アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

高藤聡一郎の周天-2

2007-03-31 07:15:03 | 道教
◎大周天

太乙金華宗旨に書かれてある大周天は、気を中心に行うものではなく、意識(心)で行うのがこつであるとして、既に神秘そのものだが、高藤聡一郎の大周天はそれとは趣を異にしている。

高藤聡一郎の考える大周天の必要ファクターとしては、
(1)先天神(無意識)の活動
(2)胎息(呼吸の停止)
(3)馬陰蔵相(性器の収縮)
(4)真通(背骨=衝脈)
そしてこれらによって発生する(5)先天の気の発動による頭頂の開通
であるとする。

1.準備
まず大周天の準備として、「小周天を長いこと行い、(自律神経系、内分泌系がある)で温養という意識の集中をしていると光が発生する。この光は気の練れたもので、、やがて回転して、丹に変わる。これを小薬という。

竅の働きがある程度コントロールできたことを意味し、先天の気が動きだす。この段階の目安は、光の発生、真息という呼吸が止まったような状態、それに人によっては、馬陰蔵相のうちの睾丸が、または両方が収縮するという状態。」
(仙人不老不死学/高藤聡一郎/大陸書房から引用)

※高藤聡一郎の先天の気とは:
決して精に変わらない気。空気、水、食物などの気の補給を全く受けない状態の気。物質的生命活動を超越した気。ある意味では肉体を超えた生命の状態をさしているのかもしれない。・・・・だそうです。

2.大周天
「今までの段階より一つ上の気が神(物質エネルギーが精神エネルギー)に変わる段階の時、呼吸は全く停止する。これを胎息というが、この時母の胎内にいたのと全く同じ状態が出現する。 つまり肺や胃腸の活動の完全なる停止である。

ただし母胎に相当するものがないので、天地の気を物質状態(空気・水・食物)を介してでなく、空間に遍満するエネルギーの形で直接体内に取り入れる

この段階になると、先天の神(不識神)が働き、先天の気を発動させ、 冲脈(体の中心、実際は背骨の中)を突き上げさせ、頭頂を開かせる。これは真火練形という。
(仙人不老不死学/高藤聡一郎/大陸書房から引用)

このように高藤聡一郎の大周天の定義は、肉体とエーテル体までの気の動きの説明に留まっているが、巷間流布されている大周天の定義も、このようにせいぜいエーテル体までの説明となっているようだ。

そうは言っても、これらは後進の求道者にとって参考になる情報であることは間違いない。またこうした技術論のみ追求することは、しばしば霊的成熟という側面を忘れがちになるものだ。

すなわち、正しいもの、本当になつかしいもの、本当に安心できるものなどの先天の神本来の風光というようなものを忘れては、隘路にはまり、途中で叩き落とされるようなことになるのではないだろうか。


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峨嵋山

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高藤聡一郎の周天-1

2007-03-30 06:00:39 | 道教
◎小周天

仙道研究家高藤聡一郎の小周天の定義とは、このようなものである。

○小周天
  丹田(スワジスターナ・チャクラ)にためた陽気を背筋にある督脈から上げ、頭の中にある泥丸(サハスラーラ・チャクラ)というところに入れ、次に身体の前面の正中線にある任脈から降ろし、丹田に戻すという作業。

陽気とは、精を意識と呼吸法により、気に変えたもの。
精とは、気が凝ったもので、精液などは、その一例である。

さて、高藤さんの考え方の概要は以上である。

クンダリーニ・ヨーガではスシュムナーの左右にイダーとピンガラーがあるが、高藤説は、慧命経の任脈督脈図に書いてあるとおり、督脈は背筋、任脈は身体前面であると、自分でも確認した書きぶりである。このことから、任脈督脈とイダー、ピンガラーは別のものであるように思われる。

任脈督脈は、エーテル体レベルのことだろうと思うが、スシュムナー管とイダー管とピンガラー管が、エーテル体レベルかどうかはよくわからないけれども、チャクラが、肉体からメンタル体まで各層に分布しているとしても、スシュムナー、イダー、ピンガラーも各レベルに分布していると見ることはできないだろう。より肉体に近い、せいぜいエーテル体までのものではないだろうか




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地震に思う

2007-03-29 06:02:54 | 時代のおわり
◎何人神に目覚めたか

幼い時に出会った地震は無条件に恐ろしい体験として、記憶に残るものだ。私にとって最初の地震の記憶は新潟地震(1964年)だった。それから十勝沖地震(1968年)があって、宮城県沖地震(1978年)と地震遭遇体験は続く。

地震は、いわば集合的無意識における恐怖感を無条件にたたき起こす効果があるのではないか。その恐怖により、神国日本の国民としての自覚を促して、とりわけ外来文化の影響により、惟神(かんながら)の心が失われようとする時に、警告として地震が起こってきたように思えてならない。

古語に曰く、「小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えん、国家混乱すれば、天災地妖到る」とは、日本では、器量の小さな指導者達による政治が続いて、国家が混乱すれば、大地震が必ず起きてきたことを言う。

日本では八百万の神々がおはしまし、国民の生活が奢侈安逸にながれ、腐敗堕落の極みに達した都度、地震が忽然と襲来し、あらゆる醜悪なるもの汚れたるものを押し流し洗浄してきたが、このことは、日本が神国である理由である。

地震予想サイトも多く、人心の安定しない昨今であるが、地震を他人より早く予想して我が身我が財産の安全をまず図ろうとするのは一種利己的な発想から来るものであるから、そういう発想こそが、終には大地震を招くものであると心得たいものだ。

敗戦により米国の占領の憂き目にあった以上は、日本は神国たることを振りかざして民族的優越性を心の拠り所とする時代は過ぎ去ったのではないか。

今や日本国民とか日本人だからということではなくて、一個の人間として神(仏・タオ)に誠実に向き合うことがまず必要な段階に入って来ているように思う。だから地震の持つ意義は、過去においては、外来文化を日本が吸収して、更に素晴らしい精華に変えてしまうというルートをはずれた際の警告であったが、21世紀では、そのルートは、何人神に目覚めることができるかというテーマに変質しているように思う。


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三尸とクンダリーニ

2007-03-28 07:24:30 | 道教
◎庚申伝説と冥想

道教の古典、抱朴子の微旨篇の、三尸(さんし)の説明がある。曰く、
1. 三尸は人の身中にあるが、形がなく、霊魂、鬼神のたぐいである。

2.三尸は、その人を早く死なせたいと思っている。なぜなら、人が死ねば、三尸は、死体に供えられた供物を食べ歩くことができるからである。

3.三尸は、庚申の日(60日に一日はある)になると、いつも天に登って、天の寿命を司る神様である司命にその人の犯した悪事を報告する。

4.その罪の大きな者に対しては、寿命300日を奪う。罪の小さな者に対しては、寿命3日を奪う。

また三尸の居場所は、上丹田(頭頂/アジナー・チャクラ)、中丹田(ハート/アナハタ・チャクラ)、下丹田(スワジスターナ・チャクラ)とされ、各一匹づつ、計三匹いる。

ということから、日本では庚申の日に、肉体を脱けだした三尸という虫が、司命に悪事の報告にいかないように、眠らないで起きて宴会をやる習俗があった。延命祈願の宴会ですね。

また毎月末には竈(かまど)の神も、悪事報告をなさるそうな。

さて、三尸が供物を食べ歩いたり、三匹いるというのは、土俗シャーマニズム的な言い伝えに変形したのだと思うが、その他の条件を考え合わせると三尸はどうもクンダリーニのエネルギー・コードのことを言っているように思う。

冥想を通じて、司命とコンタクトして、寿命の加減する様子を知り、なおかつ、いつも身中にあるものとは、様々な存在レベルを共通に貫くことが必要なので、クンダリーニくらいしかないのではないだろうか。

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道教と日本-3

2007-03-27 06:05:56 | 道教
◎吉田神社と道教

高校の古文と言えば吉田兼好の徒然草である。吉田兼好は吉田神社の神主であった。

さて吉田神社はもともと何の変哲もない神社だったが、応仁の乱の戦火も消えやらぬ室町時代末期に吉田兼倶(かねとも)が出て、あらゆる手段を駆使して、当時最有力であった神祇伯白川家の神道を抜いて、実質的な日本国の神道総本山の地歩を占めるに至った。

吉田兼倶は、伊勢神宮の外宮の火災でご神体紛失の噂が出たことを奇貨として、朝廷に対し、吉田神社に神代の神器が出現したと報告した、さらには伊勢神宮の神々が潮に乗って吉田神社にお移りなった。その証拠として、ひそかに加茂川の上流に塩俵を埋めて、加茂川の水まで塩辛くなったという風評を流し、さらには吉田家が神祇伯中臣家から出ているとする家系図まで創作するなど、ありとあらゆることをやった。

さて京都吉田山の南に吉田神社の末社の一つ斎場所大元宮がある。大元宮の特徴は、祭神が天神地祇八百万神なので、ここにお参りすれば、全国の神々に参拝したのと同様の霊験が得られるとされる。

大元宮は、八角堂ともいい、本殿が八角形であり、道教の八角の先天図をモチーフとしていることが連想される。

吉田兼倶は、唯一神道名法要集で、宗源とは何かという質問に対し、

『宗とは、一気未分の元神を明らかにすることであり、万法純一の元初に帰すので、これを宗という。

源とは、和光同塵の神化を明らかにする故に一切利物の本基を開く、これを源という』とあり、

一気未分の元神とは、先天一気という道教の宇宙での窮極をイメージさせるものがある。
また元神は、内丹術において、肉体を離脱して昇天する主体とされているものでもあり、これまた道教用語である。

このように、吉田兼倶は、神仏習合がいわば既成事実(和光同塵)であった当時の考え方を背景に、神道にはなかった元神や純一という知的にこなれた表現を用いて、吉田神道の窮極を説明していることから、意外にも道教の影響を濃厚に受けていたのである。


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呂洞賓の意義

2007-03-26 05:27:40 | 道教
◎薬物による不老不死説の終焉

呂洞賓は、唐代の人物である。

唐代では、歴代皇帝が道教に帰依し、進んで金丹を飲んだことから、王族、高級官僚、大金持ちなどの間に不老不死を求めるために金丹と呼ばれる不老不死の薬物(外丹)を服用することが殷賑(流行)を極めた。

一例として、中唐時代の政治家であり、詩人であった韓愈は、彼の一族の多くが金丹と呼ばれる水銀や砒素化合物を常用することによって、健康を害し、しばしば早世したことを記録している。韓愈は、これらの見聞により、金丹服用による不老不死の実現には懐疑的だった。

このように高位顕官の間に、金丹によって不老不死になることは、実際には困難であることが徐々に知られるようになり、薬物(金丹)服用によって仙人になるというメソッドは唐末から五代にかけて完全に命脈を絶たれた。
(この辺は西洋の錬金術がその後も外丹を追求し続けたことと対照的である)

こうした流れの中、内丹説を、隋代の羅浮山が初めてとなえた。

そして呂洞賓が身体内に丹を作ることで、不老不死の実現を図ろうとした。呂洞賓は人体を炉鼎と見て、体内の精と気と神を凝集・変成して聖胎を作ることを主張した。
人体を炉と見るのは、ウパニシャッドと似た見方ではある。

唐代までには、道教には、薬物としての丹を作りそれを服用するという葛洪の唱導した外丹が不老不死の技術として社会的に認められたものだったが、呂洞賓はこれに対するイノベーションとして内丹メソッドを完成したところにその大きな意義が認められる。

もともと道教には胎息(呼吸法)、導引、存思(冥想)などの伝統的テクノロジーがあったことも内丹説出現の土壌になったと考えられる。


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明周丹泉嬌黄獣面紋鼎式炉/明代/台湾故宮博物院

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天の道を犯さない

2007-03-25 06:07:23 | 老子
◎老子第74章 民不畏死

直前の第73章が刑罰に関するものであったので、その続きで、なぜ刑罰があるかということについて。

死刑でもなければ、法律も道徳も守らない荒くれ者たちがいる。現代においても荒くれ者はいるが、現代の荒くれは、智恵が回る荒くれであるが故にたちが悪い。

天の道があって殺すべきものは殺しており、また殺されなかった者もいつかは死を迎える。刑罰を与える人はいわば天道を犯すようなもので、自らの手を怪我するのがオチであると、老子の評価は厳しい。

このように、死刑制度があることを老子は否定しているが、死刑という制度も一つの天の現れであると見れば、真に寿命を司る天の網から漏らしているわけではないという見方もあるように思う。

『人民というものは、死を畏れるものではない。だからどうして死刑をもってこれを懼れしめることができようか。若し人民をして常に死を畏れさせば常軌を逸し、社会を紊るものをとって死刑にしたならば、誰も罪を犯し得ないはずだ。(然るに、如何にしてもこのことがないのは、何を意味するか。抑々民は死を畏れないのだ。)

常に殺を司るもの則ち天の道があって殺すべきものは殺している。

これはちょうど上手な大工が必要によって木をけずっているようなものだ。そうだ、大工にとって代わって木をけずったりすると、たいていのものが、木をけずるよりも自分の手をけがするのが落ちだ。(人為の死刑も亦これと同じことだ)』


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道教と日本-2

2007-03-24 07:09:02 | 道教
◎修験道への道教からの直輸入テク

道教には、仏教における鑑真みたいな中国の高僧の渡来はなかったとされる。遣唐使を盛んに出した時代に、何人か中国の大物道士が渡来してもよさそうなものだか、その形跡はなく、却って大物道士を輸入せよとの唐の要請を婉曲に断ってきた経緯があるようだ。

ところが、その時代に生きた空海が24歳で書いた三教指帰の道教に対する評価は、当時の中国道教の姿を正確に捉えているとされることから、隆盛を極めていた玄宗時代の中国道教はそのまま日本にも産直ではいっていたようだ。

道教は、本質はクンダリーニ・ヨーガであり、一般大衆が片手間にできるものではないから、大物道士が日本に入ってきたとしても、世間には知られずに終わった可能性は十分にあるように思う。またそうした中、日本国政府が、道教をメイドインチャイナのメジャー宗教として、おおっぴらに採用する動きをしなかったことも、道教が修験道という形で生き延びる一因になったのではないだろうか。

修験道で道教から輸入されたとされるものには以下がある。

1.魔除けの鏡
里修験の祈祷壇の上に鏡が置かれること。でも修験三十三通記には、山伏の持ち物として鏡は入っていないので山修験では用いないと見える。

金峯山寺のお守りは、裏面に五岳真形図を鋳造した小型の鏡だそうだ。

道教の古典の抱朴子にも山に入る時に鏡を持っていくと魔除けになるとある。

2.九字を切ること
これも魔除け。 臨兵闘者皆陣列前行のことで、出典は、抱朴子の登渉篇。最近のオカルトマンガでも登場するのでご存じの方も多いのでは。

3.お札(呪符)を用いること
たとえば「急急如律令」は何にでも効く万能お札として有名。上部に漢字や字画をデフォルメして、その下に「急急如律令」を書いたお札は、平安時代から盛んに使われた。
病気直しに用いれば、「何にでも効く」ので、薬事法違反になること必定。

呪符の使用はやはり抱朴子にもある。

そうは言っても、唐代道教以前に日本にそれに類似したものがなかったと言えば、古神道がある。神仏習合の結果、仏教ともごたまぜになったとはいえ、古神道を無視して、古代日本の呪術系テクノロジーがすべて道教から来ているという議論も展開しにくいのである。


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程聖龍の生の側から極める

2007-03-23 04:41:41 | 気功、導引(冥想法2)
◎生死のぎりぎりのところ

武術家程聖龍は、絶対の強さとは、どんな状況でも生き残ることだと言う。今とは、次々と死んで行く瞬間だが、今生き延びたとしても、今の生は次の瞬間の生を保証しない。

従って武術の目指すものは、今という死ぬ瞬間を如何に継続させるかということ。言い換えればどんな状況でも生き残ることであると結論づけている。

『武術をやっている人間に「もし殺されそうになったときどうするか?」と問えば、まず大抵の人間は、「相手を殺してでも生き延びる。そのために武術をやっているのだから」と答えるだろう。

しかし実際はそんなものではない。生死の際のギリギリのその地点に立たされたとき、人は”生き延びるため”に戦ったりはしないものだ。何かはわからないもの、言葉にはできないものを経過して、気づいたときには自分が生き残っているのが実感である。そこはすでに「生き延びるために何かをする」などという選択肢は存在しない。

生と死を分けるものは何か。そのギリギリの一瞬に何があったからこそ自分は生の側に身を置き続けることができたのか。内家拳の世界でこの身に受けなければならなかった様々な経験を通じて、私は常にそれを考えてきた。』
(仙人入門/程聖龍/東京書籍から引用)

生死の際のギリギリのその地点とは、合気道の創始者植芝盛平のいう「天の浮橋」のことだろう。程聖龍は、何かはわからないもの、言葉にはできないものがそこから起こり、結果的に自分が生き残っていることを感じているが、何かはわからないもの、言葉にはできないものをもっと明確に意識できるようになることが彼の次のステップになるのだろう。

それが程聖龍の求める正しい選択の判別というべきものになると思う。

さて一人一人がこのような生死のぎりぎりのところに立って、正しい分別をするようになれば、次の時代に生き残る人も決して少なくはないだろう。逆に言えば、生死のぎりぎりのところに立たないと、何が本当に自分の求めているものかどうかがわからないということ。

ところが、この爛熟した時代に生死のぎりぎりのところに立とうとするのはよほどの物好きしかいないというのもまた悲しい真相ではある。ほとんどの人は、生死のぎりぎりのところに立とうなどということは思いも寄らないこととして一生を過ごす。


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仙人の棲む山

2007-03-22 05:28:18 | 気功、導引(冥想法2)
◎岩畳の最期の修行

程聖龍は、山梨県の出身で、内家拳八卦掌の第一人者。小学校低学年の頃から、甲賀流忍術の師匠の下で暮らした筋金入りの気功の達人である。

かれが、ある時仙人の棲む山(中国か台湾かは判然としない)で修行をしていた時のこと。日中でも身体が凍るほどの寒さの山上とのことなので2千メートル級の山なのだろう。そこで、在家の人が最後の修行をするお手伝いをした。

最期の修行者の方々は、一夜を山上の寺で過ごし、翌朝近くの岩畳に坐ることになる。

在家の人が薄い服一枚で、断崖絶壁の上にある岩畳に端座して、朝日を浴びながら読経を続ける。低声の読経に合わせて、カシャンカシャンという錫杖の音が、早朝の凍えきった空気の中に響いているが、時間が経つにつれて、だんだんと読経の声も低くなり、錫杖の音も少なくなっている。

やがてどちらの音も聞こえなくなった。岩畳の上の人達は最後の修行を果たし、その身体は凍結したのだ。

そこでお手伝いをすることになる。この気温では、埋葬する土が穴が掘れるほど柔らかくはないので、やむなくご遺体を後ろから押して、岩畳から下の谷に落とす人手が要るのだ。

程聖龍は、いやでいやでたまらなかったが、毎日次々と凍った最後の修行者を崖から押して、それが朝日の中をきらきらと輝いて雲海に吸い込まれていくのを見続けた。
(参考:仙人入門/程聖龍/東京書籍)

死にに行くということは、生半可な覚悟でできることではないが、どういう理屈かは判らないが、そういう山が中国(台湾?)にあったこと自体が、生とは何か、死とは何かという巨大な疑問を改めて突きつけられる思いがする。

またご遺体を押す行為だけでも、そのご遺体の方の人生の重みを感じさせられる気の重い業である。別に自ら殺人を犯しているわけではないが、自分の生の重みをずっしりと感じさせられる「お手伝い」ではある。

程聖龍は、「生きるために来たはずなのに、死ぬための修行をしてしまうのではないか」などと迷い、この修行で生の何たるかを見切ることができたわけではなかったが、改めて武術と生きることの意味を考えるきっかけにはなった。

なお、この山は最近は様子が変わり、このようなことは行われなくなったそうだ。


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貧しい独身中年の拡大再生産

2007-03-21 06:38:35 | 時代のおわり
◎ワーキング・プアの末路

唐様で売り家と書く三代目ということわざがある。初代は努力を重ねて財産を築き上げたが、三代目ともなると、高学歴で教養もあって、唐様の字体で墨色黒々と自宅を売り家に出す張り紙を書けるものだということで、「金持ちは三代続かない」という日本ならではのことわざである。

敗戦直後の農地改革で大地主というものは、ほとんどいなくなった。またどんな大金持ちも三代目には普通の富になるような相続税体系にしていた。それが各社会階層間の移動を活発にし、社会全体の活力を維持していた面がある。

ところが政府は、格差拡大社会をあおっており、そのままの流れで行けば、極少数の金持ちが何代にもわたって莫大な富を所有し続けることが可能な相続税体系にしてしまうのではないか。

そうなったら名実ともに外国人による日本の主要な富の支配が可能となり、植民地時代のインドや中国みたいに、国民の大半が奴隷並みの生活に、日本もなってしまわないとも限らない。外国企業の株式交換による三角合併も解禁されることだし、その可能性はどんどん高まっている。

しかし、そうならないための抵抗勢力としての若者の動きも期待薄である。

若者の3~4割は、新卒入社後2年以内にやめてしまうそうだが、たいていは、好きな仕事をしたいと思って働きたいが、好きなこともわからずに何となく働いている。気に入らないこと、つらいことがあるとすぐ会社をやめる、転職を繰り返し、収入が低いままいつのまにか35歳を過ぎ、結婚もあきらめ、正社員として採用されなくなる年齢となる。この年齢以後は、時給しかもらえないのでビンボーな独身生活となる。

こんな感じで日本社会全体が、ビンボーな独身中年を拡大再生産している巨大工場みたいになってしまっている。これでは、出生率は下がるのも当然。そしてまた大人一人一人の考え方、政府の姿勢、マスコミの宣伝すべてがビンボーな独身を製造するように構成されている。

このままビンボーな人が増えれば、最下層の人が手軽に銃を持つようになり、強盗やこそ泥で生業を立てる人が増えるのではないか。そういう国では、入口の扉や窓が厳重な鉄格子でおおわれているもので、たとえば香港なんか高層アパートでも下の階から上の階まで窓にはすべて鉄格子がはまっていて、泥棒が多い国であることを実感させられるものだ。欧米の住居には概してそういうところがあるものだ。日本でも家屋に鉄格子が増え始めたら要注意。

そうならない対策は、平たく言えば、貧しく働くことを卑下する風潮をなくすることがまず第一歩。しかし働いても働いても貧しいままでいいんだという発想は、現代の政府にもマスコミにも学校にもない。今の考え方は富む人だけを認めるという考え方だが、同じように働いて、「たまたま、ある人は富み、ある人は貧しいままであることを積極的に認める」という考え方は、宗教教団の用いる貧乏人の不満のガス抜きの理屈程度にしか思われていない。

真剣に、ある人は富み、ある人は貧しいままであることを認めるという考え方は、日常の感覚にはないから、冥想の習慣なしには、そもそも理解することすら難しいのではないだろうか。それは、収益至上主義、効率至上主義の頭の人には、単なるぐうたらの勧めにしか見えないのだろう。


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道教の理解のされ方

2007-03-20 05:32:43 | 道教
◎境地と冥想技法

道教とは何かといえば、一般人は老子荘子のことであると答えるが、ちょっとかじった知識人の方は、道教とは、老荘とは、かけ離れたものであると答えることが多い。そのかけ離れたものとは、御札や藁人形や鏡を用いるシャーマニズム的な部分のことを言うのだと思うが、そのことを指して老荘思想とかけ離れているとはいえないように思う。

老荘思想、特に老子にあっては、ある冥想状態の高みにあって、その境地を縷々述べたものであって、その境地がどこからくるかと言えば、シャーマニズム的な技術に支えられた冥想技法から来ているものなのである。

そしてその冥想技法の精華である境地の表現が老子であり、荘子の一部であるので、冥想技法と、言葉で表現できないその境地の記述がセットで道教になっていると見るべきものだろうと思う。

これは、ケン・ウィルバーの本が心理学や哲学の本として読まれる間違いと同様であって、ケン・ウィルバーは自らの禅的悟りから出て、その境地を体系的に述べているものであるにも係わらず、世人が心理学や哲学だと誤解しているものである。

道教の冥想技法は、太乙金華宗旨と慧命経を頂点とした大周天の技法をピークとするものであって、更に白日昇天と呼ばれるアセンションがその技術の極みとなっているように思う。この技法はクンダリーニ・ヨーガそのものであるように思う。


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道教と日本-1

2007-03-19 04:32:49 | 道教
◎天皇は道教の最高神名だった

道教のことをきちんと書いたものは少ない。修験道も、真言密教も古神道も道教も陰陽道もクンダリーニ・ヨーガを根幹としていることは承知していても、改めて「修験道は日本版道教であることは戦前から指摘されていた」という専門家の書いた文に出会って驚いた。

道教は日本文化の奥底に深く同化して、よく濁りをすすいで見ないとわからないほどに沈潜している。道教について知れば知るほど、ますますその深みと重層構造を確認していくことになる。

天皇は、道教の最高神の一つ天皇大帝からきている。もともとは、北極星が天皇大帝であって、最高神であったが,唐代には東方を治める神となった。
唐の高宗は、生前自ら天皇を名のった、諡名(おくりな)も天皇大帝だったそうだ。

天皇は、道教的カルチャーと道教的スピリチュアル・テクノロジーを意識して天皇と自ら名乗ってきたに相違ない。


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二種の神器と三種の神器

2007-03-18 07:05:23 | 古神道の手振り
◎道教の影響

三種の神器は、いつのまにか二種の神器になり、いつのまにか三種に戻った。三種の神器とは、剣と鏡とまが玉である。ところが、もともとは、鏡と剣の2種であった。

まず、皇孫ニニギノミコトが天降った時に、既に三種の神器をもっていたことになっている他、12代景行天皇の12年に防府市付近の首長が、三種の神器をもって行幸を出迎え、また14代仲哀天皇8年に、福岡県の県主が三種の神器をもって出迎えた記録がある。

さて時代は下って、いつのまにか二種の神器になってしまう。
日本書記の26代継体天皇二月条に、『大伴金村大連は、ひざまづいて天子の鏡と剣の璽符をたてまつり拝礼した』とあり、また宣化天皇の即位前紀、41代持統天皇(690-702年)正月条にも鏡と剣を神璽とする記事がある。

また養老律令(757年)には、皇位継承の日には、忌部氏は、神璽の鏡と剣とを奉れとあるので2種であった。

26代継体天皇と28代宣化天皇は、例の朝鮮と日本の間でごたごたしていた時期で、内乱が起こって、日本の政権があっちへいったり、こっちへ行ったりして落ち着かない時期。この時期に剣と鏡を最高のシンボルとする道教の影響を受けた可能性はある。

二種であれば、剣を男性性の象徴である太陽に見立て、鏡を女性性の象徴である月に見立てて、違和感はない。

3種であれば、玉を陰陽・男女合体した両性具有の象徴と見るという考え方もあるが、その場合は、錬金術書などの例でも、両性具有物と日月が同時に出てくることはないように思う。従ってこの見方は妥当しないと思う。

では、三位一体的な概念を象徴すると見て、無(神・父)と有(世界全体・聖霊)と個(人間・子)の三位に当てれば、父が剣で、聖霊が鏡で、玉が子になるのだろうが、ここは無を剣で、有を鏡で、人を玉でシンボライズするのが妥当と観じた神道家たちが連綿として存在していたと理解したい。


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アンク

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オルガスムの法則

2007-03-17 07:32:39 | 冥想アヴァンギャルド
◎エーテル体レベルでの現象

ライヒの説くオルガスムの法則とは、緊張→荷電→放出→弛緩。特に性器の構造から説明すると、

『1.器官が流動的で充満する。つまり機械的な緊張による勃起が起こる。

2.これが強度な興奮に発展する。わたしは、この興奮を電気的性格を持ったもの。つまり荷電と仮定する。

3.オルガスムにおいて荷電および性的興奮は、筋肉の収縮によって放出される。これを電気的放出と名付ける。

4.それに続いて、身体の流動体の流れが逆になり、性器の弛緩が起こる。これを機械的弛緩と名付ける。

この四拍子、つまり機械的緊張→荷電→電気の放出→機械的弛緩のことを私は「オルガスムの法則」と名づけたのである。』
(オルガスムの機能/ライヒ/太平出版社から引用)

性愛のオルガスムに至るプロセスの中で、クライマックスに達し、リラックスに至る一連の流れが、肉体的興奮と電気的荷電の双方において、並行して発生していることをライヒは直観した。

ライヒは、皮膚電位の差などから、二人の肉体表面の電位差からイオンが発生して、その電気的荷電は、性器と腹部に最初に起こり、段々性器に集中していき、蓄積され、オルガスム時に電気的荷電が放出される。つまりオルガスムは、電気的放出であるとしている。

ライヒは、電位差などの理論を引いて、その妥当性を懸命に説明しようとしている。周知のとおり、エーテル体と電気は密接な関係があるから、ライヒの仮説は、結果として科学になり得なかったのであるが、大きな発展性を持つ着眼だったように思う。

というのは、生体エネルギーであるオルゴンが、生体エネルギーの源泉であり、その展開の代表的パターンがオルガスムであるという心証を持っていたからである。単に、セックスの時に二人の間に電気が発生するだけのものではなく、個生命のエーテル体レベルでのエネルギー交換・エネルギー運動ではないかと見ていたところである。

おそらくは、同一の着眼点から、房中術があり、タントラの性愛術が成立しているのだと思う。

また心理面での原則として、快楽が拡張に相応し、不安が収縮に相応することも指摘しているが、これまた科学的な証明は簡単ではない。

※イオン:原子あるいは分子が、電子を授受することによって電荷を持ったものをいう。電離層などのプラズマ、電解質の水溶液、イオン結晶などのイオン結合性を持つ物質内などに存在する。
(ウィキペディアから引用)


    1日1善。1日1クリ。


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