アヴァンギャルド精神世界

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催眠術にかかりやすい人と宗教経験

2013-06-05 05:48:36 | 冥想アヴァンギャルド
◎本物の発心

催眠術といえば、死語みたいに思っているかもしれないが、日夜テレビやネットや館内放送での洗脳に曝されて現代人にとっては、むしろ催眠術をかけられようとしているのは日常茶飯事である。

クンダリーニ・ヨーギ本山博が、催眠術をかけられやすい人と宗教経験(見神、見性など)を得やすい人には似た特性があるという。平たく言えば、宗教経験を持つ人は催眠術によくかかるのだそうだ。

共通した特性とは、
1.精神集中や他人からの暗示で意識的意志機能を容易に低減できること。その結果、無意識を容易に意識野に出現させることができること。

2.想像力による表象が知覚・感覚を呼び起せる。観想法が得意だということ。ありありと想像できる。

3.上記1、2の人には二タイプあり、常に平静で素直で同じ一定の仕事ができ内省のできるタイプと、むら気で熱狂的で我を忘れるタイプ。

これを見ると、これまでの経験に照らして、さもありなんという感じがする。

ところが、肝心なのはその両者の類似性ではなく、相違点である。宗教経験では催眠状態と違って、無批判性、意志の低下は生じない。つまり前者はより意識的であり、後者はより無意識的である。

そして相違の最たるものは、その心的態度である。
『宗教経験をもつ人は日常生活においておおよそ次のごとき精神的態度をもっていると思われる。

超個人的なより大いなるものへ常に自己の存在を向け、個人的なものを捨てる努力をしている。』
(宗教と医学/本山博/名著刊行会P187から引用)

この態度は一言でいえば求道心だが、これが違いを生むものだったとは意外である。

これをわかっているからこそ、宗派を問わず、発心というものや新米の冥想修行者が高く評価されてきたのだと思う。

しかし発心だけは、論理や理屈で起こすことはできない。神様に祈ることは、とにかく神様が偉いからとか、神様に感謝すべきだからとか、神様に恩を受けているからなどと理屈を並べているようでは、その求道心、信仰は本物ではないのだ。一切の理論づけを抜きにして起こる信仰心が本物の発心なのだ。

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