで追い詰められた発想を強いられるほど、中国で生きるというのは過酷だということでしょう。

日本では建物は木製壁なので、壁に死体を塗り込められないが、平安時代以前で建物の地面に死体を埋め込んだものがあれば、それは中国風の呪法を採用したものと理解したいです。




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伊勢神宮の由来

2008-09-17 06:06:18 | 古神道の手振り
◎豊受大神は幽ならず

伊勢神宮の由来の定説は、こんな具合。
1.十代崇神天皇の御代に皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じて、八咫の鏡を大和に笠縫村に移した。これを神人分離と云う。(同殿同床の終り)

2.次の垂仁天皇は、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に命じて天照大神の鎮座すべき良いところを探し求められた。命は、大和の宇陀から近江、美濃を20年遍歴し、伊勢の国に至ったところ、天照大神のお告げがあり、五十鈴川上流に宮社を建てた。これが内宮の起源。

3.二十一代雄略天皇の時代に天照大神が天皇に夢告があって、「吾ひとり居ることは不自由で食事も思うようにならぬ。故に丹波の国にます食事の主宰神たる豊受大神を我がもとに祭ってほしい」と仰せられた。
 そこで天皇は、豊受大神を丹波から勧請し、御饌殿(みけどの)も建てた。これが外宮豊受大神宮の始まり。

豊受大神は、マンモンの神と同類なので、現世利益のシンボルである。従って幽の幽ではない豊受大神を内宮と匹敵する立場に引き上げたのは、むしろ政治方面の配慮からであって、純粋な神道の見地からそうしたのではないと思う。幽の幽なる主神に食べる不安などあるはずもないからである。




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神々の強制移住構想

2008-09-16 05:35:38 | 古神道の手振り
◎原古事記と中国進駐軍

梅原猛説では、古事記によって、三輪山を中心とする日本先住の神々はそれまで大和を基盤にしていたのに、出雲に追いやられたとする。

空白となった所にアマテラスを中心とする藤原ファミリーを擁護する神話を創作して、伊勢神宮にアマテラス、オモイカネを祀り、藤原家支配4百年の基礎を築いたのだ。

梅原猛説では、もともと今伝わる古事記の前に原古事記というものがあり、原古事記は万葉集にも引用されてもいる。古事記による先住の神々の出雲移住構想は天智天皇の頃からあって、それは原古事記としてあった。不比等の時代になって古事記が完成したり、出雲大社を建造したりして、出雲移住を正当化させたというストーリーである。

こうした神々つまり産土の神の差し替え構想は那辺から出てきているのだろうか。

いろいろ見ていくと、当時の中国派遣軍の総司令官である郭務悰は、その肩書がなぜか天文博士であり、その天文博士から、中臣鎌足は天文(多分占星術)を伝授され、数カ月にしてその奥義を極めたということが伝えられている。

空海ではあるまいし、数カ月で奥義を極めたとは考えにくいので、日本の先住の神々を強制移住させるという構想は郭務悰自身が案出して、それを中臣鎌足、不比等父子に実現を託したということのように思う。

中臣鎌足は、平生から軍事書六韜三略をよく読んでいたというが、こうした荒技を企画できるのは相当なクンダリーニ・ヨーギに限られ、そうした実力のある人物ならば、六韜三略を座右に置く必要もないだろうと思われるからである。だからこの構想は鎌足オリジナルのものではないと思う。




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