アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

宇宙意識とは

2008-03-31 05:59:11 | 究極というものの可能性
◎20世紀初頭のアメリカ的教養

リチャード・モーリス・バックの宇宙意識の特徴。
『a.主観的な光
b.倫理観の高まり
c.知的啓示

d.不死の感覚
e.死の恐怖の消滅
f.罪の意識の消滅

g.突然の瞬間的な覚醒
h.その人の以前の性格-知的、道徳的、肉体的
i.啓示の年齢

j.人格に対する魅力の増大。そのため人々は常に(?)その人に引きつけられる。
k.実際に宇宙意識が現れている時の他の人々から見てそれと分かるその人の変貌。』
(宇宙意識/リチャード・モーリス・バック/ナチュラルスピリットから引用)

宇宙意識を持っているとして著者が認めた人は、ゴータマ、イエス、パウロ、プロティノス、モハメット、ダンテ、ラス・カサス(15,16世紀のドミニコ会宣教師)、ジョン・イエペス(十字架のヨハネ)、フランシス・ベーコン、ヤコブ・ベーメ、ウィリアム・ブレイク、バルザック、ウォルト・ホイットマン。

このように並ぶと、宇宙意識の定義が、20世紀早々のアメリカ人がその教養の範囲で、心理学的な知識を交えて構想された、今から見ると大時代的なものであることがわかる。

この著者には、宇宙意識を持っている人は偉人であり、とても日常性からかけ離れていて、だから他人事であるという姿勢がありありであり、また大死一番を経た個別性と全体性の逆転になど思いも及んでいないが、何もないところから宇宙意識の特徴の定義を作り上げたチャレンジ精神には敬意を払いたい。


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禅的悟りのメカニズム

2008-03-30 09:22:47 | 丹田禅(冥想法8)
◎意識と集中そして世界観の転換

公案禅からの悟りを、心理学者のウォルター・オダージンクは次のように説明する。

1.まず心を一点に集中する。(無(ム)ーーなど)
 一点集中の目的は、
(1)意識と諸コンプレックスからエネルギーを回収する。(オダージンクのいう諸コンプレックスとは、いろんな心的こだわりみたいな意味でしょうか)
(2)この新たに自由となったエネルギーを集積して、停止状態に保つ。
(3) 集積したエネルギーを強化する。このエネルギーが集中の努力と純粋な気づきを維持することに集約される。

2.身体と心はこの状態になかなか慣れないが、慣れるにつれて、日中の意識は後退し、無意識の真ん中に存在していることに気づくようになる。

3.また慣れるにつれて短時間で、一時的に無と融合し、空と一つになることができる。
(と、オダージンクは、無との融合がサプライズでないような書きぶり。また無の一瞥と融合の区別もしていない)

4.最終的には、一時的でなく、絶対的な領域である無や空と融合してしまう。

(参考:瞑想とユング心理学/ウォルター・オダージンク/創元社)

公案禅の修行と最終段階がコンパクトに整理されているが、最後の、一時的でなく融合とはどんな(心理)状態をイメージしているか怪しい感じがする。

ユング系の心理学者は、最終段階が、個性が全体に吸収されることで無くなり、世界観が、自分が見ている世界観から、神が見ている世界観へと完全に転換するところの説明が不足しているように思う。そしてそれは、世界観の転換ではなく、世界そのものの転換である。

そう一般化して結論づけるには、そこまで至ったサンプルとなる人が少なすぎるという問題点があるとは思う。

ユング派なので、自己の発達と解放という構図はあるものの、大死一番がその構図に積極的に加えられれば、この世界観の転換スキームがもっとわかりやすくなるように思う。

また、オダージンクは只管打坐も同じメカニズムだと思っているが、それは単なる先入観だろうと思う。


    1日1善。1日1クリ。

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修行法としての補陀落渡海

2008-03-29 07:12:47 | 究極というものの可能性
◎ノーリターン・ツアー

補陀落渡海のモチーフは、肉体死の実践である。理屈づけは、そこに観音のおはします補陀落浄土に渡るためには肉体死が必要と思い定めて、ノーリターン・ツアーに出るということ。

補陀落渡海は、文献によると9世紀から18世紀まで行なわれたというから、浄土系の法然や親鸞が出る以前から行なわれていた。従って、当初は法然や親鸞の考え方を意識しない状態で補陀落渡海が始まっていたわけである。

肉体死を前提としたセレモニーという点では、アステカの心臓をつかみとられる儀式と同じであるが、補陀落渡海は、首尾よく補陀落浄土に渡れるという保証の全くないまま死出の旅路に赴くことであり、その危険性、つまり浄土に渡れないまま単に死んだだけになる可能性はとても高いものであるように思う。

最後は自らを捨ててかからなければならないというのは、ある意味で、どんな冥想修行も同じである。そして、この方法もまた成功したかどうか周辺の人が事後インタビューして結果を確認できていないのであり、それを考えるとチャレンジする人の純粋無雑な心情に思い当たることになる。

実際の補陀落渡海のプロトタイプは、次のようなものである。

行者は、真新しい絹の着物を着て、靴を履いて頭には冠をかぶり、出発のセレモニーを執り行う。20人程度の同行者を乗せた船と自分の乗った船の2隻が海に出る。行者は、観音の名号を書き入れた石を袖や懐に入れ、またそうした石の入った袋を担ぎ、ざんぶとばかり入水する。入水を見届けた同行者は持参の薪で行者の船を海上で焼く。

または、行者が船上の屋形に入ると、外から同行者が釘で板を打ちつけ、出入りもできないし、日月の光も入らない状態にする。中には、30日分の食糧とわずかな燈明用の油を用意してあるだけ。フロイスなどの宣教師の時代の渡海船は、だんだん船に水が入って沈むように船底に穴まであいていたという。

補陀落渡海は、日常の感覚からは、奇異な宗教イベント以上のものではないが、あくまで覚醒というものを目指す修行者の心境としては、本当に最後に残された唯一の手段として映ったものなのだろうと思う。


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プラシーボ

2008-03-28 06:01:02 | イメージ・トレーニング(冥想法1)
◎観想法の原則

偽薬を飲ませても、病気の治癒力がある場合があることは、プラシーボ効果として知られている。実はプラシーボ効果とは、人間の「治癒する」という想像力が具現化するものであって、観想法=イメージ・トレーニングの原則を利用したものである。

16、17世紀の西洋にあっては、偽薬や、お守り、聖水、まじない、言葉、文字、呪符がプラシーボ効果を誘発するものとして知られていた。

その効果は、懐疑主義的な人には、効果は上がりにくく、教会のミサに毎度出席しているような信仰に熱心な人の方が効果が高いとされ、また無料でそれをもらった人よりは、代金を払ってそれを手に入れた人の方が効果が高いことが知られていた。

当時のイギリスの民衆魔術治療者カニング・マンは、まず治療に協力してくれるように患者に頼み込んでいた。そのやり方を信じないような者の治療の効果は期待できないことをカニング・マンは知っていたからである。

また治療を始める際の雰囲気造りも重要とされ、施術者が権威があるような雰囲気をかもしだすため、奇抜でゴージャスな部屋に案内したり、高貴な衣装を身につけ、ちょっとした儀式を治療に先立って行なうなど、マルチ商法などでも応用されているようなテクニックは当時から使われていた。

そして、ある意味で患者を上手に威嚇するような態度で接することが、その施術者の権威を高め、患者からの信頼を高めるセッティングとなっていた。

この話題は、民間医療をテーマにしたものであるが、医療に限らず、商品の売り込みでも類似した導入手段が採られていることは、我々が日常感じているところである。

日常感覚では信じられないようなことを理解させるための冥想修行でも、同じようなテクニックは毎度登場してくる。最後は師匠への絶対服従が必要となるからである。権威づけられたポジティブなイメージ構築が、イメージの現実化を産む仕組みである。


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余計なものは振り捨てる

2008-03-27 06:15:04 | 丹田禅(冥想法8)
◎趙州禅師語録から

尼さんが尋ねた。「ないしょの心ってどんな心ですか。」
すると趙州は、尼の手を握った。
尼さん「老師にも、まだそんな心があったのですか」
趙州「あなたこそ、その心があるのだ」
※ないしょの心などない。

修行者「本当に差し迫った所とはなんでしょうか。老師教えてください」
趙州「小便は小さなことだが、自分自身でしなければならないことだ」
※自分で悟るしかない。

修行者「二祖慧可が臂をちょん切ったのは、いったいどんなことだったのでしょうか。」
趙州「粉骨砕身である」
修行者「誰のために供養したのですか。」
趙州「未来の求道者のためにである」
※ほかでもないあなた(修行者)のために臂を切った。

修行者「私はとても遠い地方からやってきました。老師どうかご教示お願いします。」
趙州「まず門に入ってきたのは、結構なことだ。早速その顔につばを吐きかけてやろう。」
※人に教えられるのではなく、自分でやるのだ。

と、まあこんな具合で、他に何かを求めるのは間違いで、自分が何かを求めよ、そして人に教えられるのではなくて自分で捜しなさいと実に端的なアドバイスを呉れているだけのように見える。

自分を捜す、自分でやるとは、単純なことだが、これが現代人に与えられた最も困難でかつ最大のテーマであることには、なかなか気づかない。


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正義と慈悲

2008-03-26 06:05:09 | キリスト者の秘蹟
◎七つのチャクラとの立場の相違

『かくて聖なる方は言われた。『もし私が世界を憐憫のみでそう創り上げるならば、罪はふえ広がることであろう。しかしまた正義だけで創造するならば、どうして世界は存続してゆくことができよう。だからこそ、私は世界を正義と慈悲とで創りあげるのだ。この世界がこうして存続せんことを!』(創世記注解)』 

神秘生理学での七つのチャクラが、神の七の属性に照応することは知られている。そこでは慈悲の座は、アナハタ・チャクラであり、正義の座とでも呼ぶべきものは、神の眼であるアジナーチャクラであるように思う。

従って天の万軍が神の左右に並んでいるのを見て、右列は神の右手である慈悲であり、左列は神の左手である正義と法の支配であるという伝統的な考え方は、そもそも神の七つの属性とはレベルの異なる考え方である。

旧約聖書では、神は我であるという一人称の記述は冒頭にしか出てこないので、この創世記注解の考え方は、神とは分離し、かつ神と合一が当面見込めない孤独な人間が神を見ている立場で、その生命の存続について不安を持っている気持ちであるケースでの見方というべきものだろうと思う。


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アメリカのユダヤ人の努力

2008-03-25 06:13:31 | 時代のおわり

◎ホロコーストの恐怖から

ユダヤといえば陰謀論もあるが、昨今のアメリカがなぜこれほどまでにイスラエル寄りの政策をとるのか一つの謎だったが、それは、アメリカのユダヤ市民のロビイングや選挙での献金などの営々とした努力の結果であることがわかった。

その行動に走らせている原因はと考えると、第二次世界大戦でのホロコーストの恐怖ということに突き当たる。

もともとアメリカの支配層は、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント(WASP)で、特にユダヤよりということではなかった。ところが、ユダヤ人組織は戦後一貫して民主党にも共和党にも献金や支援を継続し続け、人口比で言えば2パーセント弱であるが、それを上回る政治的影響力をもち続けることに成功している。

一例としてF.D.ルーズ・ベルト大統領は、まだユダヤ系に就職差別の残る時代に自分の任命した公職者の15%にユダヤ系を充て、ユダヤ系の人の熱烈な支持を得た。

トルーマン大統領は、若い時にカンザスシティでユダヤ人の親友と紳士向け洋品店をユダヤ人の親友と営んでいたが、後にこの友人が1948年、渋るトルーマン大統領に、イスラエル初代大統領ヴァイツマンとの会見を説得した。

ケネディ大統領は、地元マサチューセッツ州の選挙戦では、ボストンのユダヤ人社会の指導者だったウェインスティンの強力な資金支援を受け続けてきた。

などなど、その後の歴代大統領も、ユダヤの献金や投票支援を受けなかった人はないと言えるほど。特にクリントン大統領は周辺をほとんどユダヤ系で固めていたとされるほど。

こうした結果、2004年5月海兵隊退役大将、アンソニー・ジニが『ワシントンにおける最悪の極秘事項は、ネオコンの一団がイスラエルの安全を確保するために、そして中東を民主化するために、イラク戦争をしかけたということだ』と発言するようなことまで起きている。
(参考:アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか/ダイヤモンド社/佐藤唯行)

一言で陰謀論と片づける人もいるが、ユダヤ人の現在のアメリカでの影響力は日々の広範で地道な努力により維持されていることを知り、敬服すべきところがあるように感じる。

転じて、チベットでは、中共進攻後チベット人120万人が殺害されたり、チベット人家庭で、家族全員が満足にそろっている家庭はほとんどないなどの話を聞くと、客観的にみると、チベットは、民族絶滅政策みたいなものを採られているように思える。

これは規模から言ってもポリシーから言っても、かつてのホロコーストと何ら変わることのない残虐な政策である。従ってユダヤ人の恐怖感も故無きことではないと思う。


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わがものとして所有しない

2008-03-24 06:04:15 | 老子
◎老子 第51章 道生之

『あらゆる生命は、道がこれを生じ、徳がこれを養い、物なるものによって、それぞれに形付け、その生命自体の持つところの勢いによって、その自らを完成させるのである。

だからあらゆるものは、道を尊び、徳を貴ばないものはない。道の尊く、徳の貴いことは、誰かが命じてそうするのではなく、いつも自ずからにしてそうなのである。

だから道はすべてのものを生じさせて徳がこれを畜い、これを育ててこれを形づくり、これを立派なものにし、これを養い、これを庇護する。

そのように生じさせて、しかもそれを自分のものとして所有しない。又そのように為してもそれを恃みとしない。またそのように成長しても自分の自由にしない。これを玄徳というのである。』

無為の道は物を生じさせるが、決してそれをわがものとして所有しないとは何か。

生じさせた万物と我と一体であることを承知していれば、「物を所有」するというような感覚は存在しない。物を所有するとは物と自分が別であって成立する。従って万物と我と一体であるという体験を玄徳と呼んでいる。

つまり我という感覚が肉体のみであるという感覚ではなく、我とは、あらゆる存在レベルの宇宙全体を含むものが我であるという感覚にいること。この感覚は日常の生活感にはない。


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抗うつ剤SSRIと自殺

2008-03-23 07:36:01 | 時代のおわり
◎副作用としての自殺・自殺未遂

WHOによると世界の国々で、自殺率の高い国は、旧ソ連諸国である。その中でもトップのリトアニアは、人口10万人に対して年間40.2人が自殺する国で、以下ベラルーシ、ロシアと並ぶ。

日本の自殺率は、人口10万人に対して24人(アメリカは11人)であり、堂々世界第9位である。パーセンテージで言えば、0.024%となる。

その自殺率の低いアメリカで、米食品医薬品局(FDA)が、SSRI(プロザックなど)投与患者の自殺と自殺未遂の発生件数調査をしたところ、患者数13,693人に対して、自殺が23件、自殺未遂が188件あったという。
(出典:みすず書房/抗うつ薬の功罪(SSRI論争と訴訟)/デイヴィッド・ヒーリー)

自殺数は、百分比に換算すると、0.168%となり、10万人中167人という高率となる。要するに一般人なら、10万人中24人しか自殺しないのに、SSRIを服用する場合は、自殺する確率が一気に7倍に跳ね上がるということ。

これだけでも、アブナイ数字であるが、SSRI服用者の自殺未遂は、(WHOには比較すべき数字がないが、)10万人換算すると1373人(全体の1.373%)というすごい数字になってしまう。

日本での抗うつ薬SSRIの投薬の規模はわからないが、この数字を見ると、この頃の列車の人身事故が頻発することにも妙に納得してしまうほどである。


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補陀落渡海

2008-03-22 07:26:01 | 究極というものの可能性
◎日秀上人の沖縄上陸

補陀落渡海とは、小舟に乗って若干の食糧を持ち、観世音菩薩のおはします補陀落浄土を目指す海のツアーのことである。

常識的には、そこに待つのは間違いなく死だけであるので、いわば特攻隊として出撃する旧日本軍の兵士と同じ立場であると言える。出口のない死だけが待つのだから、特攻隊の兵士にも懊悩が必ずあったように、渡海出撃直前に逃げ出したような熊野那智の補陀落山寺住職である金光坊のような人が出るのは、時間の問題だっただろう。

その後、熊野から生き身の人間が補陀落渡海するのがやめになったのは、あまりにも人間的な配慮である。

人間には、肉体の死と自我の死があるが、補陀落渡海により肉体死は必ず起こっても自我の死がシナリオどおり起こるかどうかは何の保証もない。

16世紀初め、後の日秀上人は、上野の国で19歳で誤って人を殺し、それを機縁として、高野山で出家した。その後、熊野那智の海岸から補陀落渡海に出て、七日七夜の後、沖縄県金武町の海岸に漂着した。

日秀上人は、補陀落浄土からやってきた僧として、琉球王にも珍重され、金武町に観音寺を建立。沖縄滞在30年にして、薩摩に移った。観音信仰が篤かったというから、観音力により、沖縄に漂着できたと感じていたのだろう。

さて73歳の時、薩摩藩主島津義久より、日向の有力武将伊東氏の南下を防ぐ調伏を依頼されたので、身命を捨てて修法すると決心し、一間(1.8メートル)四方の入定ルームを作り、その中に入って、修法を継続すること2年で逝去した。

キリスト教の苦行でも、食べ物だけ受ける小窓があるだけの檻のような小部屋で、冥想行を続ける者があるが、この入定は、それと非常によく似ている。生還という退路を断って修行するのである。

そこまでしないとこの世の不条理を徹見できないと思い込んでしまわないと、そうまではできないと思う。

昨今の本音で語る場をほとんど失った日本社会は、意識的には、いわば誰とも会話などのコンタクトができない一間四方の小部屋で煮詰まっている補陀落渡海僧みたいな人々が数多く棲息する社会と成り果てたのではないか。

そして皮肉なことにそうした社会的環境は、不条理に直面するまたとない環境でもある。


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わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない

2008-03-21 05:52:03 | 丹田禅(冥想法8)
◎非民主的で絶対的な違い

臨済録には、わかるようになって初めて、禅語録や経典が何を書いているのかわかるようになってくる。だから臨済も、まずわかるようになるために、ひたすら修行しなさいと言う。

臨済は、黄檗という優れた師匠に出会うことにより、その道眼が開け、わかるようになったと吐露する。

臨済は、それ(本心)は自分の外にはないと説明すると、弟子たちは、それ(本心)はきっと自分の内にあるだろうと勘違いし、壁に沿って端座し、冥想を始め、不動清浄の境(三昧)を、それ(本心)だと思い込むかもしれないが、それは残念ながら無明なのだと喝破する。

臨済は、ある時は、主観(人)を奪って、客観(境)を奪わない。ある時は、客観(人)を奪って、主観(境)を奪わない。ある時は、主観(人)も客観(境)も奪う。その人の状態によっては、いずれを否定され(奪われ)てもひどく混乱するものだが、その混乱こそが、臨済の狙っている最初の効果であることが知れる。

混乱しただけでは、何も起こらないが一つのきっかけになることはあるだろう。

そこで、その人がそれ(本心)をわかった人であるかどうか見抜く方法は、わかる人にはわかる。つまり修行者が当惑して眼をきょろきょろさせたり、ああしようこうしようと心を動かした瞬間にその人はわかっていない人であることがわかる。

ここでは、西洋流の、万人に共通の悟性を前提とした議論はできない。この姿勢は、わからない人にとって、民主的ではなく、四民平等でもないが、それほど『わかるわからない』は絶対的な違いであるということ。


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イスラム神秘主義者ハッラージ

2008-03-20 07:09:55 | 究極というものの可能性
◎ちょっとでも『我』が残っていると

イスラム神秘主義の聖者ホセイン・マンスール・ハッラージは、10世紀のイラン出身の人。当時のカリフに捕らえられ、手と足と舌を切断され、絞首刑に処せられた。

さて斬首台に彼が上げられると、悪魔のボスのイブリースがやってきて、「お前も『我』と言い、私も『我』と言ったのに、お前には慈悲がもたらされ、私には呪いが持ち分とされたのはどういうわけだろう?」

ハッラージはこれに答えて、「貴方は、『我』を自らの中に持ち込み、私は己から遠ざけた。それで私に慈悲が、貴方に呪いがやってきたのだ。己たることを通すことは不善であり、『我』を己から遠ざけることこそ最良の道と言える。」

神を一度見た者であっても、見性したものであっても、何事も自分に都合よく解釈することにより、意外にも大悪人と成り果てることがある。この機微をこの逸話は語っている。

チャネラー、霊媒というものは、最期まで『我』を手離せない人だというが、そういう人こそ、悪魔に付け入られる隙が多いということが、この逸話から連想できる。

さてハッラージは、処刑台の階段に足を載せた時に、どんなに気持がするかと問われて、「本当の人間の天界飛行(ミーラージュ)は斬首台の先にある」と答えた。

その天界飛行とは、クンダリーニの飛翔のことを指していたのだろうか。


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それはチベットから始まった

2008-03-19 06:04:00 | 時代のおわり
◎チベット暴動に思う

もともとチベットのことなど、関係者とオタク以外は知りもせなんだ。ところが、普段は日常生活とは関係のないロス疑惑などのどうでもいいニュースを流し続けるマスコミが、ある日突然チベット暴動を世界的に報道し始めた。これだけでも、異常な事態だと思う。

もっともNHKの関口知宏の中国鉄道ツアー番組がラサからスタートしたので、頭の片隅にチベットが残っている人が増えたということはあるかもしれない。事件が起こってみるとここ1、2年ダライ・ラマも日本によく立ち寄っていたみたいだし、何か理由があるのかと思っていたが、こういうことだったのかと腑に落ちた。

でも他の武装宗教と違って、たとえばチベット密教のチベット僧が自ら近代兵器で武装してゲリラ戦を中国全土の市街で展開するというようなことにはならないだろうと思う。チベット密教には、そんな発想がないからである。

さて思い出して欲しい。第二次世界大戦のもうひとつの主役はチベット密教だったことを。チベット密教枢軸は結果として一敗地にまみれたが、その世俗権力に与える実力は、世界戦争を4年にわたり展開できるものだったことを。

今回世界に配信された映像は、石をもった丸腰の群衆が商店を襲う程度のもので、圧倒的な中国人民解放軍の軍事力の前には、全く抵抗・抑止できる実力がないことは一目瞭然であった。でもそれだけでは済まないだろう。

第二次世界大戦が終結して60年にもなるが、ヒトラーの陰でラマ教(チベット密教)がかなり影響を与え続けていたらしいことは、知られるようになったが、当時チベット密教が本当のところ何を狙ってどう動いたかは未だに明らかになっていない。

そのチベット密教が再度動き出した。それも自ら表に出て動いてきたということは、単にチベットという国の主権回復の問題を狙ったものではないのではないかというのが、私の見方である。


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クリシュナムルティの末期の一句

2008-03-18 07:25:40 | 只管打坐
◎坐禅をしない公案禅みたいな

クリシュナムルティは、日本を訪れたことはないと聞いたことがあるが、正確にはその死の直前にインドからロスへ飛行機で向かう途次、東京で1時間のトランジットの滞在を行なったことがある。

だからといって、誰に会うでもなかったので、何も起こらなかったということろだろう。

彼の死の何日か前に、クリシュナムルティは、メアリー・カドガンの「クリシュナムルティが亡くなる時、その理解とエネルギーの焦点に実際に何が起きるのでしょう」という質問に答えた。

「それはなくなってしまうのです。もしも誰かが教えを完全に極めれば、たぶんそれに触れるかもしれません。が、それに触れるべく努めることはできないのです。

あなた方全員が見失ってきたもの」-あの広大な空(エンプティネス)-を知りさえすればいいのです。」

数時間経ってクリシュナムルティは、付け加えた。
『私が今朝話そうとしていたのはこういうことです。つまり七十年間あの超エネルギー-、いや、あの膨大なエネルギー、巨大な英知-がこの肉体を使ってきたということです。

いかにとてつもなく大きなエネルギーと英知がこの肉体を通過していたか、人々はわかっていないようです。-それは12気筒エンジン並だったのです。

そして七十年、相当に長い期間-経った今、肉体はもはやそれに耐えられないのです。
何がこの肉体-非常に注意深く準備され、保護されつづけなければありえなかったこの肉体-を通過していたか誰も理解できないのです。誰も。

理解しているふりをしても無駄です。誰も。

繰り返して言います。ここにいる人々も一般の人々も、誰一人、何が起こっていたのか知らないのです。彼らが知らないというのを私は知っているのです。そして70年経った今それは終わったのです。

あの英知とエネルギーが[なくなったわけ]ではありません。-それはなおここに、毎日、特に夜間、ここにあるのです。ただ七十年経った今、肉体がそれに耐えられなくなった-もはや耐えられない-ということです。もはや。

インド人たちはこれについて多くの馬鹿げた迷信を持っています-肉体はなくなるが、あなた[の霊魂]は残るといったナンセンスを。何百年経った後にも、あなた方はこれとお成しような別の肉体、あの至高の英知の働きの場となるような肉体を見つけることはないでしょう。二度とそのようなものに会うことはないでしょう。彼が去る時、それは去るのです。

あの意識、あの状態の後にはいかなる意識も残らないのです。それに触れることができるというふりをしたり、そんなふうに想像しようとする人がいるかもしれません。

もしも彼らが教えを生きれば、それなりの可能性が開けてくるかもしれません。が、誰もそうしませんでした。誰も。以上です。』
(クリシュナムルティの生と死/メアリー・ルティエンス/コスモス・ライブラリーから引用)

というわけで、ここに、冥想という技法なしで、チャレンジしたクリシュナムルティの成果を見た。

クリシュナムルティは、坐禅をしない公案禅みたいな感じだったので、やっぱり実とは言えない実を挙げるには、冥想という技法なしでは駄目だと思った。


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ウィリアム・フォーサイスとSSRI

2008-03-17 05:47:53 | 時代のおわり
◎自殺念慮の高まり

ウィリアム・フォーサイスは、アメリカの資産家で63歳だった。彼は何度か不安に襲われ、妻や息子たちに愚痴を漏らした。

アメリカでは、本音で語る文化がないので、彼はすぐカウンセラーに相談した。カウンセラーは、彼の結婚生活は破綻に瀕しているというわけでもなく、妻に暴力を振るうという状態でもなく、若干の意見の食い違いはあるものの調整可能なレベルであると見立てた。

その後ウィリアム・フォーサイスは、精神科医にかかったところ、精神科医は彼が重くはないが抑うつ状態にあると診断し、自殺傾向もなく、入院の必要はないと判断し、ある時プロザック(SSRI)を処方した。

処方の翌日、ウィリアム・フォーサイスはひどい気分になっり、入院する事を自ら求めたので、入院することになった。その間プロザックの処方は続き、入院10日の後、退院した。

退院後、彼の子息が、父親の様子が数週間前とは全く異なり、顔色が悪く弱々しく、神経過敏に見えることに気がついた。

ところがその翌日、ウィリアム・フォーサイスが、妻を15回突き刺し、自分の身体を包丁で何回も突き刺して死亡しているのが発見された。
(出典:みすず書房/抗うつ薬の功罪(SSRI論争と訴訟)/デイヴィッド・ヒーリー)

SSRIには、自殺念慮の高まりと犯罪を犯すことに躊躇がなくなるケースがあるようであることが、この本では仄めかされている。

日本の自殺の増加は、長引く不況による生活の困窮、人間関係の希薄化を原因とするものなどと説明されることが多いが、この急増ぶりでは、ひょっとしたら、何か食品添加物や「農薬」などの影響により自殺念慮が高められているケースもあり得るのではないかと思った。


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