アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

てんかんの発作とスピリチュアル

2006-02-28 05:55:10 | 冥想の準備
◎てんかんと神秘体験の違い

てんかんの発作で、突如として込み上げてくる恍惚感や、宗教的な畏怖の念、宗教的な言動、体外離脱体験、万物の合一の直観的な理解が起こることがあるという。その例として、ある老女はてんかん発作の時に太陽と神のビジョンが見え、自分の存在すべてが喜びの感覚に圧倒されると語る。また別の患者は、自分がすべてを超越してしまったように感じ、言語を絶する安らぎと充足感に満たされ、まばゆい光が見え、これが英知の源であることを知っており、イエス・キリストによく似た顎ひげをはやした若い男性のビジョンを見たと言う。

このようにてんかんとスピリチュアルの間に密接な関係があると考える研究者は多く、一部の研究者は、歴史上の偉大な神秘家の何人かはてんかん患者だったと主張する研究者もいるほどである。彼らは、キリスト教徒迫害のためにダマスカスに向かっていたパウロがまばゆい光に目をくらまされ、イエスの呼びかけを聞いたことすらてんかんの発作と見る。

ところが冷静に比較してみると、てんかんと神秘家の神秘体験には、次のような違いを認めることができる。

『てんかん発作の症状と神秘家の言動とが部分的に重なっていることも事実である。
けれども我々には、本物の神秘体験が、てんかん発作やドラッグ、病気、肉体的疲労、精神的ストレス、感覚遮断などが誘発する幻覚として完全に説明できるとは思えない。こうした幻覚には、神秘家の神秘体験のような圧倒的な経験をさせる力はないからである。
我々の立場はいくつかの簡単な観察によって裏付けられている。

一つは頻度だ。てんかん患者の幻覚は、発作の原因が解決されない限り高い頻度で規則的に経験され、深刻なケースでは、一週間に数回あるいは、一日に数回にものぼるのに対して、ほとんどの神秘家は、一生の間に数回しか神秘体験をしないのだ。

もうひとつは多様性だ。てんかん発作が誘発する幻覚は、同一のパターンの繰り返しになることが多く、患者は同じ声を何度も聞いたり、同じような恍惚を何度も経験したりするのに対して、神秘家が報告する神秘体験は、日常的な経験と同じように多様であり、それに対する感じ方や受け取るメッセージの内容なども、毎回、違っているのである。』(脳はいかにして<神>を見るか/PHP研究所/ニューバーグ,ダギリ,ローズから引用)

さらにこの本では、幻覚や妄想や夢はそれが続いている間は、とてもリアルな感じはあるが、終わるとそれが断片的であり、夢のようであったと感じる。ところが神秘家の神秘体験では、そのリアルさが時間がたっても薄れないという。

「神の訪れを受けた魂は、もとの状態に戻っても、それが神の中にあり、神がその中におられたことについて絶対に疑いをいだきません。真実に対する魂の確信は、揺るぎなく、神の次の訪れまでにどれほど長く待つことになろうとも、その経験を忘れることはなく、それが現実であったことを疑うこともありません。」アビラのテレサ

てんかんによる幻覚・妄想にも、本質的なところにアプローチしているところはあるのだろうと思う。しかし、それが恒常的に表層意識に常駐することに本人が耐えられる訓練をしていなかったり、精神的成熟度、霊的成熟度がそれに耐えられないなどのさまざまな理由で、一過性のものにとどまっているように思う。もちろんその幻覚・妄想が、一見神聖なものに見えても、単なる魔境である可能性もあり、慎重に見極めていく必要はある。

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精神病者と神秘家

2006-02-27 05:38:19 | 冥想アヴァンギャルド
◎病んだ妄想と宗教的ビジョン

神秘家の言葉は、しばしば精神病者の宗教的妄想に酷似している。そして神(仏・タオ)との合一という神秘体験をする人の心は、誰もがうらやむほどクリアで健康的である。決して精神病者の混乱したあるいは病んだ心の産物であることはない。

『神秘家も精神病者も宗教的なビジョンを見たり、神の声を聞いたりする点では同じだが、これに対する反応が全く違っている。神秘家にとって神とのスピリチュアルな合一は、歓迎され、待ち望まれる経験である。その際、「清明さ」「完全さ」「超越」「」などの肯定的言葉を使用することが多い。

対照的に精神病者たちは、幻覚に登場する神に激しく叱責され、取り乱したり、恐怖にすくみ上がったりすることが多い。そのため彼らにとって、神との出会いは、基本的に不快な経験であり、苦痛の種になることも珍しくない。

さらに両者は、こうした状態にある間、日常的なリアリティーから完全に逸脱している点では同じだが、復帰の仕方がまったく違っている。神秘家は短時間の神秘体験を終えて正常なリアリティーに戻ってくれば、その経験を他者と分かち合うことができ、社会の一員としての活動に復帰することもできる。

一部の社会では、こうした人々を特に深く尊敬し、高い地位につけているほどである。これに対し精神病者は、数年間にわたって妄想に苦しみ続け、その間、社会的な孤立はどんどん深まってしまう。』
(脳はいかにして<神>を見るか/PHP研究所/ニューバーグ,ダギリ,ローズから引用)

いわゆる神秘家だって、最初からいきなり、ピーク(神人合一)肯定的神秘体験に至ったわけでなく、OSHOの例でも一年の間精神病者の状態を経過している。同一人の神秘体験だって1回きりではない。だから、この説のように単純に神秘家のビジョンは全部良くて、精神病者のそれは全部ダメというような結論に走ることはできないが、「肯定的」なものを認めていくのは、冥想体験の基本的な姿勢としては、正しいあり方だと思う。但し肯定的なものでも、深浅高低があり、有頂天にならず、その体験の位置を見誤らないことが必要だろう。

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栂尾の高山寺

2006-02-26 06:38:44 | イメージ・トレーニング(冥想法1)
もう4、5年前になるが、京都栂尾の神護寺、高山寺とめぐったことがあった。丁度紅葉も終わろうとする季節で、夕方近くでもあり、参観者も少なく、落ち着いて明恵の頃の往時の雰囲気をしのぶことができた。

栂尾のあたりは、あれだけ山また山の地勢であれば、米の耕作はできても大規模なものはできないであろうから、寺を作って修行場にするくらいしかないであろうこととは見て取れた。

承久の乱は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して倒幕の兵を挙げた兵乱であり、後鳥羽上皇は隠岐に配流となったが、承久の乱の上皇方の落ち武者が高尾、栂尾の辺りに逃げ込んだことが、明恵周辺の記録に見える。また承久の乱で、夫が死んで戦争未亡人となった貴族の婦女が大勢高山寺周辺に集まり、明恵がやむなく尼寺にこれを受け入れた記録がある。

明恵がその高山寺にいた時に、弟子の僧たちが群がって仏前で勤行していた時に、その目の様子、顔の表情、手の様子、坐り方、本尊の周りを巡り歩くその作法をじっと見て、あまりにお粗末であり、信心のかけらもないことに呆れ、思わず涙を流したことがあった。

あの謹厳な明恵が直接指導する、700年前のプロの修行者の集団であっても、この有り様であった。いわんやそうした規制・たがのない現代では、ますます心をこめて本当のものを探し求める人の集まった施設はますます少ないのだろうと思う。

一方明恵は、建仁寺の栄西(当時の禅の師家)が、俗事を離れて本当に修行に打ち込みたい人だけを集めた専門道場(坊舎)を建てたことを、本当に必要なものであると評している(遺訓)。本当に求道の気持のある者だけを集めて切磋琢磨させるスペースは必要なのだ。

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栂尾高山寺門前(江戸時代から観光名所だった)



《栂尾高山寺でTB/リンクさせていただきました。》
かみかみの徒然草) ()お寺さんぽ) ()新☆もこほじゃほろみ日記)()散歩の変人) ()Outdoorな生活) ()ビーグル犬かれんちゃんの日々(転居))()むいむい日記) ()Go Plain!) ()(和心全書) ()徒然ゆっこ) ()(奥森の車窓から) ()怪道をゆく(仮))()kayo's diary) ()(「不思議少女ちょび」の観察日記)()武州与野介日記) ()ねーやんのぼやき袋) () (桜組日記) ()(My Favorite Things) ()(京のいろは) ()お台場ではたらく、医師) ()泉)()HANA) () (部分と全部)()僕が今あの人に会う)()(日日是白樺派()
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無用の者(いたずら者)になる

2006-02-25 07:30:19 | イメージ・トレーニング(冥想法1)
◎明恵の遺訓から

「自分の仏性(自分が持っている仏になる可能性)に到達することは極めてまれなことである。」
当時はそうだったかもしれないが、今は事情が違っている。人生のあるべき姿(あるべきようは)を真剣に考えるような人であれば、自分に聖なる本質があることは直観しているものではないだろうか。

「よく注意して、十分考えて師を決めなければならない。あるいは親の命令によったり、あるいは友人に連れて行かれたり、またはその場しのぎによったりして、師を決めることをなおざりにしてはならない。円覚教には「作・止・任・滅」の四病を除くものを師とせよと言っている」

※「作・止・任・滅」とは、悟りを求めようとする者の四種の病のことで、作病とは、種々の行為をなしてさとりを求めようとすること。止病とは、もろもろの念想の働きをとどめて悟りを求めようとすること。任病とは、一切(あらゆるもの)にまかせてさとりを求めようとすること。滅病とは、一切の煩悩を滅して悟りを求めようとすること。

ほとんど悟りというものに素養がないのが普通の現代人にとっては、親や知人の紹介というのは、一見の情報よりは信用できるとされるが、悟りに関する基礎知識がなければ、正しいものをかぎ分ける嗅覚も働きにくいのではないだろうか。
ここは、師匠に試行錯誤させられることを避けるべきだと見ているが、師の指示によらず自分で冥想・工夫しても試行錯誤はあるものだろうけれども・・・。

「私が常に志のある人に対して、「仏になったところで何になろう仏道を完成したところで何になろう。すべて求める心を捨て去って、無用の人間(いたづら者)になりかえって、とにもかくにも自分というものを捨てて、飢えが来れば食し、寒さが来れば衣をかぶるだけで、一生を終えたなら、たとえ大地を槌で打ち外すことがあっても、よもや仏道を打ち外すことはないだろう」と申したのを、傍らにいた人間が聞いて、

さては無用の者(今ならニート?)になるのが、よいことなのだ、自分もそうなるのがよいことなのだ、自分もそうなろうと思って、飽きるまで食べ、飽きるまで眠り、あるいは雑念にひかれて時間を過ごし、あるいは雑談を語って日を暮らし、人々のためにわずかな利益にもならず、寺のためにかりそめにも助けにならず、明けては暮れるというように過ごしていって、我こそは何もしない無用な人間になったと思ったならば、これは畜生の無用な者になり返ったのである。

そんなことをしていれば、きっと地獄の衆の一人に数えられるようになるだろう。どうして悟りが成就できようか。」
(日本の名著 法然/中央公論社の「栂尾明恵上人遺訓」から引用)

なるほど老子も言う無用の用というものが、求道の気持のない者にとっては正しく理解されないことである。

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明恵が耳を切る

2006-02-24 05:51:15 | イメージ・トレーニング(冥想法1)
◎母へのイメージトレーニング

明恵は、七歳で父母を相次いで失った。よくよく不条理な心理に追い込まれることを覚悟しての生い立ちを選んできたものであろう。しかし特に母を失った喪失感は、払拭しきれないものがあり、仏眼仏母像を念持仏としていたことから、仏眼仏母像を母代わりに見立ていたところがあったのではないかと思われるふしがある。明恵のような厳格な求道者でも、虚無的な生い立ちから来る感情の揺らぎを押さえきれるものではない。

紀伊白上では、この仏眼仏母像の前で、かみそりで自分の右耳を切った。耳を切れば、かたわ者として人に可愛がられることもなく、僧として奢り高ぶる心も出るまいと考えてのことであった。翌日、耳の痛さにもかまわず華厳経を大声で読んでいると、文殊菩薩がその姿を表わしたといっているが、自傷するのは、一種のノイローゼ状態であり、得道に至る心理過程で起きたひとつの異常心理状態なのだと思う。その後しばしば、明恵は、自らを耳切りぼうずと称していることがある。

明恵の坐禅は、密教の観法であった。想像力を働かせてその仏、菩薩の実在をイメージすることである。明恵の遺訓にも、「道場に入るたびに生身の釈迦がいらっしゃると見て、まさしく生きている如来の御前に望んでいると想像しなさい。木に刻み、絵に書いた仏を
生きている仏と思い込めば、やがて生きている仏である(ことを実感する)」とあり、密教の観想法(イメージトレーニング)が中心の冥想法だった。だから明恵が、坐禅、禅定といっても、公案禅でもなく、只管打坐でもないところが注意が必要である。

南無弥勒菩薩と臨終に際してとなえさせたのは、ユニークである。いかにも密教風である。

ただ明恵には、明星を飲んだというようなピーク体験の記録がないようだ。

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欲のなかった時代

2006-02-23 05:41:13 | 時代のおわり
◎争いをそそのかすテレビ番組

最近は、行列のできる法律相談所などという、人に自分の欲得を押しつけて他人の物まで、ぶんどってしまおうというテレビ番組が盛んである。こういう番組は、一見自分の財産を確保するための知識をつけてくれるが如くに思えるが、社会全体で見れば、お互いにお互いの財産を隙あらば奪ってしまおうという争いを、ふやしているだけのことである。

中国の周の文王の時代には、国中の人民が田畑の境界である畦を隣人に譲り合った。畦を譲るとは、自分の田の境界を隣人の方が多くなるようにと避け譲って、自分の田畑を少なくすることである。お互いにこのように譲りあって、自分の田地は他人に与えようとはしたが、間違っても他人の土地を奪いとることはなかった。

周の文王の時代は、文王自らの欲のない姿勢・徳が、国民を感化して、欲のない国民とすることができたから、国全体が欲の少ない国となり得た。これは当時の国民の精神構造が、一人の王の影響力を容易に全面的に波及させることができるような、はるかに単純なものであったという背景を無視することはできない。

現代人のように有名人、有力政治家、文化人の言うことでも簡単には信じることのできないほど知性が発達した精神構造の下では、欲が少ないことが人間本来のあり方であることを思い知る手段としては、自分が冥想することしかない。

無欲を目指すイデオロギーでも、思想でも、哲学でもなく、自分に合った冥想の中で、人間としてぎりぎりのところに迫り、その体験をしてみることでしか、無欲がどの人間にとっても自然であることを確認する手段はないと思う。

無欲でない人間同志が「無欲が理想だ」などといくら議論しても虚しいばかりだ。

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明恵の永い志

2006-02-22 05:45:58 | イメージ・トレーニング(冥想法1)
◎多彩な修行

1.明恵は、ある日石を拾って、只一人で石打ち遊びをしていた。そこで他人が「なぜそのような遊びをされるのか」と問うたところ、明恵は、「あまりに仏法を説いた文章等に捉らわれて心が晴々としないものでね」と答えた。

釈迦は、生老病死の人生すべてが苦であると見た厭世観からスタートしたので、釈迦在世当時の弟子の間でも厭世観からの自殺が多かったように聞く。だから釈迦の教えに入れ込めば入れ込むほど、気分はふさぎ、鬱々とした状態になるものである。

だからと言って古神道系の人生観は、明るくて良いなどと簡単に言えるものでもないけれど。

2.明恵は、他人が自分のために祈祷を希望しても、明恵は、いつも生きとし生けるものすべてのためを祈っているから、わさわざその人のことだけを祈るのは、平等を欠いているとして、その人のためだけに祈ることはなかった。

明恵は、いわゆる拝み屋としての生業に落ちることを嫌い、あくまで一僧侶としての立場を崩していない。

3.明恵の禅定(冥想)に対する考え方には、次の言葉がある。「禅定修行の上で三つの大毒(邪魔)がある。睡眠、雑念、坐禅の姿勢(坐相)が正しくないことである。この三つを取り除いて、一切求める心を捨てて、ただ無所得(執着・分別しないこと)の心だけを持って、自分勝手に取り計らうことなく、役にも立たぬ人になりきって、現世も後世も永劫になし遂げようとの永い志で修行をしなさい。自分勝手な希望などは決してもってはいけない。このことは先年和歌山で文殊菩薩が私に指示したことである。」

明恵は、最晩年には、「仏法を会得した」と述懐している。ところが、「現世も後世も永劫になし遂げようとの永い志で修行をしなさい。」とは、禅の世界ではまず聞かない、気の長い心得である。というのは、明恵は、前世でも善行を積んで、禅定に打ち込むという修行のあり方こそが王道であると考えていたからである。つまり善行を積むというカルマ・ヨーガと、禅定の中での多数の仏菩薩の観想法(イメージ・トレーニング)、そして南無阿弥陀仏のマントラ・ヨーガと多彩な修行を経て、仏法を会得した経験が「永い志」が大切と言わしめているのだろう。

明恵は、禅定はおろそかで、教学の研鑽ばかりする人の多いことを批判している。

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明恵の徹底

2006-02-21 05:28:18 | イメージ・トレーニング(冥想法1)
◎一修行者として生きる

ともすれば、日常生活がちゃらんぽらんなので、冥想でもして気持を立て直そうなどと不埒なことを考えがちなものであるが、明恵の徹底ぶりは、尋常ではない。これほどまでに徹底して自分を律することはなかなかできることではない。

明恵の周辺には、いわゆる高級神霊がその徳に感応して、不思議な奇瑞をなした話が多数伝えられてはいるが、そういったものを意に介さず、成道していないただ一人の修行者として地味な生活を貫き通したのは、稀有なことである。そしてひたすら冥想に打ち込んだ。

アッシジのフランチェスコの姿勢にも通ずるところがあるように思う。

1.在家の弟子秋田城介が明恵に雑炊を差し上げたところ、一口飲んで、しばらく左右を見て、傍らの引き戸の縁に積もったほこりを雑炊に入れて食べた。明恵は、その奇妙なしぐさについて「(雑炊が)あまりにも香りと味わいが良すぎたもので」と語った。明恵は、平生からおいしそうなものは食べなかった。

2.明恵は、寒い時でも、火鉢に炭を起こしてあたることはなかった。最晩年になり、病気のためにと他の人が勧めたので、いろりを造り、初めて炭火にあたった。

3.松茸は当時から貴重であった。さる人が、明恵が松茸好きと聞き、「東奔西走して、松茸を手に入れました」と言上し、明恵に進呈すると、明恵は、修行者の身でありながら、松茸好きと言われるのを恥ずかしいことであるとして、以後松茸を一切食べなかった。

4.明恵は、飲酒せず、食事も一日一回であり、正午を過ぎてから、食事することはなかった。しかし老年になって食事が進まない病のために、正午を過ぎて漢方薬(山薬)を飲むことはあった。

5.明恵は生涯童貞であった。明恵は幼い頃から貴い僧になるのが夢であったが、どんな魔にみいられたのか、たびたびもう少しのところで邪淫をしてしまいそうなことがあった。しかしその都度不思議な妨害が入って、邪淫をすることはなかった。

6.明恵は、禅定(冥想)だけを好んで、小さな桶に数日分の食事をもらい受け、肱にぶら下げて後ろの山に入り、木の下や石の上、木の洞穴や岩穴などで一日中、一晩中坐って(冥想して)いた。

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明恵の病気回復

2006-02-20 04:52:12 | イメージ・トレーニング(冥想法1)
◎純粋な求道心

明恵が師匠の文覚上人の栂尾のところを出て、和歌山県湯浅の白上の峰にいた時のこと。

『この粗末な庵で数カ月を送られたが、暖かな食事もなく、また塩や味噌の類もずっと手に入らず、人としての生理的条件に制約せられている身体であるから、地水火風の違和から急激な下痢となり、皆が治療をと勧めても、上人は、

「交通不便のところ、無理をするな。生ある者は必ず死す、驚くことはない。もし仏道修行のために病死しても、仏道を修めたいという志を来世に持ち継ぐのだ。それは今日が終われば、明日が続くように、何の無理もなく、修道の志を来世に受け継ごう」と言われた。

ここで上人は、ある夜に夢の中で、一人のインド僧が、白い器に熱湯のようなものを一杯入れて、これを飲みなさいと言って与えてくれたので、心の中では、アザミの汁かなと思いながら服用したが、夢から覚めてもその味が口の中に残っていた。たちまちにして気分が良くなってその病気も間もなく全快されたのであった。』
(梅尾明恵上人伝記巻上/講談社学術文庫から引用)

明恵は、「今日が終われば、明日が続くように」と語るが、明恵が時間のない世界であるアストラル界や実在の世界へも出入自在であれば、「今、ここしかない」という立場で語るのが普通だが、この言い方は、出入自在ではなかったことを示しているように思う。

明恵は、あらゆる生物に対する慈しみの心が有名ではあるが、その生活の根本は、純粋な求道心に裏付けられた意識的な努力というものであったように思う。終生、一人の修行者であることは出なかったように見える。

明恵は、霊能力者としての事蹟はないが、この病気回復のエピソードのように、夢により超現実的なメッセージやら、効果やらを得ているところが特徴であり、霊や超能力に縁のない大多数の人にとっても、その地道な修行のあり方は参考になるところがある。

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明恵の禅定

2006-02-19 06:00:44 | イメージ・トレーニング(冥想法1)
◎呼吸停止

京都、栂尾の明恵が病を得た時に、明恵が禅定瞑想に入った様子は、
しばらくの間、呼吸も止まり、体は少しも動かず、ひょっとして亡くなられたのではないかと思って弟子が手を明恵の口に当ててみても呼吸がなかった。

弟子は、驚いたが、以前からの約束で、明恵は「自分の呼吸が止まって、死んだと見えても、身体の冷えきってしまうまでは、自分に手をかけるな」と言われていたことを思い出して、待っているうちに、数刻たって少しずつ動いて、自分から横になって寝る場合があった。このようなことは毎日毎夜のことであった。
(梅尾明恵上人伝記巻下)

深い冥想では、やっぱり呼吸が止まるでしょう。

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賢者の石は赤かった

2006-02-18 06:54:26 | 錬金術
◎日常生活に空いた風穴

賢者の石は様々に変化する赤い色をしているという。

「えんじを帯びた鮮紅色あるいは、ルビー色から次第に深紅色に変化していく。また重さは見た目から想像するよりもはるかに重い。」バシリウス・ヴァレンティヌス

「自然によって最終的に完成された状態では、蜜蠟やバターのように可融性(摂氏64度で溶ける)を持っている。またその外見は半透明で、赤い色をしている。」コスモポリタン

「このような物理的な特性に加え、浸透力、絶対的な不変性、耐食性、強い耐火性、化学薬品に反応しない性質などの科学的特性も合わせ持っている」フルカネリ

固体の賢者の石では、卑金属(鉄など)を金、銀に変える。塩の形の賢者の石は、あらゆる生物の病気を直す万能薬。アルコールに溶かした液体の賢者の石は、飲むと不老不死になるという。

赤い色をしているとはいうが、賢者の石は、我々が通常知っている物質の中にはない。しかしこのような賢者の石は、物質なのか、半物質(エーテル)なのか、この世にはないものなのかまず、それを明らかにしないと同じ地平に立った推論はできない。

道教の世界でも、そのオカルティックな技を錬丹と呼び、赤いものを錬るのだという。

欲に目が眩んだ人々は、錬金術の材料にばかり目が行くが、材料を鍛える術は、「大いなる作業」と呼ばれる冥想法であったはずだが、その冥想法は、伝えられていた形跡はあるが、その技術は既に失われている可能性がある。

賢者の石は、数多くの実験を繰り返し、むずかしい秘密の作業をいくつも行わなければならなかったと、わざわざ説明しているが、賢者の石の材料は自分のことであり、その方法とは、自らを煮つめることにあるというのが真相ではあるまいか。自らを煮詰めて、賢者の石に変成するのである。

自らを煮詰めようとするには、自分を煮詰める以外の手段では、人生の重大事が解決されることはないとまで思い詰めないと、そうまでは決断しないものである。したがって、賢者の石を求めようとする動機が確固たるものであることが、それに至る最初のハードルとなるのだろう。

理性的に煮詰まった現代人にとっては、肉体の限界に押し込められた息詰まるような日常生活からのひとつの突破口として、錬金術が存在しているように見える。もっともヨーガ室は数多いけれど、錬金術教室はどこを探してもないのである。

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太陽の輝き



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OSHOの光明-2

2006-02-17 05:28:51 | 現代冥想の到達点
◎光明

『わたしは眠りについた。それはとても不思議な眠りだった。からだは眠っていたが、わたしはさめていた。それはじつに奇妙だった。まるで、自分がふたつの方向に、ふたつの次元に引き裂かれているかのようだった。まるで、二極性がその極致に達したかのようだった。自分が同時にその両極であるかのようだった。正と負が出会っていた。睡眠と覚醒が出会っていた。死と生が出会っていた。それこそ、「創造主と創造物が出会う」と言うにふさわしい瞬間だ。   

 それは気味が悪かった。生まれてはじめて、それはまさしく根底からあなたにショックをあたえる。あなたの基盤を揺るがす。その体験のあと、あなたは二度ともう同じあなたではありえない。それはあなたの生にひとつの新しいヴィジョンを、ひとつの新しい質をもたらすのだ。

 十二時近くになって、突然目が開いた。わたしが開いたのではない。眠りがなにかべつなものによって破られた。わたしは、部屋の中の自分のまわりにひとつの大いなる<現存>を感じた。それはとても小さな部屋だった。わたしはあたり一面に脈動する生命を感じとった。大いなる波動だ。ほとんどハリケーンといってもいい。光の、よろこびの、エクスタシーの大いなる嵐---。
 それが実に途方もなく現実的であるあまり、なにもかも非現実的になってしまった。部屋の壁が非現実的になり、家が非現実的になり、自分自身のからだも非現実的になった・・・

 その夜、もうひとつの現実(リアリティー)がその扉を開いた。もうひとつの次元が姿をあらわしたのだ。突如として、それはそこにあった。もうひとつのリアリティー、分離したリアリティー、本当に現実(リアル)なるもの・・・あるいは呼びたければどう呼んでもいい。<神>と呼んでもいいし、<真理>と呼んでもいい。<ダルマ>と呼んでもいいし、<タオ>と呼んでも、ほかのどんな呼び方をしてもいい。

 それは無名なるものだった。しかし、それは厳然としてそこにあった。じつにすきとおっていて、実に透明で、しかも手でさわれるぐらい確固としていた。そのおかげで、部屋の中は窒息しそうだった。それはトゥーマッチで、わたしにはまだそれを吸収する力がなかった。(中略)

まるでなんでも好きなことができるかのような、途方もない力が湧いてきた。そこにわたしはいなかった。ただその力だけがあったのだ。』
(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社から引用)

この体験の前半の「光の、よろこびの、エクスタシーの大いなる嵐」は、既に個人の心理現象ではないと見ると、物質(色界)も、精神(無色界)も超えたところにいるようであるから、原始仏教の分類で言えば、滅想定(※滅尽定(滅受想定)のこと)(心の働きが一切尽きてなくなり、全く平穏静寂な禅定)と考えられる。

この体験の後半で、ようやく言葉では表現できないものに、OSHOは出会った。

OSHOは、どのような冥想法、坐法によってこの段階に達したかを明らかにはしていないが、この体験では、1年間の疑団の闇を経て、神の七つの属性のひとつである力そのものに至ったので、おそらくは、丹田禅ではなかったか。それが証拠に晩年になって、その名をバグワンからOSHOに変更している。

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OSHOの光明-1

2006-02-16 05:10:12 | 現代冥想の到達点
◎光明の始まり

OSHOは、一年間の精神の暗夜を過ごした。そして、7日間の神秘体験を経て、1953年3月21日に大悟した。

その七日間の始めに、OSHOは自分自身と取りくむのをやめて、探求がやみ、何かを追い求めなくなり、何かが起こるのを期待しなくなった。OSHOは、実に希望のないお手上げ状態で生きていたが、同時に何かが湧き上がってきてもいた。希望が不在だったが、とても平静で、穏やかで、まとまっていて、中心(センター)がすわっていたので、希望も絶望も消え失せていた。

希望も絶望もないこの状態は、原始仏教の分類で言えば、無所有処定(なにもかもがないという意識)または、非想非非想処定(なにもかもがないという意識もないという状態)であろう。どちらにしても、窮極のものではなく、一歩前の段階であるように思う。また、これほどまでに細かく心境を描写してもらわないとそうした分析すらできないものだけれど、わざわざわかるように説明してくれたOSHOの親切心が感じられる。

『その希望のなさは、絶対的で全面的なものだった。希望が消えて、それといっしょにその片われである絶望もまた消え失せていたのだ。それはまったく新しい経験だった。希望がないという状態---。それは否定的消極的な境地ではなかった。・・・・・・完全に肯定的、積極的だった。それはただの不在ではなかった。ある<現存>が感じられた。わたしの中でなにかがあふれ出していた。氾濫していた。

そして、わたしがお手上げだったと言うのも、辞書に出ているような文字どおりの意味ではない。それは単に、わたしが無自己だったということだ。それがわたしのお手上げという意味なのだ。わたしは自分がいないという事実を認識した。

だとしたら、自分というものに依って立つことはできない。だとしたら、自分自身の地歩に立つことはできない。・・・・・わたしは・・・・・底なしの奈落に落ちこんでいた。しかし、そこに恐怖はなかった。なにひとつ守るべきものはなかったからだ。そこに恐怖はなかった。だれもこわがる者がいなかったのだから---。』
(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社から引用)

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OSHOの暗夜-2

2006-02-15 04:59:17 | 現代冥想の到達点
◎OSHOの暗夜

というわけで、OSHOの精神の暗夜です。

『どんな小さなことでも、疑いまた疑いの連続でしかなかった。・・・・疑問は解答を得られないままだった。ある意味で、わたしは狂人同然だったと言っていい。自分でもいまにも発狂するのではないかとおそれていた。夜は眠れなった。

 夜も昼も・・・・・・わたしは疑問に取り巻かれていた。いうなれば、船もつかまる岸辺もなく、深い海の真っただ中に取り残されていたのだ。そこへ船が通りかかったとしても、自分でそれを沈めるか拒絶してしまっていた。船も航海者も数多くいた。が、わたしの方で・・・・・・ほかのだれの船にも足をかけようとしなかったのだ。

 もしこのこと、つまり自分で自分を溺れさせることが、わたしの生の導いてゆくところだとしたら、それも甘んじて受けいれるしかないだろうと感じていた。

 わたしの状況はまったくの闇としか言いようがなかった。それはあたかも、暗い深井戸に落ち込んだかのようだった。その当時、わたしは何度も、底なしの井戸のなかへどこまでもどこまでも落ちていく夢を見たものだ。そして何度となく・・・・・・汗びっしょりになって夢からさめる。その落下には終わりがなく、地面も足をのせる場所もないのだから・・・・

わたしにとっては、はっきりとした道などなかった。なにからなにまで真っ暗だったのだ。踏み出す一歩一歩が闇に閉ざされていた。目的もなく不確かだった。
 わたしの状況は緊張と不安と危険でいっぱいだった。』
(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社から引用)

その後のOSHOは、一年のあいだ、何がどうなっているのかほとんどわからない状態だった。食欲も消えうせて、何日たっても、何の空腹も、何のかわきも感じない。自分に無理やり食べさせ、無理やり飲ませなければならなかった。

OSHOは、自分自身を感じるため、毎朝毎夕、五マイルから八マイルほど(九~十三km)走ったので、人々はOSHOのことを気ちがいだと思っていた。

なにか言ったら、自分が狂っているのがわかるので、OSHOは、だれにも話しかけることができなかったので、自分の部屋に閉じこもっているよりほかになかった。

それは一年間続いた。ただ床の上に横たわって天井を見上げ、1から100まで数えては、また逆に100から1まで数える。まだ数を数えられるというだけで、少なくともなにかではあった。何度も何度も、途中で忘れてしまう。ふたたび焦点を取り戻すのに一年かかった。

組織宗教のトップが自分の覚醒以前のみっともない状況を自ら公表することは大変勇気のいることだ。覚醒以前は「ただの人」なのだから、ただの人がひどいノイローゼか精神分裂病みたいな状態になっていたことを発言するのは、大変珍しいことである。というのは、ピースフルとか、ハッピネスとか、エンライトゥンメントとか言っているくせに、この宗教は、ノイローゼや、精神分裂病になるようなことをするのかと世間の人に思われるからである。それは、組織拡大上大きなデメリットになるからである。

ところがそういった部分にこそ、我々ただの人が覚醒に至るプロセスやヒントが示唆されているのである。OSHOのこのエピソードに限らず、絶対光明の前に、精神の暗夜、自我の死というのは避けて通れないことを、シャーマンになるためのイニシエーションでも、世界各国の神話でも、暗示している。

このように暗夜とは、ほとんど精神病のことなので、こんな状態では、社会生活を営むのは非常にむずかしい。しかしそういった状態を通過していかないと、宇宙意識、ニルヴァーナ、神、仏といったものに、最終段階のアプローチができないのもまた現実なのである。

社会全体の視点から見れば、こうした状態の人を、無条件に社会から排斥、隔離するのが現代社会の実態である。もちろん精神病の患者の中にもそうした人は数少ないだろうが、高い精神性をはらんでいるかもしれない人をも社会に受け入れず、分離してしまう。この大きなジレンマが、現代社会全体に突きつけられた、次の時代の精神性を迎えられるかどうかの一つの鍵になっている。

まずそうした状態があるということについて理解してもらうことから始めるのだろう。

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OSHOの暗夜-1

2006-02-14 05:52:02 | 現代冥想の到達点
◎OSHOをしのぶ

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)はもう、故人となったが、20世紀末インドとアメリカで活躍した聖人である。アメリカでは、カルトとみなされ、本人も当局に収監されたり、ひどい目にもあったようだ。

日本には一度も来日しなかった。アメリカに渡った理由は、アメリカの方がOSHOを率直に理解してくれる人が多いという目算があったのだろうと想像する。日本に来なかったのは、日本ではまともに理解してくれる人が、ほとんどいないと見ていたのだろうと思う。つまりOSHOの目から見ても、日本人の精神世界音痴度は、ひどいものなのだと思う。

日本人は、文化遺産が国土の津々浦々に多数散在し、それだけで、精神世界に造詣が深い国民だなどと思い込んでいる。ところが、覚者の目は厳しく、住んでいる国はそうかもしれないが、人は全然であることを見抜かれているのだと思う。ブランドには価値があると思うのは普通。しかし、精神的なものに価値があるなどと思っている人は変な奴だという考え方が根強くあるではありませんか。

OSHOは、どちらかというと真面目な聖者ではなく、いたずら好きの茶目っ気のある聖者であったようだ。行状をみると、晩年は、あまり布教活動的なことは行わず、読書三昧であったようなところがうかがえ、布教に飽きてしまったような印象を受ける。

そうは言っても、その悟境は、充分なものであるので、彼の大悟に至るまでの過程は傾聴に値する。

OSHOも大悟直前の一年ほどは、暗夜に落ち込んだという。

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