アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

無為の体験を経た言葉

2007-05-31 05:51:44 | 老子
◎老子第81章 信言不美

『信(まこと)のある言葉には、飾りがない。飾りのある言葉には、信(まこと)がない。

善い人は言い訳をしない。言い訳を言う人は善い人ではない。知者は博かろうとしない。広く覚えている人は、かえって知者でない。

聖人は何ものも蓄積しない。人のため、ありったけを携えていくが、しかもそれでいよいよ富んでゆく。

天の道は、すべてものを利して、害することがなく、聖人の道は為して、しかも争うということがない。』

無為の体験という「体験を超えた体験」は、言葉による表現はできない。だから言わないのであり、言う者はその体験が無い者である。

無為の体験を経た人の言葉だけが、信(まこと)のある言葉である。

今の時代は、自分を守るための言い訳をしなければダメとされる時代であり、言い訳をしない「善い人」を造らない時代である。

争うことがないとは何か。自分という個人も世界の森羅万象もまた自分である実感があって初めて争うということが発生しないのである。争わない(不争)とは、意図的に他のものと争わないのではなく、自然に争うことがないという消息はこのあたりにある。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

日本の戦争と世界の大局

2007-05-30 05:46:06 | 時代のおわり
◎立替

出口王仁三郎には、わけのわからない予言がいくつかある。半分くらいわかったときは実現が近いのだろう。

1.日本の戦争

○日本の立替と戦争
『北海道は○○やなあ。東北地方は半ば占領される。戦争で日本の立替はあらかた済むのやな。』
(出口王仁三郎玉言集新月の光/木庭次守編/八幡書店、以下の『』内は引用であり、同じ出典)

『○空襲の夢
京都に敵が来るときは千機ほど来る。二時間で焼ける。亀岡は一緒にやられる。(後略)』
(感想:第二次世界大戦の京都空襲では、せいぜい10機程度の来襲なので、これはそのことではないらしい。)

『○梅干
今度は京都の番だ。八、九月になったら大変になる。酸素がなくなる。それで王仁が梅干の用意をしておけと言ったのである。体中にぬっておくとよいのである(昭和二十年三月十八日)
(感想:火の雨が降るようなことになれば酸素は足りなくなる。そのことか。)

『○別府
別府は最後になる。○が戦勝の祝賀会を開くために残しているのである。その時にこの世の終りが来るのである。この世の別れである。』

2.大局
『○風水火
今度来るのは風水火だ。もう戦争はない。小競り合いくらいだ。』
(感想:日本の戦争は、最初に起こるが、全世界的には、小競り合い程度の小規模なものだということか)

『○始まりたら早いぞよ
こんど○○が始まったら半年しかかからぬ。』

『○最後の時
最後には天から火が降る。ここ(大本農園)で十石の粥を炊かねばならぬようになる。』

大難を小難に、と願う気持ちは人としてごく当たり前な気持ちであるが、本当に人として当たり前の気持ちを持てるように、各人が日々の冥想を。

立替とは世界のことではなく、自分の立替。各人が我が事として、冥想により自分の立替を。


    1日1善。1日1クリ。

コメント (2)

しわが消える

2007-05-29 05:47:51 | 時代のおわり
◎スキンケアと内面

女性でも30代に近くなると目尻に烏の足跡が気になるようになるものだ。また農業を長くやっている人は顔面に深く太いしわが刻み込まれていて、まれに街でそんな人に出会うと珍しくて驚いたりするものだ。

これが北京や上海などでは、むしろ顔面に深いしわが刻まれている人が多いこと、多いこと。よく観察してみると、中国人女性の顔が20代の上は、30代だろうが40代だろうが、いきなり日焼けしてしわの深い50代の面貌ぐらいに変わってしまっていることに気づいて、ぎょっとするものだ。

つまり農業を営む女性の肌の老化はかなり早く進行するようで、同じ30代の女性であれば、おおむね日本女性の顔は、中国人女性の顔よりずっと若いのである。

皮膚の老化原因の90%までは、皮膚が長期間日光にさらされた結果起きるもので、これは、太股の皮膚の滑らかさと手のように平素から日光を浴びる部分の皮膚を比べれば一目瞭然である。

このメカニズムは、日光の紫外線が、皮膚の基底層の遺伝子を損傷して、2~4週間後に遺伝子が損傷した皮膚細胞が、表皮に到達するもの。

こうした皮膚が若返るとすれば、それは遺伝子の損傷を修復したためだと科学者は推論し、皮膚の若返り効果があるものとして、以下のようなものがある。

1.トレティノイン:レチンA(にきび治療やスキンケアで用いられる)に含まれる物質。アメリカで大規模な臨床実験がされたそうだ。
2.アルファ・ヒドロキシ酸:果実やサトウキビに含まれているもの。
3.ビタミンC
4.ビダミンE
(参考:不老のサイエンス/第三書館)

フランス宮廷の貴婦人たちは、果実の酸を含む年代物のワインで顔を洗っていたそうで、生活の智恵はどの国でもあるものである。

昔は男は40過ぎたら自分の顔責任を持てなどと言われたが、最近は言わない。自分の顔にも責任を持てない無責任男が限りなく増えたのだろう。
皮膚は、若返っても内面は顔ににじみ出てくるもの。

    1日1善。1日1クリ。

コメント

食事制限で寿命を延ばす

2007-05-28 05:41:44 | 道教
◎代謝を落とす

法律の管理、職場や学校での細かい規則による管理、駅や道路での監視カメラによる管理など高度な行動管理が行き渡ったこの時代において、人間心理の主な戦いの相手はあらゆるストレスであるといっても過言ではあるまい。

こうしたストレスが人間の免疫力を弱体化し、寿命を縮めている中で、食事の量の制限をもって寿命を延ばそうという発想は、人が楽しく愉快に生きるという最も大切な側面を無視して、辛く厳しい厳しい人生だが、寿命を延ばしてその辛く厳しい地獄の時間を長くしようというものであるから、そもそもイカレタ発想であると評せざるをえない。

さてその発想だが、老化に関する説のひとつで、生活代謝率説というのがある。これは、生物は、一生で代謝する一定量のエネルギー量を持っており、代謝を繰り返すことでエネルギーを使い段々老いていく。そして一定の量の代謝をしたところでエネルギーは尽きて
寿命となるという考え方である。

運動もせずにエサを食べ放題のマウスと、その七割のエサのマウスを比べるとエサの少ないマウスの方が長生きだったそうだ。

また代謝とは、呼吸と心拍に比例すると見て、寿命100年の象と寿命数年のネズミの呼吸と心拍を比較してみたらほぼ同じだったそうだ。
  
これにより、魚類の飼育温度を下げて代謝をゆっくりにさせれば寿命は伸び、イエバエの運動量を下げて代謝を少なくさせると寿命は延びるという。

以上により、代謝を下げて寿命を延ばす方法としては、『
1.体温を下げることで代謝のスピードを遅らせる。
2.代謝率を下げるようなホルモンを投与する。
3.栄養制限をして活動を鈍くする。』
(不老と不死の最先端科学/三井洋司/青春出版社)

辟穀という穀物断ちは道家の食事制限であるが、図らずもエサを減らすことになっている。また仙人の棲むという深山では気温は低地よりも低く、比較的低体温なのではないだろうか。これにより寿命数百歳の仙人は、生活代謝率説を踏まえた生活習慣となっているらしいのは偶然ではないだろう。

ただし仙人は、深山幽谷に起居し、我々のように日夜他人の目による行動管理にさらされているわけではないのが大きく異なる。我々が寿命を延ばすためだけに生きているわけではないように、仙人の長寿も別に目的があるとみるべきだろう。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

貞節とロマンチシズム-2

2007-05-27 07:20:59 | 冥想アヴァンギャルド
◎女性が一人で生きる

上海市松江の非常な美女である喬氏は、鄒生の妻だった。阿九という一子を得て,中流の幸福な新婚生活を送っていたが、結婚して一年後に夫の鄒生は亡くなってしまった。

時に太平天国軍が松江を攻略しようと迫っているある晩、夢枕に亡くなった夫がやってきて、「たとえ貞節を失っても、当家の存続のために子供の阿九を失わないでくれ」と頼んできた。

また別の晩に夫が同じく亡くなった舅、姑とやってきて、今度は「阿九を守るのは勿論だが、貞節も守るべきである」と言ってきた。

さてその後、美人の喬氏は攻め寄せてきた太平天国軍に捕らえられたが、阿九を殺さないことを条件に、太平天国の幹部の一人の妾になった。

しばらくして太平天国からの脱出を手引きする者がいて、喬氏は揚州へと脱出したが、その手引きは、実は喬氏を騙して売春宿に売り渡すものだった。売春宿でも喬氏は「子供の阿九を育てることを認めないと私はここで死ぬ」とがんばって阿九を育てることを認めてもらい、阿九を塾に通わせるようにした。

太平天国の乱が平定された頃、喬氏は、自分が貯めた金で自分を身請けし、阿九を連れて松江の兄弟のところで暮らし始めた。

やがて阿九が成人し、結婚すると、祖先の祭壇の前で、「ご命令のとおり阿九を一人前に育てることができたけれど、娼婦に身を落とし、貞節を全うすることはできませんでした。これではこの世での面目が立ちません。」といって、自殺してしまった。

このエピソードは儒者から見れば、まことに見事な烈女であるけれど、人として見れば、一身を犠牲にしてわが子を一人前に育てあげた立派な女性である。

更に清代末期の社会通念として貞節を全うするという大命題があったために、娼婦であった過去を、一死をもって清算するという挙に出て、その貞節を全うしたものである。

夫の遺児を育てあげることが彼女の幸福のよりどころであったのだと思う。また迷わずわが命を断ってみせたところに、貞節を全うできなかった悔恨と不条理の葛藤の大きさが有る。

またこのエピソードでは夢枕に立った夫の命令が重いとされているが、本当のところは、死別した夫との楽しい愛の語らいの思い出が、彼女を支えていた最大のポイントではなかったのだろうか。亡き夫の願いだけでは、彼女の一生を支えられはしまい。

最近の女性ならば、生涯賃金の水準を考えて、わが子を一人前に育て上げることができそうもないと踏めば、非婚、独身の道を選ぶ人も少なくないだろう。その場合も何のために生きるのか、何が真の幸福なのかが問題となる。

だからといって、「自分勝手で気まぐれな自分の欲望を満足させることが真の幸福である」とは信じきれない人が多いのではないだろうか。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

貞節とロマンチシズム-1

2007-05-26 06:06:19 | 冥想アヴァンギャルド
◎女性心理の理想主義的なところ

女性の殉死は半ば以上は強制されたものであるから、自発的な本人の意志は影響しないので、本人の信念や価値観が影響するところは少ない。

さて中国は、唐の時代には、女性の再婚を禁止する法令はまだなく、女性に対して貞節を守れという風潮もなく、男女のおつきあいは、かなり開放的な時代であった。

ところが宋、明、清と時代が下るにつれて、封建制のたががゆるんでいくのと並行して、女性の貞節を厳格に守らせようという政府の施策が広く行われた。

その貞節死守政策の理論的根拠としては儒教が用いられ、大儒者の程頤の如きは、不倫や寡婦が再婚するようなことは、重大な過ちであり、貧乏して飢え死にしたほうがましだという理不尽な主張を堂々としていたほどである。

明代の萊州人の妻であった蘇さんは、二十一歳の時に夫に死に別れ、夫の財産は夫の弟や甥にすべて分け与えて自分は一銭も受け取らなかった。更に子供がいなかったにもかかわらず69年の長きにわたり独身を通し、節を守って、貧困の内に亡くなった。

このエピソードでは、生前の夫の思い出の中に、69年間、貧困の内に節を守るモチベーションがあったと見るのが素直だと思う。男性ではここまでの根気と忍従と、そしてその美しい思い出を一生護持していくロマンチシズムは持ち得ないのではないか。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

女性の殉死

2007-05-25 06:02:52 | 冥想アヴァンギャルド
◎それでも幸せ?

明の成祖永楽帝が亡くなったその日、永楽帝と親密であった三十人あまりの宮女が庭園で豪華な昼食にあずかった。

昼食が終わると皆殿堂に案内された。殿堂には、木製の小さな寝台がずらりとならんでおり、それを見た宮女の泣く声に殿堂全体が震えたという。

宮女を寝台に立たせると、梁につながっている縄を首にかけて、役人が寝台を取り除いて縊死させたのである。

周の幽王の墓では百体以上の遺体が発見されているが、一体以外はすべて女性。

危篤の床にあった唐の武宗が、寵愛する王才人に、わしが死んだらお前はどうすると訊くと、王才人は「殿とともに九泉に参ります。」と答えたところ、すぐに首吊り用の布を与えられたので、自ら首を吊って死んだ。王才人は、後にその節操を讃えられたそうな。

これらは、人に厳しい中国の、それも最も苛酷な宮廷のエピソードであるが、人の幸福ということを考えるにあたってこのシチュエーションも避けては通れないテーマである。それでしあわせだったのですか?

当代の人間の真に求めているものを考える時にどうしても、女性の生き方の本質について考え込んでしまう。要するに女性は何をもって真に満足、納得するのかということである。こういうシチュエーションでも幸せだったといえる生き方はあるのだろうか。女性的自我の充足とは何だろうか。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

我が生活に満足する

2007-05-24 05:43:58 | 老子
◎老子第80章 小国寡民

『天下が真に道を得たときには、人口の寡(すくない)い国の場合を除き、そこでは所謂10人頭百人頭のような才能智慮のあるものがあってもそれを用いさせない。

人民をして生活を楽しませ、死ぬということを重大であると考えさせて、遠国へ活かせるようなことがない。

船や車があっても、わざわざこれに乗らねばならぬようなことがなく、武器があってもこれを使わねばならないようなことがない。

人民は縄を結んで備忘として用いるような太古の純朴に復(か)えり、それぞれ自分の食べ物をおいしいとし、その服を美しいとし、その棲む家を安しとし、その成俗を楽しみ、隣国相望んで鶏や犬の鳴き声が聞こえあうほどであっても、人民達は、老人になって死ぬまで、自分たちの生活に満足して相往来することがない。』

小国寡民のビジョンとは、文明の発展と人間の幸福は別物(文明が発展したからと言って、必ずしも幸福ではないこと)であることは言うまでもないが、また人間にふさわしい社会形態が、農業であることを示唆している。

近代西欧型の商工業文明の基盤は、人・モノ・金の迅速大量な移動であるが、この章のようにこの移動のない社会では商工業は存立し得ず、自ずと農業が想定されていたことがわかる。

この背景としては、現代と比較して、人口の大幅な減少があるに相違ないとにらんでいる。人口が増加し、その地域共同体に収容しきれないほどの人口に達したときに初めて、共同体間の移動を簡便ならしめる交通手段の発達が促されるのであって、もともと共同体で養うキャパシティの上限よりはるかに少ないの人口の場合では、他の地域と頻繁に往来するニーズはさほど高くないのではないだろうか。

このため、小国寡民の想定する人口は、現代の世界の人口規模より相当に少ないと考えられる。小国寡民は、おそらくは次の時代の地域共同体のビジョンであるが、それに至るまでには、人口激減という大峠の通過が想定されていると理解せざるをえない。

このコミュニティでは、死ぬということを重大であると考えさせるとあるが、これは、すべての成員が死に対する考え方を、キュブラー・ロス並みの正面から受け止めるのが第一。

そうするためには、学校や社会において、クンダリーニ・ヨーガで死の世界を熟知した、死の世界についての教育者による冥想教育というものがあって、はじめて、社会全体が死について当たり前に重大なものであるとする通念が育つのではいだろうか。

こうした死のとらえ方がなければ、人は小国寡民に満足することはなかろう。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

長空桟

2007-05-23 03:46:55 | 道教
◎華山の空のかけはし

中国五岳のうちでも最も登山致死率が高い山?それが、陝西省の西安の先にある山、華山である。
華山のうち西嶽は特に峻険なことで有名である。

その西嶽には、岩壁にほぼ垂直に打ち込まれた鉄の杭の上に板が渡してあるだけの「長空桟」が頂上付近にある。「長空桟」上で、人が上り・下りですれ違うことは容易ではない。

誰言うともなく、華山には毎年人が死ぬ場所があるというが、それはここのことらしい。
三国志で蜀軍が渡った桟道もこのようなものだったか、という感傷にひたる暇もあらばこそ、すくむ両足を何とか前に進めて長空桟を渡り切れば、そこには、洞窟がひとつあるだけ。それを確かめたら、おもむろに、もと来た長空桟を引き返すことになる。

このように披露困憊、恐怖に震えながら、大変な思いをして華山に登る人もあれば、冥想修行のためにここを目指す人もいる。

この洞窟は、元代の道士、賀志真(元希)が修行したところなので、賀老洞と呼ばれる。彼にはここで冥想修行しなければならない因縁があり、この洞窟のパワーがマッチしていたのだろう。

チベット密教僧も修行のできる洞窟を求めて遊行するケースがままあるが、岩山の洞窟での道士の修行も同様の背景があるものではないだろうか。

師が亡くなれば、地を巡るということがあるのだろう。


    1日1善。1日1クリ。

長空桟

コメント

扶鸞

2007-05-22 05:34:40 | 冥想アヴァンギャルド
◎中国の自動書記

扶鸞は、神を降ろしてお筆先を得るもの。中国のシャーマニズム。

『まず鸞堂のシステムは、(ここの人を鸞生という)堂主がすべてを統括し、副堂主はこれを補佐する。正鸞は、主役者で、天の使者とされ、手に鸞筆(乩筆)をもち、神がのりうつるとその鸞筆は自然に動き、砂をまいた盤(沙盤)のうえを、たたくように、またなでるように音をたて、手早く字のようなものを書く。

するとそばの一人がこの様子からその字を判読(判読生)して人間の言葉に直し、更にそれを記録生が記録する。

時々意味の通じないときは、「今、何といったのか?」と逆に質問したりして、記録してゆく。この判読、記録を、のちに校正生が鸞文の文字の間違いを正し、一個の文章としてゆく。それゆえこれらの人々は経験があり、知識が豊富でなくてはならない。』
(道教と不老長寿の医学/吉元昭治/平河出版社)

日本にも武内宿称が審神者となり、神功皇后が新羅征伐の前に神託を乞うた故事が有るが、中国の扶鸞(フーチー)でも、堂主という審神者のようなものを立てる。

砂に書かれた文字のようなものを判読するとあるが、大本神諭なども、もともと全然判読できなかったものを出口王仁三郎が判読して書物として出したものと読んだことがある。

このことから、神意の解釈に対する比重としては、神を降ろすことよりも、審神者、判読者の力量のほうが大きいことが了知される。

人は大きな不安がある時や重大な決断を迫られる時は、神意を問いたいと真剣に思うことがあるものだ。そこで伝統的に筮竹や天津金木や鸞筆で神意をうかがってきたものだ。

しかし今は、神意を筮竹や天津金木や鸞筆のようなもので問う時代ではない、肉体そのものに神意を知ることができる機能が備わっていると言われる。

そもそも神へのアプローチの仕方は、古来から2種あり、ひとつは自分がシャーマンとなって神を乗り移らさせて、神の言葉を語るタイプ。もうひとつは、自分が神であることを確認するタイプである。

どちらが現代風かといえば後者であるが、「肉体そのものに神意を知ることができる機能が備わっている」とは、冥想により、自分が神であることを自ら確認すべき時代であることを暗に指しているように思う。

もはや他人が語る神言、霊言に惑わされることなく、自分でチェキット。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

朝鮮と道教-2

2007-05-21 05:42:58 | 道教
◎新羅四郎

新羅には、四郎と呼ばれる仙人がいた。四郎とは、四仙とも呼ばれ、永郎、述郎、南郎、安詳がそれである。

永郎以外は行跡不明であるが、永郎は、向弥山人として知られ、90歳になっても赤ん坊のような顔色であり、鷺羽の冠をかぶり、鉄竹の杖をついて、湖山を逍遥したという。

さて檀君神話は、天帝であるところの桓因の庶子である桓雄が、太伯山の山頂に三千の衆徒を率いて降臨したというものであるが、これがそもそも檀君神話に山岳信仰の色彩がうかがえる原因となっている。

そしてまた四郎の仙道というものは、桓因から来る流れであるという説明がなされてきた。

四郎の湖山逍遥とは、朝鮮国内のパワースポットを求めて、道教の冥想家である彼らが練丹したものであろうと思われるが、それが、インド・真言系のクンダリーニ覚醒だったのか、呂洞賓流の大周天から還虚のタイプだったのかは記録が残っていない。

この新羅四郎は、花郎のもととなったとも言われるけれど、もともと花郎についての記録は多くはなく、花郎の性格を特定できるほどではないようだが、なぜか韓国では、第二次世界大戦の後、花郎讃美が大々的に行われ、花郎は朝鮮の古来の優秀な軍事組織だったという説が定着しているそうだ。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

朝鮮と道教-1

2007-05-20 09:02:24 | 道教
◎金可紀

今では,日航や全日空が競って中国直行便を出しているので、中国文化はダイレクトに日本に流入されてくる(チャンツィイの映画とか)。しかし、遣唐使や遣隋使や長崎出島などの例外的直行便を除けば、中国文化は朝鮮を経由して入るのが大勢だったに相違ない。

朝鮮に道教が入ったのは、三国遺事によれば、7世紀に高句麗の人達が争って五斗米道を信奉したという風聞を耳にした中国唐の高祖が624年に、高句麗の人達に道士とともに天尊像を送ってやり、道士に道徳教を講義させたのが最初のようである。

朝鮮でも、道教の扱いは全般に低調ではあるが、新羅、高句麗、李氏朝鮮などいくつかの王朝の中で、最も道教の影響を強く受けているのは新羅である。

さて9世紀、新羅の金可紀、崔承祐、僧慈恵は、中国に留学し、金可紀、崔承祐は中国の官吏登用試験である進士に及第し、中国に官途につくことになった。

一日、金可紀、崔承祐は、西安(長安)郊外の終南山の広法寺にに遊び、僧慈恵の紹介で天師(道教のマスター)の申元之の知遇を得て、しばしば申のもとを訪問するようになっていた。

ある日、三人揃って申元之のところに行ってみると、たまたま道教のグレイト・マスター鍾離権が居合わせており、道書の講義と口訣の伝授をこの三人にしてくれるように頼み込んだ。鍾離権は呂洞賓にも道を伝授したとされる人物で、年齢は五百歳はいっているはず。

そして三人は、鍾離権の下で練丹修行すること3年。ついに丹を成した。

金可紀は、その後一旦新羅に帰国したが、858年2月25日、多くの観衆が見守る中、昇天(アセンション)したという。

金可紀は当時最新の練丹テクノロジーを朝鮮に招来したことから、朝鮮の本格的内丹は彼を嚆矢(初め)としてよいのではないだろうか。


    1日1善。1日1クリ。

ソウル南大門

コメント

島田明徳-4

2007-05-19 06:23:36 | 道教
◎カリキュラムとできる環境

島田さんが4年間陳驢春老師について学んだカリキュラムはこのようなもの。

1.放鬆訓練(リラックス訓練)
  スワイショウという胴をねじりながら手足を左右に振る運動。

2.導引訓練
八段錦などの気功法、気感訓練など。八段錦は、呼吸と体操を一緒にした八種の気功型。気感訓練はどのようなもかわからないが、気の調整のようだ。

3.服気法
気を体内に取り入れる呼吸法。

4.練丹行(集中行)
以上1~3で心身の調子を整えると、漸く心を内部にのひとつの対象に集中できるようになるという。
ここでは気を丹田など一カ所に集中することを練丹行と呼んでいる。

5.小周天
練丹で下丹田に集中させた気を背骨に沿って上昇させ、身体全面の正中線(臍を通るライン)を下降させてくる技法。エーテル体レベルの技だろうと思う。

6.全身周天法
小周天で還流する気を更に全身に巡らせるもの。これにより、体内の気と大気の気が感応し始めるという。

9.精宮瞑想(集中、瞑想、座忘行)
練丹の集中行では意図的に集中をしているが、意図的に集中が行われなくなったときの状態を瞑想と呼ぶ、この瞑想へ進む状態を、島田さんは精宮瞑想と呼ぶ。

10.大周天
大周天は技法ではなく、ひとつの境地であり、体内の気が根源の気とつながった状態であるとする。
(参考:気の輝きに包まれて/島田明徳/金花舎)

このようにリラックス体操からファッション的冥想へ進み、最後は気が根源につながった状態となるという体系的な修行カリキュラムとなっていることがよくわかる。

世間の気功や呼吸法や簡単瞑想の類は、この内の初心の部分を並べているものが多く、やる気のある人ほど、ある段階になれば物足りなくなり、本物の師を求めることになる。

また、このカリキュラムにのっとり毎日6~8時間修練したということなので、通常の社会生活を送る人にはできることではない。真剣な求道の志を持っている人で、これだけの時間打ち込める環境のある人だけが、この修練を継続できるだろう、というのもまた事実であることを忘れてはいけないだろう。


    1日1善。1日1クリ。

コメント (7)

島田明徳-3

2007-05-18 05:57:56 | 道教
◎大悟

二度の小悟を経て、本当の自分に出会いたい一心で、邪魔だてをしている自分を殺してしまおうと思い立ち、島田さんは、包丁を片手に持って、包丁の峰(背)で、首を切りつける擬似自殺を二度やった。

そして三回目。別の日に、首を切りつけた。
『このとき、一瞬何がなんだかわからなくなりました。目の前が真っ暗になって・・・・、自分の意識というものが全く感じられないのです。(感じられないと書いてあるのは、あくまで思い出してのことです。)どのくらいの時間だかわかりませんが、私にはかなり長い時間のように感じられました。私という普段自覚している自分の意識がまったく感じられないのです。しかしある状態だけはハッキリと存在しています。

「自分(こいつの意識)がなくても・・・・・・がある」というように。

この状態がどのような意味をもつか、このときはまだ認識できませんでした。このような状態に、どれほどの時間とどまっていたのかはわかりませんが、その状態から通常の意識に戻ったあと、とにかく意識が高揚していて、すごいことが自分に起こったという感じがあるのです。そんな興奮状態の真っ只中にあるのです。』
(気の輝きに包まれて/島田明徳/金花舎から引用)

この状態では見ている自分はないが、有るという状態は感じられているという。そして山も空も川もすべて自分の意識として実感できるようになったという。

まず定か三昧かということでいえば、ラーマクリシュナばりのダイナミックな神的イメージが展開しているわけではないので、まだ有相三昧ではない。しかし虚無に直面した後のことであるから、無想定ではない。

それではこのポジションは何にあたるかといえば、冥想十字マップで無想定と有相三昧の中間に位置付けられている「愛」つまりポイント・ゼロではないかと思えるのである。

これは神を見たことであり、禅で言えば見性にあたる。十牛図でいえば第三図見牛にあたるのではないかと思う。

この様子を訊いた島田さんの師匠である陳驢春老師が、「これでやっと君も修行ができるな」とおっしゃったのは、見牛レベルであれば、もっともなことのように思う。

ゲーム世代の人達は、「なんだレベル3かよ」と思う人もいるかもしれませんが、神を見たことのある師匠(マスター)を、宗教界も含め世間で探すのは容易なことではありません。

自分の見聞きしている範囲で、存命の人で、この人はレベル3以上(見牛)の人であると思えるのは数人しかいません。それほどに、この体験を有する人は稀有なことであると考えています。

しかしながら、こうした稀有な体験を、続々とスーパーのレジのおばさんとかが普通にするようにならないと日本の明日はないんだろうな、とも思います。


    1日1善。1日1クリ。

コメント

権利を所持しても使わない

2007-05-17 05:48:12 | 老子
◎老子第79章 和大怨

『大きな怨みというものは、たとえ和してもなおどこかに怨みの残るものである。

どうしてそれだけで善しとされるだろうか。だから聖人は、たとえ人を責める権利を所持しても決してそれを使わないのである。

有徳の者は、このように権利を所持しても使わないが、無徳者は必ず権利を実行し、ものを明白にし、怨みをのこす。

天の道には勿論,親疎の私はない。けれどもいつでも善人に味方するものである。』

日本は太平洋戦争において広島、長崎で原爆による大量殺戮を許すなど米英に敗北し、大きな怨みを残した。だから日米同盟などと言っても、どこかに大きな怨みを残していることが有るのだと思う。

日本は、米国にその怨みを報いる民族的権利を所持しているのだが、それを使おうとしていないのは、とりあえず有徳者の態度といえるだろう。

道は、森羅万象すべてを包摂するのであるが、詮ずるところ善人に味方するのであって、無為則ち善であることが基本である。

「大人物は、善悪取り混ぜて、清濁併せ呑むものだ」などは俗説であり、人間の神に近いことの指標となるものではない。


    1日1善。1日1クリ。

コメント