アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

道元の手許メモ

2007-10-22 04:25:44 | 只管打坐
◎そう簡単ではない

道元の師匠の天童如浄が語るには、「参禅は身心脱落です。焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を用いないで、只(祇)管打坐するだけです。」

「それでは、質問です。身心脱落って何のことですか?」

如浄「身心脱落とは、坐禅のことです。ただ坐禅する時、五欲(感覚的な欲望)を離れ、五蓋(むさぼり、怒り、などの迷いの状態)を除くことになります。」

ここまでは、道元の手許メモである宝慶記に出ている話。

只管打坐するだけで、きっと本当に迷いの世界から解脱できるのでしょう。

でもそんなに簡単なことならば、続々と道元の門下に身心脱落したものが輩出しているはずだが、道元の直弟子孤雲懐奘ですら、ようやく一人の伝法の弟子義介を出した時に、覚者は自分以上の力量の弟子を出さねばならないという責務があることから、「仏種を断絶させる大罪を犯すというプレッシャーから解放されてほっとした」みたいなことを書いてしまうほど、簡単ではないのである。

クリシュナムルティも伝法が一筋縄ではいかないことを承知していたから、あのような手法で一生やったのだろうか。クリシュナムルティの場合は、残念ながら同じ境地に達した者は周囲には誰も出ずに終わった。


    1日1善。1日1クリ。


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