アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

2005年の終わり

2005-12-31 05:58:46 | 時代のおわり
今日は大晦日。
今年2月に思い立って、精神世界系ブログを始めましたが、意外にも今日まで続けてこられたのも読者の方々のおかげであると思っています。お礼申し上げます。
 
書き始めてみると、自分の考えていることを説明するのには、予想外にいろいろな分野に及んでいるのには、我ながら驚きました。で、オタクとして持っている、精神世界の全体的なイメージを描きだすことができれば、精神世界のあらゆる伝統と広がりについて、偏見のない見方をしてくれる人が増えるかもしれないと思って続けています。

そもそもこのようなブログをやってみようと思い立ったのは、21世紀は素晴らしく精妙なバイブレーションの時代であると、ほとんどの宗教家やオカルティストが唱えているわりには、その基盤となる冥想について、あまりにも世間で理解されていないので、自分の考えているところを書いて見ようかというのが動機でした。

これから新たな精神文明の夜明けを迎えようとしているわりには、日本の社会は、物質的な世界観全盛で、その上個人主義的な考え方が徹底してきたことで、家族関係を基本とする人間関係は破綻に瀕しています。特に今年は、洪水や超大型台風などの異常気象が多く、ネガティブ系大予言がいたずらに不安をあおりがちな状況であるのも感心しません。

そうした問題や不安についての根本的解決は、冥想しかないのですが、そのことについて、論理的な説明はできませんけれど、そうみたいだという印象を持ってくれる人が増えれば、少しは時代が変わってくるかと思います。



【鍾馗騎驢図/雪舟】



コメント (10)

本田親徳と出口王仁三郎の出会い

2005-12-30 06:55:13 | 古神道の手振り
明治の古神道家本田親徳が亡くなる一年前の明治21年に、出口王仁三郎(大本教の教祖)は、本田親徳に会っている。本田はその頃『地の高天原』発見の目的で諸国を遍歴していたと言われ、その途中で丹波にも立ち寄り、とある峠で出口王仁三郎を見かけて、その資質に感じ、古神道家として道のため、国のために尽くすよう諭したと言われる。出口王仁三郎17歳のことである。出口王仁三郎自身は、鎮魂帰神の法を直接本田親徳から伝授されたということは述べてはいないので、本当に出会っただけなのだろう。

明治22年本田親徳は、遺言で『10年後丹波から一人青年が訪ねて来るが、その者が来るとこの道は開ける』と述べた。

明治31年出口王仁三郎は、高熊山の洞窟で一週間の修行を行ったが、この時に異玉彦と名乗る霊人から、鎮魂帰神の法を教示されたと述べている。

さて10年後の明治32年、出口王仁三郎は、静岡県清水の稲荷講社を訪問し、本田親徳の遺著を読んでみると、その内容が高熊山で教えられたことに一致することに驚き、本田親徳の神名を問うとなんと異玉彦であった。

出口王仁三郎は、稲荷講社で鎮魂帰神の伝授を受け、そこで小松林の命の神がかりにより日露戦争の詳細かつ正確な予言をしたとされる。これらのことから出口王仁三郎は、本田親徳流の鎮魂帰神の手法の後継者の一人となったはずなのだが、肝心の鎮魂帰神の法は具体的にどんなものだったのかよくわからないところがある。

鎮魂帰神もクンダリーニ・ヨーガの技法のうちなので、指導者が各人の個別の状態に対して適切な指導を行っていくので、画一的な指導はありえないことと、その危険性ゆえに、わかる者にだけ相伝していくのが基本だから、公表しないのがあたり前と言えばあたり前なのだろう。

霊界物語(出口王仁三郎の口述筆記による)の第48巻に、鎮魂帰神には帰神、神懸、神憑ありという記述や、大神と天使天人との神がかりについて述べられているが、技法についてはほとんど述べられていない。
だから『ふーん、天国って、そうなっているんですか』という感想に留まってしまう。

コメント

審神と人物鑑定

2005-12-29 05:31:13 | 古神道の手振り
一般に審神(さにわ)とは、憑依してきた神霊の正邪、高低を見抜くことである。そういう特殊なシチュエーションでなくても、日常生活の中でも、人を見抜く眼力は、しばしば必要とされるし、無意識にそうした力を使っているものだ。
ところが、これだけ洗脳装置がそろった日常生活の中で、単に自分個人の見方や感性というものだけで、透徹した審神や人物鑑定ができるとはとても思えないのもまた現実である。

たとえば悪魔の化身を審神する場合に、神(大神、絶対神)と悪魔の違いを知らなければならない。神の化身は悪魔をも包むことができるが、悪魔の化身は神以外のすべてに変容することができるけれど、神・絶対全体にだけは成ることができないという違いがある。そこは、自分が神知らぬ身なれば、それを見抜いて審神できる保証はないというのが現実だと思う。 

そうした見抜けるだけの感性や絶対的な基準のない我々に頼れるものは、まず自分の素直さ、誠実さ、それに加えて審神の対象とされる神霊や人物が、安らかさ、喜び、さわやかさ、力強さ、解放感、深い悲しみ、なつかしさ等のあらゆる肯定的な感情が感じられるか否かということしかないように思う。
とてもたよりない話だけれど・・・。

冥想するというのは、本来例えば『そういった感性を深いものにするために行う』というような目的追求型のものであってはならないと思うが、自分の素直さ、誠実さを深めるために冥想するということはあってもよいと思う。

コメント (4)

アルベルトゥス・マグヌスの秘法-2

2005-12-28 05:01:31 | 時代のおわり
◎目で占う

たまには、目占いをどうぞ

『大きな目、つまり瞳の大きな目は、普通、大胆で、怠惰で嫉妬深い性質を表す。こうした人は、羞恥心が強く、秘密を守れない。
そしてあらゆることを適度にこなし、ケチではないが、傲慢で、やや法螺(ほら)をふく。怒りやすく、お粗末な記憶しか持たず、精神は粗野で、公正さに欠け、自分で思っているほど以上に賢明でない。

目がくぼんでいて、視界が広く長い人は、疑い深く、意地悪で、怒りやすく、お粗末な所業に走る。記憶力がよく、大胆で、残酷、強迫的で、変態的である。淫乱になりやすく嫉妬心も強くほら吹きである。

目が出ている人は、狂気染みて、恥しらずで、浪費家であるが、面倒見がよい。粗野な精神と判断力を持ち、すぐに気が変わる天気屋である。

瞼を見開いてものを凝視する人は、意地悪である。詐欺師で贋造者でうそつきである。そして嫉妬深く、倹約家で秘密主義で冒涜的で良識がない。

目が小さく、円らな人は、恥ずかしがり屋で、脆弱で、素朴である。人の言葉を信じやすく、精神は粗野で、判断が遅い。財産に関しては不幸で、寛大である。

横目を使う人は、人を騙したり、訴訟を起こすのが好きである。ケチで、嫉妬深く、嘘つきである。怒りやすく、悪事をする傾向が強い。

きょろきょろと視線が変わりやすく、一定しない人は、一般に嘘つきで、高慢で、単純。淫乱で、女たらしで、人のいうことを信じやすい。こうした人は嫉妬深く、暴力的で、美しいものに目がなく、善悪の区別なく行動する。

いつも目をパチパチさせ、しょっちゅう瞼を動かしている人は、淫乱で天気屋、言っていることは大抵葉嘘で、贋物造りの裏切り者である。不誠実で自惚れが強く、人の言ったことにほとんど耳を貸そうとしない。

白目の部分が黄色く汚れている人は、一般に嘘つきで、見栄坊で、詐欺師で、淫乱で、言葉に責任がなく、秘密主義で執念深く、並外れて暴力的である。

横目を使いながら、目配りがよく、鋭い視線でゆっくりと見る人は、ひどく意地悪で、折りにふれて傲慢で、怠惰である。そして嘘つきで、不誠実、嫉妬深く、喧嘩好きである。

目が赤く、涙目で、充血している者は、怒りやすく、傲慢で、横柄である。残酷で恥を知らず、不誠実で嘘つき、そして高慢かつ単純で、才能に乏しく、人を裏切る。狂信的で、偽善的になる傾向がある。

大きくて牛の目のような目をした人は、素朴で、判断が鈍く、記憶力が弱い。気質が粗野で、どんな食事にも慣れることができる。

黒目がつれていて、中くらいの目は、平和を愛し、正直で、真面目であることを表す。
機知に富み判断がしっかりして、いつも他人に奉仕しようとする人である。』
(大アルベルトゥスの秘法/アルベルトゥス・マグヌス/河出書房新社から引用)

どうですか。当たってますか。

人にだまされても、傲慢な仕打ちを受けても、嫉妬を受けても、正直で、他人に奉仕するのを第一にするような人は、今の時代でも、陰で『バカな奴だ』と嘲笑されることがしばしばある。 平和を愛し、正直で、真面目な人は流行らない時代なので、そんな人は、他人に意地悪されることも少なくなく、どんどん減る一方なのでしょうね。そうした人が次の時代の人たちだが、その存在意義をほとんど一顧だにしないのが今の時代である。 

人相学による処世術は、本来はそれぞれの人々の幸福のために始まったのだろうが、自分だけの利得のための処世術ならば、結局自分すらも幸福になることはない。

コメント

アルベルトゥス・マグヌスの秘法-1

2005-12-27 05:36:06 | 時代のおわり
◎通俗的スピリチュアリズム

スピリチュアル系ブログには、オーラ・ソーマに関係するブログが多く、ヨーガ関係のものと双璧をなす。オーラ・ソーマの出所は、西洋魔術のようで、その源流をたどっていくと、大アルベルトゥス・マグヌスの秘法に突き当たる。

大アルベルトゥス・マグヌスの秘法の中身は、宝石の効果、まじないのやり方、人相の見方、手相の見方、占星術の応用の仕方、薬草の使い方と、通俗的スピリチュアリズムの全般に及び、16、17世紀の西洋の街のマジシャンに広範に読まれた本らしい風貌を備えている。通俗的スピリチュアリズムには、本当のもの、絶対的なるものを希求する真剣味に欠けるところがあるが、人生の味わいを豊かにする側面はある。

『イタチ
イタチはよく知られている。
イタチは普段、茂みの中や干し草や藁小屋に棲んでいる。もしイタチのぴくぴく動いている心臓を食べれば、未来のことを予言できるようになる。もしこの心臓と眼と舌を犬に食べさせれば、たちまち声がでなくなり、吼えなくなる。あるいはもしその心臓だけを野兎の足と一緒に食べさせれば、同じことが起こる。このことは本当であり、私自身がしばしば経験したことである。』(大アルベルトゥスの秘法/アルベルトゥス・マグヌス/河出書房新社から引用)

そうなんだ。それなら、早速イタチの心臓を食べて、未来の予言などしてみたいものだ。犬に食わせるわけにはいかない。

『烏(からす)
烏は、どこにでも知られていて、もしエヴァックス(伝説の賢者)やアロン(モーゼの兄。魔術師)のいうことを信じるならば、驚くべき特徴を持っている。この烏の卵を茹でて、それを採った巣に戻しておくと、烏はすぐにアロドリカスが埋められている島に向かい一個の石を運んでくる。そしてその石を卵と一緒に置き、卵を元の状態に戻してしまう。まさに驚くべきである。この石でつくった指輪をはめて月桂樹の葉を持っていれば、人を繋いだ鎖や、鍵のしまった扉に触れるだけでたちどころに鎖は壊れ、鍵は開いてしまう。この石を口の中に入れていると、あらゆる鳥の泣きまねができ、呼び寄せることができる。この石はインド石と呼ばれるが、これは普通この石がインドや紅海で発見されるからである。
この石にはさまざまな色があり、罵詈雑言や紛争を忘れさせる』
(大アルベルトゥスの秘法/アルベルトゥス・マグヌス/河出書房新社から引用)

鳥の巣に宝石があるというのは、カラスに限らず他の鳥(グリフォンなど)でも述べられているので、一度巣を探して見ると見つかるかもしれませんね。 ダイヤモンドは昔インド石と呼ばれていたそうです。ダイヤモンドを口に入れて、鳥が集まるかどうか試しに鳥の泣きまねでもしてみましょうか。でもダイヤの指輪をして月桂樹の葉を持って、よそのドアを開けたりしてはいけませんよ。

当時はこれを読んだ人は、書かれてある中身の半分以上はこれを信じたのかもしれません。そういった精神構造の中にスピリチュアリズムが生きていたのだと思います。とても大時代的な内容だけれども、それを信じる原初的な心性は今も変わらないところがあり、それを突いて来て、利用しているのが、かつてのナチズムであり、現代マスコミであることを忘れてはいけないと思います。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。



《オーラ・ソーマでリンク.TBさせていただきました。》
ミオ・クオーレのひとりごと)()PhiloSophia)()もうちょびっとナチュラル)()雪花綴文)()つるこのはてしないたわごと)()のんびり気まぐれ猫ブログ)()(*****hikarinikuni svaha*)()ちょっと疲れたとき、元気になる)()ヴェルトアル)()HAPPY TALK)()ぼちぼちぶろぐ)()まったりアロマテラピーときどきオーラソーマ()リウマチを体・心・魂で)()
風の香り -小さな小さな祈り-)()目指せ!ANIMAL HEALING!)()kaiman日記)()(New Beginning for Love)()ちょっとひとやすみ)()ドリアミの気まぐれ日記)()
(guitar☆kid)()(ぐーたら主婦のひとりごと)()にじいろ☆はぁと)()カラーセラピー道)()マリコのリヨン留学日記)()セラピストの道 ぽいきみち)()まいっちのいちごたると)() (Natural Flow)()ひびのこと)()
コメント (8)

本田親徳の天地創造-1

2005-12-26 05:49:22 | 古神道の手振り
明治の古神道家本田親徳を知っている人は、極めて少ない。出口王仁三郎の霊学の師匠の師匠という立場にある人にあたるが、著作もさほど多くはなく、どのような立場をとっていたかをその数少ない著作から知ることはむずかしいが、片鱗はうかがい知ることはできる。

本田親徳は、1822年鹿児島県加世田市生れ。17歳から20歳までに水戸藩の会沢正志斎について和漢の学を学ぶとされる。明治の政治を牛耳った薩摩藩の神道家ではあったが、廃仏毀釈の波にのって本田流神道が国家のメジャー神道になるようなことはなかった。1889年川越で67歳で没す。

出口王仁三郎が、本田流の三元八力一霊四魂理論を受け継ぎ、出口王仁三郎の影響下に生長の家など戦後興隆した新興教団が多いことから、本田親徳の影響は、その中で生きていると見ることができだろう。

本田親徳の著作である道の大原は、三元八力、一霊四魂を述べたものであるが、簡潔すぎて何がなにやらさっぱりわからないところがある。ところが、古事記神理解という著作を読むと、明らかに古事記著者と同じレベルで世界を一望の下に見渡すという体験を経ており、その見解の随所にそれが現れているのである。

『独神
独は霊交(ひと)の義。永遠の神徳で、自然に生じたことをいう。五十霊気が相交接活用してこの三神となったもので、御中主神は本体で、両皇産霊神(タカミムスビノカミ、カミムスビノカミ)は、末用である。ですから、 両皇産霊の神功を御中主神の功にすることはできるが、造化の神を唯一体とするのは誤り。

なぜなら、一体で造化の功用をすることはできない。必ず一体よりわかれて、二となって初めて、その功用をなすこと自然の数理であるから。(これによって外国の宗教の説に神を一体とするのが誤りであることを知るべきである。)』
(古事記神理解及産土神徳講義現代語訳/顕神本会から引用)

天御中主神は体であり、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミは用であり、体だけでは、天地創造はできないという説はかなり思い切った説ではあるが、諸外国の宗教よりは真相を語っていると断言しているところを見ると、アカシック・レコードをさかのぼって、その様子を見ないと断言できるものではありますまい。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。

コメント (12)

合気道の神髄-6

2005-12-25 04:33:33 | 気功、導引(冥想法2)
◎植芝盛平の神秘体験-2

植芝盛平には、神秘体験は数多く、何をもって神秘体験とするのかわからないほどである。蒙古パインタラの法難のときに、敵の銃弾が飛んでくる直前に、白い光が殺気として飛んで来るのをだんだん見えるようになった話なども神秘体験と言えば神秘体験である。

次の話は、日常体験であると本人は語るが、このような日常に生きているということこそ参考となるべきことである。
『私は自己のうちに天台をつくり、自己が天地と宇宙と常に交流するように心がけた。それで何事か行おうとする時は、目の前に白い光の玉が現れ、その中にいま一人の私が立っている。

そして扇子を持つと、相手も持つ。突いていくと相手に突かれる。慢心など出来なかった。それは錯覚ではなくて修行であり、これによって常に進歩できると思った。

それはちょうど、体のほうでは潮の干満のようなもので、波みがくる、すなわち打ってくると波の華が散るように陽になって音を生ず。息を吸い込む折りには、ただ引くのではなく、全部己れの腹中に吸収する。そして一元の神の気を吐くのである。それが社会の上なれば、自己の宇宙に吸収して、社会を神の気で浄めるということになる。

霊の相手が突いてくる。突いてくる光に載って光を捕らえる。すなわち突いてくる光に同化する。それを光のかけ橋として、それに向かって自己が進む。このような体験は日々あった。日月の気と天の呼吸と地の呼吸、潮の干満との四つの宝を理解せねばいけないのである。

もうひとつ澄みきった玉が必要である。この五つのものが世界を浄め和合させる。』

『合気道は相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする自己の中に吸収してしまう。つまり精神の引力の働きが進むのである。世界を一目に見るのである。今日ではまだ殆どの人ができていないようだ。私も出来ていない。』
(合気神髄/八幡書店/「魂の花を咲かせ、魂の実を結び」から引用)

この五つの玉を、植芝盛平は、地水火風空の多宝仏塔にたとえている。このような合気道であれば、なるほど相手の眼や手を見ないで合気道するわけだとわかる。

そして世界を一望の下に見渡す体験は、植芝盛平自身もまだないという。世界を一望の下に見渡す体験とは、アストラル・トリップで三次元宇宙を飛び出して、エーテル体宇宙に入る寸前に、三次元宇宙の高みを見る状態があるようだが、そういった低次元のものではないと思う。肉体死でも皆このポイントを通過するが、それと認識できる人はそれを知覚できる感受性を開発した人のみであるため、ほとんどの人はそれとわからないまま中有(あの世)に入るのであろう。

あくまで天の浮橋という人間と神を結ぶ場所に立って一望のもとに見渡すのであるから、人間という個人を超えたところにある境地を目指すべきであるが、天の浮橋に立って技を繰り出すことはできるが、まだそこに立って世界を一望したことはないと言っていると見るべきだろう。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。

コメント

合気道の神髄-5

2005-12-24 05:45:10 | 気功、導引(冥想法2)
◎指一本で抑える

合気道の力のポイントの続きです。
『指一本をもって相手を動けなくすることはだれにでもよくできるはずである。人間の力というものは、その者を中心として五体の届く円を描く、その円内のみが、力の及ぶ範囲であり、領域である。いかに腕力が自慢のものであっても、己のその円の範囲外には力がおよばず、無力となってしまうものである。

すなわち、相手をその者の力の及ばぬ円外において押さえるならば、相手はすでに無力ゆえ、人指し指であろうと小指であろうと、指一本をもって容易にこれを押さえられることになるわけである。

己はたえず円転しつつ、なお己の円内に中心をおき、そして逆に相手を相手の円外に導き出してしまいさえすれば、それですべては決してしまうというわけである。

すべての円をキリリと描くのである。円に十を書く、その十の上に自己の左右の足で立つのである。それで全部三角法で、進むのである。立ったおりに、右足を動かしてはいけない。左足だけで巡るのである。そして天の気、地の気、要するに天地の気と気結びすることである。』
(合気神髄/八幡書店/「声と肉体と心の統一ができて初めて技」から引用)

相手を五体の届く力のポイントである円外の一点を小指で押さえることで相手は無力化するということ。そのポイントが指先数センチのところなどといわれているのだと思う。
エーテル体は、円ではなく、経絡だけ取り出した経絡図のようなものなので、経絡の外側にそういうポイントがあるという示唆である。

植芝盛平は、また『円の極意は、皆空の中心をつき、皆空の中心が生ずる時、気を生み出す。生むは無限である。』とも語っており、魂が一切皆空の中心に居る時に、自ずから無限の気を生み出すとしている。一切皆空の中心とは、天の浮橋のことと思われる。

修練としては、自分は円の中心に居続け、相手を相手の円外に導き出すというタイプの修練をするのだろうと思う。

世の中には指圧というものがあるが、指一本で経絡を押さえる技なので、ひょっとしたら合気道と同根なのかもしれないと思った。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。


クリスマス・ツリーに必ずぶら下げるとされるルチア人形。丑三つ参り?



《合気道でTB/リンクさせていただきました。》
ブログです。()
歯車の軋み)()
あるふぁねすの秘密の小部屋)()
(早朝散歩)()
コメント

合気道の神髄-4

2005-12-23 05:55:12 | 気功、導引(冥想法2)
◎植芝盛平の神秘体験-1

『たしか大正14年の春だったと思う。
私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体を包むとともに、私自身も黄金体と化したような感じがした。

それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。

その瞬間、私は、「武道の根源は、神の愛-万有愛護の精神-である。」と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。

その時以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じるようになり、眼前の地位や、名誉や、財宝はもちろんのこと、強くなろうという執着も一切なくなった。

「武道とは,腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和を守り、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである。」と私は悟った。すなわち「武道の鍛練とは、森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛練することである。」と私は悟った。』
(合気神髄/八幡書店/「武道の根源は神の愛-万有愛護の精神」から引用)

この神秘体験の中心は、「武道の根源は、神の愛-万有愛護の精神-である。」と悟ったところにあるように思う。あのように神の愛を感得するとは、七つの身体で言えばメンタル体のアナハタ・チャクラが開顕することである。また冥想の横軸で言えば、この体験は、色界の定つまり四禅より下のレベルなのだろう。でもレベルの点は、人間にとってさほど問題ではない。

すなわち一人の人間として、メンタル体レベルでのアナハタ・チャクラを開顕するという体験は、一人の個人の幸福という観点からは、充分に問題のない境地であるからである。というのは、植芝盛平が述懐しているように、「日月星辰はことごとく我がもの」という、世界や他人も自分であるという実感を知ることにより、自分勝手な欲望は消え去るものであるからである。

このように植芝盛平も、奇しくもラブ アンド ピースと言ってるわけだし、アクアリアン・エイジの我々が目指すレベルは、まさにこの境地であることに疑いはない。実現は、そう簡単なものではないと思うけれど。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。

コメント

合気道の神髄-3

2005-12-22 05:49:52 | 気功、導引(冥想法2)
◎合気道の力のポイント

合気道には独特の力のポイントというのがあって、指先数センチのところがその人の中心であって、そこを抑えると相手を抑えこめるというようなことを聞いたことがある。
そこを指一本で抑えることで相手を制することができるというものである。
気とはエーテル体のことであるが、これは、エーテル体独特の性質を利用したコツのようなものだと思う。

『次に各地を巡回中、ある一地方にいった時のことである。漁師町であった。そこに素人相撲で腰のねばり強い二十七、八貫、五尺八、九寸はあったと思うが、この男ににわかに勝負をいどまれた。失敗はしないが手こずった。

裸の全身にヌルヌルに汗をかいて容易に掴めない。とにかくするうちに相手も疲れていたのであろうが、手がふれたら指一本で抑えることができた。

この時、ウナギ掴み、すなわち気でもって相手を抑える、すなわち位づけの妙法を悟ったのである。こうして合気の真の鍛練法ができてきたのである。』
(合気神髄/八幡書店/「死生を往来して修行の道に入れた」から引用)

さらに植芝盛平は、指さえもいらないとも言っている。
『合気というものは、初めを描く。円を描くこと、つまり対象力、相手に指一本ふれないでも相手は跳んでしまう。このひとつのものをつくりあげるにも十年くらいはかかる。』
(合気神髄/八幡書店/「宇宙のひびきを自分の鏡に写しとる」から引用)

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。

コメント (2)

合気道の神髄-2

2005-12-21 05:30:59 | 気功、導引(冥想法2)
◎合気妙応
それでは、感受性を開発する息の練習とは何を云うのだろうか。

『「気の妙用」は、呼吸を微妙に変化さす生(いく)親である。これが、武(愛)の本源である。「気の妙用」によって、心身を統一して、合気道を行ずると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる。この呼吸の変化は、宇宙に気結び、生結び、そして緒結びされる。

また呼吸の微妙な変化が五体に深く喰い込み、喰い入ることによって、五体はその動きを活発にし、千変万化神変の働きを示すことができる。変化とは違う。

こうなって初めて五体の五臓六腑は、熱と光と力が生じ結ばれ、己の心の意のままになり、宇宙と一体となりやすくなるのである。

この呼吸の微妙な変化は真空の気に波動を生じさせる。この波動は極烈であるか、遅鈍であるかということで、宇宙に種々なる成因をつくる。この波動の極烈と遅鈍によって、心身の凝結が知られる。

技は、すべての宇宙の法則に合していなければならないが、宇宙の法則に合していない技は、すべて身を滅ぼすのである。このような技は宇宙に結ぶことはできない。
ゆえに武産(たけむす)の武ではない。宇宙に結ばれる技は、人を横に結ぶ愛の恵みの武ともなる。宇宙と結ばれる武を武産の武というのである。

武産の武の結びの第一歩はひびきである。五体のひびきの槍を阿吽の力によって、宇宙に拡げるのである。五体の響きの形に表れるのが、「産(むす)び」である。すべての元素である。元素は武の形を表わし、千変万化の発兆の主でもある。

呼吸の凝結が心身に漲ると、己が意識せずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっでいくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感ずる。

このような呼吸ができるようになると、精神の実在が己の周囲に集結して、列座するように覚える。これすなわち合気妙応の初歩の導きである。合気を無意識に導き出すにはこの妙応が必要である。

こうして合気妙用の導きに達すると御造化の御徳を得、呼吸が右に螺旋して舞い上がり、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる。

水火の結びは、宇宙万有一切の様相根元をなすものであって無量無辺である。
この摩擦連行作用を生じさすことが、できてこそ、合気の神髄を把握することができるのである。』
(合気神髄/八幡書店/「気の妙用によって心身を統一」から引用)

門外漢の感想としては、まず非常に難解です。この文は、合気妙応と呼ばれる初歩の段階ができるかできないかぐらいの人に対して書かれたものではないかと思います。合気妙応の感じをつかめる程度の人でないと何を言っているのかわからないのかもしれない。

大意としては、次のような読み方ではあるまいか。

陰陽、水火の息を合わせることを結びとか凝結とかと言っている。
気の妙用により、呼吸の微妙な変化が起こると、それによって宇宙に陰陽水火のエネルギーの「結び」が発生する。その結びが心身にみなぎると自然に呼吸が宇宙に同化し、呼吸が宇宙に散大し、そして呼吸は自己に再集中する。

この状態で「精神の実在が己れの周囲に集結、列座する」とは、いわゆる高級神霊的エネルギーが己のまわりに集まってくることだと思う。これを初歩の段階である合気妙応と呼ぶ。

この合気妙応が、「水火の結びを生ずる摩擦連行作用」を起こすが、摩擦連行作用とは、宇宙規模で至善至美なる造化の御徳を実現するエネルギーの流れを作りだすことを言っているように思う。

つまり合気妙応を実現した人がひとりでもいれば、その至善なる影響力は宇宙規模で及んで行くということである。だから一人一人がまず合気妙応を感得することが大切ということになる。換言すれば、他人に対し、イデオロギーや主義主張に基づく○○運動を勧誘するよりは、このように自らを正す動きの方が先決であるとうことになる。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。

コメント (3)

合気道の神髄-1

2005-12-20 05:36:38 | 気功、導引(冥想法2)
◎天の浮橋に立つ

合気道場にも一歩も足を踏み入れたこともなく、合気道の練習もしたこともない私ですが、合気道開祖植芝盛平の語録「合気神髄」が武術書というよりはあまりにも古神道書なので、合気道家にとっては難解であるという定説があるようでもあり、合気神髄のいわんとするところを読み解いてみたいと思ったものです。

植芝盛平は、8年間大本で古神道の修行をしたそうなので、本田親徳、出口王仁三郎と続く教派神道の最有力派閥?の薫陶を受けてきていることになる。合気神髄の中には弟子に対する文章ということで、大本という文字こそ出て来ないが、その古神道用語は出口王仁三郎的用い方なのだろうとうかがわせるところが随所にあって面白い。

『円を描く、円の中心を知る。円の中心こそ・・・・。それを愛の教育に移すのです。いつも中心に立っている地球修理固成の魂の糸筋、一番の中心に立つことです。』
(合気神髄/八幡書店/「鎮魂帰神によってすべてがわかる」から引用)

『この道は、天の浮橋に最初に立たなければならないのです。天の浮橋に立たねば合気は出て来ないのです。これが神ながらの道「三千世界一度に開く梅の花」ということである。これが天の浮橋に立たされてということ、那岐、那美、二尊(イザナギ、イザナミ)が天の浮橋に立って、発し兆し、世の成り立ち、未来を永遠にすべてのことを教える案内役たるところの神ながらの道。

この合気も、また天の浮橋に立ちまして、そこからものが生れてくる。これを武産(たけむす)合気といいます。「オ」の言霊、「ウ」の言霊、これは天の浮橋・・・・・。言霊とは響きですから、宇宙の響きをことごとく身の内に受け止めるのです。それで霊界をこの人の鏡に写しとる。』
(合気神髄/八幡書店/「顕幽神三界、腹中に胎蔵」から引用)

「地球修理固成の魂の糸筋」とは、クンダリーニのエネルギー・コードのこと。その糸筋が地球の活動の根源であるということは現象世界の根源に立つことであり、人間の側でなく、神の側に一歩踏み出したところなのだと思う。

天の浮橋という、神と人間の中間に立って、『言霊とは響きですから、宇宙の響きをことごとく身の内に受け止めるのです。それで霊界をこの人の鏡に写しとる。』とは、宇宙・霊界全体のバイブレーションを感じ取れるほどの感受性があって、初めてその言霊を写し取れるものでしょうから、まず感受性の開発が必要。それを植芝盛平は息の練習でやるのだと云う。

「三千世界一度に開く梅の花」とは、現象世界の発する根源の天の浮橋を起点として、さまざまな現象が、この世にあるあらゆる梅の花が一斉に開くように、次々と展開していく様を形容しているのだと思う。植芝盛平は、それを熟知していたか、体感していたかしていたのだと思う。

合気は気の妙用ということなので、合気道は気功の一種なのだろうが、その意図するところは深遠である。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。

コメント (3)

ヘルメス文書-2

2005-12-19 04:16:01 | 究極というものの可能性
古事記でも天の浮橋に立って国生みなどする天地創造の有り様を描いている。ところが、明治の古神道家本田親徳が、難古事記において、古事記は変に下世話な表現が多くて、真相を誤解しやすいところがあると、盛んに古事記を批判している。

一方、ヘルメス文書におけるその書きぶりは、非常に直截的であり、その冥想状態において天地創造、イデアの世界を見るというのはこのようなものだろうと知的想像力を納得せしめるものがある。

『さて光から<・・・>聖なるロゴス(言葉)がフェシス(母胎)に乗った。すると純粋な火が、湿潤なフェシス(母胎)から出て上へと立ち昇った。

その火は敏捷で軽快であり、同時に活発であった。また空気は軽かったので、霊気(すなわち火)に続いて行った。すなわち空気が土と水を離れて火の所にまで昇り、あたかも火からぶら下がっているかのようだったのである。ところで土と火は互いに混じり合い、<土は> 水から見分けることができないほどであった。

それ(混じり合ったもの)は、覆っている霊的ロゴス(言霊)に聞き従い、動いていた。

(中略)

(ポイマンドーレス(=ヘルメス)は云った。)
「あの光は私であり、お前の神なるヌース(叡知)であり、闇から現れた湿潤なフェシスより以前にある者である。ヌース(叡知)から出た、輝くロゴス(言葉)は神の子である。」

(中略)

「お前は(自分の)叡知の内に(世界の)元型を見たのだ。その元型は無限の初めよりも以前からあったものである。」 』
(ヘルメス文書/荒井献・柴田有訳/朝日出版社から引用)

これは、無ではない世界であり、あらゆる不壊の元型の世界を見せてもらった話であるから、第六身体の世界のことである。
唯一のものから、最初に言霊の作用によって、地水火風の四元素が分離するのを見たのである。
宇宙創造はかくの如く行われるものだろう。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。

コメント (4)

天の浮橋について

2005-12-18 07:29:30 | 古神道の手振り
合気道開祖植芝盛平の合気神髄に、しばしば天の浮橋に立ってという言葉が出てくることから、天の浮橋についてです。

さて古事記では、イザナギ、イザナミの二神が天上と地上とをつなぐ「天の浮橋」に立って、その沼矛(ぬぼこ)を降ろして、かき回すと海水がコオロコオロと音を立てて鳴り、その矛の先からしたたり落ちた塩が重なって島となった、というくだりに出てくるのが天の浮橋である。

天の浮橋は、明治の古神道家本田親徳によれば、天の浮走のことで地球を指している。地球は、当時一面の海水で覆われ、大陸も島もなかったが、イザナギ、イザナミの二神は、大神の黙示を受け、イザナギの命(ミコト)は地気(霊的な大気)となり、イザナミの命(ミコト)は地体(霊的な地球)となって、八種類のエネルギーを用いて、大陸や島を作り、天体や動植物などを作った(修理固成)。

これはアカシック・レコードで、太陽系の始まりから、地球の創造と大陸移動と動物、植物、鉱物の発展を霊眼で見た様を語っているのであり、決して空中に浮かぶ飛行船「天の浮橋」号から巨大なさおでもって海をかき回したというような下世話なスペクタクルを表現しているものではないと思う。

このように天の浮橋は、古事記では最初地球として登場する。
ところが、合気道で天の浮橋という時には、天上と地上とをつなぐところ、すなわち精神における天上と地上をつなぐところを云うのだろうと思う。つまり、人間としての個人というものと、個人を超えた大神の側の境目、つまり最後の個人性たるコーザル体にあることを云うのではないかと考えている。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。



<天の浮橋でTBさせていただきました。>
Les Pages d'OPARIN)()
アーコの方丈記)()
未公認なんですぅ)()
コメント (6)

山岡鉄舟の修行-6

2005-12-17 04:56:35 | 丹田禅(冥想法8)
◎男女の別を超える

鉄舟には、男女の別を超えることはまだできていなかった。

『明治17年3月のある朝、庭先で梅の花を見ていた鉄舟は、忽然、しばし機を忘れた。
何かが突然起こった。徐々にというのではない。一瞬のできごとである。空の中にぽっかり穴があいたように・・・・・。
(中略)

一即万物なり、万物即一なり
千変万化の根本 これ無なり
(中略)

剣道は我も打たれず、人も打たず
無事に行くこそ、妙とこそ知れ

死に切ってみれば誠に楽がある
死なぬ人には真似もなるまい。』
(大聖山岡鉄舟/鍋倉健悦/日本出版放送企画より引用)

ここでようやく山岡鉄舟は、男女の別という相対の区別を超えて、大死一番をなし遂げた。相対の区別とは、皆さんの中で関心の高い、霊とか悪魔が存在する仮の世界のことである。そうした仮りそめの世界を超えて初めて、本物の変化することのない世界が広がっていて、その世界に飛び込んだのである。本物の世界の方は、至善至美の世界(第六身体)であるので、悪魔や通俗霊などはない。神々のみの世界、変わることのない元型の世界だからである。

そこに入るためには、山岡鉄舟という個人・人間が死なないと入ることはできない。それが「死に切って」ということなのだと考えている。またその境地は哲学的思弁や思想ではなく、本当に死んでみたところにあると思う。本当に死んでみたところとは、死者の行くアストラル体・霊界のことではない。

人気blogランキング精神世界 ランキング目次
    1日1善。1日1クリ。

コメント