アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

幽体離脱のステップ-2

2006-07-31 04:37:38 | 超能力・霊能力
◎始めはぼんやり、段々はっきり

プレアデス、シリウス、オリオンなども霊界のうち。そのような霊界発の情報だからといっていつまでも珍重するわけにはいかない。というのは、わざわざ霊的存在に教えられなくとも、自分が神であることを自ら確認するのが当代の主流なのだから。そういった霊界のポジティブなエネルギーもありがたく頂戴するとしても。

さて幽体離脱と現代医療の接点は、末期医療における死後生存の問題(死後も人間の意識が存続しているのではないか)という点である。死後生存の研究は、試験対象が生還者すなわち臨死体験者にほぼ限定されているので、実験の妥当性に限界がある。この限界を打破するためには、死者の意識と実験者が直接意識交流することしかないだろう。つまり実験者がクンダリーニ・ヨーガの修行などして、テレパシーの能力を身につけることだろう。

高知県の山の中に掘った洞窟で、某氏の冥想中の幽体離脱の2回目です。他のブログにも自分の離脱体験を披瀝しているものを見かけますが、大同小異です。この引用文は非常に詳細に描写してくれていることに感心致します。

2.二回目の幽体離脱
『朝のお参りに穴へ降りて、しばらく瞑目していると、急速に感覚が鋭くなってくるのが判る。近頃やっと慣れてきた霊としての感覚である。人間としての感覚とは比べようもない鋭さでまさに百キロ先の物音でも聞きとれそうなほどである。

しかしながら、感覚としては半醒半夢の状態に近く、いかに手足を動かそうとしても体は何者かに固着しているようで少しも動かない。これは私があの事故を目撃した時に感じた幽体離脱の始めに経験した現象と同じである。

しばらくすると私の体の硬直状態は次第に緩和され、続いて空中浮揚の感じが起こってきた。初めは肉体が浮き上がったのかと思ったが、そうではなく、もうひとり別の私が浮き上がっていることが判った(これが私の幽体であることをまもなく知ったが・・・。)。

ともかくふわふわと風船玉のように浮き上がる感じが起こり、同時に後頭部に非常な圧力が加わってくるのを感じた。それは猛烈に全身を神道させるほどの勢いなのだ。その苦しい、悩ましい状態がしばらく続くと何やら耳鳴りが激しくなりだし、ほとんど同時に周囲の光景が見えだした。私は穴底の上方一間くらいの高さで水平に浮き上がっているのだ。最初すべてのものはいささか朦朧としていたが、次第々々に明瞭になってきた。

私は徐々に横臥の姿勢で天井を指して上昇していった。二間位上昇したかと思った時、私以外のある無形の力が加わって、私は水平の姿勢からにわかに垂直の姿勢に方向転換を行い。音もなく穴の底に立ったのである。

しかし硬直状態は依然として続き、しばらく私はボンヤリそこに立っていた。やがて私を支配する力がゆるみ、すっかり自由の身になった。その時になって初めて発見したのだが、驚いたことに穴の底に二人の自分がいるではないか。

しかも一方は穴の底に横臥しているのだ。よくよく注意してみると、同一形態の自分達の間には、ゴム紐(ひも)のようなものが付いている。もっと詳しくいうならば、肉体の両眼の中央部と幽体の後頭部との間に白い紐が付いているのだ。

自分自身はもちろん幽体の方に宿ってはいるが、慣れないため、その均衡をとるのが困難で、あっちへヒョロヒョロ、こっちへヒョロヒョロ、少しも安定しないのには閉口した。その時また”光の存在”が現れた。』
(霊界旅行/丹波哲郎/中央アート出版から引用)


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日蝕/グランビル

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幽体離脱のステップ-1

2006-07-30 06:49:34 | 超能力・霊能力
◎霊になっても孤独は変わらず

幽体離脱することそのもので、何か人間としての悲しみや不条理を徹底的に直視させられるようなことが起こるわけではない。丹波哲郎の「霊界旅行」で紹介されている事例は、光の存在に導かれて、バス事故で死んだ25名のあの世での一人一人の消息を追う様子を描写して、霊界、地獄界の実情を明らかにしようというもので、霊界好きの人には恰好の読み物になっている。

日本霊異記からスウェデンボルグ、霊界物語まで、霊界紹介ものは数多いが、その位置づけは、「人間は肉体オンリーの存在である」という先入観を払拭するヒントになる程度のものではないかと思う。

というのは、霊界にあっても、人間は個人としての霊から抜けられない。つまり霊界においても、自分は他人とは別であるという実感が変わらないからである。自分が他人とは別である限り、神と人とは実は同一である、という自覚は絶対に起こらない。

これは、昭和二十五年、高知県の山の中に掘った洞窟で、某氏の冥想中に起こった話。
1.初回の幽体離脱
『身体は、そのまま地面に、倒れ込んだに違いないのですが、私自身の意識は、宙に浮かび上がったというほうがどうやら当たっています。その瞬間激痛が走ったのも覚えています。

やがて祭りの太鼓のようなドンドン響く音が鳴り渡り、真っ暗な穴か洞窟のようなところを大変な勢いで昇っていったようでした。そしてふと気がつくと、私はいつのまにか高い木の梢にいるのです。』
(霊界旅行/丹波哲郎/中央アート出版から引用)


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出口王仁三郎のアストラル・トリップ

2006-07-29 07:10:58 | 超能力・霊能力
◎三次元宇宙の自由自在な歩き方

出口王仁三郎(戦前の教派神道家)は、綾部、亀岡から一歩も出ないまま、当時開かれていた東京上野の博覧会に、三回も行って見てきたが、見るべきものもなく詰まらんぜなどと話したことがあり、日常的にアストラル・トリップで、方々を見て歩いていたものと考えられる。

アストラル・トリップ・幽体離脱というものは、寝入りばなに置きやすいとか、手術の時に起きるとか、臨死状態の時に起きるとか、「科学的なアプローチ」をしようとする本には、いろいろと書かれてあるものだ。しかしそうした偶発的なトリップの最後に行き着くところは、意図的なアストラル・トリップであり、そうした意図的なトリップの典型例がこの出口王仁三郎の例ということになろう。

たとえこれができたからといっても、「人間の命の悲しみ」「情けない自分からの解脱」というようなものとは何の関係もないことは言うまでもない。

『私は明治三十一年二月、高熊山修行中、重要なる世界の各地を皆見せてもらったが、その有り様はこうである。
神使に導かれて、ある大きな室に入ってゆくと、いま弥勒殿に掛けてあるような、大きな地図がかかっている。神使はある地点を指さして、そこは某地点であるということを示される。

次に他室へ導かれて入ってゆくと、その地点の大きな模型が備えつけられてある。神使は、一々詳しく説明して下さった。

だから私は、その地点を踏まないでも、実際行ったと同じように知っているのである。前にも言うたとおり、第一番に天教山の富士山、次に信州の皆神山、それから次々諸所方へつれて行かれたのであるが、飛騨の山奥などには前人未到の神秘境がある。一度はそこへもゆかなければなるまいと思っている。

今でも必要があってこの地点を見たいと思う場合には、さっと地図がかかり、模型が出てくる。模型と言っても実際に歩くことができるほど大きなものである。』
(月鏡/出口王仁三郎/天声社から引用)


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Wind from a Black Hole /Astronomy Picture of the Day

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キュブラー・ロスのペット・ロス

2006-07-28 06:42:06 | 冥想アヴァンギャルド
◎愛する兎の死

終末医療の元祖キュブラー・ロスは、小学生の時分に兎を10匹飼っていた。自分で小屋を掃除し、いつも欠かさず餌を与え、一緒に遊んでいた。キュブラー・ロスが帰宅する時には、兎たちはいつも門のところまで迎えに来ていた。

数カ月に一度、母が兎肉のシチューを作っていたが、長い間それがその兎だとは気づかなかった。

ある朝、父が母に兎のローストを作るように命じ、キュブラー・ロスは、兎を一羽つかまえて肉屋に持っていくように命令された。あまりのことに茫然としながらも、黙って命令に従ったが、その夜のローストは、一口も食べることができなかった。

『数カ月にわたり同じことが繰り返され、とうとう最後にお気に入りのブラッキーだけが残った。大きな牡の兎でまるまると太り、黒い毛がふわふわとしていた。いつも抱いて可愛がり、どんな秘密も打ち明けていた。とても聞き上手な精神科医だった。この世でただ一人、無条件で私を愛してくれる生き物だと確信していた。

恐れていた日がやってきた。朝食がすむと、父はブラッキーを肉屋に持っていけと命じた。私は取り乱し、震えながら外に出た。ブラッキーを抱き上げて、父に命じられたとおりのことを告発した。ブラッキーは私の目を見つめていた。桃色の鼻がぴくぴく動いていた。

「できないわ」私はそういうと、ブラッキーを地面におろした。「逃げるのよ」と促した。「さあ早く」、兎は身動きもしなかった。

時間がなくなった。学校が始まろうとしていた。私はブラッキーを抱き上げ、肉屋に向かって走り出した。涙が頬を伝っていた。哀れなブラッキーは恐ろしい運命が待ち受けていることを感じとっていた。私にはそれがわかった。肉屋に手渡す時、ブラッキーの心臓が、私のそれと同じに早鐘のように打っていた。わたしはさよならも言わずに学校に走った。

その日は、ブラッキーのことで頭が一杯だった。もう殺されているだろうか。私が愛していたことを、一生忘れないことを、知っていてくれただろうか、そればかりを考えていた。さよならをいわなかったことを後悔した。

その日、自分がしたこと、自分に問いかけたことのすべてが、それ以降の私(キュブラー・ロス)の仕事に影を落としている。私は自分の行為を憎み、父を責めた。』
(人生は廻る輪のように/キュブラー・ロス/角川書店から引用)

神はその人に耐えられない試練は与えないものだとはいうけれど、現実は残酷なものだ。

キュブラー・ロスは、もともと生き物に対する慈しみの心というものは持っていて、それがこの事件によって、一層確かなものになった。当時(1930年代のスイス)ですらこうした人は決して多くはなかっただろうが、今もこうした「慈しみの心」を持つ人は、ますます目立つことはない。

次の時代は、愛の時代などと言うが、この「慈しみの心」のない人々がほとんどである現代が、そのまま愛あふれる時代に入れるとは考えにくい。日本でこれだけペットが飼われるのは、そうしたことに気づくための、最後の道具立てのひとつとみるべきだろう。  


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死んだ息子の行く先

2006-07-27 05:53:10 | 冥想アヴァンギャルド
◎大愚の面目なし

昨日は、子をなくしたシカゴの黒人のオバさんが実は悟っていたという逸話であったが、今日は、悟ったと思い込んでいた坊さんが、実は悟っていなかったことに気づくの段。

大愚宗築は、江戸時代初期の臨済宗の高僧。
『ある時、子をなくした婆さんがやってきて、大愚に導師を頼んだ。荼毘が終わった後、婆さんは大愚に尋ねた。

私の子供は幸いにも和尚様の慈悲深い引導を受けることができましたが、果たして死んでからどこに行ったのでございましょう。」

そう問われても、大愚には答えるすべがなかった。
婆さんは大いに悲しんで去って行った。

その場に残った大愚はひとりごちた。
「わたしはすでに悟ったと思っていたが、この老婆の質問に答えることもできなかった。全く情けないことだ。このようなざまで寺にとどまっているのは恥ずかしい。」

大愚は、この婆さんの言葉で生涯の転機を与えられ、奮起一番、寺を出て、再び行脚の旅に立ったのである。』
(禅門逸話選/禅文化研究所から引用)

ここは、人は死んだら地獄に行くのか、極楽に行くのかということを問うているのではない。「最愛の息子ですら死ぬ」ということを認められるかどうかと問うているのである。

これがわからなければ、本当のやさしさ本当の愛もない。単に臨済宗の坊さん個人の面子がつぶれた話ではない。


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死を受け入れる

2006-07-26 07:42:57 | 冥想アヴァンギャルド
◎ある黒人掃除婦の息子の死

死を受け入れるというのは、神秘体験でもなんでもない、いわば日常の延長である。しかし、既に死を受け入れた人に日常生活の中で出会うことは稀である。病院においてすら、よくあることではないだろう。

病院の重体の患者が、死を受け入れるというのは、死の側から生を見るのか、生の側から死を見るのかと問われれば、それは後者であると回答するしかないだろう。死の側から生を見るのは、熟達したクンダリーニ・ヨーギ(修行者)だけの技であるからである。

従ってここでは、只管打坐的な悟りである「生の側から死を見る」ということが、特別な冥想の姿勢もとらず、特殊な呼吸法もなく、ある思惟の誘導だけで起こっていくことに注目したい。重体の患者が死を受け入れるというのは、一種のジュニャーナ・ヨーガ(知のヨーガ)によって神性を見るということに似ているように思う。冥想には姿勢は関係ないということは、この事例によってもよくわかる。

精神科医エリザベス・キュブラー・ロスは、瀕死の患者の部屋から、ある黒人の掃除婦が出ていった後に、決まってその患者の表情が明らかに変化したことに気がついていた。
キュブラー・ロスは、その黒人の掃除婦が、患者に「死を受け入れさせ」ていることに気がついていたので、その掃除婦をつかまえて、患者に一体何をしているのか訊いてみた。

『シカゴのサウスサイドのスラムに生れた女(黒人掃除婦)は、貧困と悲惨の中で育った。アパートには電気もガスも水道もなく、子供たちは栄養失調で病気がちだった。貧しい人たちがたいがいそうであるように、女も病気や飢えを防ぐ特別な手段を持たなかった。子供たちは粗悪なオートミールで飢えをしのぎ、医者にかかることは特別な贅沢だった。

ある時、彼女の三歳になる息子が肺炎で重体になった。地元の病院につれて行ったが、10ドルの借りがあったために診てもらえなかった。女はあきらめずにクック郡立病院まで歩いて行った。そこなら貧窮者でも診てもらえるはずだった。

不幸なことに、待合室は女と同じような深刻な問題をかかえた人たちであふれ返っていた。待つように指示された。三時間じっと待ちながら、女は小さな子が喘鳴し、あえぐのを見ていた。息子は女があやす腕の中で息絶えた。

嘆くなといってもとうてい不可能なその経験を淡々と語る女の態度に私は胸を打たれた。深い悲しみをうちに秘めながらも、女は否定的な言葉を吐かず、人を責めず、皮肉も怒りもあらわさなかった。

その態度があまりにも人並みはずれていたので、まだ未熟だったわたし(キュブラー・ロス)は、思わず「なぜそんな話をするの?それと瀕死の患者とがどういう関係があるというの?」と口走りそうになった。

女はやさしく思いやりのある黒い瞳で、じっと私を見つめ、まるで私の心を読んだようにこう答えた。「いいですか、死は私にとって、なじみ深いものなんです。古い古いつきあいですからね。」

私は師を見上げる生徒になっていた。「私はもう死ぬことが怖くありません。」女は静かだが、はっきりとした口調で続けた。「死にそうな患者さんの部屋に入っていくと、患者さんが石のように固くなっていることがあります。しゃべる人が誰もいないんです。だからそばに行くんです。時には手を握って、「心配することはない、死はそんなに怖いものじゃないって、言ってあげるんです。」そういうと女は口を閉ざした。』
(人生は廻る輪のように/キュブラー・ロス/角川書店から引用)

この黒人掃除婦は、禅の表現で言えば、大死一番をしてしまったのである。

人生の本質的な問題は、最後は死を受け入れることに尽きる。最近流行のリラックス瞑想や霊界誘導瞑想だけで、死を受け入れるということには取り組まないものは、現代人にとっては食い足りないところが残る。というのは、土壇場で役に立たないからである。


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キュブラー・ロスの体外離脱

2006-07-25 04:28:26 | 究極というものの可能性
◎飛翔体験で修理

キュブラー・ロスは、精神科医であり、末期医療や死の科学のパイオニアとして有名である。冥想や霊に関心のない人にとっても、よりによって、まじめな学究として知られる彼女が、そういうものに心ならずも引き込まれて行ったことは意外なことだろう。

キュブラー・ロスは、冥想の経験もなく、霊能力もなかった。グルもいなかった。ただし霊の出現は見たことがあった。

キュブラー・ロスは、午前4時までワークショップがあり、くたくたになって自室に引き上げた。
『数秒後には、深い眠りに入っていた。ところが眠りに「落ちる」のではなく、からだから抜け出して、どんどん上昇しているような気がした。ぐったりとしているので怖さも感じなかった。はるか上空に昇った時、何人かの「存在」に抱き抱えられていることに気がついた。存在達は私を修理する場所に運ぼうとしていた。

何人もの修理工が自動車を修理しているような感じだった。ブレーキ、トランスミッションなど、それぞれに得意分野があるようだった。損傷部品がたちまちの内に新しい部品に交換され、私はベッドに送り返された。』
(人生は廻る輪のように/キュブラー・ロス/角川書店から引用)

行ったところは、霊界止まりだけれど、初めての上昇体験として心理的なインパクトのあることなのだったろう。


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クンダリーニとウパニシャッド-12

2006-07-24 00:02:51 | クンダリーニ・ヨーガ
◎坐法と調息-3

ウパニシャッドでは、止息法の実習により、クンダリーニの智が生ずるという。クンダリーニの智とは、「全く外界と絶縁した赫耀たる内在の光の相である。最高の真理である。」とする。

それを外見からみると空飛翔印であると言う。この空飛翔印については、それ以上具体的な言及はないが、これこそが、クンダリーニ覚醒プロセスの中心太陽との合一までのステージのことを示唆したものと想像される。

そこでは、独立型(独存型)の止息法とは具体的には何か、ということが問題となるが、これ以上の説明はされていない。

シャーンディルヤ・ウパニシャッド(ウパニシャット全書)から以下引用。
『いまここに止息法を説明しよう。これには、併存型と独立型がある。併存型とは、虚相、満相を含むものである。虚相、満相を離れたものが独立型である。

独立型の究竟位に達するまで、併存型の止息法を練習しなさい。独立型止息法の究竟位に達すれば、すべての世界(三界:欲界・色界・無色界)において、その人にとって障害となるものは存在しない。

独立型止息法によって、クンダリーニの智が生ずる。これによって痩身、喜ばしい顔色、汚れなき眼、明晰なる発音、病気からの解放、打勝たれたる円点(?)、強烈なる火がある。


内的な特相がある。
閉目、開目に関係のない外的な知見がある。
これは即ちビィシュヌの印相(印を結ぶこと:ヴィシュナビー・ムドラー)であって
一切の秘密文学(タントラ)に秘かに伝えられているものである。

内的な特相に集中して、心意が清浄である修行者は
常に不動の瞳をもって知見によって活動する。
外界、下方を見るけれど(心)実は見ていない(目)
この印相は、実に空飛行相(ケーチャリー)である。

それは特相に集中しているものや、
吉祥なるものや、空不空から、
遠く離れているものの始まり(芽)となる
その名をヴィシュナビーと言う。

半眼の光は堅固な心によって
鼻端に投げられた視線である。
日月である。隠没に近づきつつある。
最上不動の境地である。
全く外界と絶縁した赫耀たる内在の光の相である。
最高の真理である。
かの最高のもの自体である。
シャーンディルヤよ「汝、それを知りなさい」

瞳を光に相応させれば
何者が両の眉を挙げさせようか(挙げさせはしない)
かの過去に為したマーヤ(煩悩)の道は
速やかに無心位に入らせる

それゆえに空飛翔印(ケーチャリームドラー)を修習しなさい。
それは無心位である
それよりヨーガの睡眠がある。
それを享楽する修行者には時間は存在しない。
シャクティ(性力)の内に意を係け、
意の内にシャクティ(性力)を至らしめ、
意を以って、意を観じなさい。
シャーンディルヤよ。汝は福楽の享受者である。』

無心位については、判然としないところがあるが、時間のない世界であるので、第六身体か第七身体であるとイメージすることができる。


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チベットの文化破壊

2006-07-23 08:28:22 | 時代のおわり
◎ダイナマイトで徹底的に

旧ユーゴの紛争時でも、宗教の異なる人々を民族浄化と称して殲滅したことが話題になった。それは資本主義国間においてだけ起こるものでなく、チベットにおいては、「宗教はアヘンである」を国是とする中国によって、文字通り、宗教文化の破壊という形で、徹底的に起こった。

1959年のチベット動乱では、ダライラマ十四世始めチベット密教各宗派の指導部の大半がインドに逃亡した。そして動乱時には、ダライラマ側の拠点となったゲルク派の総本山ガンデン寺は、中国人民解放軍の砲撃を受け、主要な堂塔のほとんどが瓦礫の山となった。

1966年からの文化大革命においては、チョカン(大昭寺)の十一面観音像やラモチェ(小昭寺)の阿閦金剛像など多数の名刹が破壊され、仏像や仏塔が灰塵に帰している。

サキャ派では、北寺と南寺があったが、文化大革命で、北寺は完膚なきまでに破壊された。ゴルなどの新サキャ派の本山も、文化大革命中に寺宝の大部分を失った。

カギュー派では、1959年にカルマパ16世が大量の寺宝を抱えて、ブータンに脱出したが、残された総本山ツルプ寺の有名な釈迦牟尼大仏は、文化大革命中にダイナマイトで破壊された。

ニンマ派の総本山ミンドゥルリン寺は、文化大革命中に主要な堂塔のほとんどを破壊された。

ポタラ宮は、中国国務院の重点文物指定を受けていたため、例外的に破壊が軽微だった。しかし地方の小さな寺院は跡形もなく瓦礫と化してしまっており、数しれぬタンカや塑像が失われている。

チベットでは、このような宗教的文物の大半が失われてしまったのだが、その本質である冥想技法は、失われることなく、生き延びることができた。そこは、宗教国チベットの面目躍如たるところであろう。

日本は、高齢者人口の比率が急増するなど、誰がどう見ても、国としての勢いを喪失しつつあり、亡国への道を進んでいるように見える。 チベットへの中国侵攻前夜も、こんな安閑たる雰囲気であったことが、チベットものにはよく出てくる。


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Tingri, [Barbara Bussell]

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パドマサンバヴァの殺生

2006-07-22 06:21:57 | 究極というものの可能性
◎悪人を殺して諭す

パドマサンバヴァはチベット密教の開祖。日本で言えば、空海みたいな感じの存在。
インドに生れ、縁あってチベットに布教に入った。

『インドの奥地に屠殺者が住みついている街があった。
パドマサンヴァバは、彼らを調伏するために、彼らの息子のうちの一人であるアウトカーストの悪人カティに姿を変えた。

カティは屠殺を生業としていたので、彼は人を殺して食べようと、動物を殺して食べようと同じ事だった。

そしてカティは屠殺者たちを殺し、彼らの肉を食べ始めた。
カティが自分の肉を切って食べだすようになると、人々は彼を罵り、遠くへ追い払った(仏教徒は肉食を戒めるので、自分の肉といえども肉食として、人々は遠ざけたもの)。

カティは逃げ去り、トゥンボという屠殺者と知り合いになった。トゥンボはカティと同じくらい邪悪な人間であった。トゥンボは言った。
「俺たちは同じよーな世界に住んでいるんだ。互いにいい仲間になろうじゃないか。」

カティはトゥンボに矢と弓とわなを与えて言った。
「さあ屠殺者たちを全力を尽くして殺し続けろ。そうすれば私は全力を尽くして、死んだ者の”意識原理を”神々のもとへ届けよう」

このようにして屠殺者たちは全滅させられた。』
(パドマサンヴァバの生涯/春秋社から引用)

縁なき衆生は度し難しという言葉があるが、救いようのない悪人は、一旦殺してしまって、より話のわかる状態である”意識原理”にしてから、救済するという方法をとることがあるという説話である。

そうした方法をそのまま採用しようとする宗教がバックボーンにあるのかどうかは知らないが、米国、ロシア、中国と世界の強国がこぞって核ミサイルを地球を何十回全滅できるほどに準備して、世界の悪人をまとめて殺戮しようとしている。その殺戮されるべき悪人とは自分のことだとは、決して思わないものだが、いざ核戦争が始まってみたら、その悪人とは自分のことだった、と気づくことになるだろう。

人間がその意識を進化させるには、肉体を持ったままで進化させる方法と、このように肉体を奪ってしまってから進化させる方法があると考えられる。

パドマサンバヴァの伝記に、このような一種奇抜な逸話が載っているからには、神々の側からはそのような選択肢があることはわかる。

けれども、人の一生は一回きりなんだから、自分の愛着のあるものやお気に入りのもので気晴らしをするというような、人間の楽しみというものは欲しいものだ。
そうしたものを、これからも存続させていくためには、一人一人が悪人であることをやめる他はあるまい。


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ベイルート

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不動明王を見る-2

2006-07-21 05:38:13 | 修験道
◎十万枚大護摩供

天台の筒井叡観師(1948年生れ)は、十万枚大護摩供の中で、不動明王に出会った。

十万枚大護摩供とは、百日間の穀断ち、塩断ちの前行を経て、まる七日七夜の断食、断水、不眠をしながら、10万枚の護摩を焚くものである。断食七日はよくあることだが、断水は3日で死ぬとも言われるので、これを7晩行うのは死の危険を伴う。何もしないで、単純に7日断水を行うだけでも危険だが、人々の願文の書かれた10万枚の護摩木を焚くという重労働を行うのである。

『5日目からは、一人では立てないし、瞳孔も開きっぱなしになるという。

日を追って肉体はやせ衰えていくのは当り前だが、5日目くらいから、筒井師の魂の輝きが護摩木を焚いているようになり、そのバイブレーションに、観客、後援者、協力している僧たちが撃たれたような真剣な雰囲気があったという。

筒井師によると、「5日目に人生観が変わったその瞬間があった。」「これまで生きてきて、うれしくて涙を流し、悲しくて涙を流す。でもそれは、まだ自分が何かをやっているという考えの段階です。それを超えて、自分はやらされているんだと気づいた時、口から出る言葉は、ただありがたいです。」

更に奥深い体験があったのではないかと筒井師に問うと
「気づくと,いいようのない快感につつまれてました。本当にこれだけはいい気持」になって、5日目に「信ずるのではなく、身を任せきる」ということに気づくと、不動明王が眼前に姿を現したという。不動明王は、「逃げてはいけない」と語りかけもしたという。』
(行とは何か/藤田庄一/新潮選書から引用)

これは不動明王という高級神霊が立ち現れて、願文を寄せてくれた人々のために、我が身を捨てて、十万枚大護摩供を行じている筒井師に、バクティ=献身の本義というインスピレーションを与えてくれたものと見たい。

不動明王やら、紅蓮の炎やら、断食、断水という派手な道具立てに、目を誤魔化されそうになるが、十万枚大護摩供の本質は、意外にもバクティ(利他行)だったのだ。


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不動明王を見る

2006-07-20 05:22:39 | 修験道
◎修行と悟り

千日回峰行者が不動明王を見ると、本人が何も言わなくとも、様子がそれまでと変わるという。それは、キリスト者がキリストを見ると様子が変わるのと同じ。見神、見仏なのだろうと思う。

千日回峰行者の間には、「見たか」という符牒のような言葉があり、それは、不動明王を見たかというものである。

小林栄茂師という千日回峰行者にそんなことがあるのかと問うと、「ああ、(不動明王)は大きいですなあ」とこともなげに穏やかに答えていたそうだ。

小林栄茂師は、昭和三十年代に千日回峰行をしていた人。今と違って千日回峰行が、誰からも注目されることがない時代。千日回峰行を始めたが、食べるものにこと欠いて、しばしば路傍の山菜を摘んで味噌汁の具に入れた。野菜を買う金もなく、麓の坂本の町の八百屋さんにつけにしてもらった。その借りは、信者さんがついてから、徐々に返済したという。

ある時、修行と悟りはどういう関係にあるかと問うたところ、小林栄茂師は、「修行はすればするほど悟りから遠くなります。」と答えたそうだ。悟りの位置が見えているからこそ、千日回峰行という行の有り様を喝破できていると見るべきか。行というものは、無意識を操作していくものであるが、それだけでは、悟りには届かないことを言っているのだと思う。


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西郷隆盛と禅

2006-07-19 05:43:22 | 丹田禅(冥想法8)
◎未発の中

日本の政治は薩摩長州というのは、戦前だけではなく、戦後も連綿とその影を落としている。一例として、安倍晋三は長州閥代表である。

さて明治維新の大乱の中で、利害得失について大局観を失わずに物事を進めていくためには、個人や一国という人間を超えた立場、己れを捨て去った立場に立たないとならないものである。そこで、幕府代表が禅を極めた山岡鉄舟であり、かたや倒幕勢力の薩摩の西郷どんが、これまた禅に打ち込んでいたことはあまり知られていない。

禅なくして、明治新政府の時代を先取りした舵取りの一定の成功はなかったことだろう。新知識、新技術のが洪水のように導入されたが、それがそれなりに成功したのは、禅によるバランスのとれた判断力があったと見るべきだろう。

西郷隆盛は、17歳から28歳までの間、一日も怠ることなく、誓光寺の無三住職に参禅していた。大山巌が、朝早く西郷隆盛の家を訪れると、既に西郷は無三住職の下から帰って来ていたものだという。

ある日西郷隆盛は、無三和尚に言われた。
『「貴下の学んでいる儒書には、喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という、とあるが、未発の中とは何か。」

南洲(西郷隆盛)は、さっそくいろいろと講釈した。

すると師匠はすかさず言った。「それは文字の講釈じゃ。朱子や王陽明など古人のへど糟をなめる死に学問だ。おまえさんの活きた実物を見せてみなさい。」

南洲は茫然自失し、唖然として答える言葉がなかった。それから一週間、猛然と工夫し(坐禅に打ち込むこと)、ついに未発の中を大悟したのである。』
(禅門逸話選/禅文化研究所から引用)

昨今は、知識だけつけて、良い大学に入りさえすれば、将来が開けるとか、難しい資格試験の勉強をして優れた資格をとりさえすれば、一生安泰だと思っている人が多い。

ところが資格や高学歴の前に、人生の一大事である『何のために生きるか』について、一つの回答を持っていなければ、人生行路の途中で『うつ』になったり、心身のバランスを崩したりすることが多いのではないか。内面に出なければ、家庭崩壊などの外面に出ることもあるのではないか。

人は、人生のあらゆる局面を「資格」や「学歴」や「知識」や「金」で解決できるものではない。

あの大西郷ですら、10年以上『何のために生きるか』という大問題と格闘した。いわんや市井の凡人ならもっと努力が必要だろう。その方法は、何も臨済禅に限る必要はないけれど、自分にあった冥想によって、納得できるまでアプローチしていく人が増えなければ、日本の未来も、世界の平和も、個々の家庭の安穏もあるまい。


    1日1善。1日1クリ。

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私は、もう愛を信じない

2006-07-18 05:34:48 | カーマ・ヨーガ(性愛冥想)(冥想法4)
◎性愛は「愛」とは無縁

二人が愛しあっていると信じようとする男女は、心の底に人生そのものの虚無、つまり人生そのものには、絶対的に変わらず、永続するものは何もないということからの脅迫を常に感じているものだ。

そうした虚無そのものの圧倒的な圧力は、その恋人同志をより狂おしいまでの情欲の世界に、耽溺させようとする。しかしその陶酔の時間は、時間自体の持つ無常性によっていつも裏切られることになる。このように、性愛への陶酔は、「愛」によるものではなく、人生の「虚無」からの脅迫の反動によって、出現することがあるものだ。

そして時間の持つ無常性というものから逃れる道は、恋人二人だけによる心中しかない。絶対的な二人の愛を突き詰めれば、最後は情死するしかないのだ。

これに反して、既婚者が浮気するのは、浮気相手との性愛に何かあるかもしれないという、安直な動機によるものであることが多いのではあるまいか。それは、純粋な永遠の「愛」の延長線にある性愛ではない。

そんな人があまりに増えた結果、本物の「愛」があることすら信じる人が少なくなった。皆、ほとんどの性愛が、「愛」とは無縁であることを無意識に知っている。


    1日1善。1日1クリ。

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チベット密教から見た禅

2006-07-17 07:46:23 | 現代冥想の到達点
◎空性とマハー・ムドラー(大印)

チュギャム・トゥルンパ・リンポチェは、チベット密教の四大宗派のひとつカギュー派のマスターである。リンポチェであるから、少なくとも空性の体験はある人物と見る。

カギュー派の中心技法は、マルパに由来するナーローの六法。ナーローの六法は、
(1)チャンダーリの火
 バルザク(燃焼と分泌)と呼ばれ、体内で性エネルギーを燃焼させ、その熱でティクレ(心滴)を分泌させ、その力で脈管の結節点を緩めて、左右脈管から中央脈管に「風」を流入させようとする技法。

(2)幻身
  風(プラーナ)と融合した三識(顕明、顕明増輝、顕明近得:いずれも死のプロセスの一段階)、それがまさにヨーガ行者たちの身体として再び発生する。それが幻身といわれる。

(3)夢
(4)光明
  死のプロセスで見る光。死のプロセスの一段階
(5)中有(バルド)
(6)ポワ・トンジュク
  ポワは死の体験。トンジュクは、意識を他の動物や人に乗り移らせるもの。

1.空性とは
『《学生》禅における「さとり」体験は、空性体験ですか?

《リンポチェ》はい、私は空性体験のピークが「禅のさとり」というものだと思います。空性のピークにおいて、真に空性(シューニヤター)を見るのです。

そこであなたの論理は磨滅します。論理もなく、論理の対象もなく、あなたは完全に非実在性、もしくは充満性にさらされるようになります。これが突如として、自分がただ一人であることを見通す「さとり」の体験です。』
(心の迷妄を断つ智慧/チュギャム・トゥルンパ/春秋社から引用)

チベット密教では、空性のことを「選択なき認識」と呼ぶそうだが、これは、禅でいうそのものズバリで認識しなさいということであるから、まったく禅の見性と同じことである。

2.マハー・ムドラー(大印)とは
 マハー・ムドラー(大印)とは、上記ポワの中にある体験と呼べない体験のことだと思うが、チュギャム・トゥルンパの説明はこれ。

(1)色彩豊かな寺院を訪れた幼児のように、その体験は強烈であり、ひたすら圧倒的である。それを言葉で表現することはできない。

(2)空性のように体験している者と空性の分離という二元性はなく、「未生のもの」「起源のないもの」。

(3)混乱と悟りが同時にある。

(4)あらゆる体験が常に新しく、新鮮である。

これらの説明から、マハー・ムドラーとは、仏(宇宙意識)との合一である、もはや体験と呼べない体験のことを言っているのだとわかる。禅ならば、大悟ですね。


    1日1善。1日1クリ。

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