アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

正受老人『一日暮らし』

2019-07-21 06:16:33 | 丹田禅(冥想法8)
◎今日只今の心

正受老人は白隠の師匠。彼に短文ながら一日暮らしという文がある。

この文の前半は、明日もあるから明日やろうと思うと怠け心が出て、今日もやらず明日に回すという下世話な教訓に始まる。

だが、本旨は、『死を限りと思へば、一生に、はたされやすし一大事と申すは、今日只今の心也。』という部分だけである。

今日が最期の日であって、明日はないかもしれないと思えば、一生のうちで最もやるべきことをやるものではないかと言っているだけのこと。

すべてのものは一つながりにつながっていて男女の区別も上下の区別もない(第六身体)のと、「なにもかもなし」(第七身体)は、同時にあるのではないとも戒めている記述に時々出くわす。

そこの部分こそ体験とは言えない体験である。

正受老人『一日暮らし』
『或る人の咄(はなし)に、吾れ世の人の云うに『一日暮らしといふを工夫せしより、精神甚だすこやかにして、又養生の要を得たり』と。如何とならば一日は千年万歳の初なれば、一日よく暮らすほどのつとめをせば、其の日過ぐるなり。それを翌日はどうしてこうしてと、又あいても無い事を苦にして、しかも翌日に呑まれ、其の日怠りがちなり。

つひに朝夕に至れば、又翌日を工夫すれば全體にもちこして、今日の無きものに思ふゆゑ、心氣を遠きにおろそかにしそろや、兎角翌日の事は命の程も覚束なしと云ふものの、今日のすぎはひを粗末にせよと云ふではなし。今日一日暮す時の勤めをはげみつとむべし。如何程の苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。楽しみも亦、一日と思へばふけることもあるまじ。愚かなる者の、親に孝行せぬも、長いと思ふ故也。一日一日を思へば退屈はあるまじ。一日一日と務むれば、百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからにたいそうなり。一生とは永い事と思へど、後の事やら翌日の事やら、一年乃至百年千年の事やら知る人あるまじ。死を限りと思へば、一生に、はたされやすし一大事と申すは、今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。

総ての人に.遠き事を思ひて謀(たくら)むことあれども、的面の今を失うに心づかず。』
(古今名僧手紙禅/丸山小洋編/須原啓興社P122-124から引用(国会図書館デジタルアーカイブ))


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