アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

20世紀から21世紀の流れ-1

2005-03-31 05:33:41 | 時代のおわり
1.ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎
20世紀初頭には二人の巨人がいる。ルドルフ・シュタイナーと出口王仁三郎である。
二人とも霊界の隅々、すなわち上層天国から、下層の幽界の隅々まで良く知っていた。そして二人とも、不思議なことに、霊界の紹介を中心にその生涯のエネルギーの多くを費やしている。
出口王仁三郎は霊主体従を説き、霊界のことが主で現実界のことが従であると強調した。
ルドルフ・シュタイナーは、『人間が地上を変革しうるのは、霊界から探知し得たことがらを、地上に移し入れることによってである。この点にこそ人間の使命がある。』(いかにして超感覚世界の認識を獲得するか/ちくま学芸文庫)とし、やはり霊界の知識、霊界というものが価値が高いものであることを強調した。

出口王仁三郎は、日本の戦後の多くの新興教団に影響を与えており、日本の教派神道の源流の一人とでもいうべきメジャーな存在であった。
ルドルフ・シュタイナーは、神智学教会から人智学へとシフトしたが、1925年の没年まで勢力的に活動し、死後もシュタイナー教育で知られるようにその影響力は大きいものがある。ドイツ人らしい、霊についての懇切丁寧な説明は貴重な価値がある。

そして出口王仁三郎は、天国を超えた霊界以上のもの、つまり窮極(神、仏、太極)を知っていた。

肉体を離れし後の霊魂の真(まこと)の命は不老不死なる
(出口王仁三郎/霊の礎)

天国の天人(天使など高級神霊)には不老不死はない。天人五衰といわれ、天人にも死と寿命がある。そして不老不死は第六身体(アートマン)レベルにしかない。

霊界の上の世界を知りながら、なぜ殊更(ことさら)に霊界、霊界と繰り返し語っててきたのか。

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師匠(マスター)の選び方-5

2005-03-30 05:50:16 | 冥想の準備
3.師匠(マスター)のレベル
⑵問いかけ
まず絶対なるもの(神・仏・太極、宇宙意識)を知っているかという質問を投げて見る。これは、師弟という関係であれば、失礼かもしれませんが、この質問は自分が真剣な求道者である場合、当然のまた最低限の質問として許されるべきだと思います。
また神を知るとは、ちょっとでも絶対なるものを見たことがあるということを神を知るとよんでいいと考えます。

①絶対なるもの(神・仏)を知っていると言うケース。
(a)本当に知っている場合
問題なし。その師匠(マスター)は嘘を言えないし、悪事はできない。
そして、更に質問を継いで
(イ)『絶対なるもの(神・仏)と一体になりましたか、それとも絶対なるもの(神・仏)を見たのですか。』と問う。
大概は「絶対なるもの(神・仏)を見た」 ケースのほうだと思いますので、
(ロ)『どのように見えましたか』と訊いてみて下さい。
遥か遠くに見たケース、間近に見たケース、いろいろあると思いますが、見え方のバリエーションについては、今後十牛図の解説で説明したいと思いますが、非常に参考になる部分です。
神が白ひげの老人でないことを知っているあなたでも、神がどういうものか最低限知的イメージとして分かっていないと師匠の回答があやしいかどうか、わからないことになります。
  
(b)本当は知らない場合
指導が的確ではないのだから、あなた自身がどの程度絶対なるもの(神・仏)に対しオープンになれるかどうかだけがポイントになってしまうでしょう。またその状態は危険でもあります。本当に知っている師匠(マスター)につけば、修行の先達として、経験に基づいた指導が期待できるのに。
しかし実際に直面するケースはこのケースが一番多いのでしょうから。難しいところがあります。迷いが迷いを指導する形です。
そして金銭的、物質的に強欲であったり、名誉欲が強かったり、超能力霊能力を高く評価し、弟子にもその能力発現を勧めるタイプは、問題があります。富も名誉も超能力も霊能力も本当のものとは何の関係もないからです。むしろ支配欲の隠れ蓑になっている場合が多いのではないでしょうか。
もっともクンダリーニ・ヨーガでは、霊能力を認めるが、霊能力発現そのものを目的としているわけではない。
    
②絶対なるもの(神・仏)を知らないと言うケース
(a)本当に知らない場合
その謙虚さは、本物です。冥想の師匠であって神を知らないなどと言うのは、いつでも切腹して果てることができるくらいの覚悟で師匠をやっているのだと思います。この方は、すごい。
その師匠は、求道者としても一流であるから、遠からず絶対なるものを見ることになると思います。
後は、その方が、師匠として見るべき技量・経験がある方であれば、学ぶべきものはあると思います。そしてあなたにそれを見抜く見識があれば。 
師匠が、絶対なるものを見たことがあって、なおかつ知らないと言うこともあるでしょうから、見たことがあるかどうかは訊いておいた方が良いでしょう。(神を知るとは、ちらっと神を見たことではない、と師匠が考えている場合)
  
(b)本当は知っているケース
そんなことは絶対にあり得ない。一度でも神を見れば、絶対うそを言うことができなくなるからです。

③答えないケース
あなたには、その質問を発するまでもなくわかるでしょう、ということでしょうか。
体験とは言えない体験をした者にしかわからない言葉を聞き届けるべきです。ちょうど京都の鴨川でホームレスをしていた大燈国師を探すのに「足を使わずに来る者には瓜を与えよう」と謎をかけたように。(すると、群の中から「手を使わずに瓜を渡せ」という者がいた。この者が探していた大燈であった)


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冥想でのステップとゴール

2005-03-29 21:35:27 | 現代冥想の到達点
⑴いい感じ(ステップ)
冥想修行が順調に行っている証拠は、みなさんもご存じのとおり、次のような「良い感じ」があるものである。

安らかさ、      喜び、
さわやかさ、     力強さ、
解放感、       清らかさ、
充実感、       深い悲しみ
なつかしさ、     すべてを美しくいとしく感じる、
やさしさ、      楽しさ、
ありがたさ、     落ち着いた静けさ、
その他あらゆる肯定的感情

このようなフィーリングがあなたの中に感じられていなければ、冥想修行が、中途半端な状態であるか、袋小路に迷い込んでいると言えるだろう。

⑵冥想の到達点(ゴール)
 冥想の窮極とは、神、仏、宇宙意識、太極などと触れ合うことであるが、そのふれあいは、窮極の六つの属性(愛、安心、歓喜、智慧,力、自由)を実感することでもある。

「君が愛や自由に合一した時、君は、生まれて初めて、とめどもなく清らかな涙、ぶち抜けた開放的な笑い、言いようのない悲しさと喜び、深い深い静寂、本当に生きているんだという実感を疑いようもなく、体験することだろう。
(注.愛や自由とは、窮極の属性の一つのことであり、ここでは神と同じ意味です)

君が、宇宙意識とふれ合う時、君は自己憐憫(れんびん)やセンチメンタルとは無縁の透明な涙を知るだろう。また嘲笑や自虐性や滑稽さからのそれでない大いなる笑いやおおらかな微笑があふれだすだろう。
そして君は知る、完全な沈黙や深く安らかな静寂が何であったのかを。

(注.宇宙意識=ヨーガでいう窮極)」 (ダンテス・ダイジ)

※でも自分だけは特別だと思っているうちは、絶対にこれは起こらない。

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師匠(マスター)の選び方-4

2005-03-29 05:08:29 | 冥想の準備
3.師匠(マスター)のレベル
⑴自分の姿勢
師匠のレベルを問う前にまずあなたの姿勢が問題となる。
あなたの方が、本当のものを求めていない場合は、師匠のレベルは問題にするに値しないものである。
人生とは何か、人間とは何かという気持を持たずに、カルチャー・スクール的な習い事としてやっている場合は、感受性や元気は増すかもしれないが、決定的なレベルに至ることは少ないと思う。師匠も含めて仲良しサークルになっていて、みんながそれで良しならば、この話は不必要な話ということです。

絶対的なるもの(神・仏・太極・宇宙意識)を知らないあなたが、ひょっとしたら絶対的なるものを知っている師匠にそのレベルを聞くことになる。
しかし、たとえその師匠が本物で、絶対的なるものを知っていてもあなたは師匠の出すバイブレーションが本物かどうか判断する基準など持っていない。


【蔵文(チベット語)大蔵経/清代(1644-1912)】
経葉は長方形で、一枚ずつ重ねて、上下は経板で挟み、絹製の帯で縛られ、更に布帯(チベット人の贈り物の定番。客の招待、尊長の拝み、婚嫁の慶祝、仏様に拝むなどの時に送る帯)を添え、最後に黄色の綾絹の経衣で包む。
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師匠(マスター)の選び方-3

2005-03-28 05:53:11 | 冥想の準備
※参考
金剛鬘タントラ(チベットの「死の修行」/角川書店)における師匠(ラマ)の見分け方

①息災法(災いを消し去る密教手法)に巧みなこと
②真言(マントラ)とヨーガの儀軌(詳しいテクニック)に通暁していること。
③戒律を守っていること。
④布施に熱心であること。(布施:施しをすること。金品を施す財施、仏法を説く法施、恐怖を取り除く無畏施の三種あり)
⑤忍辱に優れていること。(忍辱:にんにく。侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと)
⑥昼も夜も観想(窮極の属性のイメージトレーニング)に精進していること。
⑦智慧をもってあらゆる事柄を観察できること。

かつての仏教国チベットの風土での中世の大時代的な「見分け方」であり、あまり現代で使えるものではないと思います。日本では人間が悪賢くなりすぎた。

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師匠(マスター)の選び方-2

2005-03-27 17:07:55 | 冥想の準備
2.正しい師匠の特徴
⑴冥想者の日常的な態度であること。
①素直であること
②正直であること
③情熱的であること。
④リラックスしていること

この中で正直であることが最も難しく、その次が素直であることが難しい。社会ですれっからしになればなるほど、正直でも、素直でもなくなる。そういった経験を経てなお、素直で、正直な人が本物。
オレオレ詐欺ならぬ、冥想詐欺をやろうという手合いも当然いて、正直っぽく、素直っぽく振る舞う師匠がいることも承知したい。
また利得が絡めばその師匠は、情熱的であり、またうまく弟子を籠絡(だぶらかすこと)できつつあれば、師匠はリラックスもするのだから、『情熱的』と『リラックス』は見分ける基準としては厳しいかもしれない。おまけに弟子は絶対服従を要求されるものだから。

一般にあなたが素直で社会的に経験が浅いほど、社会的成功者を尊敬の念で見ちゃうものである。
しかし、社会的に高い地位だったり、特定の組織の中で高い地位だったり、大金持ちだったり、社会的に名誉を受けていることや有名であることが、ここで言う正しい師匠の特徴ではない。そういう人に対する社会人としての尊敬の気持を捨て、また自分の社会的成功者に対するやっかみの気持を捨て、あらゆる偏見と先入観を捨てて、自分の目で、ただの人間として師匠を見ることが大切である。その目が自分を正しく見つめる目にもなって行く。

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師匠(マスター)の選び方-1

2005-03-27 07:53:00 | 冥想の準備
1.正しい師匠(マスター)との出会い
師匠(マスター)との出会い。それは、『この世のあらゆる不条理を逃れたい』という、全心身からの魂の叫びが呼び起こす不可思議な『縁』であるとしか言いようがない。おそらくは、自分の努力ではどうしようもない部分があることは、事実である。
でも4畳半一間に蟄居しているだけでは、本当の師匠(マスター)との出会いは起こらないので、できれば、セミナー、講演会などに出かけていくことをお勧めする。インターネットで探してもいいけれど。
※不条理:自分の思うようにいかないこと。人生に何の意義も見いだせない絶望的状況。 

しかし本当に窮極(神・仏・太極)を知っている師匠(マスター)が、特に日本では少ないようなので、偽物を見分ける最低限のことは承知しておいて悪くはないと思う。なんらかの因縁で、スーパーヘビー級の偽物マスターを師匠として修行して、逆にそれを機縁にして、本当の師匠に出会うということもあるのだろうが、一回きりの人生なので、わざわざそんな毒を食らいに行くこともないだろう。偽物マスターであっても、やはり神の現れであるとして、なおも頑張る理屈もあるが、無理なシチュエーションは、長続きしないものだと思う。

また力量的には不足な師匠であっても、純粋な求道心を持っている方には、敬意を表したいものです。その師匠本人にとっても、自分の力量の問題は、不本意ながら自分でもどうしようもない部分があるのですから。
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冥想の準備-2

2005-03-26 10:25:06 | 冥想の準備
1.冥想者の日常的な態度
冥想者の日常的な態度とは、常に
①素直であること
②正直であること
③情熱的であること。
④リラックスしていること
などである。特に『正直であること』は、一部の人を除いては、普通とされる生活常識からは、ほど遠いあり方になっている。これらの態度は、どれも覚者(絶対なるものを少しでも見たことのある人)から見れば当たり前のことである。でも当たり前のことができないので、準備が必要になる。そして日常生活全体が、冥想の準備である。

2.柔軟体操(身体の運動)
深い冥想に入るには、身体が赤ん坊のように柔軟でなければならない。特に背骨を中心に身体のどこにもシコリがあってはならない。従って適度な運動をして、全身の柔軟性と血液の円滑な循環の確保が必要である。

3.プラーナ・ヤーマ(呼吸法全般)
基本呼吸

⑵完全呼吸法(丹田呼吸法)
①意識を丹田(へそのやや下)において腹をひっこめ、息を十分に吐きだす
②1~2秒息を止めてから、腹の力をゆるめる。すると自然に鼻から息が入り、腹が少しふくれる。)
③胸を広げ、まず胸の下部分に息を入れ、次に真ん中とだんだん上方に息を入れていき、最後に肩を上げ、胸の上部にまで一杯に息を入れる。息が胸に滿ちるにつれ、腹は自然に少し引っ込む。意識は、息で膨らむ部位とともに上へ上へと位置を変えていく)
④しばらく息を止め、やがてゆっくり息を吐く。まず腹がすぼまり、次に胸の下部、中部、上部とすぼまりながら、完全に吐く。 意識をすぼまる部分にそって移動させる。

⑶片鼻呼吸法
この呼吸法では、激情、興奮は禁物である。
①右手の人指し指を眉間にあてる。(口も閉じる)
②十分に息を吐き出してから、右手の親指で右の鼻孔をふさぎ、左の鼻孔から完全呼吸法と同じやり方で息を吸う。
③吸い終えたら中指で、左の鼻孔もふさぎ、息の出入りを止める。
④苦しくない程度に息を止める。(保息=クムバカ)
⑤右手の親指を外し、右の鼻孔からゆっくりと完全呼吸法と同じやり方で息を完全に吐く。
⑥右の鼻孔から、完全呼吸法と同じやり方で息を吸う。
⑦吸い終わったら、右の鼻孔を右手の親指でふさぎ、息の出入りを止める。
⑧苦しくない程度に息を止める。(保息)
⑨右手の中指を外し、左の鼻孔からゆっくりと完全呼吸法と同じやり方で息を完全に吐く
 (②へ続く。)以下吐息・吸息・保息の繰り返し。

初心者は一度に呼吸10回からスタート。

⑷題目、念仏、マントラなどの声をあげての読唱も一種の呼吸法としての作用がある。

そして、やがて日常生活そのものが冥想となる。

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予言と言霊

2005-03-25 05:29:22 | イメージ・トレーニング(冥想法1)

地球滅亡予言など影響力の大きい予言については、真に実力のある覚者であればあるほど、その影響を慮って公表には慎重であることが多い。

ましてや一個人に対してその運命を語ることですら、そういった程度の慎重さは必要であるし、まして不幸なことを言うのであれば、一層の配慮が必要であることは当然である。

というのは、予言をした瞬間に未来はその予言による作用・反作用によって変わってしまっているからである。霊界(メンタル界・アストラル体)の上部は、空間移動は自由であり、かつ過去・現在・未来が渾然一体となった世界。予言を語ることによりその世界に一石を投じれば、当然に未来も変わってしまう。
そのメカニズムを知悉した実力者であればあるほど、善言美詞になるのは当然である。よくテレビに著名女性占い者が出て、社会を驚かすようなネガティブな未来を予言しているが、その人の悪業になっていく以上の悪影響があるんでしょうね。
チャネラーの皆さんもよろしく。

言霊は、粗雑なこの物質世界ではほとんど影響力がないと見れる。たとえば、今夜ワールドカップ予選日本対イラン戦であるが、日本国民は50%の視聴率に届こうとするほどの強烈な言霊で応援したにも係わらず、過去何度か苦杯をなめてきている。ドーハの悲劇のイラク戦、パリ・ワールドカップ予選の東京での韓国戦(ロペスを途中交代させて負けた試合)などその例はいくつもある。

ところが霊的世界(メンタル体、アストラル体)の世界では、言霊の影響力は強力なものがあるので、心して言葉は使わなくてはならない。言葉は、直接物質界を操作することは少ないが、結局霊界(アラヤ識=仏教唯識説で、イメージができるとそれは必ず現実化するとされる意識レベル兼存在レベル)経由で、十分な影響力があるのである。

ガンバレ日本!

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人間の力の限界

2005-03-24 05:36:40 | 時代のおわり


「人間は、自分の髪の毛一本黒くも白くもできない」と言ったのは、イエス・キリストだった。人間はもともと自分のことですら思う様にならないのが、人間としての当たり前の現実なのである。これが人間としての苦悩の現実なのである。
その苦悩を見つめた果てに、「人間としての苦悩からの開放は、冥想による自我意識の超克によるしかない」と知る。そうやって冥想に取り組んでいく。

冥想は大別して二種類に分かれる。
一つは、個人的ないしそれに近い欲望の実現を狙いとするやや低次元にとどまる手法、すなわち自分という個人を温存しつつ、よりよく自分という個人が生きようとするもの(人間というレベルを越えないもの)と、個人というものがすなわち人間的苦悩の原因であり、人間としての限界を越えて救済を求めて行こうとするレベルの2つに大別される。
どちらの冥想手法も、最終的には、それなりに自我意識を超克できるのだけれと。

さまざまな冥想法は、このてんでんばらばらな自我意識を超克していく手段であるが、どちらかのレベルの、その人の問題意識の程度に応じた冥想手法を、その人自身が選びとるが、すべての人が最終的に身心脱落などの窮極に届くわけではない。
また冥想の結果、それが世俗的観点から見ての悲しい狂気に終わるか、あるいは 聖なる光明への回帰になるかはまさに神のみぞ知るということになる。

その事情を承知した上で、釈迦が「この世の一切が皆苦だ」と言ったり、妙好人が「すべてが南無阿弥陀仏だ」と言う状態は、世間的には、異常心理、変性意識であり、狂気でもあるが、それが自我意識が克服された姿であることを承知しておく必要がある。
むしろ本当の人間としては、そういった状態が当たり前な状態であることを、少なくとも冷静に理解する必要がある。
すなわち全身全霊を賭けた冥想修行が成り、聖なる光明(空・神)を見るということは、修行者自身の力ではどうにもならない部分があることを、ありのままに評価してほしいのである。
それが、小さな第一歩だけれど、本当の人間のあり方へのステップの一歩目になると思う。

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生命の木とタロット・カードと易経-10

2005-03-23 05:08:32 | 究極というものの可能性
5.新時代のテクノロジーとしてのクンダリーニ・ヨーガ
⑵次の時代
最近ピラミッドが墓ではなく、特殊な冥想スペースとして作られたという説が大分知られるようになった。ピラミッドという国家的建設事業の粋が、冥想事業なのであった。現代人の生活実感からすれば、古代において冥想が文明の中心であったというのは、政治とか経済の生産的活動が最重要ではない文明であり、とても奇妙に見える。しかしながら、本来の文明とは、より神に近い側から、社会と物質全体をコントロールしようとする形が正常なのであり、そのコントロール技術の根幹が冥想なのだから、冥想が国家の中心であることは、むしろ当たり前と言える。(高い身体での意識コントロールが、物質文明をコントロールしていく)

次の時代のテクノロジーとは唯物科学万能の先にあるのではなく、唯物科学が終わった色即是空(物には実体がないこと)にこそある。
クンダリーニ・ヨーガ・テクノロジーの支援なくして、多くのチャネラーが聞いているような農業中心の社会で,なおかつ、快適な社会生活ができる社会はありえないのだ。

しかし「そうか風水とか奇門遁甲による願望実現の精度を、もっと上げる方法があるのか」と聞いてギャンブルや蓄財など自分勝手な欲望実現に応用しようとする人は、ろくなことにはならない。その技術が誤用されれば、ないしはそれにふさわしい高さを持ち、無私の師匠が指導しない限り、発狂と自殺者が続出するか、社会的に害のある危険な人間が増えるだけだ。クンダリーニ・ヨーガの道は、それほど危険に満ち、かつ難しい。

深淵」を超えていく人間がそう沢山出るとは思えないが、多くのチャネラーが見ている次の時代(ピースフルで、進んだ文明の時代)が、「深淵」を超えた人たちの多数の出現を前提にしていることもまた事実なのだ。日本は、これだけ冥想と縁遠い国になってしまったけれど。

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生命の木とタロット・カードと易経-9

2005-03-23 05:04:54 | 究極というものの可能性
5.新時代のテクノロジーとしてのクンダリーニ・ヨーガ
⑴新テクノロジー
というわけで、生命の木の図版から思わぬ深みにはまってしまった訳だが、この話はマイナーなクンダリーニ・ヨーガ修行者の単なる奇譚に止まる話ではない。

バグワンが、その脱線しまくる講話の中で披瀝しているように、クンダリーニ・ヨーガの進展なくして次の時代はないのである。たとえばテレパシー(メンタル体の技術)で、電波の届かない場所との連絡がとれるとか、アストラル体は重力の影響を受けないので、アストラル体の技術を利用した空飛ぶ円盤の実用化が可能になるなど、現在では絶対に不可能な技術が実現する可能性を予言している。
仏教唯識説のアラヤ識(集合的無意識の一部で、ここで実現した事象が現実化すると言われる)を自在に操る技術がクンダリーニ・ヨーガだから、何ができるようになっても不思議はない。

人間にとっては、メンタル体がアストラル体を制御し、アストラル体がエーテル体を制御し、エーテル体が肉体を制御する。それと同様に、高い身体での意識コントロールが、物質文明をコントロールしていく。

古代秘教(古代エジプトなど)の神官たちの最大の関心事は、冥想でのレベルを落とさないことであり、冥想レベルがその文明を維持する根幹であることを知っていたはずである。つまりクンダリーニ・ヨーガにより、第四身体以下つまり霊界(アラヤ識)をコントロールすることが、即物質文明をコントロールすることに他ならないことを知っていたはずなのである。現代において、そう思っている人は少ないけれど。

風水や奇門遁甲は、その一部分を使用した技術と考えられる。そして風水や奇門遁甲すらも、失われてしまったノウハウが多いと聞くが、失われた部分とは、もっと簡単に現象を操作する方法ではなく、冥想レベルを高める技法の部分であるとにらんでいる。そして風水などで失われたノウハウは、金儲けには使えない方向のノウハウであることに間違いはない。

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生命の木とタロット・カードと易経-8

2005-03-22 04:55:21 | 究極というものの可能性
⑶生命の木の深淵
②闇
深淵探求にあたって一言。
まず滅多に人が立ち入ったことのない領域なので、深淵ツアーは、南極観光ツアーよりも遥かに挙行が難しいツアーだ。深淵とは、「映画インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」で 聖杯のありかに至る最後の難関の見えない橋のことである」とカバラ解説本にあったが果たしてどうか。。
霊界の天国にいらっしゃいます天使様、観音様、菩薩様のお歴々でも、天国の先には深淵があることを人間に知らせる方は、限られているのではないか。だから深淵について、チャネリング等で言及している人が極端に少なくなるように思う。結構何の危険もなくピースフルな時代がやって来ると言う方が多いのでは。

それでは問題の第四身体(メンタル体)と第五身体(コーザル体)の間で何が起こるのだろうか。

ここに深淵と呼ばれる、現代人にとって最も恐ろしいこと、すなわち『自分自身に直面する』ゾーンが広がっていることを知る。少しでも自分を失った瞬間に、発狂や死がやって来る漆黒の闇、崖っぷち、永遠に続くかと思われる完全な孤独。
多分それに至るまでに何度も自分自身に直面する場面はあるのだが、ここがもっとも決定的なのだと思う。
現代人にとっては神に出会うことが最大の恐怖になってしまった。自分に直面することはこれ以上ないほどの孤独であり、恐怖であるからだ。この深淵に至って初めてそのことを思い知ることになるのである。

バグワンは、『第四身体(メンタル体)とは第五身体(コーザル体)の間の壁は、それまでのどの2身体間の壁を超えるより難しい。なぜならメンタル体は死滅するからである』と説明。その難しさは、『生を死の一部分と見なして受け入れることの難しさ』とバグワンは見ている。しかし、分析できるほどヤワな恐怖ではないようだ。

ダイテス・ダイジは、もっと直接的だ。
【アメジスト・タブレット・プロローグ/森北出版】

『つぼみが破裂して花開く時
君は
君を失う言語を絶した恐怖と法悦にいるだろう。』

『この世とかの世を通じて
君にとって最大の恐怖は
君が、
君自身に変容する瞬間である。
そして最大の至福も』

『自分自身を説明したり理解したりすることはありえない。
だが、
自分自身の気づく直前を表現してみよう。
完全なる闇。
そして突然、開示される
超時間、超空間の絶対歓喜』

『恐怖を恐怖すれば、
恐怖という恵みをだいなしにしてしまう。』

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生命の木とタロット・カードと易経-7

2005-03-22 04:52:16 | 究極というものの可能性


4.生命の木とクンダリーニ・ヨーガ
⑶生命の木の深淵
①深淵の在り処
「深淵より下の概念は感情によって到達できるが、深淵より上の概念は感情では到達できない」とカバラの説明がある。ここでいう感情とは、アストラル体の基本性質のことであるので、アストラル体で到達できるレベルは、霊界(天国を含む)までであることを意味している。

生命の木の各球は、それぞれ対応するチャクラを有するが、各チャクラもそれに照応する身体がある。すなわちメンタル体に七つのチャクラがあり、またアストラル体にも7つのチャクラがあるように、7つの身体にはそれに照応するチャクラが存在する。つまり、第四身体(メンタル体)には第四チャクラであるアナハタ・チャクラが照応し、第三身体(アストラル体)には、第三チャクラのマニピュラ・チャクラが照応する。
従って、深淵の場所を特定すると、霊界があるのは、第四身体=メンタル体までであるから、図のように球1ケテル~3ビナーの下に横たわる深淵とは、第五身体であるコーザル体に至る直前に存在するものであることがわかる。

深淵については、神智学系とバグワン、ダンテス・ダイジがその存在を指摘している。神智学はカバラの影響が強く、カバラによりその存在を意識した可能性がある。
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生命の木とタロット・カードと易経-6

2005-03-21 12:16:11 | 究極というものの可能性
⑵生命の木の3本の柱
生命の木には三本の柱付きの図もある。
左の黒の柱(ヘルメスの小径)と右の白の柱(オルフェウスの小径)と中央の黄金の柱(神秘家の小径)である。

柱についてはカバラ的な説明もあろうが、これを見て真っ先にイメージするのは、クンダリーニ・ヨーガでいう背骨の中央を走る3本のエネルギーコードである、スシュムナー、イダー、ピンガラーである。
イダーは身体の左側を司っているエネルギー・コードであり、女性的側面(内向性)を形成する。
ピンガラーとは、身体の右側を司っているエネルギーコードであり、男性的側面(外向性)を形成する。
スシュムナー管の中に7チャクラが並んで位置しており、クンダリーニは、スシュムナー管を上昇する。
純粋意識(メンタル体での自意識か)があるレベルのチャクラに到達するか、肉体の外に離脱した場合は、3本のエネルギーコードは、スシュムナー一本に統合されると言われる。
(ゴーピ・クリシュナもこの辺りを記述しているが、エーテル体レベルの話が多い)

という訳で生命の木はチャクラ・7つの身体と照応し、スシュムナー、イダー、ピンガラー管の象徴まであるから、クンダリーニ・ヨーガの体系と似ているという状況証拠が満載されている。

ところが、肝心のカバラの冥想法については、現在ほとんど廃絶・忘却されているとされる。またイスラエルに移住したイエメン出身のグループがその冥想の秘儀を伝承しているが公開されていないとされる(カバラ・ユダヤ神秘思想の系譜/青土社)。

そもそもクンダリーニ・ヨーガの冥想法は、その危険性がゆえに公開されないのが普通である。古神道然り、真言密教の冥想法も公開されていないので、カバラも公開されていないことには何の不思議もない。

更にここで子細に生命の木を見ていくと、図のように球1「ケテル」~球3「ビナー」の下に深淵という奇怪なものがあることに気がつく。深淵には何も径がないので、球とは全く違うレベルのものである。深淵とは一体何か。

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