アヴァンギャルド精神世界

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ムスタンと米中

2008-04-15 06:03:25 | 時代のおわり
◎チベットと台湾の因縁

1950年代に、チベットでの中国による寺院破壊が繰り返され、6千あった寺院は1960年には370までに激減。仏像や美術品も徹底的に破壊し、中国のいうことを聞かない者は、政治犯として、拷問、虐殺、挙げ句その家族まで殺していった。

ダライラマが中国を脱出した1959年3月は、今回のラサ暴動でも話題になっているラサの中心寺院であるジョカン寺周辺が戦場となった。当時ジョカン寺周辺に1万人以上の信者がジョカン寺を守ろうと勤行行列(マニコルを回しながら歩くの・・・ですね)を作ったが、中国はこれを機関銃でなぎ倒し、戦車で轢き殺したため、子供も含め男女の死体が道路を埋めつくしたという。

この後、ダライラマは居所である夏の宮殿ノルブリンカに中国軍の大砲が打ち込まれたことをきっかけに、インドへの脱出行を敢行することになる。(脱出はチベットが独力で行い、インド入国の便宜はCIAが図った)

ムスタンは、ネパールの北西に接した中国領チベットの一部である。この地域は、CIAの援助を受けたチベットゲリラが1960年代までに活躍した地域である。

1969年の米中国交回復に際して、毛沢東はアメリカに2つの条件を出してきた。一つは、アメリカが台湾との関係を断つことであり、もうひとつはムスタンを含むチベットへの援助を断つことだった由。

蜜月に見えた米中関係が、今般のチベット暴動により、にわかにきしみ始めているが、もともと米中関係は、台湾とチベットでの利害調整から始まっていたわけだから、この事件が世界的な広がりを持って来ていることは、米中関係が一つのターニング・ポイントに来ていることを意味しているように思う。

台湾関係の論説では、今日のチベットは明日の台湾と語る人がいるのは、この因縁を知っているためだろう。
(参考:中国はいかにチベットを侵略したか/マイケル・ダナム/インターナショナル)

チベット密教では、数カ月も人に会わずに山の洞窟で修行する話を読むことが多いが、霞だけを食べていける行者は極めて稀なのだから、ほとんどの修行者は信者の篤い喜捨により食物を得ていた。これが今はできなくなっているだろうから、チベットでの密教修行はもう実際にはできない環境になっているのではないだろうか。


    1日1善。1日1クリ。


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