アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

クレイジー・ジャパン

2007-02-28 04:54:45 | 時代のおわり
◎リアルな亡者たち

今日、同僚と話をしていたら、最近の日本は狂っているという話になった。

よく話を聞いてみると、小さなトラブルとのことで、その方は、最初は、うまくいっていた事業が、景気の陰りなどでうまくいかなくなり、多額の借金を抱えるようになって、非常に自分としては面白くない。だからつまらないことでも、他人に対してしつこく文句をいうのだという人がいたという話であった。

要するに自分が地獄的な意識にいて、その苦しみを他人にも味わせてやりたいと真剣に思っている輩が世の中を闊歩しているのである。こういう人がまれにいるのであれば、仕方がないとも思うが、実に頻繁に出くわすようになっている。

この様子を見て、日本は狂っていると同僚は評したのだ。

たとえばアストラル・トリップで地獄へ出かけて、こうした亡者に出会うのならば、いわばそういうツアー先だからと納得もできようが、リアルの世界でこうした人としばしば出会ったりするのでは、何をかいわんやである。

たまたまこうした人ばかり周辺にいれば、いじめになったりするのだろう。自殺がだんだん増えているのも、真面目な人がいたたまれないシチュエーションで生きるケースが増えているせいなのではないか。

日本の街は、青色発光ダイオードできれいになったが、心の中は真っ暗闇の人が増殖し続けていることを日々感じさせられる。

心ある人々が増えますように。


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レイブ

2007-02-27 05:51:10 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
◎エクスタシーとニューエイジャー

レイブとは、屋外などで行われるテクノ中心のコンサート。

イギリスでは、向精神性薬物を服用しながら踊るクラブがあり、もともとはLSDをキメながら、踊っていたものが、1980年代半ばから、俗にエクスタシーと呼ばれるMDMAに変わってきたという。

この薬物は脳内のセロトニンの過剰放出を促し、多幸感と他者との共感をもたらすのが特徴。最近六本木などで保有者が摘発されることもあり、日本にも入ってきている。

ニューエイジ運動の人々では、この薬物を霊的覚醒をもたらす聖なる薬物と賞揚した人もいるほどに、この薬物は広く用いられたらしい。バグワンの信者がこれを英国に持ち込んだとも言われているほど。

ニコラス・ソーンダーズのインタビューした若い修道士のコメント。
『MDMAを服用すると、いつも腹を割った話ができるようになります。そしてその会話自体、特別のものになります。つまりある種の重みを感じるものとなるのです。その瞬間の重み、何か深遠なるものの重み、人生そのものの重み。それは仮面やてらいを脱ぎ捨て、完全にオープン且つ正直になることのできる内面の状態です。

それはエロティックな懇ろさではなく、哲学的・神秘的な親密さなのです。・・・・これは普通に話している時には滅多に達成することのできない内的なコミュニケーションであることが理解できます。

この覚知の状態を十全にお伝えできる言葉はありません。ただそれは私の体験の本質であるとしか言えないのです。』
(精神活性物質の事典/リチャード・ラジェリー/青土社から引用)

イギリスでは、ほとんどの人が単に薬をキメて踊るだけだろう。さて、冥想者たる修道士にとっては、静謐さの入口には立てるのだろうが、その先には行けるのだろうか。


    1日1善。1日1クリ。

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気の場

2007-02-26 05:55:23 | 気功、導引(冥想法2)
◎高級霊は他人事

気を視覚化できる人と感じる人がある。

高藤聡一郎は、世の中の気を発するものに生物と無生物があるという。無生物は場所や電気器具などのこと。無生物にも二種類あり、形のあるものと形の見えないものがあり、形の見えないものを霊と呼ぶ。

彼は、高級霊は暖かく感じ、その持つ気が広すぎて具体的な形とは感じられない。また、低級霊は冷たく感じ、手をかざすとビリビリ帯電したり、空気の塊のようにふわふわしたものと感じられるそうだ。

『気を感じられるようになるとこうしたことができるから、他人にとりついている霊が、どの程度のものかわかる。大言壮語を吐く霊感師などにつまらない低級霊がついていたり、何でもない人に思わぬ高級霊がついたりしていることがある。

人ばかりでなく、場所や物も同じである。有名な神社・仏閣に狐狸などの物欲霊がついていたり、荒れた祠に、力を持った神が住んでいたりする。

ただ面白いことに、高級霊のいる所はなんとなく整いすぎて人に敬遠されやすい。反対に低級な霊のいるところほど人が集まり生き生きとしている。バーだの競馬場だのは特にすさまじい。低級霊などの独立した霊だけでなく、人の妬み、虚栄・恨みなどの半独立の気が渦巻き、息が詰まるほどだ。

こうした半独立の気とも霊ともつかぬものは、その人の強い意識によって空間にある電界磁界に刻み込まれた記憶と言ってもよい。やがてこうした気が集まって強力に作用しだすと場所の雰囲気が作り出される。そして人が集まり、低級霊が跋扈するような誰にもコントロールできない空間か発生するのでる。』
(仙人になる法/高藤聡一郎/大陸書房から引用)

全国各地にある競馬の場外馬券売り場のウインズでは、どこでも高藤聡一郎のいうような荒れた雰囲気を感じるものだ。それと新宿と渋谷。オフィスでOA機器がいっぱい並んでいるところは、気は乱れているだろうが、その気に善悪、正邪の色はついていないのだろう。

問題なのは、人間の妬み、憎しみ、虚栄、征服欲、支配欲、金銭欲などのネガティブな思念が、毎日テレビや新聞や週刊誌などで、人間にとって当たり前なものと喧伝されるが、そう思い込んでいる人々が街を徘徊することは、まるで低級霊が跋扈するようなものである。だから人が大勢集まる場所は、一様に低級霊が跋扈しやすいということでもある。

それでは高級霊がつくためには、どうすればよいか。高級霊がついた方がよいという発想そのものが、一種の物欲に等しいので、高級霊など何の意味もなく、あらゆる人間的な欲望を捨て去ったところに真理があることを、意識の極限状況を通過して思い知ること、ということになるだろう。

高級霊にこだわれば、自らの覚醒を後回しにて、最高級霊が霊がかりするシャーマンへの道をとることになるが、それはやや時代遅れのイメージがあり、あまりお勧めするものではない。高級霊は高級霊、自分は自分。


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気と現代人の生活環境

2007-02-25 06:30:41 | 気功、導引(冥想法2)
◎マントラ禅や気功の勧め

ホワイトカラーの仕事は、一昔前は、ワープロに向かって労働していたものが、今は一日中パソコンに向かう労働になってしまった。電話とマウスとカバンは持つけれど、ややもすると鉛筆やペンすら終日持たずに終わることすら珍しくない。

通勤は、数万ボルトの電力で走る電車に乗るが、電車の中も冷暖房で、照明バッチリ、山手線に乗れば液晶ディスプレイでニュースまで見れてしまう。

仕事場は、エレベーターに乗って、上のフロアまで上がる、そして冷暖房があり、照明があり、パソコンがある。昼食や休憩時間には、テレビをみたりして、一服するドリンクは自動販売機。

こうした電気器具の発達により、リゲインではないが、24時間働ける態勢を作っていただいたことは大変有り難いことだ。夜中でもお笑いや映画を見れるのは愉快なことだ。

ところが、この結果、睡眠不足になったり、身体が変調を来したり、体力が落ちたり、気力が低下するということが広範に起きるようになってきたのではないか。電気器具は、身体の気に直接干渉してくるのだ。

このような不健康な生活環境で長期的に健康を維持していくためには、マントラ禅気功でもって心身の調整をやる方法がある。こうして見ると、マントラ禅(南無阿弥陀仏、お題目、オームなど)や気功は、やった方がよいというお勧め程度のものではなく、中年になったら身体がぼろぼろになることを回避するためには、若いうちから、必ずやるべきものではないかと思われる。

神おろし、ピースフル、ヒーリング系では、心身の調整をやってもらった直後は快調でも、電気器具に囲まれた日常生活を繰り返していくにつれ、また不調になるのではないか。

また電磁波に限定すれば、まず携帯電話は四六時中身につけたままだし、家庭内では、テレビ、パソコン、電子レンジ。街の中では、電車や自動車がカーブする場所でブレーキをかけることで電磁波が発生しているという。こういう場所の周辺は、気が電磁波で不安定なので、気功の修行には不適当とされる。

仙道研究家の高藤聡一郎は、平地の市街地に建設された高層住宅では、大気中のイオンは不安定になりやすいので、健康を害しやすく、気功の修行にも向かないと指摘している。

合気道の開祖植芝盛平は電車に乗るのを非常にいやがった。

我々の生活にも罠は多いが、生活環境そのものがこのように罠であるからには、近所迷惑にならないように真剣にマントラ禅をしたり、気功に打ち込んだりしないとならないと改めて思った。

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ファシズムが街にやってくる

2007-02-24 06:28:49 | 時代のおわり
◎政治への慢性的不満のはけ口

日常一般の個人的ニーズと合致しない政策ばかりやっている政府に対しては、一般大衆の不満はつのるばかりである。日常一般の個人的ニーズとは、こんなかんじ。

1.過去15年日本人の所得は、下がりっぱなしだけれど、浮揚策をほんどとっていないこと。

2.過去15年日本の大企業は賃金の安い諸外国に逃げ去って、実質的に大幅に日本国内の企業の生産活動は減ったにも係わらず、明治の時代のような殖産興業策をほとんどとっていないこと。

3.労働政策研究・研修機構の調査によると、18―29歳の男女の半数がフリーターまたはフリーター経験者であるにもかかわらず、若者のワーキング・プア問題は、問題の所在すら政府は認めていないこと。

4.毎月多額の請求をしてくる携帯電話の料金体系が、さっぱり明らかにされないこと。

というように、我々個人には身近でない、どうでもよい問題ばかり政策の重要課題として採り上げる政府には、慢性的な欲求不満になるものだ。イラクとか、国民投票とか、国連常任理事国で毎日の生活が楽になるわけではない。そういう政府は、過去ファシズム登場の呼び水となってきた。

『ヒトラーは、民主的な議論のしかたを全廃すると約束した。人民大衆はヒトラーのもとにはせ参じてきた。たえずひとびとの個人的日常的な関心、つまり彼らにとって主観的にはより重要なものを、とりあげなかったので、人々は長い間そうした民主的な議論にあきあきしてきていた。人々は予算とか高度な外交政策とかの議論を望んでいなかった。

彼らは自分たち自身の生活についての現実的で正しい知識を欲してした。民主的な議論からそれを得られなくなった時、かれらは権威主義的な指導体制と自分たちに約束された幻想的な保護の下に自らを預けたのである。

ヒトラーは個人の自由を全廃し、それにかわるものとして国家の自由の確立を約束した。人民大衆は、個人の自由を求める潜在的欲求を幻想的な自由、つまり一つの考えに同一化することによって得られる自由と熱狂的なやり方で取り替えたのであった。

この幻想的な自由こそが自分たちをあらゆる個人的な責任から解放するがゆえに、そうしたのである。かれらは指導者がかれらのために獲得し、彼らに対して保証する自由を渇望していた。ファシズムが彼らに保証した自由とは、大声でわめきちらす自由、真実を逃れ根本的な誤りに逃避する自由、サディズム的になる自由であった。』
(オルガスムの機能/ライヒ/太平出版社から引用)

このようにナチスは、「ゲルマン民族の優位性」を拠って立つべき権威とし、錦の御旗として掲げてファシズムとした。人民大衆の政治に対する慢性的不満は、上手に仕組まれれば、ファシズムまで持って行かれるってことでしょう。

政治や金や生活の問題は、冥想では相手にしないが、冥想があらゆるものとして展開しているという立場からすれば、政治も金も生活も結局冥想から出てくるのだから、まず冥想を。

    1日1善。1日1クリ。

NASA Astronomy Picture of the Day


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チベット医学のチャクラ

2007-02-23 06:44:02 | チャクラと七つの身体
◎チャクラと健康管理

チベット医学では、気の通り道を脈管と呼ぶ。これはウパニシャッドの考え方と同じ。

ルン(風)は、日本や中国でいうところの気で、チベット医学では、この霊的なエネルギーであるルン(風)が我々の日常生活のすべてを成立させているとする。また身体や心の中だけでなく、大気中にもルン(風)があるが、このルンが流れる通路のことを脈管(ツァ)と呼ぶ。脈管(ツァ)は、気の通り道に加え、血管、神経も包含した呼び名となっている。

脈管(ツァ)の中心となっているのが中央脈管。これは、頭頂から性器の先端まで一直線に走り(スシュムナー管と同じ)、その中央脈管にからみつくように右方脈管(ピンガラー管)、左方脈管(イダー管)が通り、それぞれから無数の脈管が派生し蜘蛛の巣のように全身に張りめぐらされている。

中央脈管上に左右の脈管の交差する場所があり、ここにコルロと呼ばれるチャクラがある。この場所は神経叢でもあり、医学上重要なポイントとされる。交差点上のチャクラは、上からアジナー・チャクラ(眉間)、ヴィシュダ・チャクラ(喉)、アナハタ・チャクラ(ハート)、マニピュラ・チャクラ(へそ)、ムラダーラ・チャクラ(会陰)の五個所。

チベット医学では、このチャクラ(コルロ)を瞑想や観想により浄化することで、心と身体に健康をもたらすことができるとする。

(参考:ダライラマ14世の主治医が語る心と身体の書/ロプサン・ワンギェル/法研)

これには、チャクラとは認めがたい頭頂のサハスラーラ・チャクラと、大安心のセンターであるスワジスターナ・チャクラが含まれていない。この2つは、肉体の健康とはあまり関係がないということになるのだろう。

チベット医学は、クンダリーニ・ヨーガの技法で、(肉体ではなく)心の方を統御することで肉体の健康を維持、回復させる方向の医学であるとみてとれた。

ロプサン・ワンギェルの前任のダライ・ラマの侍医イェシェー・トゥンデンは、「健康とは、小宇宙(人)と大宇宙が正しい関係にあること。病気とはその中断である」喝破した。

これを地球について言えば、異常気象は地球の病気。それは人と大宇宙との関係が正しくないということになるだろう。


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ミケランジェロ/ダビデ

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ライヒのオルゴンの定義

2007-02-22 05:45:11 | 気功、導引(冥想法2)
◎気を見る

次の時代の人間と現代人の相違は、まず第一に神・仏・道なるものを明瞭に実感しているかどうかと、霊的なるものに対する感受性・知覚能力の有無ということがあるように思う。

だからといって「みんな霊能力をつけチャネラーになりましょうという」方向は全く誤ったものではある。というのは、現代人の不安定な心理状態のままで、霊能力をつけチャネラーになろうと努力したところで、その感受性の増進により、日々の生活に必要な生存競争に必要な闘争心が減退して、生活ができにくくなるだけで、一利はあるかもしれないが百害があるように思う。

確かに冥想には感受性を深める側面があるが、それが必ずしも霊がかりを目指すものであってはならない。冥想に対して、霊がかりや神懸かり、霊的な世界観を目標や先入観としない、ありのままの姿勢で臨めば、感受性の深まりに応じたネガティブな状態に迷ったりひっかかったりすることは、比較的少ないのではないか。もっともその人の持つ素質や霊的因縁、カルマというものを排除して考えることはできないけれど。

ライヒは、種々の物体から青っぽい光が放射されていると語っているが、同じことを多くの人間が語っているわけではないので、これは、ライヒの持つ特殊な知覚のなせるわざではなかったかと思う。ヒトのオーラは、ある人が見れば光輪と見え、またある人が見れば、狐や狸が憑いていると見えるが如きものではないか。

ライヒのオルゴンの定義は、かっちりとしたものがなく、たとえばこのようなもの。
『晴れた日の日中空を見上げ、眼の力を抜いて空中を眺めると無数の光のきらめきが見えてくる。それはぐるぐる回りながら乱舞しているようだ。』
(ウィルヘルム・ライヒ生涯と業績/マイロン・シャラフ/新水社から引用)

この光のきらめきがオルゴンのことのようで、誰でも注意すれば見えるはずだが、科学史上でこれを採り上げた人はいない。また見えたとしても、どうしても眼そのものの属性ではないかという議論を排除できない。またライヒ自身はオルゴンが眼に見えることを非常に強調したが、オルゴンが見えることは、ライヒの個人的特殊能力であった可能性が高い。

オルゴンは、気、プラーナのことではないかという仮説はあるが、気、プラーナが目に見えるかどうかという点では、見える人もあり、見えない人もありというのが穏当な言い方ではないか。またオルゴンの定義そのものがしっかりしていないので、気、プラーナと同一かどうかという議論も難しい。

中国の医学書の古典黄帝内経では、体内を真気、邪気、正気、陽気など沢山の気が巡ることをいい、そのすべてが陰陽の影響を受けることを語っている。インドのウパニシャッドでもプラーナが体内を巡ることは言っているが、明らかに肉体レベルのことではない。

肉体レベルでない、気つまり七つの身体論でいうエーテル体レベルの議論をするに際して、全員が見えることを前提に議論を勧めようとしたところにライヒの無理があったのではないか。気を見れる人は少ないのだ。気を全員が見るのは現代ではないだろう。


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ライヒの筋肉療法

2007-02-21 06:00:10 | 気功、導引(冥想法2)
◎こりの解消と心の緊張

ライヒの筋肉療法は、心理的緊張をゆるめれば、筋肉の緊張をもゆるめるが、その逆に筋肉の緊張を解除していけば心の緊張をも消滅させていくという原理に沿ったものである。

ライヒは、患者の全身の筋肉の固いしこりや筋(すじ)をあちこち、つついたり、押したり、揉んだりした後で、できるだけ深く息を吸ったり呼いたりしながら、眼球を四方の壁をひとつづつ見るようにしてぐるぐる回させた。

次に両足を上げ、ぐるぐる自転車をこぐように動かし続けると、足の筋肉の痛みは、段々消えていき、甘い陶酔感が全身に広がり、息を吸うたびにその吸った空気が全身のすみずみにいき渡るほどになっていく。この後患者は、気分が高揚し、エネルギーが体内に横溢することを実感して帰途についた。
 
ライヒは、人間の筋肉は、眼、口、顎、胸、横隔膜、腹、骨盤を中心とする七つのグループがあり、それぞれの筋肉のグループは、いずれも不安、怒り、恨み、抑制、といったネガティブな情動によって緊張することがあると考えていた。

たとえば、眼は不安により、口は自己憐憫や泣きたいという欲求で、顎(と背中)は怒りやヒステリーで、固く緊張するといったあんばいである。たとえば不安と怒りが抑圧されると喘息が引き起こされたりする。

ライヒは固くなった筋肉に刺激を与えた後に深呼吸を繰り返させ、更に脚の筋肉運動により血流を促進することにより、まず筋肉の弛緩を実現して、結果として心の緊張をもなくしてしまうことができた。

この手法は、精神分析で多用されるカウンセリングより遥かに効果的に、抑圧されていた情動を表面化させ、(言語化することなく)緊張のピークを再体験することによりその緊張を解きほぐし解消するようだ。

ただしこの療法は、施術者であるライヒが、患者の様子(態度、顔の表情、しぐさ)の変化に対して極めて鋭敏であり、その変化を患者自身に指摘し、患者が自分でその意味を意識する手助けを綿密に行うという才能があったということを無視することはできない。

ライヒはこの療法に関してのすぐれたグルだったのだ。同じ手法を他の先生がやっても同じように劇的な効果を上げるとは限らないのだ。

また,ハタ・ヨーガだけでは、入口に立っただけである。


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オルゴン・エネルギーと放射能

2007-02-20 05:42:41 | 気功、導引(冥想法2)
◎錬金術や気功との接点

オルゴン・エネルギーは、植物の葉っぱからも出ているし、肉体からも出ている。しかしこれを集積すると、放射能を大いに発生させてしまったという事件があった。

1951年、ライヒは、核戦争による放射線被爆を中和できるのではないかという着眼をもって、ラジウム1グラムをオルゴン・エネルギー集積機の中に置いた。すると放射能が強すぎてガイガーカウンターが壊れてしまった。

ラジウム1グラムの放射線では、ガイガーカウンターの針が振り切れることはない。不思議に思ったライヒは、オルゴン・エネルギー集積機の中からラジウムを取り出して、ラジウムの放射線を測定してみると、放射能は正常な値を示していた。

実はこの時既に、この研究所の他の研究者たちも口の中が塩からくなったり、吐き気やめまい、悪寒などの症状を呈していた上に、ラジウムを部屋の外に出した後も、研究室内の放射能は高い値を示していた。

ライヒは更に実験を続け、ライヒはネズミに放射線を浴びせ、オルゴン・エネルギーで治るかどうか見ようとして、ラジウムとネズミを同じ部屋にいれたところ、やがてネズミはほとんど死んでしまった。

こんどはラジウムをオルゴン・エネルギー集積機に入れてみた。すると部屋の中には青みがかった雲状のものが見え、90ヤード離れた屋外にいた人ですら、めまいや吐き気という放射能被爆症状を顕していた。

エヴァ・ライヒは、誤ってオルゴン室の中の集積機に頭を入れたため、二時間の間、半昏睡状態におちいった。

ラジウムは時間の経過に対して定率の崩壊をしていくだけで、急激に放射能を増幅して発生することはない。

おそらく、オルゴン・エネルギー集積機の強化されたオルゴン・エネルギーが、ラジウムの核分裂か核融合を促進させてしまったことにより、放射能を増幅してしまったのではないか。

常温核融合はデマだということになっていて、また核分裂のコントロールも巨大な設備を持つ原発の中でしか発生し得ないことになっているが、ライヒは、はるかにちゃちなオルゴン・エネルギー集積装置の中で、常温でそれを実現してしまったのではないだろうか。

このあたりに、錬金術の物質変性の鍵が隠されているし、気功やレイキで、物質である肉体が変化させるメカニズムのヒントが秘められているように思う。すなわち大気に遍満しているオルゴンを意志により集積して、物質・肉体を変性するというもの。


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ライヒの一生

2007-02-19 05:54:19 | 究極というものの可能性
◎自由のない国アメリカ

ウィルヘルム・ライヒ(1897-1957)は、精神分析の泰斗であるフロイトの高弟でありながら、マルキシズムに傾倒した後、共産党から除名され、ナチスに追われ(焚書までされ)、フロイトにも破門され、アメリカに渡った。アメリカでオルゴン・エネルギーと呼ばれるオーラみたいなものの集積装置を開発したが、研究途中で米国官憲に逮捕され、発狂。獄中で亡くなった。

その唱える説は、自由なセックスの解放によるオルガスムの発現が人間を神経症などのあらゆるストレスから解放してくれるという、性エネルギーないしオルガスム礼賛論とでもいうべきものだった。

これらは、深夜のテレビ番組みたいな奇矯な話題を、大まじめに人間と社会に当てはめようとするドン・キホーテのような試みだったが、そのトライした理論には注目すべきものがいくつかあるように思う。特にオルガスムの理論と、オルゴン・エネルギーである。

オルガスムの理論は、至高の幸福感と悟りの接点を探るものであり、オルゴン・エネルギーの研究は、エーテル体の物理的性質を探るものではなかったかとにらんでいる。

ライヒの着眼点は素晴らしかったが、アメリカの官憲はLSDとティモシー・リアリーの扱いのように、非社会的なインパクトのあるものについては、全然民主主義的ではない強権を行使してくるものであった。

おお、自由のない国アメリカ!


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聖アントニウスの誘惑/ランブール兄弟

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一遍の遺戒

2007-02-18 06:33:23 | マントラ禅(冥想法7)
◎自ら一念発心

一遍の悟境は申し分のないものなので、その遺戒も窮極というものに居て、全く足を踏み外すことはない。

これは一遍の遺戒。

環境を含む人間や生き物にとって自分を悩ます病はない。
地・水・火・風というこの世の四大元素に人間を悩ます煩悩はない。

但し、そのような本来のあり方(本性)にそむいて、金や音楽やグルメやブランドの香水や性欲(色・声・香・味・触)などをむさぼり求めて、地獄道、餓鬼道、畜生道に落ちるのは自業自得の当然の結果である。

そうであるならば、自ら一念発心するほかには、過去現在未来の三世諸仏の慈悲でも救うことが不可能なものである。
南無阿弥陀仏

このように主題は、一人一人が一念発心して南無阿弥陀仏することであり、現代人と何も変わらない。有り難い○○教団に所属しているからその諸仏が慈悲でもって助けてくれるなどということは全然なくて、ほかならぬ自分が発心しないとダメなんだと死ぬ間際まで強調している。

一遍は16年の遊行で、二十五万人に手ずから念仏カード(念仏札)を渡したというが、その総括が自分で冥想(南無阿弥陀仏)しなさいということだったのだ。

また、現世的な享楽を求めるのは間違いであることが、播州法語にも見える。すなわち、「一度南無阿弥陀仏と念ずれば、現実に無比の楽を受けることができる」の中の無比の楽は、俗世間の栄耀栄華の楽であると皆思い込んでいるが、それはまちがいである。これは俗世間の栄耀栄華をむさぼり求めない楽のことであるということ。

言い換えれば、無比の楽とは六神通の漏尽通のことで、サハスラーラ・チャクラの属性として充てられるものであり、人間としての感情に属するものではなく、また人間としての楽しみではないともいえる。

そういう無比の楽を、ともすれば一遍の超能力や超自然現象の方を信じたがる、当時のわかってくれないとりまき達に語り続けるという、砂に水をまくような努力を続けて来た気力には、頭が下がる思いがする。


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ヒマラヤ聖者の生活探求

2007-02-17 05:59:44 | 超能力・霊能力
◎無私の願望の実現

ヒマラヤ聖者の生活探求(霞が関書房)は、最近復刻されたようで、書店で見かけることが増えた。これは、チャネラーであるアリゾナのスポルディング(1953年没)による心霊的な世界観の著作。

キリスト教的な心霊観をバックボーンとして、霊界にブッダやクートフーミーやモリヤなど心霊オタクにはよく知られた心霊(大師)の登場する世界観を延々と述べるもの。こうした霊がかりの世界観が好きな方も多いが、そのような高級神霊を頂点とする世界観で本当の「やさしさを超えたやすらぎ」に出会えるというのなら、私はお勧めしないが、それはそれでやむをえないことだと思う。

スポルディングは、大師方の平和に満ちた世界観(啓示)に入れば、わざわざ坐禅を組んで三昧に入って大師方と同じ境地を発見し直す必要はないという考え方である。

みんなで超能力を開発しようとか、『「私は神である」という真理の内容を完全に悟りきってそう宣言すれば、どんな状態でもたちどころに癒える』と超能力志向だし、ヒマラヤツアーのエピソードでは、大師が思った瞬間に食糧はふんだんに現出するは、豪壮な建物は山中に突然出現するはで、真理を悟って邪悪でなければ、願望実現何でも思いのままという立場である。

ところが、私の見る限り、釈迦もイエスも、自分の肉体ですら「思いのままの快適な状態であることを維持し続けたから、それが真理を体現している証拠だ」などということは主張しなかったように思う。イエスが『今、ここが聖なる地である』というのは、身体に傷があったり、持病があったり、金や住居に困っていても、それでも本来人間には何一つ欠けることがない幸福そのものであるという意味だと理解している。

何か世俗の願望を叶えることが、人間にとって幸福であり、その幸福を得るためにはヒマラヤの大師たちの唱える真理を信じて、今の自分ではない別の『光輝く別の自分』になろうのは、私の見方からすると危うい迷路に入りやすいルートであるように思う。

大方の人は、毎日の生活の中で思い通りにならない願望があって、その願望が実現しない苦しみというものを抱えているものだ。その願望を叶えようとして、ヒマラヤ大師や街のチャネラーの「神様」や新興・既成宗教の門を叩くこともあるだろう。

だからそうした人に、最初から「自分の願望を実現しようとして宗教的なものにアプローチすることは間違いである」などと反論してみせても、だれも聞く耳は持たないのであるが、「それはちょっと違うよ」とささやいておきさえすれば、いつかは気がついてくれることがあるかも知れないと思う。

真相はむしろ、願望にもいろいろあって、本当の自分の願望が何か自分で気がつくためには、冥想などの宗教的トレーニングが必要であって、その結果本当の無私の願望が洗われ出てくる。その無私の願望こそがたちどころに実現する性質の願望である。これを指して大師たちは「想念は実現する」と宣言しているのだと思う。

ガラクタの劣情的願望の気ままな実現を保証する大師は、ちょっと違うのではないだろうか。


    1日1善。1日1クリ。


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格差問題と徴兵

2007-02-16 05:41:11 | 時代のおわり
◎ワーキングプア向けの政策

国民投票法案が可決されて、やがて憲法が改正となり、自民党・公明党政権の望む「戦争放棄」が撤廃されれば、アメリカみたいに38歳以下の男性を中心に徴兵義務が課せられることになるのではないだろうか。

ボストンを中心とした約100人のベトナム戦争帰還兵を調査したクリスチャン・アピーによると、ベトナム戦争当時の米軍の実際の入隊者は約250万人であったが、そのうちのおよそ8割までが労働者階級(ブルーカラー)ないし貧困層の出身者であったという。
アメリカでベトナム戦争当時徴兵年齢に達したのは約2700万人で、その約一割弱が兵役を経験した。

そうなった原因は、兵役拒否はブルーカラーの労働者階級にもミドルクラスのホワイトカラーにも平等に認められていたが、ミドルクラスの子弟の方がオープンに良心的兵役拒否や、かかりつけの医者に兵役不適格診断書を出してもらうことに環境的に抵抗がなかったためとしている。

一方ブルーカラーの若者達は、徴兵忌避を選択することは可能であったが、父親が第二次世界大戦経験者だったり、兄が朝鮮戦争従軍者だったり、地域コミュニティが徴兵に応じるのが当たり前の雰囲気だったりしたことで、忌避を選択することが少なかった。
(参考:負けた戦争の記憶/生井英孝/三省堂)

イラク戦争志願兵を見ると毎月の金銭的手当てが出ているようであり、ベトナム戦争当時も、このような経済的支援は、貧困層が徴兵に応じる大きな理由となっていたのではないか。

この先例からして日本では、バブル崩壊以後の15年で出来上がった経済格差により発生した10百万人とも20百万人とも呼ばれる膨大な多重債務者などの低所得層家庭の子弟、若者を中心に、格差の負け組を兵役に追い込んでいくスキームがほの見えるように思う。

「再チャレンジ推進会議」や「成長力底上げ戦略構想チーム」というものが後世からみたら、貧困層を兵役に追い込むまでの期間のワーキングプア(貧困層)向けのつなぎ政策であったというような悪夢にならないことを祈りたい。

最近の若者の、過去2回の世界大戦当時よりはるかにか細い神経で、皆シェルショックにならずに済むものだろうか。

日本で徴兵・戦争で若者が減れば、人口は更に減少し、年金もかなり減ることになるんだけれど。


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シェルショック

2007-02-15 06:02:24 | 冥想アヴァンギャルド
◎日常生活と社会への恐怖

第一次世界大戦は、遠いヨーロッパを戦場として起こったので日本人には縁遠いイメージのものである。その後に大正モダンが起こったけれど、今の我々にとっては、古い白黒の動画でしか当時を偲ぶよすがはない。しかしその兵士たちの心に起こったできごとは決して遠いものではない。

シェルショックとは戦争神経症の典型である。第一次世界大戦では、最前線で戦った兵士の大半が多少なりともシェルショックの症状を呈していたようだ。第一次世界大戦のソンムの戦いで、塹壕から飛び出して敵に切り込もうとするイギリス兵アレクサンダー・エイケトンの回想。

『私は硝煙の中を進んでいった。・・・・・猛烈な敵の砲撃の中を進んでゆくと、まるで高圧電流にふれたように無力になる。何も考えずただひたすら進みつづけるしかないのだ。死から身を護る最後の盾も奪われ、私の意識は麻酔で眠りに落ちる瞬間のように、あるいは麻酔から醒めた瞬間のように固定したままだ。安全な場所にたどりつくか、敵弾にやられたショックだけがこの自己催眠を破ってくれる。意識だけではない。あたり前の感情がすべて麻痺してしまうのだ。

だが麻酔をかけられた感覚は攻撃の時だけとは限らないらしい。塹壕生活が長引くと兵士の多くは似たような感覚に陥るという。前線での生活が三週間も続くと、兵士は自分の中で何かがはっきり変化したという意識を持つ。反応は一般に鈍くなり、顔から表情が失せ、目の輝きが消える。地獄のような戦場で発狂せずにいようとすれば、無感覚にならざるを得ないのだ。ドイツの学徒ヒューゴ・シュタインタールは、塹壕でのうんざりするような仕事から解放されたあと、故郷の家族にこんな手紙を書いた。

こんなに長く塹壕で過ごし、こんなに激しい攻撃を受け、それでも正気を失わない者がいるとすれば、少なくともその人は感じる力を失っているにちがいありません。あまりに恐ろしいことや信じられないほど無残なことが哀れな私たちに降りかかってきます。でも信じがたいことに私たちはそれに耐えています。私たちのか細い神経はとうていそれらすべてを感じてなどいられないのです。』
(春の祭典/エクスタインズ/TBSブリタニカp237-238から引用)

『シェルショック。それがどんなものかやつらにはわかってるのか。大の男が半狂乱で両腕を振り回し、子供みたいにわんわん泣き叫んでは近くの兵士にしがみつき、一人にしないでくれと哀願するんだぞ。』
(春の祭典/エクスタインズ/TBSブリタニカp239から引用)

こうした悲惨な体験は精神医学では、PTSDの発症原因のひとつであることが知られているが、問題なのは、戦争では大規模な人数でシェルショックが集団的に起こっていたこと。そしてこのような体験者が社会に復帰して不適応による様々な波紋を社会と家庭に広げていったことであろう。

核戦争の恐怖という場合に、潜在意識の反応として我々は心のどこかでシェルショックみたいな、身をすくめて見ない・聞かないという反応をとっていることがあるのではないだろうか。核戦争と同様に我々の意識を脅かす恐怖は社会から爪弾きされる恐怖である。
『長いものには巻かれろ』ということわざには、こうしたシェルショック反応が隠されているようにも思う。

集団シェルショックを見て、覚者たちは死の恐怖がこの反応を引き起こしていると喝破するのだろう。肉体の死も怖いが社会における死も怖いものだ。一般に若人にとっては肉体死は意識には上らないが、社会における死は万人に共通の恐怖である。死を忌避するとシェルショックになるが、死を忌避する近代西欧型文明に生きる我々という奇妙。

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マラドーナがローマ法王をくさす

2007-02-14 05:43:04 | キリスト者の秘蹟
◎ロザリオの秘密

サッカーの偉大なファンタジスタ、アルゼンチン生れのマラドーナがローマ法王に初めて会った時に、まずマラドーナの母が法王からロザリオをもらい、次に恋人のクラウディアがもらい、最後にマラドーナがロザリオを受け取った。

法王はマラドーナにイタリア語で「これは特別だよ。君のためにね。」。マラドーナはその時は緊張して「ありがとう」しか言えなかった。

そしてしばらくその辺を歩いて、母や、クラウディアのロザリオと自分のを見比べてみると、全く同じロザリオであることに気がついた。

そこでマラドーナは法王に「すみません。僕のとお袋のとはどう違うんですか。」と尋ねると、法王は、僕の方を見て、背中をポンポンと叩いて、にっこり微笑しただけだった。
(参考:マラドーナ自伝/幻冬社)

マラドーナは、他人と違うデザインのロザリオをもらえなくて、これを法王は嘘つきであると糾弾したのだ。

ローマ法王は、与えたロザリオそのものに何かがあるのではなく、そのロザリオをきっかけとして神に出会う深遠な体験が起これば、そのロザリオが特別なものになることを知っていた。特別なことは、ロザリオのデザインにあるものではない。

マラドーナの立っているバチカンの地、今、こここそが聖なる場所であり、聖なる時であることに気がついた時に、ロザリオが特別なものになるのだ。ローマ法王だって神を見るくらいのことはしている実力ある人なんだから、マラドーナが語るような単なる裏で金をかすめ取っている偉い奴ってことはない。


    1日1善。1日1クリ。

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