アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ゴーピ・クリシュナの冥想生活

2007-08-31 06:00:55 | 冥想アヴァンギャルド
◎日中の言動と冥想

まずは、ゴーピ・クリシュナの冥想のやり方。

『夜明けの前 皆んなの起床前に、
静かな朝の最もよい時間を
深い瞑想のために
是非とも 当てなさい。

凡よそ15分間か その辺の
短い時間から始めなさい、
神の頭か 彼岸の光景か
最も神聖なイメージを心に描きなさい。

この縁起のよいイメージを
あなたの心に しっかと保ちなさい。
少し心を用いれば
純粋なイメージが保てるように

しかしあせったり 失望してはいけない。
静かに進行するのを辛棒しなさい。
静かに落ち着いて始めなさい。
再び言うが このように続けなさい。

先ず 足を組んで坐る、
背骨は真っ直ぐに立てる、
正しく 窮屈でなく 楽な姿勢をとる。
平静な気分を保てるように。

この先の心理状態がわからないのを
心配することはない。
続ければ 遅かれ早かれ
入口は押し開かれる。』
(悟りへの道/森北出版/ゴーピ・クリシュナから引用)

これは、神聖なイメージを頭に描くので、観想法の一種であるが、まずは、足を組んで、背骨を立てて、毎日坐り始めることが肝要。ゴーピ・クリシュナは、冥想を始めさえすれば後は、神聖なる力がいわば自動的に運んでくれる由。

平静な気分を保つこと、崇高な雰囲気を思い出すこと、そして疲労したら休養して朗らかな気持ちを取り戻すことは、あまり効果のないことにも思われがちだが、ゴーピ・クリシュナが勧めているところをみると、生活の中に冥想を定着させるのに効果があるようだ。

そして行動は、中庸に。つまり野心も欲望も抑える、酒、タバコも節制する。性欲の炎もコントロールする。つまり気ままなところは、最低限にして、できるだけ神聖なる意志に従って行動しようと意識すべきであると主張する。

毎朝の冥想がきちんとできても、日中の自分の気ままな言動を夜思い出して、後悔することは時々あるものだ。その意味で行動、言動が行き過ぎにならないことは、冥想の深まりと不可分なところがあることが実感できる。


    1日1善。1日1クリ。

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無信仰と他宗派排撃

2007-08-30 05:53:58 | 時代のおわり
◎ゴーピ・クリシュナの信仰観

ゴーピ・クリシュナは、神を信じない無信仰と組織宗教の双方を批判する。

無信仰は、現代の科学的発想の基本で、神など存在しないことがまず第一の前提になっている。日本の公立小・中学校で神がいると教えているところはない。

神がいない中での科学は、七つの身体の肉体レベルの科学に留まり、その先のより精妙なる身体に眼を向けることはない。肉体レベル・物質レベルオンリーの科学は、膨大な空間的広がりを探求するだけで、時間も物質も超えた広がりの方は無視し続けた研究をしている。いわば膨大なあまり役に立たない努力を重ねているようなものである可能性がある。
ゴーピ・クリシュナは、この神なき科学を世の中の害毒と見る。

しかし、だからと言って信仰があるとは、組織宗教のメンバーになることに限られるものではない。

ゴーピ・クリシュナの組織宗教への批判は、そのメンバーは、まず自分の宗派を第一と考えることで、他宗派を排撃することが間違いであるとする。神が、ある組織宗教とメンバーを第一にひいきし、そのメンバー以外の者のひいきをしないとしたら、それは神ではなく、政治家ではあるまいか。他宗派を排撃することは、そもそも神の何たるかを承知していない証拠である。

『信仰するか しないかは
大衆の生活に大きな間違いを起こす。
それを重大だと思う
風潮が広がっているならば。

学界では、不信仰の
風潮が支配的だが、
その害毒を取り除かないと
人類は不幸に陥るだろう。

自分の宗派を第一位と
主張する 宗教的狂信者は、
その教祖と 神とを中傷し
虚栄と貪欲を助長することになる。

お気に入りに対して 人間が考え違いしたのに、
神がある者には喜びを与え
他のものをば全く無視したとして
神を責めることがどうしてできようか?

これらの意見と妄想は 哀れな話を
それを知っている人に教えている、
人々はよく考えもせず、
自分の宗教を詳しく勉強もしていないと

神の愛を独占することは
神を拒否することと同様に悪い、
どちらも神の広い王国を
我が身相応に 分割しようと口論するのだ。』
(悟りへの道/森北出版/ゴーピ・クリシュナから引用)

それではどのような生活が信仰ある生活なのだろうか。(続く)


    1日1善。1日1クリ。


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ゴーピ・クリシュナの悟りへの道

2007-08-29 06:04:00 | 時代のおわり
◎既成組織宗教の末路

ゴーピ・クリシュナは、例の『クンダリーニ』というクンダリーニのことを書いた数少ない本の著者。『悟りへの道』は、彼のもう一冊の著作である。

『悟りへの道』で述べられていることは、シンプルで、すべての人が冥想により宇宙意識と一体となること。特徴的なのは、冥想だけでは不十分で、清らかな生活、つまり日々の正しい生活の積み重ねも冥想に劣らず重要であると見ているところである。釈迦流に言えば八正道のままに生活をして、冥想もやらないといけないというもの。

この本は1984年に書かれたものだが、昨今ようやく異常気象がこの文明を激しく脅かしていることが誰の眼にもはっきりとし、また世界が数個の陣営に色分けされることで、密かに戦争の準備をしている21世紀に見てみると、この著作に散りばめられた予言がにわかに現実味を帯びてくる。

『私たちの帝国 財産 勢力を守るため、
核兵器は既に配備された。
しかし彼らが戦う時には、自然の断固たる
無警告の命令が、反逆者を粉砕するだろう。』
(悟りへの道/森北出版/ゴーピ・クリシュナから引用)

『あなたを賢くする事件が起こりそうだ。
あなたの理性では判断できない
痛棒で、その再発も防げない、これは
あなたが宗教の祭壇を 攻撃する時に起こる

ドラマは間もなくこの世に展開する、
宗教の 力強い場所を炎で包み
損害や死者の数は計りがたいほどだ、
これは黄金時代の到来を告げるものだ。』
(悟りへの道/森北出版/ゴーピ・クリシュナから引用)

これは既成宗教の最後の姿のことだろう。これを見て皆賢くなるわけだ。
身に覚えのある予言は、聖マラキや、出口王仁三郎の予言など、捜せばいくつか出てくる。


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コルベ神父

2007-08-28 07:37:36 | キリスト者の秘蹟
◎清貧に生きる

コルベ神父は、ポーランド人で、カトリックの無原罪の聖母の騎士会の修道院長をやっていた。ナチスによってアウシュビッツのユダヤ人収容所(ポーランド人も大量に収容されていた)で殺害されたが、収容者の一人であるポーランド軍軍曹フランチーシェク・ガイオフニチェクの身代わりを申し出て飢餓刑室に二週間入ったが、それでも意識を失わなかったので、毒物を注射され殺害されたことで有名である。

コルベ神父は、後に同じポーランド出身のローマ法王ヨハネパウロ二世により、福者に列せられた。

聖母の騎士会の修道士の間では、聖母マリアの尊重の度合いが大きいので、イエスと聖母マリアの折り合いをつけるのにしばしば困惑しているケースがあるようで、それがマリア信仰の特色がある聖母の騎士会の特徴ということになろう。

この三位一体と聖母マリアの位置付けについて、コルベ神父は、『教会に聖霊が宿っていることの眼に見える顕れがマリアであり、聖母はすべての人をキリストと一致させる聖霊の使命を担った人である。マリアは、聖霊の配偶者であり、聖霊の侍女であり、聖霊が宿るところである』という考えを持っていた。

コルベ神父は、いつも自室に聖母の出現に出会った聖人の絵を飾っていた。コルベ神父の修道院のあったニェポカラノフの人々の間では、聖母への五分間の黙想が知れ渡るようになった。まずは5分間の黙想という習慣は、忙しい今の人向けである。読経でも祝詞でも5分で詠みきれるものはとても少ない。

コルベ神父がここまでケレン味なく、聖母信仰に邁進できるためには、必ず原体験があるものだ。それは、コルベ神父が日本滞在中に起きた。

1933年の長崎でのクリスマスの夕食後に修道士に向かって、『神から与えられた平安と喜びは、通常の言葉では表現できないが、自分の内部にあって人生の不安を打ち破ってくれるのである。・・・日本にいる時、自分は間違いなく天国に行けるという暗示を受けたことがある。』という簡単なものである。

聞いていた修道士は、もっと詳しく話すようにせがんだが、コルベ神父は応じなかった。”通常の言葉で表現できない”体験ということがすべてなのだろう。したがって聖母マリアが出現したとかイエスに会ったとかいう程度では表現できない事件が起きたと理解したい。

とても地味な生き方がアッシジのフランチェスコを思わせるところかある。


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ある意識の極限状態

2007-08-27 05:04:57 | 老子
◎老子第66章 江海為百谷王

聖人が上にいる姿は、春秋戦国の当時であったが、現代は聖人が雑踏にいたり、隣人としていたりしても気がつきにくい時代である。

天下のすべての人が特定の聖人を推す姿は、この意識の多様化した中ではまず実現しない。いかにすれば、このような状態が再び実現するか。それは人民悉くが道を知るに至った場合である。

次の至福千年の時代のビジョンには、すべての人が聖王を推すイメージがあるが、現代の価値観が多様化し、自我の極度に肥大化した状態を経験した精神が、そうしたイメージを実現するためには、誰でも無条件に聖王が議論の余地なく正しいと認める精神状態にならなければならない。

ところがそうなるためには、全員がある絶対的な意識の極限状態を経過していかなければならないはずで、それがなければ、万人が一人の聖者を推すなどということは、単なる夢物語におわるだろう。

『大河や海がよく百谷の王となるのは、そのよくこれに下ってその下流にいるからである。だからよく百谷の王たり得るのである。

この故に、若し人民に上にあろうとしたならば、必ず言をもってこれに下らねばならぬ。人民に先んじようとするならば、必ず自分の身を後にしなければならぬ。

この故に聖人は、上にいて人民がこれを重たがらず、前にいてこれを害としないのである。

だからこそ天下の人々悉くが、これを推すことを楽しんで厭わない。

その誰とも争うというということをしないからであるだから天下誰一人よくこれと争うことができないのである。』


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臨死体験の背景

2007-08-26 06:04:55 | 冥想アヴァンギャルド
◎見る人の感受性

臨死体験の最大の謎は、まず臨死体験者全員が永遠の光を見たり、神聖なる愛を感じたりするわけではないということである。全体の三分の一の人だけがそうした体験を語るにすぎない。

どうして三分の一かをきちんと説明できる理論は未だにないようだが、臨死体験をしがちな人は変性意識に陥り易いのではないかという仮説かある。変性意識といってもいろいろあるが、特に臨死体験では、肉体と分離して見ている自分が登場する。肉体と意識が分離することは心理学的には解離と呼ばれる。

解離は一般的には、PTSDの一種類で子供の時の虐待などで起こることが知られているが、ここでは肉体機能の低下により、肉体からアストラル体かメンタル体かが離脱することがあると見たい。

ケネス・リングの調査では、臨死体験者の二割程度がが幼少時の家庭ないに険悪な雰囲気があったとしているが、だからといって、その2割が心理的解離を経験したことがあるかどうかはわからない。心理的解離と、肉体から他の精細な身体が離脱することは、別の現象と考えるのが自然だろう。

このあたりは、全身麻酔をして見当識を失った人が、その間のことを覚えているかどうかという議論にもつながっていく。資料があれば調べてみたい。

人は、臨死状態にあれば、いわば無意識の状態にあるわけであるが、無意識を意識化する訓練の有無が、臨死体験をどの程度覚えているか=意識化という図式も考えられる。幼少時の虐待によれば、解離により、無意識の部分であるアストラル体意識を認識しやすかったり、冥想訓練により、そうした意識化に慣れていたりというところがあるのではないだろうか。

このあたりの意識化の部分は、その人の感受性の問題でもあり、三次元宇宙から四次元宇宙にわたる三次元のあらゆる宇宙や空間の流れを飛び越えて四次元に入るところを文字通り、そのとおり見ることのできる覚者もいれば、単に小川や三途の川としか感じられない人がいるような感じ方のばらつきがあることと似ているように思う。

どんな人にも一律で現象が起きているのだが、その感受性の開発のされ方により、臨死体験で起こることは、全く覚えていない人も含めて、様々な見え方をされるというのが真相に近いのではないだろうか。


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UFO・臨死体験・シャーマン

2007-08-25 06:55:05 | 究極というものの可能性
◎アストラル止まりでは・・・

よくあるUFOの体験談とは、こんな感じである。

1.夜寝ていると、ふと目が覚め、一人で外へ出た。
2.外にはUFOがあり、それに引き入れられてしまった。
3.UFOの中には、異星人みたいな見慣れない生き物がいて、私の身体に処置(分解したり、何か埋め込んだり、改造したり、部品交換したり)や検査を施す。
4.記憶が途切れ、気がついたら自分のベッドに帰還していた。

人類学者エリアーデは、シャーマンのイニシエーションでは、個人の死、普遍なるものとのコンタクト、個人の復活というワン・パターンにほぼはまることを指摘しているが、実はUFO体験もそれに似たところがある。個人の死は、UFO体験では眠りにあたり、普遍なるものは、異星人みたいなものに置き換わっている。個人の復活は、ベッドへの帰還ということになる。

コンタクトする相手が、異星人なるアストラル・レベルの生物であるか、更に普遍なるものであるかという相違はあるが、その体験が個人にとって、最初の見慣れぬ世界での見聞であるという驚きと新鮮さは双方の体験に共通している。

心理学者ケネス・リングは、臨死体験とUFOの比較を「オメガ・プロジェクト」で行っているが、臨死体験で起こることは、UFO体験よりもむしろシャーマンのイニシエーションに近いように思う。

というのは、まず臨死体験は、単純に霊界(アストラル・レベル)探訪と霊界からの帰還という場合もあるが、もっと本質的な神の七つの属性に直接触れる体験を神の愛を感じたり神の光を見るという形で体験するケースがある。このバリエーションの広がりはシャーマンのイニシエーションの広がりと同じである。

これに対してUFO体験は、その体験によるカタルシスのようなものがなく、「この体験をきっかけに、利他的な行動をとる傾向が強まった」というようなことはまずないので、どうも霊界探訪限定である。

というわけで、世間では高次の存在とコンタクトして気持ちよくなりましょうなどということをお勧めしている人がいるが、高次の存在が、アストラル・レベル(霊界)止まりであれば、その人にとって本質的な救済や変化は何も起こらないことが、UFO体験からも察せられる。

臨死体験やシャーマンのイニシエーションのように、本当に死なないと本物のイベントはやってこないのである。本当に死なないとアストラル(霊界)から飛び出すことはないと見える。


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夢窓疎石の評価

2007-08-24 06:07:09 | 丹田禅(冥想法8)
◎枝と葉の重み

自ら見性した花園上皇が、一日夢窓疎石と問答をすることがあった。

花園上皇はその問答の内容が、経典に書いてあるような内容(教綱)を出ることはなかったとして、「このような人物が禅門の長老になるようでは、禅宗はついには滅んでしまうだろう」とまでの低い評価を与えている。

ここは単純に花園上皇の師であった大燈国師と夢窓国師の力量を云々するだけでは真相がわからないように思う。

花園天皇と入れ代わりに天皇となったのが、後醍醐天皇であるが、夢窓はもともと鎌倉幕府に近かったのになぜか後醍醐天皇に非常に歓迎された。後醍醐天皇は、夢窓に南禅寺の住職を依頼し、南禅寺行幸でその禅僧の修行ぶりに感銘をうけ、荘田を下賜されたり、非常に手厚い待遇を与えた。

花園上皇は、後醍醐天皇により、自らの権力基盤を失ったのであるから、後醍醐天皇寄りの夢窓疎石への評価が低いのは、感情的にはやむを得ないところがあるのではないか。

大燈国師は、大悟した後は鴨川の河原で乞食を長くやった。後、大徳寺の住持となってからは、後進の育成に注力した。禅一筋のこわもて禅者の趣がある。

これに対し、夢窓国師は、孤独と放浪を愛し、どちらかというと人前で自らのことを披瀝するのが苦手なタイプだったのではないか。甲州、土佐、美濃と田舎住まいを続け、令名が高くなっても、ややもすると訪ねてきた知人すら会わずに断った。

しかしながら、夢窓国師は、禅に豊かな香りづけをすることによって、禅を豊かなものとし、その後の禅の命脈を長く太いものとした功績があるように思う。その香りづけとは、作庭であり、書画であり、茶であり、能であった。

庭は、京都では、天龍寺、臨川寺、そして西芳寺(苔寺)。美濃では、永保寺、鎌倉では、瑞泉寺(岩庭)。書画、茶、能は、夢窓国師自身の功ではなく、相国寺を舞台にした彼の弟子たちが育んでいったもの。

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夢窓疎石の悟りの背景

2007-08-23 06:02:29 | 丹田禅(冥想法8)
◎他宗派と組織宗教

34歳になって夢窓は、幼い頃修行した山梨県の平塩山寺(密教)の静達上人を訪問して、「貴殿は、年若くして、禅の一番深いところを極めた。しかし、密教の修行を中途でやめて禅に宗旨替えをしたのは大変惜しいことである。龍樹は顕教密教とも兼ね備えてなおかつ、教外別伝の祖であるから、貴殿が仮に密教を伝流しても、禅宗を害することはないだろう」と言われたが、夢窓はただうなづくばかりであったという。

後に夢窓は、弟子に、「密教者、禅者がお互いに罵りあっている今の時代は大変な時代である。たとえ龍樹が再来しても両方兼ね備えることはできないだろう。」述べた。

夢窓の時代以上に、今は他宗派が他宗派を執拗に排撃している時代である。双方とも組織宗教である限りは、自分の組織を守るために他の宗派組織を排撃するのは当然のことである。夢窓も修行のプロセスの中で、そうしたいやな目にも何回もあったのだろうと思う。

また夢窓の大悟のシーンは、結局寺という宗教組織の中ではなく、在家の一般人のアパートみたいなところを借りて禅に打ち込んで大悟したものであるから、結局鎌倉時代においてすら、組織宗教の弊害を避けないと、大悟できる環境になかったとも言える。寺を出て「出家」したようなものである。

他宗派との争いは無益である。また、組織宗教の牙城である禅寺の中にいてもなかなか納得できるまで坐る環境は得にくい。だから夢窓は一人で冥想した。

このブログでは臨済型の丹田禅もお勧めしているが、必ずしも寺に行く必要はないと思う。基本的な坐り方を知って、とにかく坐ることが大切だと思う。また寺に行ってもなかなか見性した人にお目にかかることも難しいのではないだろうか。ましてそうした人の指導を受けるチャンスもなかなかないのではあるまいか。


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夢窓疎石の大悟

2007-08-22 05:45:36 | 丹田禅(冥想法8)
◎暗闇で倒れる

大悟の直前は、アルバイトをして生活費を稼ぐなどということはなかなかできにくいものであるから、食事とトイレ意外の時間はほとんど冥想だけの生活になってしまうのだろう。また、そこまで坐るだけの状態にならないと何も起きないと思う。

夢窓疎石は、30歳になり、茨城県高萩市上君田小字内の草で坐り続けた。その2月、北茨城市の臼庭に、冥想できる庵を提供し、食事の世話をしてくれる親切な比佐居士という人がいたので、そこで坐ることにした。

5月末のある日、庭の前にある木の下で一日中坐って、夜更けに庵に帰った。
すると壁のないところを誤って壁と思い込み、身をもたれかけようとして倒れ、思わず苦笑した。そのときガランと世界が開けて大悟した。

その時の偈   
長い年月地面を掘って青空を求めることをしてきたが、その結果はゴミという煩悩がふえただけだった。
ある夜、暗闇の中で瓦のかけらを蹴飛ばしたことで、実体のない虚空の骨を撃砕してしまった。

夢窓は、10月に臼庭を出て、鎌倉に帰り、浄智寺に高峰顕日を尋ねたところ、立ちどころに悟ったことを見抜かれ、「古人は『山に深く入らなければ、浅い見地を脱することはできない』といっているが、おまえの様子は既に深く入っている。どうしてそのような境地になったのか。」と訊かれ、

夢窓は、「もとより浅い見地も深い見地もない。だから脱するも脱しないもない」と応酬して、その見解で大悟したことを認められた。


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夢窓疎石の高峰顕日との出会い

2007-08-21 05:57:16 | 丹田禅(冥想法8)
◎一山一寧との問答

夢窓疎石は、27歳の正月に那須の黒羽町の雲巌寺に留まって、翌月鎌倉の建長寺に戻る。

翌年夢窓は、一山一寧とともに円覚寺に移ったが、29歳のある日、今まで書物や言句を探し求めてたが、お経は、月を差す指、禅の祖師達の言句は瓦のようなものであると言われ、瓦ばかり見てきたが、馬鹿なことをしてきたものだと思い立ち、持っていた祖師の言行録をすべて竈に投げ入れて焼いてしまった。

その後、一山に
「自分の肝心のところがまだはっきりしないが、どうか教えてください」と問うと
一山は、「我が宗派には、語句もなく、人に与える一法などというものもない」
夢窓「なんとか方便でもいいですからお慈悲で答えて下さい」
一山「方便もなく、慈悲もない」
ととりつくしまもない。

この問答を持って、万寿寺の高峰顕日に訊くと高峰は、
「円覚寺の一山和尚が言うところをあなたが代わりに言ってみなさい」
夢窓「我が宗派には、語句もなく、人に与える一法などというものもない」
すると高峰は、声を荒らげて、「その時、どうして一山に、「和尚、無駄なやりとりが多すぎると言ってやらなかったのだ」」

この時夢窓は、悟るところがあったが、まだ納得できないことがあり、岩手県前沢町白鳥で坐り、後常陸に向かった。
(参考:夢窓国師の風光/春秋社)

禅問答とは大体このような木で鼻をくくるような、どうしようもないニヒルな味わいを持つものだ。それを繰り返して不条理の淵に追い込んでいく手管である。


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夢窓疎石と一山一寧

2007-08-20 04:49:39 | 丹田禅(冥想法8)
◎言葉の壁

禅に進むことを決意して、師匠を求めて、夢窓もいろいろな師匠に参じてみた。
京都建仁寺・無隠円範、鎌倉東勝寺・無及徳詮、建長寺・葦航道然、円覚寺・桃渓徳悟、建長寺・癡鈍空性と歴訪し、25歳からは、鎌倉にいた建長寺の一山一寧のもとで延べ三年参じている。

一山一寧は、もともと元の使者であり、元の二度の武力進攻が成功しなかったことを受け、日本に平和裏に通商を求める役割を担ってやってきた(元の国書では無条件降伏を求めてはいない)。一山一寧は中国の名刹補陀山のトップの僧であり、急遽、元の正使に仕立てられてやってきた。

一山一寧は一時修善寺に幽閉されたが、許されて鎌倉建長寺に入ると国内の修行者が殺到したので、偈頌のテストを行い、参禅希望者を選抜して上中下に分けた。夢窓は、上科二名の合格者中の一人であった。

夢窓は、一山一寧のもとで三年参じたが、徹底することができなかった。結局言葉が通じないことから、問答で子細に突き詰めることができないためと感じ、そのもとを去り、高峰顕日の許へ向かった。
(参考:夢窓国師の風光/春秋社、中世の日中交流と禅宗/吉川弘文館)


ラップが英語でないと今ひとつ雰囲気が出ないように、当時の禅寺では、来日僧を中心として中国語がテクニカル・ターム(禅用語)としてバンバン通用していたようで、中国へ行ったことのない春屋妙葩(相国寺の二代目。夢窓疎石の直弟子)ですら、中国人の僧と中国語での質疑ができたといわれる。

しかし本当に切羽つまったところでは、言葉の壁というものがひっかかることもあるのであろう。夢窓国師は、それを問題と感じ、一山一寧の許を去った。でも恵果と空海、達磨と慧可は、明らかにネイティブ・スピーカー同士ではないのに本当のところを通じあっている。


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夢窓疎石が禅に向かう

2007-08-19 09:08:55 | 丹田禅(冥想法8)
◎残酷な出来事との出会

夢窓疎石は、最初真言密教を学んでいたのであるが、18歳で東大寺で受戒。19歳の時に、学んでいた天台の講師が病となり、非常に取り乱した有り様で死んでしまったのを目の当たりにした。

そこで夢窓は、亡くなった講師の博学は、臨終にあたって一文字も役に立たなかったと見て取った。そこで、今までの学問が何もならなかったのではないかと疑いを持ったのであろう、夢窓は、百日の懺法(罪過を懺悔するために修する法)に入った。

満行まであと三日となった夜に夢を見た。夢の中で、夢窓は人に導かれ、唐代の禅僧、疎山と石頭に相見することができた。その人が、その寺の長老に言うには、「この僧はわざわざここにやってきて聖なる像を求めているので、できれば聖像をあげてやって下さい」。

そこで長老が夢窓に軸を手渡し、その軸を広げてみると達磨の半身の像であった。この夢によって、夢窓は、教外別伝の禅に一生を懸けることを決意した。

夢窓も4歳で伊勢から甲斐に移住して、まもなく母と死別したと言われ、そのPTSDを抱えたままの発心だったのではあるまいか。一生懸命教学の習得に邁進していた矢先の講師の非業の死と、夢窓を追い込む不条理劇のあら筋はきちんと仕上がっていた。


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念持仏の行く末

2007-08-18 07:56:16 | 時代のおわり
◎今は自分の心に念持仏

仏教は偶像崇拝ではないけれど、受戒以後常に身近において、いつも帰依礼拝する仏像がある。大体は小ぶりなものであるが、巡礼がいつも身につけて移動できるように、携帯電話程度の大きさのものまである。これを念持仏とよぶ。

人が亡くなった時には数々の遺品があるものだが、その中でも念持仏は、故人の最も深い思いがこもったものとして、格別のものであり、本来はなかなか遺族や菩提寺から外部に出るはずがない物であるように思う。念持仏はプライバシーそのものだからである。

ところが、調べてみると、世の中には、有名人の念持仏が結構公開されていて、聖徳太子の(石山寺の如意輪観音)や、空海のそれ(教王護国寺の不動明王)、足利尊氏の(尾道の浄土寺)、安倍晴明の(真如堂の不動明王)など、いくらでも出てくる。

さて京都泉涌寺には、歴代天皇・皇后、皇族方の念持仏が安置されているのであるが、もともとはそのかなりのものが京都御所内にあったものを、維新の時の廃仏毀釈により、泉涌寺に移したもの。ここには、皇族方の最も深い信仰心の拠り所であるものがまとめておかれてあるのであるから、累代の霊を供養する場所としては、ここが第一である。

しかし天皇の泉涌寺へのご参詣は、明治元年の廃仏毀釈開始以来、明治10年(御陵への参詣は明治五年=泉涌寺史)までなかったそうなので、さすがに皇室関係者もそれまで仏教で行ってきた先祖供養を全く行わないのもまずいという判断が働いたのだろうか。

当時、盆暮れ正月も含めて、そこまで先祖供養をほっておけるラディカルな判断が出るほど、廃仏毀釈とは日本の歴史において異質なイベントであったように感じる。


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花園天皇の大悟

2007-08-17 08:10:31 | 丹田禅(冥想法8)
◎ハイソサエティの人の修行は難しい

花園天皇は、建武の中興直前の天皇。非常な読書家であり、儒仏に詳しかった。乱倫が当たり前の当時の公家社会にあって、珍しく求道心の強い天皇であった。

天皇在位は、14歳から36歳の1332年まで。翌々年には、建武の新政が起こり、花園天皇の持明院統は、失権することになり、花園天皇にとっては、失意の時期が始まった頃である。

1335年、宗峰妙超は、花園天皇と禅問答をした。
宗峰妙超「何億年も別れていても一瞬も離れない。一日中顔を突き合わせていても、一刹那も会っていない。そういう原理をご存じですか。」

花園上皇「昨日の夜中に、寺の丸柱が、(そのことを)和尚に向かって言い終わっています。

この二十年貴僧は、辛苦されてきたが、この春を迎えても何ら変わることはない。(ところが)私の方は、贅沢な服装や食事があっと言う間になくなってしまいました。

大地が未だかつて塵一つなかったのと同様に、私にも塵ひとつございません。」

宗峰妙超「上皇が大悟されたことが、わかりました。」と印可(悟ったことを証明)した。

宗峰妙超は、上皇だからといって、みだりに印可することはない。ここは上皇の若年からの求道が、ご退位などをきっかけに結実したと見たい。社会的に地位が高ければ高いほど修行が徹底することは難しいものであるが、素晴らしいことであると思う。
(花園上皇大燈国師御問答書/大徳寺/重文)


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