アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

2.悟りとは何か-4

2009-01-11 05:30:12 | 夢と真実
◎只管打坐系冥想の悟り

2.クリシュナムルティのケース

クリシュナムルティは、当初は、リードビーターやペザント夫人によって、マイトレーヤー(弥勒)の乗り物になるべく訓練されていったが、結局決別し、神そのものを生きるというあり方となった。

最初はバリバリのクンダリーニ・ヨーギであって、高級霊媒でもあったようだが、後半は只管打坐という冥想を勧めない、その境地から出て語るだけの生きる身心脱落のサンプルみたいな人だったということになろうか。

以下の引用には、個人間から全体(大神、主神、ニルヴァーナ、宇宙意識)へと切り替わった瞬間の描写がある。しかしクリシュナムルティにとっては、これが最初のトランスフォーメーションではなく、毎度のように起きていたように見えるので、これは、いつものそうした転換をたまたま丁寧に記述しているだけではないかと思う。

その意味では、クリシュナムルティとは、文字通りの神人であり、希有な存在とはこうした人を云うのだろうと思う。

また只管打坐型冥想による悟りのフィーリングというものは、彼の全著作に横溢しており、どれを読んでもその息吹にひたることができる。

その著作では、愛や自由や無為、善などの老子などにも共通するキーワードが散りばめられていて、一方で霊能力や超能力は勿論のこと、高級神霊、尊格、菩薩、天使なども一切登場せず、フツーの人の生の世界だけを完全にあたりまえに生きるというものがどういうものであるかを、どんな人にもピンと来るように提示して見せてくれる。


『私たち〔クリシュナムルティと一人の友人〕は、〔スイス〕のとある山の木々に覆われた険しい小路をのぼり、ほどなく、ベンチに腰を下ろした。

突然全く予期しないまま、ある聖なる祝福が私達のところにやってきた。もう一人の人もそれに気づいたが、私たちは何も言わなかった。それは何度か部屋を満たしてはいたが、今度はそれは広く山腹を横切って覆い、谷にまで広がり、山を越えて広がるかに思われた。それはいたるところにあった。

全空間は消失したかに思われた。遠くにあるもの、広い割れ目、彼方の雪に覆われた山の頂、そしてベンチに座っている人〔彼自身〕は消え失せた。そこには一も二も多もなく、、ただ無量の広がりだけがあった。

脳はその全応答を失っていた。それは単なる観察の器官であり、それは見ていた。 -誰か特定の人に属する脳としてではなく、時空に条件づけられていない脳として、すべての脳のエッセンスとして』
(クリシュナムルティとは誰だったのか/アリエル・サナト/コスモスライブラリーから引用)





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