アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

満州と日本

2007-04-30 07:18:33 | 時代のおわり
◎類似した言葉、建築、習俗

歴史学者内藤湖南によると、満州と日本には似ているところが多々ある。

1.家の建て方
居間は土やレンガで造っているが、元来は木造であり、屋根の上に千木が載っていて、木の組み方は神社と似ているところがある。

2.門の造り方
満州のド田舎に行けば、門が日本の鳥居と同じ形のものがままある。

3.言葉
満州語にも、てにをはがあり、文法的にも類似している。

4.御幣
満州の太祖以前四代の墓は、土饅頭の上に御幣のようなものを立てている。

どうも日本、朝鮮、満州、蒙古には、古来から濃厚な交通の往来があり、似た言葉、似た埋葬儀礼、家屋建築・構造となる原因となる時代があったのではないかと推察される。人種も近いのだろう。

それは、7世紀の謎の渤海国や、源義経・チンギス汗説などのエピソードのはるか以前に根ざしたものだろう。そして今、大相撲の蒙古回帰の流れは、もっと大きな意味での蒙古回帰の予兆かもしれない。


    1日1善。1日1クリ。

千木

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葛洪の理解度

2007-04-29 06:59:50 | 道教
◎真一というもの

葛洪は、抱朴子の著者。抱朴子は外丹(ソーマ・ヨーガ)の著作だが、彼の腕前についての書き方をみると、死の世界から帰還してきたというような体験はないように思う。肉体から出るという体験もない。それと人は富貴であることが大切であるという基本的な世界観から抜け出ているわけではない。

さて真一は、道から出てくるものだという。

葛洪によると一を知った者は、ひとつとして知らないことはなくなる。荘子の天地篇に「人能く一を知れば万事畢(お)わる」とあり)、ここは変ではない。

「一」の大きさは男だったら身長9分、女だったら身長6分であり、約2~3センチといったところか。

「一」の居場所は、臍の下二寸四分の下丹田か、心臓の下の中丹田か、眉間の三寸奥にある上丹田にいる。

「一」の居場所と大きさからいけば、「一」とは、自我のことを指しているようである。ところが「一」の力で木々は芽を出し、成長し、収穫することができるそうだから、人にあっては「一」とは自我を指すが、広義では、無に対する有の意味で使われているように思う。

真一が自我であるとして、葛洪は、玄一というものがあり、それは今ここで見ることができるとしている。そして玄一を守ることで、分形の法(分身の術)が可能になるような書きぶりである。これについては、よくわかりません。
(参考;抱朴子内篇地真)


    1日1善。1日1クリ。

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国が滅びちゃう

2007-04-28 07:32:20 | 時代のおわり
◎殷とジャパン

殷(いん)の紂王と夏の桀王は国を滅ぼした大悪人として有名であるが、何も大酒のみで、酒癖が悪くて、女の言うことばかり聞いたために国を滅ぼしたのではない。

殷の場合は、まず、神への信仰が衰えたこと。殷の時代は、信仰とは国家事業であって、大量の牛や羊を生贄にして、神に捧げたものであるが、いつの頃からか、役人がこのような神祇の犠牲の家畜を盗んで勝手にそれを使うようになった。

最近政府が2003年度以降、雇用・能力開発機構、宇宙開発事業団など54の特殊法人を49の独立行政法人に移行する過程で、総額12兆円の繰越欠損金などを政府出資金で、こっそり穴埋めしたそうだが、これと同じである。

殷では政治において祭祀の比重が非常に大きかったため、祭祀の軽視が官規紊乱するという政治の混乱に直接つながった。

殷末の武乙王は、「天を射る」と称して、血をなみなみと入れた皮の袋を弓で射てしばしば遊んだが、天の怒りにふれて、雷に撃たれて死んだという逸話も残っているほど、殷末の神への信仰は衰えてした。

次の原因としては、警察と司法制度の混乱。当時卿士という裁判官が職務を適当にやっていたので、何か事件があっても犯人を国が捕まえないことから、人々は自分勝手に加害者に対して復讐するようになっていった。警察のない社会では、暴力団やチンピラが街を仕切る。

まず、昨今犯罪が増加しすぎて、どの刑務所も満員に近いという。これも既に警察司法の機能不善の徴候である。

また日本でも陪審制度が導入されるが、これにより、更に司法機能の低下が徐々に起こっていけば、若者のアナーキーな意識がますます助長されて、ついには警察がないような状態になってしまうようなことにでもなれば、日本の終りは近い。
そのような政府による管理が効かなくなる未来ビジョンを見ている人もいるはず。

それと紂王は、好んで周辺の罪人、流人を自分の所に集めて、高い官職を与えて使っていたが、政府首脳周辺に、そんな感じの人が集まっているのであれば、由々しきことである。


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ユダの世界統一

2007-04-27 05:50:23 | 時代のおわり
◎自分に合った冥想

『ユダがしばらく世界を統一する。それから○○の番だ。』
(新月の光/木庭次守/八幡書店=出口王仁三郎の言行録から引用)

というわけで、今はユダが世界を統一(ワン・ワールド)しようと盛んに動いている時期。
それから風水火の大三災になり、それから誠の教えが世に出る時期にようやくなる。物事には手順がある。

まずはひとりひとりが、自分にあったタイプの冥想を。


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道教の秘儀伝承

2007-04-26 05:06:18 | 道教
◎伝授の資格ある者を数百年待つ

なんかは、道統の継承という点では、非常にわかり易くて、生きている師匠が生きている弟子に対して、秘儀というか、言葉で伝えられない何かを伝えている。

これに対して道教においては、何百年も生きている人が若い人に、そのテクニックを伝えるという伝承のやり方が登場するものであり、良識ある現代のインテリは、そんなくだりを目にすると、現実にはありえないこととして、読みとばしたりすることがままあるのではないだろうか。

1.呂洞賓
呂洞賓は、鍾離権からそれを伝授してもらったとされる。呂洞賓は唐代の人間であるが、鍾離権は、京兆咸陽の人で、漢(BC206年-220年)に仕えて諫議大夫となった人であるという説もあり、呂洞賓出現までの五百年間生き長らえないと、秘儀を伝授することはできなかった。

2.柳華陽
慧命経を著した柳華陽は、清時代の人(1736年生れ)。その知り得た眼目は、伍守陽先生にめぐり会って教えてもらったと書いてある。ところが伍守陽先生は、1644年に亡くなったとされている人であるので、何らかの形で200年くらい生存して、柳華陽にノウハウを伝えたことになる。

こうした逸話を、後世の人による牽強付会とみたり、伝説的な人物にするためにつけた創作とみたりするのは一つの常識的判断ではあるが、内丹で窮極を極めた者がおいそれと嘘を語ることはないので、そこに一片の真実があると考える方向もあると思う。

ダンテス・ダイジなども、インドで数千年の生存を経たババジにクンダリーニ・ヨーガの奥義を伝授されたことを語っている。

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国の垢を甘んじて受ける

2007-04-25 06:05:09 | 老子
◎老子第78章 天下柔弱

『この世の中で水より柔弱なるものはない。しかも堅く強いものを攻めてこれによく勝るものは、ない。それはこれに易(かわ)るほどのものは他にないからである。

弱いものが強いものに勝ち、柔いものの剛に勝つのは、世の中誰でも知っているのだが、しかもこれを実行し得るものはない。

だからして聖人は言うのだ。国の垢を甘んじて受けるものをこれを国士の主と言い、国の不祥(めでたくないこと)を甘んじて受けるものを天下の王というのだ。

正しい言葉というものは、一見正反対のように見えるものである。』

柔弱の徳とは、タオにすべてを明け渡したところから出てくる無我の属性のイメージがある。無我は自分がないことだから、人間の感情や感覚ではない。これは、タオと自らが一致したというもはや体験とは呼べない体験のことをいうのだと思う。

心ある為政者は、政治は本来そういう所から出てきて執り行うべきものであることをよく承知しているので、国の垢を受けたり、不祥を受けたりする。そのことで、柔弱の徳を体現することになる。

ここでは、肉体を超えたアストラル体、メンタル体などの存在レベルのことは全く問題になっていない。


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隋の煬帝と金丹

2007-04-24 05:23:58 | 道教
◎金丹の原料を求める

隋の煬帝も、道教をこよなく愛した。

煬帝は、不老不死を実現するのために金丹を製造することを道士潘誕に命じた。潘誕は、自称三百歳。煬帝はその方術を信用して、贅を尽くした部屋数百のある崇陽館を建築してやり、潘誕の地位を三品の高位に上げ、侍者として数千人を仕えさせるなど、極めて厚遇していた。

潘誕は、金丹の原料として、石肝と石髓が必要であると主張したので、煬帝はその求めに応じて、6年にわたり、嵩高山に深さ百尺以上の坑道を数十本掘らせた。煬帝は、この間石肝と石髓を催促しつづけたが、潘誕はついに発見することはできなかった。

窮した立場に追い込まれた潘誕は、少年少女の肝と髓をそれぞれ三斛六斗でも金丹の原料とすることができるが、それには煬帝の許しが必要である、と奏上した。

煬帝はこれを聞いて、ようやく潘誕の方術がペテンであることを悟り、潘誕を殺させた。

隋のように国を挙げてスピリチュアルな国家であっても、現世的な利益だけ求めるのであれば、本質的なものは何も産まれることはない。事に当たるには、無私であることがまず先にないと、何も変わらない。

翻って、この厳しい管理と生存競争の現代に無私を掲げて生きるには、相応の気力、体力の他に冥想の習慣が必要であることはいうまでもない。


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徽宗と道教

2007-04-23 05:07:36 | 道教
◎みせかけの権威

宋の徽宗皇帝は、文人としても有名であり、桃鳩図は日本の国宝になっているほど。また、道教に帰依が篤かったことでも有名である。

1117年二月徽宗は、弟の青華帝君が夜中に皇宮に降臨し、父である玉帝の指示と天書を持ち帰ったと言いふらした。

そこで、二千人以上の道士を集めさせて、寵臣林霊素から、天書が皇宮に招来されたいわれを説明させた。更に都の官吏にも庶民にも、天上の最高の場所である神霄府から下ったとするお札(符籙)をつけさせた。

同年四月、徽宗は、自らを「教主道君皇帝」とさせ、自分が天の神で下界に降臨してきた身であることを、これにより宣言したのである。

豈はからんや、1126年十一月首都開封の陥落により、徽宗は満州に連行され、悲惨な虜囚生活を送り、満州で1135年没する。道教の神々は、徽宗の身を護持したのか護持しなかったのか。

世俗の権力と宗教的権威を両方握っても、時の勢いにはかなわぬことがある。宗教の本物の部分とは、宗教組織や儀礼から来るところの見せかけの威厳とは全く関係ないもののはずだが、それを平気で誤解する手合いはいるものだ。


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桃鳩図

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霊界知識と呼吸と想念コントロール

2007-04-22 07:39:38 | 現代冥想の到達点
◎人間的なるものの限界

オーラの泉風の霊的知識をいくらため込んでも、本当の安心や、本当のやさしさや本当の愛に出会うことはない。

本当の安心や、本当のやさしさや本当の愛は、自分が人間であることの悲しみと絶望を超えたところにしかないからである。

霊界のことを知るのは、人間の死が生に連続していることを知るという点では意味あるものだが、その知識だけでは、いざ自分の死に直面する時にものの役には立たない。

また、たとえば、道教の慧命経の大周天にチャレンジして、呼吸と想念コントロールがうまくなり、首尾よく気を回すことができるようになったとしても、また幽体離脱できるようになったとしても、金、地位、名誉、セックス、異性、家庭の団欒、親密な人間関係など、この世に未練を残しているのであれば、必ずやいいところで魔が差すことがあるに違いない。

大周天などのクンダリーニ・ヨーガ系の修行者が、次々に挫折するのは、その問題が一番大きいのではないだろうか。


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慧命経の出神-2

2007-04-21 06:29:55 | 道教
◎魂の成熟と離脱テク

人が初めて肉体を出る時は、どんな大物覚者でも驚くもののようだ。そうした驚きはOSHOも、ドン・ファン・マットゥスも率直に表明している。以下は慧命経の肉体離脱の説明。

『法身が出定して、凡体を離脱したなら、最初はすぐに泥丸に帰ってくるようにする。その後、まる七日間、さらにこれを養い育て、そしてまた出定する。最初の出定の際、仏祖や菩薩の姿や、美しげな情景が見えてくることがあるのだが、この時、決してこれらに心をとめてはならない。

これらは魔の変化したものであり、もしそれらに心を奪われると、魔の虜になり、魔の誘いのまま自己の帰るべき所を見失ってしまう。

これでは寂に帰すといえども、仏果はいまだ果たせず、自立して存在することができないため、必ず後世において再び生まれ変わることになる。必ず九地から十地を修し、更に十一等覚にまで修し、無色界を越える程まで心境を高めておく必要がある。

また初めて出定する際、肉体から3~5尺程まで出るようにし、驚いたり恐れたりしてはならない。やがて車輪のような一つの金光が現れるのを待ち、念をもって〔意識的に〕その光の中に入り、性の中に収め入れる。

〔肉体に帰ってくる。〕
これが形を変えるための微妙な基本方法である。』
(慧命経/柳華陽/たにぐち書店から引用)

※泥丸:サハスラーラ・チャクラ

※仏教の修行者(菩薩)は、十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚の合計52段階の修行をする必要があるが、九地は49番目、十地は50番目、等覚は51番目の境地。等覚は、仏の正しいさとりに等しいさとり。

※「性の中に収め入れる」の「性」は心・精神を一般には指す。

肉体を出ると魔がお待ちかねであるので、それにかかわってはならないとしているが、逆に魔に関心を払いまくるのがモンロー研究所ということになろうか。拳銃と防弾チョッキの完全武装が当たり前の街に、丸腰で登場してはならないということでしょう。

そこで必要な拳銃と防弾チョッキにあたるものが、無色界を越える程の心境であり、無色界を越えるとは、欲界・色界・無色界の三界という、物質世界も精神現象の世界も超えた人間を超えた心境である。これには冥想修行を通じた魂の熟成が必要である。

このトリップの表現では、アストラル体レベルの出神なのかそうではないのかを確定することはむずかしいが、頭頂から出るので、メンタル体レベルなのだろう。また車輪のような一つの金光が何を意味するのか、つまりアートマ光の輪か、コーザル体なのか、それ以外の何かなのかは、わからない。


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出胎図

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慧命経の出神-1

2007-04-20 05:57:50 | 道教
◎三界を超出する

柳華陽の慧命経もクンダリーニ・ヨーガであるからには、クンダリーニ覚醒プロセスの終極では、肉体を飛び出し、物質世界を脱出するステージがあるものだ。またそうした記述がないものは、その著者の体験を本物とは見ることができない。

慧命経では、肉体を飛び出す体験が三界(欲界・色界・無色界)を飛び出す体験であると補足してあり、その点でも真正の体験を語っているように思う。アストラル・トリップでは、三界を超越できないので。

冒頭の寂滅の定とは、呼吸も脈拍も停止するものであろう。

一片の金光が虚空に現れるとは、アートマ光の輪のことかどうかは体験者に確認しないとわからない。

『<寂滅の定を久しく続けていれば、紛々とした情景が現れてくる。つまり、「雪が空に乱れ飛ぶ。」と言われる情景であり、これはまた機である。そしてその時こそ出定の好機である>
これすなわち真景である。

<遅滞を忌む>
速やかに出定すべし。

<この時、もし出定せずに胎中にとどまれば、神通変化に至ることができない。>
これでは一人の愚人に過ぎなくなる。

<すなわち出定すべし>
頭頂より出定する。

<これが「三界を超出する」ということである。さらにやすんじて、しばらく待つ。>
肉体から、一・二尺(約32~64cm)離れた状態のままでいる。

<それは禅である。そして一片の金光が虚空に現れるが、これまた機である。やがて(それらを自分の陽神に)収め入れ、定を行い、これまた禅をなす。こうした長く久しい定を行っていると形神はことごとく変化する。以上が禅機の説明である。>
古来より伝えられてきた禅機を今ここに漏らし尽くした。』
(慧命経/柳華陽/たにぐち書店から引用)


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張三ぼうについて

2007-04-19 05:53:56 | 道教
◎放浪の自由人

張三丰は、遼東懿州の人。元代の1247年生れで、2百年以上たってから、明の成祖永楽帝が中国全土をくまなく捜し回ったが、ついに探し当てることはできなかったので、200年くらいは生きていたようだ。

いずれにしても、明代、清代の内丹(クンダリーニ・ヨーガ)に最も大きな影響を与えたのが、 張三丰である。大きな目と丸い目、髪やひげはぴんと立って実に立派な容貌であったが、衣服にはかまわず、寒暑にかかわらず、衣一枚に蓑ひとつであったという。

食事は、数日に一食だけだったり、数か月何も食べなかったり、一回で米数升食べることもあった。

張三丰は、定住生活をすることなく、あちこちを放浪し続けたが、湖北省武当山に到り、そこの道観が兵火に焼かれた直後、仮小屋を建てて住み始め、武当山のその後の繁栄を予言した。

その後陝西省宝鶏の金台観に住み、陽身出遊したという。これが単なるアストラル・トリップであったならば、殊更に記録されることはなかっただろうと思うので、チベット密教でいうところのポアによって死の世界に入り、帰還するものではなかったかと思う。

そして、四川の青城山、鶴鳴山に入り高士を尋ね、また武当山にもどり、中国南部を放浪するうちに、俗世間に出現したりいなくなったり、わけがわからなくなった。

明の太祖も成祖も張三丰を捜し求めたが出会うことはなかった。

張三丰の冥想の極致は、凡人の心が除去されると「先天の心が再来する」というもので、正統的なものである。

中国内丹の伝承は、日本の禅のように連綿と継承されていっていることに感嘆せざるを得ない。

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武当山


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無為なる合理的判断

2007-04-18 05:57:53 | 老子
◎老子第77章 天之道

『天の道はそれはたとえば、弓を張るようなものだと言おうか。高いものは之(これ)を抑え、下(ひく)いものはこれをあげ、余りあるものはこれを損(へ)らし、足らないものはこれを補う。

天の道は、餘りあるものを損(へ)らして足らないものを補う。ところが人の道はそうではない、足らないものを損らして、そして余りあるものに奉ずる。だれがよく余りあって天下に奉ずるものがあろうか。ただそれは有道者だけである。

聖人が自ら為して恃(たの)みとせず、功成ってもこれに居ろうとしないのは、則ちこの心である。その賢のあらわれるのを欲しないのである。』

その賢のあらわれるかどうかは、人為によるところではない。つまり聖人が知ったことではないのである。

聖人が善行を成しても自分に奉ずることはないとは、功過格(陰隲録)にあるように、善行を為すに当たって思念を動かさないからである。

最初は思念を動かさない練習をするだろうが、遂には思念を動かさずに善行を為すのであるから、聖人は功成ってもこれに居ろうとしない姿になるのだ。

ここは天の道という言葉が老子の言でないとされる理由となっている。

このように書くと、聖人合理的判断をしないと思われるが、実は最も合理的に行動しているのが聖人でもあることを忘れてはならない。

自ら合理的判断を放棄すれば、カルトやマルチ商法にひっかかることがある。


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世界の反日思想

2007-04-17 06:01:08 | 時代のおわり
◎精神的遺産

世界中の国々が日本を八つ裂きにしようと虎視眈々と狙っているとは、明治のシャーマン出口ナオの見方である。さて、きっこのブログの4月11日記事に「世界で孤立するニポン」というのがあって、故意に日本に対する反感を盛り上げようとする勢力がいることを紹介していたが、こういうことに気がつく人が出てきたことに、出口ナオ的な冷静な見方ができる人が出てきたものだとちょっと感心した。

最近韓国人タレントのユンソナが日本人は歴史を知らないと発言していたことが報道されていたが、中国や韓国の歴史教科書では徹底して反日の内容となっている。そうした教科書で中学高校と反日を叩き込まれれば、素直な人もそうでない人もかなりの確率で反日になろうというものである。

中国の高校歴史教科書なんかは、歴史全体の7割くらいが、20世紀それも抗日戦争になっている。これまた、これで授業を受けた中国人は、大半がアンチ日本になってしまう。ジーコ・ジャパンの中国で開催されたアジアカップは、アンチ日本の典型として記憶に新しい。

こうした教育を施した結果、中国人の大学生や、大卒の人ですら、古典には弱く、達磨の事蹟のことは知らないし、鑑真和尚が当時中国の名僧であったことは知らないことが多い。

世界から見た日本人とは、このようなアンチ日本教育を受けていなくとも、金を持っていて軍備を持っておらず、精神的にも尊敬するに値しない民族である。時代劇に出てくる「大黒屋、おぬしも悪よのう」の悪玉商人大黒屋みたいなものなのである。やっつけてしまうとスカッとする奴にしか見えないのである。

国を喪失したチベット人ですら、チベット密教という素晴らしい精神的民族遺産を有していた。日本人は、万一日本を失うようなことがあった場合に、天下に誇る精神的な民族遺産を手にして各国に散っていくことができるのだろうか。

ところが冥想という習慣のない民族に精神的遺産があろうはずもない。世界遺産は、自然の構築物やお寺や神社のことであって、精神的価値あるもののことではない。この冥想なき民族のままでは、悪玉「大黒屋」の汚名を着せられて、叩き斬られるだけに終わるのがオチではあるまいか。


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マグリット

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着々と世の大峠へ

2007-04-16 05:28:11 | 時代のおわり
◎地震と戦争そして冥想

世の中は着々と世の大峠に向かって進んでいる。

まず日本列島至るところに、大型地震が毎日のように発生していること。かつては北海道や中越だけだったのに、いつのまにか、石川、三重と広がって来ている。

これは、地球のマニピュラ・チャクラが活性化し、この時代のテーマであるマニピュラ・チャクラからアナハタ・チャクラへの移行を促している兆しである。

自民党・公明党政権が国民投票法案を衆議院通過させ、日本が戦争のできる憲法に改正する準備を整えていること。最終的には日本がどこか他国を侵略できるレベルの軍事力を持つ所にまで至るのではないか。これは、出口王仁三郎が見た昭和神聖会のビジョンを国レベルで実現することに向かって、政権がひた走っていると見ることができる。

瞑想に関する真摯な関心が、潜行しながら拡大していること。このブログを始めた2年前は『瞑想』で検索しても、こんなに沢山のサイトがひっかかることはなかった。一日に2つか3つくらいのものだったのではないだろうか。

先日元K1ファイターの須藤元気がNHKテレビで瞑想の勧めをやって話題になっていたが、だけど瞑想という言葉には、依然としてオウムの悪いイメージが強く、簡単には世間で復活はしないだろうが、そんなことは言っていられないほど、時代の方が、自分の方が切羽詰まっている。

冥想をやっても、この世的には良い効果などない。願望が実現する、落ち着く、精神が安定する、内分泌腺が活発になるなどといろいろな冥想の効果は宣伝されるが、それはおよそお茶の間で漫然とテレビを見ているような人が想像するような、金が儲かったり、家庭や仕事がうまくいったりするが如き願望実現の姿ではない。

何も効果を期待せず、ただ冥想できるかどうか。それが時代を超えていくクリティカル(重要)なポイントである。


    1日1善。1日1クリ。



《瞑想》でTBさせていただきました。
羽衣音の月詠み音符()
あいしてる・アイ・シテル・愛している()
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がちゃ★ぶろぐ→チャック開けたら九州) ()
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