アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

芭蕉臨終の頃

2008-10-30 04:27:34 | 丹田禅(冥想法8)
◎人の終りと文明の終り

所思
此道(このみち)や 行人(ゆくひと)なしに秋の暮れ ばせを

この句は、一般には芭蕉は門人多数に囲まれていながら、俳諧の先駆者としての道を孤独の中に歩んでいる心境を歌っているなどと説明されているが、それは俳諧人としての解釈。

求道者として見れば、その求道の道は、自分だけが歩む道であって、誰が助けてくれるわけではない。自分でその秋の道を歩むしかない、という虚心坦懐な句と見える。ここには霊がかりも八百万の神々もない。

芭蕉逝去の2週間ほど前の句であるから、体調も思わしくなく、すでに死の影は兆しており、自分でも覚悟ができつつあった時期の句ではないか。悲しいことにその心中を理解してくれる人とてない。求道者も覚者も大方が孤独に生きる。


旅懐
この秋は何(なん)で年よる雲に鳥 ばせを

これも同じ時期の句。この秋は、いつもの年にもまして肉体の衰えが感じられる。雲には、まもなく飛び立つ我が身を予感している凄味がある。


病中吟
旅に病で 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る  翁(芭蕉)

これは亡くなる四日前の句。2日後に遺書3通をしたため、その2日後に没す。
芭蕉最後の句である。既にパノラマ現象並に記憶がかけ廻っている。この世に別れを告げる時は、見性体験のある人でも、あらゆる愛着が意識の表面に一斉に浮かんでくるものと見える。

芭蕉はこの時、「・・・・なおかけ廻る夢心」とも作って弟子支考に見せたが、上の5文字をどうするか問うことができず、結局そのままになったという。

文明に別れを告げる時も、一斉に様々な深刻なエモーションが増幅されて出てくるものだと思うが、ミュージック・シーンやシネマ、テレビ・ドラマなど芸術方面で、そうなり始めたら(もう充分にそうなっている?)、切迫していることがわかるに違いない。逆に、いかにも人工の作り物っぽいところが見えるうちは、まだ時間があるということになる。




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