アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

2007年の終り

2007-12-31 08:01:22 | 時代のおわり
◎スピリチュアル・ジャングルの探検者

この一年、拙ブログにご来訪ありがとうございました。

スピリチュアルという言葉でブログを検索すると昨年は100件くらいだったのが、今年は千件程度と激増しています。世間ではオーラの泉がゴールデン・タイムに進出したし、千の風になってがミリオンセラーになったりと着実にスピリチュアルなものへの関心が高まっています。

ところがマルチ商法やカルト宗教をバックにした組織や人が、ヒーリングやヨーガや霊感・霊能力を隠れ蓑にしているケースも多々あるようで、いまやスピリチュアルはこうした詐欺まがいの行為を連想させるところがあることは否めません。

このブログではこうしたわかりにくい密林の中にルートを作って迷わないようにしたいというのも目的の一つです。

これまでは、クンダリーニ・ヨーガや霊能力に比較的比重が多かったのですが、今年の後半は、クリシュナムルティを中心とした只管打坐について検討してみる記事が多くなりました。

そうした理由は、クンダリーニ・ヨーガと只管打坐に向いている人の違いにあります。

クンダリーニ・ヨーガというのは霊能力やアストラル・ボディを相手にするものですが、そのルートをたどれる人というのはこの世的なものにあまり価値を感じることが生まれつき出来ないようなタイプの人に向いているのです。リアルでは、部屋に籠もって誰にも会わないで、アストラルで神霊と対話して楽しむなどの、いわば神秘家とか、幻想者みたいな人がそれにあたります。

一方この世の出来事に少なからず愛着を残しており、なおかつそれを楽しんで生きて行きたいというタイプの人にはクンダリーニ・ヨーガは、不向きであるということが改めて感じられたためです。

つまり大多数の人々にとっては、クンダリーニ・ヨーガは究極まで押し詰める手法としては不向きであると思われたのです。

クンダリーニ・ヨーガは死の世界を窮める道であり、只管打坐は生の道を窮める道であるけれど、やっぱり酒の味から離れることはできないとか、もっとイケメンや美人と親密なりたいとか、ソウルメイトと出会いたいとか、家族円満に過ごしたいなどの大衆的日常生活を楽しむという願いが優先している場合は、生の道を窮める方向が自然なのです。

従って今の人々の大多数に勧めるとすれば只管打坐の方だろうと思うに至りました。

只管打坐の窮極は身心脱落ですが、クリシュナムルティにとっての初めての身心脱落体験の記述を発見することはできませんでしたが、身心脱落をいろいろな角度から見た場合のあり方というようなものは充分に書き残されているように感じました。

あれこれ調べて見ましたが、結局、只管打坐のあの一見窮屈な姿勢をとることが、混乱極まりないこの時代を生きる道になるだろうと思ったのです。その姿勢をとって雑念を追いかけないことによって、金が儲かったり、恋人とうまくいったり、好きなものが手に入ったりするというようなことは何も保証されるものではないが、万事休して、その姿勢で冥想することしかないだろうと思ったのです。

このようにようやく冥想手法の大方針が固まったことから、次は迷宮のようなと言われるこのブログのまとめのようなものを来年早々に作って、スピリチュアルなジャングルの探検者の人に参考になるようなものができればと思っています。

いよいよな時期が近づいていることから、その緊張感は無意識に感じている人が多いことと思いますが、浮足だたないでまず冥想を。


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カリブ海のビミニ沖探検

2007-12-30 09:40:03 | 時代のおわり
◎超古代史へ
デイビド・ジンクは、1974年からカリブ海ビミニ島沖の海底探査を数年かけて行なった。その動機はアトランティス。彼は、エドガー・ケーシーの透視したアトランティスの動力源みたいなものまで発見できたらと考えていたのだろうと思われる。

ケーシーの予言では、アトランティスには輸送の動力源ともなり、病気治癒の効果もあった水晶がアトランティスにあったという。

結局ジンクは、ダイビングにより、広範囲な海底調査をしたが、ビミニロードと呼ばれる道路みたいな石の構築物を発見した他、人造構築物の証拠である大理石の破片(人頭くらいの大きさ)を海底から発見したにとどまり、不思議なエネルギー源である水晶を発見するには至らなかった。

またビミニの東方数キロの海には海草のないエリアがあり、空中から見ると海底に丸い白い点が一直線になって続いている海域があるのを見た。

またこの海底遺跡では、方位磁石が正常な値より、1975年8月には6度、1976年8月には3度の誤差が余計に発生していた。

これらの結果せいぜい石造りの遺跡のようなものが海底に沈んでいる程度のことしかわからなかったけれど、様々な状況証拠があって、アトランティスの偉容を探る具体的なきっかけとなった。

いろいろなやり方はあるのだろうと思うが、今後アトランティスの秘密に最接近するためには、バーミューダの謎の三角海域で飛行機や船が消える事件を引き起こす原因となっているかもしれないケーシーの透視した水晶を発見することしかないのではないか。

そのためには、そうしたことを大まじめに信じて、巨額の費用をつぎ込める人や国が出て来ないとならないが、唯一の超大国アメリカも、アポロ計画以後は大がかりな宇宙探査を縮小せざるを得ないほど財政は厳しいままである。

アメリカの財政赤字・貿易赤字の双子の赤字は、20年以上変わらないが、もともとはアメリカの1970年代の景気後退が、アポロ計画のような勇気あるチャレンジのチャンスを減らしてきたのだろうと思う。

ことほど左様に、アトランティスの海底探査も、その後あまり大がかりなものはないようだが、沖縄や太平洋のポナペなど海底遺跡が世界的に分布することが次第に知られるようになってきて、アトランティスへの興味も単なるケーシー予言への興味本意の関心から、世界各地の超古代の歴史研究のモチベーションへと変質しつつあるようだ。


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プレアデス事始め

2007-12-29 10:39:23 | 冥想アヴァンギャルド
◎ポポル・ブフなど

プレアデスといえば、西洋好きの霊能力者の専売特許だろうと色眼鏡で見ていたが、一概にそうでもないようだ。

おうし座(牡牛座、Taurus)の東に、スバルとして知られているプレアデス星団がある。
この星団は、シリウスやオリオンの三つ星のように特に明るく目立つような星ではない。ところがなぜ不相応な注目を浴びているのだろうか。

まず肉眼ではプレアデスは6つの星しか見えないが、古代ギリシアのアポドロスの書にはプレアデスは7人の娘であるとなっており、この頃から7つの星であることが知られていた。

ブラジルのシェレンテ族は、太陽の位置が牡牛座からプレアデスに移る6月を一年の初めとしている。

マヤのキチュー族の神話ポポル・ブフでは、400人の天上の青年が、地球で人間と争い、地上で堕落した後、プレアデスに帰って行った。

紀元前55年ギリシアの歴史家ディオドロスによると、ケルト人が住む地より更に北にある島ヒュペルボレオイでは、アポロン神殿がある。この地では、月は地平線のすぐ上を動いて行く。更に、春分の日からプレアデスが昇る時期まで、月は住民の弾くチターの調べに乗って踊り続ける。そして神は19年に一度島を訪れると書いた。

スコットランドのカラニッシュの巨石遺構は、○に十字型に石が配列されている。緯度の高いスコットランドでは、夏の満月は南の空を低く移動していくのだが、1987年の6月の満月では、この古代の記述のように満月が水平線ぎりぎりに動き、一度隠れたあと巨石遺構の中に再び現れたという。

学者の中には、十字列の一つである東北東に伸びた石の列が、プレアデスが昇った方向に向いていると説明する人もいるが、この説明は苦しいかもしれない。

その他西洋では、プレアデスが朝昇る時が夏の始まりで、朝沈む時が冬の始まりとされていたという説もあるが、何もプレアデスでなくとも、たとえば牡牛座でも良いのであって、殊更にプレアデスを意識していたかどうかは疑問だと思う。


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アステカの残虐なセレモニー-2

2007-12-28 06:11:13 | クンダリーニ・ヨーガ
◎クンダリーニのエネルギー・コード

人間の死には二通りあって、それは肉体の死と自我の死である。

さてアステカの殺人ショーの犠牲者の3種類目は、祝祭用の若者である。彼らは捕虜の出身で、最も高貴な者で、最も有能でマナーがよく、身体に欠点のない者が選ばれた。

そして一年間、大切に世話をされながら、笛を上手に演奏できるように練習を積み重ねる。

一年後のある日、若者は街を遠く離れた見すぼらしい神殿に連れて行かれる。

神殿に着いたところで、若者は階段を上がって、まず一段目の階段で愛用していた笛の一本を折る。そしてもう一段階段を昇ったところで、思い出の品である笛を更にもう一本叩き壊す。更に三段目でも笛を壊す。

こうして階段の最上段に昇り詰めると、そこには二人の神官が待ち構え、若者の手と頭をたちまち縛り上げ、石の台の上に仰向けに寝かせた。

神官は、鋭い石器のナイフでその胸を引き裂き、心臓を手づかみで取り出して、チャックモールと呼ばれる石の台に載せた。(参考:天の鏡/グラハム・ハンコック/翔泳社)

なるほどこれは、一年間安楽な生活を送らせることで、その後の運命の悲劇性を高める効果を狙ったものである。

肉体の死は、心臓を抜かれたのでは、再生することはない。しかしクンダリーニ・ヨーガでの死と再生の技術は、肉体そのものが一旦死を迎えるが、その後見事に復活を遂げるものであることが知られている。

この点で、このアステカの儀式はクンダリーニ・ヨーガという視点から見ても歪んだものに見える。

自我の死というものは、アステカの神官の言うとおり、こうした不条理こそが人間の運命の原型であることを直視することから起こる。自我の死が、そうした肉体死の直前に発生することもあるということは否定できない。

しかしながら、生者の視点からすれば、本来自我の死は、肉体死がまだ遠い若い時代に発生することによって、真・善・美などの肯定的なものの発露を生きることができるということが期待されるべきものであるはず。

このようにこの儀式で期待した効果は、確かに肉体の死を直視するという点はうかがえるが、自我の死への誘導という点では欠けているように思う。

ただし、ケツァルコアトルの石像とされる蛇の中の男という石像は、脊柱の肉体を貫くクンダリーニのエネルギー・コードが宇宙を貫く蛇と重なるイメージである。これは、クンダリーニ・ヨーガの秘儀がアステカでも生きていた事を示すものと見られるので、スペイン人が初めてアステカに入った時代に、その正統的なメソッドの伝承がなかったとは言い切れないところがある。


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アステカの残虐なセレモニー-1

2007-12-27 06:07:44 | クンダリーニ・ヨーガ
◎人間の運命の原型

映画インディジョーンズのシリーズの中に、アステカの残虐なセレモニーをそのまま実演しているシーンがある。人の大勢集まる洞窟の中で、怪しげな神官が犠牲者の心臓を素手で掴み出すシーンである。初めてこのシーンを見た時は、映画の話だとして、気にも止めなかったが、後にそれはリアルの世界の出来事だったことに気がついて驚くことになった。

アステカの殺人ショーの犠牲者には大別して3種ある。一つは戦争捕虜であり、一つは幼児または子供、そして祝祭用の若者である。

犠牲者のほとんどが戦争捕虜で、彼らは、捕虜になってすぐ生贄とされる場合もあれば、長々と苦痛に苛まれた後で心臓を引き抜かれ、皮をはがれ、ばらばらにされる場合があった。

幼児または子供は、水の神の祭や雨の神のそれやトウモロコシ神のそれのために、それぞれの祭日に晴れ着を着せられ、花で飾り立てられて、輿で運ばれて行った。式場では、涙を流しながら祈る神官が、この犠牲者の心臓を取り出す儀式を行なった。 

これらの儀式の目撃者であった16世紀のフランシスコ会修道士サアグンが、アステカの神官になぜこんなことをするのかとその理由を尋ねると、なぜそんなことを聞くのかと言わんばかりに、「この犠牲者の悲劇的な運命は「人間の運命の原型」だ」と答えたという。

当然ながらこうした祝祭が、大半の見物人にとっても面白いものであるはずはなく、この世の「不条理」の絶対性をその都度かきたてるものであったに違いない。

こうした人でなしな儀式全盛であることからしても、このアステカの邪教は死の世界を扱うクンダリーニ・ヨーガ型の宗教であったことが推測される。

ところがもともとクンダリーニ・ヨーガとは、この世のいろいろなことに興味を持てない人達だけのための道なのだ。このようにクンダリーニ・ヨーガがメジャーな宗教になった社会は、自壊する運命をたどるのではないかと思った。

アステカのシンボリズムで獅子頭みたいなものがあるが、あれを見るとチベットの曼陀羅にも似たようなものがあったことを思い出す。チベットもバドマ・サンバヴァ到来以前は、ひょっとしたらアステカみたいな状態の時代があったのかもしれないと思った。


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マヤのチラム・バラムの予言

2007-12-26 04:22:29 | 時代のおわり
◎2012年とマヤ

チラム・バラムは、15世紀から16世紀初頭に実在したマヤ最大の預言者。後に1562年宣教師ディエゴ・デ・ランダがマヤ古文書の焚書を行なったマニの町が彼の活躍の舞台だった。

彼はマヤの最高神官であり、神託を受ける時は、その館の一室にひれ伏して、忘我の境地に入り、神の声を聞いたという。その後、別室に控える神官たちは、バラムの口から神託を承ったという。

マヤの宗教には、キリスト教が入ってくる以前から、なぜか十字架のシンボル、血と犠牲、偶像崇拝、洗礼などの儀式まであった。おそらくこれは、教祖と思われるケツァルコアトルかその中興者がイエスのような英雄的な犠牲の人生を送り、それが強烈に崇拝されるきっかけになった可能性があるためではないか。

チラム・バラムの予言には、天地創造から始まり、マヤの苦難の歴史が縷々述べられてはいるが、紀元前3114年8月13日の暗闇に始まり2012年12月23日に破局で終わるなどということは全然書いていない。

なおかつチラム・バラムの予言では、将来の予言と、外来者(スペイン人)到来やキリスト教到来などの史実がごちゃまぜで入っており、どれか先でどれが後なのかさっぱりわからない形になっている。当然、この世の終りが何年などという記述はない。

従ってマヤの予言書では、この世の終りには洪水がある程度のことしか書いていないというのが真相であり、2012年がこの世の終りというのは、マヤ暦を分析している最近の学者さんの説であるというのが、穏当な見方のように思う。

だからグラハム・ハンコックやコリン・ウィルソンが、マヤでは2012年が終りの年だと言っていると断言しているが、ちょっと違うという印象を持った。




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夏目漱石の禅

2007-12-25 09:01:49 | 丹田禅(冥想法8)
◎見性失敗

夏目漱石は、明治27年8月宮城県松島の瑞巌寺の南天棒に参禅し、生まれつき凡庸な素材なので、到底見性するような玉ではない(生来の凡骨到底見性の器に非ず)と、自分が全然悟れそうもないことを嘆いた。

同年12月今度は、鎌倉円覚寺の釈宗演に参じて、父母未生以前の本来の面目を見てこいという公案を与えられた。これは、本来の自己を徹見しなさいというものであったが、漱石は、「私のようなものには到底悟りは開かれそうにありません」と申し出て、円覚寺を下山することとなった。

円覚寺の参禅体験をそのまま書いたと言われる小説「門」では、腹痛がおさまらないまま6畳の自室に線香を持ち帰って、ぼんやりと坐ったが、腹痛で苦しんでいる最中にむずかしい数学の問題を出されて、解いてみなさいと言われたようなもので、まず腹痛がおさまらなくては、問題にとりかかるのは無理などと述懐している。

公案を透過するとは、公案そのものになりきることを要求されるのであるが、そのためには公案以外の教養とか博識とか腹痛などというものは、まず一切捨て去ろうという覚悟が必要なので、漱石はおよそそうした覚悟なく入ったようだ。

漱石の心は、弱くて落ち着かなくて、なんとか世の中を忍耐でもって渡っている状態であったから、禅で心を落ち着かせて力強く生きたいとでも思って参禅したのだろう。

こうした気分は、今の人も同じだろうが、参禅するからには、いきなり棒で殴られたり、大声で「カーツ」とどなられたり、水をかけられたり、意地悪なしうちをされたりすることに耐える心の準備が必要なことは当たり前だろう。

最後には片腕一本切り落として、達磨に差し出して安心を求める慧可のような不退転の決意があって初めて本来の面目に出会うのであるから、何とも心もとない参禅に入る姿勢であったとは言える。

けれども最近の人が坐禅など冥想をしようというきっかけも、漱石と似たりよったりの人が多いのであろうから、まず漱石の参禅失敗を笑うことはできまい。


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ピリ・レイス地図

2007-12-24 09:00:22 | 時代のおわり
◎文明の崩壊と技術の喪失

オーパーツのファンなら誰でも知っているものにトルコの船乗りピリ・レイスの古地図がある。

南極大陸は、1820年頃ロシアの探検隊によって発見された。南極は現在でも最大4千メートルの厚さの氷に覆われており、20世紀に最新の探査機材でもって氷床下の大陸を調べることで初めて大陸の全容がわかったばかり。

さて1513年ピリ・レイスは、20枚の古地図を組み合わせて、地図を作った。1500年にはカブラルがブラジルを発見しているので、南米がでているのはよしとして、南米の先に南極大陸がつながっていた。

ピリ・レイスの参考とした地図には、紀元前300年代のアレクサンダー大王の時代のものもあった。つまり、古代には南極の存在が知られていたのである。

アメリカ大陸の発見も1492年のコロンブスによるとされているが、バイキングはそれ以前にグリーンランドに到達した痕跡があるし、エジプトから続々と発見されるミイラの防腐剤には、南米原産のコカインと北米原産のニコチンが使われまくっていることから、古代エジプトでは、南北アメリカとエジプトの交易が盛んであったことも密かに知られている。(参考:アトランティスの暗号/コリン・ウイルソン/学研)

つまり古代エジプトでは、大陸間航海の技術が残っていたが、まもなくそれは失われたのではないかということ。

繁栄した文明の中心地はほとんど破壊され、あまり痕跡を留めないが、辺縁に位置する地域はその破壊を免れ、残ることがある。

カナリア諸島はアトランティスの残骸とも言われ、そこの原住民のグアンチ族はクロマニヨン人と非常に良く似た風貌で知られる。

グアンチ族は、太陽礼拝で、死者のミイラ化の習慣があり、沢山の歌を持ち、どうみても単なる島嶼民族ではなく、かつての大国の遺民としか思えない習俗を残している。アトランティスの痕跡は、やはり僻遠にしか残っていなかったということだろう。


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ピリ・レイス古地図


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テオティワカンの雲母フロア

2007-12-23 08:44:55 | 冥想アヴァンギャルド
◎冥想センター

メキシコシティの北東50キロにテオティワカンの遺跡群がある。太陽の神殿や月の神殿は有名だが、いまだに未発掘の箇所の多い謎の残るところである。

アステカの人々は、テオティワカンは紀元前3113年にケツァラコテルにより建設され、連続する地震により2012年12月24日文明が滅亡することを予言している。

そのうちの太陽の神殿(ピラミッド)の上部の二段の間には雲母の層があった。ここではドレミファソラシドとは異なる7音階の笛も発見された。

また太陽の神殿にほど近いところには雲母神殿と呼ばれる建物があり、この床下には30メートル四方の巨大な雲母の層がある。

テオティワカンとは、「人間が神になった都市」という意味である。

雲母は絶縁体として知られるが、この場所は雲母のフロアで人間のエーテル体に与える電気的影響を最小限に抑えて、さる冥想技法により「人間が神になる」ためのアヴァンギャルドなセンターであった可能性がある。

これに比べて現代人の日常生活はおびただしい電気エネルギーにより干渉されている生活であり、雲母フロアに比べれば、およそ冥想の効果を出しにくい環境に生きていると言える。

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ハーリング=ケルトのボールゲーム

2007-12-22 07:35:14 | 冥想アヴァンギャルド
◎熱と勢い

ハーリングとは、19世紀までイギリスのコーンウォール地方で行なわれていたボールゲーム。ケルト起源のもので、男たちが2チームに分かれ、小さなボールを奪い合って相手のゴールに持ち込んだ方が勝ちとなるもの。

これは、サッカーやラグビーの元型となったゲームとも言われ、ボールは、苔や草を詰め込んだ豚皮のボール。1ゲームの参加者は、40人から100人くらいで、ぶつかったり、押しあいへしあいしながら、このボールを奪い合うかなり乱暴なゲーム。

舞台は家の裏庭や畑、茂みの中は当然として、川や泥沼まで、2つのゴールの間のすべてのエリアが試合のコートとなった。

ハーリングは、もともと年に一回冬の終りから早春にかけておこなわれていた。今でもセント・コラムなどの町で行なわれている。

こういった戦いの狂騒には、観衆の熱狂がつきものだ。

サッカーの浦和レッズファンでない人がレッズ戦を観戦にいくと、試合中はいつのまにかレッズの応援歌をずっと歌い続け、帰りのスタジアムから地下鉄の駅までの道では、いつもレッズのことをしみじみとあれこれ考えさせられるというようなことを書いている人が複数いた。

このように大衆の熱狂は伝染しやすいものであることを、見事に応用したのは、ナチスドイツのヒトラーであったが、現代では、それは大衆心理操作の常套手段となり、大勢人を集めてホールやスタジアムでイベントを開催することで、意図する心理状態に持っていこうとする企画が日常的に行なわれている。その企画者は、しばしばマルチ商法だったり、新興宗教だったりする。

けれども、真摯で敬虔な冥想修行においても集団修行が決して否定されないのは、食糧調達などの生活面での必要性を別にしても、ある行動に駆り立てる熱や勢いというものが修行をすすめる推進力になることは、決して無視し得ないものがあるからである。


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アイルランドの巨人伝説

2007-12-21 06:08:46 | 時代のおわり
◎長身の王たち

19世紀の民間伝承の収集家ウィルトサイクスによれば、ウェールズ各地に残る伝説からすれば、アーサー王の身長は少なくとも4.5メートルはあったろうとのことである。

「スィールの娘ブランウェン」というアイルランドに嫁いだブリテン王の妹の扱いをめぐってブリテンとアイルランドの間で戦争になった話では、ブリテン王のベンディゲイドブランは巨大で、歩いて海を渡り、遠くから見ると大きな山のようで両目は湖のように見えた。しかもこの王は大きすぎて一度も建物の中に入ったことがないそうだ。

さて日本の古代書旧事本紀にも神武天皇は身長3メートルなどとあり、またそれ以後の天皇は尻尾があったり異形であったようだから、ブリテン王が身長5メートルであっても、あながち奇説として退けるわけにはいかないのである。

これは想像だが、濃密な大気のもとで、身長の大きい人間が12千年前のアトランティス当時では普通であった。アトランティス崩壊にあたって、突然大気は今みたいに希薄なものとなり、当時は普通だった巨人並みの身長の人間が何世代か生き残って、アトランティス沈没後しばらく世界各地で王や天皇としてリーダーシップをとっていた。それが各国の国造り神話として残っていることがある。

希薄な大気の影響か、背の低い種族との交配や淘汰の影響か、数世代のうちに異形の王や巨人の王は、姿を消して行った。

キングサンズの巨石群の写真をながめると、ついそんな想像を膨らませてしまう。


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平田篤胤の養父篤穏の養生法

2007-12-20 06:15:05 | 気功、導引(冥想法2)
◎エーテル体のイメトレ

冬らしい気候になってくると、風邪を引く人が多い。江戸時代の禅者白隠は、70歳となって、冬であっても足袋を履かず身体はぽかぽかと暖かいと語るほど健康を維持できた。

白隠は生来多病であったが、青年期に京都の白幽子に軟酥の看法を教えられて、それを行ずるようになってからは、病患を去って気力充実して修行に邁進することができた。気力充実するためには体力の裏付けがないと何事もなかなか進むものではない。

軟酥の法とは白いバターの固まりのようなものがあると想像して、それが、頭頂から手、足の先まで潤し、しみわたると看ることによって身体の健康、バランスを取り戻そうとする方法である。

国学者平田篤胤の養父篤穏の養生法も、肉体そのものでなく、軟酥の看法のようにイメージでもってエーテル体全体に気を巡らすことにより、健康を維持しようとするもの。

『①まず仰向きに寝る
②次いで両足を揃えてかかとを押し出すように強く踏み伸ばせ。
③そして全身の気を臍のあたりから、その下丹田、そして腰、脚、足の裏にまで充たす。
④次には指を折って、呼吸を百まで数えるがよい。
⑤呼吸を百数え終わったならば、踏みしめた力を緩めよ。
⑥これを一晩に四、五回続けるのだ。

「これを行なえば、元気が全身に充満して、腹中にあるしこりなども消える。どのような良薬も、この術に優るものはないのだ」と養父は服をはだけてその腹を出した。見れば腹力は充実して張って固いことコツコツと音がするようであったとして,この法の効能を篤胤は強調している。』
(古武術と身体/大宮司朗/原書房から引用)

篤穏は84歳の長寿であったという。篤穏の方法には、保息があるところが特徴。ただこれは、不調の時の即効性はなく、何十年か続けた時に効果が出てくるタイプのものであるように思う。

これに対して軟酥の看は即効性があるやり方ではないかという印象をもっている。

その根拠はと問われても、論理的回答はしづらいので実際にやり比べてみることをお勧めします。また即効性がないのはダメとも思っていません。


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普化なる自由

2007-12-19 06:07:54 | 丹田禅(冥想法8)
◎社会性とのバランス

普化は、唐代の人で、臨済禅を興こした臨済義玄より一枚上手の禅者。

普化の師である盤山宝積(720-814)が、その逝去に臨んで、「私の像を描くことのできる者がいれば、今すぐ描くよい」というと、多くの弟子がその肖像を描いて持ってきた。

そこに普化が手ぶらでやってきて、盤山の前に出るといきなり宙返りして出て行った。盤山は「普化はこの風狂さで今後世人を導くに違いない」と評したという。

ある日、臨済と普化が法要後の会食に招かれた。席上臨済が「一本の髪の毛で大海を呑み込み、芥子粒一つに巨大な須弥山を納めるというがこれは、超能力の奇跡か、それとも見性者に自然に備わる働きか」と質問をしかけた。

すると普化は、いきなり食卓を蹴り倒した。

臨済が乱暴じゃないかと言うと、普化は「ここで乱暴とか穏やかという場合ではあるまい」と応じた。

次の日二人は、別の法要後の会食に招かれた。臨済は、「今日のメニューは昨日のと比べてどうだ」と問うと、普化はまたまた食卓を蹴り倒した。

臨済が「それはそれで良いが、あまりに乱暴すぎる」というと、普化は「馬鹿野郎。仏法に穏やかだの乱暴だのということがあるか」と返したので、流石の臨済も驚いた。

一無位の真人とか、本来の自己と言えば、なんとなく知的なイメージを膨らませて理解することができるが、普化が何のためにこんなことをして見せるのか理解に苦しむ人が多いのではないだろうか。

本当に素直になった人は、自分がどのようであっても何の問題もないことを知っている。何の問題もなければ、そこから流れだす自由というものがある。臨済禅では、大安心というものを求めるのと同時に、特にこの自由というものに力点を置く。禅家は、当意即妙とか、活殺自在などのむずかしい言葉を使うが要するに自由を言っている。

普化はロバになりきって、生の野菜をぼりぼり食べたり、勤行をしないで飯だけ喰らう泥棒になりきって、奇矯な行動をし続けた。

地獄的な環境にあっても本当に素直であれば、本当の自由を生きることができることを普化に見る。しかしそこに社会性とのバランスはない。「社会性とのバランスなんていうたわけたものは仏法にはない」という普化の言葉が聞こえてきそうだ。


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バルドルの死とアポロン的文明の終り

2007-12-18 06:08:32 | 時代のおわり
◎死を忌避する文明の終り

不死身の神バルドルが、やどり木で作った矢で盲目のホズによって射殺されたことで、北欧神話のアースガルドは崩壊に向かうことになった。バルドルの死により一気にラグナロークに進んで行くことになった。

バルドルとは、最もすぐれた神であり、誰もが彼の事を誉める。容貌は美しく輝き、その身から光が発しているほどだ。彼はアースガルドの神々の中で、最も賢く、最も弁舌にすぐれており、最も慈愛深い神である。また主神オーディンの息子であもある。

けれども彼の裁きが実行されないのはその性格から来ているとのことなので、占星術でいえば金星の性格である優柔不断なところがあるようだ。そしてブレイザブリクという邪悪、不純なものは一切立ち入ることのできない場所に住んでいる。

このようにその姿形や性格などから、バルドルとは、アポロン的なこの世の光の面のシンボルであることがわかる。闇を寄せつけないのだ。

美しいもの、正しいものは永遠の価値を持つ、しかしそれですら終りが来る。死も神々の属性の一つであることを認めることには、困惑させられるものだ。

ここに死をも超克していくことが、このアポロン的文明の課題であることが呈示されている。そのために作られたのがこの神話であると言って良いのではないか。

この後、死者の国に行ったバルドルを取り戻すチャレンジが行なわれるが、結局失敗に終わり、死は避けられないということのダメが押されて、このエピソードは終了する。


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レッズのサポーターとミランのファン

2007-12-17 06:00:55 | 時代のおわり
◎真の歓喜

浦和レッズのスペクタクルあふれる一年が終わった。それは各大陸王者だけが集まるFIFAクラブワールドカップ3位という形で結実した。アジア王者として前人未踏の3位という結果と日本のクラブチームとして初めてアジアチャンピオンズリーグを制覇して、この大会に参加して、結果を残したことにおめでとうと言いたい。

準決勝のACミラン戦で、浦和レッズのサポーターは奇妙な集団を目にすることになった。日本人のくせに赤黒のユニホームを身につけたACミランファンである。日本人なら日本のクラブの方を日本代表として応援するが自然なのだが、ACミランファンがこんなにいるものかというくらい試合会場にいたらしい。

思想信教の自由が保証されているわが国では、ミランのファンであってもとがめられることはないのだが、彼らは明らかにレッズサポーターとは違っていて、独特の違和感をレッズサポーターに与えることになってしまった。

レッズサポーターは生活のすべてやおこずかいのすべてを賭けて、レッズを応援している人が少なくない。レッズサポーターであることは、それ自体ガチンコなのだ。本気の世界なのだ。本当の感動を求めてレッズと一体化しているのだ。

そうでなければ、はるばるイランのイスパンで行なわれたセパハンとのアジアチャンピオンズリーグ決勝第一戦に4百人も行かないし、同準決勝の韓国で行なわれた城南戦に3千人も行ったりはしない。

レッズファンの応援メッセージは違う。どこが違うかというと一人称なのである。「次の試合は気合入れて勝ちます」と宣言する。普通のファンなら「勝たせます。」と言うはずだが、彼らは完全に12番目の選手になりきっているのだ。

こうした気持ち、生活姿勢に、レッズサポーターの、真のサッカー・フリークとして面目躍如たるところがある。

これに対してミランファンは、そこまで入れ込んでいる人は少ないのではないか。生活のごく一部としてACミランが存在しているのであって、ミランと自分が一体化までしている人は極く一部なのだろう。ふわふわした単なる強い一流チームびいきという心情で応援している人が大半なのではないか。

この点ではかつての巨人ファンと同質のものを感じた。かつての巨人ファンとは、自分と巨人とは別だが、一生懸命応援しているという姿のことである。つまりミランファンは伝統的な日本の応援スタイルの延長線にあり、彼らに罪はなく、浦和レッズサポーターが新に登場してきたスタイルであるだけなのだ。

こうした浦和レッズサポーターに時代の終りの人々の気質の特徴を感じる。つまり最高の興奮、最高の感動を求めているってこと。このうえない歓喜は、とてつもない悲しみと裏腹なのである。そしてそれは、選手・チームと一つになることでしか味わえない。

蛇足ながら、日テレの奥寺と都並の解説はひどい。日テレ全体としてレッズを応援している姿勢を打ち出しているにもかかわらず、全然日本代表たるレッズ寄りの解説ではなく、冷たい第三者的な解説に終始していた。あれでは、素直にレッズを応援していた視聴者の人は怒るだろう。
  
日テレは、数カ月前からこの大会を盛り上げるべく番組宣伝を繰り返してきたが、最後の本番で、この解説者の人選とサッカー中継に不慣れなアナウンサーの起用で、明らかに失敗したように思う。日テレはサッカーの熱というものを結局知らないのだ。真のサッカー・フリークの心意気に理解がなかった。


    1日1善。1日1クリ。

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