アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

死のプロセス-9

2005-05-14 08:55:28 | クンダリーニ・ヨーガ
◎クンダリーニの覚醒と死のイメージ

クンダリーニの覚醒と、本物の死と、臨死体験の比較を作って見ました。
死のプロセスチベット密教を中心に説明するだけでも膨大だし、全体としてどうなのか見えなくなるのもまずいので、早めに全体像を出した方が、わかりやすいと思ったからです。

全体として見れば、本当の死と臨死体験は、肉体を出ない視点から、神の神秘である『原初の光』を見る体験はあるものの、個人の殻は破れていない。つまり幸福な気分は感じられるが、相変わらず自分と他人が別な世界にあるのである。

一方クンダリーニの覚醒のプロセスにおいては、『原初の光』の後、すべてが唯一の私自身である世界を知覚し、自分と他人が本当は一体であったことを知る。そして、コーザル体で無上の垂直道を上昇して、中心太陽に接近して行き、最後はそれに突入し、なにもないということもないということもないことを知る。

要するに本当の死も臨死体験も、クンダーリニ覚醒のプロセスの初期の段階に留まっているのである。

争いも悲しみも叫びもない世界は、クンダリーニ覚醒のステップの中にあるが、通常の死のステップと臨死体験のステップの中にはないのである。

通常の死と臨死体験は、『原初の光』という神の属性を見る体験をピークとして、善悪なんでもありの世界へと下降していくので、『原初の光』という窮極の属性である至福を直感することはあるかもしれないが、その体験の質の高さは、いま一つと評価される。
すなわち依然として自分と他人とは別である世界に住んでいるので、争いも悲しみも叫びも起こり続けるのである。

クンダリーニ覚醒の旅は、海外旅行体験と同列ではなく、あらゆる時間、空間、現象を通じて,実在しているすべてが私自身である無(神、仏、宇宙意識)であることに目覚める旅であり、旅の恥は掻き捨てのような一過性の底の浅い体験ではないと考えられる。

なお臨死体験は、体験の質のばらつきが非常に多く、内容も千差万別状態ですが、臨死体験でも『神に出会った』体験も若干あることから、原初の光を見る方に含めました。

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7 コメント

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Unknown (さかもと未明)
2005-05-15 22:22:26
なんか不思議

ーーーーー。昔全にこったことがあって、こんな絵をみたいなとおもつてました。ユングのいうところの死融合的無意識みたいのと、アラヤ識を近いというひとがいるけど、どう思われます?なんていってみるわたしはねろくに座ることもでまない人間です。
Unknown (さかもと未明)
2005-05-15 22:23:08
まえのコメントデ全といっているのは禅のことでした。あしからかず。
Unknown (零梛)
2005-05-15 23:26:02
こんばんは。

クンダリー二の覚醒、興味のあるお話ですね。



先日仙骨についての話題がボディワーカーうちで出たのですが、仙骨についてのトリビアに待ってしまいました。(*^_^*)



仙骨の名前の由来からしてその場に「不思議な力」が宿るとされていて、仙骨(第一チャクラ付近)に眠る力の引き出しも、このクンダリー二の覚醒にも関連が大きいと思いました。
さかもと未明殿へ (湖南)
2005-05-16 12:06:28
大病をして、献体を申し出るというのは生半可な覚悟ではできません。

中有に入ると自分の死体に入って見ちゃったりするほど、自分の肉体には愛着が残るもののようですから。



この図はそういった愛着とは無縁の図です。その意気に感じてトラックバックでした。
零梛殿へ (湖南)
2005-05-16 12:20:39
仙骨そのものの話だと、話題になりにくいですが、クンダリーニ・ヨーガの覚醒のプロセスの中では、仙骨付近がムラダーラなので、つながりはあります。



師匠に背中の後ろをたたかれてきっかけになる話は、複数の宗教で読んだけれど、なぜか仙骨をたたく話は読んだことがないですね。
Unknown (サータン)
2007-09-10 04:02:44
昔子供の頃こんな妄想をしていました。この世界は巧妙に作られたバーチャルゲームで各個人を演じているのはすべて自分で、他者と呼ばれる者へのコミュニケーションも自分が演じていたデータに沿ったリアクションであり、リアルタイムに楽しんでいる個人が今の自分であり、死ぬとまた別の何者かを演じてみたり、時にはランクアップしてキリストやら神の視点に立ったりする超高性能ゲームだったら怖いなぁと思いました。だって結局は自分ひとりの世界だから。。。。
サータン殿へ (湖南)
2007-09-10 04:35:31
死も含めた世界全体は、そういう想像できるものとは全く違う世界だろうと思います。

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