アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

民衆の自我の発達とタオ

2008-04-18 06:11:05 | 老子
◎老子第49章 聖人無常心

『本当の聖王と言われるものには、一定不変の方針というものはない。ただ民の心をもって心とするのである。

則ち民が善とすることのうちで、自分にも善と思われることを善とするのは勿論、不善と思われることも、民が善とするなら、これを善とする。

あらわれたものは、すべてそうあるべくしてあらわれたのである故善なのである。また民が信とするもののうちで、自分にも信と思われるものを信とするのは勿論、信と思われないものも亦これを信とする。あらわれたものは、すべてそうあるべくしてあらわれたのである故信なのである。

本当に聖王と言われるものの政治の仕方は、一生懸命に天下のために自分の心を是非善悪にかたよらせないように、混沌にする。そして天下の民衆が自分の意志に注目しようとしても見当がつかず、その結果これを赤ん坊のように自然にならせてしまう。』

百姓の心をもって自分の心とするとは、比喩ではなく、すべての皆の心(百姓の心)が自分の心であると観じられる境涯があると見る。その境涯において、百姓心が善であり、信であるのは当然である。

その聖王に、もとより、私心などあろうはずもない

この段は、聖王一人の指導を脱却した自我の発達した百姓(民衆)が最後は、自らタオを生きるように、聖王が民衆を誘導していくことを言う。


    1日1善。1日1クリ。

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