アヴァンギャルド精神世界

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磐座について

2015-12-29 05:40:10 | 古神道の手振り
◎天之磐座とブラフマランドラ

俗に磐座とは、神社に社殿がない場合、社殿の代わりに用いられる岩で、神が降臨されるという。降臨する神だから、神の素性は知れる。同様に社殿も岩もなければ、青竹を四方に柱とし、注連縄を巡らし、中央に幣(ぬさ)を垂れる。この幣に神が降臨する。これが神籬(ひもろぎ)。

神籬は地鎮祭などでよく見るところ。磐座は大小様々であり、大は松尾大社の背後の松尾山や大神神社の背後の三輪山などがある。磐座とは、社殿の代わりであるから、パワースポットだろうと想像されることが多いが、そうとも言えないところがある。

というのは、古事記では磐座が出てくるシーンは少ない。天孫ニニギの命が磐座を立って地上に向かうシーンくらいのものである。

出口王仁三郎も磐座をことさらに強調はしていない。大祓祝詞の中に
「かくよさし奉りし国中に荒振神等をば、神問はしに問はし玉ひ、神掃ひに掃ひ給ひて、語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて、天之磐座放ち、天之八重雲を伊頭の千別に千別て、天降しよさし奉りき。」とあり、ここに磐座が出てくる程度。

出口王仁三郎の注釈では、
【天之磐座放ち】 磐座は高御座也、【いは】も【くら】も共に巌石の義。放ちは離ち也。古事記には、『離天之石位』とあり。

要するに磐座は天のセンターなのである。
この大祓祝詞では、【語止めて】とは、議論なしに改悟せしむるの意であるそうだから、ここは、あらゆる議論をし尽くして、あらゆる雑念想念を払って、想念停止した時にサハスラーラ・チャクラ(ブラフマランドラ)たる天之磐座が放たれるということになりそうだ。

天孫降臨とは他人のことではなかった。
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