アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

西郷隆盛沖永良部で万事休す

2019-07-27 04:54:59 | 丹田禅(冥想法8)
◎その冥想修業を語らず

西郷隆盛は、流刑に2度遭遇し、一回目は奄美、二度目は、沖永良部。沖永良部は奄美と沖縄の間にある。

老西郷大島流竄中の事跡によれば、非常にお粗雑な造りで狭隘な牢(二間四方)に閉じ込められ、日光も浴びれず、脚を伸ばせば枕は便所に接し、臭気は我慢できるものでなかったほど(トイレは室内)。

また与えられる食事も粗末で量も少なく、もともと巨体で肥満していた西郷の肉体も日に日にやせ細り、ついに歩行の自由を失うに至った。

このような状態であるにも拘わらず、君命重しとして、敢えて牢を出ることなく、三度の食事以外は水も口にせず、端座し続け、読書や冥想をしていた。(出典:維新を創った男西郷隆盛の実像/粒山樹/扶桑社P144など)

こうした状態が2か月続き座敷牢に移してもらった。

狭い牢獄で暫く暮らすと歩けなくなるのは、黒田官兵衛の有岡城の土牢の件でも知られる。

こうした冥想しかできないような環境に置かれ、かつ絶望に陥らず冥想を続けるというのは、万事休したが、坐ることはできるので坐ったということ。
社会性は失ったが、冥想しかできなかったので冥想したということ。

簡単にできるが如く書いてはいるが、洞窟での感覚遮断実験のようなもので、自分が振れると気が触れる可能性はある。

飲まず食わずの冥想は長く続けられるものでなく、2か月で打ち止めとなった。イエスも荒野の冥想は40日。

その後、西郷隆盛は写真を残さないまま、戊辰戦争など明治維新前後の戦役をほとんど一人で主導し、西南戦争で没した。西郷隆盛は悟っているが、更に沖永良部でその冥想を深めることで、その後の人生と日本の維新を一気呵成に進めたというべきだろう。

覚者の長期の冥想修業は軽々に見るべきではなく、その間の出来事は、聞ける相手が出現して初めて語られるものであって、結局そういう相手は出ずに終ったのだろうと思う。

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